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[16783へのレス] Re: 明日のホーム開幕戦・... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/04/08(Tue) 22:46
MOOMさん、the'59さん、おばちゃんさん、こんばんは。レス、ありがとうございました。(^^) 東京も、もの凄い突風と豪雨に見舞われましたよ。>おばちゃんさん

調子に乗って、ニュース・トリビューンから、明日の開幕戦に関する記事をもう1つご紹介させて頂く事にしますネ…。(^^ゞ

         **********************



       M’s、ホームに戻って来れて大喜び
         ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2908739p-2944114c.html


自分が初めてセーフコーフィールドでプレーした時の大観衆の様子や彼らの大歓声のことを、彼は良く覚えている。

だが、イチロー・スズキが2001年4月2日―彼がシアトル・マリナーズの一員としてプレーした初日―について一番良く覚えているのは、そういった周りの全てのものを努めて意識から締め出そうとしていた事なんだと言う…。

「僕にとってとても大切な日だったから、(集中するためには)周りで起こっているいろんなことに気をとられていてはいけない、と思ったんだ。」と彼は言う。「でも、今は違う。今は、全てを楽しめるようになった。」

今日の午後2時にはアナハイム・エンゼルスとのホーム開幕戦が開催されるが、その試合前にイチローや彼のチームメート達の名前がアナウンスされる時、セーフコーフィールドでの新らしい時代が始まることになる。セーフコーフィールドが出来て以来、マリナーズがルー・ピネラ以外の監督のもとでプレーするのは、今日が初めてになるからだ。

「我々全員にとって、今日は特別な日。」とウィルソン捕手は言う。「ホームでプレーするのは昨年の9月以来の事だし、チームメンバーのほとんどは、2ヶ月ぶりに家に帰ったんだ。」

マリナーズのバッテリー陣は、2月9日にキャンプ入りした。シアトル周辺に住居を構えている選手達にとっては、今日はホーム開幕戦であるだけでなく、待ち焦がれた帰郷の日でもあるのだ。

「僕は、仕事(=25人ロスター入り)を確保しようと思ってキャンプに行った。」とウィリー・ブルームクィストは言う。「昨年の9月はあまりにも色んな事が起こったので(=思いがけずメジャーに昇格して、予想外の大活躍をした)、記憶もはっきりしないほどなんだ。セーフコーフィールドでの開幕日はどうかって…?信じられないくらい素晴らしいものになるだろうね。僕が初めてセーフコーに来たのは2001年のオープン戦だったんだけど、それでももの凄く感動したものだった。公式戦でもなんでもない試合だったのにね…。今回は、妻と母と姉たちを球場に呼ぶつもり。(注:残念ながら、この日を一番楽しみにしていたであろうお父さんは、昨年秋の事故のリハビリ中で来られないのです…)凄く楽しみにしているんだ。」

1999年7月15日(注:新設されたセーフコーフィールドのオープニングの日)にセーフコーでの最初の1球を投げたのは、ジェイミー・モイヤーだった。今日の午後、彼は2球目を投げる事になっている。

「当時も光栄な事だと思ったし、今日先発できる事も光栄に思っている。」とモイヤーは言う。「僕なりのベストを尽くすつもりでいる。シーズンはもう始まっている。いまのところ、我々はそう悪くはないが、そう良くもない…と言うのが正直なところだろう。ホームに戻ってきたのを機に、もっと調子をあげなくてはならない。ここの球場は素晴らしいし、ファンも最高だ。今日は、特別な日になると思う。」

新人監督のボブ・メルビンは、「今日は、“鳥肌もの”になると思う。」と言う。「セーフコーがオープンした時の賑やかなお祭り騒ぎのことは私も良く覚えているし、マリナーズが116勝した年には、アリゾナ・ダイアモンドバックスの一員としてインターリーグ試合のためにここに来た事もある。」とメルビンは言う。「キングドームからセーフコーフィールドに替わってどうだったかって―?較べ物にならないくらい素晴らしくなったよ。セーフコーでの開幕戦に参加できると思うだけで、ワクワクする。」

―そして、彼が采配を振るう姿を初めて観るホームの観客に紹介される時の気分は、どんなものになるのだろうか?

「キャンプの間中ずっとテレビで見てて、皆、もう僕の事は見飽きてるんじゃないのかな…?」とメルビン。

エドガー・マルチネスの名前も試合前に紹介されることになっているが、ハムストリングの故障のために試合には出られない。でも、足の具合が万全ではないからと言って、ファールライン上にチームメート達と一緒に並ぶために、ダッグアウトから小走りで登場するのをやめるつもりはない。

「小走り程度なら大丈夫なんだ。走るのは無理だけどね。」とエドガーは言う。

セーフコーフィールドに関して言えば、彼には、ファンも知らない色んな想い出がある。

「このリーグで長くプレーしていれば、色んな球場も見慣れてしまうし、打席から見る景色もありきたりに思えてきてしまうものだ。」とマルチネスは言う。「でも、セーフコーで初めて打席に立った時は、『なんて美しいんだろう…』と思った。それは、それまでの打席で見たどんな景色とも全く違っていた。今では、その景色が僕にとっての故郷みたいなもの。我々は、いつでもセーフコーではいい成績を残している。でも、打席から見た景色に関して言えば、これほど素晴らしいものは球界中どこを探しても、他にはない。」

1999年にセーフコーに移って来て以来、マリナーズは285試合の公式戦をそこで戦い、そのうちの175試合に勝利を収めている。

ジェフ・ネルソン投手の最も大切な想い出は、ポストシーズンのプレーオフに関するものだが、今週ホームに戻って来れただけでも凄く嬉しいと彼は言う。

「2月からずっと家に戻っていないし、家族にも1ヶ月ぐらい会っていないんだ。」と彼は言う。「ホームに戻ってくるのは、とにかく嬉しい。娘たちをピアノの稽古に送っていけるし、朝食も一緒に食べられるしね。」

ネルソンの妻のコレットは、今日のセーフコーでの試合を観に来る事になっている。だが、彼らの4人の娘たちは来ない。

「だって、今日は学校がある日だもの。」とネルソンは言う。

マイク・キャメロンは、ホームでの開幕戦を満身創痍で迎える。土曜日の試合では外野でブレット・ブーンと激突し、日曜の試合では右手首に死球を当てられてしまったからだ。

―でも大丈夫。キャメロンの顔から笑顔が消える事はない。

「僕たちとファンの間には特別な絆があって、そのお陰でセーフコーは僕たちにとってとても居心地がいい場所なんだ。」と彼は言う。「僕は、ここでプレーするのが大好きなんだ。ダッグアウトの裏や外野でファンと話をするのも、大好き。ここには、いろんな素晴らしい思い出が詰まっているんだ。」

メルビンも、これから自分なりの想い出を築いていきたいと思っている。

「私は、開幕戦でプレーした経験は、2度くらいしかないんだ。」と彼は笑いながら言う。「プレーしない事で、私はチームに貢献していたのさ。」

イチローは、セーフコーフィールドでの初めての開幕戦を、生涯忘れないと言う。彼のメジャーでのキャリアが始まったその日、彼は5打数2安打を記録した。

「今は、ファンの人たちの存在を、あの頃よりはずっと楽しむことができるようになった。」と彼は言う。「彼らの姿を見、彼らの声を聞きながらでも、今は野球に集中する事ができるようになったんだ。」

                                 (以上)

[16677] メルビン監督の初勝利 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/04/04(Fri) 20:34
シアトル・ポスト紙より、今日の初勝利についての記事です。(^^)



         メルビン、初勝利を得る
        ― ジョン・ヒッキー ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/115807_mari04.shtml



ボブ・メルビンにとって、これまでの周りの騒ぎようは、そろそろ意味のないものに思えてきたところだった。世間は、“経験豊富で実績のあるベテラン揃いのチーム(特に投手陣)を受け継いだメルビンほど、幸運な男はいない”と、ずっと言いたてていたのだ。

そして、開幕3連戦の結果が出た―。フレディー・ガルシア、負け。ジェイミー・モイヤー、負け。カズヒロ・ササキ、セーブ失敗。ジェフ・ネルソン、セーブ失敗。

ベテラン陣の、なんと当てにならないものよ…。

―が、ちょっと待って欲しい。メルビンと言う男は、やはりツイているのかもしれないのだ。というのも、2連敗と2つのセーブ失敗を喫したにも拘わらず、マリナーズは最終戦を延長11回で7−6で勝ち、メルビン監督の初勝利を記録してからオークランドを去る事が出来たのだから―。

佐々木が9回に4−3の勝利をフイにした後も、またネルソンが10回に5−4の勝利にサヨナラを告げた後も、打撃陣は屈服することを拒否した。

オークランドの度重なる反撃が繰り広げられる中、耐え難いほどの緊張感を味わっていたメルビンは、プライス・ピッチングコーチに向って冗談交じりに、マリナーズの試合というのはいつもこんな感じなのかと訊いたのだそうだ。

「『あなたが一生忘れられないような初勝利をプレゼントしようとしているだけだよ』と彼には言っといたんだけどね…。」とプライスは言う。「…僕?僕個人としては、こんな試合は忘れてしまいたいね。」

プライスは笑いながらそう言ったのだが、シアトルのブルペンの大黒柱ともいうべき佐々木やネルソンの今日のパフォーマンスは、確かに忘れてしまいたいようなものではあった。

監督というのは、鈍感で忘れっぽい方がいいのかもしれない。この試合の11回は、まさにそのことが証明されるような展開になった。メルビンは9回と10回に起きた事をきれいサッパリと忘れた―そして、野球戦術の常道を無視して、ネルソンに賭けることにしたのだ。

11回の裏、無死、オークランドはヒットとエラーで出塁したランナーを2塁と3塁に置いていた。続くオークランドのバッターは、チーム最強の打者のミゲル・テハダとエリック・チャベズ。テハダが1塁ゴロを打って、1アウトになった。すると、メルビンは次打者のチャベズを敬遠して満塁にするように、ネルソンに命じたのである。

チャベズは勝ち越しのランナーである。野球の常道では、延長戦での勝ち越しランナーは、“絶対に”塁に出してはいけないことになっている。どんな場合でも“絶対に”ダメなのである。しかし、メルビンはネルソンが何とか切り抜けてくれる方に賭けた。

「チャベスに打つチャンスを与えては、絶対いけないと思ったんだ」とメルビンはいう。「彼は、いい打者過ぎるからね。」

もしこの作戦が失敗していれば、メルビンは間違いなくメディアの袋叩きに遭っただろう。

「そうかもしれないね。」と彼は言う。「でも、私は、ああするしかないと思ったんだ。」

だが、ネルソンは監督の期待に応えた。ジャーメイン・ダイの犠牲フライでシアトルのリードが半分になってしまったものの、チャベズが盗塁(記録ではそうならなかったが―)で2進すると、ネルソンは続くアダム・ピアットを切れのいいスライダーで三振に打ちとって、ようやく試合を終わらせたのである。

「今日のように2回も相手に追いつかれたりすると、チームの士気もくじかれる。」とメルビンは言う。「でも、我々はそこから盛り返した。このチームは、とても競争心の旺盛なチームだ。今日の勝利は、今後に繋がる勝利だと思う。」

間違いなく、メルビンにとっては忘れられない初勝利となったはずだ。選手達もそう信じている。

「無死でランナー2塁3塁になった時、マウンドに立ちながら、正直言ってもうダメなのか、と一瞬思った。」とネルソンは言う。「僕にとっては、この試合は勝てたというだけで大きい。ボブにとっては、彼の監督としての初勝利ということもあって、一生のうちで最も忘れられない試合の1つになるんじゃないのかな。」

メルビンとマリナーズの選手達は、今日の勝利をあまり大袈裟に喜ぶつもりはないが、順位の上では、勝つと負けるとでは2ゲームの差を意味する大きなものだった。今日勝った事で、マリナーズは首位から1ゲーム差でテキサスに乗り込むことになった。だが、もし負けていたら、差は3ゲームに開いていたところなのである。

「我々は、勝ってこの地を離れなくてはならなかった。」とプレット・ブーンは言う。10回表のブーンの犠牲バントが、その後のマイク・キャメロンの勝ち越し犠牲フライを引き出していた。

結果としてそのリードは消えてしまったが、マリナーズの勝利への執念は消えることはなかった。11回表、ベン・デービスのホームランで1点を勝ち越した後、ランディー・ウィンが四球を選んで2盗し、そのウィンをマクレモアが2塁打でホームに還したのだ。

「0勝3敗でテキサスには行きたくなかった。」とネルソンは言う。「シーズン最初の週に、早くも首位から3ゲームも離されてしまってはマズイ。そういう意味では、この勝利はウチにとって凄く大きかったと思う。―それに、ウチの監督にも、早く“初勝利”をプレゼントしたかったしね。」

往年のナット・キング・コールの名曲の題名ではないが、今日の勝利は、まさに“Unforgettable”なもの(=忘れ得ぬもの)になったのである。

                      (以上)

[16540] “ピッチャー・イチロー”…?^^; 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/03/23(Sun) 16:17
昨日のニュース・トリビューンに、イチロー選手に関する短い記事が載っていました。…なんだか楽しそうでいいですネ…。(^^)

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     イチローと“春疲れ”のマリナーズ、少しばかりふざける
              ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2822256p-2859879c.html      


春期キャンプもオープン戦の26試合目ともなれば、マリナーズの選手達が多少のおふざけを楽しんだとしても、ちょっとは大目に見てもらえるのではないだろうか…?

金曜の朝の練習のストレッチングのあと、イチロー・スズキがマイク・キャメロンを相手にピッチングを披露し、キャッチャー役のキャメロンがイチローの速球を受ける度に大袈裟に後ろにひっくり返えってみせる―ということを繰り返しては、チームメート達を楽しませていた。

途中でパット・ボーダース捕手がキャッチャー役を替わり、パーフェクトなストライクを何球かグラブで受けた。

「凄いな、いい肩してるよ。」とボーダースは言う。

―その少し後、サンディエゴ戦開始の30分ほど前にシゲトシ・ハセガワがダッグアウトに入ってみると、もう既にそこにイチローがいた。

「僕のフォークボールのほうが、あなたのより上だよ。」とイチローは言う。

「そんなことはない。」と長谷川。

「いや、絶対そうだ。」とイチロー。

「だって、俺、フォークなんて投げないもん。」と長谷川が言い、2人は大笑いする。

2人の遣り取りを聞いていたブライアン・プライス・ピッチングコーチも、つい仲間に加わらずには居られない。

「イチローのフォークは見たことはないけど、『僕のフォークの方が、彼のよりは上だ』と、一応記録のために言っておくからね。」とプライス。

「イチローのフォークが俺のより上だなんてことはないし、打者としても俺の方が上だよ。」と長谷川はイチローを指差しながら言う。「俺は4割打てるもん。」

イチローが長谷川をジロッと睨む。

「俺が投げるのは、フォークじゃなくてシンカーだし。」と長谷川。

この騒ぎを聞いていたボブ・メルビン監督が一言:「どうも、休みが必要な連中が何人かいるようだね…。」(注:…というわけで、今日のダイアモンドバックス戦は、レギュラー陣が皆お休みだったのでしょうか…?^^;;;)
                                (以上)

[16516] マリナーズ、落胆と安堵と… 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/03/19(Wed) 23:05
各紙に遠征中止に関する選手達のコメントが載りましたが、やはり「国が戦闘状態に入るかもしれない時に、国を離れたくはない」というコメントが一番多かった気がします。自分たちが危険にさらされる事を心配するというよりも、有事に野球を外国でする事の是非、或いは、何かが起こった時に遠征に帯同する家族や米国に残る家族のことが心配でしかたがない―というものがほとんどでした。

下記は、“波乱に満ちたマリナーズの春”に関するトリビューン・ニュースの記事です…。



         落胆と安堵
       ― ラリー・ラルー―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2796501p-2841166c.html


混乱続きのマリナーズの“キャンプ・カオス(混沌)”は、火曜日もその名に恥じない展開を見せた。MLBが、チームの日本遠征を取り止めたのだ。

―今年の春がどれくらいヘンだったかって?

24時間以内には東京へ飛び立つことになっていた火曜日、マリナーズは、4人の投手―ジェイミー・モイヤー、ジョエル・ピネイロ、フレディー・ガルシアとジェイミー・ライトを、それぞれ別々の試合に先発させたのだ。

「我々は、間もなく休みに入るからね」とブライアン・プライス・ピッチングコーチは言う。「後5日は試合がないから、今のうちに出来るだけ多くの投手に投げるチャンスを与えたかったんだ。」

思惑通り、全員に投げさせる事は出来た。だが、今日(19日)からマリナーズは、オープン戦を少なくともあと9試合はプレーする事になった―さらには、3月28日には10試合目が設定されるかもしれないのだ…。

「我々は、安堵から落胆までの、ありとあらゆる感情を味わっているところだ。」とマリナーズのハワード・リンカーン球団最高責任者は言う。

「今までの選手生活の中で、ほとんどなんでも経験してきたつもりだった。」とエドガー・マルチネスは言う。「でも、計画されていたものが戦争のためにキャンセルされるなんて、今まで見たことがない―こんな事は初めてだ。こんな事が実際に起こっているなんて、信じられない思いだ。現状のもとで遠征に出る事については、我々は皆心配していた。僕も心配だった。もし、自分が決める立場にいたら、やはり中止にしただろうと思う。日本では是非プレーしたかったし、少しばかり観光もして、日本の文化について少しだけでも知りたいと思っていた。―でも、それも、違う状況のもとでのことだ。」

マリナーズの選手達とその家族、フロントの職員その家族たちは、今日の朝の太平洋横断のフライトで、東京へ向けて出発するはずだった。

「皆、この遠征を楽しみにしていた。」とジェフ・シリーロ3塁手は言う。「イチローやカズヒロやシゲトシにとっては、本当に気の毒だったと思う。彼らがメジャーの開幕戦を日本で披露したいと思っていたことは、よく知っていたからね。この催しを実現させるために尽力した日本の人々に対しても、本当に気の毒な事だと思っている。日本に行っても我々は安全だっただろうと僕は信じているよ。実際、問題になっていたのは、我々の安全なんかではなかったと思う。そんなことよりも、もっと大切な事が今の世界では起こっているんだ。」

ベン・デービス捕手は、バド・セリグの決断に賛成する人間の一人だ。

「物事は、総体的に考えなくてはならないと思う。自分の国が戦争状態にある時に、我々は他所の国で野球をするところだったんだ。」とデービスは言う。「本当は、我々の安全のことなんて、関係なかったんだと思う。最前線で銃器を手に戦っている人々がいるっていうのに、我々が他所の国に野球をしにいくなんて、正しい事だと思うかい…?―僕は、そうは思わない。」

マイク・キャメロンは、家族や親族のかなりの人数が一般民間機で東京に飛ぶ事になっていたため、この一週間、ずっとそのことを心配していた。

「もし、向こうへ行ってからMLBが我々選手を早々に帰国させる事に決めたら、いったいどうなるんだろう…って思っていたんだ。」とキャメロンは言う。「そういう場合、一般民間機に乗る事になっている家族は、どうすればいいんだ?東京で立ち往生か??こういう状況では、誰も行きたくはなかったと思うよ。もし、『行け』と言われれば、僕は行ったと思う。でも、家族のことは行かさなかったと思う。その決断は、僕の中では既に出来ていたんだ。」

季節外の大雨に何回も試合や練習を流されてしまった今年の春期キャンプにおいて、火曜日の中止決定は、マリナーズが対処しなくてはならない土壇場の変更が、またさらに一つ増えてしまったことに他ならなかった。

今朝旅立つ予定だったチームは、もうすでにシアトルへ送り返すための荷物の荷造りを終え、キャンプ滞在用に借りていたアパートやホテルを引き払って、アリゾナを後にするばかりになっていたのである。

予定が変わった今、ほとんどの選手達は、大慌てであと数週間滞在する場所を確保しなおし、友人や親戚のために予約していた飛行機の予約をキャンセルするなど、これから色々奔走しなくてはならない。―あ、それから、朝7:30からは練習に出て、急遽今日の10時に設定されたテキサス・レンジャースとのロード・ゲームに備えなくてはならないのだ…。

「この春のキャンプは、我々は、日本遠征の事―我々に与えられた予定の事で、ずっと頭が一杯だった。」とボブ・メルビン監督は言う。「遠征が中止になるかもしれないと思っていた今日でさえ、我々は、行く事を前提として物事に当たらなくてはならなかった。この春、我々は気まぐれな天候にも合わせてきたし、5回もあったスプリット・スクアッド・ダブルヘッダーにも何とか対処してきた。―だから今回のこの変更にも、きっと対処できると思う。」

                       (以上)

[16494] マリナーズの日本開幕戦は… 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/03/18(Tue) 21:40
みなさん、こんばんは。そして、San Lorenzoさん、お久しぶりです。(^^)

シアトル・ポスト紙によれば、MLB機構はまだ日本遠征に関する最終決定を下すには至っていないものの、現地時間の18日中にはなんらかの結論を発表する事になるだろう、とのことです。果たしてどういう発表になるのでしょうか…。(-_-;)

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         M’sの日本開幕戦、不確定な状態
           ― ジョン・ヒッキー ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/113022_japan18.shtml


マリナーズとA’sのそれぞれの球団フロントは、17日の夜遅くまでMLBのコミッショナー事務局と連絡を取って、日本での開幕戦シリーズに関するMLB機構の判断を待った。

予定では、マリナーズとA’sは、19日に東京へ発ち、3月25日と26日に現地で試合をする事になっている。

きちんとした予定はすでに立ってはいるものの、米国が近日中にイラクと交戦状態に突入す可能性が高い現在、事態は流動的だ。

球団の情報筋によれば、マリナーズとA’sは、18日中にも(注:現地時間。日本時間では、今日深夜から19日午前中にかけて)、日本行きが実行されるのかどうか知らされることになりそうだ。17日夜の時点では、両チームとも、予定は変わらないものとして準備を進めている。

セリグ・コミッショナーとMLB事務局は、今後どうするべきかについて国務省・FBI・その他の関連団体からアドバイスを仰いでいるところだ。

「コミッショナーは、ワシントンのいくつかの省庁と相談している。」と事務局のスポークスマン、リッチ・レビンはAP通信に語る。「今は、返事待ちの状態だ。」

遠征を実行するためには選手会の同意も必要なため、選手会のドナルド・フェア会長らも話し合いに加わることになる。

「今は、誰もが事態の成り行きを見守っているところだと思う。」とフェアは言う。

コミッショナー事務局は、緊急事態に備えた対策案を何通りか用意してあるという。選手達は、明日遠征に旅立つ飛行機の中で、それらの詳細を知らされることになっていた。

しかし、それは、17日夜にブッシュ大統領が国民に向けてイラク情勢に関する演説をする前までの事だ。その演説によって、48時間後には戦争が現実のものとなりえることが明らかになってしまったのだ。

今は、少なくとも、遠征が中止になる可能性もでてきた。そうなった場合は、両チームとも当面はフェニックス近辺にとどまる事になるだろう。

もし、遠征が中止になれば、マリナーズは3月31日〜4月2日にオークランドで開幕3連戦を戦う事になるものと思われる。さらには、6月30日にもう1試合がオークランドでのアウェー戦としてスケジュールに加えられることになるだろう。
                                    (以上)

[16468] やっぱり日本遠征は大変…?^^; 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/03/17(Mon) 00:05
世界情勢が悪化している最中に海外に出る事に不安を抱く選手が多いようですが、それ以外にも、今回の日本行きは、マリナーズにとっては、やはりかなりの負担になっているようですね…。(-_-;)

以下は、タコマ・トリビューンの記事です。


          ****************************


   チームが日本へ向けて旅立とうとしている今、それはまるで・・・サヨナラ、マリナーズ
            ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2777991p-2825943c.html
    

水曜日にキャンプ地のフェニックスから東京へ向けての14時間のフライトに乗り込むに当たって、何かいいアドバイスはないかと、何人かの選手達が佐々木に尋ねにきた。

「飛行機の中で眠れば、そう悪くはないよ。」と佐々木は答える。

今までに日米間を何回も往復した経験のある佐々木は(フェニックスからは初めてだが…)、東へ向かおうが西へ向かおうが、たいした違いはないという。

誰かが、佐々木は飛行機で眠れるのかどうか訊ねた。

「いいや」と彼は言う。「でも、いつも眠ろうと努力はしているんだけどね。」

2003年シーズンを外国の地で迎えようとしているマリナーズとアスレチックスは、お互い難しい状況を何とか乗り越えようとしているところだ。

「最初にこの遠征話に同意した時は、スケジュールが違っていたんだ。」とあるオークランドの役員は言う。「日本での開幕戦は3月28〜29日、そのあと帰国して30日がオフ、31日が練習日で、4月1日にホームでの開幕戦を向かえることになっていたんだ。」

―だが、事情が変わってしまった。

いくつかの例外はあるものの、今回の遠征旅行の経費の全てを負担する事になっているMLBは、日本側がメジャーとのオープン戦とNPBの開幕戦との間に、もっと日にちを開けて欲しい、と言っている事を途中で知ったのだ。

その結果、マリナーズとアスレチックスは、3月25日と26日に試合を行って帰国することになった。両チームにとって、それから4月1日までの間にはちゃんとした試合がひとつもないために、その間に何試合かオープン戦を設定しなくてはならなくなったのだ。

「春期キャンプに入る時に、こういう事情を知らなかったわけじゃないんだけどね…。」とプライス・ピッチングコーチは言う。「どういうふうに工夫してみても今年のキャンプは例年より短く感じられるだろうって事、投手達は投げ込み不足のままアリゾナを去らなくちゃならなくなるってこと、そしてアリゾナを離れた後の調整が難しいだろうってこともね…。確かにその通りになりそうだ。でも、アスレチックスも同じ問題に直面しているわけだから、どちらか一方が有利とか不利とかいうことはない。」

そう言いながらも、プライスは肩をすくめる。

「これが両チームにどういう影響を与えるかは、やってみなくてはわからないけどね。」と彼は言う。

キャンプの間中、マリナーズは東京への往復の旅を“大いなる冒険”と思うように努力してきた。―そして、日本人選手を3人も抱え、日本人の筆頭株主をもつマリナーズほど、この役目にピッタリなチームは他にはないのだ。

しかし、この旅が引き起こす大小さまざまな問題が今年のキャンプをいつもとは全く違うものにしているのも、事実である。

マリナーズが春の練習を開始したのが2月10日、そしてカクタス・リーグの試合が始まったのが2月27日。今週半ばに日本に向けて旅立つまでには、マリナーズは23試合を消化した事になるが、これは昨年よりも9試合も少ない。

さらには、この数字ですら額面どおりには受け取れないのだ。

今年の春、マリナーズは5回も“スプリット・スクアッド”ダブルヘッダーをこなしたことになるが、これは球団史上最高の数だ。同じ日に2試合プレーした選手は一人もいないので、結局、この春18試合以上に出場する機会のあった選手は、一人もいないことになる。

「このスケジュールの事は、皆知っていた」とマクレモアは言う。「でも、正直言って、今年のキャンプは凄く早く感じたね。気ぜわしいんじゃない―ただもう“早い”って感じだった。」

アリゾナでの最後の試合を火曜日にプレーしてから本国での開幕戦を4月1日にオークランドでプレーするまでに、マリナーズはオープン戦4試合と公式戦2試合を戦い、オフ・デーを6日も与えられることになる。

キャンプの間中、両チームの新人監督達、モッカとメルビンは、たえず“チャレンジ(難問)”という言葉を使ってきた。それは、試合に関する事(例えば、投手陣のコンディションの維持)である場合もあれば、試合以外のことの場合もあった。

マリナーズとアスレチックスが水曜に旅立ったあとは、どちらのチームも、他のチームからウェイバーやトレードで新しい選手を獲得して日本に呼び寄せる事は出来ない。また、他のチームよりかなり早く開幕戦を迎えながらも、東京での3月26日の試合から他のチームがプレーを開始するまでの3日間というのは、オークランドとシアトルの選手の“故障者リスト”の消化日数には、算入されない事になっているのだ。

両チームの監督たちは、開幕日用の25人ロスターの作成に、かなり苦労して頭を痛めている。どちらのチームも、たった2試合の公式戦のためには、全投手陣は必要ない。しかしながら、その2試合の前に、両チームとも日本のチーム相手にオープン戦を2試合戦わなくてはならないのだ。

「我々は、移動で3日休んだ後に、4試合連続でプレーしなくてはならない―公式戦2試合とそうでないのが2試合だ。」とオークランドのモッカは言う。「公式戦で必要になるかもしれない投手を使わずに、その前のオープン戦2試合の18イニングを、何とかして消化しなくてはならないんだ。」

マリナーズのガルシアの場合は、キャンプで最後に投げてから日本での開幕戦で投げるまでに、6日も間があいてしまうことになる。モイヤーの場合は、7日もあいてしまうのだ。そして、両名とも、オークランドでシーズンを再開する時に再び投げる事になっているので、そこでもまた投球間隔が開いてしまう。

「それが、我々にどういう影響を及ぼすと思うかって…?」とモイヤーは言う。「別にふざけているわけではないけど、やってみるまではわからない、としか言えないね。」

西海岸の両チームにとって、時差の影響も大きい。シアトル・オークランド両都市と東京との時差は、17時間もある。この時差の説明が完璧に出来る選手は、日本の3選手も含めて、一人もいない。

MLB機構が両チームに日程表を渡した時、彼らはこういうふうに説明したらしい…「東京が金曜日の午前7時なら、シアトルは木曜日の午後2時である」と―。

「ということは、我々が日本で開幕戦をプレーしている時、シアトルでは開幕戦の前の日だってこと…??」と最初の頃、ブーンは言っていたものだ。「一体全体、なんなんだ、そりゃ?」

どちらのチームも、昨年の夏以来、人工芝(アストロ・ターフ)でプレーしていないが、今度の日本遠征ではその人工芝の上でプレーしなくてはならない。また両チームとも、日本のマウンドは、メジャーの基準には達していないらしい(not quite up to major league standards)とも聞いている。

「土の盛具合が、メジャーのよりだいぶ緩いんだ。」と長谷川は言う。

投手陣の調子をどうやったら維持し続けることが出来るかについては、これといった決まった妙案はみつかっていない。オークランドは、開幕2試合に4人の先発投手を投入して、4人全員に同じイニング数を投げさせる事にしたようだ。

マリナーズはその2試合にガルシアとモイヤーを使って、No3のピネイロはブルペンに待機させておくつもりだ。

問題は、ガルシア・モイヤー・ピネイロは、開幕2連戦にとっておくために、その前の日本チームとのオープン戦には使えないことだ。そして、佐々木・ネルソン・ローズ・長谷川のリリーフ陣も、オープン戦では1イニングづつぐらいしか使えない見込みだ。

―という事は、日本チーム相手のオープン戦は、一体誰が投げることになるのだろうか…?

それは、4番手・5番手投手の役目になるかもしれないし、あるいは、(25人以外に)余分に帯同する事が許されている5人の選手の中にふくまれるであろうマイナーの投手達が投げる事になるのかもしれない。

「調子維持のために、投手達には投げる機会を与えなくちゃならない。でも彼らを日本チーム相手に使ってしまって、そのあとの肝心な開幕2連戦で彼らが必要になっても使えない、なんてことになったら、どうすればいいのか…。」

「とにかく、我々は皆、未経験の分野に踏み込んでいくことになるわけだ。(春期キャンプ終了から)開幕戦までにかなりの間があいてしまって、それから帰国したと思ったらまたオープン戦だろう―?とにかく、変則的ですごく変な感じなんだ。」

先週、マリナーズのある役員に、「2004年の開幕戦を、日本で迎えるべきかどうか迷っているチームがいたら、なんとアドバイスする―?」と訊いてみた。

「もし、事前に日程をしっかり固める事が出来るのなら、やった方がいい、と言うだろうね。」と彼は言う。「でも、今回の場合は、もし日程がこんなふうになることが最初から分かっていたら、どちらのチームも参加することに同意しなかったんじゃないかと、私は思ってるけどね―。」

                              (以上)

[16349] 『Sporting News』より、イチロー選手の特集記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/03/09(Sun) 00:59
下のスレッドでローさんが紹介してくださった『スポーティング・ニュース』のイチロー選手の特集を訳してみました。題名は、『Cool.Calm.Collected.Ichiro explained.』です。内容はできるだけ正確に捉えたつもりですが、急いで訳したので、かなり粗い訳になってしまいました…。どうか、大目に見てくださるようお願い申し上げます。^^;;;

      ****************************


        クールで沈着冷静、イチローの分析
         ― ブラッド・レフトン ―
http://www.sportingnews.com/baseball/articles/20030306/461154.html


★パートT★

タイガースのカルロス・ペーニャは、イチローに関して、ある予感を抱いていたという。試合中の堅い無表情とは裏腹に、イチローは実は、それほど緊張してはいないのではないか、とペーニャはかねてから思っていたのである。

ぺーニャのその推測は、試合中のなにげない観察から得られる情報の上に成り立っていた。例えば、たいていの選手がスイング中は堅く歯を食いしばっているのに対して、イチローは息を吐き出しているように見えること。また、全力疾走で1塁に向かってくるイチローの軽やかな足音が、普段聞きなれている他の選手達の重いドタドタした足音とは全く違っている事―などだ。だが、昨シーズン、コメリカ・パークで二人の間で交わされたやりとりはペーニャの度肝を抜き、彼の予感が正しかった事を証明してくれたのである。

ある試合でイチローが初ヒットを放って1塁に来ると、ペーニャはすかさずその機会を捕らえた。ピッチャーの次の投球に備えて待機する態勢に入りながら、ペーニャは、よく1塁手がそうするように、何気ない会話をイチローにしかけたのだ。

「僕が質問をすると、イチローはリードを取りながら『その通りだね(Absolutely)』と答えたんだ。」とペーニャは言う。「と、次の瞬間、気が付くと彼はピッチャーの投球と同時にアッと言う間にいなくなって、2塁に向かっていた。実際、返事し終わらないうちに、もう、1・2塁間の真ん中ぐらいまで行ってしまっている感じだった。他の選手の場合だと、盗塁しようとしている時に話し掛けても、緊張しているから絶対に返事なんかしない。これから何かが起こるのがわかっているから、集中していなくてはならないんだ。だから、彼があの瞬間に走ったことが、僕には信じられなかった。完全にリラックスしているからこそ、彼にはそんな事が出来たんだ。」

イチローのことを過去2年間、ずっと傍で見てきたマリナーズの元監督ルー・ピネラは、かなり早い段階からペーニャのその予感が正しい事を知っていた。「イチローは、一生懸命野球に打ち込みながらも、同時に非常にリラックスして自信に溢れていた。野球の精神的な面に関しては、彼は完璧だったね。」

野球に関する精神面を褒められる事は、イチローにとっては最高の賛辞を送られるに等しい。彼にとって、冷静な精神状態を保つ事は、健康な体を維持するのと同じくらい重要な事なのだ。

「たまたまその日のコンディションが非常にいいから、大活躍ができるというわけではない。」と彼は言う。「普通の精神状態でいる時こそが、素晴らしい活躍ができるチャンスなんだ。プレッシャーやイライラ、或いは他の要因によって平常心を保てなくなった時、間違いを犯す危険が生じる。」

昨年のオールスター以降の打率が.280と低迷したのは何かがおかしかったからだ―という世間の考えに屈する事を拒否するイチローは、今年も野球に対するアプローチを何一つ変えるつもりはない、と言う。自分がプロとして過ごしてきたこの12年の間に丹念に築き上げてきたアプローチの仕方に、彼は確たる自信を持っているのだ。そういう心構えを軸にして、彼はメジャー1の激戦区、AL西地区の戦いに臨むつもりでいる。

ここ一番という大事な試合に、イチローは一体どういうふうに対処するのか。その例は、先ほども話題に上った、あのプレッシャーとは一見無縁のようにみえる昨シーズン末のデトロイト戦に見ることができる。

コメリカ・パークの広大な外野の守備位置についたイチローは、右の方に首を向けると、チラッと上方を見上げた。投手が次の1球を投げ終わると、再び右上方を見上げ、一瞬後にまた同じ動作を繰り返したのだ。不思議な事に、彼が視線を向けるのはいつも右の方と決まっていた。何かを探しているというよりも、どちらかといえば、何か具体的なものをその視線の先に捕らえている、という感じだった。そのシリーズの間中、彼は1イニング毎に少なくとも十数回は右上方にチラッと視線を送っては、再び目の前の試合に集中し直す、と言う動作を繰り返していたのである。ひょっとして、風の方向でも確かめていたのだろうか?コメリカ・パークの左中間後方には、大きな旗が靡いているのだが、彼はそんな後方を見ているようでもなかった。それとも、スコアボードのアウトの数を確認していたのか―?あるいは、バックスクリーンに映るビデオから何か打者に関する情報を得ようとしていたのかもしれない。

「僕は、いつでもその方向を見てはいるけど、そういう理由からではない。」とイチローは言う。「僕は、球場ごとにいくつかの目標物を決めていて、それらを見ることによって、メンタル面をコントロールしようとしているんだ。その狙いは、自分がいつでも平常心でいられるようにすること。自分が決めたある一点を見つめる事によって、自分は確かに平常心でいると確信できるんだ。自分の最高のパフォーマンスを披露するためには、平常心でいることが一番だと僕は信じている。つまり、ある決めた一点を見つめる事は、僕にとっては“準備”の内のひとつなんだ。」

「“準備”と一言で言っても、いろんな形がある;正しい食生活、適正な睡眠時間、日々のトレーニングなど、色々ある。ある決まった一点を見つめる事によって平常心を保とうとするのも、そういった“準備”の1つの形に過ぎない。」


★パートU★

イチローがメジャーに来て初めて記録した捕殺は、『ザ・スロー』と名付けられて、ハイライト・フィルムの定番となった。ライトから3塁ベースへ向かって真っ直ぐに糸を引くようなあの送球は、アスレチックスのテレンス・ロングをアウトにし、イチローの守備的技術の素晴らしさを明確に証明してみせた。

だが、イチロー自身は、周りが騒ぐほどにはあのプレーを重要に思ってはいない。勿論、あのプレーに対する誇りは持っている。だが、彼に訊ねてみれば分かるが、傍目には地味に映るプレーでも、彼にとってはあのスロー以上に自分の選手としての資質を証明するプレーが山ほどあるのだ。そのうちの1つに、ほとんど誰の注目も集めなかった昨シーズンのデトロイトでのプレーがある。

マリナーズが3ー0でリードしていた5回裏、1死ランナー1塁でライトに飛んできたライナーをバウンドで捕球したイチローは、1塁ランナーを2塁で刺してアウトにしたことがあった。スコア上には、『9→6のフィルダース・チョイス』として記録されたプレーだ。一見するとたいしたことのない外野手の捕殺プレーで、マリナーズが8ー2で勝ったその試合には、ほとんど何の影響も与えないプレーだった。

しかし、イチローにとっては、これは彼が最も誇りに思う類のプレーだったのである。「平常心でなければ、ああいったプレーはできないものなんだ。」と彼は言う。

急速に落下しつつある打球に向かって、イチローは全速力で突進していた。もしそのままの速度で前進し続けていけば、多分、ショートバウンドで捕球する事になっていたはずで、そうなると体に勢いがついている分、止まって体勢を整えて2塁に正確な送球をする事は難しくなり、必然的に1塁走者は2塁でセーフになっていた物と思われる。しかし、実際はスピードを落としてより長いバウンドで捕球したために、イチローは素早く体勢を整えて2塁へ送球する事が出来たのだ。2塁でアウトを取るためには、全速力で走りながらの瞬間的な判断力が必要だった。イチローがどういうプレーをするつもりなのか、わかっていたのはイチロー本人だけだ。ランナーは、打球が空中で捕球されるかどうかを確認する必要があるので、1塁近くに留まっていなくてはならない。その結果、ランナーは打球が地面に落ちた時点でやっと2塁に向かったため、イチローは彼をアウトにする事が出来たのである。

「もし、あれをどうやってプレーするのか、事前にきちんと最後まで考え抜くだけの精神的な余裕がなかったら、あのプレーは出来ていなかったと思う。」と彼は言う。「もし、あの状況のプレッシャーに負けてしまって、何が何でも空中で捕球しなくてはいけない、というふうに思い込んでしまっていたら、あのプレーは絶対にできなかった。大事な事は、どんな場合でも平常心を保って、普通通りにプレーする事なんだと思う。」

それと対極にあるのが『ザ・スロー』で、これは華やかなプレーではあるものの、精神的に難しい部分は何もない。メジャーの新人としてプレーした、わずか8試合目の試合―。相手チームのランナーたちには、まだイチローの肩を警戒する理由は、何もなかった。そのことを十分に分かった上で、イチローは、目の前を懸命に走る走者を尻目に、ただ本能に任せて全力送球をするだけでよかった。結果として、完璧な送球が3塁に届いたわけだが、それは単に、イチローの身体的技術の高さを示したに過ぎない。一方、デトロイトでのプレーは、身体的能力はそれほど必要としなかったものの、明晰な判断力と集中力を要求されたプレーだった。―そして、それこそが、イチローが絶えず追い求め続けているものなのである。


★パートV★

昨年の7月、イチローはAL西地区の競争の激しさを身を持って体験する事となった。2週続けて組まれていたエンゼルスとの3連戦のうちの最初のシリーズを戦うために、マリナーズはアナハイムへと乗り込んでいった。当時首位に立っていたマリナーズは、4ゲーム差でアスレチックスとエンゼルスをリードしていた。4月にエンゼルスと戦った時には、マリナーズは6勝1敗でエンゼルスを退けていた。2001年の開幕戦―イチローがアメリカでプレーした最初の公式戦―でアスレチックスを破って以来、マリナーズは、2002年シーズン初めの数試合を除いては、絶えず地区の首位に立ち続けていた。しかし、意外なことに、エンゼルスは怒涛のように押し寄せてきていたのだ。マリナーズが最後に彼らと対戦して以来、エンゼルスは48勝25敗の成績を収めていた。そして、直接対決となるこれからの6戦は、アナハイムにとっては首位を脅かすための絶好のチャンスだったのだ。

一回目の3連戦でマリナーズを3タテにしたエンゼルスは、首位から1ゲーム差の状態で、セーフコーフィールドでのマリナースとの2回目の対決に臨んだ。最初の2戦を双方が1勝づつしたため、最終戦は非常にドラマチックなものとなった。―それはそれは、素晴らしい試合だった。緊迫した試合運びが続き、7回までは双方とも1人づつしかランナーを2塁まで進める事が出来なかった。どちらも無得点のままで迎えた8回の裏、打席に立った9番打者のカルロス・ギーエンがレフト前ヒットを放った。マリナーズの得点を確信した満員の観客は、盛大な声援を送った。ギーエンを2塁に送る使命を負って続く打席に入ったのは、チームで一番信頼のおける打者であるイチローだったからだ―。

イチローは、ケビン・エイピアーの初球をバントをしようと身構えたが、バットに当たった球が空中に跳ね上がってしまったため、ギーエンは2塁でフォースアウトになってしまった。観客は静まり返ったが、それもほんの一瞬の事だった。なぜなら、マリナーズは、まだ俊足のイチローを1塁に残していたからだ。ツーアウト後にエイピアーがホームに投げた1球は、ワンバンドしてホセ・モリーナ捕手から離れて転がった。イチローが2塁に向かって走り出すのを見た観客は、再び、興奮して大声をあげた。しかし、モリーナが素早く体勢を立て直して1、2塁間でイチローを挟んでアウトにすると、一瞬の内に静寂が球場を覆った。攻撃終了。得点なし。イチローのプレーが2つのアウトに直結し、エンゼルスが続く9回の表に得点して1−0の勝利を収め、首位の座をマリナーズから奪い取って行ったがために、イチローのそれらのミスは、ことさらに大きな意味を持つものになってしまった。

イチローはこの試合のことを、「アメリカへ来てからのワースト・ゲームであるだけでなく、自分のプロ生活の中でのワースト・ゲーム」と形容した。“どんな優秀なバッターでも、70%の打席で失敗する(彼の場合は65%に近いが…)”という現実は容認できても、“しなくて済んだはずのミス”を犯すことは、イチローにとっては我慢ならないことだったのだ。

静まり返ったクラブハウスの中で、ほとんどの選手は意気消沈して身動きひとつできずに座り込んでいた。しかし、イチローのロッカーの方からは、微かな動きが伝わってきていた。それは、毎試合後、その方向から決まって伝わってくる気配と同じものだった。イチローは、自分のグラブを磨くといういつもの日課に没頭していたのだ。勝っても負けても、先発出場でも途中出場でも、一日の終わりを手造りのグラブに感謝の念を捧げながら迎えることは、イチローの心にとっては、重要な事なのだった。自分だけの時間をロッカーの前で過ごしながら、イチローは決まった手順でグラブの泥を拭き取り、保護用のクリームを塗り、ストリングの具合を確かめた。

この作業は、次に日の試合に備えた道具の手入れであるだけでなく、彼の心を浄化する意味合いも持っている。イチローは、グラブとのこうした交流の中で、その日の自分のパフォーマンスに対して抱いているフラストレーションをひとつづつ整理して解消していくのだ。エンゼルス戦後にグラブと共に過ごした一時は、イチローにとっては特別に意味深いものとなった。

「目標としているのは、毎日の終わりにあたって、ひとつも後悔を残さないようにする事。」とイチローは言う。「日々、完璧でいられたら、これ以上素晴らしい事はない。でも、人間である限り、それは不可能だ。なので、少しでもそれに近づく事が目標になる。それを達成するためには、自分を省みる時間を毎日持つことが必要になる。ぼくにとっては、グラブを磨いている時間が、それなんだ。グラブは、直接試合に関わっているんだ。」

「自分を助けてくれた道具に対して敬意を表しながら、自分のその日の仕事振りを振り返ることには、特別な意味がある。だから、グラブを磨きながら、僕は自分が犯したミスを反芻し、その原因をつきとめる努力をする。ほとんどは試合中に起こったことに関してだけど、時には睡眠や食事とかに関する事だったりもする。」

充分にグラブの手入れが出来たと納得すると、イチローはそれをロッカーにしまう。ロッカーにグラブを置いてくるのと一緒に、イチローは、自分の様々な感情をもロッカールームにそっくり置いてくるのだ。イチローが試合中のフラストレーションを球場から外に持ち出すことは、決してないのである。

後に彼が言うには、「思い返してみれば、あの試合での僕は、平常心でプレーしてはいなかった。少しばかり気がはやって、我慢が足りなかった。でも、それではいけないんだ。ああいう大事な試合では、ともすると気持ちが焦って早く決着をつけたくなってしまうものだ。来た球がボールだったにもかかわらず、なんとかしなくては、という心理状態が働いて、バントしてしまった。結論としては…いつでも平常心を保てるように、どんな大事な試合であってもそれがあたかも普通の試合であるかのようにプレーできるように、もっと努力を積まなくてはならない…ということなんだ。」


ほとんどのダッグアウトでは、選手達はベンチの外野よりの部分に集って座り、監督とコーチ陣は本塁よりに座る。しかし、イチローは、内野側の隅に黙って座っている事が多い。この冬のオフにピネラと共にデビル・レイズに移ってしまった前ベンチコーチのジョン・マクラーレンは、いつもベンチでイチローの隣に座っていた。「イチローは多分、相手ピッチャーや進行中の試合に集中するためにそうしていたんだと思うけど、本人に確かめた事はないな。」とマクラーレンは言う。

しかし、そうやって熱心に試合を見つめながら座っているイチローではあるが、その見かけよりは遥かにリラックスしていることを、マクラーレンは確かな事実として知っている。「だいたいは、彼のことはあまり構わずにそっとしておくんだが、たまにベンチで彼に向かって何か言ったりすることがある。すると、彼はいつでも必ず何かユーモラスで当意即妙な返答を用意しているんだ。」とマクラーレンは言う。

ある試合で、マリナーズの2塁手ブレット・ブーンが、なにか馬鹿げた事を言いながらダッグアウトの中を歩き回っていたことがあった。呆れたマクラーレンは、首を振って笑いながら、思わず「アホなヤツだな〜、ブーニーは」と口に出して言ってしまったのだという。すると、それまでグランドを黙って見つめていたイチローが、ゆっくりその視線をマクラーレンの方に向けると、終始無表情を装ったまま、最近クラブハウスで覚えたばかりの言葉を間髪を入れずに披露してみせたのだそうだ―「全くだね。(Absolutely.)」暫くマクラーレンと笑いあったイチローは、再びグランドへとその視線を戻したのだった…。

イチローの場合は、それと似たようなシーンは、きっと3月のオープン戦でも、そして10月に入ってからの大事な試合の場でも、同じように見られるに違いない。なぜならば、イチローはいつでも準備万端で集中しているから…そしてそれ以上に、イチローはいつでもリラックスした状態でいるからだ。

                               (以上)m(__)m

[16155へのレス] Re: 今季も楽しみなイチロ... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/02/22(Sat) 00:33
kiyokoさん、こんばんは。(^^) つい今さっき、TBSの『ニュース23』で、田口選手の打撃練習場面が映りましたが、ご覧になりましたか?? 素人目にも、昨年のキャンプ時よりも身体つきもバッティング・フォームもしっかりと“芯”が出来た感じで、とてもいい感じでバットも振れていましたし、リラックスした雰囲気で楽しそうにやっていましたよ。あの調子なら、今年はメジャー、大丈夫かもしれませんね。(^○^)

―そして、MOOMさん、こんばんは。(^^) 野茂選手の記事、読ませていただきましたが、本当にいい記事ですね。ストレートに野茂選手の人となりや実績を称えていて、読んでいて清々しい気持ちになりました。特に、渡米前は野茂投手を単なるライバルとしてしか見ていないような発言をしていた石井投手が、心のこもった賛辞を送っている最後のくだりでは、思わず胸が熱くなってしまいました…。(^^) 以下は、その記事です:

           ******************************

     “戦士野茂”(Nomo the Warrior)、自らが手本となってチームを引っ張る
                  ― ケン・ガーニック ―
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/news/mlb_news.jsp?ymd=20030219&content_id=202229&vkey=spt2003news&fext=.jsp


ヒデオ・ノモは、春季トレーニングの最初の5日間を一日も休まなかった。

遅刻も言い訳も一切なく、いつでもドジャースの他のバッテリー陣と一緒に時間通りに練習場に現れた。

言葉ではなく行動でチームを引っ張る選手と言えば、ドジャースでは野茂以上のいい手本はいない。

「彼は、とにかく、“究極中の究極のプロ”だと思う。」とポール・ロデューカ捕手は言う。

昨年の春、2回目のドジャースユニフォームに袖を通す事になった野茂だが、それまでの5年の間に、彼は5回もチームを移っていた。そういう旅烏(たびがらす)的な境遇は、もしかするとこの日本の伝説的選手のプライドを傷つけていたかもしれない。しかし、先シーズン、彼は黙ってそういう思いの全てを野球に注ぎ込み、あの初年度の“野茂マニア”以来のベストシーズンにしてみせたのである。

「彼の事を『もう終わった選手だ』と言っていた連中は、何も分かっていなかったんだ。」とデーブ・ウォラスは言う。ウォラスは、メジャーでの野茂の最初のピッチング・コーチであり、現在はドジャースの副社長を務めている。「彼ほど一生懸命に努力する選手は、他にはいない。彼は、もっと評価されてしかるべきだと思う。」

一年を通してのダーレン・ドライフォートの不在と、ケビン・ブラウンの度重なる故障で、エースとしての役目と(救援陣の負担を最小限に抑えるために)できるだけ多くのイニング数を投げる役目を率先して引き受けたのは、野茂だった。その結果、今季の野茂の成績は、16勝6敗、防御率3.39、投球イニングス数220-1/3、193三振だった。勝利数、投球イニングス数、防御率の3つの分野で、1996年以来の自己ベストを記録している。7月16日以降、野茂は負けていない。また、彼が先発した最後の26試合のうちの22試合でチームは勝利を収めており、その間の野茂自身の成績は14勝1敗だった。

かなり満足の行く結果だ。―そうだよね、ヒデオ?

「基本的に、僕は今の自分より向上したいと思っている。」と野茂は言う。「ケビン・ブラウンやランディー・ジョンソン、ペドロ・マルチネスなどを見ると、自分はまだまだあのレベルには達していないと思う。自分が、はたしてあのレベルまでいけるのかどうかは、僕には分からない。でも、自分より上のレベルの投手があれだけいる現状では、満足なんてしていられない。僕が向上するということは、チームの勝利に貢献する事にも繋がるし、プレーオフ出場のチャンスも増える事になるのだから。」

昨年、エリック・キャロスは、野茂のことを“戦士(warrior)”と呼び、今まで一緒に戦った投手の中で最もタフな投手の1人だと思う、と言った。それに関する野茂の感想を聞いてみた。

「自分では、もっとタフにならなくてはいけないと思っている。まだ、充分に“戦士”にはなりきれていないと―。」と彼は言う。「まだまだ、彼ら(注:上記で述べた投手達)には敵わない。自分がもっと向上すれば、彼らのレベルに近づけるはず。どうすれば、それができるのかは、はっきりわからない。正直言えば、多分、彼らには決して追いつけないのではないか、と思っている。でも、肉体的にも精神的にも、僕は絶えず向上する事、彼らに少しでも近づく事を目指しているんだ。」

彼は、既にかなりのレベルにまで来ている。ブライアン・ジョーダンは、それまでも対戦相手としての野茂のことは知っていた。だが、昨年一年をチームメートとして一緒に過ごしてみて、今まで以上に彼の事を高く評価するようになったのだそうだ。

「プレッシャーのかかる状況で、彼があれほど冷静でいられる男だとは、今まで知らなかった。」とジョーダンは言う。「対戦相手として外から見ていた時は、そこまでわからなかったんだ。でも、チームメートになってみると、そのことがよくわかる。大事な試合でも、野茂は決して動じない。そういう投手の後ろでプレーしていると、こっちにも『よし、やるぞ』と言う気持ちがフツフツと沸いて来る。彼の自信に満ちた姿を見ていると、凄くリラックスしてプレーできるんだ。“エース”という呼び名は、ただのラベルに過ぎない。高給を取っているからといって、“エース”であるとは限らない。真の“エース”というのは、大事な試合を安心して任せられる投手のことを言うんだ。そういう意味では、ウチで“エース”と呼べるのは、オダリスと野茂と―そしてケビン・ブラウンが復帰してくれば―ケビン・ブラウンだと思う。」

現在34歳の野茂は、今年2年契約の2年目で、725万ドルを得る事になっている。契約には2004年用のオプションが付いており、今季、野茂が139−2/3イニング投げれば、自動的に実行される。年俸は投げたイニング総数によって決まり、800万ドルから900万ドルの間で設定されている。野茂は、ブラウンとダーレン・ドライフォートに次いで、チームで3番目に高い報酬を得ている投手なのである。

「ケビン・ブラウンがNo.1だ。」と野茂は言う。「僕は、ボストンにいる時はペドロ・マルチネスの次だったし、ここではケビン・ブラウンの次だと思っている。彼が怪我をした時、僕はチームが自分を頼りにして欲しいと思ったし、1シーズンを怪我をせずに過ごさなくてはいけないとも思った。自分がケビン・ブラウンの代わりになれるとは思っていない。僕とペレスと石井とアッシュビーとダールとが全員で力を合わせて頑張れば、なんとかなるんじゃないかと信じていたんだ。」

ユティリティープレーヤーとしての職を求めて今年のキャンプにロスター外の招待選手の立場で参加しているテリー・シュンパートは、コロラド・ロッキースに在籍している頃に野茂を見ていた。

「彼は、本物のプロだと思ったね。文句1つ言う事も無く、いつでも戦う準備が出来ていた。」とシュンパートは言う。「彼は決して弱気になることがない。そのことは、彼がクアーズ・フィールドで投げる時の様子を見ていればわかる。一流の投手でも、クアーズに来た途端に弱気になるのを、僕は何遍も見てきた。試合の前のウォームアップにやたらと長い時間をかけることからだけでも、そのことがわかるんだ。でも、野茂は違った。」

野茂はシャイでストイックな男ではあるが、かといって、感情を全く表に出さないわけではない。投手交代を告げられた時の野茂は、明らかに不機嫌になる。

「礼儀正しくふるまいながらも、不満に思っている気持ちは、ちゃんとこっちに伝えてくる。」とジム・コルボーン投手コーチは言う。「表情からも、そして彼のボディーランゲージからも、それがわかるんだ。それ以外にも、『誰が次に投げるのか』と訊いてきたりする。それは、『自分はマウンドを降りたくない』という彼式の遠まわしな意思表示の仕方なんだ。」

それが、競争心旺盛な野茂らしいところだ。また、彼のそういうところは、何もグランド上のことに限られているわけではない。1995年、メジャーリーガーになりたかった野茂は、フリーエージェントの権利を勝ち取るために、非常に閉鎖的な日本の野球界と闘わなくてはならなかった。今年の春、メジャーの春期キャンプに参加している日本人選手は、9人になった。

「野茂がイチローや他の選手達のために道を切り拓いたわけで、もし彼が最初にこっちへ来た時に挫折していたら、彼らは、今ここにはいないかもしれない。」と野茂の新しいチームメートのフレッド・マクグリフは言う。「彼が成功したお陰で、他のチームのGM達も(日本に)興味を持つようになったんだ。そして、いまや、毎年2〜3人の大物日本人選手達がこっちへ来るようになった。」

ウォラスも言う:「もし彼が失敗していた場合、球界に及ぼしていたであろう影響の大きさの事を考えてみてくれ。彼にとっては、得るものよりも失うものの方が遥かに多かったはずだ。」

日本で5回のオールスター出場を果たした野茂は、1995年の春、痛む腕を克服し、チッパー・ジョーンズに競り勝ってその年の新人王となった。彼の成功は、日本中の野球選手たちだけでなく、韓国や台湾などの環太平洋諸国の選手達のためにも、メジャーへの扉を開くこととなったのだ。

「イチローや松井や僕のように、沢山の選手達が、彼の足跡を頼りにこっちへやってきた。」とチームメートのカズヒサ・イシイは言う。「野茂さんのような先駆者達が、今まで道のなかったところに道を切り拓いてくれたんだ。何もないところに道を作るのは、本当に大変な事。もし野茂さんが成功していなかったら、他の全ての日本人選手たちは、メジャーリーグというものに怖気づいてしまっていただろう。でも、野茂さんのお陰で、日本のピッチングは、向上しつつある。―そして、野茂さんが居てくれたお陰で、日本のプロ野球のもう一歩先に、新たに目指せる場所が出来たんだ。」
                     (以上)

[16127へのレス] Re: 体脂肪率6%! 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/02/19(Wed) 16:57
TOTOさん、こんばんは。“やっぱイチローでしょ”さんが仰るように(ちょっと、呼びにくいですネ〜^^;)、ブーン選手の言ってる事は、問題発言でも何でもありませんよ。マリナーズのファンでいらっしゃるなら、ブーン選手がジョーク連発の“口から先に生まれた”選手だということは、もうよく知っていらっしゃるのではないですか…?^^; 昨シーズンもこういう話題から、一時ボードが荒れたことがあったので、今回もレスを付けるのは止めておこうと思っていたのですが、宙ぶらりんのままに放っておくと、かえって他の方の不安を煽る可能性があるので、やはり“問題の”記事は訳しておくことにしました。TOTOさんが2番目に引用された記事が最初(2月19日)に出た記事で、最初の引用はその後日談として翌日の記事の最後にちょこっと載った文章です。

筆者は、両記事とも、ほのぼのとしたユーモアとホロリとさせる人情味溢れた記事で御馴染みの、ラリー・ラルー記者です。とても面白い記事になっていますよ。(^^)


           ***********************

      ザ・ブーンは語る:食生活、デービス、そして.365について…
             ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/2635802p-2679595c.html          



今年初の全体練習が行われる前日の日曜日、ブレット・ブーンがシアトル・マリナーズのクラブハウスに姿を現した。―そして、ブーンの“分身(his alter ego)”であるところの“ザ・ブーン”(注:ブーン選手が、自分の事を自惚れたっぷりに面白おかしく語るときに使う自称。^^;詳しくは、昨年ご紹介したブーン選手の記事を参照してください。m(__)m)も勿論一緒だった。

2人とも(注:念のため、これはジョークですよ〜。勿論、ブーン選手は一人しかいません。^^;)昨年より締まった身体つきをしていたが、口の方は相変わらず非常に滑らかだった。

この冬を、野菜と魚と鶏肉だけを食べて過ごしてきたブーンは、体重188ポンドの脂肪のほとんどない体でキャンプ・インしてきた。そして、当然のことに、ザ・ブーンは、その事実を自慢にしていた。

「12月頃、いかに自分の体が絞れているかを彼が自慢したので、『エドガー(マルチネス)も、かなり締まってるよ。』と言ったんだ。」とリック・グリフィン・トレーナーは言う。「そしたら、ブーニーが『(春期キャンプの)体脂肪検査で、エドガーを徹底的に打ち負かして見せる。』と言ったんだ。」

ほとんどの選手は日曜日に健康診断を受ける事になっていたが、ブーンとマルチネスは既に済ましていた。結果、4月に34歳になるブーンの体脂肪率は、7.58だった。

「すべて食生活のお陰さ。」とブーンは言う。「もっと若い頃に、この事を知っていればよかったよ…。でも、たとえ始めるのが遅くても、やらないよりはいいからね。今の時点では、僕がクラブハウスの“体脂肪率王”だ。」

―40歳のマルチネスの体脂肪率は、8.3だったのだ。

「だからね、彼に言ってやったんだ:『君が40歳になったらもう一回連絡をくれ、そしてその時の体脂肪率を教えろ』ってね。」と“ザ・エドガー”は言う。

“体脂肪率競争”で彼を追い抜きそうな選手が2人―イチロー・スズキとマイク・キャメロンが―まだ残っていることをグリフィンから指摘されたブーンは、あっさりとその2人の事を却下した。

「だって、キャミーはそもそもが“突然変異”(freak of nature)みたいなヤツなんだもん。」とブーンは主張する。「何を食べたって、彼の新陳代謝では、それが煙のようにどこかに消えてしまうのさ。」

じゃあ、イチローは?

「イチローは、骨ばっかしだし。」(Ichiro is all bones)とブーン。

この台詞に、クラブハウス中から笑いが起こった。そして、ザ・ブーンにとっては、キャンプ初日は、まだ始まったばかりだったのである。

(以下は、ザ・ブーンのその後の“語録”の一覧)

●到着したばかりの新しいバットについて:「今年の新型モデルで、『B365』って言うんだ。名前の由来は、僕の今年の予定打率からきてるのさ。」

半拍遅れて「…ああ、なるほどね、」と相槌を打つ筆者―。

●先日のベン・デービスに関する記事で、デービスが「昨シーズン終盤には、疲れからか体重が落ちてしまった」と言っていたことに関して:「『疲れから―』だって??彼は、先シーズン、NFL(フットボール)のシーズン並に、16試合ぐらいにしか出場しなかったじゃないか。(注:実際は、70数試合に出場した。先発出場は55試合^^;)おい、デービス!試合に出てもいないのに、いったいどうやって疲れるっていうんだよ?」

●自分自身の昨シーズン前半について:「もし、前半に、せめて.260ほども打っていれば、(後半持ち直したので)最終的には.300を上回って終われたんだ。それなのに、俺様と来たら、なんと前半の打率がたったの.229とくる…。3ヵ月半も.229を維持するなんて、逆に、凄く難しい事なんだぞ。」

●食生活の専門家、“ドクター・ブーン”(注:勿論ジョークですよ〜。こんなお医者さんがいる訳じゃありません。^^;)について:「体重オーバーでキャンプにやってきて、シーズンまでに適正体重まで落とす方がいい、って言う選手もいるよね。でも、僕は、体重は落とすより増やす方が簡単だと思うから、(適正体重より)軽い状態で入ることにしたんだ。―どうやって痩せたかって? ドレッシング無しの野菜サラダは大ッ嫌いなんで、(とにかく、あれはサイテイだ…!)茹でた野菜を山ほどと、あとは魚と鶏肉ばかり食べていた。」(注:アメリカ人は、“red meat”《=赤い肉。牛肉や羊肉、豚肉などを指す》は太るからと言って、ダイエット中は一切食べないという人が多いようです。…これだけ涙ぐましい努力を一冬中したのに、“焼肉大好き人間”で「食べ物では、何の苦労もしていない」とよく言っているイチロー選手に負けたとくれば、ブーン選手が口惜しがるのも、よく分かる気がしますよネ…。(^○^))

●“選手のプレーの質は、その選手の気持ちの状態次第”という自説について:「誰にでも、『これが大事だ』、っていうものがあると思うけど、僕にとっては、それは“自分がどういう気持ちでいるか”っていうことなんだ。昨年、僕は踵の具合がずっと良くなくて、そのせいで精神的にも参ってしまっていた。毎朝起きて、踵が痛むのには、もういい加減ウンザリだったんだ。この職業では、誰でもこういうことを我慢しながらプレーしているわけだけどね。仕事の一部なんだから、仕方がないと言えば仕方がない。だから、気分がよければ、当然プレーもよくなるって言うわけだ。」

●2002年後半に成績が持ち直したことについて:「前半でも色んな事を試してみたけど、全部ダメだった。それで、オールスター休みの間にも、ずっと自分の打撃フォームが写ったビデオを研究していたんだけど、その時、横から撮ったシーンがあったんだ。そうしたら、バットの持ち方が違っていた。僕は、通常は手首をグルッとバットの回りに巻きつける感じで…」

ここで、ブーンはバットを取り上げると、実際にその握りを見せてくれた。バットを握ると、肘をゆっくりと体から離す方向へ回転させたのだ。すると、両の拳は反対方向へ回転する。(注:バットを構えたところを横から見ると、指の関節が完全に中に回りこんでしまっていて、手の甲しか見えない状態。スランプの時は、いつの間にか、その握りを忘れて、普通の握りをしていたらしい…。)

「これが、僕がガンガン打っていたときのバットの握り方なんだ。こんな握り方をするのは、僕の他にはいないだろうし、見た目は凄くヘンだと思う。でも、僕にはこれが合うわけで、後半直したのはこの点だけだった。これが、前半の打率.229と、後半の打率.336の差だったんだ。」

                 (以上)

      −・−・−・−・−・−・−・−・−


そして、次の日にアップされた“体脂肪率競争”の後日談がこれです:
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/2640021p-2683595c.html

【そして、クラブハウス内の“体脂肪率の戦い”は終わった―優勝者は、大差でイチローだった。上位3名の結果は以下の通り:イチロー6.8%、ブーン7.5%、マイク・キャメロン7.9%。「僕は、銀メダリストさ」とブーンは言う。「そして、僕は“小枝人間”(Human Twig)に負けちまったんだ…。」】(以上)

[16125] マリナーズ公式HPより、イチロー選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/02/18(Tue) 21:12
kiyokoさんが他のスレッドでも仰っているように、「日本のマスコミの間で“松井マニア”が勃発したお陰で、今年は今までの“イチローマニア”が沈静化して、イチローのためにはいい結果をもたらすだろう。」と現地のいろんなメディアも書いていますね。その中から、下記はマリナーズ公式HPに載った記事です。(^^) 

         *********************************

         イチローマニア、今年は今までより静か
             ― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20030217&content_id=201242&vkey=news_sea&fext=.jsp


マリナーズでの3年目のスタートを、イチローは、今年は他の選手と同じように、“チームの1人(just one of the guys)”として迎えた。

月曜の朝、このスーパースター右翼手が練習のためにクラブハウスからグランドに出てきても、昨年までのような大騒ぎは起こらなかった。

“イチローマニア”は決して過去のものになってしまったわけではない。しかし、マリナーズの春期キャンプの全体練習の初日だった月曜日、イチローの一挙手一投足を記録しようと集まった日本のメディアの数は、以前に較べて明らかに減っていた。

ヒデキ・マツイ。君のお陰だ、ありがとう。

先週、フロリダ州タンパのヤンキースのキャンプ地に到着して以来、松井は、2年前にイチローが新人としてアメリカにやってきた時に直面したのと同じようなメディアの大騒ぎに見舞われている。

「当時は、まさに蜂の巣をつついたような大騒ぎだったね。」と元外野手のジェイ・ビューナーは言う。「まったく手に負えない状態だった。グランドに出て行くたびに、『これは、一体全体、なんなんだ…?』と皆でよく言い合ったものだ。あんな状態から少しでも解放されるのは、イチローにとってはいいことだと思う。とにかく、色々酷すぎる状態を彼は我慢しなくてはならなかったからね。でも、今のような活躍を続ける限り、彼が完全にリラックスして過ごせるなんて事は、決してないだろうけどね。」

月曜の練習後、日本のメディアの注意が松井のほうに逸れたのを嬉しく思っているかどうか聞かれたイチローは、声を出して笑った。「僕にとっては、いい事だと思う。」とイチローは通訳を通して答えた。「彼(松井)にとってどれほど大変かは、僕にはよくわかるけどね。」

イチローも同じ道を歩み、同じ経験をしてきたのである。

今年の春、マリナーズが日本のメディア用に発行したシーズン用取材許可証は現在までで約50だが、2002年には1年間で160、初年度の2001年には177だった。しかし、春期キャンプ限定用に発行された許可証の数には大差はない;今年が10、昨年が17、そして2001年が16である。

イチローにとっていい事は、今年は、本国の新聞やテレビで“朝食に何を食べた”だの“レンタカーは何に乗っている”だのと報じられるかわりに、シーズンのための準備に集中する事ができることだ。

以前は、彼のどんな小さな動きも、ことごとく記録されたり注目されたものだった。

だが、メディアの数が減った今、“監視”される事も少なくなるだろうし、野球に専念できる時間も増えることだろう。

「報道陣の数が減った事は、イチローやここに残った我々メディアにとっては、いいことだと思う。」と、過去2年間マリナーズとイチローを追い続けてきた(共同通信の)ケイゾウ・コニシは言う。「これからは、今までのように“つまらないこと(unimportant things)”ではなく、本来、我々が書くべき事に、もっと注意を向けられるようになると思うから。」

“つまらないこと”というのは、“野球とは全く関係ない事柄”のこと、と彼は説明する。

「僕自身は、そういうことは書かなかったけど、でも、日本のマスコミ全体としての雰囲気は、そんな感じだった。」と彼は言う。「今年は、我々日本の報道陣も、野球の事を書ける状況になるから、ぐっとリラックスできるだろう。イチローにとっても、楽になると思うよ。」

月曜の午後の練習後に開かれた日本のメディア向けの記者会見には、25社ほどの各種メディアが集まった。10分ほどかけて彼らに練習の様子を語った後、イチローは、今度は十数人のアメリカの新聞・テレビ等の記者達のインタビューを受けた。

「今年は、今までの2年間とは違う。」と彼は言う。「監督もコーチ陣も替わったので、彼らが僕に何を求めているのかを学ばなくてはならない。自分がこのチームのために何ができるのかを、彼らに対して示さなくてはならないと思っている。」

「彼は、とても才能豊かな選手。」とメルビンは言う。「野球で彼が出来ない事なんて、ほとんどないんじゃないかと思うぐらいだ。彼には、『自分がいつもやっている通りの方法で新シーズンに向けて準備をしてくれれば、それでいい。』と伝えてある。」

その準備の一環として、月曜の打撃練習では、メルビンが投げてイチローが打った。

「彼が柵越えを連発したのには、びっくりした。」とメルビンは言う。「で、彼にこう言ったんだ:『こんなふうに打ち続けていると、きっとまた記者たちが、今シーズン、君を4番に入れるつもりなんじゃないか、って私に聞いてくるよ。』ってね。」

それ(イチロー4番)は、今年の作戦計画には入っていない―。
                       (以上)

[16064] ブルームクィスト選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/02/11(Tue) 00:32
マリナーズのキャンプ地アリゾナ州ピオリアでは、今日(現地時間の10日)からいよいよ投手陣と捕手陣のキャンプが始まります。現地各紙も、こぞって新監督や選手達の近況を載せ始めました。

これから、おいおい色々ご紹介していきたいと思っていますが、今回、まず最初に取り上げたのは、昨シーズン末に驚異的な大活躍を見せた期待の新人ブルームクィスト選手に関する記事です。これから新シーズンが始まると皆さんがウキウキしている時にちょっと暗めな記事で恐縮ですが、ブルームクィスト選手の今シーズンの活躍を祈って、あえて紹介させてもらう事にしました…。m(__)m

(注:よろしければ、昨年9月の大活躍時の記事も一緒に読んでみてください…。(^^ゞ
http://www.bluewave.nu/ichiro51/board/windy03.html#020924-2


           ************************

        時間の問題
              ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2594856p-2641800c.html


3年前の3月、ポート・オーチャード(注:シアトル郊外の地名)在住の歯科医とその妻は、ピオリア球場の金属製の外野席に座って、自分たちの4人の子供のうちの1人が出場しているシアトル・マリナーズのオープン戦を観戦していた。

その春の息子ウィリーの活躍ぶりに、ウィリアム・ブルームクィストはこれ以上ないほど満足していた。(注:父親も息子も正式なファースト・ネームは、同じ“ウィリアム”。ただし、父親の略称/愛称は“ビル”で、息子のは“ウィリー”。)

「あいつは、このために今までずっと努力してきたんだ。」とビル・ブルームクィストはウィリーについて言ったものだった。「これで、あいつもやっと芽が出るだろう。あとはもう時間の問題だ。」

ブルームクィスト一家にとって、時間はいつでもたっぷりとあった。ウィリーがメジャーリーガーにまで成長するための時間。娘たちメラニーとカーラが父親の跡を継いで歯科医になるための時間。もう1人の息子のジョーがモンタナで魚釣り宿を開けるようになるまでの時間。

そして、“ビル先生”が妻のデイナと共に引退生活に入って旅行をしたり、北西部と南西部にあるふたつの家での生活を楽しむための時も、近づきつつあった。

昨年の9月のロスター拡大に伴ってメジャーに上がったウィリー・ブルームクィストは、そこで余りにも目覚しい活躍を披露したために、今年の春期キャンプには、25人ロスターに入る事を首脳陣に期待されて召集されるまでになった。

だが、同じ目標―ウィリーのメジャーでの成功―を目指していたはずの父と子は、あの2000年の春と昨年の9月までの間に、衝突してしまったのである。それはどこの家庭にもよくあるようなことだったが、世代間の不和は解消される事なく何ヶ月間も続いていた。

昨年の9月、ウィリー・ブルームクィストはメジャーで出場した12試合で4割5分5厘という打率を叩き出した。

「今までの人生の中で、最高の1ヶ月だった。」と彼は言う。

10月、ウィリーと妻のリサは船旅に出て二人だけの時間を過ごした。その旅の間、2人は“ビル先生”について話した。そして、それまでの生涯を絶えず話し合いながら過ごしてきた父と息子が冷戦状態にまでなってしまった原因を作った、その夏のウィリーの挫折についても話した。

「旅行から帰ったら、色々とはっきりさせなくてはね」とウィリーはリサに言った。彼も父親も、本当はお互いをとても愛しているという事、親子とも“家族”をこの上なく大切に思っているということを、改めて口に出してお互いに確認する必要がある―と思ったのだ。

目の前に美しく広がるケイマン諸島の海岸を眺めながら、ウィリー・ブルームクィストは全ては時間の問題だ、と考えていた。今までにブルームクィスト一家が乗り越えられなかったことなど、なにひとつなかったのだから―。

だが、その後に起こった一連の出来事は、もう少しでこの家族からその“時間”を奪うところだった。これから語られるのは、一家を襲った痛みと、家族間の愛情の物語だ。と同時に、これは“時間”に関する物語でもあり、それがいかに貴重なものであるかを思い出させてもくれるのである…。

ウィリーとリサがビーチでの休日を楽しんでいる頃、ビル先生とその友人は、ヘラジカ狩のために車でワイオミング州に向かっていた。だが2人が目的地に着くことは、ついぞなかった。

10月23日、ワイオミング州ロック・スプリングス付近の凍てついた山道で、2人を乗せた車は制御不能となって横転した。ビル・ブルームクィストと友人は、なんとか車から脱出すると、自力で道路まで這い上がった。生きているのが不思議なくらいの事故だった。

だが“無傷で”、というわけにはいかなかった。老ブルームクィストの脊椎は2箇所が折れており、直ちにソルト・レーク・シティーの病院へ空輸されたのだった。

翌日、ウィリーは旅先から実家の母親に電話をした。

「父がどれくらいのヘラジカを仕留めて家に持って帰ってくるのか、母に冗談でも言ってやろうと思って電話したんだ。」と彼は言う。「そうしたら、父が首の骨を折って入院している事を知った。母は僕たちに、(父さんは大丈夫だから)船旅の残り数日を予定通り済ませて、3〜4日後に家で会いましょう、と言った。」

船がニュー・オーリーンズに入港すると、ウィリーとリサは父親とブルームクィスト一家に合流するために、直ちにソルト・レーク・シティーに飛んだ。手術は無事成功していた。

「父は、まだ麻酔が残った状態だったけど徐々に意識がはっきりしてきていて、僕にサン・デビルスとハスキース戦の結果を聞いてきたりした。」とウィリーは言う。

しかし、その晩に行われた簡単な検査の直後に、ビル・ブルームクィストは心臓発作を起こし、夜が明けるころには昏睡状態に陥っていた。家族は不意をつかれて言葉を失った。ついさっきまで、完治は単なる時間の問題だと思っていたのだから―。

「もうダメだと思った。」とウィリーは父親の心臓発作について言う。「医者は、72時間の勝負だと言った。それまでに意識が回復しなければ多分ダメだろう、って…。」

ブルームクィスト家の面々は、続く2日間をビルのベッドの脇で過ごした。そして、全員である決断を下した。

「その次の日に、僕たちは父にお別れを言うつもりだった。」とウィリーは言う。「最後の瞬間までずっと傍にいて、僕たちが父を愛していることを父にしっかりと伝えたいと思っていた。」

「生まれてからずっと、僕は父の強い姿しか見てこなかった。父は病気ひとつした事がなかったし、涙を流した事さえ見たことがなかった。それなのに、突然昏睡状態に陥ったと思ったら、死ぬかもしれないだって―?そんな風になるはずじゃなかった。」とウィリーは言う。「終わりになってしまうなんて、まだ早すぎた。」

昔からずっとブルームクィスト一家と親しくしてきたポート・オーチャードのある知人は、彼らは“隣人”というよりも、まるで“テレビ番組”から抜け出てきた人々のようだった―と言って笑った。

「あの家族は、いつでも幸せそうで、何をするのも一緒だった。」と彼は言う。「子供たちのうちの誰か1人が何かイベントがあると、家族全員がその会場に勢ぞろいしていたものだった。」

ビル・ブルームクィストは大柄ながっしりした体格の持ち主で、子供たちがすることには、何にでも関わる主義の父親だった。一家の中心は母親のデイナで、子供たち全員のスケジュールや食事の時間を管理し、それぞれの学校や練習への車での送り迎えも一手に引き受けていた。

「一家の長女が乗馬に夢中になった時期があってね…。」とその隣人は語る。「彼女にはすごく素質があったみたいなんだけど、私の見るところでは、ビルは馬になんて一度も乗ったことがないみたいだった。それなのに、彼は、娘に乗馬についてあれこれ“指導”せずにはいられない男だった。」

女の子たちは、色んな活動に精を出した―音楽やダンスに乗馬、そして後にはボーイフレンドにも…。そしてジョーは魚釣りや狩りなどのアウト・ドアーの活動に夢中になった。

だが、ウィリーにとっては、最初から最後まで野球しかなかった。―そしてビルは、息子の野球に対するその情熱を共有したのだった。

「父は、僕のリトル・リーグ時代も、そしてその後のいろんなチームでも、ずっと僕をコーチし続けた。」とウィリーは言う。

ウィリーは、所属した全てのチームでベスト・プレーヤーになった。彼の野球の才能は、地元キットサップ郡では他を圧倒していた。後に野球奨学金を獲得してアリゾナ州立大学へ進学したウィリーは、そこでも野球の全米選抜に選ばれただけでなく、学業でも抜きん出た成績を修めた。

ウィリーの大学での通算打率は、.394。高校卒業時に彼をドラフトで指名して振られていたマリナーズは、1999年のドラフトで、もう一回彼を指名した。

「僕は、それまでプレーした全てのレベルで抜群の成績を残したものだから、父もそれがそのままずっと続くものと期待していたんだ。」とウィリーは言う。「僕が失敗するなんて、父は考えたこともなかったと思う。」

その期待通りに、ウィリーは失敗しなかった。ルーキーボール(新人リーグ)でも好成績を残し、次に上がった1Aでも打率.379を記録した。2000年シーズンの終盤には、ウィリーは3Aのタコマに抜擢され、ブルームクィスト一家も直に彼のプレー振りを観ることができるようになった。(注:タコマは、シアトルからも、ブルームクィスト一家の住むポート・オーチャードからも近い。)

しかし、タコマでのウィリーの打率は、.225に終わった。

―そして、その1年後、2Aでの打率は、.255だった。

「父が僕を愛してくれていたのはわかっていたけど、時には、それはとても厳しい愛情だった。」とウィリーは言う。「なにも僕に対してだけじゃなく、子供全員に対してそうだったんだ。愛してはくれたけど、いつでも努力することを強要された。それが父の性分だった。」

「2Aのサンアントニオで僕がスランプに苦しんでいた1年間、父はすごく苛立っていた。挫折して一番苛立っていたのは僕だったけど、父もそれなりに挫折感を味わっていた。父は電話でも僕をコーチしようとしたりして、お互いの関係がギクシャクするようになった。」

昨年、24歳になったブルームクィストは再び3Aのタコマに戻ってきたが、62歳の父親は、まだ熱心に息子を応援する事をやめなかった。時には、その熱心さは度を越していた…とウィリーには感じられたのだった。

「野球というのはすごくタフな競技で、昨夏の一時期、僕は精神的にかなり参ってしまって、もうオヤジのそばにはいたくない、と思うまでになってしまった。」とウィリーは言う。「僕と話す時、オヤジはいつでも“野球、野球、野球”だったんだ。ある時、僕は母に言ったんだ―『オヤジには、もういい加減にしてほしい―』ってね。」

ウィリーはスランプに陥った。―そして真夏のある日の試合で、頭に死球を受けてしまった。試合後、父親が彼を待ち受けていた。

「父が僕にやる気を起こさせようとしていたのは、わかっていた。でも、僕としては、とてもそんな気分じゃなかったんだ。」とウィリーは言う。「父はこう言った:『野球はお前にはキツ過ぎるようだから、大学の医学部にでも戻った方がいいんじゃないか―?』ってね。結婚してからヤワになったんじゃないか、っていうような事も仄めかされた。で、僕は言い返したんだ:『もう、あんたとは2度と話したくない!』ってね。そうしたら、次の日から、打席でガンガン、ヒットが出るようになった。父は『自分の一押しが効いた』と思ったみたいだった。」

そう言って、ブルームクィストは笑った。

「僕は僕で、『オヤジの言う事を聞かなくなったから、打てるようになったんだ。』と思っていたんだ。」

9月に入ってメジャーのロスターが25人から40人に拡大されると、ウィリーはメジャーに昇格した。そして、彼が4打数4安打の大活躍をした晩、ブルームクィスト一家はセーフコー・フィールドにいた。その晩のビル・ブルームクィストは、息子と同じくらい幸せだったに違いない。

だが、ふたりの間には、まだ緊張感があった。

「父に言ったんだ―『必ず成功するって言っただろう?』ってね。」とウィリーは言う。「でも、実際にその場で僕の口を突いて出たのは、もっと嫌らしい言い方だったと思う。まだ、オヤジに対して頭に来ていたからね。オヤジ以上に僕の成功を願っていた人間は、他にいなかったのにね…。」

野球のシーズンが終わっても、2人はまだ互いに余り口をきかない状態だった。そうこうしているうちに、ウィリーとリサは船旅に出発し、ビルは狩りに出かけてしまった。

そして、ウィリーは、双方が休暇から戻ったら関係を修復するつもりでいたのだ…。

ビル・ブルームクィストに与えられた72時間の猶予のうちの68時間半ばかりが過ぎた頃、ある変化が起こった。

「朝の9時に全員で病室に集まる事になっていたんだけど、6時半に姉から電話があったんだ。」とウィリーは言う。「『お父さんに反応があった。』という電話だった。」

病院に行ってみると、ビル・ブルームクィストは確かに刺激に反応するようになっていた。医者が尋ねた質問に対して、「イエス」の時は瞬きを1回、「ノー」の時は瞬きを2回するという方法で答えていたのだ。足の指を動かしてみるように言われた老ブルームクィストは、どうにか一本の指を動かす事にも成功した。

「少し経ってから神経科の女医が、『これは、是非、見せてもらわなくちゃ。』と言いながら部屋に入ってきた。」とウィリーは言う。「彼女は、父を見て『信じられない』と言っていた。彼女は、もう父の事はダメだと思って見放していたんだ。誰もがそう思っていた。」

ゆっくりとながら、ビル・ブルームクィストは回復に向かい始めた。そしてその時から、人生は、次から次へと果てしなく続く長いリハビリの連続となっていった。

記憶も徐々に戻ってきたが、あちこちにポッカリと大きな欠損があった。

「僕が結婚した事を、覚えてなかったりね…。」とウィリーは言う。「でも、写真を見せると、『これは、お前の妻のリサだ。』と言ったりもするんだ。」

「ある日、9月に僕が打った全てのヒットが収められたビデオをマリナーズが送ってきてくれて、それを父の病室で2人で見たんだ。僕のメジャー初ヒットを見た父は、凄く興奮して喜んでくれた。で、ビデオを早送りにして2打席目を見せて、『さあ、これで2打席2安打だよ。』って父に言ったんだ。」

しかし、ビル・ブルームクィストは、ほんの数秒前に見た1打席目のことを覚えてはいなかった…。

「回復は凄くゆっくりで、何回かぶり返しもあった。」とウィリーは言う。「今、状況は好転してきているようには見えるけど、まだ完全に危機を脱したわけではないんだ。」

「父にずっと言いたいと思っていたこと…もう2度と伝えられないかもしれないと一時は覚悟していた事を父に言う事が出来て、僕としては凄く嬉しかった。僕が父を愛している事を父に分かってもらえたと思うし、父が僕の事を愛しているのも分かった。そのことは、ずっと変わっていなかった。」

ビル・ブルームクィストは、今月、ポート・オーチャードの自宅に戻った。少しは歩けるようになったし、言葉も以前よりははっきりしてきた。―そして、今、ウィリー・ブルームクィストは、母親の事を心配している。

「父の事を良く知っていて気にかけてくれるのは嬉しいんだけど、皆、父について何か聞いたり読んだりする度に、家に電話を掛けてくるんだ。」と彼は言う。「母さんは、今、神経が参っていてね…。父のためにできることは今はこれ以上何もないってことを、他人に何回も説明するのに、我々全員、疲れてしまったんだ。父にとっては過剰の刺激もかえってよくないから、見舞い客に来てもらう事も出来ないしね。父への電話も断っている状態だ。これは家族の問題だし、とても個人的なことだ。父は回復し続けているし、医者によれば、後一年ぐらいは徐々に良くなっていく事が期待できるんだそうだ。でも、とにかく非常にゆっくりとしたプロセスなんだ。」

ウィリー・ブルームクィストは今はピオリアに戻ってきており、野手が春期キャンプに招集される2月16日を目標に、自主トレに励んでいる。投手陣と捕手達は、既に今日からキャンプインしている。

野球の季節が再び巡ってきた。しかし、ビル・ブルームクィストの不在は、ウィリーに起こった変化のうちの1つに過ぎない。

「色んな事に対する考え方が、変わった気がする。」と彼は言う。「野球は大好きだが、まず家族が第一。世の中には、野球よりも大切なものが沢山あるんだ。昨年は、9月に人生最高の1ヶ月を経験した。でも、数週間後には、そんなことはもうどうでもよくなってしまった…。父は、僕の子供の頃からのほとんど全ての試合を観てくれていて、僕は今までそのことを当たり前に思っていた。でも、今は、父にもう一回試合を見に来て欲しいと、心から思っている。物事が起こるのには、全てちゃんとした理由があるはず―と僕は信じている。父の事故にしても、もしあれがなかったら、父は狩をしに山の中に入って行ってしまっていて、そこで心臓発作を起こして誰にも見つけてもらえなかったかもしれない…と思っているんだ。」

これから神経のほとんどを野球に集中させても、ウィリーが父親に対して後ろめたく思うことはないだろう。

「仕事のことよりも父の事が気になっているなんて父が知ったら、きっとうろたえると思うんだ。」とウィリーは言う。「最終的な目標は、いつか父を試合に連れ出す事。でも、今の段階では、それは現実的ではない。」

「母と僕ら子供たちは、家族一丸となってここまでやってきた。僕たちは、もう少しで父を失う所だった。医者にも、脳の仕組みの全てが分かっているわけではない。今現在、父の回復は時間の問題だと僕たちは思っている…。」

                               (以上)

          

[15983] マリナーズ・ファンタジー・キャンプ 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/01/25(Sat) 22:39
マリナーズ公式HPによれば、先週、アリゾナ州ピオリアのマリナーズの春期キャンプ施設では、熱心なマリナーズファンを対象に、恒例の球団主催の『マリナーズ・ファンタジー・キャンプ』が開催されたんだそうです。今年の参加者の中の最年少は30歳、最年長はなんと86歳の男性だったとか…!^^; 

この記事を読んでまずビックリしたのは、参加費がやたら高いこと。そして次に、参加者全員が中高年であることです。もし、日本で同様の催しが企画されることがあれば、費用は数万円以下に抑えられて、対象も若者や子供になるはず。いかに野球というものがアメリカ人の生活に深く根付いているかがよくわかる面白い記事だと思いました。(^^) (以下、【 】内は下記の記事からの抜粋です。)
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20030123&content_id=193355&vkey=news_sea&fext=.jsp
     
            ・・・・・・・・・・・・・・

【一番安いコースで3、700ドル、一番高いコースで5、100ドル(注:¥444,000〜¥612,000。値段の幅は、主に宿泊ホテルのランクによるもの。マリナーズのユニフォーム代、食事代込み。野球練習以外に、コーチ陣も参加するカクテルパーティー等の各種イベントも用意されている。)を払って集まった60人以上の野球ファンは、1週間をアリゾナの太陽の下で過ごしながらデーブ・ヘンダーソンを筆頭とした元メジャーリーガー達(ジェイ・ビューナー、リッチ・アマラル、シューティー・バビット、ブラッド・“アニマル”・レスリー、ケン・フェルプス、グレグ・キャダレ)の野球指導を受けられるのだ。】・・・・

【「野球の硬球に触るのは40年ぶりだけど、とにかく凄く楽しい。」と元ワシントン大学野球部コーチ(1958〜60年)のジョン・マルガリーニは言う。ネバダ州ラスベガスから来たマルガリーニは、誕生日プレゼントとして、このファンタジー・キャンプ参加を子供たちから贈られたのだそうだ。感謝の言葉もないぐらい嬉しかったそうで、「ほんとうに、心から楽しんでいる。」と彼は言う。】・・・・

【「どんな具合になるのかは、正直言って、全く分からなかった」と、今回初めてコーチとしてファンタジー・キャンプに参加したジェイ・ビューナーが言う。「でも、やってみたら、世間には野球の素質のある人が結構いるもんなんだなと、あらためてビックリした。」

参加者達は全員、元プロ選手だったコーチたちから有益なアドバイスを受ける事ができる。「打撃は、タイミングが命なんだ。」とビューナーは言う。「出来るだけ長く球を見て、そしてセンター方向へ打ち返すこと。ピッチャーのリリースポイントに意識を集中する事が大切なんだ。球を飛ばすのに必要な力のほとんどはピッチャーが供給してくれるから、君たちは、ただジャスト・ミートを心がけるだけでいい。」

こういった素晴らしい指導も、もちろんある。だが、同じように大切なのは、昔から受け継がれてきた野球界独特のユーモアだ。

キャンプの一日は、まずは“カンガルー・コート”(注:選手間で日常的に行われるお遊びの“擬似裁判”。“有罪”になった選手は罰金を課せられるが、その罰金はプールされて、シーズン末に選手全員のために使われる^^;)で始まる。一時間ほどかけて行われるこの“裁判”では、全員がリック・リッツ“裁判官”(注:マリナーズの専属アナウンサー)の標的にされる可能性があるのだ。

アマラルが率いるチームのジョアン・ハートライン(注:中年の女性参加者)は、ビューナー率いるチーム相手の試合でエラーを犯したのだが、どうもそのエラーは彼女のせいではなかったらしい…。試合翌日のカンガルー・コートで、ハートラインは『ビューナーのスキンヘッドが太陽の光を反射して眩しかったので、ボールが見えなかった』と主張したのだ。その試合でのビューナーは、厚かましくも野球帽を被らずに3塁コーチャーズボックスに立つ、という暴挙に出ていた―。ビューナーが、罰金(―多分、1ドルぐらい)を喰らったのは、いうまでもない。
(チームメート達と楽しそうに笑いあうハートラインさんの写真:左から2人目↓)
http://mariners.mlb.com/images/2003/01/23/SskIiUtL.jpg

参加者の中では最年長の86歳で、今年が6回目のキャンプ参加になるバート・ボーケットも、罰金を課せられた1人だ。「罪状は、『ご婦人達と仲良く町に繰り出した』というものだったので、私は『はい、その通りです。』と素直に罪を認めたよ。」と彼は言う。「―でも、今年はなんだか目をつけられているような気がするな。」

ネブラスカ州リンカーンから来ているボーケットは、この“砂漠の冬のファンタジーランド”で過ごす一時を、毎年楽しみにしているのだそうだ。

「これが、毎年恒例の私のバケーション。」と彼は言う。「神様が許してくださるのなら、これから先もずっと来続けるつもりだよ。毎年ここに来て、旧交を温めたり新しい友達を作るのが、私の楽しみなんだから。」・・・・】(抜粋終わり^^)

(打席でバットを振る86歳のボーケット氏の写真^^↓)
http://mariners.mlb.com/images/2003/01/23/xJX9SwOW.jpg

[15943] シリーロ選手は大丈夫なのか…? 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/01/18(Sat) 20:56
シアトル近辺のローカル紙「ザ・サン」の1月15日付けの紙面にシリーロ選手の記事が載ったのですが、これがかなりな内容で、ちょっとビックリしてしまいました…。(-_-;)

今、マリナーズは、選手やコーチ・専属解説者達4〜5人がグループになって地元の学校等を回って公演やサイン会を開く“マリナーズ・キャラバン”というオフ恒例の広報活動をしている最中なのですが(今年で10年目だそうです)、14日に立ち寄った会場の1つのブレマートン高校で、選手では唯一の参加者だったシリーロ選手が、満員の聴衆の前でピネラ監督の悪口を連発してしまったのだそうです。同様の内容が相次いでマリナーズ公式HPやシアトル・ポスト紙にもとりあげられ、現地のマリナーズファンもちょっとあきれ気味のようです…。(-_-;) 

昨シーズン中から、チームになかなか馴染めず結果の出ないシリーロ選手が、抗うつ剤を飲むようになるまで精神的に参ってしまったという一連の記事は、私もここで紹介しましたし、極度の不振の原因の一つがピネラ監督との不仲では…と仄めかす記事も確かにありました。でも、れっきとした現役のメジャーリーガーが、前監督についてこんな事を公の場で言ってしまって大丈夫なのだろうかと、シリーロ選手の今後とチームに及ぼす影響までもがちょっと心配になってしまいました…。(-_-;) 

以下は「ザ・サン」紙の記事の全文と、マリナーズ公式HPからの抜粋です:


●【シリーロとM’s、ブレマートンにやってくる】(ネイサン・ジョイス)
http://www.thesunlink.com/redesign/2003-01-15/sports/50482.shtml#


ジェフ・シリーロが2002年のシーズン中に打撃スランプに陥って苦しんだ事は、誰もが知っている。彼の昨年の打率はわずか.249で、生涯通算打率の.304には遠く及ばない数字だった。

しかし、シリーロが苦しんでいたのは、なにも打席でだけではなかった。彼はクラブハウス内でも苦しんでいたのだという。そしてその理由についても、彼はいともあっさりと口にした。ルー・ピネラが彼の苦しみの大きな原因になっていたのだ、と―。

「チームに馴染もう、リラックスしようと思っても、ルー・ピネラのせいで、なかなかそうすることができなかった。」火曜日に“マリナーズ・キャラバン”がブレマートン高校に立ち寄った時、シリーロはこう言ったのだ。

前監督に関する質問を受けたシリーロは、更に次のように答えて聴衆を唖然とさせた―「僕個人としては、彼が居なくなって喜んでいる。」

会場のほとんどを気まずい沈黙が覆った。彼らにとって、ピネラは“球界の偶像”そのもののような存在だったからだ。数人の観客が、やっと居心地悪そうな笑い声を上げた。

シーズン終盤になって、シリーロは、ピネラの強烈かつ強引な個性をやり過ごすいい方法(それは、面白いと同時に、少し心配になるような方法でもあるのだが…)を、みつけたのだそうだ。

「最後の2ヶ月間は、こう自分に言い聞かせていた:『もう彼の言う事なんか気にするな―どうせ何をやったって、気に入ってもらえないんだから。』ってね。」何百ものサインをファンにした後で、シリーロはそう説明した。「彼を見たら、彼は裸なんだと想像することにしたんだ。彼を見て想像し、そして笑ってればいいんだ、ってね―。彼が今後変わる事なんてないだろうし、僕はその事で彼を責めたりはしない。だって、そういうふうにして、彼は今までずっと成功してきたわけだからね…。」

シリーロがどんな事を想像したかは知らないが、その方法はどうやら効果があったらしい。シーズン終盤の2ヶ月間の打率は、.275を上回ったのだ。シリーロによれば、最後の2ヶ月は、ようやくシアトルでプレーする事を楽しめるようになり、セーフコーフィールドの素晴らしい雰囲気も堪能できるようになったのだそうだ。

そして、かつて無失策試合を99試合も続けたことのある彼にとって、2003年シーズンも引き続き楽しいものになりそうだ。今季から監督がボブ・メルビンに替わるのだが、シリーロはボブをミルウォーキー・ブリューワース時代から良く知っているのだ。

「彼とは、うまくやっていけると思う。」とシリーロは言う。「彼は分別をわきまえた男。選手のことを尊重してくれるし、選手に恥をかかせるようなことはしないからね。」

それ以外では、プロになって以来最悪だった昨シーズンの反省として、今年のオフはトレーニングの内容も変えてみたそうだ。

「少し違う事をやってみようと思ってね。」と彼は言う。「以前は、ウェートトレーニングばっかりやって、バットはほとんど振らなかった。」だが、今年は基本に立ち戻って、もっと打つようにしてみたとのこと。さらには、ストレッチングも増やして、ヨガも取り入れてみた。

「間違いなく、以前よりは柔軟性が増したし、体がしなやかになったと思う。年を取るにつれて体が硬くなってくるから、柔軟性を取りす努力をする事は、大切だと思う。」

柔軟性が増し能力アップしたシリーロは、今年のチームの方がいいチームになると思っている。ピネラの替わりにランディー・ウィンを獲得出来たのは大きかった、とシリーロは言う。また、ジョン・メイブリーの獲得も効いてくるだろう、と彼は言う。昨年のアスレチックスは、メイブリー1人の活躍のお陰で勝った試合が何試合かあったから―と言うのが理由だ。

マリナーズのこれからの1ヶ月は、かなり風変わりなものになりそうだ。春期キャンプが始まるのは、球団史上最も早い2月9日だし、対アスレチックスの開幕戦は日本で迎えることになっている。

「とても興奮しているよ。」とシリーロは言う。「イチロー達が自分たちの国に戻って、母国のファンにメジャーリーガーとしてプレーする姿を披露できるなんて、素晴らしい事だと思う。」

                                 (以上)

マリナーズ公式HPより【シリーロ、巻き返しのシーズンになることを切望す】(ジム・ストリート)からの抜粋
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20030117&content_id=192214&vkey=news_sea&fext=.jsp


(前半省略…周囲の大きな期待を担って移籍してきたが、最初の春期キャンプの頃から“部外者のような気がして”うまくチームに馴染めなかった事、その結果極端なスランプに陥ってしまった事、その対策としてこのオフは例年より1ヶ月も早くバットを振り始め、スカッシュ、ウエィトリフティング、ストレッチング、ヨガなども取り入れた厳しいトレーニングに精力的に取り組んでいる事―などが述べられている…。)

2005年までマリナーズとの契約があるシリーロだが、今シーズン中に一流選手としての復活を果たすための下地は、既に出来あがっていると彼は信じている。その下地を作った出来事の1つは、マリナーズがルー・ピネラを残り一年の契約から解放して、フロリダ州タンパの自宅に近いチームに移る事を許可した事なのかもしれない。

そのピネラは、最終的にはデビルレイズと契約する事になった。

「彼がデビルレイズに決まって、嬉しかった。」とシリーロは言う。「だって、彼は本当はメッツへ行きたかったんだから。」

昨年、ピネラは何回もシリーロに対して苛立ちをあらわにしたが、公の場で彼を非難することはなかった。とはいえ、シリーロは絶えず緊張した雰囲気を感じとっていた。

「僕が犯した最大の間違いの1つは、監督に気に入られようとしたことだった。」と彼は言う。「それが最大の間違いだったのではないかと思うのは、そのおかげで、“自分自身のためにプレーする”という事を忘れてしまったからなんだ。走塁していても何をしていても、たえず気持ちが落ち着かなかったし、プレーに関する直感が、全く正常に働かなくなってしまった。」

「僕は、絶えず彼に認めてもらいたくてプレーしていたのに、結局、一度も認めてはもらえなかった。ミスをして、監督が自分に向かって(怒って)両腕を振り上げている様を見るのは、辛いものだ。ルーは、新聞紙上で公に僕の事を叩いたりはしなかったので、そのことでは感謝している。でも、(自分のいないところで)彼の言った事のいくつかは、結局は僕の耳に入って来た。」

2人とも共通の目的―シリーロの調子を戻す事―を持っていたにも拘わらず、関係は最後まで好転しなかった。今シーズン、2人が再び一緒に過ごさなくて済むのは、いい事なのかもしれない。

シリーロは、新監督のボブ・メルビンとレネ・ラッチマン・ベンチコーチ、ラマー・ジョンソン打撃コーチを含む新体制のもとでプレーするのを楽しみにしているという。

「ボブ・メルビンは、とても几帳面で優しい男だし、メディアとも選手達ともうまくやっていける男だ。」とシリーロは言う。「彼のもとでプレーするのは、きっと楽しいと思う。」

シリーロはラッチマンの事も知っているし、ジョンソンもブリューワース時代の打撃コーチだった。

シリーロの明るい口調から察すると、早くバットを握って試合に出たくてしかたがないようだ。2000年シーズンにロッキースで53本もの2塁打を打っていた頃のように、また外野を抜くラインドライブを量産するつもりだ。

「キャンプが始まるのが待ち遠しい。」とシリーロは言う。「心からそう思う。」
                                 (以上)

[15840] マリナーズ公式HPより:マリナーズの一年を振り返る 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/28(Sat) 23:04
年の瀬が迫ってもトレードやフリーエージェント獲得のニュースが一向に聞こえてこないマリナーズですが、マリナーズ公式HPには、一年の出来事を振り返る記事がアップされています。 ここで取り上げられている出来事は、「ああ、そういえばそうだった」と思うものもあり、また中には「そんなマイナーなことを取り上げて、もっと大事なあっちの方を抜かすの…??」といったものもありで、なかなか興味深いです。2001年度に較べると“良くない出来事”が目立ち、全体の感想としては、「…ううむ…(ーー;)」といったところでしょうか…?^^;


       ******************************

        マリナーズの一年を振り返る
         ― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021217&content_id=187244&vkey=news_sea&fext=.jsp


2002年シーズンのほとんどを西地区首位で過ごしたマリナーズだったが、8月23日のインディアンス戦敗退を境に、長らく独占していた“メジャー最強のディビジョンの王座”から陥落してしまった。マリナーズが首位(首位タイも含める)の座を明け渡したのは、4月10日以来のことだった。この時期に20連勝したアスレチックスや、16勝1敗と好成績を収めたエンゼルス等のハイペースについていけなくなってしまったのだ。その結果、球団史上2番目となる93勝を挙げながらも、マリナーズはプレーオフ進出を逃がしてしまった。

以下は、マリナーズの2002年シーズンのまとめである:

●1月
1月16日、マリナーズは2001年に記録的な116勝を挙げたチームの攻撃の要の1人、ブレット・ブーンと3年総額2500万ドルの契約を結んだ。それによって内野の右側をそっくりそのまま残す事に成功した。ブーンの2001年度の成績は、打率.331、37本塁打、141打点(ALトップ)で、全て自己ベストの数字だった。1月30日、シアトルの成功に貢献する事が期待されたフリーエジェントの右腕、ジェームス・ボールドウィンと1年契約(2年目はチーム側のオプション)を結んだ。しかし、1月22日には、左腕ノーム・チャールトンが故障した肩の手術を受け、マリナーズのブルペンは大打撃を被った。

●2月
2月27日、中堅手マイク・キャメロンとユティリティー・プレーヤーのチャールス・ギプソンを含むマリナーズ所属の選手・従業員5人が、春期キャンプの健康診断で行われたツベルクリン反応テストで陽性反応を示した。しかし、結局、結核に感染していた者は一人もいなかった。前年の2001年シーズンでは、カルロス・ギーエンが最後の9試合を結核感染のために欠場した。その当時、チーム全員とフロントオフィスの何人かがツベルクリン反応テストを受けたが、ダン・ウィルソン捕手だけが陽性反応を示したため、直ちに薬の処方を受けた。

●3月
3月8日、スコッツデール球場でマリナーズの右翼手イチロー・スズキとジャイアンツの中堅手ツヨシ・シンジョー(メジャーでのロスターポジションを勝ち取った、ただ2人の日本人野手たち)が同時に試合に出場する事で、メジャーで初めて日本人野手同士が対戦するという歴史的瞬間が実現した。3月13日、MRI検査を受けたかつてのドラフト1位指名選手・ライアン・アンダーソン投手の左肩に再び故障が発見され、2年連続でシーズンを棒に振ることになった。

●4月
4月4日、9回裏に4点差を引っくり返してホワイトソックスを7−6で破ったセーフコーでの逆転勝利は、2001年マリナーズの記録破りの快進撃を彷彿とさせるものだった。ブレット・ブーンが放ったライト前へのヒットが勝越し打となった。4月10日、エースのフレディー・ガルシアの勝利でマリナーズはエンゼルスをアナハイムで4連破することに成功し、西地区の単独首位に立った。しかし、その試合でDHのエドガー・マルチネスが足の腱を断裂し、マリナーズは大きな代償を払うこととなった。4月18日、マリナーズはオークランドでアスレチックスを破って、球団史上最高となるロードシリーズを締めくくった。アナハイム、テキサス、オークランドと続く遠征で、マリナーズは10勝0敗という好成績を残したのだ。4月20日、ジェフ・シリーロ3塁手が、MLBの連続無失策試合記録の99試合に並んだ。

●5月
5月2日、シカゴでのホワイトソックス戦で、マイク・キャメロンとブレット・ブーンが、メジャー史上初となる“同一イニングで同一選手達による2回の2者連続本塁打”を記録した。キャメロンはその試合で4本の本塁打を放ち、8回表にはもう少しで5本目を打つところだった。5月11日、クローザーのカズヒロ・ササキが通算90個目のセーブを記録し、2年の契約延長をも獲得した。5月8日、右腕救援投手のジェフ・ネルソンが右肘から3個の遊離骨片を除去する手術を受け、試合から1ヶ月間遠ざかることとなった。1週間後の5月17日、ネルソンはそれらの骨片をインターネット・オークション(eBay)に出品し、チームメート達の話題の的となった。5月28日、ピネラ監督は、彼の最も印象的な退場劇の1つをトロピカーナ・フィールドで演じた。8回表にジョン・シューロック審判から退場宣告を受けたピネラは、退場する前にホームプレートを土で覆い隠してしまったのだ。シューロックが土を払いのける事を拒否したため、ダン・ウィルソン捕手がアンパイア―のブラシを借りてプレートの土を払い、試合が続行できるようにしなくてはならなかった。

●6月
6月2日、前日まで3試合連続してオリオールスに逆転負けを喫していたピネラは、イチローを先頭打者から3番に下げて試合に臨んだ。その結果、マリナーズは6点差を引っくり返して勝利を収めた。イチローの先頭打者としての連続試合出場は、209試合で途切れることとなった。6月4日、マリナーズは新人ドラフトの1巡目で、ジョン・メイベリー・ジュニアーを指名した。強打を誇るこの1塁手兼外野手が、スタンフォード大学進学よりプロ野球を選んでくれる事に期待をかけての指名だった。(注:交渉は9月までもつれ込んだが、結局、金額で折り合いがつかず、メイベリーはマリナーズを振って大学進学を選んだ)6月9日―好天に恵まれた気持ちのいいこの日曜の午後、イチローは、もう少しで、対カブス3連戦で無安打に終わる、という彼にとっては初めてとなる事態に直面する所だった。マリナーズに来てからプレーした68シリーズ(注:日本では“節”?)で、イチローは今まで無安打で終わった事は一度も無く、1シリーズ内で少なくとも1本は必ずヒットを打っていたのである。―シリーズ最終戦となるこの日の試合の8回裏、イチローは無事ヒットを打つことに成功した。

●7月
7月13日、イチローはMLBで初めて1試合2本の本塁打を打ったが、試合自体はデビル・レイズに負けてしまった。7月10日、オールスター・ゲームでAL最後のピッチャーとなったフレディー・ガルシアがマウンド上にいた11回裏、試合は同点のままで終了することとなった。ガルシアが2イニング連続無失点で投げ終えたところで両チームとも全選手を使い切ってしまったため、バド・セリグ・コミッショナーが試合を止めたのである。ガルシアはその後調子を崩し、後半戦4先発目となる7月25日の試合で、オールスター後の防御率を一気に6.46まで悪化させてしまった。7月31日、トレード最終期日は過ぎていったが、マリナーズはシーズン終盤に向けての補強は何もしないで終わった。

●8月
8月1日、DHのエドガー・マルチネスは、“数週間前に左足の故障がぶり返した時、引退を考えた”という事を認めた。8月18日、9月の最後の追い込みに備えて投手陣の強化を図ろうと、マリナーズはレンジャースから右腕のイスマエル・バルデス投手を獲得した。自身の29歳の誕生日である8月21日、バルデスはマリナーズでのデビューをタイガース戦の勝利で飾った。8月31日、8月最後の試合でマリナーズは1−5でロイヤルズに敗れ、西地区で首位アスレチックスから6ゲーム差の3位に後退した。マリナーズが月の終わりに首位に立っていなかったのは、これが初めてのことだった。

●9月
9月8日、マリナーズは延長11回に8点を挙げて延々と続いた乱打戦を制し、ロイヤルズ3連戦をスィープする事に成功した。両チーム併せて得点25、安打27(2塁打2本、本塁打6本)、投入した投手13人、与四球12、与死球2、暴投4、セーブ失敗2…という試合だった。9月22日、シーズン終盤にマイナーから上がってきたウィリー・ブルームクィストがメジャーで2回目となる先発出場を果たし、メジャー初ヒットを含む4安打を放った。セーフコーでのこの試合で、マリナーズはエンゼルスに勝った。9月28日、次の試合がシーズン最終戦、と言うこの試合で、チームにとって不名誉な記録が存続するのを、パット・ボーダースが防いだ。エンゼルス戦の8回に代打に立ったボーダースは、2塁打を放って“今シーズン、初めて長打を打ったマリナーズのピンチ・ヒッター”となったのである。(注:つまり、今シーズンのそれまでのマリナーズのピンチヒッター達は、シングルヒットしか打っていなかったのである…^^;)―ただし、翌9月29日の最終戦では、スコット・ポドセドニックが9回表にエンゼルスのクローザー、トロイ・パーシバルから代打本塁打を放って、前日のボーダースの“快挙”を霞ませてしまった。

                      (以上)

[15810へのレス] Re: 『キューバのコントレ... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/25(Wed) 21:40
コントレラス側は、最初はもっと要求していたそうですよ…。(-_-;メ) でも、「どうしてもヤンキースでプレーしたかった」ので、これでも“譲歩”したんですって! …ったく、これじゃ、他のチームは最初からチャンスないですよね…。(ノ−_−)ノ 〜┻━┻
ギリックGMも、“骨折り損のくたびれ儲け”だったようです…。(-_-;) 

下記は、ニューヨークタイムスからです:(-_-メ)

●3200万ドルの追加なんて、どうってことない―?:ヤンキース、コントレラスと契約
http://www.nytimes.com/2002/12/25/sports/baseball/25YANK.html


国連はニューヨークにあるのだから、ヤンキースがベースボール界の「国連」になっても、別にいいのでは―?先週は日本人選手で今週はキューバ人。ひょっとして、次は“テキサス人”との契約が続くのか…?

(中略)

「悪の帝国は、ラテンアメリカ(中南米)にまで触手を伸ばした。」とボストン・レッドソックスのラリー・ルチーノ社長は言う。レッドソックスとヤンキースとシアトル・マリナーズの3球団が、コントレラス獲得競争に最後まで残っていた。

ジョージ・スタイブレナーの金庫の中身はどうやら尽きる事がないようだ。ヤンキースは、31歳の右腕・コントレラス投手に、4年で3200万ドルを出したのである。松井の3年2100万ドルの契約の上にこの新しい契約。“贅沢税の負担を軽減するために2003年度の球団年俸総額を前年度より下げる”、という公約とは、矛盾する行動である。

「あいつらの年俸総額を計算するのなんて、やめてしまったよ。」と別のチームの首脳陣がいう。「途中から、どうでもよくなってしまった。」

贅沢税を計算する上での2002年度のヤンキースの年俸総額は、1億7500万ドル。コントレラスとの契約で、2003年度の年俸総額は1億5800万ドルになった。予想外のことが起こらない限り、ロジャー・クレメンスとの再契約は来週あたり行われるはずで、そうすると総額は1億6800万ドルぐらいまで膨れ上がる。

「コントレラスとの契約は、我々の交渉には何の影響も及ぼさないはず。」とクレメンスの代理人、ランディー・ヘンドリックスはEメールでコメントする。ヤンキースも同意見だ。

コントレラスの加入で、ヤンキースの先発陣は7人(クレメンスを加えれば8人)になった:コントレラス、ムッシーナ、ウェルス、ペティット、ヘルナンデス、ウィーバー、そしてヒッチコックである。ヤンキースは、引き続きヒッチコックのトレード先を探す努力を続けるものと思われるし、1998年にキューバから亡命してきたヘルナンデスについても同様だ。

ヤンキースの最新の契約についてのニュースを聞いたMLB機構の役員達と他球団の首脳陣たちは、一様に首を振りながら悪態をついたに違いない。彼らのほとんどは、“ヤンキースは、欲しい選手はほぼ間違いなく手に入れる”という現実に諦め気味だ。とはいえ、彼らにしても、ヤンキースがいつでも必要なだけの金額を使えるし、実際に使う、という事実は気に入らない。

ルチアーノによれば、レッド・ソックスは、「誠意をこめて熱心に」コントレラス獲得に向けて努力をしたという。しかし、同時にこうも付け加える:「けど、よく言うように“タンゴを踊るには2人必要”(It takes two to tango)なわけで、ヤンキースは本当に手ごわい強敵だ―それは間違いない。」レッドソックスは、ヤンキースとほぼ同額をオファーし、必要とあらばもっと出す用意もあったと言われているが、コントラレスはヤンキースでプレーしたがっていた。

「僕にとって、ヤンキースでプレーするのは名誉な事。」と居住地に定めたニカラグアでコントレラスは言う。「ヤンキースでプレーするために、僕はかなりの金額を犠牲にしたが、僕にとっては、ヤンキースこそがプレーしたいチームだったんだ。」

コントレラスの代理人のジェイミー・トーレスがヤンキースと合意に達したのは、ニカラグア時間の昨日午前2時。ヤンキース側は、国際スカウティング部担当副社長のゴードン・ブレークリーと中南米スカウティング担当のカルロス・リオスが、電話でニューヨークの球団首脳陣と話しながら、現地ニカラグアのマナグア市内でトーレスとの直接交渉にあたった。もちろん、彼らを通してスタインブレナーとも連絡をとっていた。

レッドソックスの交渉団は、新GMのテオ・エプスタインが指揮をとり、マリナーズは、パット・ギリックGMを現地に送って交渉に当たらせた。

コントレラス争奪戦のオファーは、最初“年俸600万ドルの4年契約”から始まったが、トーレスは“年俸950万ドルの4年契約”を要求した。キューバ・チームがメキシコに滞在していた10月2日に亡命したコントレラスは、交渉の初期には姿を見せなかったが、各チームとの最終交渉には同席した。

「彼は我々に、是非ヤンキースでプレーしたい、という意思表示をした。」とフロリダに戻ってきたブレークリーは電話取材に答えて言う。「彼は、優勝を狙えるチームに来たかったそうだ。優勝できそうもないチームには行きたくない、と彼は私にはっきり言ったんだ。」(以上)

[15795へのレス] Re: 中村選手には確たる信... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/23(Mon) 16:47
こんばんは。 ななかまどさん、お久しぶりです。(^^)

>店員さんを連れて、服をあれこれ試着、
>褒めちぎって、何も買わない感じですか?

…ていうか、ある客が「この服絶対買いますから、“お取り置き”にしておいて下さいネ。」と頼むので、店員がその服を欲しいと言ってきた他のお客さん達に「申し訳ありませんね〜、売約済みなんですヨ〜。」と言って売らずに取っておいたのに、散々待たせた挙句、「他の店でもっといいの買ったから、あの服はもういりません。お宅の接客態度も悪かったし―。ガチャン。」と、電話一本で断っちゃうような感じ…でしょうかぁ……??(スミマセ〜ン(^^;;ゞ)

参考のため、下記がニューヨーク・タイムスに載った中村選手の記事です…:

●メッツ、内野の左側をどうするか再考中(マレー・チャス)
http://www.nytimes.com/2002/12/22/sports/22CHAS.html


誰であろうと、怖気づいてしまっては3塁は守れない―。ノリヒロ・ナカムラが急にメッツの3塁手になるのを考え直したのは、それが原因の一つなのではないか、とメッツは疑っている。

理由はなんであれ、ナカムラは日本に残る事になり、メッツは替わりの3塁手を“西半球”(the Western Hemisphere)で探さなくてはならなくなった。フリーエジェントのビル・ミューラーとホセ・ヘルナンデスが、さし当たってすぐに思いつく候補たちだ。ナカムラの獲得を目指していた間は、メッツはミューラーを単なる控え候補とみなしていたわけだが、攻撃力の期待できるクリフ・フロイドを獲得した今は、その計画も変わるかもしれない。昨日、健康診断をクリアしたフロイドは、明日シェイ・スタジアムで開かれる記者会見でメッツの新外野手として紹介される予定だ。

「フロイドを獲得する前は、ヘルナンデスのことはあまり話題には上らなかった。」とあるメッツの役員は言う。「彼の三振の多さが気になっていたものでね…。でも、今は、再考する余地があるかもしれない。」

ヘルナンデスは、遊撃手ではあるが、3塁も守れる。他のチームのあるGMは、こうコメントする:「彼が運動能力に長けた器用な選手である事は、間違いない。」

しかしながら、彼の選手としての特徴で最も目立つのは、その三振の多さだ。今シーズン後半に彼の三振数が188個に達した時、ミルウォーキーのジェリー・ロスター監督は、彼がボビー・ボンズの持つ大リーグ三振記録の189を破らないようにと、ベンチに下げたほどだった。(中略)

ヘルナンデスの代理人のアラン・ネロによれば、ナカムラに振られてから、まだメッツからは何の連絡も無いとのことだ。

一方、ミューラーは、攻撃よりも守備の選手である。(中略)また、ミューラーには他にも問題がある。

「ミューラーは、毎日プレーするのは無理だ。」と、あるGMは言う。「多分、膝がもたないだろう。」

他の可能性についてだが、先週の金曜日までに契約をオファーされずにフリーエージェントとなった46人の選手達の中には、スタメンでプレーできる3塁手はいない。

各球団がクリスマス・年末休暇に入ってしまう今週になって、チームにこんな穴がポッカリと空いてしまうとは、メッツは思ってもいなかっただろう。先週、メッツはナカムラと総額700万ドルの2年契約で合意に達しており、ナカムラが健康診断をクリアしたため、すぐにでも入団発表を行うつもりでいたのである。

しかし、メッツのある役員によれば、「なにか様子がおかしい、という雰囲気( vibes that things were getting weird)」は、既に水曜か木曜あたりから感じられるようになっていた、という。すると、金曜になって、ナカムラが翻意して過去11年間在籍していた近鉄バッファローズに残る事になった、という知らせが入ってきたのである。

メッツはナカムラの決断の理由を色々と想像することは出来たが、はっきりしたことは何も分からなかった。―もしかすると、彼は怖気づいたのかもしれないし、あるいは、同国人のヒデキ・マツイがヤンキースから得た契約(総額2100万ドルの3年契約)を見て、より高額の近鉄のオファーの方を選んだのかもしれなかった。

しかし、ナカムラはもう1つ別の理由を挙げた。大阪での記者会見で、彼は、メッツとの間に生じた行き違い(misunderstanding)が、翻意の理由だと説明したのだ:「MLBのホームページを見たら、自分のことがメッツのページに載っていた。」とナカムラは言う。「我々は、メッツにこう頼んでいた―『(入団の)ニュースは、ニューヨークからは流さないで欲しい』、とね。彼らは約束を破った。日本では、プロセスが非常に重要視される。我々は、(断ることになる)球団に、『メッツと契約する事になった』と先に報告しなくてはならなかったんだ。それなのに、メッツは約束を破った。約束を破ったチームとは、契約できない。」(=“I checked the Major League Baseball Web site and there I was on the Mets' Web site. We asked the New York Mets, please don't issue the news from New York. They broke our agreement. In Japan, the process is very important. We have to inform the club, ‘We're going to sign with the Mets,’but then they broke the agreement. I can't sign with a team that broke a promise." )

ナカムラは、どうやら、MLB.comの記者が書いた記事を、メッツが発表した正式な球団発表(news release)だと思ったらしい。あるメッツの役員は、ナカムラの代理人のマサミ・シゲタも、ナカムラが記者会見で説明していた事とほぼ同じことを言ってきた、と言う。

「我々は、あれはメッツのホームページではあるが、メッツが直接管理しているわけではない(not controlled by the Mets)、ということを説明したんだ。」とその役員は言う。「明らかに、あの記事はメッツから出たものではない。私は、彼らがそのことを、なんらかの利益のために利用したのではないか、と疑ったりもしているんだ。(I'm not sure this wasn't used by them to whatever benefit they thought.)」

―というわけで、メッツは、今や遊撃手だけでなく、3塁手も探さなくてはならない。

メッツは、マイク・ボーディックをショートにどうか、と考えていたが、その彼も金曜日にはトロントと契約してしまった。2人の遊撃手、ナイフィ・ペレズとデジ・レラフォードが、金曜の期日までにそれぞれのチームから契約をオファーされずに、フリーエージェントになっている。(以上)

[15763] ヤンキース公式HPより、松井選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/20(Fri) 17:30
もう既に、日本の各種サイトでも内容は紹介されていますが、下記がヤンキース公式HPに載った松井選手の記事の全文です。(^^)

             ****************************

            ヤンキースとマツイ、合意に達する
        ― バリー・ブルーム&マーク・フィーンサンド ―
http://newyork.yankees.mlb.com/NASApp/mlb/nyy/news/nyy_news.jsp?ymd=20021219&content_id=187480&vkey=news_nyy&fext=.jsp      

           
やっと決まった。ゴジラがニューヨークにやってくる。

ヤンキースは、日本の外野手ヒデキ・マツイと3年契約の骨子について合意に達したと木曜日に発表した。

この総額2100万ドルの契約(打席数に応じたボーナス付き)は、マツイの健康診断と契約の細部の詰めが終了した後、正式に締結される。メッツ、オリオールズ、レッドソックスというチームも28歳のマツイに興味を示したが、真剣な交渉が行われたのは、ヤンキースとだけだった。マツイは、セントラル・リーグで3回のMVP受賞経験を持ち、打点王とホームラン王のタイトルもそれぞれ3回づつ獲得している。2001年には、打率.333を記録してセ・リーグの首位打者の座にもついている。

「彼は、本当にニューヨークに来たがっていた。」とマツイの代理人のアーン・テラムは言う。「こここそが、彼の望んだ場所だったんだ。なので、他のチームとは本格的な交渉はしなかった。NYと上手くいかなかった場合のみ、他のチームと交渉するつもりだった。ヒデキは、ヤンキースの伝統を気に入り、ヤンキースタジアムでプレーしたいと願った。彼にとっては、金額よりもそっちの方が大切だったんだ。ヤンキースで成功し、母国日本のファンの人たちに喜んでもらうのが、彼の望みだ。」

「彼にはスパースターの貫禄が備わっているし、自分に対する自信もある。私は、彼が自分の目指すもので成功するのは間違いないと思っている。」

マツイ同様、ヤンキースも最後の1ヶ月間は、マツイ獲得に向けてひたむきに突き進んだ。マツイは、2年前にイチローがシアトル・マリナーズに移籍して以来、日本野球界のトップに君臨してきた選手である。

先月、マツイがメジャーでプレーする意思を明らかにし、ヤンキースが読売ジャイアンツとの業務提携を発表した時点で、世間は、マツイはブロンクス(ヤンキー・スタジアムの所在地)へ行くものと思うようになっていた。

「ヤンキースは、世界有数の選手と合意に達する事ができたことを、非常に幸運に思っている。」とヤンキースのブライアン・キャッシマンGMは言う。「このことは、我々が、世界規模での有能な選手の発掘と獲得に本気で取り組んでいる事の証しになったことと思う。また、今回の非常に難しくデリケートな契約交渉は、ジーン・アフターマンGM輔佐の経験とアドバイスなしでは成功しえなかったことをここに強調しておきたい。」

アフターマンは、日本のレギュラーシーズン中からずっとマツイを偵察していた。他のヤンキースの役員たちの中には、先月の2002年日米野球で、初めて直にマツイを目にした者もいた。アフターマンは日本で一ヶ月ほど過ごして、マツイを偵察しながらジャイアンツとの業務提携に向けての下準備も進めていたのである。

「今回の事は、世界中の野球ファンにとって、素晴らしいニュースだ。」とアフターマンは言う。「ヒデキ・マツイは、卓越した野球の才能のみならず、その存在感と(威厳のある)落ち着き(=poise…訳しにくい言葉です^^;)をもヤンキースにもたらしてくれる事になる。彼のそれらの特性が、ヤンキースが2003年度及びそれ以降の優勝に向けて努力していく過程で、非常に大きな助けとなる事を私は確信している。」

マツイが正式にヤンキースの一員として紹介されるのは、来週の初めになるものと思われる。ヤンキースの選手達も、彼の到着を待ちわびている。

「僕も、他の人と同じくらい興味津々なんだ。彼については何も知らないもんでね―。」とデレク・ジーターは言う。「球団が彼と契約したからには、それなりの理由があるはず。僕が彼について聞いた評判は素晴らしいものばかりだし、とてもエキサイティングな選手らしいので、会うのを楽しみにしている。」

これでヤンキースは、キューバから亡命して来たホセ・コントレラス投手(水曜にMLBによってフリーエージェントとして認定された)と契約するか、あるいはロジャー・クレメンス投手と再契約するかという問題に注意を向ける事ができる。モントリオール・エクスポスのバートロ・コロンをトレードで獲得するという話は、今の所、何の進展もみせてない。

マツイが代理人にアーン・テレムを雇った時点で、彼がヤンキースと契約することになるだろうという憶測は、ますます強まった。テレムは、ヤンキースが過去2年間に獲得した2大フリーエージェントのマイク・ムッシーナとジェイソン・ジアンビ、両方のエージェントだからだ。

テレムによれば、マツイが彼を雇ったのは何回かのEメールの遣り取りの結果で、その後テレムが日本に来るまでは、両者は一回も直接会った事はなかったそうだ。

「(メディアが)マツイになぜ私に決めたのかと訊いた時、彼は、私の誠意と誠実さ(sincerity and integrity)を理由に挙げた。」とテレムは言う。「その後、日本での記者会見の場でも、彼は全く同じことを一言もたがえずに答えた。私の代理人としてのキャリアの中で、自分の事をそんなふうに言ってくれた人は彼が初めてだった。日本の人々は、本当にいい人達ばかりだった。今回の事は、いろんなことに対する私の考え方を決定的に変えてしまった気がする。多分、永久にね…。」

マツイが自分を雇うことにした決断にジアンビの影響があったかどうかはよく分からない、とテレムは言う。しかし、先月の日米野球で日本に来る前から、ジアンビはマツイがヤンキースに来る事に対して大っぴらに発言していたし、マツイを歓迎するとも言っていた。また先週は、「自分自身にプレッシャーを掛け過ぎなければ、マツイはきっとメジャーでも成功できると思う。」ともコメントしている。

「彼は、とてもいいヤツだし、とてもいい野球選手だ。」とジアンビは言う。「彼はパワーも高打率も期待できる選手なので、こっちへ来た最初の年に自分自身に対してプレッシャーをかけすぎるような事さえ無ければ、大丈夫だ。それ(プレッシャー)が彼にとっての最大のハードルになるんだろうね。ファンは、彼がこっちへ来てすぐにでも50本塁を打つ事を期待するんだろうけど、それはかなり難しいと思う。」

日米野球でのマツイは、打率が.161(31打数5安打)、2打点、0本塁打に終わってしまったが、ジアンビはそれがマツイの真の姿ではないと信じている。ジャイアンツに所属していた10年間でマツイは332本の本塁打を打っており、今シーズンもセントラル・リーグ1位となる50本塁打を放ってMVPも獲得している。その後、ジャイアンツは、日本シリーズで西武をスィープして20回目の日本一に輝いた。

「観客の期待を一身に背負って、彼が結果を出そうと焦っていたのは、はたで見ていてもわかった。」とジアンビは言う。「彼が来る事に決まれば、こっち(NY)の連中はきっと喜ぶと思うよ。自分らしさを見失いさえしなければ、彼は大丈夫さ。彼には、『ただ3割を打つ事だけを心がけていればいい』と言ったんだ。彼はそれだけ素晴らしい打者なんだから―。」

ヤンキースのセンターにはバーニー・ウィリアムスが定着しているため、マツイは、レフトかライトに入るものと思われている。
                                (以上)

[15714] イチロー選手、オフの契約延長交渉は、なし? 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/11(Wed) 19:04
下記はシアトルポスト紙から、「アタナシオは、今オフにイチローの契約延長は求めない模様」という記事です。たいした内容ではありませんが、“イチロー”という文字に反応して、ご紹介する事にしました〜。^^;

              ***********************
            イチローの契約延長、今は“保留”
              ― ジョン・ヒッキー ―
   http://seattlepi.nwsource.com/baseball/99396_ichiro11.shtml


マリナーズの右翼手イチロー・スズキのエージェントは、今オフに契約延長は求めない方向である事を明らかにした。

9月に新しい労使間協定が結ばれてストが回避された直後には、イチローのエージェントのトニー・アタナシオは、2003年シーズン後に切れるイチローの契約の延長を、このオフに交渉するつもりである、と言っていた。

しかし、現在の球界全体の契約交渉の様子を見れば、今、マリナーズはこの話はしたくはないのではないか、とアタナシオは言う。

「今は、契約延長について話すべき時期ではないと思う。このオフにFA選手を沢山抱えているエージェントには、同情するね。ストライキ騒動の影響をもろに受ける可能性がある。実際、多くの球団が、給与総額を現状維持で抑えたり、削減したりしているわけだからね。なので、今は契約延長の話を持ち出す時期ではない。私が見るところでは、マリナーズも、乗り気ではないと思う。」

シアトルだけではなく、メジャーのどこを見渡しても、派手な金額の遣り取りは見られない。今年の冬、最も高額な報酬を獲得したフリーエージェントはジム・トーミであるが、彼がフィラデルフィアと契約した金額にしても、同クラスの1塁手たち(カルロス・デルガド、ジェイソン・ジアンビ、ジェフ・バグウェルなど)が過去2年間に獲得した額よりは、平均して300万ドルほど低くなっている。

マリナーズは、来季の給与総額を2002年度より増額する数少ない球団の1つではあるが、そのマリナーズにしても、大盤振る舞いはしていない。ジェイミー・モイヤー、ダン・ウィルソン、エドガー・マルチネスとは、昨年の年俸よりも低い金額で再契約しているのだ。

2001年にMVPと新人王を獲得したイチローは、今季も引き続き安定した数字を残しはしたものの、どの数字も初年度のそれには及ばなかった。(打率.350→.321、得点127→111、安打242→208、盗塁56→31)

シーズン後半にはスランプに陥りもしたが、それでも立派なシーズンだった事には間違いない。2年連続でゴールドグラブも受賞しているし、オールスターにも選ばれている。

イチローの来季の年俸は、300万ドルとなる予定だ。

もし、この人気スター選手が契約延長を求めてきた場合、マリナーズとしてはファンやマスコミの手前、“ノー”とは言いにくい立場にいる。

したがって、現時点では、この話をこのまま放っておいたとしても、どちらのサイドにとってもリスクは少ないものと思われる。

来年のオフには、イチローは年俸調停を受ける資格を得るので、もし来年の今頃になっても両サイドが新たな契約で同意できないような場合は、アタナシオは調停に持ち込む事も辞さないつもりでいる。

労使協定の定める所によって、イチローの保有権は、2006年シーズン終了まではマリナーズにある。なので、たとえ調停に持ち込まれることになっても、イチローがマリナーズ所属の選手であり続けることには変わりはない。

「正直言って、そういう事態になるとは思ってはいない。」とアタナシオは言う。「私だったら、イチローと調停で争う立場には絶対なりたくないからね。(注:イチローの人気と実績を考えれば、調停委員がイチロー有利の裁定を下すのは確実と思われるから―という意味)マリナーズだって、そこまで行くとは思っていないと思うよ。」
                                (以上)




[15694] モイヤー、3年契約に同意!!!! (パート2) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/08(Sun) 16:43
遅くなりましたが、下記が、マリナーズ公式HPにアップされたモイヤー選手の契約に関する最新の記事です。3年という年数の割には金額が低く抑えられており、かなりの創意工夫(シアトルタイムスの最新の記事によれば、ほとんどがモイヤー選手のアイディアだったとか…!)と双方の歩み寄りがもたらした契約だった事が分かります。(^^)

             *****************    

         “3”がモイヤーのラッキーナンバー
           ― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021207&content_id=183752&vkey=news_sea&fext=.jsp


1つのキーワードと、ちょっとした“独創性”が、マリナーズとジェイミー・モイヤーが新しい契約に合意する事を可能にし、少なくとも2005年まではモイヤーをマリナーズのローテーションにとどまらせる事となった。

「キーワードは、“3”だった。」とモイヤーは言う。

金曜の夜までは、マリナーズは以前から提示していた3年目のオプション付き2年契約に固執していた。また、モイヤーはモイヤーで3年契約に拘り、一歩も退こうとしなかった。

しかし、パット・ギリックGMが、電話でそのキーワードを口にした途端、それまでバラバラだったパズルの破片がピタリとそれぞれの定められた場所に収まり、両者は一気に合意に達した。その場はそれで別れ、両者はそれぞれもう一度一晩かけてじっくり考えた後、土曜の朝に正式に契約書にサインしたのである。

「この2ヶ月ほどは、かなりじっくり考えた。」とモイヤーは言う。「ワールドシリーズ優勝の可能性のあるチームでプレーしたかったし、“3年契約”というのも、自分にとっては非常に重要だった。少なくともあと3年は立派にプレーできる確信が自分の中にあったので、“3年”という条件は、絶対に譲れなかった。」

AP通信の報じた所によれば、シアトルがモイヤーに与えたのは、次の通り:契約金が150万ドル、2003年の年俸が600万ドル、2004年の年俸が650万ドル、2005年の年俸が150万ドル。ただし、2003年度と2004年度に一定の条件をクリアしさえすれば、さらに600万ドルが2005年の年俸に上乗せされる事になっている。(内訳は、2003年に一定の先発試合数をクリアすれば150万ドル、2004年に一定のイニング数を投げれば450万ドルが2005年分に加算される)

(普通は、2年以上の契約には応じないのに)なぜ3年契約に応じたのかと聞かれたギリックは、次のように答えた:「“3年は絶対に投げられる”という彼の言葉と固い決意に、説得させられたんだ。彼は、2年前には20勝6敗を記録し、昨年も13勝といういい成績を収めている。実際、今やっと全盛期を迎えつつある、と言えるのかもしれない。彼自身も言っているように、ひょっとすると3年よりもっと長く投げられるかもしれないとも思っている。」

(中略・・・前の記事とかぶる数字の紹介なので)

自分自身のエージェントを務めたモイヤーは、フィリーズからも3年契約のオファーを受けたが、マリナーズのほうを選んだ。

「ジェイミーがこういう決断をしてくれた事で、マリナーズファンの皆さんのホリデーシーズン(クリスマスと新年に向かうこの時期)が楽しいものになるといいと思っている。」とギリックは言う。「彼は、この7年間のウチの投手陣の大黒柱的存在で、彼の成功と勤勉さは、他の全ての投手達にいい影響を与えてくれていた。」

モイヤーもマリナーズも、総額2150万ドルに上ると推定される契約の詳細については、語らなかった。

「正直に言えば、(ジェイミーが提案した)この契約の骨組みと形態は、非常に独創的なものになっている。」とギリックは言う。「我々は、絶えず色んなアイディアをお互いに遣り取りしあっていた。ジェイミーは、彼自身の希望する方向をきっちり伝えてきたし、我々は、それに対して、こうすればその目標に到達できるだろう、という我々の考えを彼に伝えた。彼は我々の側の言い分に耳を傾けてくれて、最終的には、双方の考えが一致することができた。この3年契約には、とても満足している。双方ともが、この契約を成立させようと、絶えず努力し続けた結果だ。」

ギリックとマリナーズにとって、このオフはいい事が続いている。

「このオフの我々の主な目標の一つは、チーム内の4人の重要なフリーエージェント達―ジェイミー・モイヤー、エドガー・マルチネス、ダン・ウィルソン、ジョンオルルッド―と再契約する事だった。」とギリックは言う。「その目標を達成できたので、今度は、チームの他の部分の微調整(fine-tuning)に注意を向ける事ができる。」

その”微調整”の中には、ベテラン左腕投手ノーム・チャールトンとの再契約も含まれている。昨年一杯を肩の手術で棒に振ったチャールトンだが、予想されていた通り、マリナーズは土曜午後9時(西海岸時間)の期限前に、チャールトンに年俸調停をオファーした。

一方、マリナーズは、イズマエル・バルデス投手、ホゼ・オファーマン外野手、ルーベン・シエラ外野手には調停をオファーせず、彼らとの実質的な関係を断ち切ったかたちとなった。球団は、年俸調停をオファーしなかった自軍のFA選手とは、規則によって5月1日までは再契約する事が出来ないからである。

いずれにしても、モイヤーと再契約に漕ぎ付けた事が、マリナーズにとっての“本日のビッグ・ニュース”だった。

これが最後の契約になるのか、ときかれたモイヤーは、「それは、ちょっとわからない。とにかく、一日づつ、一シーズンづつを大事に過ごす事だけを考えている。今は、春期キャンプに向けた準備をしているところだ。」と答えた。

通算200勝を達成する事も、モイヤーにとっての目標の1つだそうだ。(今現在は、164勝)そして、もう1つは、毎シーズン200イニング以上を投げる事である。

「僕は、余り数字には拘らないほうだけど、先発投手にとっては、投球イニング数が最も大切な数字だと思っている。」とモイヤーは言う。「投手陣全体で、沢山のイニング数をカバーしなくてはならない。ブルペンも頑張ってくれるけど、彼らが効果的に投げられるイニング数には、限りがある。」

モイヤーは、過去5シーズンのうち4シーズンで200イニング以上を投げて、ブルペンの負担軽減には貢献してきている。

契約が無事締結されてホッと一息ついたモイヤーは、フリーエージェント市場で自分自身のエージェントを務めた経験について語ってくれた。

「過去にも自分の契約交渉に関わった経験はあったけど、いつでもエージェントが一緒だった。」と彼は言う。「その間、彼らからはいろいろ学んだし、自分自身も年を重ねて分別もついた。今回は、自分にとっては初めてのことではあったけど、難しいとは思わなかった。マリナーズを含めて、今回交渉した人々とは、全て有意義な話しあいが出来た。不愉快になったり怒ったりして(交渉の)電話を切ったことは、一回もなかった、と言えると思う。でも、若い選手には、ちょっと勧められない方法かもしれない。だって、エージェントは、交渉ごとにおいては優秀な連中であることは、間違いないわけだからね。その辺は、個人個人の事情によると思う。」

ギリック曰く:「直接、選手本人と交渉するなんてことは、滅多にないこと。我々は、公平な交渉を目指したし、結果的には、全員が“勝者”になれる契約を締結することができたと思っている。」   (以上)

   
------------------------
私的補足コメントです…。^^
モイヤー投手は、「難しくなかった」と言っていますが、マリナーズ側にとっては、選手本人との交渉というのは、相当やりにくかったようです…。^^; 数日前のどこかの記事で、ギリック氏が次のような事を言っていました:「契約交渉と言うのは、選手の長所・短所を洗いざらい並べ立てて、それをもとに、双方がああでもない、こうでもない、と議論しながら金額・年数を足したり削ったりするもの。エージェント相手なら、ビジネスライクに選手の欠点をいろいろ指摘して交渉を有利に進めることもできるが、選手本人が相手では、なかなか、そうもいかない。下手をすれば、修復不能な感情的しこりが残ってしまう恐れがあるからだ。そういう意味では、かなりやりにくい。ただ、選手の本音が掴みやすい、という利点もあることは確かだが。」・・・ギリックさん、どうやらうまく切り抜けることが出来たようで、ほんとにホッとしました〜。(^○^)

[15676] オルルッド選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/07(Sat) 16:52
下記は、マリナーズの公式HPとシアトル・ポストから、オルルッド選手残留に関する記事の抜粋です(^^):


●オルルッド、M’sと契約して地元に残る(ジム・ストリート)
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021206&content_id=183370&vkey=news_sea&fext=.jsp


チーム内のFA選手に年俸調停をオファーする期限が土曜日pm9時(西海岸時間)に迫ってきている中、マリナーズは、総額1,540万ドルの2年契約でオルルッドと再契約し、彼の名前をFA市場から完全に取り下げる事に成功した。

「多分、これが僕にとっての最後の契約になると思う。」とオルルッドは言う。「2年後には、息子(ギャレット)も小学校に通いだして、もう簡単には移転できなくなるからね。」

安定した成績を誇るこのベテラン選手に対して、はたしてマリナーズは年俸調停をオファーすべきなのかどうか―。その決断を下さなくてはならない期限まであと1日弱というギリギリの時点で、今回の契約は成立した。しかし、周囲の雰囲気は、最初からずっと「この地元生まれの元ワシントン州立大学のスター選手は、マリナーズに戻ってくるだろう」というものだった。その雰囲気が余りにも強かったために、他のチームは、全くと言っていい程、オルルッドとそのエージェントに接触してこなかった。

「マリナーズに戻りたいという心積もりで、今回の交渉には最初から臨んでいた。」とオルルッドはハワイから答える。現在、オルルッドとケリー夫人は、結婚10周年のバケーションをハワイで過ごしている最中だ。

今シーズン、打率.300、22本塁打、102打点を叩き出したオルルッドと再契約する事は、パット・ギリックGMが今オフの最優先事項に掲げていた事柄だった。

「ジョンがあと2年我々のチームに居てくれる事になって、非常に嬉しい。」とギリックは言う。「攻撃面でも守備面でも、そしてチームリーダーの1人としても、彼はウチのチームにとってはとても重要な選手だからだ。」

現在34歳のオルルッドの14年間のキャリア(マイナー経験は全く無く、メジャーのみ)通算打率は.300で、シアトル移籍後3年間の成績も、打率.296、57本塁打、300打点という立派なもの。彼の.463という長打率は、球団史上8位の数字だし、294四死球という数字も10位に位置している。

また、彼の1塁における安定した守備は、チーム全体の守備力の向上に大いに貢献した。チームメートのブーンやイチローとともに、オルルッドは今シーズンのゴールドグラブを受賞している。

「ゴールドグラブ受賞経験者が4人もいる打線を組めるなんて、監督冥利に尽きる。それに、彼ら以外にも、あと2〜3人はゴールドグラブ級の選手がいるしね。」とメルビン新監督は言う。「ジョンは、ウチの来季の構想には欠かせない選手の1人。彼の残留が決まって、本当に嬉しい。」

先週、シアトルでメルビンと会って話せたことが、今回の契約を固めるのに役立った、とオルルッドは言う。

「色んな事に関する彼の考え方を、事前に知っておきたいと思ったんだ。」とオルルッドは言う。「僕にとって重要なのは、主に家族に関する事柄―例えば、家族を遠征に帯同できるか、とか、クラブハウスに子供を連れて来れるか、とかのね…。とてもいい話し合いが出来た。そういうことに関しては、とても寛容な監督だって事がわかったんだ。」(オルルッドは、2歳の長女ジョーダン・マリーを含めた家族全員を、今までもよく遠征に帯同してきた。)

チームの家族的雰囲気が今後も基本的には変わらないことを確認できたオルルッドは、是非シアトルに残りたいという気持ちを固め、なんとか再契約に漕ぎ付けたのである。多分、これで彼は、マリナーズで引退を迎えることになるだろう。

「うちの家族にとっては、シアトルが最適の場所。」と彼は言う。「両方の祖父母もいるし、その他の親戚や友人たちもたくさん居るからね。」・・・・(以下省略)
                 

●シアトル・ポストの記事から、オルルッド選手のコメントを補足:
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/98923_mari07.shtml

オルルッド選手:「(メルビン監督が、遠征への家族帯同やクラブハウスに子供を連れてくることを認める、と約束してくれた事について―)もし、彼がそう言ってくれてなかったら、(自分の決断も)違っていたかもしれない。でも、とてもいい話し合いができたし、彼の考えも色々聞けた。彼のもとでプレーするのは、楽しいんじゃないかなと思う。・・・(この契約が最後か、と聞かれて―)まだあと2年は、いいプレーができると信じている。今はこれが最後の契約になるだろうと思っているけど、いつも言っているように、先の事は分からないからね…。2年後には状況が変わっている、ということもあるかもしれない。・・・(今後の目標について―)僕は、たえず向上し続けたいと思ってプレーしている。僕にとってのベストシーズンは1993年で、いつもその年のことを基準にして考えている。あの年は何から何まで上手く行って、打撃の調子も最高だった。それから1998年も.354を打って、調子がよかった。でも、それ以降は、以前のようにはコンスタントに.320〜.330あたりを打てなくなってしまった。だから、今の僕の目標は、コンスタントに打てていたあの頃のスィングを取り戻す事なんだ。」(抜粋終わり)

[15646] イチロー選手、メルビン監督と会って話す 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/05(Thu) 21:47
イチロー選手、やはり、シアトルでNBAの試合を楽しんでいたんですネ〜。(^-^)>さすらいのイチローファンさん

シアトルタイムスの記事にも、久しぶりにイチロー選手の名前が出てきたので、ご紹介しますネ。セーフコーでメルビン新監督と会って、色々と話をしたらしいです。(^^)

          *******************


      メルビン:「イチローは来季も先頭打者」
          ― ラリー・ストーン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134589731_mari05.html


MLBオールスターチームの一員として日本ツアーを終了したイチローは、今は妻とともにシアトルの自宅に落ち着き、定期的にセーフコーフィールドでトレーニングに励んでいる。

先週末はボブ・メルビンもたまたまシアトルにいたため、“スーパースター”(注:イチロー選手のことデス♪ )と彼の新しいボスは、セーフコー内の監督室で初めてじっくりと話す機会を持つことができた。

「(話し合いは)すごく良かったよ。」とメルビンは熱っぽく語ってくれた。彼はもう既に、アリゾナ州フェニックス市郊外のケーブ・クリークにある自宅に戻っている。「最初に気付いたのは、彼の頭の良さだった。何事もきちんと考えた上で話しているのだけど、(かといって、取っ付き難いわけでもなく)とても話しやすかった。私の考えを熱心に聞いてくれたしね。彼のような選手と仕事ができるなんて、とても嬉しいことだ。」

細かい所はヒデ・スエヨシに通訳を務めてもらいながら(メルビンによれば、イチロー自身の英語も、たいしたものだったそうだ)、2人は仕事の話と世間話に興じた。

「彼は、私の仕事のやり方について知りたがっていた―例えば、私がベンチではどんな具合か、とかね…。とても興味深い質問だと思ったね。」とメルビンは言う。「彼には、『勿論、私はベンチで感情を出すつもりだよ。ただし、チームにとってポジティブなエネルギーになるような方法でね。』と答えたんだ。」

2人は更に、“足を使う野球”に対するメルビンの考え方について話し合ったそうだ。新たにチームに加わったランディー・ウィンも先頭打者を務める事はできるが、新監督によれば、イチローを1番以外の打順で使うつもりは全く無い、とのことだ。

イチローの今シーズンの成績は、打率.321、208安打、111得点、31盗塁だった。それらは充分に立派な数字ではある。しかし、MVPをとった2001年シーズンの打率.350、242安打、127得点、56盗塁に較べると、全ての分野で落ち込んでいるのが分かる。イチローが首位打者を逃がしたは、1993年以来、初めてのことでもあった。

「私にとっては、彼は球界一の先頭打者だ。」とメルビンは言う。「彼は、典型的な先頭打者だと思う。ただ、他の打順で打てるかどうかと聞かれれば―例えば3番を打てる選手かどうかと聞かれれば、答えは『イエス』だ。でも、今は彼を1番から動かそうなんて全く考えていないし、彼に事前の相談無しにその可能性についてマスコミに話すような事もしないつもりだ。いずれにしても、私には、今はその気は全く無い。彼にも、彼が球界一の先頭打者だよ、と言ってある。今現在の状況は、そういうことだ。」

メルビンは、春期キャンプでいろんな打線を試してみるつもりでいるそうだ。今のところ、ウィンがイチローの後の2番に入る可能性が高い、とメルビンは言う。「でも、非常に融通性のあるチーム編成なので、他にも色んな可能性があるとは思うけどね。」

                              (以上)

[15620] ランディー・ウィン選手の入団会見 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/03(Tue) 17:12
連続書きこみ、失礼します。^^; シアトルでは、ランディー・ウィン選手の入団記者会見が開かれたようです。下記は、マリナーズ公式HPから:

             *********************

          ランディー・ウィンが町にやってきた
             ― ジム・ストリート ―

http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021202&content_id=181986&vkey=news_sea&fext=.jsp


ピネラ監督を手放す代償としてマリナーズがデビル・レイズから獲得した外野手ランディー・ウィンが、獲得後、初めてシアトルにやってきた。

セーフコー・フィールドを見て回ったウィンは、嬉しそうに目を輝やかせた。

「僕は、もともと広い外野が好きなんだ。」と彼は言う。「緑のスペースが沢山あると、自分が打った打球が落ちる場所が沢山ありそうな気がするだろう?―それに、守備でも、広い外野の方が好きだな。どんな打球でも、追いかけていって獲るチャンスがあるわけだからね。」

デビル・レイズではウィンはセンターを守っていたが、マリナーズではレフトに入る事になる。

「守備面では、彼は我々にとって大きな助けになる。」とギリックは言う。「これでウチの外野には、センターを守れる選手が3人も揃う事になるわけだ。少なくとも外野に関して言えば、来季のチームは、守備面でも攻撃面でも、今までよりもずっと良くなると思う。」

レフトからライトにかけてウィン、キャメロン、イチローと並ぶマリナーズの来季の外野は、守備的にはメジャーのどのチームにも負けないものになるはずだ。

「ランディーよりもウチにピッタリないい選手をみつけるのは、非常に難しいと思う。」とギリックは言う。「私は、ボルチモアにいた1998年から彼を見ているけど、この4年間で彼は随分成長した。彼は、これから先も、間違いなく伸び続けると思うよ。」

イチローとは、今年のオールスター・ゲームでミルウォーキー市内のホテルでほんの短い挨拶を交わした以外は、まだほとんど話した事のないウィンだが、このマリナーズのスター右翼手との再会を彼は非常に楽しみにしているのだそうだ。

「僕が両親と一緒にいるときに、彼に遭遇したんだ。」とウィンは記憶を辿る。「エレベーターの中で彼に出会って、自己紹介した。僕の両親も、彼に会えてすごく喜んでね。その時は、『こんにちは。タンパのランディー・ウィンです。』としか言えなかった。―たったそれだけさ。だって、エレベーターで一緒だったのは、ほんの2階分だけだったからね…。」

3ヶ月もすれば、そんな状況も変わる。

「春期キャンプが始まるのが、すごく待ち遠しいね。」

http://sports.yahoo.com/mlb/gallery/20021202/1038870367mariners_winn_rnr102.html
記者会見で笑顔を見せるウィン選手(…ちょっと、バーニー・ウィリアムス選手に似てるかな…?^^)


[15617] トーミ選手がフィリーズと契約へ!:オルルッド選手はいかに…? 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/12/03(Tue) 14:17
交渉事が全てストップしていた感謝祭の連休がようやく済んだと思ったら、早速、注目のトーミ選手が、フィリーズと6年契約を結ぶ決心をしたようです!これに連動して、今日から色んな事がどんどん動き出すものと思われます。

下記は、トーミ選手の契約を受けて、マリナーズの公式HPにアップされたオルルッド選手に関する記事です。新しい情報は何も入ってませんが、ニュース不足の折柄、とりあえずご紹介しておきますネ。^^;

           *************************
  

        M’sとオルルッド、いまだ交渉中
          ― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021202&content_id=181987&vkey=news_sea&fext=.jsp


どうやら、フィラデルフィア・フィリーズとジム・トーミ1塁手が、総額8,500万ドルの6年契約を結んだらしい。だが、ジョン・オルルッドと再契約しようと努力中のマリナーズは、このニュースを聞いても動揺はしていないようだ。

「このことが我々とジョンとの交渉にどんな影響を及ぼすことになるのかは、まだわからない。」とギリックGMは月曜にコメントしている。「本当に、まだ判断がつかないんだ。―でも、基本的なことをいえば、あんな金額を払ってもいいという球団が他にもあるとすれば、我々の交渉にとってはいいことではない。ウチの予算では、使える金額には限りがあるわけだからね。」

オルルッドとそのシアトル在住の代理人、ジョー・マキントッシュにギリックが提示しているのは、3年目のオプション付きの2年契約だと言われている。月曜の朝にコメントを求められたマキントッシュは、マリナーズとの交渉のみならず、どこの球団との交渉についても、「まだ話し合いをしている最中だ。」という以外に、何も語ろうとしなかった。

マキントッシュは、トーミの契約(健康診断をクリアしさえすれば正式に決定する)については知っているとしたものの、それが自分のクライアントの交渉にどういう影響を及ぼすかについては言及を避けた。

今年フリーエージェントになった1塁手の中で、トーミは明らかにトップクラスの選手だが、オルルッドにしたって、そのトーミに較べてそう見劣りがするわけではない。3年契約の最後の年だった今シーズンに695万ドルを稼いだ34歳のオルルッドは、チーム内で最も安定した活躍をした選手の1人。154試合に出場し、打率.300、打点122を記録し、守備率においてもAL第3位の.996だった。

確かに、これらは大幅な昇給に相応しい数字には違いない。だが、今年のメジャーの経済状況は例年とは少々様相を異にしているし、マリナーズにしても、競争の激しいAL西地区で優勝を狙えるチームであり続けたいとしながらも、賢明なビジネス判断を下そうとするその決心には揺るぎはない。

来季の年俸総額限度額の9,200万ドルに急激に近づきつつある中で、はたしてマリナーズにオルルッドとモイヤーの両方と契約できるだけの金銭的余裕があるのか―と言う疑問もある。ギリックにしても、なんとかしてやってのけたいと思ってはいるものの、絶対に成功するという自信があるわけではない。

「今の時点では、どちらの選手とも何の進展もない。」と、ギリックは月曜にコメントしている。

モイヤーの場合は、マリナーズとフィリーズから正式なオファーが届いている模様。フィリーズは、もう1人の左腕・トム・グラビンとも交渉中で、もしこの契約が成立すれば、マリナーズがモイヤーと再契約できるチャンスは増すことになる。

だが、もしグラビンが他に行ってしまうようなことになれば、フィリーズはモイヤー獲得に金銭面も含めて全力で乗り出してくるものと思われ、ペンシルバニア州(注:フィラデルフィアのある州)出身のモイヤーがそちらになびく可能性は高い。だが、たとえモイヤーが抜けるような事があっても、少なくとも、マリナーズには代役を務められるジョン・ハラマがいる。

だが、通算打率.300、229本塁打、1,062打点を記録しゴールドグラブ保持者でもあるオルルッドの穴を埋めるのは、もっともっと難しい。もしシアトル出身のオルルッドが2003年に戻ってこない事になれば、「我々は、他の道を探すしかない。」とギリックはコメントしている。
                               (以上)

[15597] モイヤー投手、自分で交渉中^^; 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/11/27(Wed) 14:11
シアトル・タイムスのフィニガン記者によれば、メルビン監督の新しいコーチ陣も、今日明日中には発表されるのではないか―ということらしいです。でも、モイヤー投手との契約交渉は、まだもう少し時間がかかりそう…。

下記は、トリビューン・ニュースに載ったモイヤー投手の近況ですが、松井選手ではありませんが、なんと代理人を立てずに、自分自身で契約交渉にあたっているようです…!彼ほどの勉強家なら、きっと齟齬無くこなすのでしょうけど、それにしても、大変そうです。ギリックGMにうまいこと“丸め込まれて”(笑)、なんとか無事マリナーズと契約してくれるといいんですけどネ…。(^_-)

                *********************


            モイヤー、自分自身のエージェントを務める
                ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2224315p-2292042c.html


先週、40歳の大台にのり、この2年間でキャリア最高の成績を収めたジェイミー・モイヤーは、今度の契約がキャリア最後のものになるだろうと思っている。

パワーピッチャーが幅をきかすこの世界で、彼は、頭脳と粘り強さと67〜78マイルしかでないチェンジアップに頼っている。他の選手達がロッカールームでの暇つぶしに狩りや魚釣りや車に関する雑誌を読んでいる間に、彼は1人でワインに関する本に没頭していたりするのだ。

そして、この左腕投手は、今回も独自の道を進むことを選んだ。

このオフシーズン、彼は自分自身がエージェントとなって、自分1人で契約交渉にあたる事にしたのである。

「ここ数年、考えていたことなんだ。」とモイヤーは月曜に語ってくれた。「僕が10年間所属していた事務所が、最近なくなってしまってね…。担当だったエージェントも他へ移ってしまったんだ。じゃ、今後どうするかってことになって、こういう決断をしたってわけだ。」

―そして今、“投手モイヤー”の代理人を務めているのは、“代理人モイヤー”なのである。

この2ヶ月の間に、モイヤーは、マリナーズとフィリーズの他に、「4〜5チームと」話をしてきたという。マリナーズとフィリーズは大っぴらに彼にアプローチしてきたが、他のチームは交渉を公にしたくないようなので、彼も先方の意思を尊重してチーム名は明かさないつもりとのことだ。

いまのところ、モイヤーが新人エージェントとして経験した唯一の不都合は、彼自身ではどうしようもない事柄だったらしい。

「選手組合は、全ての選手とそのエージェントのリストを管理していて、問い合わせてきた球団には、その選手が使っているエージェントの電話番号を教える事になっている。」とモイヤーは言う。「だから、僕はシーズンが終わる前に、何回も何回も選手組合に確認したんだ―僕のエージェントの欄に、“自分自身でエージェントを務める”ってちゃんと書いてあるかどうかね。それなのに、何球団かが問い合わせをしたら、組合は僕の電話番号を教える事を拒否したんだそうだ…。だから、それらの球団は、他の方法で僕に連絡をとらなくてはならなかった。」

この秋は学習の連続だ、とモイヤーは言う。

「今、手順のどの段階に来ているのかが、よくわからないんだよね。多分、まだ予備的な話し合いの段階なんだと思う。」と彼は言う。「今は、相手側の話をじっくり聞いているところ。かなりいい反応をもらっているんで、思い切ってやってみてよかったと思っている。でも、どういう結果になるのかは、まだわからない。まだ何も終わっていないんでね。」

この決断を下す前の彼は、野球をする時と同様、下準備にはかなりの時間をかけたそうだ。ノート何冊分もの情報を集め、何人もの知恵を借り、自分より知識のありそうな人には片っ端から話を聞いて回った。

「まず、コンタクトしてきた球団を研究する。そして、彼等の必要としているものを把握してから、僕に対する彼等の考えを聞く。すると、相手のイメージが自分自身の考えと一致しないこともあるってことがわかってくる。まだ本格的な“交渉”をするには至っていない。今年のFA市場は、まるでカタツムリのようにゆっくりとしか動いていないからね。トム・グラビンですら、まだ決まっていない―彼は、今年の市場一の左腕投手だっていうのに。彼が決まれば、自分に関してもなにか動きがあると思う。」

モイヤーが拘っているのは、契約の金額よりも年数のほうだ。今年40歳とはいえ、彼が今シーズン記録した3.32という防御率は、彼にとっては今までで最高の数字だ。

この5年間で、彼は200イニング以上を4回も投げており、1996年にシアトルに移籍してからの成績は、94勝48敗、防御率3.80である。

「彼は40歳かもしれないが、15歳も年下の多くの投手達よりは、よっぽどコンディションがいい。」とフィリーズのラリー・ボーワ監督は言う。「それに、彼はピッチングというものを知り尽くしている。彼にとっては、球速が落ちても、なんの問題も無いんだ。」

マリナーズは彼に戻ってきてもらいたい一心で、2年契約にも応じる用意をしている。しかし、モイヤーの要求は3年契約だ。

「どのチームのどんな話も、聞くつもりだよ。」と、モイヤーは言う。「僕は、自分が他の投手達と較べてどういう位置にいるのか、自分の成績が他に較べてどうなのかを、全部把握している。でも、そういうのは、交渉のほんの一部でしかないんだよね。僕はこの業界の事はよくわかっているつもりだけど、今はどのチームも、どれだけの金額をどういう選手に使うのかとかを含めて、今後進むべき道を模索している真っ最中なんだ。だから僕は、“いついつまでに契約しなきゃいけない”などという予定とか期限とかは、最初から全く設定せずにこの作業に入った。」

シアトルに残留する事がベストではあるものの、選択肢は他にも沢山あることもモイヤーは知っている。

「最近数えてみたんだけど、僕がプロに入ってから、なんと60回も動いているんだよね。」とモイヤーは言う。「若い頃、かなり転々とした。呼ばれて上へ上がったと思ったらすぐに下に落とされたり、とにかくあちこち行かされたんだ。それにしても、60回って言う数字は、自分でもちょっと信じられないぐらい凄いと思う。シアトルに残りたいのは山々だけど、もし動かなくてはならなくなったとしても、初めてってわけではないからね…。」

モイヤーとマリナーズは、今週中にも、また話し合いの席に着くことになっている。ほとんどの選手がオフシーズンを家族とべったり一緒に過ごす時間にしている中で、モイヤーは、自分がエージェントとしての活動を行っていても、家族生活には何の支障もないという。

「この辺りでは、土曜日はホッケー・デーなんだ。ウチには、ホッケーをする子もいるし、バスケットをしている子もいる。」と彼は言う。「だから、モイヤー家には長期休暇なんてものはないんだ。僕が外で仕事をしている間、子供たちは子供たちでする事が山ほどあって、皆、いつでも忙しいからね。」

他の選手にも、彼のとった道(自分自身のエージェントになること)を薦めるのだろうか…?

「若い選手には、多分、薦めないね。」とモイヤーは言う。「こういうことは、この業界の事を良く知っていれば知っているほど、有利なわけだから―。ひょっとしたら、僕だって付け込まれてしまうかもしれない。まだ終わっていないので、今の段階ではなんとも言えないけどね…。でも、僕は自分が何が欲しいか良く分かっているし、現実的な人間でもあると思っているから、大丈夫じゃないかとは思っている。球団にとって球団運営はビジネスかもしれないけど、僕のキャリアだって、僕にとってはビジネスなんだ。選手の中では、こういう事をしている人はあまりいないけどね。ジミー・キーズの奥さんが、暫くの間、彼のエージェントをしていた事があったし、確か、昨年は、セント・ルイスの選手の誰かが自分で自分のエージェントをやっていたと思う。」

現段階では、モイヤーは自分で電話をして話を聞き、あとはじっと待つ、ということをしている―。そして、機が熟して契約に同意する段になれば、彼は弁護士に頼んで契約書を読んでもらい、それからサインをするつもりでいる。

「“自分で何でもできる”と言い切るほど、僕は自惚れてはいないからね―。」とモイヤーは言うのだった。

                               (以上)^^;

[15520へのレス] Re: あの辛口のNYTimes紙(... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/11/18(Mon) 15:57
これは、例の辛口記者さんが、日米野球第6戦終了時点で書いた記事ですネ。^^;

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          レベルが上がってきた日本の選手達 
             ― ケン・ベルソン ― 
http://www.nytimes.com/2002/11/17/sports/baseball/17STAR.html


MLBオールスター達の1週間にわたる日本でのツアーが終了しようとしている今、彼らは、日本が単なる“イチロー・スズキとヒデオ・ノモの国”ではない事を学びつつある。日本チームの安定した守備力と抜け目のない投球術、そして何にも増して、その強力な打撃力が米国の選手達の油断を衝き、この7試合勝負のシリーズを、いつになく競ったものにしている。

日本チームの説得力あるプレー振りは、マリナーズにおけるスズキの最近の成功が、決してまぐれではなかった事を改めて証明した。さらには、近年、毎年1人2人と続いていた日本人選手たちの米国への流出が、この数年の内には大奔流となる可能性も示した。実際のところ、今週、最も注目を集めていたのは、日本のトップの強打者たちの来るべき離日で、その筆頭に挙げらていたのが、日曜の試合が読売ジャイアンツのユニフォームを着ての最後の試合になると思われているフリーエージェント、ヒデキ・マツイである。

今年50本塁打を放った松井の獲得に関しては、どうやらヤンキースが優位な立場にいるようだ。ヤンキースのブライアン・キャッシマンGMは、まだ直接松井と話した事は無いものの、日本のセ・リーグの最優秀選手の松井に興味があることを認めた。

「我々は、もちろん彼の能力を評価している。」とキャッシマンは言う。

キャッシマンとヤンキースは、日本国内における長期的なビジネス好機をも見据えている。今日、彼らは読売ジャイアンツとの包括的合意書にサインした。その合意の中には、アジア地域の有望な選手に関するスカウティング情報の共有なども含まれている。

松井の今回の“お別れツアー”は、散々なものになりつつある。打率は.100ちょっとと低迷し、ホームランも1本も打っていない。

にもかかわらず、日本チーム全体としての打撃は好調だ。中でも目立っていたのは、同じくフリーエジェントでメジャーへの転身を考慮中の近鉄の3塁手ノリヒロ・ナカムラだ。また、日本が7―12で負けた今日の試合では、西武の遊撃手カズオ・マツイ(ジャイアンツのヒデキとは血縁なし)が、左右の打席からホームランを一本づづ打ってみせた。

日本打線のパワーの増加が、日本に最初の3戦の勝利をもたらした大きな要因であり、かつ、1990年以来初となるシリーズ負け越しの可能性を、米国オールスターチームに突きつけている。また、より強力になった彼等の打撃力は、長らくアメリカで信じられてきた「日本には巧投手は沢山いても、打撃は貧弱」という概念を打ち砕いた。

「私が6年前に来た時に較べると、ずいぶん向上している。」とMLBオールスターチームのハウ監督は言う。「打線に厚みが出た。日本のピッチングはいいと以前から思っていたけど、打撃の方も追いついてきている。」

また、日本は、派手さはないものの、エラーの少ない堅実な守備と積極的な走塁も見せている。これらは、ほぼ一年中続けられる練習と、試合のある日にも延々と続けられる訓練の結果である。

さらに、選手達は、基本的なミスを犯さないように習慣付けられている。投手有利のカウントに持ち込みながらヒットを打たれた投手には罰金が課せられ、試合後には、コーチ達が反省会を開いてその試合のミスを列挙する。

「日本の選手達は大型化してきて、以前よりもパワーのある打撃をするようになってきた。」と1960年代にサン・フランシスコで投げた経験のある現解説者のマサノリ・ムラカミは言う。「でも、技術や選球眼なども、相変わらず高いレベルを保っている。」

もちろん、以前はこうではなかった。MLBオールスター達は、1908年から日本に来ているのだが、最近までは圧倒的な強さを誇示していた。例えば、1934年のベーブ・ルースやルー・ゲーリックが率いたチームは、16戦全勝だった。ジョー・ディマジオ、ボブ・ギブソン、ハンク・アーロンらが率いたチームも、それぞれ圧勝した。

日本チームが初めて勝ち越したのは、1970年のサン・フランシスコ・チーム相手で、オールスターチームに対する初勝ち越しは、1990年だった。最近は、勝敗が割れる事が多くなった。多くのMLB選手達がこの日本でのシリーズを“楽しい余興”とみなしている一方で、日本の選手達は真剣に取り組み、メジャーの選手達相手に自分たちの実力を測るために利用している。観客の入りもよく、テレビでも全国中継されているこれらの試合は、居並ぶ代理人やスカウト達の前で自分たちの技術を披露する恰好の場でもある。

かなりの数の日本人選手達が米国のチームと契約できるだけ上手くなってきたとは言え、米国での成功が約束されたわけではない。サン・フランシスコは、今年の成績が打率.238、9本塁打と今ひとつ振るわなかったツヨシ・シンジョウ外野手を、今週、解雇した。ヒデキ・イラブとマック・スズキの2投手も、アメリカでの不安定なキャリアに終止符を打って、日本に帰りそうな気配だ。

日本人選手たちは、これからもアメリカ球界に自分達の適所を見出し続けることだろう。

「今回、目に付いたのは、日本の選手達のレベルの高さだった。」とアナハイムのデービッド・エクスタイン遊撃手は言う。「イチローが我々のリーグで成し遂げた事を見れば、日本の選手達の上手さは、充分に予想できたことだ。」

(以上)

[15521] メルビン新監督とは、こんな人:パート2(^^) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/11/18(Mon) 01:42
FA等に関する新しいニュースが今のところないようなので、メルビン監督就任関連の記事を再びお届けします。今度は、地元紙シアトル・ポストのデービッド・アンドリーセン記者の目から見たメルビン像です。

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    ●マリナーズの新監督は、ピネラとは正反対●
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/95984_mari16.shtml



ボブ・メルビンは、まるでファッションカタログから抜け出てきたような男だ。

背が高く、日焼けしていて葦のように細く、仕立てのいい濃紺の背広に身を包み、へアスタイルにも少しの乱れもない。ハンサムで、41歳の年齢よりずっと若く見える。北西部地域の女性達は、このマリナーズの新しい監督にうっとりとして夢中になるに違いない。
http://seattlepi.nwsource.com/photos/photo.asp?PhotoID=16058(この写真なんか、まさにそんなかんじですよね^^;)

(前任者がしていたように)下着姿で監督室のデスクに陣取って、3日間伸ばしっぱなしの髭面で際限なくタバコをふかしながら昔の野球話を記者達に話して聞かせる・・・そんなメルビンの姿を想像する事は不可能だ。

マリナーズは、メルビンにルーとは正反対の姿をみつけたのである。

「ルーは、伝説上の人物―ほとんど、劇画のキャラクターのような人だ。」とメルビンは、昨日の朝の記者会見で語った。「球界最高の監督の1人で、非常に個性的でもある。彼の真似をしようなんて、私は考えてもいない。」

パット・ギリックGMも言っていた通り、「ルーはルーだ。ルーのような男は、他に誰もいない」のである。

メルビンは、数々の長いインタビューにそつ無く答えた。ギリックや他のマリナーズの役員たちを魅了した落ち着いた立ち居振舞いとカリスマ性を遺憾なく発揮しながら、彼は地元のラジオ局や年季の入った新聞記者たち、そして日本のテレビ局へのインタビューに至るまでを、次々とこなしていった。12人の候補の中から選ばれたメルビンは、10人の候補者達が散々厳しい質問攻めにあった後、11番目の候補として面接に臨んだのだった。

過去2年間はアリゾナ・ダイアモンドバックスのベンチコーチだったメルビンは、マリナーズと2年契約を結んだ。3年目の契約は、球団側のオプションになっている。両サイドとも、金銭的内容は明らかにしなかった。

球団役員とともに記者会見に臨んだメルビンは、会見終了後に地下通路を経てグランドへ導かれ、そこで球団職員たちに拍手で迎えられながら、初めてマリナーズのキャップを被った。スコアボードには彼の写真と、彼と彼の家族を歓迎する旨のメッセージが掲示された。

「我々は彼を雇う事が出来て、とても、とても嬉しく思っている。」とギリックは言う。「ボブは頭の切れる男で、仕事振りにもそれが良く現れている。彼と付き合っていくうちに、誰もが彼に好意を抱き、尊敬するようになると確信している。我々は、彼が、既に自身で体験済みのゴールに向かって、マリナーズを導いてくれる事を楽しみにしている。彼は、2001年ワールドシリーズの優勝リングを、既にその指にはめているからね。我々が欲しいのも、同じものだ。―ただし、“ガラガラヘビ”(=ダイアモンドバックス)のロゴ入りのではなく、マリナーズのロゴ入りのだけどね。(笑)」

ファンの多くは、教育リーグ以外では全く監督経験の無い男を選ぶ事によって、マリナーズはその目標値を低く下げてしまったのではないか―と懸念してきたのだが、昨日のセーフコーでの会見を見る限り、そんな雰囲気は微塵も感じられなかった。関係者全員が、はっきりと“優勝”を目標に掲げてみせたのだ―しかも、来季の優勝を。

「(それまでの3回の監督経験では振るわなかった)ジョー・トーレは、ヤンキースに行った途端に4回もワールドシリーズ優勝を果たした。」とジェフ・ネルソンは言う。「ボブ・ブレンリーだって、放送席(解説者を務めていた)から監督職に飛び込んだその年に、ワールドシリーズを勝った。そして、今年は、マイク・ソーシアが優勝したじゃないか。(ソーシアも、監督経験は浅い)」

「この球団が目指しているのは、勝つことだけだと私は思うし、それが、我々の目標の全てになるだろう。」とメルビンは言う。「このチームは、既に個人的目標を掲げるレベルにはいない。個人記録が大事なのではなく、ワールドシリーズ優勝が目標なのだ。チームの中核には、そういう心意気の選手達が揃っていると思う。」

その“チームの中核の選手達”のほとんどは、警察の面通しの容疑者の列(police lineup)の中からメルビンを選んでみろ、と言われても、きっとできないだろう。2000年シーズンにデトロイト・タイガースでベンチコーチを務めた以外は、1994年に引退して以来、メルビンはアメリカンリーグのダッグアウトには入った事が無いからだ。

「皆が知っている事以外は、知らないな。―元捕手でコーチをしていて、アリゾナでワールドシリーズ優勝を果たした、ということ以外はね。」とカリフォルニアの自宅からポール・アボットは言う。「球界内で一目置かれている人らしいから、ウチのようなベテラン揃いのチームにはいいことだと思う。色々聞いたことから判断すれば、ウチにはピッタリなんじゃないかな。彼が悪く言われるのは、聞いた事がないよ。」

どんな新監督にとっても、最初の目標は、チーム内の選手達を味方につける事だが、全ての情報を総合すると、メルビンには、それができるだけの人間性が備わっているようだ。マリナーズも、くり返し、メルビンのコミュニケーション能力の高さを彼の一番の長所としてあげている。

しかしながら、ピネラのように過去の実績に裏付けられた“権威”を振りかざして選手達を従わせる事は、メルビンには出来ない。この新監督は、上司としてではなく、選手達と同じ世代の後援者として、彼らにアピールしていくつもりのようだ。実際、彼は何人かの選手達とは、まさに同年代だ。エドガー・マルチネスやジェイミー・モイヤー、そしてノーム・チャールトンよりは、1歳ほどしか年上ではない。

「私としては、年齢が近い分、かえって意思の疎通がはかりやすいのでは、と思っている。」とメルビンは言う。「現役時代に対戦した事のある選手達が何人かいるぐらいのほうが、私のほうがずっと年上で重なる部分が何もないより、やりやすいと思う。」

「(ルーとメルビンとは)全く違う野球世代だからね。」とアボットは言う。「ルーは、70年代気質だし、70年代の野球をする…ラリー・ボーワのようなね。かたや、ボブ・メルビンは、新世代の野球をするだろう。というか、少なくとも、10年前の野球をネ。」

「メルビンは、我々の年代に近い。」とネルソンは言う。「選手によっては、その方がやりやすいと思うかも。」

メルビンは、これから選手達の電話番号簿を手に入れて、片っ端から連絡を取る作業に入るつもりだそうだ。また、オフシーズンにセーフコーやフェニックス(アリゾナ州の町。メルビンの自宅もその辺りにある。)にトレーニングにやってくる選手達にも、直接会えればいいと思っている。コーチ選びも大事な仕事だが、これについては、まだコメントする段階ではないそうだ。

ブライアン・プライス・ピッチングコーチは来季も戻ってくるとマリナーズが既に宣言しており、モーゼス1塁コーチとマイヤーズ3塁コーチ以外のコーチ陣は、タンパのピネラのもとや他の職場へ移ってしまっている。メルビンがアリゾナのスタッフをブレンリーから奪う事はほとんどないと思われるので、モーゼスやマイヤーズにも、残留するチャンスはあるのかもしれない。

奇妙な事に、メルビンとプライスは、今までお互いに会ったことがないのだそうだ。2人ともサンフランシスコ周辺で育ち、年齢も1歳違うだけ、両方ともカリフォルニア大学バークレー校で野球をし(ただし、メルビンはプライスが入学してくる前に去っている)、その後、ずっと同じ球界に身を置いている。明るくて人懐っこい性格のプライスは、メルビンのいい評判を聞いているので、何の心配もしていないと言う。

「1年一緒にやっていくうちに、いい関係を築けると確信しているよ。」とプライスは言う。

今回の抜擢は、メルビンにとっては、かなり早い出世となる。選手としてはパッとしないままメジャーで10年間を捕手として過ごしたメルビンは、その後のコーチとしてのキャリアも4年しかない。マリナーズの面接に招かれただけでも嬉しかったのに、最終的にマリナーズのユニフォームを着ることになったのには、本人も心から驚いていたようで、(ちなみに、背番号は3。どうやらアレックス・ロドリゲスの付けていたこの番号は、欠番にはならないようだ…。)「素晴らしすぎて、信じられないくらいだ。」とコメントした。

「かなり厳しい質問攻めにあった。」と彼は面接について言う。「でも、どうやら、そのうちのいくつかには、正しい答えを言えたみたいだ―私が今日、ここにいるってことはネ…。」

「私は、夫をとても誇りに思っています。」とメルビンの妻、ケリーは言う。彼女は、娘のアレクシー(13歳)と一緒に、この騒ぎをずっと見守っていた。「監督職につくことが、引退してからの―いえ、もっとずっと前からの、彼の夢だったんですから。」

これからは、マリナーズのファンは、もう“ベース投げ”や“帽子蹴り”等のパフォーマンスを見ることはできなくなるだろう。「ボブは、もうちょっと自制心を発揮すると思うよ。」とメルビンに最初にコーチとしての職を与えたフィル・ガーナーは言う。派手で強引なピネラのスタイルには、マリナーズの上層部がそろそろウンザリしてきていて、もう少し御しやすい人物を求めたのでは…という憶測も飛び交っていたのである。しかし、昨日の会見で、ギリックは、メルビンの採用はピネラに対する不満の表れでは決してない、と強調した。

「そういう憶測を言う人も出てくるかもしれないが、それは正しくない。」とギリックは言う。「私がここに来てから、彼(ピネラ)は、300勝もしているんだ。我々は、来年こそは優勝できると思っていたので、彼が去ることになって非常に落胆した。確かに、お互いに意見の相違はあったが、この3年間に、彼と私が言い合いをした事は、一回も無かったと思う。」

「ファンの人たちは、今回の事を(メルビンを選んだ事)“リスクを冒している”と思うかもしれないが、我々は、全くそういう風には思っていない。」

「私は、心から、ボブ・メルビンがこの仕事にうってつけの男だと確信している。」とマリナーズのハワード・リンカーン会長も言う。「彼は、野球に関する卓越した専門知識のみならず、行動力と判断力、知性、そして優れたリーダーシップとコミュニケーション能力を兼ね備えた男だからだ。」

さらには、彼の一分の隙もない身だしなみの良さのことも、忘れてはならない。これから、新しい時代が始まるのだ。
                   
                              (以上)

[15488] メルビン新監督とは、こんな人(^^) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/11/16(Sat) 16:19
マリナーズ公式HPに、早速、メルビン監督の紹介記事がいくつか載っていましたので、そのうちの2つをご紹介します。

まずは、記者会見の写真から:

http://sports.yahoo.com/mlb/gallery/20021115/1037399238mariners_manager_emt103.html
http://sports.yahoo.com/mlb/gallery/20021115/1037402108mariners_manager_emt106.html
記者会見での笑顔。背番号は3番…!

http://sports.yahoo.com/mlb/gallery/20021115/1037401029mariners_manager_emt105.html
娘さん(アレクシー)は13歳。

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●マリナーズ、新監督にメルビンを選ぶ●
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021115&content_id=177538&vkey=news_sea&fext=.jsp


シアトル・マリナーズは、金曜日にセーフコーで開かれた記者会見で新監督のボブ・メルビンを紹介した。新人監督は、マリナーズを指揮する機会に恵まれて、明らかに嬉しそうだった。

「最初に知らせを受けた時は、かなりビックリした。夢が叶った瞬間だったからね。」と彼は言う。「落ち着くのにちょっと時間がかかったけど、数分たってやっと実感が湧いてきた。自分にとっては、こんな素晴らしい事はない。」

この2年間をアリゾナ・ダイアモンドバックスのボブ・ブレンリー監督のもとでベンチコーチとして過ごしたメルビンは、マイナーでもメジャーでも監督を務めた経験はない。しかし、マリナーズのパット・ギリックGMは、そのことは心配してはいないという。

「ファンの人たちは、彼の経験のなさを危惧するかもしれないが、我々は、そうは思っていない。」とギリックは言う。「彼には、この仕事を引き継いで今まで通り勝ち続けるために必要な、全ての資質が備わっている。我々は、ボブに全幅の信頼を置いている。」

マリナーズと2年契約を結んだ41歳のメルビンは、アリゾナの教育リーグで監督を務めた経験はある。

「誰でも、“最初”の機会をもらわなくてはならない。」とメルビンは言う。「ダスティー・ベーカーにだって、同じく新人の時代はあったはずだ。私は、実績から行けばダスティーには遠く及ばないが、野球界には、選手としてはたいした実績はなくても、最終的には立派な監督になった人は、沢山いる。そういう人たちも、どこかの時点で、最初のチャンスをもらわなくてはならなかったはずだ。私にとって、これ以上の素晴らしいスタートはないと思っている。」

メジャーで10年間捕手としてプレーしたメルビンは、692試合に出場して生涯打率が.233。所属したチームは、デトロイト、サンフランシスコ、ボルチモア、カンサス・シティー、ボストン、ヤンキース、ホワイト・ソックスの7球団。

今回のこの話は、新監督、特に彼のような新人監督にとっては、珍しいケースだ―とメルビンは言う。「初めて監督に就任する時というのは、たいていの場合は、成績の振るわないチームに呼ばれる事が多いはず。でも、今回の私の場合は、チーム状態を好転させるために呼ばれたのではない。私のここでの仕事は、この数年間に培われてきたものを引き継いで、更に伸ばしていくことだ。」

シアトルは、過去3年間で300試合を勝っており、2001年には、ALタイ記録となる116勝までも記録している。さらに、メルビンには“ピネラの後を継ぐ”というチャレンジも待っている。過去10年間マリナーズの指揮を執って来たピネラは、その間に勝率.542を記録し、3回のAL西地区優勝、4回のプレーオフ進出を果たしているのだ。

「ルーは、ほとんど伝説上の人物だ。」とメルビンは言う。「彼は球界最高の監督の中の1人だし、そして、このチームも球界の模範的存在だ。私は、既に素晴らしい状態にあるチームで、今まで通りに勝ち続けることを期待されている。それが、私の今の状況だ。」

マリナーズの球団最高責任者、ハワード・リンカーンはこう付け加えた:「私は、ボブ・メルビンが、この仕事にうってつけの人物である事を確信している。彼は、豊富な野球知識の持ち主であるだけではなく、行動力、優れた判断力と知性、そしてずば抜けたリーダーシップとコミュニケーション能力をも兼ね備えた男だ。」

                               (以上)

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●几帳面で野球に精通した新監督●
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021115&content_id=177897&vkey=news_sea&fext=.jsp

メルビンのコーチとしての貴重さは、どれくらいだったのだろうか…?

ボブ・ブレンリーが2000年の秋にダイアモンドバックスの新監督に就任した時、彼が最初にスタッフに加えたのが、当時フィル・ガーナー率いるデトロイトでベンチコーチを務めていたメルビンだった。

アリゾナに住まいのあるメルビンを、ダイアモンドバックスはベンチコーチとして引きぬく事に成功したのだが、その後の6ヶ月というもの、ガーナーは、親友のメルビンと口をきかなかったそうだ…。

「―凄く頭に来てたんでね。」とガーナ―は言う。「私にとっても、チームにとっても、彼はとても大きな存在だったんだ。彼がチームを去るには、ちゃんと妥当な理由はあったんだが、彼が行ってしまった時は、私はちょっと鬱になってしまった。それだけ、彼のうちでの役割は大きかったってことなんだ。私よりも彼の方が長けていると思う分野については、私は何の心配もなく彼に全て任せていたし、また彼は立派にそれらをこなしてくれていた。」

マリナーズの12代目の監督に就任したメルビンは、細部に気を配る勤勉な男だ。

4人の最終候補者の中で最年少のメルビンは、ただ1人、監督経験のない候補でもある。41歳のメルビンの唯一の監督らしき経験と言えば、1999年秋のアリゾナ教育リーグでのものだ。しかし、彼を良く知り、一緒に仕事をしたことのある人たちに言わせれば、彼は経験不足ではあっても、野球知識の豊富さにかけては誰にも引けを取らない、とのことだ。

「彼は、いつでもしっかり準備ができていて、何事もきちんと把握している。」アリゾナの3塁コーチのエディー・ロドリゲスは言う。「1番最初に私の目を引いたのが、彼のそういうところだった。春期キャンプ中など、練習スケジュールが1分でも予定からずれていると、彼はちゃんと気付いてそのことで私に言ってくるんだ。彼は、このチャンスを貰うに充分値する仕事をしてきたと思うよ。」

1994年のシーズン後に選手として引退したメルビンは、一年間の休養を経てブリューワーズのスカウトとして業界に戻った。1997年には巡回コーチを務め、1998年にはブリューワーズのサル・バンドーGMのアシスタントとなった。次の年にはガーナ―監督のもとでベンチコーチになり、2000年にガーナーがタイガースの監督に招聘されると、ベルビンも一緒に移籍した。

メルビンはメジャーで7チームで合計10年間プレーし、生涯打率.233、35本塁打、212打点を残している。彼は3年間ジャイアンツでプレーした事があり、その時プレンリーと交替で捕手を務めた。2人は親友となり、長い時間をかけて、よく一緒に野球や戦術について話し合った。

「彼とは非常に親しかったので、私が監督になった時、野球の知識が豊富で友人でもある彼をコーチとして雇って、いい相談相手になって欲しいと思ったんだ。」とブレンリーは言う。

ダイアモンドバックスでの仕事は、ブレンリーにとっては監督としては初めてのものだったので、メルビンに頼る部分が多く、春期キャンプでの練習メニューやスケジュールを組み立てたのは、全てメルビンだった。試合中には、メルビンはいつでもブレンリーのすぐ傍にいて、事前に偵察レポートを念入りに読んで得た知識の数々を、ブレンリーに提供し続けた。

「彼は、いつもきちんと“予習”をしていた。」とダイアモンドバックスの打撃コーチのドゥエイン・マーフィーは言う。「彼は、全てのレポートに目を通していた―打者に関してのも、投手に関してのも、全てだ。内容を完璧に把握していたし、準備万端だった。」

メルビンがサンフランシスコでプレーしていた時の監督がロジャー・クレグで、彼はクレグから多くのことを学んだ。クレグは、1987年にジャイアンツをナ・リーグの優勝決定シリーズに導き、1989年にはワールド・シリーズにまで導いた。

「私たちは、似たような考え方をする。」とメルビンはブレンリーについて言った事がある。「2人とも、ロジャーを見ていて学んだ事が多い。ロジャーは、我々ふたりに大きな影響を及ぼしたと言えるね。」

メルビンがサンフランシスコに在籍していた時代に、短期間だけ一緒にプレーした経験のあるアリゾナのマット・ウィリアムス3塁手は、メルビンがチームに居なくなるのは、実に残念だ、と言う。

「彼は、立派に仕事をこなすと思う。」とウィリアムスは言う。「選手たちとも非常にうまく付き合えるし、ベンチコーチとして、監督と一緒に戦術決定にも携わっていたからね。」

アリゾナで、メルビンは、度々監督と選手たちとの間のパイプ役も務めた。そういう優れたコミュニケーション能力も、今度の新しい役職には、大いに役立つはずだ。

「彼は、スター選手たちとも、ロスターの25番目の選手とも(控えの最後尾の選手のこと)、どちらとも非常にうまくやれる男だ。」とガーナ―は言う。「彼は思慮深いし、野球を離れた日常生活でもそうだ。間違いない。彼は、いい監督になるよ。」

                        (以上)

[15422] ESPNの日米野球の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2002/11/13(Wed) 17:35
その後、NYタイムスに載っている記事は、AP通信の無味乾燥な記事のコピーばかりで、例の辛口記者の記事はまだ見かけていません。^^; そのかわりに、お馴染みのESPNのジム・ケープル記者の記事をご紹介します…。^^;

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    MLBオールスター・チーム、日本でいいとこなし(a big flop in Japan)
              ― ジム・ケープル ―
http://espn.go.com/mlb/columns/caple_jim/1459715.html


ニューヨークのタブロイド紙を賑わすかもしれない最終面の見出しが、今から目に見えるようだ―。『日米間の貿易不均衡、更に増大す!』、『汚名の日々!』、『ダメダメ・メジャース、日本へ行く!』。そして真打ちはもちろん、『スィート・ルーは何処に?』(注:メッツがピネラ監督を取り損ねて、格の落ちるハウ監督で我慢した事に対する皮肉)だ。
   
日本オールスターズと3試合を戦い終えた現時点で、アート・ハウ監督率いるMLBオールスター・チームは、24失点、0勝3敗という成績だ。MLBチームは今後残り試合を全勝しないと、日米野球史上、2回目となる不名誉の負け越しを喫してしまう事になる。1990年に初めて負け越した時は、そのあまりの屈辱的な結果に、MLB側がその後の選手の選び方を大幅に見直したほどだ。

ハウ監督はといえば、まだ新天地(メッツ)でのコーチ選びも済んでいないというのに、もうメディアに叩かれ始めている。MLBチームが全日本に6−8で負けた大阪ドームでの試合後、1人の日本人記者がハウに次のように訊いたのだ:「崖の先端に立って、崖下を覗き込んでいるような気分がしているのでは―?」(“Do you feel like you are standing on the edge of a cliff and looking down?”)

全く…!ニューヨークのメディアが何でも大袈裟に騒ぎすぎると思っていたら、日本のメディアも相当なものだ。―少なくとも、NYの連中は、試合後のインタビューで“自殺”を引き合いに出した質問をしたりはしない。…ま、たいていは、ね。(注:多分、日本の記者は「いよいよ、崖っぷちですネ。」とかなんとか言ったのではないでしょうか…?それを、通訳が上記のように直訳してしまったために、そういう慣用句のないアメリカ側に、奇異な印象を与えてしまったものと思われます…。^^;)

“1試合も戦う前に監督が失職する”なんてことは、果たしてありえるのだろうか?

「そんなことになったら、私が“初”になってしまうよ。春期キャンプにすら行けずにクビになったりしたらね。」とハウは言う。「このメンバーで勝てなかったら、私は、いったいどうすればいいんだ―?」

このコメントを口にした時のハウは笑っていたし、日米野球の第一の目的は、両国間の親善を深めて日本国内の野球人気を促進することである。しかしながら、度重なる敗戦がハウと選手達を苛立たせているのも事実だ。電子機器を買い漁って日本の景気建て直しに一役買うのもそれなりに楽しいには違いないが、彼らは、「試合に勝ちたい」とも思っているのである。

「私は、負けるために日本に来たわけではない。」とハウは言う。「負け方の酷さが、特に痛い。どの試合も完敗だ。たとえ負けるとしても、接戦になるだろうと思っていたのだが、実際はどの試合もそうではなかった。勝利の1番大きな要素はピッチングなのに、今のところ、全く相手を抑えられていない。」

ハウがこう言ったのは、火曜の試合前の事だったが、その後、今度はモントリオールの大家が初回に6点も全日本側に献上するのを見る羽目になった。「あの初回の6失点は、重たすぎたね。」とハウは言う。

MLBオールスターズは、バリー・ボンズ、ジェイソン・ジアンビ、イチロー、トリー・ハンター、バーニー・ウィリアムスという豪華なメンバーを揃えている。しかし、ほとんどの選手は、1ヶ月ほどプレーから遠ざかっており、錆付いているのは否めない。イチローはシリーズ前の記者会見で、「4週間ほど練習していないので、あまり期待しないで欲しい」と言っていたが、その言葉通りになってしまった。火曜の試合の2回裏の2塁打が、今のところ、このシリーズでの彼の唯一のヒットだ。

「皆、ちょっと打ち急ぎ過ぎている。」とボンズは言う。彼自身は、既に4本の本塁打を放っている。「ボール球を打ちに行ってしまっている。相手に、もっといい球を投げさせるように仕向けなくてはダメだ。」

MLBチームにとって、最大の問題は投手陣。打撃陣ほどスター選手が揃っていないのだ。グループの中で1番いい投手と言えばバートロ・コロンだし、過去1ヶ月間に試合で投げたことがある投手と言えば、エンゼルスの救援投手のスコット・ショーンワイスしかいない。投手全員が調整不足の上に、今度は、19勝投手のマーク・バーリーが月曜の試合で松井の打球を左肩に受けてしまった。幸い、酷い痣をつくっただけで大事にはいたらなかったが、このシリーズ中に彼が再び投げる事はなくなってしまった。

なので、大家が苦戦しても、ハウは、バリー・ジトー(のような優秀な投手)をブルペンから出してくる事はできなかったである…。

投手陣は、メジャーとは違う日本のマウンドの傾斜の角度にも戸惑っているようだ。

「投手は、皆、その事を言って来るんだけど、私にはどうしようもない。」とハウは言う。「実際、リリースポイントやフォロースルーに影響が出ているようだけど、それ以上に大きいのが、その違和感や不安感が投手達の心理面に及ぼしている悪影響のほうなんだ。」

また、選手達は、時差ぼけにも悩まされているようだ。

「月曜の試合ぐらいになって、ドッと影響が出てきた。」とハウは言う。「まるで力が入らない感じだった。」

そして、最後に…日本のチームはとてもいいチームだ。センターの松井1人に注目が集まってはいるが(あまりにも彼がNYにいくという噂が一人歩きしているので、彼が次の試合にヤンキースのユニフォームを着てMLBチームの一員として出てきても、なんの不思議もない、と思えるくらいだ…)、実際に勝利に貢献しているのは、他の選手達だ。

コウジ・ウエハラ投手は、日曜の試合でメジャーリーガーたちをピシャリと抑え、ボンズを3回も三振に打ち取った。アレックス・カブレラ1塁手は、今季、日本記録に並ぶ55本塁打を放ったパワーを見せつけた。カズオ・マツイ遊撃手は、走塁・守備・長打力の全てに素晴らしいパフォーマンスを披露した。そして、メッツが興味を持っているといわれるフリーエージェント、ノリヒロ・ナカムラ3塁手は、火曜の試合の初回に3点本塁打を打って、1アウトも喫する前に、全日本に3−0のリードを与えた。

中村の本塁打の感想を求められたハウは、ふざけて「気に入らなかったね。(注:やられてしまったから…という意味で)」とコメントした。

「連中は、とにかく打って、打って、打ちまくってくる。」とハンターは言う。「ウチは、あれにやられちまっているんだ。」

ハンター自身は、火曜の試合で巨大な本塁打を3階席に叩き込み、ジャンプしながらの素晴らしいバックホームで走者をアウトに仕留めた功績で、負けチームの最優秀選手に贈られる敢闘賞を受け取った。彼がこの賞を貰うのは、これで2回目である。どうも、MLBチームはこの賞を独占しようとしているらしい…。

一方、日本のオールスター達は、毎晩MVP賞と賞金1,000万円の小切手(約8万5千ドル)をかっさらっていっている。(注:記事では“10million yen check”となっていますが、明らかな大間違い…!!! 本当はMVP賞30万円、敢闘賞20万円です。ああ、ビックリした〜…。^^;)

よその国の野球人気を盛り上げるためにこういうツアーを企画したりしていると、今回のように、“その国が野球が上手くなってしまう”というような落とし穴が待っていることもあるのである…。

                              (以上)