★ ウィンディーさん翻訳劇場 ★ |
2月に肩の手術を受けた時は、多分もう再起は無理だろうと言われていたノーム・チャールトン投手。しかし、医学の進歩がもたらした奇跡なのか、はたまたチャールトン投手本人の超人的努力の賜物なのか、このまま順調に行けば、9月復帰も射程圏内に入ってきたようです。(^^)
下記は、1988年にシンシナチ・レッズの先発投手としてスタートしたチャールトン投手が、1990年にワールドシリーズ優勝を果たしたレッズの「ナスティー・ボーイズ」の1人として活躍した様子などを語っているMLBcomとのインタビューです。
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/news/mlb_batting_around.jsp?ymd=20020805&content_id=97438&vkey=baround&fext=.jsp
―いわゆる“再起不能”の故障って、今までにどのくらい経験してきたの?
俺に言わせれば、1回もないよ。―でも、手術をしてくれた医者達に言わせれば、「数回」って答えるだろうね。俺を良く知っている連中なら、俺がそういう怪我から何回も復帰してきた事を、別に不思議とも思っていなんじゃないかな。1993年には“トミー・ジョン手術”(肘の尺骨側副靭帯の移植手術。’70年代に最初にその手術を受けた投手の名前にちなんで命名された。)を受けたけど、もしあの時、今ぐらいの年だったら、多分、あれで終わりだったろうね…。1994年には、今度は肘の屈筋を断裂して、また一年間を棒に振ってしまったんだ。ついこの間受けた手術(肩の回旋腱板断裂修復手術)は、最近ではごく当たり前の手術になっているみたいだ。…他の39歳の選手なら、俺みたいに復帰しようとするかって―?それは、ちょっとわからないけど…。でも、ジョン・フランコなら、そうするんじゃないかな?それからジェシー・オロスコやノーラン・ライアンもね。野球をしたいって思うヤツなら、誰でも復帰しようとするんじゃないか?
―いつから救援投手になったの?きっかけは?
俺は、野球を始めた時からずっと先発投手で、1988年にメジャーに上がってきた時もそうだった。 ’88年のシーズン後に、レッズはクローザーのロブ・マーフィーをトレードで出してしまった。当時監督だったピート・ローズが、春季キャンプで俺にこう言ったんだ:「お前を5番目の先発投手にするつもりだが、最初の2週間は、オフデーが入るから5番手は使う機会がない。今、ブルペンがちょっと手薄なもんで、とりあえずはブルペンに入ってくれるとチームとしては助かるんだけど…。」ってね。俺は、「もちろん、やります!」って答えたよ。マイナーに落ちないで済むなら、なんだってやる気だったからね。で、1989年はブルペンで過ごして、結構いい成績を残した。それ以来、基本的にはずっと救援投手としてやってきたってわけさ。ルー(ピネラ)が監督になった’90年の後半と’91年の前半は、一時、先発に回ったけど、その後はまたブルペンに戻った。
―昔から、先発よりリリーフの方が好きだった?
いや、ほんとうは先発のほうが好きなんだ。先発投手なら、スケジュールをきっちり立てられるからね。例えば、月曜に投げるとすると、火曜はランニング、水曜は軽く肩慣らしをして、木・金と休んで、土曜にまた投げる―という具合になる。そうすると、休みの日にゴルフとか釣りとか、色んな事ができるだろう?アルカトラズ(注:サンフランシスコ湾に浮かぶ、アルカトラズ島の事?)にも行けるし、ディズニーランドで一日過ごす事もできる。リリーフ投手にはできない事が、いろいろできるわけだ。先発投手にしたって、休みの日に遊んで疲れきってしまってはダメだけど、リリーフ投手の場合は、昼にゴルフをして疲れた状態で夜の試合に出る羽目になったりしたら最悪だからね…。高いお金をもらってやっている仕事なんだから、チームに対する義務だけはきちんと果たさなくてはいけない。
―「ナスティー・ボーイズ(悪童3人組)」という仇名は、どうやってついたの?
あれは、1990年にロックアウトから戻って来た時だった。シンシナチは、ロードからのスタートで、トム・ブラウニングが先発のエースだった。ヒューストンでの試合で、ウチがアストロズのグレン・デービスに3回もデッド・ボールを当ててしまったんだ。ブラウニングが2回と、確か、ディブスか俺のどっちかが1回―。デービスはヒューストンの中心打者だったから、試合後にウチらの所に来た記者が、「アストロズはデービスが3回もぶつけられて頭に来てるよ」って教えてくれたんだ。翌日の試合で、今度は俺らのチームの誰かに報復でぶつけるような事も言ってた、って事もね。ランディーとディブスと俺は、当時全員95マイルぐらいの球を投げていて、ロッカーも隣同士で並んでいた。そしたらランディーが、「あいつら、ビーンボール戦争を始めるつもりなら、一度スピードガンで、俺らの球の速さを確認しといた方がいいんじゃないか?」って言ったんだ。「何か始めようってんなら、ウチには、相手をしてやれる連中が揃っているんだぜ。」ってね。それを聞いた記者が、「―それって、かなりタチの悪い(=nasty)話なんじゃないか?」って言ったんだ。そうしたらランディーが、「そりゃ、俺らは“悪童3人組”(three nasty boys)だからな。」って言い返したのさ。そこからあの仇名は始まったんだよ。
―あの仇名は、実際の君たちの性格にあってたのかな?
よく内角には投げてたけど、ぶつけようとしたことなんてない。あの頃の野球は、今とはいろんな点で違っていたんだ。今の連中が着けているみたいなプロテクターなんか、あの頃は誰も着けていなかったしね。
―今の方がいい、ってこと?
何を“いい”と呼ぶかによるね。業界全体の収入が格段に増えたという点からみれば、今のほうがいいしね。今のファンは、ホームランを見るのが好きで、打者も昔に比べて大きくなってパワーがあるし、新しい球場はみんな小さく造られるようになった。セーフコーは唯一の例外だけど。それが、ファンの見たいものなんだろうね。
―“ナスティー・ボーイズ”についての映画ができるとしたら、主役は誰がいいと思う?
チャーリー・シーンは絶対に入れたいね。彼と俺たちは、よく一緒に遊んだし、当時の俺たちの事をよくわかっているから。ランディーの役は、誰かちょっとアブナイ感じのやつがいいな―例えば、チャック・ノリスとか。それから、ニック・ノルテも3人のうちの誰かの役で入れたいな。アクションたっぷりで、なんでもガンガンやりあうような、コソコソしたところのない映画がいい。誰かが悪い事をすれば、俺らがやっつけに行く、ってな感じのネ。
―全盛期の頃には、メジャー屈指のクローザーにだってなれたんじゃないかな…? そんなことを考えた事はないの?
俺がクローザーになれたかもしれない頃は、ウチのチームには、俺のバックアップになるような左のリリーフピッチャーが、誰も居なかったんだ。だから7回辺りでピンポイントで左投手が必要になると、ルーは、俺を使うしかなかったんだ。
―君がメジャーに初めて上がって来た頃と今とでは、リリーフピッチャーの役目は、どんなふうに違う?
俺が上がって来た頃は、クローザーって言うのは、7,8,9の3イニングは投げたものだった。そういう時代は、10〜12年ぐらいに前に終わってしまった。デニス・エカースリーあたりが、最初の“1イニング限定クローザー”だったかな。’90年のレッズの成功が、優秀なブルペンを持つ事がいかに重要なのかを証明したんだと思う。ランディーとディブスと俺がいたお陰で、試合は6回までで決まったも同然だった。6回の時点で勝っていれば、もうそれで終わりだったのさ。
―最も“ホールド”の多いリリーフピッチャーに与える賞を創るべきだと思う?
いいや。だって、そこまですると、しまいには何にでも賞を与えなくちゃならなくなるだろう? 例えば、“最多犠牲バント賞”とかさ…。
―セット・アップ投手って、その価値が十分に評価されていると思う?
イエスとノー、両方だね。給与面では、かなりまともなところまで来たと思う。セット・アッパーの役目というのが知られるようになって、その重要さも認められるようになってきた。いいチームってのは、いいブルペンを持っているチームなんだ。改善して欲しい点と言えば、セット・アッパーがオールスター戦に選ばれるようになって欲しいっていうことだね。もし、オールスター戦を、たんなるホームラン品評会ではなくて、勝つことを目的としたちゃんとした試合に変えていくのなら、メンバーにも普通の試合同様、先発、ロング・リリーフ、セット・アッパー、クローザーと、全部揃えるべきだと思う。それぞれの役割で、最も活躍している投手を選べばいいんだ。セーブ数が少ないと言う理由だけで、アーサー・ローズのようなヤツが選ばれないのは、間違っていると思う。」
(以上)(^^)
このところ、めっきり出番の減ってしまったシリーロ選手。以前の記事で、「肘や肩の痛みが悪化している」とあったので、そのせいかもしれません。でも、先週ピネラ監督が、「今までは全員にチャンスを与えていたけど、ここまで来たら、もうそんな事も言っていられない。調子のいい選手を優先的に使う。」と言っていたので、その方針の適応を真っ先に受けたのがシリーロ選手なのかな…?と、ちょっと心配もしている今日この頃です。見るからに、生真面目で融通の利かなさそうなシリーロ選手ですが、精神的にもかなり深刻な状態にあるようです。一時、打席に入っても物凄い勢いでガムを噛み続けていましたが、ひょっとすると、あれもなんとかして緊張を和らげたい、という思いの表れだったのかもしれませんね。
下記のコラム記事は、7月30日付けのシアトル・ポストに載ったものです。シアトル・ポスト・ファンフォーラムの現地のファンの方々の書き込みを読むと、「彼女の文章はヘタクソ。いつも論点があっちこっちへ飛んでしまって、まとまりがない。」ということだそうですが^^;、「シリーロの悩みの深さだけは、伝わってくる記事だ。」とも言っていました。(注:“Vecsey”は、“ベシー”なのか“ベクシー”なのか、どっちなんでしょう?)
シリーロ:周りの期待と、広大なセーフコーと、自分自身を相手に闘い続ける
― ローラ・ベクシー ―
http://seattlepi.nwsource.com/vecsey/80730_vecs31.shtml
1ヶ月前に打率が2割2分辺りをさ迷っている頃、ジェフ・シリーロの頭の中では、感覚を麻痺させるような容赦ない声が、ずっと同じ題目を唱え続けていた。
「…手を下げるんだ…手を下げるんだ…手を下げるんだ…」
そうしているうちに、自分のスイングの全てが、スタンスの全てが、そして最終的には何もかも全てが、不調で、間違っていて、徹底したオーバーホールを必要としているように思えてきたのである。
シリーロの意識は、自分自身のうまくいっていない部分にしか向かなくなってしまい、これは生涯打率.311を誇る選手にとっては最悪の事態だった。彼を空気の希薄なクアーズ・フィールドから引き離してマリナーズへと送ったトレードは、ウンザリするほどの多くの苦悩を彼にもたらしたのである。
春季キャンプからシーズンの中盤まで苦戦し続けるうちに、彼自身にも、それなりの自己診断がつくようになった。―しかし、チームの首脳陣は首脳陣で、彼とはまた別の診断を下していた。―スイングにヒッチがある。構えに無駄な動きがあり過ぎる。手の位置が悪い。体が細すぎる。年を取り過ぎている…。
周りからの分析とアドバイスの集中砲火の中、彼の神経は確実に磨り減っていった。
「年をとって来ると、若い時みたいに誤魔化しが効かなくなって来る。手の使い方を変えたほうがいいんだとは思うんだけど、メジャーの投手相手に、シーズン中にそういう調整をするのはとても難しい。」と彼は言う。
一ヶ月前、シリーロは自分の頭の中で囁き続ける声を変えようと試みた。
「『何も考えずに打て』って自分自身に言い聞かせようとしたんだ。」とシリーロは言う。
―でも、出来なかった。
彼の内部に潜んでいた失敗への恐れが、日々現実のものとなっていったのだ。危機感を煽る連続無安打試合(18打数0安打、22打数0安打)が続いて、まるで蛇口から絶えずポタポタと垂れ続ける水滴のように、彼の神経を痛めつけていった。
いまや彼の不振ぶりは誰の目にも明らかで、周囲の高い期待にも自分自身の生涯打率(2001年度終了時までで.311)にも遠く及ばない、まさに典型的なスランプに陥っていた。
マリナーズの攻撃スタイルは、ライナーで外野手の間を鋭く抜いていくという、セーフコーフィールドの特性にぴったりのもので、シリーロはその中心的人物の1人になるはずだった。しかし、ことは皆の期待通りには運ばなかった―特にシリーロにとっては…。
以前からオフシーズンの家をシアトルに構えていたシリーロは、昨冬のトレードでようやく望んでいた地元への“帰還”をはたしたはずだった。だが、いまや、彼の状態は、なんらかの治療を求めなくてはならないところにまで来ていたのだ。シリーロは、抗不安剤を毎日服用する事にしたのである…。
「効果はてきめんだった。胃が締め付けられるような感じがなくなったんだ。あの胃潰瘍になりそうな感じがなくなって、ほんとうにホッとした。」とシリーロは言う。
物事に対して真面目すぎるほど真面目で、人好きもするこのマリナーズの新しいメンバーにとっては、これは、とても勇気を要した告白だっただろう。
不安に対処するために下したこの決断について話すことで、周りの同情を集めようという気は、シリーロには毛頭ない。彼はただ、マリナーズに“あいつが欲しい”と思わせた攻撃力溢れたかつての自分の姿をとりもどしたい、と思っているだけなのである。
トレード期限が目前に迫り、AL西地区の熾烈な優勝争いに断固たる自己主張をしようとマリナーズが必死になっていた昨日の試合で、シリーロは、別のより重要な治療法にもトライしていた。
マリナーズが延長10回に5−4でタイガーズを破ったその試合で、シリーロは3塁線を鋭く抜ける2塁打を含む2安打と1打点を記録する事に成功したのだ。また、この好成績の一日の締めくくりとしてシリーロが9回裏の同点の場面でとったもう一つの行動は、さらなるカタルシス(=精神浄化作用)を彼にもたらしたのである。
1−3のカウントから見逃した球が2球続けてストライクとコールされたシリーロは、突如として本塁審判ジェリー・ミールスに向かって感情を爆発させたのである。ルー・ピネラが慌ててベンチから飛び出してきた頃には、彼は既に退場宣告を受けていた。シリーロが退場させられたのは、これがキャリアでたった5回目のことだった。
「シーズン初めから溜まりに溜まったイライラが、一気に噴出した感じだったんだ。」とシリーロは言う。
「アンパイアを侮辱する気なんて全くなかった。悪かったとは思ってる。でも一方では、“これは譲るわけにいかない”という場合も、あると思うんだ。とにかく、チームが勝ててほんとうに良かった…。」
自信喪失の危機に直面しているもう1人の選手、マイク・キャメロンとシリーロの目には、野手と野手の間に広がるセーフコーフィールドの広大な隙間の数々は、まるで深々とした緑色の“死の谷”のように見えるに違いない。とはいえ、彼は別にセーフコーの広さに対して不満があるわけではない。変化球が変化せず、打球が遥か遠くの夜の闇まで飛んで行くような空気の薄いデンバーから移って来た、その環境の変化に苦労しているのである。
「コロラドから選手を獲ろうとしているチームは、気をつけたほうがいい。あそこは、引退間際にプレーすべき場所なのかもしれないね…。」とシリーロは言う。セーフコーでプレーするための調整に苦労しているシリーロにとっては、「まるで、全ての試合をアウェーで戦っているような気分がする」のだと言う。
「デンバーからシアトルへの移行は、思っていたよりずっと難しかった。僕が自分自身に期待するものは多い。―でも、その前にやらなくてはならないことがいくつかあるってことに、やっと気がついたんだ。筋肉をあと20ポンドぐらい増やさなくてはいけない―もちろん、自然な方法でだよ。ここの球場でプレーするためには、もっとパワーを付けなくてはダメなんだ。」と彼は言う。
体を大きくするためにステロイド剤を使う選手がいることに、シリーロは戸惑いを覚えている。
―だが、それよりも彼にとって最悪な事は、シアトルと言う町が、かつての“安らぎの場所”から“プレッシャーだらけの場所”に変貌してしまったことである。マリナーズが攻撃力の増加を必要としている今、シリーロは、自分の前評判に恥ずかしくない成績をあげるために、さらなる“治療法を”模索しなくてはならない。
「このチームの一員でいられて嬉しいし、チームが勝っているのも嬉しい。いいチームメンバーでいるために、自分のできることを精一杯やろうとしているところなんだ…。」
(以上)
(まず“お断り”です^^;。個人的にはとても興味のある話題なんですが、基本的には暇ネタですし、かなり長いので、時間の無い方はどうか遠慮なく飛ばして下さいネ。・・・そして、>管理人様、お疲れ様でした&ありがとうございました。…m(__)m)
ナンバーWebでも取り上げていましたが、マリナーズの首脳陣が、セーフコーの危険な「眩しさ問題」を解消すべく、ようやく重い腰を上げようとしているようです。この問題は、かなり前からシアトル・タイムスのフィニガン記者が取り上げていましたが、8月1日付けのタイムスに、やっと首脳陣の対応がありそうだと言う記事が載っていました。
昨年も「セーフコーのデーゲームは、球が見えなくて打てない」という話はチラホラ出ていましたが、今年は選手たちの我慢も限界に達したらしく、大っぴらに話題にするようになったようです。打席でサングラスをかける選手がいたり、たいして近くない球でも大袈裟に避ける選手が目に付いたりしていましたが、選手たちにとっては、かなり深刻な問題のようです。緯度の高い場所のため、真夏でもかなり低い位置で太陽が動くからでしょうか、眩しさの質も他の都市とはちょっと違うのかもしれません。
それに関する3つの記事を、古い順から並べてみましたので、興味のある方は読んでみて下さい。屋根の開閉に関するルールがあるなんていうのも、今回初めて知りました。^^;
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●“眩しさ”(glare)問題、再び(7月8日の記事より)
http://archives.seattletimes.nwsource.com/cgi-bin/texis.cgi/web/vortex/display?slug=msid08&date=20020708&query=glare+Boone+
試合前に昨日の試合で左腕に故意の死球を受けたブレット・ブーンから聞いた話が、今までは聞くことのなかった懸念を他の選手達からも引き出す事になった。
それは、内角高めを鋭くえぐる球が見えない怖さ、いつかはそのせいで怪我をするのではないかという恐れについて、である。
その問題は、マリナーズが天気のいい日の3:35pm開始や6:05pm開始の試合をホームで戦わなくてはいけない度に持ち上がるのである。
「そりゃ、怖いよ。凄く怖い。」とブーンは言う。ミネソタ・ツインズのカイル・ローズが投げてきた球(死球になった球)も、見えなかったんだと言う。「球が見えないことが沢山ある。実際、ホームで戦う試合の内の約半分で、半分ぐらいしか球が見えていないんだ。特に、3時開始試合の後の方の回と、6時開始試合の最初の方の回が最悪だね。」
マリナーズの選手がこの問題を持ち出したのは、別に今回が初めてではない。過去にも何人かの選手が公の場で口にはしているものの、ブーンほど率直に話してくれた選手は今まで1人もいなかった。
今までは、選手達は球団役員との個人的な話し合いの中で、この問題を強く訴えてきた。
1999年には、ケン・グリフィー・ジュニア―が当時のGMのウディー・ウッドワードに試合中に電話をして、ただちに屋根を閉めるように、と要求した。それに対するウッドワードの反応は、「2度と試合中に電話などしてくるな」というものだったらしい。(…内部事情に詳しい筋によると、この件もグリフィーがシアトルを去った理由の一つだったとか…)
そして2000年には、今度はアレックス・ロドリゲズが球団社長のチャック・アームストロングと、晴天の日に屋根を閉める・閉めないの問題で、激しい言い争いをしたのだという。
アームストロングから直接確認をとる事は出来なかったが、球団側が「晴天の日には屋根は開けておくべき」という方針をとっているのは、明らかである。
選手達が心配しているのは、ホームプレートの周辺だけが3塁側の観客席の影の中に入り、外野と外野席が午後の明るい日差しを浴びてしまう状況の事である。
「ものすごくギラギラしていて、目が眩みそうになる。」とダン・ウィルソン捕手は言う。「(球の)スピードやスピンが、すごく見分けにくい。」
マスクを被ってキャッチングをしていても、状況は同じだ。
「―でも、我々キャッチャーには、次にどんな球が来るか分かっているというアドバンテージがあるからね―これは大きいよ。」
ジョン・オルルッドは、次に何が来るかわからない(内角をえぐる速球が来るのか、それとも外へ逃げていく変化球が来るのか―)という状況と「豪腕投手」という要素が組み合わさった時が、最も危険なのだと言う。
「見えないと、(球を避ける)反応が遅れてしまうからね。」と彼は言う。
この日差し問題についてファンにアンケートを取ったことはないが、晴天の日に球場につめかける人数の多さを見れば、彼らの気持ちは推察できる。土曜の6時開始試合には45,416人もの観客が入り、今季の観客動員数をMLBベストの2,028,584まで押し上げた。
何人かの選手たちは、妥協案として眩しさが最も酷い3〜4イニングだけ屋根を閉めたらいいのではないか、と提案している。
「球団側の考えも分かる―気持ちよく晴れた日には、オープンスタジアムにしておきたい、という彼らの考えもね。でも、フィールドでバッターボックスにいる僕らにとっては、間違いなく大変なんだ。」
エドガー・マルチネスは、怪我をするリスクを冒すよりも、早めに球を避けるようにしている。最終的には外側に変化してストライクになる球の場合も、そうしている場面を見る事があるはずだ。
「球団がファンの気持ちを慮るのもわかるよ。」とマルチネスは言う。「ドーム球場に何年間も押込められていたあとだから、ファンには気持ちのいい日差しを楽しんでもらいたんだろう。」
選手たちは、こういう話がたんなる“泣き言”とファンに受け止められる可能性があることにも気付いている。
自分のプレーに対する言い訳を一切しないブーンが言う:「スランプ中の僕らが言うと、なんかいい訳を言ってるように思う人もいるかもしれない。でも、そうじゃないんだ。これは深刻な問題なんだ。朝起きて、『あ、今日の試合は6時開始だったんだ―』と思う時のいやな気分ったらない。」
マルチネスもブーンの言葉に頷く―「泣き言を言っているようには思われたくない。精一杯のことはやっているんだ。でも、キツイ事は確かだ。」
―そして、危険だと…?
「まるっきり球が見えない時もあるんだからね。」とマルチネスは言う。「―うん、そういう気持ちもあるよ。」
ウィルソン自身は、打席で球を見失った事はないと言う。「―でも、僕の場合はキャッチャーで、他の人より沢山の球を見る機会があって慣れているからだと思うけどね。」
ベン・デービスのとった対策は、部分的には有効だったらしい。土曜の試合で、彼は打席に入る時もキャッチングをする時も、サングラスをかけてみたのだ。
「最初の時はサングラスをしてヒットを打てたけど、2打席目に三振した時には、サングラスはかけられなかったんだ。汗をかき始めたらレンズが曇ってしまってダメだった。」
デービスは、さらに対戦相手の反応も教えてくれた:「土曜日の試合で、クリスチャン・グーズマンがツインズの最初のバッターだったんだけど、彼に対する1球目が外角高めの球だったんだ。彼、『今の、全然見えやしないよ』って言ってたよ。」
オルルッドによれば、見えないことの怖さは、「対戦する投手のタイプによる」んだそうだ。「コントロール重視のピッチャーなら、たいして心配する必要もない。でも、荒れ球を投げる投手や、バッターの内角高めをえぐるのが好きな投手の場合は、かなり怖い。」
マクレモアも、同じような事を土曜の試合について語ってくれた。「ジェイミー(モイヤー)にケチをつけるわけじゃないけど、ああいう天気の日には、ジェイミーはツインズのローズに比べて、ぐっと不利だよね。ジェイミーの球は84〜85マイルでローズのは92マイルだろう?遅い球を投げる投手に対してなら、(球がよく見えなくても)プレート寄りに立っていられるからね。」
3:35pm開始試合と6:05pm開始試合で屋根が開いている時のマリナーズの成績は6勝5敗、ホームでの勝率・チーム打率は、ともにロードよりも悪くなっている。(ホーム:27勝20敗、打率.254 アウェー:28勝13敗、打率.299)
球団は、打者から見た外野の眩しさ軽減のためにセンターバックスクリーン前に木を植えたりもした。
マクレモアに言わせれば、屋根付き観覧席の照明を点灯しても、多分、フィールド上の明るさのバランスを是正する事は出来ないだろうとの事だ。
「照明を点けても、ボールが眩しい所から急に飛び込んでくるように見えるのは、変わらないと思う。」と彼は言う。「普段は、皆、考えないようにしているんだ。でも、この事を話題にしたからといって、誰もこれを言い訳に使おうなんて、思っちゃいないよ。ほんとに、酷いんだよ。あの眩しさは―。」
―誰かが、そのうち怪我をする事も有り得る…?
「ああ、そうだね。」とオルルッドは言う。「誰かが球に当たるんじゃないかって思うよ。顔に当たったりしたら、最悪だ…。」
「いつかきっと、」とブーンは言う、「誰かが怪我をするよ―間違いない。」
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● マリナーズ、眩しさ問題の研究へ(7/26のNotebookより)
http://archives.seattletimes.nwsource.com/cgi-bin/texis.cgi/web/vortex/display?slug=mnotes26&date=20020726&query=glare+
リンカーン球団最高責任者を含むマリナーズの役員達は、24日の午前中にクラブハウスで選手達と会って様々な問題について話し合ったが、その中でも大きく取り上げられたのが、デーゲーム等で打席に入った選手達を悩ませている“眩しさ”問題だった。
「いい話し合いが出来たと思う。」とエドガー・マルチネスは言う。「何か対策が取れるかどうか検討してみる、と言ってくれたよ。」
数週間前、ブレット・ブーン他数名の選手達が、3:35pmや6:05pm開始の試合、そして真夏における7:05pm開始試合の最初の数回に選手達が打席で経験する“眩しさ”に対する懸念を表明していた。これらの試合中には、ホームプレート周辺だけが陰に覆われ、外野やセンターの観客席が眩しい日差しの中―ということになってしまうのだ。
先週のアナハイムでのこと、オルルッドとキャッチボール中だったブーンは、そばにいた記者に自分のすぐ側に立ってみるように促した。ブーンがいた所は日陰で、オルルッドは日差しの中に立っていた。
「これがどういうふうに見えるか、言ってみて。」とブーン。
オルルッドが軽くトスした球は陰に入った途端に消えてしまい、ブーンがキャッチする寸前まで見えなかった。
「これが、時速93〜95マイルの球だったらどうなるか、ちょっと考えてみてよ。」とブーンは言う。
マルチネスも、以前はアナハイムの眩しさは酷い、と思っていたそうだ。
「でも、セーフコーの眩しさを経験したあとは、アナハイムのはたいしたことない、と思うようになった。」
いくつかの対策案が提案されたそうだが、そのうちのひとつが、「もっとも眩しさの酷い時間だけ屋根を閉める」というものだったそうだ。
「ファンの人達も、選手の安全のためということなら、理解してくれると思うんだけど。」とマルチネスは言う。「以前(7月初め頃)より暗くなるのが早くなってきたから、今は酷く眩しいのは初回ぐらいなんだけどね。でも、必要な時には、最初の2〜3回ぐらいまで屋根を閉めてくれるといいね。」
マルチネスによれば、球団側は、専門家に相談する事を約束したそうだ。GMパット・ギリックもこの問題に取り組む事を明言した。「でも、今シーズン中にすぐ、っていうのは期待できないと思う。」
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●眩しさ(glare)問題(8/1のNotebookより)
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134504374_mnotes01.html
球団最高責任者ハワード・リンカーン、球団社長チャック・アームストロングとGMパット・ギリックは、昨日ミィーティングを開き、セーフコーで打者が直面する深刻な“眩しさ”問題に対処する具体案について話し合ったようで、必要な時は屋根を一時的に閉めることも真剣に検討しているようだ。
普段はほとんど文句など言った事のないイチローさえも、火曜日の試合の眩しさは「酷かった」(terrible)とコメントし、こう付け加えた:「昨日の7回以降は、(球が見えなくて)大変だった。」
もし、“屋根を閉める”という対策が採用されるならば、マリナーズは、「試合中の屋根の開閉は、開けるか閉めるかの一回のみしか許されない」というMLBの規定からの免除を、コミッショナー事務所に願い出なければならない。
―そう、現行の規定の元では、試合途中に雨が止んだからといって屋根を開けてしまうと、もしまた大雨が降り始めたとしても、もう2度と閉めることが出来ないのである。それゆえ、セーフコーの屋根が試合途中に開けられた事は、今まで一度もないのだ。
(以上)
何日か前のシアトルタイムスに、「マリナーズは儲かっているんだから、優勝のためにもっと金をつかうべきだ!」という記事と、「いや、今まで通り慎重に行くべき―」という、正反対の論調の記事が同時に載っていました。下記は、その「慎重論」の方の記事です。下のスレッドで、まさひろさんやMOOMさんが仰っていたことと重なる部分が多いですね。(^^)
“イケイケ主義”は危険:インディアンズがいい見本
―ブレイン・ニューハム―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134499811_blai25.html
クリーブランド・インディアンズは、もともと、マリナーズがお手本としていたチームだった。彼らは新しい球場を建設し、その球場を毎試合満杯にし、来る年も来る年も地区優勝を果たした。
今、マリナーズは、“ヤンキーズに置いて行かれたくない、ワールドシリーズにチームを導いてくれるようなトレードを成立させなくては―”と焦る前に、一度自分達とインディアンスとの違いがなんなのかを、じっくり考えてみた方がいいのかもしれない。
昔のお手本は、今やメチャクチャな状態になってしまっている。かつては素晴らしかったチームの、その僅かに残された残骸すらも、今や解体されようとしているありさまだ。観客動員数は激減し、球団の所有者も換わってしまった。
疑問はいろいろある。クリーブランドで一体、何が起こったのか―?クリーブランドのチーム再建は、避けられないのか―?マリナーズは果たして“船に乗り遅れてしまった”のか―それとも、「チーム予算」を厳守する事によって、自分達の船が沈没することを防いだのか―?
90年代のインディアンスは、スカウティングと若手選手の育成に力を入れる事によって成功を収めていた。(オーナーの)デーブとディック・ジェイコッブスにとって、インディアンスは、投資の対象であって、目新しい玩具でも節税対策でもなかった。
しかし、成功に目が眩んだインディアンスは、熱心なファンの要望に応えようとして“イケイケ主義”に走り、ワールドシリーズ優勝のために金を使いまくった。その甲斐あって、2回のワールドシリーズ出場を果たしはしたが、そのために払った代償は大きかったのである。
目先の補強のために、彼らはブライアン・ジャイルズ、ショーン・ケーシー、リッチー・セクソン、ジェフ・ケント、ジェロミー・バーニッツなどの有望な若手選手達を次々と放出してしまった。
そしてウィル・コルデーロのような選手の獲得に大枚をはたいたりもした。
球場は観客で一杯になってはいたが、ヤンキーズのような高額な放送権・放映権収入を確保していたわけではないため、次第に選手給与を払うにも四苦八苦するようになってしまった。可能な限りの入場料値上げも実施した。いくらオーマー・ビスケルのユニフォームがよく売れたとはいえ、1人のファンが買ってくれる枚数には自ずと限度というものがあった。
選手の給与総額は大きくなり過ぎてしまい、マイナーリーグの有望選手は払底してしまった。
マニー・ラミレズやホアン・ゴンザレスとの契約は更新されなかった。新しいオーナーの下、ロベルト・アロマーはトレードに出され、シーズン中盤には、完全撤退を宣言するかの如く、バートロ・コロンやチャック・フィンリーまで放出されてしまった。
マリナーズは、クリーブランドの二の舞だけは踏むまいと、懸命に踏ん張っている状態だ。“チーム再建など必要ない”というのが、マリナーズのスタンスなのだ。
そう信じるからこそ、マリナーズは自分達の最も有望な若手選手達をトレードで失う事を避けてきた。すでにキャッチャーがいるにも関わらず、昨年の冬に若いキャッチャー(ベン・デービス)を獲得したのも同じ理由からだし、なにがなんでも予算を守る事に固執するのも、そのせいだ。
ベースボールが事業として成立しなくなった時、オーナーシップは不満を漏らしながら崩壊していき(grumble and crumble)、一時は繁栄するかもしれない“ベースボール王朝”も、あっという間に滅びてしまう。クリーブランドがそうだし、かつてのトロントもそうだった。
フロリダ・マーリンズは“一発勝負”に出る事を選択し、ワールドシリーズ優勝を果たしはしたものの、3、000万ドルの損失を被ってしまった。トム・ヒックスもアレックス・ロドリゲズと契約するという賭けに出たが、今や彼も赤字を削減する方向へ進みたがっている。
「事業としてきちんと運営しないと、いろんな悪い事が起こるんだ。」とマリナーズの球団最高責任者ハワード・リンカーンは言う。
マリナーズの最終目標は、ワールドシリーズで優勝する事ではない。彼らの目標は、毎年々々ワールドシリーズを狙えるだけの競争力のあるチームをグラウンドに送り出し続けることであり、その過程でいつかは優勝も経験したいと思っているのである。
「皆、我々に何か特別なことをして欲しがっているみたいだが、我々は、自制心を持って計画通りに行動する事を目指しているんだ。」とリンカーンは言う。
マリナーズは儲かっている。
「我々は、絶対に利益をあげなくてはならないんだ。」とリンカーンは言う。「このことには、疑問を差し挟む余地もない―問答無用、というところだ。」
過去2〜3年分の利益は、全くオーナーの元へは入っていない、とマリナーズは主張している。
「彼らは、一銭も持っていっていないよ。」と球団社長のチャック・アームストロングは言う。「過去の損失の穴埋めにも、使っていない。」
アームストロングによれば、マリナーズの挙げた利益は、全てマリナーズのチーム運営そのものに還元されている、という。ベネズエラやドミニカ共和国にあるマイナー組織の施設改善、世界中にスカウトを派遣する費用、イチローを獲得する費用、そして今年のマリナーズの給与総額を昨年の17%増の9、000万ドルにまで押し上げるために使われたのだそうだ。
マリナーズに言わせれば、昨年のオフにジェフ・シリーロやベン・デービスをトレードで獲得し、長谷川と契約したのは、特別な事だったのだと言う。
どの球団においても、その球団の将来の成功の鍵を握っているのはそのファームシステムであるのは、間違いない事実だ。自前で選手を育成して大きくする方がトレードで獲得するよりは安上がりだし、有望な若手の存在が破格なトレードを可能にする事もある。
マリナーズは、若手の投手予備軍のほとんどを手放さずに来た。そして、いざ必要となれば、いつでもメジャーに上げられる若い野手も揃っていると信じている。
「我々は、アトランタ・ブレーブスのようでいたいと思っているんだ。」とリンカーンは言う。「チーム成績に波があるのは避けられないが、我々の目標は、その波を最小限に抑えていく事なんだ。」
トレード期限が近づく中、(チームを強化する)機会を逃した事、ヤンキーズのように振舞えなかった事に関して、マリナーズは周囲から叱られるかもしれない。だが、そんな事は構いはしない―インディアンスのようになりさえしなければ、OKなのである。
(以上)
マリナーズが今年トレード戦線で苦戦しているのは、(1)オーナーがこれ以上の資金を選手給与に注ぎ込むのを拒んでいることと、(2)トレード要員として先方が欲しがるようなマイナーの若手有望株が、現在ことごとく故障中であること・・・の2点が挙げられると思います。ソリアーノ投手やスネリング外野手なども、トレードを意識した“顔見せ”のために異例の抜擢で1A,2Aから呼ばれてきていたのでは―と言われていましたが、ご存知のように両名とも故障してしまい、その目論見も外れてしまいました。いまだにピネイロ投手をトレード要員として指名してくるチームが多く、彼を手放す覚悟さえあれば、成立するトレードはいくらでもあるようですが、そんなことをマリナーズがするはずもなく…。(-_-;)
結局、何も起こらないままトレード期限を迎えてしまうのでしょうが、ギリックGMはそんな困難な状況下でも、それなりに色々動いているようです。下記は、シアトル・タイムスのフィニガン記者の記事です:
マリナーズ、トレード目指して忙しく電話中
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134503601_mside31.html
今日(31日)午後1時(西海岸時間)のトレード期限が刻々と迫る中、マリナーズは昨日一日、何かを起こそうと精力的に動き回った。
情報筋によると、マリナーズは、最初にモントリオールの外野手クリフ・フロイドの獲得を目指していたらしいのだが、ボストン・レッドソックスに獲られてしまった。今マリナーズが狙っているのは、トロント・ブルージェイズのホセ・クルーズ・ジュニア―か、カンザス・シティー・ロイヤルズの右腕投手ポール・バードだと言われている。
マリナーズは、その他にも2名のエクスポズの選手について問い合わせたと思われるが、そのうちの1名、バートロ・コロンについては、トレードに出すつもりはないと先方に断られてしまったらしい。トロントにも何人かトレード可能な選手はいるようだが、マリナーズが最も興味を持っていたロイ・ハラデイ投手とクリス・カーペンター投手は、その後トロントがトレード要員リストから外してしまった模様。
マリナーズのオーナー達は、新しい選手獲得に多くの資金を注ぎ込むのに消極的だ。
しかし、彼らは、もしフロントが強く推すならばOKしてもいい…という何らかの意思表示をGMパット・ギリックに対して行ったのではないだろうか―?でなければ、ギリックと彼のスタッフが、これほどまでに精力的に電話を掛けまくって先方の返答待ちをしている、という現状の説明がつかないし、ギリックのスカウト達がせっせと動き回っている意味も分からない。
(以上)
今日の試合に関する記事がアップされていました。なにも今日のような辛い試合の記事をわざわざ紹介しなくても…と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こういう時こそ、現地でどういう風に報道されているのかを知るのも大切なのでは…と思い、敢えて載せることにしました。スミマセン…。m(__)m イチロー選手とモイヤー選手のコメントがメインになっていますが、どちらの選手もそれぞれ潔くて、素晴らしいと思います。
また、最後に付け加えた、シアトル・タイムスの記事のソーシア監督の短いコメントを見つけた時には、ちょっと救われた思いがして、嬉しかったです…。
イチロー、敗戦の責任を被る:「今までで最低の試合」
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020728&content_id=91798&vkey=news_sea&fext=.jsp
イチロー・スズキは、自分のプレーに大いなる誇りを擁いており、自分自身で設定した高い水準をクリアできない事をひどく嫌う。
日曜午後の対エンゼルス最終戦は、まさにそのような試合になってしまった。
セーフコーのロッカー前に腰掛けたAL・MVPのタイトル保持者は、その左腕の擦過傷から血を滲ませたままの姿で、シアトルが0−1で敗れた試合における自分のプレー振りを悔やむ言葉を発し続けた。この敗北で、マリナーズは、ほんの僅かな勝率の差で、再び2位に陥落してしまったのである。
「どんな敗戦も我々にとっては大きいけれど、僕個人にとっては、今日のこの敗戦は今までの自分のプロ生活の中でも最悪の部類に入るものだ。」と彼は言う。「自分のしたことがチームのパフォーマンスに(悪い)影響を与えてしまったという点から見れば、僕のワーストゲームだったと言えるかもしれない。」
イチローが今日の敗戦に大きな役割を果たしてしまったのは、事実だ。0対0の拮抗した試合の8回に、犠牲バントを失敗してしまっただけでなく、その直後にホセ・モリーナ捕手が球を後逸した際に試みた盗塁でも失敗して、事態をさらに悪化させてしまったのだから―。
「ああいうプレーは、きちんと遂行しなくてはならなかった。」とイチローは言う。「どんな場合でも、自分が出来るはずのことを失敗すると、自分自身に対してすごく腹が立つ。ああいう失敗には我慢ならない。」
とはいえ、全責任を1人で背負い込むというのも、行き過ぎだろう。なぜなら、今日のマリナーズには(責任を果たせなかった)仲間が沢山いたからだ。2試合連続で無安打に終わったイチローではあるが、この試合で1塁に到達できなかったのは、なにもイチロー1人ではなかったのである。
金曜日に先発したエンゼルスの新人右腕投手ジョン・ラッキーの時と同様に、ベテラン右腕投手のケビン・エイピアーに対しても、シアトルの選手達は“空砲”しか撃つ事が出来なかった。ヒットと言えば、カルロス・ギーエンの2安打とブレット・ブーンのバント安打、そしてルーベン・シエラのバントまがいの内野安打のみ。今回のエンゼルス3連戦でマリナーズが叩き出したのは、わずか15安打・3得点だけなのだ。
ピネラ監督はといえば、監督室の扉を閉ざしてしまい、日曜の試合についてはコメントする事すらなかった。―だが、たとえ話したとしても、きっと、相変わらずまばらな当たりしか出ない攻撃に対して一言二言と、ベテラン左腕投手ジェイミー・モイヤーの好投に対する労いの言葉が聞けたに過ぎないだろう。
8インニングの間エンゼルスを無得点に抑えたにも関わらず、チーム最高となる8回目の“勝敗付かず”という結果しか得られなかったという事実を、モイヤー自身は冷静に受け止めていた。モイヤーとエイピアーという2人の老練投手の間で繰り広げられたこの投手戦は、まるで“OK牧場の決闘”でも見ているようだった。
「投げていて楽しい試合だった。」とモイヤーは言う。「ケビンも良く投げていたし、先に得点したチームが勝つだろうというふうな感じに、次第になっていった。たった一振りで試合が決まっても、おかしくない試合だった。」
「1球1球に意味があって、1つ1つのアウトが凄く重要な試合に投げるのは、とても楽しい。」と彼は付け加える。「こういう試合で負ける側に立つのは嫌だけど、最近のベースボールは、こういう試合が少なくなり過ぎている気がする。最近は、大量得点試合のほうが多くなっているからね。」
今季、モイヤーが1−0の試合に投げたのは、今日で3回目になる。5月21日には、セーフコーでのデビル・レイズ戦で0−1で敗戦投手になっているし、6月26日にアスレチックスを7イニング無得点に抑えた試合では、モイヤーに勝敗は付かなかったものの、8回に得点1を挙げたアスレチックスが勝っている。
―というわけで、過去6年間の通算成績ではメジャーで最高の勝率(95勝44敗)を誇るこの39歳のベテラン投手が、現在の10勝4敗という数字よりもいい成績を収めていたとしても、何の不思議もない。今日の試合でモイヤーの防御率は2.86まで下がり、これは、20勝6敗を記録した昨年の防御率3.43よりも各段にいいのである。
「今日の試合は、彼の勝ち試合にならなきゃいけない試合だった。」とダン・ウィルソ捕手は言う。モイヤーはこの試合で、最初に対戦した22人の打者のうち、20人をあっさりと退けているのである。「―でも、両投手とも、今日は凄くいい内容だった。相手はなんとか1点を稼ぎ出す事に成功したけど、ウチにはそれが出来なかった…ということだ。」
試合の唯一の得点が入った時には、モイヤーはもう降板していた。9回に投げる可能性について、何か(監督から)言われたかどうか訊かれたモイヤーの答えは、「何もない。」だった。
モイヤーは、8回2死でランナー1塁3塁になった場面でも、もう少しで降板させられるところだった。勝ち越しランナーを2塁に置いてエクスタインが1,2塁間に緩いゴロを打った時点で、その回の攻撃は終わったように見えた。
「ジョニー(オルルッド)のところに球が真っ直ぐ行くもんだと思って、一瞬、躊躇したのがいけなかった。」と彼は言う。「エクスタインの方が自分より動くのが早くて、先にベースに着かれてしまったんだ。」
モイヤーは続く打者をゴロで打ち取り、試合をクローザーの佐々木の手に委ねた。その佐々木は、2安打・暴投・犠牲フライの末、試合唯一の得点を敵に与えてしまった。
(以上)
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●シアトルポストの記事より抜粋:
【試合後のクラブハウスは、テレビ画面も消してあり、ステレオからも音一つしなかった。まるで、マリナーズに関する全ての“ミュート(消音)・ボタン”が押されているようだった。沈黙がクラブハウス内を支配していた。...“葬式のような―”という形容が、相応しいかもしれない。】
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/80440_mari29.shtml
●シアトル・タイムスの記事より抜粋:
【エンゼルスのマイク・ソーシア監督は、3アウト目のプレー(=イチロー選手が挟殺プレーでアウトになった場面)について、(イチロー本人とは)違う見方をしている。「私は、あれを走塁ミスとは思わなかった。」と彼は言う。「非常に難しい判断だったと思う。もし2塁を陥れるのに成功していれば、凄く大きかったわけだし…。ホセ(モリーナ捕手)が素早くボールを確保したあのプレーが素晴らしかった―ということだよ。」】http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134502439_mari29.html
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●ニュース・トリビューン紙の記事より抜粋:
【イチローの、“全ては自分のせいだ”という姿勢に、チームメート達は同意しなかった。
「彼は、別に満塁の状況で落球したわけじゃないだろう―?」と先発投手のジェイミー・モイヤーは問い返す。モイヤーの今日の投球内容がずば抜けていた事は、彼が打たれた4本のヒットの内、内野を抜けたのはたった1本しかなかった事でも証明されている。「僕が思うには、そういう事をした時ぐらいじゃないのかな…?敗戦の責任が全て自分にある、と感じなくちゃいけないのは―。」
「いいかい?誰にも3〜4回は打つチャンスはあった。皆、いい守備をした。誰にも貢献するチャンスはあったんだ。たまには、こんな試合だってあるさ。」
イチローは進んで今日の0−1の敗戦の責任を引き受けるつもりかもしれないが、スコアカードをちょっとでも覗いて見れば、罪を被らなければならない連中は、他にも山ほどいる事が分かる、というものだ。
7回には、ルービン・シエラが、先頭打者として四球を選んだエドガー・マルチネスを1塁に置いて、無駄に遠くまで飛んだフライしか打てなかった。マイク・キャメロンも走者のいる場面で2回打席に立ったが、2回とも三振してしまった。】
【モイヤーが8回にわたってほぼノーヒット試合に近いものを投げた後に9回のマウンドに上ったカズヒロ・ササキは、直ちに先頭打者のティム・サーモンに3塁手マクレモアのグラブを掠めて落ちるヒットを許してしまった。ギャレット・アンダーソンがライトへのクリーンヒットで続いた。無死1塁2塁となってしまったが、まだダブルプレーで切り抜ける可能性は残されていた。しかし、佐々木の暴投で勝ち越しランナーが3塁に進塁し、ショーン・ウーテンの犠牲フライで生還してしまった。
私は、通訳のアレン・ターナーを通して、イチローのコメントに対するササキの反応を訊いた。―今日の試合は、本当に、イチローの輝かしいキャリアにおける最低の試合だったのだろうか…?
「その質問はダメだ。」と、ターナーは私に言う。「カズヒロは、自分のしたことについてしか、話したくないって。」】
【アナハイムは日曜の戦いに勝ち、確かに“真夏の直接対決”を5勝1敗で制した。しかし、我々は、ここで“彼らの払った代償の大きさは―?”と考えずにはいられない。試合に勝って、たった僅かな勝率の差で1位にたってしまったことで、エンゼルスは、今までアメリカの誰もが知らなかったイチローのある一面を引き出してしまったのだ。彼らは、この地球上に存在する最高のオールラウンド・ベースボールプレーヤー(the best all-around baseball player on the planet)を、侮辱してしまったのである―。】(抜粋終わり)
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/1501498p-1619152c.htm
Kazooさん、みっけましたヨ〜♪ 短い記事でしたので、全文、載せますね。(^^)
マリナーズ、苦難続きでも自信は失わず
― ベン・ボリン ―
http://www.usatoday.com/usatonline/20020723/4297856s.htm
チームの花形選手は、シーズン前半のほとんどを故障者リスト入りしたままで過ごし、昨年のチームのホームランリーダーは、現時点で昨年の総数の3分の1しか打っていない。そして、パワーヒッターの中堅手の打率は、.228だ。
にもかかわらず、シアトル・マリナーズは相変わらずアメリカン・リーグのトップ周辺(near the top)にいる。しかも、それはスター選手達が実力を発揮しだす前の事だ。
シーズン当初、マリナーズは、2塁手ブレット・ブーン、DHエドガー・マルチネス、中堅手マイク・キャメロン、3塁手ジェフ・シリーロらが得点を叩き出してくれるものと期待していた。
しかし、マルチネスは4月初めに左足の膝腱(ハムストリング)を痛めて戦線離脱してしまった。強力な投手陣と堅い守備に助けられてAL西地区の首位を守ってはいたものの、打撃陣の多くは不振に苦しんだ。
2001年には、マリナーズはチーム打点と打率でAL首位、本塁打数でも8位だった。しかし、今季は打点・打率で5位、本塁打数では10位である。
しかし、6月15日にはマルチネスが復帰し、新しい打線の調整に2週間ほどかかったのちは、彼の存在が他の選手達の打撃成績にも好影響を及ぼしつつある。
5月に1試合4本塁打を打った後は、続く48試合で4本しか本塁打を打てなかったキャメロンも、最近はまた球が見えるようになってきたようだ。先週のキャメロンは、3本塁打を含む打率.391を記録し、シーズン打率を.228まで上げた。
「シーズンを通して見てくれれば、絶対、20〜25本塁打は打てると思う。」とキャメロンはいう。「不振の時は、何とか結果を出そうと思って無理をしてしまう。でも、エドガーの復帰で、チーム全体も、少しづついつもの調子が戻ってきてる。皆、バットの振りも良くなってきたし、得点力も上がってきている。」
ブーンの今年の打率は、昨年の.331より90ポイントも低いし、15本塁打・59打点というのも、昨年の37本塁打・114打点には遠く及ばない。しかし、マルチネス復帰後の1ヶ月間は、ブーンは.281という安定した打率と5本塁打・15打点という数字を残している。
「ウチの打線はとてもバランスがいいし、試合慣れしたベテランが揃っている。」とブーンは言う。「他のどんなチームと比べても、ウチの打線の方が、たいがい勝っているんじゃないかな。強力打線もいろいろあるだろうけど、俺は、ウチのが一番だと思ってる。」
1塁手のジョン・オルルッドは現在17本の本塁打を打っており、このままいけば今シーズンは28本まで行きそうだ。これは、彼が1993年に記録した自己最高記録より4本多いことになる。打点61は、チーム1位だ。
フリーエージェントのDHルーベン・シエラは、マルチネスの抜けた穴を埋めて、打率.292、12本塁打、54打点を挙げている。カルロス・ギーエンとマーク・マクレモアは、このまま行けば、昨年の打率・打点共に上回るペースだし、本塁打に関しては、両名とも既に昨年の本数以上を打っている。
イチロー・スズキは、昨シーズンよりもさらに良い打撃成績を残している。打率・出塁率・長打率ともに、MVP・新人王を獲った昨年より上を行っている。
マクレモアに言わせれば、出塁して盗塁してくれる1番打者ほど、チームにとって有難いものはない―とのことだ。イチローが好調を維持してくれていたお陰で、他の選手達がスランプに苦しんでいる間も、マリナーズは勝ち続けることが出来たのだ。
「1番打者が出塁するってのが、チームにとって凄く大切なんだ。」とマクレモアは言う。「ウチにとって幸運な事に、彼は世界中の誰よりも多く出塁してくれるからね。」
(以上)(^^)
『スポーツ・イラストレーテッド誌』7月8日号に載ったイチロー選手の記事です。(^^)
表紙のイチロー選手の写真は下記のサイトで見られます:
http://sportsillustrated.cnn.com/features/cover/02/0708/
英文の元記事の方は、下記の『タイム誌アジア版』のサイトに転載されています:
http://www.time.com/time/asia/magazine/article/0,13673,501020715-300682,00.html
イチロー・パラドックス
― S.L.プライス ―
【パワーも強烈な個性もないのに、他に並ぶ者のない選手イチロー・スズキ―。日本が送り出した史上最高の選手であると同時に、日本野球の将来にとっては、元凶となる選手かもしれないのである…。】
…こんな座り方をする男は、他にいるだろうか―?アメリカ人の6歳以上の男子には、まずいないだろうし、断言してもいいが、メジャーの選手には絶対にいない。野球選手というのは、だらしなく座るものだ。ヘッドホンを耳に、前屈みになって座る。あるいは、皇帝の如く腕を組んで偉そうに座る。なのにイチローはと言えば、ロッカーの前の椅子の上に、両膝を抱えて踵を尻にピタリと引き付けた状態で座っているのである。昨今のメジャーのクラブハウスを占拠している筋骨隆々タイプの選手たちにとっては、こんな座り方は、肉体的に不可能であるだけでなく、イメージ的にも可愛らし過ぎて受け入れ難い。―20分が経過する。イチローは動かない。壁から吊り下げられたテレビを見るために、顔は斜め上方に向けられている。じっと画面を見つめながらニコニコしているその様子は、一見、無邪気に楽しんでいる子供のようにも見える。だが、それにしては緊張感がありすぎる―。まるで木の枝の上のパンサーのように、その姿には危険な雰囲気が漂っているのだ。
イチローが観ているのは、今晩の試合で対戦する相手投手のビデオだ。毎試合前、彼は必ずテープを観る。打撃練習後、クラブハウスの喧騒の中で居心地良さそうに椅子の上に納まると、敵の弱点探しにとりかかるのだ。彼の目は輝く―。とてもハングリーな目だ。
昨年は、どの投手も、イチローが日本から引っ提げて来た派手な経歴に傷を付けてやろうと、真正面から向かってきた。だが、彼らは全員、このマリナーズの27歳の新人右翼手に、痛い目に遭わされる羽目になった。彼は.350の打率と242本の安打(過去71年間で最多)でアメリカンリーグを切り裂き、AL新人王とMVPを同時受賞するという、過去に1人しか前例のない離れ業を演じてみせたのである。昨年、彼を抑え込むことの出来た者は誰もいなかったし、彼が上陸して一年半たった現在、米国球界は完全に白旗を掲げている状態である。7月4日現在、イチローは(―もう、誰も、彼の苗字など呼ばない).360も打っているのだ。
「彼を打ち取る秘策なんて、ないよ。」とボストン・レッドソックスの監督、グレーディー・リトルは言う。「(ラインアップの)他の8人を打ち取る事に集中するしかない。」
「守備的に彼を封じ込めるのも無理だね。」とシンシナチレッズのベンチコーチのレイ・ナイトは言う。「―でも、彼を眺めているのはとても楽しい。」
対戦相手の言葉としては奇妙なものかもしれないが、これが野球における「イチローパラドックス」なのである。彼は、“矛盾”を“筋が通ったもの”に変えてしまう。6月30日現在、彼はホームランを2本しか打っていないにも関わらず、リーグ1位の敬遠数を誇っている。サウンドバイト(=ラジオやテレビニュースで繰り返し放送するためのビデオテープ)全盛の時代に、彼は英語をほとんど話さないし、個性を高く評価する文化の中にいながら、ほとんど感情を表に出すことをしない。また、パワー過剰に陥ったスポーツの中で、コンタクト・ヒッターとして通そうともしている。―それなのに、彼はベースボールにおいて最も人気のある選手なのである。昨年に続いて今年も、彼はオールスター・ファン投票で、メジャー1位の得票数を獲得した。彼の総得票数250万票は、確かに、日本からのインターネット票で水増しされているかもしれない。だが、注目して欲しいのは、そのほとんどが米国各地の球場で記入・投函されたマークシート式の投票でも、イチローは170万票を獲得してトップだった―ということだ。
しかし、これらの諸事実も、イチローを少しも当惑させたりはしない。「僕は他の選手とは違うから―」と彼は言う。「僕は、かなりユニークな選手だと思う。」
―実際、彼は彼自身が自覚している以上に、ユニークな存在なのである。日本でのペプシの広告では、イチローがスイングしている写真の下に「世界を変える」というコピーが記されている。これは単なるマーケティング用の言葉ではない。彼はメジャーへ来て、順応するのに苦労するはずだった。だが、現実には、彼はほとんど譲歩というものをしないですんでしまった。慌てて調整に走らされたのは、アメリカのファンであり、投手達であり、各チームの監督達の方だったのだ。彼の成功によって、「小さな日本人(イチローは175cm、72.5kg)にメジャーは無理だ」という長年のアメリカの自惚れは、既に葬り去られてしまった。一方、日本での様子も、丸っきり様変わりしてしまっている。日本でプレーしていた頃は、単なる「野球選手」に過ぎなかったイチローだが、いまや日本全国で崇められるアイドルになってしまっているのだ。
日本の朝は、イチローの試合のテレビ放送で始まる。ティーシャツからも、新聞からも、地下鉄の広告からも、イチローの顔がこちらを見詰める。(“イチローパラドックス”という主題に)相応しいことに、イチローの姿はあちこちに氾濫しているものの、実際のイチローはどこにもいない。日本国を“支配”(dominate)している張本人は、地球の反対側の椅子の上で膝を抱えて座っているのである。しかし、“イチローパラドックス”が最も深い影響を及ぼしたのは、彼が後に残してきた「日本のプロ野球」そのものだ。イチローの活躍は、日本野球に新しい命を吹き込んだと同時に、このままいけば、修復不可能なダメージすらも与えかねないのである…。
カズオ・マツイは、東京中にいる他の近頃の若者とほとんどかわらない。イチローの名前を耳にすると、パッと嬉しそうな驚嘆の表情になる。「彼がメジャーでやっているということだけで、驚きなのに―」とマツイは通訳を通して言う。「―それなのに、その上1試合で2本も3本もヒットを打つだろう?本当に凄いことだと思う。」
時は6月の下旬。他の同年代のほとんどの若者同様、27歳のマツイは、この1ヶ月間をワールドカップに夢中になって過ごし、ファッションにしても、野球ではなく、サッカーの流行りものを取り入れてきた。サッカーブレスレットをつけ、明るい色に染めた髪の頭頂部を5〜6分かけて空に向かって立ち上げて、イングランドのスター、デービッド・ベッカムに似るように工夫する―。「昔からベッカムが好きだったんだ。」と彼は言う。「髪を染めたのも、彼の影響さ。」
―しかし、マツイは、他の若者とは、少し違うのだ。西武ドームでヘアスタイルを整えたその1時間後、彼は西武ライオンズのスイッチヒッター遊撃手として試合に出場し、相手投手の2球目を叩いて先頭打者ホームランにしただけでなく、守備でも完璧なプレーを披露して「日本プロ野球No1のオールラウンド・プレーヤー」という呼び名が正しい事を証明してみせたのである。日本でのコーチ経験のあるドジャーズのピッチング・コーチ、ジム・コルボーン(元マリナーズの環太平洋地区担当スカウト部長)によれば、メジャーで通用する日本の選手は、今現在、30人前後はいるだろう、とのことだ。だが、もし、マツイや読売ジャイアンツのヒデキ・マツイ、そして近鉄バッファローズのノリヒロ・ナカムラのようなトップスター達がメジャーへ飛び出していくような事があれば、「日本野球もたいしたものだ」―などと喜んでいるのも束の間、日本のプロ野球は、一気にメジャーの単なるファーム的存在へと転落する危険だってあるのだ。
「今、日本人は、毎日のようにメジャーの試合をテレビで観ているが、これは短期的に見れば、決して我々にとっていいことではない。」と元オリックス球団社長スティーブ・イノウは言う。イチローをフリーエージェントとして無償で失うよりはまし―という判断の元、2000年にイチローの保有権をシアトル・マリナーズに売る決断をしたのが、このイノウである。「今は、非常に難しい状況だ。日本のプロ野球は、転換期にさしかかっている。これから我々はどっちの方向へ行けばいいのか…。」
今のところ、指標は全て下を指している。この数年、プロ野球の観客動員数やテレビ視聴率は徐々に下降線を辿って来てはいたが、昨シーズン、イチロー&マリナーズが競争相手として出現したとたん、急落した。球界を代表する球団であるジャイアンツの視聴率でさえ、昨年は15%にまで落ちた。(ちなみに、それまで、ジャイアンツの視聴率が20%を割ったことは一度もなかった。)1983年以来、19歳以下の視聴率はなんと66%以上も激減している。東京の街を歩いても、近頃はジャイアンツの野球帽はほとんど見かけなくなったが、マリナーズのキャップはすぐに見つけられる。1980年代には300以上あった実業団の野球チームも、不況のあおりを喰らって、今は90にまで減ってしまった。ファンの関心を取り戻すために韓国や中国と一緒にアジア・リーグを設立しようという話もある一方で、球団削減の可能性も囁かれているのだ。
しかし、イチローや他の10人の日本人選手たちのアメリカでの成功を見ている一般の日本のファンにしてみれば、“日本野球の危機”などと言われても、ピンとこないはずだ。未だかつて、こんなに多くの日本人選手がこれだけ高いレベルで活躍した事はなかっただけに、日本のファンが「日本野球は、今や最高の状態にある」と思ったとしても、不思議はない。昨年、ある日本のテレビ番組に、東京在住で日本の野球に詳しいロバート・ホワイティングが出演して、番組の司会者にこう訊ねた:「皆、心配じゃないのかな―?日本には立派な野球の伝統があるのに、それが今や失われようとしている。スターが、皆、日本を出て行こうとしているじゃないか。」
司会者の答えはこうだった:「いや、日本人は皆、喜んでいる。これで、アメリカ人に対する日本人の優位性が証明されたわけだから―。」
―しかし、いつもこうだった訳ではない。日本に野球が導入されたのは1800年代の末頃、プロ野球が設立されたのは1936年だが、1995年以前にメジャーでプレーする事ができた選手は、たった一人しかいない。1964年から65年にかけて、救援投手のマサノリ・ムラカミがサンフランシスコ・ジャイアンツで54試合に出場したのだが、それも、彼の所属球団がアメリカへ武者修行のために送り出してくれたからに過ぎない。しかし、1995年の冬に、近鉄バッファローズの投手ヒデオ・ノモと彼の代理人ダン・ノムラが、日本球界とメジャーリーグの間で結ばれた協定の抜け穴を発見して利用したのだ。それは、“引退した選手ならば、その後どこでプレーしようと自由であるはず”―というものだった。ノモは引退を発表して、直ちにドジャーズと契約した。それに対する日本中の反応は、まるで、彼が“富士山を爆破して大きな穴をあけた”かのようなものだった。近鉄の社長は辞任し、ノモの両親は泣いて息子に戻って来るように訴えた。ノムラの母親と義理の父―伝説的捕手のカツヤ・ノムラ―は、息子との一切の関係を断ち切った。
「ノモが(メジャーへの)門を開けたわけだが、当時は、皆『ノモは日本野球に対する裏切り者だ』と言ったものだった。」と福岡ダイエー・ホークスの監督サダハル・オーは言う。「それが、今では優秀な選手に向かって、皆、こう言うんだ―『なんで、アメリカへ行かないんだ?』―ってね。」オーは、今のほうがいい、と言う。「だって、そうだろう?私だって、出来ることなら行きたかったんだから。」
ノモが成功したお陰で(1995年度の新人王を獲得しただけでなく、先週末の時点で、メジャー100勝まであと10勝に迫っている)、多くの投手が後に続くようになったため、2000年にはイノウが現在の“ポスティング・システム”なる制度を創設した。才能ある選手達がフリーエージェントになって去って行ってしまう前に、球団は彼らをアメリカの球団に売ることができるようになったのである。
イノウは、イチローの保有権を1、300万ドルでシアトルに売った。2番目にポスティングされたカズヒサ・イシイは、ドジャーズと2月に契約し、6月末の時点でナショナル・リーグ3位タイとなる11勝を挙げた。―しかし、長年、日本人選手達がいだいていた劣等感を払拭してくれたのは、やはり、メジャー初の日本人野手となったイチローの日々の成功の方だろう。「お陰で、日本でいい選手でさえあれば、どこへ行っても通用するんだ、と思えるようになった。」とカズオ・マツイは言う。今年が8年目となるマツイは、シーズン後にポスティングでメジャーへ行くべきかどうか、まだ悩んでいる最中だ。「選択肢の幅が広がっただけに、思いは強くなるよね。」
しかし、これからの5ヶ月間、様々な憶測やパニックやプライドの集中攻撃を受けることになるのは、ジャイアンツの中堅手、ヒデキ・マツイの方だろう。身長190cm、体重95.3kgで今年28歳のフリーエージェントのマツイは、過去2回MVPを受賞、首位打者の経験もあり、その“怖い風貌”から、「ゴジラ」というニックネームで呼ばれている。幸か不幸か、マツイは日本で最も歴史が古くて有名な球団(“ヤンキースの名声”と“ノートルダム校が享受しているファンの崇敬の念”を併せ持っている球団、と言われている…)に所属している。ジャイアンツの観客動員数は常に球界1であり、その所属スター選手達の注目度の高さは、日本にいた頃のイチローでさえ太刀打ちできなかったほどである。ジャイアンツのオーナー、ツネオ・ワタナベは、未だかつて自軍の選手をアメリカに獲られた事がなく、近頃は何かと言うと“スポーツ愛国心”なる言葉を口にしている。しかしながら、ヒデキは昨年、長期契約のオファーを断っているし、現在スイングの改良中ということもあり、メジャーへ行く準備をしているのでは…と推測する声も聞こえてくる。
イチローの成功が野球への関心を掻き立て、サッカーの人気拡大の速度を鈍らせる事ができると考えるのは、理にかなっている。だが、それも、日本のプロ野球の誇るべき歴史を愛する者たちにとっては、たいした慰めにはならない。野球選手を目指す日本の子供達は、確かに増えるだろう―だが、彼らの目標は、日本のプロ野球ではなくなっているのだ。
「もし、ヒデキが行ってしまうようなことがあれば、これはもう、悲劇だね。」とジュン・イクシマは言う。彼は、東京在住のレポーターであり、マリナーズのシゲトシ・ハセガワと共同で日本でベストセラーとなった『僕の英語学習法』(注:正式な日本語のタイトルを知らないもので、違っているかもしれません…m(__)m)を書いた男だ。「ヒデキは、今、日本で最高の野球選手だし、ジャイアンツは日本のプロ野球の象徴のようなチームだ。イチローが去った時よりも、当然、衝撃は大きくなる。人気面やその他の面でも、彼に頼っている部分がとても大きいので、もし、彼に行かれてしまったら、日本のプロ野球がどうなってしまうか、ちょっとわからないぐらいだ。物凄い喪失感に襲われるだろうね。日本のプロ野球の崩壊の始りになるような気がする…。」
これからは、日本の最高の選手たちのプレーをどうしても見たいと思うなら、時差ボケに苦しみながらドジャースタジアムやパシフィックベル・パーク、セーフコーフィールドの周りをさ迷っている観光客たちの大群の後に続くしかないのかもしれない。シアトルにやってくる日本人観光客の著しい増加に対処するために、マリナーズは球場の周辺に日本語の標識を新しく立てたほどである。「誰か、私に賞をくれないかな。」とイノウは言う。「日本人もシアトルの名前くらいは以前から知っていたけど、人気はあまりなかったからね。今じゃ、シアトルはイチローの町になって、日本人が沢山行くようになった。特別ボーナスかなんか、貰いたいぐらいだな。」
…こんな待ち方をする男は、他にいるだろうか―?と思うのだが、どうも、真似をする野球選手がどんどん増えているような気配だ。イチローがネクスト・バッターズ・サークルで演じる“クネクネ体操”は、今やシアトル式の“かっこよさ”の象徴であり、そこら中のリトルリーガー達が、一生懸命(イチロー式の)無表情を保とうと努力しながら、プレッツェルのように体をねじっている。
最近の対オークランド戦での4回のことだ。A’sのピッチャーは9連勝中の左腕バリー・ジトー。打席に入る準備をしているイチローは、“今シーズン最長のスランプ中(13打数無安打)”である事など微塵も感じさせず、いつも通りに、6種類以上の柔軟運動を時間をかけて行っている。「毎回、ピッタリ同じなんだ。」とマリナーズのチャールス・ギプソン外野手は言う。「彼の場合、精神的に乱れることは、絶対にない。」
イチローの打席は、まるで“相手ピッチャーの痛め付け方”のお手本を見ているようなものだ。まずストレッチをし、次にユニフォームの肩をちょっと摘んで、あとはファール、ファール、ファールの連続―そして、最終的にセンターへのヒット。頭に来るほど正確な彼のヒッティングの技術を相手に三振を取るのは、至難の業だ。初回にイチローにワンバウンドのカーブを振らせる事に成功しても、「自分のことを“よくやった”、と褒める気にはなれない。」とジトーは言う。イチローにしては珍しい失敗を彼がしただけ―というふうにしか思えないからだ。
イチローほど、簡単そうに野球をやってみせる選手は他にいない。そして、イチローがたまに発する“平凡な言葉”(「結果の良かった日も悪かった日も、何か改良すべき点はないかを考える。」と彼は言う。「全てを吸収し、消化した上で次の日に臨む。僕にできるのは、それだけだ。」)を、“禅の深遠な真理”のようにありがたがって解釈するイチローのファンは、彼がその才能をどこぞの山頂に住む名僧から授かったのではないか…などど想像する誘惑に駆られるのである。この日本から来た“打撃の達人”が、実際は、アメリカの古臭い決り文句、“努力は成功のもと”、に従って育ってきたとするのは、なんとも相応しくないような気がするのだ。
彼の父、ノブユキは、次男だったにも関わらず“一番目の息子”を意味する「イチロー」と名付けた事で、その子を特別に思っている事を示した。自分自身も高校野球の経験のあるノブユキは、4年間、毎日一緒に練習し、“選ばれし者”に対して徹底した野球教育を施した。イチローが高校1年になる頃には、その競争心は、最高レベルにまで研ぎ澄まされていた。日本では、新人選手が先輩のユニフォームを洗濯するのが慣わしとなっているのだが、日中の練習時間がそれによって侵食されるのを嫌ったイチローは、毎日早朝3時に起きて洗濯を片付けた―そして、授業中には眠った。プロになった最初の年、彼は自由時間のほとんどをバッティングケージの中で過ごした。イチローが球を叩く音が際限なく続く中、他の選手達は、入れ替わり立ち代り練習場を訪れ、朝食へ行き、昼食へ行き、昼寝をして夕食に行く、という日課を繰り返したのである。
…さて、やっと、最高の“イチローらしい瞬間”が訪れる。イチローは、1塁の3歩左側にゴロを転がすのだが、あまりにも足が速いので、ジトーのベースカバーが全く間に合わない。他の選手なら間違いなくアウトの場面で、イチローはまたまたセーフになり、“パラドックス”を実践して見せるのである。「イチローが打ち損なった時っていうのは、かえって、彼に有利になる事が多いんだ。」とジトーは言う。「彼には、全くウンザリだよ―。」
セーフコーフィールドの42,159人の観衆が大歓声を上げる。全員がイチローの反応を見ようと、身を乗り出す。だが、イチローは、表情一つ変えない。東京のどこかでこの場面を観ていた野球選手は、一瞬、朝食を食べるのも忘れて画面を見つめる。そして、これほどまでにユニークな選手でいるというのは、いったい、どんな気持ちがするものなんだろうか…?と、密かに思うのである―。
(以上)(^^)
--------------------7/20 Yoru…
沢山の暖かいコメント、ほんとうにありがとうございました!m(__)m ご推察の通り、今度の記事はかなり長かったもので一気に訳すには集中力が続かず、暇を見ては3日程かけて少しづづ訳しました。こんなに沢山の方に喜んで頂けるなんて、ほんとうに訳者(…むむ、ちと図々しい^^;;)冥利に尽きます!(^○^) …誤訳のないように細心の注意を払ったつもりですが、そこは素人の悲しさ、気付かないミスもあるかもしれません。どうか大目に見てやって頂けますよう、お願い申し上げる次第です―。m(__)mm(__)m
マリナーズ公式HPの今日の試合の記事です。Shizuさんも指摘していらっしゃるように、記者もサヨナラの場面でのイチロー選手の本塁送球を褒めています。(^^)
イチロー、パワーとインテリジェンスを披露する
< M’sのスター、初の1試合2本塁打 >
― ジム・ストリート/MLB.com ―
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020713&content_id=81314&vkey=news_sea&fext=.jsp
イチロー・スズキが10回の裏に試みた本塁送球が試合の終了を阻止する確率は、100万分の1ぐらいだったかもしれない。
だが、それでも彼は送球した。―そして、彼のそういう姿勢こそが、彼をメジャーにおけるベスト・プレーヤーの1人にさせているのである。
―なぜなら、事態がどう転ぶかは、最後までわからないからだ。
10回ノーアウト満塁の場面で、マリナーズの内・外野陣は通常よりも浅めの守備隊形を敷いていた。しかし、その作戦も、ベン・グリーブスの強烈なゴロがダイビングストップを試みたブーンのグラブ先を掠めて外野に抜けて行った時点で、無駄になってしまった。
だが、イチローは、決勝点が入るのをただ指をくわえて眺めてはいなかった。内野に向かって猛然と走りこむと、捕球してそのまま全力でホームへ送球したのだ。彼の送球は敗戦を防ぐ事は出来なかったが、ホームでアウトを取る事しかマリナーズが試合を続行するチャンスがないことを、彼はよく知っていたのだ。
「何が起こるかわからないじゃないか。」とイチローは説明する。「走者が躓いて転んだりするかもしれないし―。」
(中略)
5番目に投入されたジョン・ハラマが敗戦投手となったが、敗戦は彼1人だけのせいではなかった。ショートのカルロス・ギーエンがコックスの平凡なゴロを後逸するというエラーを犯したのだ。それとハラマがその直後に与えたヒットと敬遠四球がマリナーズを窮地に陥れ、結果的に連勝を「3」でストップさせてしまったのである。
―そして、イチローの素晴らしい夜をも台無しにしてしまった。
この夜、彼は一試合で2本の本塁打を打って、また一つ、メジャーにおける自己初記録を記録していたのだ。イチローが叩いた試合開始直後の1球目は、ライトの外野席の中段深くまで飛び、今季3本目の本塁打となった。3本が3本とも、先頭打者ホームランである。
今季4本目の本塁打は、3回表の開始を告げる一発となり、1回の時とほぼ同じ場所に飛び込んだ。マリナーズに来てから初めての1試合2本塁打だったが、日本のオリックス時代には既に何回か経験している。
2本目のホームランを打ってダッグアウトに戻って来たイチローに、数人のチームメート達が、「一体、どうやったんだい?」と訊いたという。
しかし、イチローの秘訣がなんだったにせよ、真似できる選手は他には誰もいなかったらしい。
というのも、マリナーズはその後2度と得点しなかったのである。それも、残塁が多かったとか、得点圏に走者を置いて打てなかったから―とかいうのではない。走者を出す事すら、ままならなかったのである。
シアトルは、残塁5、盗塁失敗3、そして本塁での憤死1を今日の試合で記録してしまった。デビル・レイズの新人捕手トビー・ホールは、2盗を試みたマクレモアを2回も刺している。マクレモアの盗塁14回はチーム3番目だが、盗塁失敗11回はチーム1番である。
「事前のスカウティング・レポートでは、彼の送球は不正確ということだったんだ。」とピネラはホールについて言う。「―でも、今晩の彼は正確だったね。」
マリナーズがこれほどまで得点するのに苦労していなければ、3塁コーチのデーブ・マイヤーズも、3回に、オルルッドを3塁に止めていたかもしれない。だが、マイヤーズは、ブーンのレフト前ヒットで、オルルッドを本塁に突入させる事を選んだ。
ジェーソン・コンタイの送球はオルルッドをホームで刺し、その回のマリナーズの攻撃を終わらせた。
「ツーアウトだったこと、そして、なかなか点が入りそうにない状況だったことを考えれば、あの場面では賭けに出るべきだと思ったんだ。」とマイヤーズは言う。「コンタイの肩は特に強いというわけではなかったし、オルルッドのスタートも非常によかったしね。(アウトにした)向こうを褒めるべきだと思うね。いいプレーをされてしまった。」
(以下略…)
今日の試合後の記者会見の中で、ピネラ監督が今年の前半戦を振り返ったそうです。下記はニュース・トリビューンの記事からです。
M’s、てんやわんやの前半戦を生き延びる
― ドン・ルイツ ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/1381394p-1500173c.html
会見でのハイライトは下記のとおり:
●最悪だった事
「怪我人の続出。あんなことになるなんて、誰が予測できたと思う―?それ以外にも、スランプに苦しんだ選手も何人もいたし…。彼らには、後半戦は頑張ってもらわないとね。」
●良かった事
「投手陣の頑張り。まずピネイロ―No.3スターターとして定着したのが大きい。次にブルペン―ネルソンを欠きながら、遣り繰りできたこと。そして全体的には、いろんなことがあったにも関わらず、なんとかトップにいられたこと・・・・ウチのショート(カルロス・ギーエン)は、いまだに右打席に立てないし(注:スイッチヒッターである事が強みのギーエン選手なのに、6月初めにデッドボールを受けた左手薬指の痛みが引かないため、まだ右打ちが出来ない)、指名打者(マルチネス選手)はいまだに走れない。ネルソンは5〜6週間も戦列を離れてしまったし、本来のNo.3スターター(ポール・アボット)は、今季絶望になってしまったんだからね…。」
●チームの強み
「守備面では、非常によくなってきた。好守備にかなり助けられた。いい守備は、ピッチングにもいい影響を与えるしね。ウチは、守備はいいだろうと当初から思ってたけど、実際、とても良かったと思う。今の(チームとして成し遂げた)結果に満足しているかって…?ああ、満足しているよ。」
●選手層
「今年は、最初からずっと“ルール5ドラフトの若造”(ルイス・ウゲット)をベンチに置いとかなくちゃならなかった。(注:“メジャーで必ず使う”という条件付きでフロリダ・マーリンズのマイナーから獲って来た選手なので、25人ロスターから外すと、マーリンズに返さなくてはならない。ピネラ監督の意に反して、マリナーズの上層部は、どうしてもウゲットをキープしたいらしい…。)ウチのような立場(=優勝を狙う)のチームで、こんなことをしたチームは他にいない。おかげで、今年は投手にしろ野手にしろ、何回、コマ不足に陥ったことか…。春季キャンプの頃に想定していたようには、うまく選手を遣り繰りできなかったね。・・・まあ、後半戦には怪我人もなくて、もっとうまくいくかもしれないけど。いずれにしても、かなり苦しいことは、確かだ。」
●先の事
「シリーロとキャメロンには、後半戦、頑張ってもらわないと―。それがまず、一番だね。肘の手術から戻ってきたネルソンにも、投げる機会を与えて力強さを取り戻してもらう必要がある。」
「オークランドとエンゼルスは、落ちて行ってはくれない。多分、ここがメジャーで一番競争の激しい地区だと思う。シーズン前からそう予想していたし、その通りになった。」
「要するに、後半戦の直接対決で、彼らに勝たなくてはならない、ということだ。直接対決は非常に大切で、一気に差が開いたり詰まったりする。エンゼルスとの大事な連戦が、後半戦開始後すぐにやって来る。ウチにとって有利な点と言えば、エンゼルスvsオークランドの直接対決が、今後13試合もあること(=2チームで星の潰し合いをしてくれる)。ウチの地区は、2位以下のチームが勝率5割を割るどころか、貯金が15もあるような地区なんだ。とっても、キツイ地区なんだよ。」
「地区優勝できると思うかって…? 思うよ。でも、かなりいいプレーをしなくてはならないとは思うけどね。」
●ギリックGMのコメント●
シーズンが半分終わった現時点で、マリナーズのギリックGMは、今のロスターには信頼を置いているし、“どうしても補強をしなくては―”というプレッシャーは感じていない、と言う。
「チームを、より良く強くしたいとは思うので、色んな交渉はしてみるつもりだ。」とギリックは言う。「でも、もしそれが成功しなくても、今のメンバーが頑張ってくれさえすれば、十分いい後半戦が戦えるはず、と思っている。」(注:マリナーズがトレード戦線で苦戦しているのは、相手チームが欲しがりそうなマイナーの有望株のほとんどが、今現在故障中なため:例えば、左腕ライアン・アンダーソンとマット・ソーントン、右腕ギル・メッシュ、グレグ・ウーテン、ブライアン・フォーケンバーグ、内野手ウィリー・ブルームクィスト、外野手クリス・スネリング等…。(-_-;)ピネイロ投手を出せば、成立するトレードもあるようですが、まさか、そんなことはしないでしょうしね…。追記:オールスター後にも上がってくるかも、とシーズン開始当初期待したメッシュ投手ですが、肩の調子がよくなく、結局、今期上がってくる事は無理だそうです…。(-_-;))
NYヤンキーズが活発に動いているから―という理由だけで、自分が動く事はない、とギリックは言う。
「ヤンキーズは、2人の選手を獲得するチャンスがあって、給与支払い総額を増やす決断をした。もし、それが彼らの予算の範囲内であって、チーム方針の範囲内であるなら、どうぞご自由に―ということだ。我々は、ヤンキーズのやる事やその他のチームのやる事などに関心はない。我々は、自分達の組織をどのように運営するかと言うことにしか関心がない。」
〔以上〕
(・・・あっと驚くような補強は、どうもなさそうですね…。^^;)
>yuriさん、こんばんは。(^^)
ちょっと、雑になってしまいましたが、取り敢えず訳してみました。表現が練れていないところは、どうか、大目に見てやってくださいね。^^;
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【“パンチョ”の死は、野球にとっての損失】
― ウェイン・Graczyk、マーティー・キーナート ―
我々の良き友人で、この40年間の国際野球の分野でもっとも華やかな人物だったカズオ・“パンチョ”・イトウが、この7月4日に長い病の末、亡くなった。68歳だった。
元パシフィック・リーグの広報部長だったパンチョは、後に有名なテレビ・ラジオのパーソナリティーになり、メジャーの試合を放送したり、メジャーについての数々のコメントを残した。パンチョは、衛星放送やケーブルテレビ以前の時代、野茂やイチローが登場して日本でのメジャー人気を幅広いものにするはるか以前の時代から、何十年も、ずっと熱心なメジャーのファンだった。
マーティー: 私が最初にパンチョに会ったのは、1973年に、元ボルチモア・オリオールズのスター選手ドン・ビューフォードと太平洋ライオンズとの契約を仲介するために一緒に来日した時の事だった。島原のキャンプに着いてすぐの頃、パンチョが現場に現れて、直ちに強烈な印象を僕に与えたんだ。彼は背が低く、丸々としていて、溌剌とした性格の男だった。それと、まだ40歳にはなっていなかったはずなのに、明らかにカツラを着けていたんだ…。
でも、彼を本当に特別な人間にしていたのは、彼の野球に対する愛情と、鮮明な記憶力だった。彼は、ただ単に野球に関する記事や本や数字を読むんじゃなくて、全て暗記していたんだ。あれは、持って生まれた才能だったんだと思う。
ウェイン: 僕が初めてパンチョに会ったのは、1976年の1月に日本プロ野球コミッショナーのオフィスへ、ファンのための英語ガイドのアイディアを持って行った時だった。その時、同じビルにあったセントラル・リーグとパシフィック・リーグのオフィスにも顔を出したんだ。当時パシフィック・リーグの広報担当部長だったパンチョが僕を励ましてくれて、2人はその場ですぐ友達になった。僕がNY出身だと分かると、彼は即座にNYジャイアンツのアナウンサー、ラス・ホッジスがボビー・トムソンの「世界中に轟いた一発」(1951年10月3日の優勝を決めたホームラン)を実況する物真似を始めたんだ。勿論、一言一句違わず、全て言えた。
マーティー: パンチョが言うには、彼はFENのラジオ放送を聞いて大きくなったんだそうだ。夜は、布団の中でも聞いていたらしい。そうやって、彼は英語もMLBのことも学んだんだ。
私が思い出すのは、2人でベーブ・ルースに関するMLBのハイライトフィルムを見ていた時の事だ。ナレーターが「バンビーノがスイングして…おっと、60号だ!」と言って、画面では背番号3を付けたルースが、あのお馴染みの走り方でベースを一周していたんだ。すると、パンチョがすっくと立ち上がって、「あれは、本物の60号の時の映像じゃない!だって、彼が60号を打ったのは1927年で、ヤンキーズは1929年になるまで、背番号つきのユニフォームは着てなかったんだから!」
たった一目見ただけで、あんな細かい事まで気付く本当の専門家なんて、パンチョを含めても世界中に数人しか居ないはずだ。
ウェイン: 彼は、1957年のワールドシリーズ第3戦のミルウォーキー・ブリューワーズのスタメンも空で言えたよ。
マーティー: パンチョは、思い出そうと思えば、何でも思い出せたよね。彼の記憶力は凄かったし、本当に人生を楽しんでいた。この30数年間に存在していたメジャーの球場には、全て足を運んでいたし、どの町にも友だちがどっさり居た。
ウェイン: 僕は、1979年に、ロスアンゼルス、シアトル、サンフランシスコと周ったんだけど、アナハイム・スタジアムでパンチョに出っくわして、シアトルへのフライトでも一緒になって、キングドームで開かれたMLBオールスター関連の全ての催しでもみかけた。もう、どこにでも居る、って感じだった。
マーティー: パンチョのカツラは、長年、笑いのネタを提供してくれてたね。彼がカツラを使っていた事は周知の事実だったのに、彼1人が、真剣に隠そうとしていたんだもの。
10年以上前のことだけど、お正月のスペシャル番組で、トンネルズの石橋貴明が、1968年から1991年にかけてパンチョが司会を務めていたプロ野球ドラフト会議で各球団の上位指名者名を読み上げる時の物真似コントを演じたんだ。石橋はパンチョの甲高い声音を巧みに真似して、「―そして、読売巨人軍、第1回選択希望選手・・・」と言ったあと、「ちょっと失礼・・・」と言って、被っていたカツラを360度回転させて調節しなおすと、何事もなかったかのような真面目くさった顔で、再び、指名選手名を読み上げ始めたんだ。見ていた観客のほとんどは、腹を抱えて笑い転げていたけど、パンチョ自身は、最後まで絶対にカツラを着けていることを公に認めようとしなかった。
ウェイン: 僕がいつも思い出すのは、彼が自分の事を8分の1はイタリア人なんだ、だからこういうニックネームが付いたんだ、と言っていた事。でも、それなら、なぜ(もっとイタリアらしい)ジュゼッペとかルイージとかいう名前をつけなかったんだろう…?って不思議だったんだ。
マーティー: 彼に関する逸話は、山ほどあるよね。1991年にパシフィック・リーグの役職から退いてからは、かなりの有名人になってフジ・サンケイ・グループと色んな契約を結んでいた。サンケイ・スポーツに連載コラムを書いていたし、フジテレビやニッポン放送によく出演してた。
ウェイン: 彼のベスト・パフォーマンスの一つは、1995年のMLBオールスター戦直前に、テキサスのアーリングトン球場の外からフジテレビのための実況中継をした番組だろうね。野茂がナ・リーグの先発投手を務めた、あの試合だよ。彼があまりにも誇らしげで嬉しそうだったものだから、日本中のファンが、北米野球に対する彼の愛情の深さに感化されたんだ。
マーティー: もう一つのいい想い出は、ある晩、パンチョと銀座に繰り出した時、ふっと見たら、彼がサングラスをかけていたもんで、何で夜なのにサングラスをしているの?って訊いたんだ。そうしたら、澄ましてこう言うんだ―「最近、ファンが煩くてね…。」って。背の低いコロコロした体型のカツラをつけた、もう“この人しか居ないでしょう”、という紳士が、変装してバレてないつもりでいるんだもの…。
ウェイン: そうでなくても、すぐバレるよ。だって、ほとんどいつでもメジャーのチームジャケットを着てたじゃないか。たいてい、カンサスやタンパベイとかの、地味目な球団のだったけどね。多分、日本で一番最初にエキスパンション・チームのロゴを着てたんじゃないのかな?―しかも、チームが実際にまだプレーし始める前に。彼は、絶対に、30球団全てのチームジャケットを持っていたと思うな。もしかすると、もっと沢山持ってたかも…
マーティー: パンチョは、本当にいい友達だった。凄く頭が良くてね。ずれたカツラのように可笑しくもあったし…。彼がいなくなって寂しいな…。本当に、寂しい! 安らかに眠りたまえ、パンチョ!
ウェイン: ―然り(Amen)。
〔以上〕
ピネイロ投手に関するインタビューが、ちょうどMLB公式HPにアップされていましたので…。^^;「また、ピネイロ〜?(-_-メ)」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、今日の試合は、なんとも@●×$∞△な試合でしたし^^;、ここはひとつ、私のミーハー振りを大目に見て頂けますよう、伏してお願い申し上げる次第でございます…。m(__)m
ジョエル・ピネイロと一問一答
― ジム・ストリート ―
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/news/mlb_batting_around.jsp?ymd=20020705&content_id=74884&vkey=baround&fext=.jsp
もし、一年前、ピネラ監督があるトレード話に“イエス”と言っていたら、ジョエル・ピネイロは今頃マリナーズではなく、デトロイト・タイガースで投げていたかもしれないのである。・・・(中略)
Q: 昨年は、マリナーズ関連のトレードの噂話の殆ど全てに、君の名前が取りざたされてたね。どんな気分だった―?
A: トレードされる確率は、五分五分なのかな…って思ってた。でも、気にしないようにはしてた。もしトレードが決まれば、それは相手チームがそれだけ僕を欲しがったことの証拠だし、逆に決まらなければ、シアトルが僕を出したくないと思ってくれたわけだからね。結果的にああなって(=トレードが不成立で)、ここに残れて良かったと思っている。
Q: どれだけ自分がトレードされる寸前だったか、実際に聞いたことはあるの―?
A: 最後の最後に、ギリギリまで行ったらしい―。トレード締め切り期日直前にデトロイトで試合があったんだけど、選手仲間から「―お前、ひょっとすると、明日はウチ(マリナーズ)に対して投げてるかもしれないぞ。」って言われたんだ。その時は、さすがに緊張したね…。噂では、僕がタイガースに行く代わりにホワン・エンカルナシオンがマリナーズに来るって事だった。大変な一日だったけど、結局、こうして2002年7月の今でも、僕はマリナーズにいるわけだからね…。
Q: 春季キャンプで先発ローテーションに入る権利を獲得したはずなのに、シーズン開始当初はブルペンに入ったよね。君にとって、どっちの方がいいとかいう拘りはあるの―?
A: 僕としては先発の方が好きだし、その仕事をもらったんだけど、ルー(ピネラ監督)が、チームにとっては僕がブルペンにいた方が都合がいいって説明してくれたんだ。実際、ルーの言う通りだった。僕も少しはブルペンの役に立てたと思うし、チームもいいスタート(17勝4敗)を切る事ができた。そのこと(ブルペン入り)で、怒ったりとかは、別になかった。僕は、ただ、できるだけチームの役に立ちたかっただけだから―。それに、自分にとっても、却っていい経験だったのかもしれない。救援で投げる時って、最初から積極的に行かなくちゃならないんだけど、先発にまわってからも、そのアプローチが役に立っていると思うから。
Q: 君の出身地のプエルト・リコの地元社会に対して、何か“恩返し”したい、という気持ちはある―? もし、あるんだとしたら、どういう形で―?
A: 絶対にそうしたいと思っている。それも、プエルト・リコだけじゃなくて、僕が育ったフロリダのオーランドにもね。両親が離婚した10歳の時に、僕はプエルト・リコを出ているもんだから…。
ホアン・ゴンザレスやロベルト・アロマーなんかがプエルト・リコに対してやってきた事を見て、僕も同じ事をしたいと思うようになったんだ。まだメジャー2年目なんで、たいした事が出来る立場じゃないけどね…。でも、絶対にやるよ。いつか、必ず、出身高校に戻って行って、そこの野球プログラムで手助けできることがあれば、援助したい。将来、自分の主催するチャリティーで、困っている人を助けることができればいい、とも思っているんだ。
Q: 野球選手を目指す子供には、必ず憧れの選手がいるもんだけど、君のは誰だった―?
A: 僕のアイドルは、ロベルト・アロマーだった。子供の頃、ショートを守っていたんで、内野手の彼のプレーが好きだったんだ。彼はとっても積極的なプレーをしたし、威圧感もあって、凄くいいと思った。もう1人は、ロジャー・クレメンス。この2人が僕の一番尊敬していた選手達で、部屋の壁に写真も貼ったし、リトルリーグでの背番号も、彼らと同じにした。
Q: 高校の最終学年での新人ドラフトに関する想い出は―?
A: 一番覚えているのは、指名されなくて凄くガッカリした事―。高校卒業と同時にプロに入るつもりだったし、指名されるのは確実だと思っていたんだ。だって、何人ものスカウトから声を掛けられていたんだよ。僕が投げる日には、いつも10人ぐらいのスカウトが見に来ていたし、電話もしょっちゅう掛かってきてて、履歴書も沢山書いた。それなのに、いざドラフト当日になったら、誰も指名しなかったんだ。一番、積極的だったのが、コロラドとロイヤルズ。いまだに、なぜ指名がなかったのかわからないんだ。でも、結果的には、地域短期大学に進学してマリナーズが指名してくれたんだから、うまくいってよかったんだけどね。
Q: 初めてアメリカへ来た時、一番苦労した事は―?
A: 両親が離婚したあと、母さんとこっちへ来たんだけど、すごく大変だった。言葉(英語)も全く分からなくて、同じような境遇の子供たちと一緒に授業を受けたんだ。皆、今の僕を見て、アメリカ人だと思うらしいんだけど、「プエルト・リコ人だよ」って言ってるんだ。
Q: 世界中で、誰か1人に会えるとしたら、誰に会いたい―?
A: 僕は、ロベルト・クレメンテ(故人)に会いたかったな。彼は、メジャー史上に“プエルト・リコ”の地名を刻んだ最初の選手だった。それに、1人の人間としても、本当に素晴らしい人だったんだよね。(注:活発な奉仕活動で有名で、確かニカラグアに援助物資を空輸中に飛行機が墜落して亡くなったんだと思います…)
Q: もし、ここに水晶球があって10年後の自分が見えるとしたら、何が見えると思うー?
A: いい野球人生を送っていればいいな、と思う。別に、スーパースターになっていなくてもいいんだ。ただ、野球選手としてしっかりとしたキャリアがあって、地域社会の役に立ちながら社会人としてもいい評判を得ている・・・そんな自分が見れたらいいな、と思っているんだ。
〔以上〕(^^)
そのルックスのよさ、マウンド度胸のよさから、ここのボードでも人気のあるピネイロ投手ですが(>ね、おばちゃんさん♪^^;)、彼の投手としての評価は、マリナーズのチーム内のみならず、メジャー全体の中でも、相当高くなってきているようです。
昨年のオフに、マリナーズは、エース級の先発投手とパワーヒッター系の外野手をトレードで獲得しようとして複数のチームと交渉したようですが、どの場合も、先方が必ずピネイロ投手を交換要員として要求してきたため、全部不成立に終わりました。今年のピネイロ投手の成長振りを見れば、マリナーズがピネイロ投手だけは絶対に手放そうとしなかった理由が、良くわかりますね。(^^)
下記は、夕べ、シアトルタイムスにアップされたピネイロ投手の記事です:
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ピネイロ:マリナーズがずっと求めてきた有望株
― ブレイン・ニューハム ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134486733_blai03.html
ジョエル・ピネイロがマリナーズの選手になったのは、ほとんど偶然の産物のようなものだった。―しかも、結果的に、彼はただの普通の選手ではなかったのだ…。ピネイロは、マリナーズの下部組織出身の生え抜きの選手としては、エリック・ハンセンやマーク・ラングストン以来の、最高の選手かもしれないのである。
1997年のある日、マリナーズはマイアミで入団テストを行う予定だった。しかし、ピネイロがテスト会場に着いた頃には、厚い雲に覆われた空からは激しい雨が降り注いでおり、当分止みそうになかったために、マリナーズは入団テストを中止した。「わざわざ来てくれてありがとう」、とマリナーズの担当者はピネイロに言った。
しかし、ピネイロはそこで諦めるようなことはしなかった。次の入団テストが行われる日時と場所を教えてもらうと、ただちに車を走らせて北へ向かい、州境を越えてクリアウォーターへと急いだのだ。
「―しかし、なんだね。」とマリナーズの選手人事担当役員のロジャー・ヨングワールドは言う。「もし、あの時、彼を見る機会に恵まれていなければ、ドラフトで彼を指名しなかっただろうね。」
「―もちろん、我々は彼を見て、とても気に入ったのさ。」
今日、カンザス・シティー戦に登板する予定のピネイロは(注:この記事は、夕べ、アップされたものです…^^;)現在8勝3敗で、AL3位となる防御率(2.93)を誇っている。もし、シーズン初めからブルペンではなく(ブルペンで“18イニングで1失点”という好記録を出している)、先発投手としてスタートしていたならば、あと6回は先発機会が増えていた事になる。そうなれば楽に11勝以上は挙げていたかもしれず、オールスターに選ばれる資格も得ていたかもしれないのである。
ピネイロ(23歳)は、マリナーズとトレードを希望するチームが、必ず指名してくる選手である。1996年ドラフト1位でギル・メッシュを、そして1997年ドラフト1位でライアン・アンダーソンを獲った時にマリナーズが得たと思っていた理想の若きエースが、実は、今のピネイロなのかもしれない。
ピネイロは、マリナーズが1997年のドラフトで、12巡目に指名した選手である。
「入団テストがどこかであると聞くたびに、片っ端から行ってたんだ。」と、ピネイロはマリナーズに入団する事になった経緯を語る。「プロの野球選手になるのが僕の夢だった。野球好きは父親譲り。なにがなんでも、この夢は実現させるつもりだった。」
ピネイロのケースは、非常に興味深い。ラテン系の野球選手の熱い情熱が、堪能な英語での会話を通して、ひしひしとこちらに伝わってくる。
彼はプエルト・リコで生まれで、現在もそこに住んでいる。父親のギルは、プエルト・リコの野球選手(投手)。ジョエル自身も4歳の頃から野球を始めた。両親が離婚すると、ジョエルは母親と共にフロリダに渡り、そこの高校と地域短期大学で学んだ。
彼は、ラテン系の選手達とアメリカ人の選手達の間を行き来しながら、どちらとも非常にうまくやっている。そのリラックスして自信に満ちた態度は、マウンド上で見せるそれと、何ら変わらない。
プライス・ピッチングコーチ曰く、「昨年のジョエルは、チーム内での自分の居場所に関して、時々、心配しているのが見て取れた。何回か失敗すれば、即マイナーに落とされてしまうんじゃないか…ってね。でも、今年はそんな素振りを微塵も見せていない。」
ピネイロには、落ち着き、自信、そして自制力が備わっている。ピッチングだけに止まらず、これらの長所は他の分野でも存分に発揮されている。
「彼は、自分の全ての球種に自信を持っている。」とプライスは言う。「左打者に対して、1−2のカウントからでも、怖がることなくチェンジアップやストライクゾーンに切れ込んでいくスライダーを投げられるんだ。」
速球、スライダー、チェンジアップ、カーブという球種のレパートリーの豊富さは、とても新人のそれとは思えない―どうみてもベテラン投手のようだ。
彼の場合、他の全ての球種を生かすのはカーブだ。カーブが彼の決め球であり、一番好きな球種でもある。今のメジャーでは、カーブを投げる投手は少なくなってしまった。
「高目に行きやすくて、簡単にホームランになってしまう球種だからね。」とヨングワールドは言う。「だから、最近は低目に行くスライダーやスプリット・フィンガーの方を、皆、投げるんだ。」
「でも、打者の立場から言えば、投手にカーブを投げられると、他の全ての球種もすごく打ちづらくなるんだ。」
真上から投げ下ろすピネイロの投球スタイルは、オーレル・ハーシュハイザーのそれと良く似ている。ピネイロのカーブは“12−6カーブ”と呼ばれるもので、“12時の方向から入ってきて、6時の方向で打者を討ち取る”という意味だ。
ドラフトでのピネイロの指名順位が“12位”と低かったのは、他の多くの右腕投手に見られるような、6フィート3インチとか4インチとかの高身長に恵まれていなかったせいだ。
「以前は、よく、内野手か?って訊かれたよ。」と6フィート1インチのピネイロは言う。「ペロド・マルチネスだって大きくない事を、皆、忘れてるんだ。僕は(体格の事なんて)、全然気にしてない。要は、投手としての才能があるかないか、それだけなんだから。」
ピネイロには、間違いなくその才能がある。怪我をしたことがない、というのも大きいかもしれない…と答えながら、自分のロッカーの木の壁をコンコンと叩くピネイロ。(注:チャールトン選手の記事でも出て来ましたが、「木をコンコンと叩く」と言うのは、「うまくいっていることや自慢などを口に出して言ってしまうと、復讐の女神に祟られる恐れがあるので、それを防ぐ目的でするオマジナイ」=「knock on wood 」^^;)その他にも、彼はランニングやウェートトレーニングなどのトレーニングもしっかりやって、いつでもいい状態でいられるように心がけている。
他のチームが自分を欲しがっている事は、ピネイロ自身も知っている。だが、彼としては、ずっとマリナーズに居たいと思っているようだ。
「だって、そもそも僕にチャンスをくれたのは、マリナーズなんだから―。」とピネイロは言う。
春季キャンプで先発ローテーション入りの権利を勝ち取っていたにもかかわらず、シーズン開始時にはブルペン入りを命じられたピネイロだったが、それでも文句一つ言わなかった。昨年、3Aのタコマへ落とされた時も、黙って従った。彼は、マリナーズのチーム内でも地域社会でも、“いいヤツ”としてずっとやってきている。
野球界というのは非常に不確かな世界で、投手の半分は、なんらかの故障が原因で潰れていく。だが、マリナーズにとって、ピネイロほど“確かなもの”は、他には見当たらない。彼のような長期的にも有望な選手を、短期的な利益のために失うような事は、マリナーズは絶対にしないはずである。
〔以上〕(^^)
昨日、the’59さんが紹介してくださっていた、イチロー選手のバットの記事です。イチロー選手が道具を大切にする様に感嘆しながらも、(そこまでするか〜…?)というような、ちょっぴり揶揄するような響きも垣間見える記事になっていますネ。^^; 他の記事でも以前、取り上げられた事のある題材ですが、今回のは『ナチュラル』との比較が興味深く、特に最後の数行にはジーンとしたので、訳してみました。
…実は、夕べ8割方訳してあったのですが、PCがフリーズしてしまい、全文、見事にどこかへ消えてしまったのです〜。(T_T) 気を取り直して、今日もう一回訳したので、ちょっと“古いニュース”になってしまいました。ゴメンナサイ…。m(__)m
イチローのバットはただの木片以上の存在
― ジム・ケープルス ―
http://espn.go.com/mlb/columns/caple_jim/1400915.html
漫画『ピーナッツ』の作者チャールス・シュルツは、ある特定のペンの使い心地が気に入ったがあまり、その製造メーカーが廃業する事を知ると、残りの在庫全てを買い占めて、生涯そのペンだけを使い続けた。世界的なチェロ奏者のマット・ハイモフィッツは、飛行機で旅する時には必ずチケットを2枚買い、自分の席の隣の席にチェロを置くようにしているという。物語上の人物ロイ・ホッブスは、落雷で裂けた大木から自分で切り出して造ったバット「ワンダーボーイ」をバス―ン(木管楽器)のケースに入れて持ち運んだ。(*下記注1参照)
―そして、イチローである。彼の場合は、自分のバットは保湿器に入れて保管しているのである。
実際は、保湿器は二つある。1つはマリナーズのクラブハウス内の鍵のかかる部屋にある大きな金属製の箱で、常時10本のバットが保管されている。もうひとつは小型のキャリーイングケースで、遠征用のものだ。―冗談ではなく、本当の事なのである。双方とも、バットの湿度を一定に保つための棒状の薬品が入っている。さらには、輸送中の劣化を防ぐために、新品のバットは、密封包装された状態で送られてくる。試合中は、イチローは自分のバットをダッグアウト内のベンチの特定の場所にきちんと立て掛けておき、試合後は自分で直接ロッカーまで持ちかえる。手入れにも余念がなく、打席からダッグアウトに戻って来るたびに、バットについた土や草の染み汚れをきちんと拭き取る。
万が一、誰かが誤ってイチローのバットに噛みタバコの吐き汁などをかけてしまったら大変だ。それは、まさに「トリノの聖骸布」を雨晒しのまま放って置くのと同じくらい、とんでもない事なのだから―。
「いい選手になるためには、自分の道具を大切に扱わなくてはいけない。」とイチローはマリナーズの通訳ヒデ・スエヨシを通して言う。「料理人と包丁の関係と同じ事。プロとしてお金をもらっているのだから、そのお金を稼ぐために使う道具を敬意を持って扱うのは当然のことだ。」
つまり、イチローが保湿器に保管しているものは、キューバのハバナから密輸されてくるキューバ産の最高級葉巻よりも、よっぽど貴重なんだ、ということだ。(注:どうもアメリカでは、“保湿器”というと“高級葉巻が乾燥しないように入れておくためのもの”と言うイメージしかないようなのです…^^;)「それは違うだろうー」とイチローに向かって言いたくば、イチローのように8年連続首位打者を獲ってからにする事をお薦めする。
イチローのバットは、長さ33.5インチ(85cm)、重さ900〜910g(約32オンス)と決まっている。色は漆黒で、胴の部分には洒落た字体で彼の名前が入っている。イチローは、新人の年のシーズンオフにミズノの工場を訪ねて以来、ずっと同じ型のバットを使っている。その時のイチローは、まるで『アーサー王伝説』のアーサー王が魔法の剣エクスキャリバーをスルリと岩の中から引き抜いた時のように、数ある在庫の中から、今使っている型のバットを躊躇なく選び出したのだそうだ。
イチローは、打撃練習と試合とでは、違う材質のバットを使いわけている。練習用のバットはタモ材で出来ており、試合用のはアッシュだ。
「日本では、タモを使っていた。」と彼は言う。「でも、こっちへ来てから両方を使い較べてみたら、こっちの気候にはアッシュの方があっていて長持ちする事ことがわかったんだ。」
ちょっと考えてみて欲しい―。なんとこの男は、自分の職業に真剣に取り組むあまり、気候や湿度の影響まで考慮に入れた上で打席に立っているのだ。「いったい、どうやったら、渡米初年度に首位打者なんか獲れるのだ?」などと思っていた人達、他に質問があればどうぞ…。
もちろん、バットを大切に扱うのは、なにもイチローに限った事ではない。エドガー・マルチネスは、いつでも小型の秤を持ち歩いていて、握り部分に重ねて塗り付ける松脂のせいでバットが重くなり過ぎないように絶えず気をつけている。だが、長年、マリナーズのクラブハウスの管理を任されているヘンリー・ゲンザールによれば、イチロー以外で保湿器を使っている選手の話は聞いたことがない、と言う。それは、首位打者を3回も獲った事のあるラリー・ウォーカーにしても同じだ。ウォーカーはバットに関しては全く無頓着で、1試合中に3つの違うメーカーのバットを使っても気にならないような男だ。
「バットを保湿器に入れるなんて、考えた事もないね。」とウォーカーは言う。「俺も色んなおまじないを信じているけど、バットに関しては何もないな。そこら辺にあるものなら、なんでもいい。なんでもいいから引っ掴んで、振り回すだけさ。」
しかし、そこまで大切に道具を扱うようにイチローを仕向けるのは、決して“おまじない”なんかではない―それは、“敬意”なのだ。イチローのグラブは、ミズノの社員で69歳のヨシ・ツボタによって毎年丹精込めて手造りされており、イチローは、まるで革を提供した牛達と個人的に親しかったかのような恭しい態度でそれらに接し、宗教的な熱心さでオイルを刷り込む。道具に対する彼の神経の細やかさは、今年のイチローバブルヘッドドールの見本を見せられた時に「肘当てがあったほうがいい」と言った、という事からも見て取れる。(…その方が本物らしくなると思ったからなのか、それとも、ランディー・ジョンソン・バブルヘッドドールと対戦しなくてはならない時のための用心なのかどうかは、不明)
もちろん、偉大な選手でも、時には調子が狂う事もある。イチロー自身が認めるところによると、なんと、1995年のある試合では、実際にバットを投げてしまったことがあるんだという。でも、その後の後悔の念が大きく、試合後はそのバットを家まで持ち帰り、一晩中、側に置いておいたんだそうだ。イチローに言わせれば、多くのメジャーリーガー達のバットの扱い方には、信じられないものがあるらしい。怒ってバットを投げ捨てる、イライラしてバットで壁を殴り付ける、真っ二つにバットをへし折る、そして、24時間監視付きの密閉された空間でバットを保管する事もしない…。
「バットだけじゃなく、グラブにしても同じだ。」と彼は言う。「グラブををカラカラに乾燥させてしまって手入れもしない選手もいる。その上に座ったりする選手も―。僕には、理解できないことばかりだ。想像も出来ない。」
話を聞いていると、イチローにとってはバッティンググローブなども、自分の手のためというよりもバットのために存在しているのではないか、と思えてくる。スミソニアン博物館の学芸員でも、ここまでの細心の注意は払ってはいないだろう。
「考えてみて欲しい。」とイチローは言う。「これらのバットやグラブは、機械製ではない。全て、手造りなんだ。もし、グラブやバットを造ってくれた人達が、自分達の製品が投げ飛ばされている現場を見たら、とても悲しむはずだ。彼らの心がこもっているんだからね。選手たちにも、是非、道具を造った人たちの事を考えて欲しい。」
小説『ナチュラル』の結末は、映画とは少し違っている。本では、ロイ・ホッブスがワンダー・ボーイを折ってしまっても、代わりとなるバット、“サボイ・スペシャル”は登場してこない。(**下記注2参照)彼は三振してしまい、ナイツは負けてしまう。そして、試合後、ホッブスはワンダーボーイをレフトフィールドへ持っていって、バットを埋めるための“四角い溝を芝生に掘る”のだ。(以下、本よりの抜粋:)
【彼は2つに割れたバットを見るのにしのびなかった。そこで溝からバットを取り出すと、もしかしてくっつくのではないかというかすかな期待を持って、破片同士を押し付けてみた。だが、割れた断面は滑らかで、まるでバット自身が割れる事を望んでいたかのように、決してくっつくことはなかった。ロイは自分の靴ひもを解くと、一方の端をバットのほっそりとした握りの部分に巻き付け、もう一方の端を球を打つ胴の部分に巻いて、そっと結んだ。すると、靴紐の結び目と、そこにあるのがわかっている継ぎ目の他は、まるで一本の完全なバットになったように見えた。―そのような状態で彼はバットを埋めた。そして、それがいつの日か根を下ろして、大きな木に育つ事を願った…。】
イチローは、折れたバットは取っておいて友人達にあげるのだそうだ。だが、彼は、ホッブスがワンダーボーイを埋めた時の気持ちもわかる、と言う。「道具にも、心はある―人間の心が入っているんだ…。」
[以上]
(*注1)
ロイ・ホッブスは、ロバート・レッドフォード主演で映画にもなった野球小説『ナチュラル』の主人公。時代は、確か1930年代。ホッブスは天才的な野球の素質を持ちながら、ある事件のせいで16年間も野球とは無縁に過ごす事を余儀なくされる。30歳台半ばにしてようやくメジャーにデビューした彼が、“魔法のバット”ワンダーボーイを携えて万年最下位のナイツを優勝争いまで導く―と言うファンタジックな物語。興味深いのは、主人公の設定が(少なくとも、映画では…)「天才的な左打ちの右翼手」、「特別なバットでヒットを量産する」、「どこからともなく彗星のように現れた年を食ったルーキーが、メジャーに一大センセーションを捲き起こす」となっていることで、昨年のイチロー選手と重なる部分が多かった事です。
(**注2)
映画では、最後の優勝のかかった大事な場面で、ホッブスがファールを打った際に、それまで幸運の守り神だったワンダーボーイが真っ二つに割れてしまいます…。でも、ホッブスが可愛がっていたバットボーイのサボイ少年が手造りしたバット、“サボイスペシャル”を借りると、雷鳴の轟く中、外野の照明塔を粉々に打ち砕くような特大ホームランを打って、見事にチームを逆転優勝に導いたのでした…。
このところ、故障した選手たちが次々と戻ってきてくれて、嬉しい限りですが、次に復帰が待たれるのは、チャールトン投手。その“シェリフ”の近況報告記事が、下記にアップされていました。再契約も済ませ、最近ではベンチでもその笑顔が見られるようになって嬉しく思っていましたが、どうやら本人の尋常ならぬ努力のお陰で、予想外に早い回復を遂げているようです。(^^) マルチネス選手同様、このまま順調にいってくれることを心から祈っています。m(__)m
チャールトン:今期の構想から外すのは、まだ早いかもしれない
― カービー・アーノルド ―
http://www.heraldnet.com/Stories/02/7/2/15612644.cfm
最近のノーム・チャールトンは、頻繁にこぶしの内側で木製品をコツコツと叩きまくっている。(注=「knock on wood」 調子よくいっていることや自慢などを口に出して言ってしまった後に、復讐の女神のたたりを避けるためにするおまじない。何でもいいから、身の回りにある木で出来たものを軽く叩くといい、と言われている。)
「それに、梯子の下も絶対に歩かないよ。」と彼は言う。(注:梯子の下を歩くのは、“縁起が悪い”こととされている。)
今年39歳の彼は、今シーズン中に再びマリナーズのためにピッチングできるのなら、なんでもやってみる覚悟だ。今期中の復帰どころか来季以降の復帰すら絶望視されるような肩の故障を克服するために、チャールトンはこれまでにも、既にありとあらゆる事をし尽くしてきたのだから―。
1月の手術の直後、チームドクターのラリー・ペデガナ医師は、チャールトンが再びピッチングをするためには、奇跡を待つしかない、とまで言ったのだった。
―しかし、月曜の午後、プライス・ピッチングコーチを相手に、90フィート離れた位置からダーツを使っての“キャッチボール”に勤しんでいたのは、一体誰だったのか―。そう、チャールトンにとっては、なんとそれが10回目の“投球練習”だったのである。
この回復のペースは、こういった手術後に通常必要な時間よりも約1ヶ月も早く、チャールトン自身が予言した“9月復帰”にほぼ沿ったものとなっているのだ。
「なんだか、馬鹿馬鹿しくなってしまうほど、予定より全て早いんだよね。」とグリフィン・トレーナーは言う。
成功の秘訣は、今までチャールトンがその長いキャリアの中で培ってきたもの、そのものである。猛烈な労働倫理、ノルマ以上の結果を出そうと自分を追いたてる頑なさ、そしてそれと同時に、体が本当に休養を欲していると感じた時には、サッと引くことのできる賢さである。
「ギリギリの崖っぷちまで行きながら、落っこちないこと―。」とチャールトンは言う。「それが一番難しい部分なんだよね。最後の一歩がどの辺なのかを、ちゃんと見極められなくてはいけない。精一杯投げておいて、ちょっと痛みが出たら潔く何日間か休む―というようにね。」
もう誰も、チャールトンの成し遂げたことにはビックリしなくなってしまった―ただし、チャールトン自身は別だ。
「自分でビックリしているんだ。」と彼は言う。「でも、自分でも精一杯リハビリをやってきたわけだから、ビックリする権利はあるよね。」
チャールトンは、今後もエクササイズやウェートを使った運動、そして平らな場所からの投球練習をこなすことによって腕に力を付けていき、8月初めには、ブルペンのマウンド上から投げられるように持っていくつもりだ。
「そうすれば、(9月の復帰に備えて)肩を作るのに、1ヶ月余裕があることになる。」とグリフィンは言う。「彼は、頑張って、どのステージも全てクリアしてきた。非常に早いペースで進んでは来たけど、必要なステップを飛ばすような事はせずに、きちんとやって来たんだ。」
チャールトンも、無理をし過ぎればどういうことになるのかは、十分に分かっている―ピッチングをするかわりに、9月には魚釣りをすることになってしまうかもしれないのだ…。
「“用心深い楽観主義”をとるようにしている。」と彼は言う。「下手をすれば、明日には痛みが酷くなって、2週間も休まなくてはならない羽目になるかもしれないんだからね。深刻なぶり返しがあれば、9月復帰はパーになってしまう。そうでなくても、チョコチョコ小さなつまずきが続くだけても、9月はダメになっちまうしね。」
「―もし、そんなことになれば、今度は、ブルペンでの投球練習を十分にこなした状態で春季キャンプに行けるように、目標を設定し直す事にになるんだろうね。」
その場合は、チャールトンは、一冬中、木製品を叩きまくり、梯子を避けて歩きまくる事になるに違いない。
〔以上〕(^^)
イチロー選手のノーヒットを心配していらっしゃる方が多い中で、ちょっと渋目の話題で失礼します。m(__)m
現在、打撃でも守備でも非常に好調なウィルソン選手。片や、シーズン当初は打撃も期待されたほどではなく、リード面でもウィルソン捕手の経験の豊かさに一歩も二歩も譲るように見えたデービス選手でしたが、ここへ来て次第に調子を上げて来て、どんどんいい仕事をするようになってきました。今期は、「ベテランのウィルソン選手が若いデービス選手を指導する」と言う図式ですが、来期のこの2人の関係は、果たしてどういうものになるのでしょうか…?選手仲間のからの信頼も厚く、ファンからもマルチネス選手同様慕われているウィルソン選手の来期の去就は、地元のファンの間でも大きな関心事になっているようです。
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ウィルソン、シーズン後は何処(いずこ)へ―?
― ブレイン・ニューハム ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134482197_blai26.html
ダン・ウィルソンとベン・デービスは、それぞれもっと出場時間が欲しいと思っているに違いないが、今のところ、両捕手の“交替労働制”は、非常にうまくいっていると言えるだろう。
今までになく休養十分なウィルソンには足腰の疲労も見えず、お陰で生涯初めてのシーズン打率3割を記録しそうな勢いである。例年だと、プレーオフに辿り着く頃には体力的にも成績的にも疲弊し切った状態になるのだが、今期は、この調子のままプレーオフまで打ち続けられるのでは…と本人も期待している。
マリナーズが、ブレット・トムコ、トム・ランプキン、ラモン・ヴァスケズとの交換トレードでデービスを獲得したのは、明らかにデービスを“将来の正捕手”にしようと思ってのことである。しかしながら、今の“2日出場1日休み”体制の下でウィルソンが見せている活躍は、今期後に彼がフリーエージェントになった後にも、「金をかけてでも彼をチームに引き止めたい」とマリナーズに思わせるだけの価値があるはずだ。
「誰を来期の正捕手に据えるのか」と言う決断は、間違いなく今期後に下されるわけで、その結論いかんによっては、当のウィルソンだけではなく、彼を心から愛して受け入れてきた地元の地域社会にとっても、大きな問題になることは必定だ。
ウィルソンほど、シアトルに根を深く下ろした選手は、他にはいない。1994年にシンシナチからシアトルへトレードされてきたウィルソンは、妻アニーのシンシナチでの教職契約期間の終了を待ってから、シアトルへの完全移住を実行した。
「その頃の僕達は、若くて無鉄砲でね―」とウィルソンは言う。「あまりシアトルの事も知らずに移って来たんだけど、今では、2人とも、この町が心から大好きになってしまったんだ。」
ウィルソン夫妻は、モントレーク地区に生活を築いた。そして、ブルガリアから養女としてソフィアを迎え、同じ頃に自分達自身の長女ジョセフィーンももうけた。その後、長男エライヤが生まれ、2人目の養子アブラハムもグアテマラから迎えられた。
「妻が下町で教師をしていた頃、外が零下10℃だというのに、ティーシャツ1枚しか着ないで学校へ来る子供達がいる―という話をしてくれたんだ。」とウィルソンは言う。「世界には、僕たちの助けを必要としている子供たちが沢山いる、っていう話をね…。それで、僕達も、自分達に出来る範囲のことをしようじゃないか、ということになったんだ。」
ダンとアニー夫妻は、「First Place School」(注:すみません、どういう団体なのかは不明です…m(__)m)の理事を務めており、「家のない子供達のためのダンウィルソン基金」のスポンサーとして、試合でダンが相手チームの盗塁を阻止するたびに、「First Place School」に一定の金額を寄付をすることになっている。
「僕も妻も、シアトルの美しさには感嘆しているんだ。」とウィルソンは言う。「水も山々も素晴らしいし、こじんまりとした町なのに、大都会の雰囲気も味わえる。たいていの都市では、都心に住むか郊外に住むか、どちらか一方になってしまう。でもシアトルでは、その両者を兼ね備えた地域がいくつもあって、僕達はその中でモントレークを選んだんだ。」
ウィルソンは、マリナーズの中ではマルチネスに次ぐ古参選手である。マスクを被っての彼の評価は、守備にしろ投手のリードにしろ、ずっと高いものだった。
しかし、打撃面に関しては、1996年に打率.285、打点83を挙げてオールスターに選ばれて以来、昨年にいたるまで徐々に下降線を辿ってきていた。
後任の捕手候補としてドラフト1位で獲ったライアン・クリスチャンセンがマイナーで低迷していたために、マリナーズは今年の冬、サンディエゴからデービスを獲得した。デービスは、若くてパワーのあるスイッチヒッターで、おまけに年俸も安かったのだ。
この新しい挑戦にウィルソンは見事に応えてみせたわけだが、自分ではそんなふうに意識した事はないと言う。ウィルソンとデービスのロッカーは隣同士で、お互いに非常にうまくやっているように見える。
「もしかすると、以前よりは打者として賢くなったのかもしれないな。」とウィルソンは今期の自分の好成績を指して言う。夕べの試合開始時点での彼の今期の打率は.316で、これは彼の生涯打率を5分4厘も上回っている。(デービスの打率は.243)
「野球のスイングっていうのは、掴まえどころがないからね。」とウィルソンは言う。「たえず、努力しなくてはならない。今は、球を呼び込むことを心がけているんだ。前方で球を打つんじゃなくて、我慢してストライクゾーン深くまで呼び込むように―ってね。今は、それがうまくいっているんだと思う。」
デービスよりは出場機会が多いとはいえ、現在の自分がもはや「レギュラー選手」ではないということを、ウィルソンは認めている。
「明らかに、僕の役割は変化してきている。」と彼は言う。「ベンは、才能に恵まれたいい選手だ。今現在は、2人とも自分達の出来る範囲内で、精一杯、チームのキャッチングをこなしている、という状態だ。」
デービスは41試合、ウィルソンは53試合に出場してきた。昨晩の試合開始時点で、ウィルソンは158打席、デービスは111打席を記録している。
来期のマリナーズは、捕手のポジションでの出費増に直面しなくてはならない。年俸440万ドルのウィルソンはフリーエージェントの年を迎え、現在25万ドルしか稼いでいないデービスも、来期は初めて年俸調停を受ける権利を獲得する年となるために大幅な増額が予想されるからだ。
マリナーズは、一体どれくらいの経費を捕手のポジションにかける事ができるのだろうか…?MLB選手組合へのマリナーズからの選手代表でもあるウィルソンは、はたして市場価格より安い値段でマリナーズに残留してくれるのだろうか…?
―誤解のないように言っておくが、マリナーズがウィルソンを大切に思っていることは間違いない。
「この業界で、彼ほど代表選手として、球団側からも選手側からも好かれて尊敬されている選手はいないかもしれない。」とマリナーズのある球団役員は言う。「ダンは、思慮深くて正直な人間だからね。」
ウィルソン自身は、来期についてはまだなんの決断も下していない。「正直言って、まだ、来年の事なんて考えた事がないんだ。」と彼は言う。「球団の方針として、シーズン中に契約の話はしないっていうのは、ほんとうにいい事だと思う。今の僕は、マリナーズがワールドシリーズへ行く手伝いをしたいと思っているだけなんだから。」
ウィルソンにとっては、「その日その日を生きる」と言う言葉は、決して単なる陳腐な決り文句ではなく、彼自身の生き方そのものとなっている。
「僕達夫婦は、今までこれだけ長くシアトルにいられて、とても幸運だったと思っている。」と彼は言う。「僕たちは、この町でしっかりと根を下ろす事が出来た。でも、もし来期になって事情が変わることがあるとすれば、その時はそれなりに対処しなくてはならないんだろうね。なんとか、家族にとって一番いい決断ができればいい、と思っている。」
以上(^^)
私も、サヨナラの場面では思わず涙ぐんでしまいました…。カイル投手には、5歳の双子の男の子と女の子、そして10ヶ月の男の子がいると聞いて、なおさら、やりきれない思いにおそわれています…。
下記は、ヒューストン・クロニクル紙に載った記事の一部です:
カイルは、チームメート以上の存在だった
― Neil Hohlfeld―
http://www.chron.com/cs/CDA/story.hts/sports/1466812
ジェフ・バグウェルが1990年8月にボストン・レッドソックスからアストロズにトレードされて来た時、一番最初に親しくなったのが、ダリル・カイルだった。その秋のフロリダでの研修リーグでは、2人はルームメート同士。そして、次のシーズンには、2人ともアストロズでメジャーデビューを果たすこととなった。
その後の7年間、バグウェルとカイルはチームメートとして過ごし、親友にもなった。1997年のシーズン後に、カイルがフリーエージェントとしてコロラドへ去ることが決まると、バグウェルは自分のチーム内での立場が悪くなるのも顧みず、カイルとの契約交渉に際してのアストロズ経営陣の誠意のなさを厳しく批難した。
33歳のカイルがセント・ルイス・カージナルスの遠征先のシカゴで急死したというニュースは、当然のようにバグウェルを打ちのめした。バグウェルが土曜の午後にカイルの死を知ったのは、まだ自宅にいる時だった。彼は、5時近くになるまで球場には出て来なかったし、その晩のマリナーズ戦のスタメンからも外してもらった。
しかし、バグウェルは延長12回にピンチヒッターとして出場すると、アストロズを3ー2の勝利に導くサヨナラヒットを放って試合を終わらせた。1塁に到達したバグウェルは、ふっと肩を落として立ち止まった。そして一瞬空を見上げると、チームメート達の祝福の抱擁を受けながら、ゆっくりとダッグアウトへと戻って行った…。
多分、彼にとっては初めてのことだったろうが、バグウェルはチームの広報を通して、試合後のインタビューは行わないことをメディアに伝えた。
カイルと非常に親しかったバグウェルとクレイグ・ビジオ2塁手、そしてブラッド・アウスムス捕手の3人は、全員、(とてもプレーできる心理状態ではないと言う事で)土曜日の試合の先発メンバーからは外れた。しかし、アウスムスは9回にピンチランナーとして出場し、ビジオも11回にピンチヒッターとして打席に立った。
「今日は、実に、辛い、辛い一日だった…。」とビジオは言う。「今でも、皆、信じられないんだ。僕たちは、7年間チームメートで、12年もの間、友達同士だった。僕たちは友人を失ってしまったし、彼の家族は素晴らしい夫と父親を失ってしまった。彼は、友達のためなら、どんな事でもしてくれる男だった。彼がいなくなるのは、本当に寂しい…。」
カイルに関する想い出で最も印象深いのは、彼が不調の時でも、少しもそれを態度に出さなかったことだった、とビジオは言う。1993年にはオールスターに選出されて15勝8敗を記録したカイルだったが、2年後には4勝12敗と成績を落とし、シーズンの一部をマイナーで過ごすことになってしまった。
「―そういう時に、彼がどういう風に振舞ったかを見れば、彼がどういう人間だったかが良く分かる。」とビジオは言う。「とても4勝しかしてないようには見えないほど、立派に振舞っていたよ。」
アストロズには、他にも、カイルと何年か一緒に過ごして親しくなった選手が何人かいる。シェーン・レノルズ投手、ビリー・ワグナー投手、ダッグ・ブロカイル投手、ブライアン・ハンター外野手などがそうだ。
土曜の試合で2回を無得点に抑えたワグナーは、1995年の9月、シェー・スタジアムでのNYメッツ戦でメジャーデビューを果たした時の事を思い出す、と言う。
「僕が初めてメジャーにやって来たその朝、朝食に連れ出してくれたのがダリル・カイルだったんだ。全然知らない初対面の僕をね…。」とワグナーは言う。「本当に、辛いな…。まるで、家族の一員を亡くしたような気がする。」
試合前、アストロズはロッカールームへのメディアの立ち入りを禁止し、打撃練習も任意にした。国家斉唱の前には、選手全員がダッグアウトの前に整列し、カイルの死を悼んで黙祷を捧げた。
アストロズのマクレーン・オーナーによれば、選手達は皆一様に落ち込んでいるとのこと。試合2時間前には、チーム専属牧師のペンバートン牧師が選手達と共にお祈りをし、何人かの選手達には、個別に慰めの言葉をかけた。
「うちのチームにとって、非常に大きなショックだった。」とマクレーンは言う。「誰もが、シカゴでダリル・カイルが急死したと言う知らせに、完全な不意打ちを食らった気分だった。うちの選手の多くは、彼と一緒にマイナー時代からアストロスでの7年間を過ごしたし、その後も親しい関係を保ち続けていたからね…。」
(以下略…)m(__)m
連続、ごめんなさい。m(__)m
この数試合、シリーロ選手の打撃も上向いてきてヨカッタ、ヨカッタと喜んでいたのですが、どうやら腕の痛みを我慢しながらプレーしていたようです。
ギーエン選手も、昨日の試合の9回の守備で、痛烈なゴロを痛めていた左手でまともに受けてしまい、手がまたまた腫れ上がってしまったんだとか―。日曜の試合(現地時間)での復帰を目指しているそうですが、どうなんでしょう…。
オフの間のチャールトン投手の怪我から始まって、マルチネス選手の事といい、肩の手術を受けることになってしまったアボット投手といい、スネリング選手といい…(溜息)、今年のマリナーズは御祓いでもしてもらったほうがいいような感じですよね…。(-_-;)
下記は、お馴染みのラルー記者の記事です:
肩痛がシリーロを悩ませる
― ラリー・ラルー ―
http://www.2002mariners.com/mariners/stories/story/1283587p-1399796c.html
今、シリーロの右腕は、彼に“腹を立てている”らしい。3塁手の常で、膝を突いたままでの送球、ジャンプしながらの送球、3塁後方の深い所からの送球など、その利き腕は、絶えず酷使され続けているからだ。
「確実に、やられてくるよね…。」とシリーロは言う。「“あのプレーのせい”とか、“あの送球のせい”とかいう具体的なのは別にないんだけど、毎日の負担の積み重ねなんだ。」
今までにも、たまに痛みを感じたことはあったそうだが、特別に意識したことはなかった、とシリーロは言う。だが、今回のはちょっと違うようなのだ。
試合前には念入りなマッサージを、そして試合後には厳重なアイシングをその痛む右肘に施しているうちに、いつの間にか、右肩までもが痛むようになってきてしまったのである。
「サンディエゴでの試合で、肘が気になり始めてね…。で、ほら、膝が痛い選手がそのままプレーし続けていると、(膝を庇って)走り方が変になってしまって、そのうち股関節まで痛めてしまうことがあるでしょ?あれと同じだよ。」
気が付かないうちに、シリーロも(肘を庇って)送球の仕方が少し変わってしまったのか、今や右肩の内側も悲鳴を上げ始め、アイシングやら治療やらが、肘と同じように必要になってしまったのだ。
「スタメンに入れてはいるけど、デジ・レラフォードを3塁に置いて彼を休ませることも出来るんだから…ということは、彼にも言ってあるよ。」とピネラは言う。「腕が痛くてプレーするには、大変なポジションだからね、3塁は。なんといっても、送球する距離が長いから。」
―そう、それに地面にしっかり両足を置いたまま、バランスのとれた状態で投げられることも稀だ。バックハンドで捕球したりすれば、送球する時には、もう、体はファールラインの向こう側で、ダッグアウト方向に倒れこみながら体を捻って1塁に向かって投げなくてはならない。
バントや、止めたバットに当たって転がった打球を捕球する時には、3塁手は猛然と突進し、素手で球を掬い上げて、体は宙に浮いた状態で1塁に送球しなくてはならない。それ以外にも、ダイビングキャッチをした後は、素早く膝をついた状態まで起き上がってきて、そのまま投げることもある。
「ジェフの守備は素晴らしい。」とピネラは言う。「どんな難しいプレーもこなしてくれている。」
―ただ、今の段階では、全てのプレーは、かなりの痛みを伴って行われている、ということなのだ。
「問題は、こういう痛みがある時は、たとえ一日ぐらい休んでも、たいした効果がないってことなんだよね。」とシリーロは言う。「治療をきちんと受けて、自分でも気をつけて腕の手入れをしているけど、一日の休みじゃ殆ど何の影響もない。」
―じゃあ、何が効くと思う…?
「メキシコでの3週間の休暇かな―。」
(以上)^^;
昨日、せんべいさんが紹介してくださった6月4日付けの South Florida Sun-Sentinelに載った2年目のイチロー選手に関する記事です。地元シアトルではなく、敵地のフロリダでこういう好意的な記事が載るというのは、嬉しいものですね。(^^)
イチロー物語は、続編も大ヒット
― マイク・ベラーディーノ ―
http://www.sun-sentinel.com/sports/sfl-ichiro04jun04.story
昨年のイチローは、まるでなんの前触れもなく襲い掛かる“ツナミ”のように突然我が国に上陸すると、我々が信じられない思いで言葉もなくみつめる中、とても人間技とは思えない驚異的なプレーを次々と繰り出してみせた。
深いライトからのレーザー光線のような返球、ストライクゾーンを6インチも外れた外角球をレフトに叩いてのヒット、平凡なショートへのゴロを塁間3.7秒の俊足を生かして生み出す内野安打―。
次から次へと量産される安打、そしてその結果手中にした首位打者・新人王・MVPの輝かしい三冠―。
“2年目”は、その「イチロー物語」を正常なレベルにまで引き戻す役割を果たすはずだった。運命の振り子がようやく満身創痍の投手達の側に振れて、長いスランプの一つや二つが、遂に“異次元からの不法侵入者”を襲う…などという筋書きも期待されてたのだ。
が、なぜか、話はそのようには進まなかった。…というか、むしろ、イチローは昨年よりもよくなっているのかもしれないのだ。
「彼が昨年よりも成績がいいのは、今年は、相手投手のことがよくわかってきたから、相手がどういうふうに投げてくるのかがわかってきたからだろう。」とマクレモアは言う。「四球も増えてきたしね。もう、昨年の総数を抜いたんじゃないのかな。」
確かに、まだ2ヵ月しか経っていないにもかかわらず、27個の四球を記録しており、昨年1年間より3個も多くなっている。しかも、そのうちの11個は敬遠による四球で、ピンチにイチローに長打される屈辱を避ける傾向が相手投手達の間で益々顕著になってきているようなのだ。
「彼の実力が認識されてきた証拠だよ。」とキャメロンは言う。「いきなり3塁打を打たれるよりは、1塁や2塁を与えちまったほうがまし―とでも思ってるんじゃないの?でもさ、彼には盗塁があるだろう?相手投手も気の毒だね。彼を歩かせるのは、2塁打を献上するのと同じことになるんだから。」
…そう、日本の野球にも「2年目のジンクス」という言葉は存在する。でも、だからといって、その国が輩出した最高の選手が、そんな悲観的な戯言を信じている、というわけではない。
先週、トロピカーナ・フィールドのロッカールームでその事を訊かれたイチローは、訳知り顔で微笑むと、通訳を務めていたマリナーズのスカウト、ヒデ・スエヨシと顔を見合わせて笑った。
「その言葉は有名だし、日本でもよく使われる。」と、その細身な身体には似つかわしくない、低くて良く響く声でイチローは言う。「どこから来た言葉なのかわからないし、なんの根拠があってそう言うのかもわからない。誰かが科学的に証明して見せてくれれば、僕も、その“2年目のジンクス”とやらを信じてもいいけど―。でも、どこにもそんな証拠はないだろう?」
そりゃあ、勿論、28歳でようやく全盛期を迎えようとしているイチローに当てはまるような“証拠”なんて、あるわけがない。日曜現在、イチローは11試合連続安打中であり、打率も.375でメジャーのトップを走っている。出塁率も昨年より65ポイントも上昇して.446をマークしており、ア・リーグの2位以下を大きく引き離している。
こうなってくると、昨年末に広く流布された話―“ヤンキーズが、ALCSでイチローの謎を解くことに成功した”というあの話も、信憑性を失って来るというものだ。シアトルが5試合で敗退したあのシリーズでは、イチローは18打数4安打(.222)、2塁打1本、2盗塁と3得点という成績に終ってしまったのである。
総勢9人もの先乗りスコアラーを送りこんで研究しつくしたヤンキーズは、「内角の速球で繰り返し攻めればイチローは攻略できる」という結論に達した―というのである。内角高めを突き、イチローを仰け反らせて足元を動かさせる。塁に出してしまった場合は、頻繁に牽制球を投げて、必要ならば打者に対してピッチアウトもする。
―イチローは、そんな「説」は聞いた事もない、と主張する。
「そんな話を僕にしたのは、あなたが初めてだ。今まで、聞いたことがないよ、そんな話。」と、小さな木の棒で足の裏や掌のツボを念入りに手入れしながらイチローは言う。「でも、もし、ほんとうに彼らがそんな攻略法を見つけたのだとしたら、僕は逆に、それを自分を向上させる上で利用したい。努力を重ねるためのモチベーションにできる―楽しみだね。」
同時に、イチローは、自分が昨年よりもいい選手になっているとも思わない、と言う。
「べつに、良くなっているとは思わないよ。同じ状態を保っているだけ。野球を始めてからもう何年も経っているから、そんなに急に何かが良くなるなんて事は、ちょっと考えられないからね。」
「(成績の)数字は日々変わるかもしれないけれど、技術や技能は同じ状態にあって、そんなに急激に変わるなんて事はない。」
―でも、じゃあ、最近の打席での“忍耐強さ”―つまり昨年に較べて、1打席につき平均で7%も多く球を見ているという数字はどうなの…? それから、今年の四球の多さは…?
「相手チームが僕に“敬意”を表しているのかどうかなんて事は、僕にはよくわからない。それは、相手チームに聞いてもらった方がいいんじゃないかな?」と彼は、慎ましく言う。「僕は、いつだって、自分が打てると思った球を打とうとしているだけなんだ。もし、プレートを外れた球が来れば、見逃すよ。そのことで、見ている人は、僕が以前より打席で“忍耐強くなった”と思うのかもしれない。」
日本でのイチローは、7年連続首位打者を獲った以外にも、出塁率で5回パ・リーグのトップに立っており、42.1%という生涯出塁率を誇っている。つまり、今年の傾向は、単にイチローが本来の姿に戻っただけなのかもしれないのである。
「何も違った事はしていない。」と彼は主張する。「自分で、何も変えたとは思わないし、調整もしていないと思う。同じままだと思う。」
ただし、たったひとつだけ、イチローでさえ昨年とは違っていると認める事がある―それは、彼自身の“リラックス度”である。チームメート達も、イチローが昨年よりよく笑うようになったと言っている。イチローの英語とスペイン語は絶えず進歩し続けているので、クラブハウス内でやりとりされている色んなジョークにも参加できるようになったし、おかげで長い野球シーズン中も退屈せずに過ごせるというものである。
マクレモアは、“イチローはウィットに長けている”、と言うものの、具体的にどんな面白いことを言っているのかは、教えてくれなかった。
しかし先日は、記者達もイチローのユーモアのセンスの片鱗を目撃する機会に恵まれた。最近のステロイド問題についてのコメントをもらいにイチローのもとへ行ったところ、ボディービルのポーズを取り、決して逞しくはない自分の裸の上半身を指して微笑み、「…(ステロイド使用なんて)絶対に、ないね。」と言ったのだ。
「彼は、昨年より、ずっと周りに馴染んでいるよね。」と、キャメロンは言う。「いろんなことにも、うまく対処できるようになってるし。昨年より、かなりリラックスしているよ。」
日本語での補助態勢がしっかりしていることも、大きな支えになっているに違いない。10年前、イチローが18歳で初めてオリックス・ブルーウェーブに入団して以来の付き合いのスエヨシの他にも、マリナーズにはクローザーのカズヒロ・ササキや、この冬エンゼルスから移ってきたばかりのシゲトシ・ハセガワもいる。
なによりも、昨年1年かけてALチームのある全ての町に少なくとも1回は行った事により、各地の様子やそこの文化にも充分馴染む事が出来たのが大きい。
トロントには、マリナーズの定宿からタクシーでほんの20分のところに、彼が必ず立ち寄るスシ屋がある。彼は、シカゴについては、“夏が美しくていい”と言う。また、彼がボストンのダウンタウンを散歩するのが好きなのは、“気持ちがいい”ことと、“野球帽を被っている人以外は、誰も僕の事に気がつかないから―”なんだそうだ。
彼によれば、セント・ピーターズバーグは、“こじんまりとしていて、のんびりした”町で、その夏の暑さは、日本とよく似ているそうだ。
―ジョン・ロッカーのお気に入りの町はどう…?
「ニューヨークは、忙しい町っていうイメージがある。」とイチローは再び微笑みながら言う。「時々遊びに行くには、面白いかもしれない…ほんの、たまにね。」
そして、今年一番いい事は、彼の昨年のパイオニア的渡米が巻き起こした熱狂的興奮が、少しづつではあるが確実に沈静化してきた事であろう。相変わらず、日本から派遣されてマリナーズの遠征にもずっと同行している9人のスポーツ記者(―あと、カメラマンとブーンマイクを持つのが仕事の女性一人)のための“代表取材”を毎晩受けなくてはならない。
だが、昨年のように“イチローの裸の写真が撮れれば、写真誌が200万ドル払う”などという話は聞かなくなったし、日本の野球選手がメジャーを席巻できるわけがない、というような懐疑的な喧騒もなくなった。
「昨年よりも落ち着いてリラックスできているのは、こっちのシステムややりかたが、良く分かるようになったからだと思う。」とイチローは言う。「ただ、昨年はたいして期待されていなかったけど、今年は、周りから一定の期待をかけられているうようで、時々それを感じることがある。だから、一長一短っていうところかな…?」
「でも、いったん試合が終れば、誰も僕のプライベート・タイムに踏み込んでこないので、とてもホッとしているんだ。そういう事が全くないとは言わない―たまには、そういうこともある。でも、だいたいは、誰も僕のプライバシーを侵害しない。過去に経験してきたことに較べれば、今はとても楽なんだ。」
―確かに、彼が全てを楽々とこなしていることは、間違いないようである。
(以上)(^^)
今日のラルー氏の記事は、マリナーズの選手達の拙いプレー振りとマイヤーズ3塁コーチの優柔不断なコーチングぶりに、怒りを通り越して呆れ果てているような書き方になってしまっています…。(-_-;)(憂鬱に輪をかけるような記事紹介でゴメンナサイ。m(__)m)
シアトル、ソリアーノの力投を無駄にする
― ラリー・ラルー ―
http://www.heraldnet.com/Stories/02/6/5/15539823.cfm
火曜日の試合で、シアトル・マリナーズは、自軍の若手選手達を“食べて”しまった―いや、もちろん、これは比喩的表現であって、読者には野球の状況に置き換えて読んで欲しいのだが…。
新人右腕投手のラファエル・ソリアーノは、この夜、実に素晴らしいピッチングを披露したにもかかわらず、マリナーズが絶好の得点チャンスを再三潰し続けた結果、とうとう勝利を記録する事が出来ないまま終ってしまった。
しかし、もっと酷い目に遭ったのはルーキーのクリス・スネリングで、彼は、3塁コーチ、デーブ・マイヤーズの混乱した走塁サインに従おうとしたがゆえに、今シーズンを棒に振る事になってしまった。最初は“行け!行け!”だったマイヤーズのサインが、スネリングが3塁を回った途端に“停まれ!停まれ!”に変わってしまったのだ。
試合の最後には、10回表のマリナーズの勝ち越しランナーが本塁でアウトになってしまい、その直後の10回裏にオークランド・アスレチックスが得点に成功して3ー2の勝利を納めたため、シアトルはブツブツ文句を呟きながら取り残される羽目になってしまった…。
20歳の外野手スネリングは、どうやら膝の前十字靭帯を断裂してしまった模様だ。
スネリングは、その回の先頭打者として四球で出塁し、レラフォードの2塁打が出ると、マイヤーズ・3塁コーチのサインに従って本塁へ向かおうとしていた。だが、スネリングが3塁を回った途端に、マイヤーズが両手を上げて彼を止めたのである。(注:参考のために…「スネリングが足元を見ながら走っていたため、マイヤーズのサイン変更に気付くのが遅れた」というふうに書いてある記事もありました。)
スネリングは急に立ち止まろうとしてその場に崩れ落ち、左の膝を抱え込んだ。ピネラ監督とニューバーグ・アシスタントトレーナーに両側から支えてもらわなければ、ダッグアウトに戻る事も出来ないほどだった。
プロになってまだ4年目のスネリングは、各段階で3割以上を確実に打ち、5月25日にはダブルAのサン・アントニオから一気にメジャーまで呼び上げられていた。マリナーズでプレーした8試合で、スネリングは打率.148、1本塁打と3得点を記録した。
スネリングは、マリナーズがロードを終えてシアトルに戻る金曜日には、MRI検査を受ける予定になっているが、チーム関係者によれば、診断が変わる事は残念ながらなさそう、との事である。
試合後、ピネラとアシスタントGMのペレコウダスが閉めきられた部屋の中でスネリングの抜けた穴を埋める選手の遣り繰りについて話し合ったようだが、いくら話し合っても、この夜のマリナーズの酷いプレー振りの理由を説明することは出来なかったに違いない。
マリナーズが普段自慢にしているところの“基本を確実に実行するプレー”は、最も必要とされていたこの火曜日の試合に、どこかへ行ってしまい、ついぞその姿を見せる事はなかったのである…。
マリナーズは14本もの安打を無駄に積み上げ、アスレチックスはたった5本の安打で試合を決めてみせた。
走塁ミスが頻発し、バントが決まりさえすれば試合をひっくり返せた場面でバントをしない場面が続いた。
また、バントを試みた場合でも、下手なバントしか転がせず、得点チャンスをみすみす潰すアウトを食らう場面が目立った。
それは、まるでシアトルのエラーを題材にしたブラック・コメディーでも見ているようで、デービス、スネリング、マクレモア、イチローと、全員が全員、チャンス時に走塁ミスでアウトになった。
どれくらい酷かったかって…?
シアトルは、5回の攻撃をデービス、シリーロ、マクレモア、キャメロンの4連続安打で開始したにもかかわらず、たった1点しか得点する事が出来なかった。それは、簡単な事ではなかった。
デービスがシングルヒットで出塁すると、続くシリーロがレフト線沿いにライナーを放ち、ピアット外野手がダイビングキャッチを試みたのだが失敗した。
―しかし、デービスは、てっきりピアットが捕球したものと思い込んでしまったのだ。
したがって、シリーロがシングル・ヒットで1塁を回ってみると、なんと2塁から戻ってくるデービスと鉢合わせになってしまったのである。
シリーロが、デービスに向かって大声で叫び、2塁を指差した。モーゼス1塁コーチも、叫びながら2塁を指差した。しかし、デービスはどちらにも気付くことなく、シリーロの脇を走り抜けると、1塁上に何事もなかったかのように納まってしまったのである…。
審判達が寄り集まって協議をした。選手達は、ゴソゴソと落ち着きなく足を動かした。最終的には、「先行する走者を“追いぬいた”」という理由で、シリーロがアウトになってしまった―実際は、シリーロは、その間ずっと立ち止まっていたにもかかわらず…である。
次のマクレモアもヒットで続き、(先ほどの走塁ミスがなければ)本来ならばそこで1点入っていたはずなのだが、デービスは3塁まで進んだだけだった。キャメロンが内野安打でセーフになり、デービスがショートのテハダの本塁への送球をかわして生還し、その時点でようやく1点が入ったのである。
その後もマリナーズは更なる得点チャンスを生かす事が出来ず、ヒット&ランがかかっていたのにスズキが三振してしまい、マクレモアが塁間に挟まれてアウトになってしまった。
それだけのことがありながらも、ソリアーノ自身のメジャー3回目の先発登板は素晴らしい出来で、7回までの力投でたった2本のヒット―エリック・シャベスへのソロホームラン2本―しか許さなかった。
また、時には素晴らしい守備が見られたのも事実である。たとえば、シエラは、シャベズの3本目のホームランになったかもしれない当りを、レフトの塀の上に手を伸ばしてもぎ取ってしまった。
先週中ずっと、マリナーズは“勝つべき試合は勝たなくてはならない”と言い続けていた。しかし、今日に限って言えば、マリナーズは、負けるべくして負けたのだと思う。
―シアトルの7回の攻撃を例にとってみよう。
先頭打者のレラフォードと次のデービスが連続安打して、続くシリーロが犠牲バントでランナーを進めるように指示された。しかし、シリーロは3回続けてバントをファールにしてしまい、結局アウトになってしまった。そのために、せっかく次のマクレモアがシングルヒットを打っても、レラフォードは2塁からでは生還できず、キャメロンのゴロでダブルプレーの餌食になってしまったのである。
バントが成功さえしていれば、マリナーズは得点できていた。そして、もし得点できていれば、延長に入る事もなく、勝っていたはずだ。
しかしながら、マリナーズは延長戦に突入してしまい、そこでもミスをおかし続けた―最後のミスは、積極的なものでありはしたが…。
1死後、スズキとオルルッドがそれぞれクローザーのコッチから四球を選んで出塁した。続くブーンが鋭いゴロを1塁へ転がし、メイベリー1塁手が2塁に送球してオルルッドをアウトにした。テハダの1塁への返球は間に合わず、ブーンはアウトにならずに済んだ。だが、イチローがはるばる2塁からホームを狙い、コッチの本塁送球で悠々アウトになってしまったのだ。
「イチローは自分の判断で行ってしまったんだ。」とマイヤーズは言う…。
10回裏、長谷川が四球と2本のヒットを献上してしまい、敗戦投手となった。
今日にでも、マリナーズは、マイナーからスネリングの替わりになる選手を呼んでくるだろう。だが、もし呼ばれたのが若い選手だった場合、その選手はチームに合流するべきかどうか、事前に良く考えた方がいいのかもしれない…。
(以上)
昨日、気になる記事を書いたラリー・ラルー氏の今日の記事です。いつも通りの軽いタッチに戻っていました。チームのムードも、この試合を契機にいつも通りに戻っている事を願っています。(^^)
マリナーズ、オリオールズをピシャリと抑える
― ラリー・ラルー ―
http://www.heraldnet.com/Stories/02/6/3/15533054.cfm
ルー・ピネラがイチローに日曜の試合の打順変更について話をしている頃、ブレット・ブーン…いや、“ザ・ブーン”は、これ以上ないほど惨めな気分に陥っていた。
攻撃をなんとか活性化したかったピネラは、イチローの打順をいつもの1番から3番に下げることにした。そしてブーンはといえば、試合が始まる前の11時頃、持て余し気味にしていた自分の感情を、ちょっとばかりぶちまけていたのだ。
「ッタク、俺のこの“(ピー音)”な状態には、もう、いい加減ウンザリだ!」とブーン。「オレは、絶対に“.248打者”なんかじゃないはずなんだ!」
―だが、メリーランド州(注:ボルチモア市のある州)に夕暮れが訪れる頃には、マリナーズはオリオールズを11−8で破る目覚ましい逆転勝利を納めており、ピネラもスズキもブーンも、全員ニコニコ顔でオークランド行きの飛行機に乗り込んでいたのだった…。
オリオールズがジョエル・ピネイロを散々打ち込んで6−0と先制し、その後スコアを7−1にすると、マリナーズは安定したリリーフピッチングとイチローの大活躍、そしてブーンの効率のいい働きをバックに、一気に反撃に打って出た。
“勝つためならなんでもためしてみよう”という主義のピネラの“スズキを打線の真中に持って来る”という作戦は、狙い通りの(少なくともこの日は―)効果を生み出し、イチロー本人にも4本ものヒットをもたらした。
「メジャーで3番打者を務めるなんて、思ってもみなかった。」と、2得点1打点を挙げたスズキは言う。「だって、この(細い)体を見てよ。」
誰かが、自分のことをメジャーで一番痩せっぽちの3番打者だと思うかどうかをスズキに尋ねた。
「一番打者としても、一番細いんじゃないかな。」とスズキ。
他の選手同様、ブーンも日曜の試合ではエンジンの掛かるのが遅く、シアトルが6点差で負けていた6回までは、彼のしたことといえば、アウトの数を増やしたことと、死球で痣を作ったことぐらいだった。
するとスズキがヒットで出塁し、ワンアウトでブーンが2塁打を打ってスズキを3塁に進める事に成功すると、続くデジ・レラフォードも四球を選んだ。
2死満塁で打席に入ったデービス捕手は、その時、ちょっとした良心の呵責を感じていたらしい。
「ジョエルがいい投手だって事は、皆が知ってるわけじゃないか。だから、なんかあの大量失点は、全部自分のせいかもしれない―なんて気にしてたんだよね。」と彼は言う。「ひょっとして、自分の出したサインが間違ってたんじゃないか…なんてね。」
デービスがヒットを打って走者を2人還し、ジェフ・シリーロもヒットを打ってもう1人還すと、スコアは7ー4になった。
「この連戦は、どの試合も、先制したチームの方がリードを守れないで苦しむ展開になってしまった。」とピネラは言う。「ウチも、リードを守れなくて2試合も失ってしまった。今日は、そのうちの1個を取り戻しにいった、というわけだ。」
反対側のダッグアウトでは、ハーグローブ監督が何回も投手交代を行い、右打者には右投手を、左打者には左投手を―という具合に、いろいろな対策を講じていたが、結局、全ては無駄に終った。
7回にはブーン、オルルッド、デービスがそれぞれ打点を挙げ、さらに3点をマリナーズの得点に加えたのだ。
「あれほど大きな点差で負けている時は、同点にしようなんて事は考えてないよ。次の打席の事だけに集中して、その打席でしっかりやろう、と思ってるだけなんだ。」とオルルッドは言う。
打つ事だけに集中していたデービスは、7回に自分の打ったヒットで同点に追いついたことに、最初は全く気付いていなかった。
「1塁に立ってスコアボードを見て、初めて『あれ?同点だ…』って思ったんだ。」とデービスは言う。
そのまま8回へと突入し、まずはフリオ・マテオが、続いてアーサー・ローズが、ボルチモア打線を無得点に抑えた。
ルービン・シエラが四球を選ぶと、イチローが3塁線沿いに今期27本目となる内野安打を転がし、続くオルルッドも四球で歩いた。
カウント1ー1後の球をブーンが叩いて通算3本目の満塁本塁打にすると、マリナーズはこの試合で初めて勝ち越す事となった。
「傍目からは多分わからなかっただろうけど、最近、少しづつ、打席での感覚が戻って来てたんだ。」とブーンは言う。「まだ、1打席ごとに様子をみている状態なんだけど、ホームランを打つ直前の球を後ろにファールしただろう?あれは、『俺のスイングだ』って思えたスイングだったんだ。」
そこで、そのスイングをもう1回試してみたところ、8本目のホームランと39点目の打点を叩き出すことになったという訳である。
「今日の打線で11点も挙げたんだから、イチローは、また3番を打つことになると思う。」と試合後、ピネラは言う。「イチローは何番に置いたって大丈夫さ。そして、私としては、何番でもいいからイチローが打線に名を連ねていさえすれば、それで満足だよ。」
誰かが、1番を打つのと3番を打つのとでは、何が一番違うのかをスズキに訊こうとしたのだが、スズキが答えるより早く、エドガー・マルチネスが横から口を挟んで答えてしまった。
「違いはね、3番に入った方が1番の時より、4本ヒットを打つのに時間がかかる―ということだよ。」
ブーンは、日曜の勝利が彼にとってもチーム全体にとっても、どれだけ大きかったかを素直に語った。
「俺はこういう男だから、調子が良くても悪くても、いつでも同じようにピーチクパーチク囀っているよ。でもさ、2試合続けて変な負け方をしたあとに、今日も序盤に1−7で負けていただろう?もしあのままで終っていたら、オークランド行きのフライトは、さぞかし長く感じられただろうね…。」
「あんなふうに逆転できたことは、ウチのチームの士気にとっては、本当に良いことだったと思うよ。ウチがなんで強いのかというと、ああいう劣勢から挽回できるだけの力を持っているからなんだってことを、皆に思い出させてくれたわけだからね。」
ブーンは聴衆を見渡すと、ニッコリ笑ってこう付け加えた。
「それからさ、俺、今日、1試合にヒットを3本も打っただろう?―あれこそが、“現代の奇跡”と呼ぶべきものなんだぜ。」
(以上)(^^)
以下は、お馴染みのヘラルド・トリビューン紙、ラリー・ラルー記者の記事です。悪夢のような連夜のサヨナラ負けに、いつもはクールなマリナーズの選手達も、さすがにやりきれない思いでいっぱいだったようです。変な後遺症が残らないといいのですが…。(-_-;)
(注:あまり愉快でない記事の紹介で、ごめんなさい。予め、お詫び申し上げます…。m(__)m)
マリナーズ、9回に崩壊す
― ラリー・ラルー ―
http://www.heraldnet.com/Stories/02/6/2/15532238.cfm
シーズンの三分の一が経過した今、このままのペースでいけば、マリナーズはシーズン終了時には102勝を挙げている計算になるのだが、夕べの試合後には、そんな数字は何の意味も持たなかった。
ルー・ピネラは、一言も言わずにクラブハウスから飛び出して行ってしまっていたし、いつもはストイックなプライス・ピッチングコーチでさえ、試合後30分も経っているというのに、脱いだユニフォームをコーチ室の反対側まで投げ飛ばしていた。
最後の一球での敗戦というのは、それほど受け入れ難いものなのに、マリナーズは、それを2晩続けてボルチモア・オリオールズ相手にやってしまったのだ。
「ここ数年間の我々のトレードマークといえば、“リードしている試合は絶対に落とさない”という事だったのに―」とウィルソン捕手は言う。「あんな負け方を2試合続けてやってしまうなんて…。」
「昨年の経験から何か教訓を得たとすれば、それは“勝つべき試合は必ず勝つ”ということだったはずだ。」
その前の晩、シアトルは9回にはリードを失い、10回にはハラマの1塁悪送球からボルチモアに逆転勝利を許してしまっていた。
―そして、今度は、1点リードの場面でクローザーの佐々木がマウンドから駆け下りてきて犠牲バントを掴むと1塁へ悪送球してしまい、ノーアウト2塁3塁にしてしまったのである。
フォースアウトを取るために、ピネラは強打者ジェフ・コーナインを歩かせるように指示を出し、佐々木とウィルソンはマウンド上で次の打者への対策を密かに練った。「あの場面では、ゴロを打たせてホームから1塁へのダブルプレーを狙うしかなかった。」とウィルソンは言う。
1塁では、守備の名手オルルッドが1塁線から離れて、内野よりにポジションを取っていた。「シングルヒットでも負けなんだから、(長打対策で)1塁線にへばり付いて守っていても、守備範囲を狭めるだけで意味がないからね。」と彼は言う。「だから、内側で守っていた。本塁へ送球して、少なくともワンアウトは取るつもりだったんだ。」
マウンド上では、佐々木が彼の命綱であるフォークボールを投げこんでいた。DHのギボンズのバットがその球の上を叩くと、打球はファースト方向へ飛んだ。
だが、打球は1塁線上を抜けて行ったのだ。
「狙い通りにゴロを打たせたのに、ぴったりファールライン上に飛んでしまった。」とウィルソン。「あと1フィート(約30p)内側だったら、ダブルプレーが取れたかもしれないのに…。」とオルルッドは言う。
打球はライトへと転がって2点が入ってしまい、一時はマリナーズの35勝目と思えた試合は、20敗目になってしまった。
癇癪を抑えることが出来ない者もいた。
「ウチのブルペンは優秀だから、こういう試合は必ず勝てるものだと我々は思っていた。」とオルルッドは言う。「最終回でバント処理を誤ったりすれば、ピンチになるのは目に見えている。」
―この試合の何時間も前、ピネラは、まだその前の晩の10回のエラーにこだわっていた。「相手チームが犠牲バントを打つ時は、ランナーを進めるかわりに、アウトを一つ差し出すつもりでいるんだ。だから、こっちはそのアウトはもちろんの事、あともう2つのアウトも取らなくてはダメなんだ。せっかく相手が差し出しているアウトをみすみす相手に返してしまうなんて、もっての外だ。」そういうことをすると、必ず負ける―とピネラは言ったのだった。
―それなのに、マリナーズは、また同じ事をしてしまった。
今期に入ってから最高とも言える投球をしていたボールドウィンのために、マリナーズは6回にマクレモアとオルルッドがそれぞれ打点を挙げて、2−0のリードを奪っていた。ボールドウィンは6回と7回にそれぞれ1点ずつ失点はしたものの、キャメロンの2塁打のおかげで、まだ3−2のリードを保ったままでベンチに下がって行った。
「ここ最近の登板では、一番調子が良かった。」とボールドウィンは言う。「失投も何球かしてしまったけど、ウチのブルペンなら、こういう試合はたいてい勝ってくれるはずだと思っていた。」
「こんな結果に驚いているかって…?そりゃ、そうだよ。ウチのブルペンは強力だし、いつも一生懸命やっているから、こんなふうになるなんて、誰も思いやしない。また、いつか、同じようなことが起こったら、その時だってきっと驚くと思う。それだけ、ウチのブルペンは優秀だってことだ。」
開幕から2ヶ月、20と3分の2イニングを投げて自責点0だった佐々木は、13個目のセーブを取りにいっていた。9回裏にマシュースが内野安打で塁に出ると、オリオールズはバントを選択した。シングルトンが3塁線上にバントを転がすと、3塁手のシリーロが大声でコールしていたにもかかわらず、佐々木はマウンドから駆け下りてきてボールを掴み、打者ランナーに向かって投げてしまった。
球に向かって走って来ていたシリーロの方が、球を拾った後に振り向いて1塁に投げなくてはならなかった佐々木よりも、確実に処理できていたはずである。
「結果論だけど、彼はマウンドから急いで下りて来すぎたんだと思う。」とシリーロは言う。「ウチは、こういう試合は今まで落としたことがなかったのに、ここへ来て2試合も続けてだなんて…。」
「我々は、こういう試合は勝たなくちゃいけないんだ。」とキャメロンは言う。「必死にこまごまと点を稼ぎ出し、先発投手が頑張って9回までなんとかリードを持って行く―それがウチの勝ち方のはずだ。それなのに、こんなふうに2試合続けて落とすなんて、全く信じられない―。」
(以上)
シアトル・タイムスのフィニガン氏による、今日の“事件”の詳細です:
デビルレイズもピネラも大当たり
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134463647_mari29.html
昨晩トロピカーナ・フィールドで、今までテレビの映像でしか見たことのなかった「怒り狂うルー・ピネラ」を、ピネラの家族と友人達は目の前で見てしまった。
1−5でマリナーズが負けることとなったその試合の8回に、ジョン・シュロック本塁審判に退場処分を言い渡されたピネラは、最近ではほとんど見せることのなかった派手な怒りとイライラの大爆発ショーを繰り広げて見せたのである。
この感情の縺れの発端は、3回裏の二度にわたる微妙なボール判定にあった。シアトルの先発投手ジョエル・ピネイロが、無死満塁のピンチからなんとか自力で脱しようとしてボーンとグリーブに投げた勝負球を、2回ともボールとコールして四球にしてしまったシュロックに向かって、ピネラが何らかの不快な言葉を吐いたのである。
―そして、その後この“事件”は、シアトルのウィルソン捕手がシュロックのブラッシを借りて、ピネラが土で埋めてシュロックが掃除するのを拒否したホームプレートを、綺麗に掃き清めた時に、終焉を迎えたのだった…。
「私がキャッチャーでなくて、シュロックはラッキーだったね。」とピネラは言う。足だけでは充分に土を掛けられなかったピネラは、最後には屈み込んで両手で土をかき集めてプレートの上に積み上げることまでした。「私だったら、汚いプレートのままでプレーしていたね。その方が、あいつにはよかったんじゃないのかな。」
ピネラが退場処分を食らうのは、これが今期2度目である。ピネラに言わせると、シュロックは、「いつでも喧嘩腰なんだ。今までも、ずっとそうだった。」とのこと。
シュロックは、基本的にはノーコメントを貫いたが、最後に次のようにだけ漏らした―「彼にも、言い分があるんだろう。でも、私自身は、何か言う度に、君らマスコミに叩かれるから、これ以上、何も言うつもりはない。」
シュロックの態度に関するピネラの“軽口”については、「他の連中は、誰も私が喧嘩腰だなんて言ってないはずだ。聞いてみればいい。」と言うにとどめた。
問題のフルカウントからの速球を2回ともボールと判定された直後に、(1回目は満塁になり、2回目は押し出しになってタンパに1点目を献上してしまった…)今期、まだホームラン無しで5打点しか上げてないジョン・フラーティー捕手に、満塁本塁打を打たれてしまった。
ピネラの大爆発は、8回に、球場の大スクリーンがタンパが得点を重ねた問題の3回裏の映像を流した時に起こった。ピネラは、スクリーンに映し出されている問題の判定の場面をしっかり見るようにと、シュロックに声をかけたのである。
「ほーれ、あそこだ!」とピネラはダッグアウトから怒鳴った。「ほれ、見てみろって言ってるんだ!」
「そんなことを言われる筋合いは、ない!」とシュロックが怒鳴り返し、ダッグアウトにつかつかと歩み寄ると、「とっとと出ていけ!」と親指で退場の合図をしたのである。
「あれで、頭に来たんだ。」と言葉のやり取りを再現してみせながら、ピネラは言う。「問題の判定のあった打席をスクリーンで流していて、そんなことをしてはいけないはずなのに、それを指摘した私が退場になるなんて、納得がいかない。(注:メジャーの規則では、ストライク・ボール判定のシーンを球場内のスクリーンで見せてはいけないことになっているそうです。試合後、タンパ・ベイの広報担当者が、「あれは、ウチの落ち度でした。」と謝ったらしい―。)でも、退場になったからって、別に根に持ったりはしないよ。私は、自分がしなくてはならないと思ったことをしたまでなんだ。」
ダッグアウトから出てきたピネラは、まず最初にシュロックに詰め寄った。だが、相手がスッと身を引いたので、ホームプレートの所へ行って土を蹴り上げようとしたのだが、うまく行かなかった。シュロックが相変わらず外野の方を眺めて視線を合わせようとしないので、今度はシュロックに向かって土を蹴り上げようとしたのだが、これもまた失敗してしまった。
その時点で、マクラーレン・ベンチコーチが出て来て、今にも審判に接触してしまいそうな監督を引き離そうとした。審判と接触してしまえば、自動的に出場停止を食らってしまうからだ。
「ルーの目は、まるで虎のようにギラギラしていてね。私は、ボロ人形よろしく、あっさり脇に跳ね飛ばされてしまった、ってわけだ。」とマクラーレンは言う。
シュロックの注意を引くことに成功したピネラは、ホームプレート脇に戻ると、うずくまって両手で土を掻き集め始めた。
そして、やっとピネラが退場すると、今度はシュロックがプレートを掃除することを拒否し、一時は、プレートが見えないまま、試合を再開しなくてはならないのかと思われた。しかし、そのうちにウィルソンが足で土を払い始め、最終的にはシュロックからブラッシを借りて掃除を終えたのだった。
「未だかつて、審判がキャッチャーにプレートを掃除するように言ったのなんて、聞いたことがない。」とピネラは言う。
シュロックに掃除するように言われたのかどうか訊かれたウィルソンは、「それに関しては、言いたくないな。審判に関しては、何も言いたくないし、ホームプレートでどんなことが起こっているかについても、言いたくない。」と言う。
「ストライク・ボールの判定については、いつもは言わないことにしているけど、今回ばかりは、本当にストライクだと思った。」とウィルソン。
これで2連敗となったピネイロも、問題の速球について訊かれた。
「審判だって、間違うことはあるんだろう。」とピネイロはシュロックのことを指して言う。「僕の間違いは、そのあとの変化球が甘くなって、ホームランを打たれてしてしまった事だ。」
トレードに出すためにデビル・レイズが“顔見世”でスタメンに入れた選手が打った一発で、ライアン・ループはまたもやマリナーズを下す事に成功した。
今月以前は、マリナーズに対して0勝4敗、防御率7.44だったループだが、今日はチェンジアップもよく、速球もプレートの両サイドに効果的に散らして、9回までマリナーズを無得点に抑えた。
しかし、今日の試合は、なんといってもピネラの“事件”が他の全てを霞ませてしまった。
「ルーがあんなに怒ったのは、初めて見た。」とイチローは言う。「でも、こっちへ来る前に、テレビで見てルーに対して持っていたイメージは、まさにあの通りだったんだけどね。」
試合を見に来ていたピネラの両親は、あの大爆発を一体どういう風に思ったのだろうか…?マリナーズのダッグアウトのすぐ上の一列目の席に座っていたピネラの母親は、騒動の間中、ずっと拍手をしていた。そして、息子がようやくダッグアウトの方へ戻ってくると、今度は父親が、その姿を写真に納めたのであった。
以上(^^)
なんともスッキリとしない敗戦で、気分もふさぎこみがちですが、気分転換に、Kazooさんが紹介してくださったキャメロン選手の記事でもどうぞ…。(^^)
フラニーおばあちゃんの自慢の孫
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/0528c11.html
マイクとジャブレカ・キャメロンは、高校時代に恋人同志だった…というか、最終的にはそうなった。
彼の方は、ジョージア州ラ・グレインジで一番大きな高校の花形運動選手で、彼女は、同じ高校の美人で気の強い女の子だった。最初の頃、彼女はキャメロンのことをあまり好きではなかったらしい。
「とにかく、学校で彼女を見かけるたびに、話しかけてたんだ。」とキャメロンは当時を思い出しながら微笑む。「どうやら、それがよかったみたい。」
それ以来ずっと続いているこのロマンスは、二人に3人の子供をもたらし(ダズモン、メキ、タジャ)、キャメロンの生活の大きな部分を占めるようになった。
子供時代から始まってメジャー時代に至るまで、キャメロンの人生は困難に見舞われ続けた。だが、自分の目指すものに向かって持てる才能と努力を傾け続けた結果、キャメロンはそれらを克服することが出来たのである。
とはいえ、いつでもキャメロンの思い通りに事が運んだわけではなかったし、傍から見ていても、かなり難しいことが多いように思えた。神様は、キャメロンに生まれつきの運動能力とそれを伸ばす向上心を与えたが、さらには、もっと稀有な性質をも与えたのである。
彼は、常に明るく、決してめげない青年だった。
世間で言うところの「崩壊した家庭」に生まれながらも、キャメロンは“フラニーおばあちゃん”と暮らした子供時代のことを楽しかった―と言う。
「ほとんどずっと、おばあちゃんと暮らしてた。他の子と較べたら、僕はけっこう、恵まれてた方だと思うよ。」と彼は言う。「母さんが若くして僕を生んたもんで、僕はおばあちゃんの所にいる方が多かったんだ。そのうち、おじいちゃんが死んで、おばあちゃんが一人ぼっちになってしまったんで、ずっと一緒にいてあげることにしたんだ。」
「父さん―?今でも、時間があれば会ってるよ。ウチの家族は、全員が一緒に暮らした事は無かったけど、いつでも気持ちは繋がっていたし、愛情にも満ちていた。」
―あなたの、夫として、父親としての生活は…?
「僕の子供達?いやぁ、全く、僕の子供時代はあんなんじゃなかったね〜。とにかく、何回ダメだって言っても、いっこうに言うことを聞かないんだから―。」と言いながら、キャメロンはニッコリ笑う。
「―実は僕も同じだったんじゃないか、って〜??うん、多分、そっくり同じだったと思う。」
家族の支えのお陰で子供時代のキャメロンは頑張れたし、大人になってからもそれは同じだった。若い野球選手となったキャメロンは、家庭を持ったお陰で人間としても成長したのである。
「以前は、その日その日に起った事に一々影響されていたんだ。何かがうまく行けばご機嫌だったし、うまく行かないと落ち込んでた。」と彼は言う。「でもね、子供が出来てからは、そうじゃなくなった。」
「子供がいると、そんな事してるわけにはいかないんだ。親は、子供の前ではいつも変わらない態度でいなきゃダメだからね。」
“変わらない態度”―それは、まさにキャメロンにぴったりの言葉だ。
「彼は、最高のチームメートだね。」とブレット・ブーンは言う。「その日の試合の成績が、4打数4安打だったのか、はたまた5打数0安打だったのかなんて、試合後の彼の様子を見ただけじゃ、全くわからないんだ。ロッカールームでは、いつでも同じ…。俺も含めて普通の奴は、うまくいかなかった試合の後には機嫌も悪くなるし、叫んだり怒鳴ったりもする。でも、キャミーは、絶対に試合の結果を引きずらない。一生懸命プレーした後は、全てをグラウンドに置いて来るみたいなんだ。」
キャメロンによれば、どうやらそれは、意識してやっている事らしい―。
「そりゃあ、野球で苦労する事だってあるよ。でも、今僕がいるのは、メジャーのクラブハウスなんだ。病院で息も出来ない瀕死の状態で横たわっているわけじゃない―そういうヤツこそが、本当に“辛い目に遭っている”って言うんであって、そういうのに較べれば、僕らみたいに“ヒットが打てない”なんてのは、大した事じゃないんだ。」
「だってさ、今、僕のいるこの環境、この球場を見てみてよ。こんな素晴らしい状況にありながら、自分のベストを尽くさないなんてことは、あり得ないじゃないか―。」
「確かに、野球をやっているとフラストレーションが溜まることも多いよ。誰でも一生懸命やったことに対する結果は欲しいから、それが得られないで苦戦したりすると、すごくこたえる。たとえ調子が良くても、たった1試合―いや、たった1打席、1球でガタッと崩れたりもするし、いったん成功の味を知ってしまうと、その後に来る挫折ってのは、一層耐え難く感じるものだしね。」
キャメロンと“挫折”との付き合いは、長い。マイナー・リーグ時代の5年目、彼は123試合に出場し、打率.300、28本塁打、77打点、39盗塁を記録した。
すると、ホワイト・ソックスはキャメロンをメジャーに昇格させた。
「シカゴに行ってみたら、『次の30−30打者はキャメロンだ』と皆に期待されて、そのプレッシャーに押し潰されてしまったんだ。」とキャメロンは言う。“30−30打者”とは、1シーズンに30本塁打と30盗塁を同時に達成するような選りすぐりのバッターを指す言葉だ。「全てやろうとして、頑張りすぎてしまったんだ。」
「当時は、生涯、ホワイト・ソックスにいられるものと思ってたんだけど、神様には他の考えがあったらしくてね…。でも、あのままずっとシカゴにいたら、もしかしたら今ほど野球がうまくなってなかったかもしれない。シンシナチへ行って、かなり良くなったと思うし、シアトルに来てからも上達したと思っている。」
ホワイトソックスで.210打った後、キャメロンは1999年シーズン直前にシンシナチ・レッズに送られた。「その後の1年は、ずっと怒りに燃えながらプレーしてた。」と彼は言う。「それが僕のモチベーションになっていたんだ。とにかく、メチャクチャ頭に来ていた。」
レッズでの最初の年、キャメロンは.256打ち、21本の本塁打と38盗塁を記録した。メジャーに上がって以来初めて、キャメロンはチームの中でくつろいだ気分になれたのである。
ところが、次のシーズンの開始直前に、キャメロンは又もやトレードに出されてしまった。今度はシアトルへ―あの有名なケングリフィー・ジュニアーとの交換トレードだった。
そのトレードが発表になった瞬間から、キャメロンの心配が始まった。伝説的な外野手の替りとして行くことに不安を覚えただけでなく、これから自分の新しい上司となるべき監督のことも、非常に気懸りだったのだ。
「シアトルにトレードされた時、僕がルー(ピネラ)について知ってた事といえば、敵側のダッグアウトの中で怒って物を蹴飛ばしていた姿だけなんだもの。」とキャメロンは言う。「―でも、トレードが決まったあと、ルーが電話を掛けてきてくれて、僕が来る事になって凄く嬉しい、って言ってくれたんだ。僕は、彼からいろんなことを教わった。僕が選手としてうまくいくようになったのも、ルーのお陰なんだ。」
「スランプに陥って、ベンチに下げられてしまっても仕方のないような時もあったし、実際、自分が監督であっても下げただろう―ってぐらいの時もあった。それでも、ルーは、ずっと僕を使い続けてくれた。僕自身よりも、僕のことを信じてくれる監督なんだもの。そんな監督のためなら、なんだって出来る…って気持ちにもなるよね。」
「もちろん、僕は自分自身のために力一杯頑張っている。それが、僕の性格だからね。でも、ルーの為にも一生懸命やっているんだ。」
地理的に見れば、シアトルほど、キャメロンや奥さんの故郷・親戚から遠い町はないだろう。
「そのことは、家族にとっての方がつらいと思う。だって、僕は、自分が好きなことをやっているわけだからね。」とキャメロンは言う。
マリナーズに移籍して3年目に入った今、アメリカ北西部のこの土地で、キャメロンは南東部の故郷を離れて以来、初めて“あるもの”を見つけたと思っている。それは、いわば、「第2の家族」とでも呼ぶべきものである。
それは、クラブハウス内でのイチロー、ブーンやピネラを含めたチームメート達との関係にとどまらず、もっと広く、セーフコーフィールド中の観客席にまで至るものなのだ。
ホームでの連戦中に、キャメロンがシアトル側のダッグアウトの屋根の上に座って、ファンに囲まれながら明るく笑っている姿をみかけるのは、決して珍しいことではない。
「シカゴやシンシナチにいた時も、同じようなことをしていたんだけど、ほとんどの人は気付いてくれなかったんだよね。」とキャメロンは笑いながら言う。「あの頃の僕は、まだ大した事なかったからね。」
マリナーズのファンに対してキャメロンが抱いている愛情の純粋さに、万が一、ほんの少しでも疑念を差し挟む人が存在していたとしても、その疑念は、2000年のALDSの勝利の瞬間にいっぺんに吹き飛んだはずである。マリナーズがシカゴを撃破してポストシーズン進出を決める何イニングか前、センターで守りにつきながらキャメロンは、ある事を思いついたのである。
「その喜びを、ファンの皆とも分かち合いたい、と思ったんだ。」と彼は言う。「で、試合が終った直後、ロッカールームで選手たち全員で叫んだり騒いだりしている最中に、シャンペンの瓶を何本かひっつかんで、外野に向かって飛び出して行ったんだ。」
全員がキャメロンの後に続き、選手同士だけでなく、ファンに向けても歓喜のシャンパン掛けが行われるという、球団史上、かつてない程の記憶に残るべき祝賀シーンが繰り広げられたのである。
「僕は、いつだって自分のことを普通の人間だと思っているから、メジャーのユニフォームを着たからと言って、それが変わるのはおかしいと思うんだ。」と彼は言う。「僕がファンと話をするのは、自分自身で“そうしよう”、“そうしたい”と思っているからなんだよ。―全てのファンを好きかって…? いいや、そうでないのもいるよ。でもね、僕に向かって悪口を叫んでいるヤツだって、切符を買って見に来てくれたことには、かわりない訳だからね…。」
そういう考え方は、全て子供時代に、ラ・グレインジの“フラニーおばあちゃん”から教わったことなのである。随分、昔のことなので、そのフラニーおばあちゃんはまだ存命中なのかどうか、訊いてみた。
「生きてるかって〜? そりゃあもう元気で、7月11日〜15日にウチのチームが2回目にタンパに行く時には、親戚全員引きつれて来てくれる事になっているんだ。」とキャメロンは、言う。「家族が支えてくれた―ってさっき言ったけど、あれはなにも、子供時代だけの事じゃないんだよ。フラニーおばあちゃんも含めて、25〜30人もの人達が、7月にはフロリダに集まって来てくれるんだからね。」
―「人生って、なんだか不思議だよね…。」とキャメロンはつぶやくのだった。。
(以上)(^^)
同じ移籍組でも、シリーロ選手とは対照的なレラフォード選手。いつでもマイペースで、失敗してもあまり気に病む事もなさそうだし、なんだかとても楽しそうに見えるなぁ、と思っていました。意外な“副業”も含め、レラフォード選手の人となりがわかる、ちょっと面白い記事です。(^^)
レラフォードはM’sのヒップホップ“遊撃手”
― ブレイン・ニューマン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134461934_newnham26.html
まるで、お気に入りの連続ドラマでも見ているかのように、毎晩熱心にマリナーズの試合を見ている何百万人ものファンにとっては、どんな小さなことでも気になるものだ。
ずっと見ていれば、選手達に対する親しみも湧いてくる。たとえば、新入りのデジ・レラフォードという選手は、色んなポジションをこなせる選手で、いわば“マクレモアを若くした感じ”なんだということも、わかってくる。
ただ、未だに皆が不思議に思っているのは、テレビ画面に映るレラフォードの横顔にモヤモヤと存在している、あの“もみ上げのようなもの”のことだ。だが、それも仕方ないのかもしれない。なぜなら、レラフォード本人にも、あれが何なのかよくわかっていないからだ。
きっと、誰もが、試合前のダッグアウトに座っているレラフォードに話を聞いてみたいと思っているに違いない。
―じゃ、まず、その“もみ上げ”について…。
「僕は昔から童顔で、髭もほとんど生えないタイプだったんだよね。」と彼は言う。「で、去年メッツにいた時、とにかく一度、なんでもいいから生やしっぱなしにしてみてやれ、って思ったんだ。で、放っておいたら、なんだか好き勝手な感じにポツポツとまばらに生えてきて、まるで『サンフォードと息子』に出てくるフレッド・サンフォードみたいになっちまったんだ。」(注:昔、アメリカのテレビで人気のあったホームコメディ。レラフォードの若さであの番組を知ってるとは、再放送?それともリメイク…?^^;)
「でもさ、そうしたら、バッティングの方もすごく当たり出してね―。(打率.302)今までで最高の年になったんだ。で、今年は、そのわずかに生えてきたヤツの形をチョチョッと整えてみたんだけど、どうも、何もしないで放っておいた方が良かったみたいなんだ…。」
レラフォード―28歳、外野手兼内野手、スイッチヒッター―は、マリナーズにとっては非常に大切な男だ。もうすでに、3塁手として13試合、左翼手として10試合、右翼手・2塁手・遊撃手としてそれぞれ3試合づつ、出場している。
だが、彼の多才振りは、何も野球に限ったことではない。
「僕が、いかにオールラウンドな人間か知ったら、皆びっくりするんじゃないかな。」と彼は言う。
レラフォードは、読書好きだし、レコード会社のオーナーでもあるし、その“髭”も含めたいでたちは、まるで違う時代からやってきた人間のように見える。例えば、今年の春季キャンプに初めて合流した時に彼が被っていたキャップなどは、まるで、アイルランド人のヨボヨボ爺さんキャディーかなんかが、昔、被っていたのではないかと疑うような代物だった。
現在、彼が乗っているのはベンツのRV車だが、彼がマリナーズのマイナー選手時代にタコマで乗り回していたのは、1974年製のキャディラックで、「全長がダッグアウトくらい長くて、(燃費が悪いので)ガソリンスタンドは絶対素通りできなかったけど、とても信頼できるいい車だった」らしい。
彼は、かつて自分のことを形容して「得体の知れない」(enigmatic)ヤツと言ったこともあるほどだ。
昔、マリナーズの春季キャンプに参加していた頃の彼は、ケン・グリフィーから投げつけられる数々の棘のある皮肉に対して、同等以上の嫌味を込めて投げ返せるただ一人の選手として、名を馳せていた。
「だって、皆、同じ人間なんだし。」と彼は言う。「それに、僕はマイナー時代にクレグ・グリフィーとも一緒だったし、ジュニアーとも仲良かったし…。別に、どうってことないんじゃない?」
レラフォードは、別に自分のことを“反逆児”だとは思っていない、と言う。ただ、自分というものをしっかり持っているだけなのだ。
その後、ベテラン投手のテリー・ムルホランドとの交換トレードでマリナーズからフィラデルフィアへ移ったレラフォードは、そこで過ごした3年の間中、ずっと球団の厳しい規律に馴染めずに周囲との摩擦に苦しみ続けた。
「絶えず、なんだかんだと文句を言われっぱなしだったんだ。ユニフォームのズボンの履き方がなってないとか、ウォークマンで聞いている音楽がケシカランとか、ゴロの処理のしかたがマズイとか―。もう、毎日、毎日気を使いながら生きてたって感じ…。全然、楽しくなかった。」
「今でも、あの時、はっきり言い返せなかった自分に腹が立っている。黙っていたせいで、口惜しい思いだけが、いつまでも消えずに残ってしまった―。」
そのうち、フィリーズはレラフォードをサン・ディエゴにトレードした。そして、2000年のシーズンが終ると、サン・ディエゴはレラフォードを解雇してしまった。かつては可能性に満ちていた彼のキャリアも、今や終了しようとしていたのだ。
昨年の春、彼はメッツのキャンプに招待選手として参加した。
「ボビー・バレンタイン(メッツの監督)が、僕に言ったんだ―『君がいい選手だって事は、わかっている。素質は充分に持っているんだから、それをうまく使って、野球を楽しめばいいんだ。』ってね。」
「―で、言われた通りにした。」
レラフォードはメッツで活躍し、打率も.302を記録した。急に、彼は価値のある人材となり、ショーン・エステス(ちなみに、彼も元マリナーズ)との交換トレードで新庄と共にサン・フランシスコ・ジャイアンツへ移った。
「ダスティー(ジャイアンツのベーカー監督)と話をしたら、スタメン3塁手のポジション競争に参加させてくれる、って言ってくれたんだ。」
だが、その直後に、レラフォードは今度はベルとの交換トレードで、シアトルへ送られることとなった。
「デジなら、色んなチームでレギュラーとしてやれるはず、とメッツは思ったに違いない。」とマリナーズのヨングワルド人事担当役員は言う。「私も、そう思うね。彼は今、ブーン・ギーエン・シリーロ達が怪我でもした場合に備えた、非常に重要な“保険”なんだ。いつでも、彼らの代りにレギュラーとしてやれるだけの力を持っている。」
それどころか、どうもレラフォード本人は、マクレモア型のユティリティー・プレーヤーとして終るつもりはないようなのである。
「今の所、それが僕の姿なのは確かだけど、でも心の底では、自分は遊撃手としてレギュラーになれる選手なんだ、と固く信じている。」とレラフォードは言う。「だからこそ、僕のレコード会社のレーベルは、『6 Hole Productions』(注:“6”は、スコアカードでは、ショートのポジションを表わすんでしたよね?^^;)って言うんだ。」
彼のイメージに相応しく、彼のレコード会社が扱う音楽は、“アンダーグラウンド・ヒップホップ系”なんだそうだ。
「大衆の嗜好には迎合しないことにしている。」とレラフォードは言う。「僕はね、ウチの音楽は、ピュアで誠実な音楽だと思っているんだ。」
1991年,フロリダ州ジャクソンビルの高校を卒業してテネシー大学の野球奨学金を受けるつもりでいたレラフォードを、マリナーズは口説き落として契約することに成功した。
「ウチには他のどのチームよりも沢山の遊撃手がいるなあ、と当時、思った覚えがあるよ。」とヨングワルドは言う。
当時のマリナーズには、メジャーにオマー・ビスケル、マイナーにはレラフォード、アンディー・シーツ、ジオマー・ゲバラ(発音、不確かです…^^;)とアレックス・ロドリゲスがいた。
「正直言うとね、」とレラフォードは言う―「マリナーズがやっと、僕をトレードに出してくれた時は、ものすごく嬉しかったんだ。とにかく、どこでもいいから、AーRodのいない所へ行きたかった。」(注:つまり、天才A−Rodと同じチームにいたんでは、一生、レギュラーにはなれないと思った―という意味だと思います。)
そして、今、AーRodはシアトルを去り、レラフォードは戻って来た。レンジャースは“ミスター・パーフェクト”(注:AーRodのあだ名。その優等生的発言に対する嫌味が多分に込められている^^;)を手に入れ、マリナーズは“フレッド・サンフォード”を手に入れた。
…でかしたぞ、マリナーズ。
(以上)(^^)
シアトル・タイムスに、試合後のシリーロ選手の短いインタビュー記事が載っていました。ちょっと切ないです…。(-_-;)
シリーロ、依然としてスランプの泥沼にはまったまま
― レス・カーペンター ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134462017_mside26.html
自分がいかに有能な3塁手かをやっと地元シアトルの人々に見てもらえる(注:奥さんがシアトル出身のため、結婚して以来、オフの間はずっとシアトルに住んできた)と、勇んでマリナーズに移ってきたシリーロにとっては、今シーズンは今の所、挫折の連続である。昨晩の9時15分頃にも、彼はロッカー前の椅子にぐったりと腰掛けて、なぜ、こんなに何もかもうかくいかないのだろう…とボンヤリと考えていた。
「シアトルの人達は、まだ、本当のジェフ・シリーロを見ていないんだ。」と彼は浮かぬ顔で言う。「―でも、僕自身も、今そいつがどこにいるのか、わからないんだよね…。」
彼は肩をすくめると、ふっと目を伏せた。
夕べ、彼は周りの全ての状況を好転させるつもりだった。今まで、あまりにも何回もショートフライを打ち上げ過ぎていたし、進塁を焦るあまりの走塁ミスも多すぎた。先日、スタメンから外されたのも、自分が牽制に引っかかってアウトになってしまったせいだったこともわかっている。全てが悪い方へ悪い方へと転がっていくのを、なんとかして止めたかった。
すると、チャンスが訪れた―。時は8回の裏、2−3で負けてはいたが、満塁の状況で、彼は3塁に立っていた。ブーンがライトにゆるいフライを打ち上げると、シリーロの体に緊張が走り、後ろの足が3塁ベースにグッと押し付けられた。体を低くして屈み込むと、いつでもスタートを切れるように、いつでも“爆発”できるようにと、用意をした。本塁上に舞い上がる砂煙の中で、絶対何か素晴らしい事を引き起こそうと、思い詰めていた。
だが、彼はホームの10フィートも手前で、いともあっさりとアウトになってしまったのだ…。
「単なる積極的プレーと“賢い積極的プレー”とは、全然違うものだ。とどのつまりは・・・そういう事なんだ。」とピネラは言う。
シリーロはゆっくりと頷く―。ブーンのバットから打球が飛んだ瞬間に、3塁コーチのマイヤーズが彼に向かって「タッチアップして待て!」と叫んだ―という話を、たった今聞かされたところだった。シリーロは唇をきゅっとすぼめると、マイヤーズの声は聞こえなかった、と言った。
「ちゃんとしっかり聞くべきだったね…。」と彼は言う。
「こっちへトレードされたとわかった時は、いいことしか考えなかった。うまくいかなかった時の事なんて、誰も前もって考えたりしないよね。周り中の人が、うまく行くようにって思っていて、自分もうまくやらなきゃ、うまくやらなきゃって、そればかり考えていて、事がどんどん大きくなっていく―。(移籍に付随する)悪い事なんて、全く考えていなかったんだよね…。」
昨年、コロラドで打率.313を記録したシリーロは、外野手の間をライナーで抜くような打撃を得意としており、広い外野をもつセーフコーフィールドにはぴったりなはずだと誰もが思っていた。だが、予想に反して、彼の打率は.237と低迷し、いまやその走塁までもが怪しくなってきてしまった。
しかし、夕べのその致命的な走塁ミスの直前には、彼はキャメロンのゴロでマリナーズが得点する手助けもしていたのである。3塁に進塁する途中のシリーロは、ボルチモアの遊撃手モーラが捕球しようとする目の前で、打球を避けるように軽く跳ねて前後に動いてみせた。その目障りな動きに惑わされたのか、モーラは落球してしまい、マリナーズの得点を許した上に満塁にもしてしまった。
「あれは、うまい走塁だったと思う。」とシリーロは言う。「わざとああいうふうに、モーラの気が散るように、彼の目の前で動いてみせたんだ。直感的ないいプレーだった。…と思ったら、その次は、またもやあんな走塁ミスをしてしまうんだもんなぁ…。」
彼は、フーッと溜息をついた。
「…自分を苛めて、苛めて、苛め抜くにしても、そこにはおのずと限界ってものがある。限界まで行ってしまったら、あとは、そこから抜け出すしかない。」と彼は言う。「ある地点まで行ってしまったら、あとは、『…クソッ!もう、どうにでもなりやがれ!』って言うしかないんだ。」
―あなたは、ひょっとして、もうその限界に達してしまったの…??
「そうかもしれないね…。」と彼は言う。「でも、それはいい事なのかもしれない。―悪い事じゃないんじゃないかな。だって、僕はもう、散々自分の頭を壁に打ちつけ続けてきたから、これ以上やってると、体によくないと思うから…。」
(以上)
先にアップした記事、「一瞬の閃光」とペアでESPNに掲載された記事です。題名とは違って、短いながらも、ピネラ監督のイチロー選手に対する思いやりや心遣いがよく伝わってくる記事になっています。(^^)
イチローは、マリナーズにとっては大当たり
− ジェフ・ブラッドリー −
http://espn.go.com/magazine/bradley_20020517.html
数週間前、私は、今回の企画、『スピード狂達』をピネラのオフィスへ持ち込んで、はたしてイチローは、ウエイン・グレツキーやラリー・バードと同じように、試合をスローダウンさせる事の出来る選手だと思うかどうかをピネラに尋ねてみた。だが、ピネラは、あまりその話題には乗っては来なかった。どうやら、ピネラは、私が、イチローにとって野球なんて簡単なのでは、と仄めかしているように取ったようだった。
「偉大な選手ほど、簡単そうにやってみせる。」とピネラは言う。「でも、決して簡単ではないんだ。イチローは、懸命に努力している。コンディション調整にしても、パワーをつけるプログラムにしても、ストレッチングにしても、打撃にしても、とにかく、一生懸命やっているんだ。打席に立って、グラウンド中に打球を散らしてみせる彼の姿を見て、人は、『彼は、天才だから』で片付ける。確かに、天賦の才能もあるだろう。でも、彼は、努力して自分の技を磨いているんだ。」
ピネラの言っている事は、私にしても先刻承知の上だ。私は今までにも、何本かESPNにイチローの長い記事を書いていて、彼のワークアウトメニューには詳しい。それらは、信じられない程、すごい。試合前のマッサージに始まって、ノンストップで続くストレッチング、そして秩序だった打撃練習にいたるまで、イチローは、実に細心の注意を払いながら、試合のための準備を整える。実際、今回書き上げた最新の記事の中で、彼の点検リストの内容を全部教えてくれるように頼んだら、彼に嘲笑われてしまったぐらいだ。(―もちろん、通訳のスエヨシを通してだが…)「いろいろ細かくあり過ぎて、とてもじゃないけど、無理だよ。」ってね。
でも、ピネラがイチローに関して言った事で、私を驚かせた事もいくつかある。「彼は、私が今まで見た右翼手の中では、最高の守備をする。」というのも、その中の一つだ。イチローのほうが優っているというリストの中には、もちろん、ドゥワイト・エバンスやデーブ・パーカーも入っているのだろうし、偉大な故ロベルト・クレメンテまでもが入っているのだ。
「でも、それは、契約を結んだ時からわかっていた事だ。」とピネラは言う。「その前の春季キャンプで、彼の守備は見てたからね。でも、他の面では、彼は我々の期待以上の物を見せてくれた。」
「まず第一に、彼は、我々が思ってた以上に、速かったね。ホームからファーストへ走るスピードは、リーグ一だと思うし、それによって、敵の内野手にとてつもないプレッシャーをかけることができる。捕球するために少しでもどっちかへ動かなきゃならないとすれば、相当いいプレーをしないと、イチローをアウトにする事は出来ない。」
「それから、彼は予想以上にいいバッターだった。好調な時は、もうほとんど、どこにでも好きな所へ打てる、ってかんじだ。」
―でも、もし、イチローが狙った所へ打てると言うのが本当だとすると、それは、ただ球を強く叩く事しか出来ない他の選手たちよりも、よく試合が見えているから―ということには、ならないのだろうか…?
「いや、それは違う。」とピネラは言う。「それは、単に、彼がいかに努力しているかを示しているに過ぎないんだと思う。彼に実際に聞いた事はないけど、きっと、毎日球場に来る車の中で、その日のゲームプランを立てたり、ひとつひとつの打席について、綿密に考えているんじゃないかと、私は睨んでいるんだ。」
そして、イチローのそうした強烈な集中力こそが、まるで試合をスローダウンさせているように見えるのでは、とピネラは言う。
「言っておくけどね、イチローが昨年中、そして今年に入ってからも受けつづけているプレッシャーやら、注目やらプレスから監視されている様子なんかは、全部、前代未聞のレベルなんだ。(ホームラン競争中の)ボンズやマクグアイアなんかも注目されていたけど、あれとこれとでは、質が全く違う。イチローは、日本からやってきて、毎日毎日、何百もの日本のメディアに追い掛け回されながら、祖国に対して自分の実力を証明してみせなくてはならなかったんだ。並の男だったら、とっくに潰れていたに違いない。」
「今年のキャンプ中、彼は最初のオープン戦でホームランを打った。そうしたら、日本のメディアが私のオフィスに殺到して、『今年のイチローは、ホームランを30本は打つだろう』って、言うんだよ。とんでもないって、私は、直ちにその考えを追い散らしたね。彼は、ほんとうに自然で、滑らかで、優雅に見えるから、傍で見ている者は、つい、簡単にやっているんでは、と思ってしまう。でも、私が保証するよ―絶対に、簡単なんかじゃないんだ。」
以上(^^)
目新しい事はあまり言っていませんが、ファンにとって、読んでいて気持ちのいい記事である事は、確かですね!(^^)
(かなり粗い訳になってしまいました…。表現が練れていないところもあると思いますが、どうか大目に見てやって下さいませ。m(__)m)
一瞬の閃光
― ジェフ・ブラッドリー ―
http://espn.go.com/magazine/vol5no11ichiro.html
誰もが頷く。偉大な選手達全員だ。ジーターにAーRod、ボンズにグリフィー、ソーサ、ピアザにジアンビー。返ってくる答えはイエス、イエス、何回訊いたって、絶対イエス。思い付く限りの選手にこう訊いてみる:「自分の調子のいい時って、試合中、周りがゆっくり動いているように見えない?」全員頷く。「じゃ、自分の調子が落ちてくると、今度は周りが凄く速く動いているようには―?」再び、全員頷く。誰に訊いても、これが自分の好不調を分ける、いわば、周知の分岐点なのだ。「それが、野球ってもんなんだよな。」とジアンビは言う。「一言で言えば、それに尽きると思う―いかにして、自分にとって快適な体感スピードに試合を持っていくかって事にね。」
が、イチローは違う。
「いや、そんなことはない。」と、マリナーズのスカウト部副部長で通訳も務めるヒデ・スエヨシを通して、イチローは主張する。「試合がスローに感じるなんてことは絶対無い。試合に関する全て―ピッチング、走塁、守備―は、常に非常に速い。」
―多分、これは、翻訳の過程でこっちの言いたい事が間違って伝わってしまったのに違いない、と気をとりなおして、もう1回トライしてみる:「色んな選手が、みんな、そう言ってるんだけど。マリナーズでも、オルルッドやブーンが、たったさっきそう言ってくれたんだ―それが、野球の核心だってね。つまり、自分の調子のいい時は、試合がスローモーションで進んでいるように見えて、調子が悪いと、スピード再生のように速く見えるってネ。」
今度は、スエヨシの通訳作業も身振り手振りを交えた派手な物になり、目を指さして「スローモーション」と言っているのも聞きとれる。(どうやら、この言葉は日本語でもそのまま通じるようだ…。)やっと、スズキは頷いて、質問を理解したことを示す。だが、そこからはまた、首を振りながら通訳に向かって話し始める。スエヨシが言う。「自分はそうは思わないって言ってるよ。でも、他の選手達が違う見方をしているのも理解できるって。これで、意味わかる?」
いや、正直言って、最初はわからなかった―。というのも、野球界には、これに関して色んな選手の言葉が残っているからだ。例えば、好調な時のウィー・ウィリー・キーラーの言葉、「ボールがまるで、グレープフルーツぐらいにデカく見えるんだ。」というのとか、多分スランプ中にダッキー・メドウィックが言った「まるで、アスピリンの錠剤に向かってスイングしているような気がする」という言葉などから、私は、この感覚はもはや抽象的な仮説などではなく、既定の初歩的事実として認められていて、そこからスピードに関するより高度な技術的議論が発展していくものだとばかり思い込んでいたからだ。だが、イチローのおかげで、私は考え直さなくてはならない羽目になってしまった。―そして、今、イチローは自分のロッカーの前にゆったりと腰掛けて私の次の質問をじっと待っているのだが、私はすっかりペースが狂ってしまい、何かフォローしなくてはと、どぎまぎしながら口ごもってしまっている始末。傍らで、スエヨシが気まずそうな笑顔を浮かべている。
「…じゃあ、“ザ・ゾーン”(注:スポーツ選手が、自分が絶好調と感じる瞬間を指す時に使う決まり文句)は?」と訊いてみる。「彼は、“ザ・ゾーン”を信じてないの?」いまやニヤニヤ笑いを浮かべているイチローに、スエヨシがその質問を伝える。「もちろん、それはある。」と通訳はイチローに代わって答える。「でも、それは一人一人の選手にとって違うもの。僕の“ゾーン”は、スローモーションじゃない。」
何日か経ってよくよく考えた後、やっと、この時イチローの言ったことの意味がわかるようになる。従来の枠にはまらない彼の考え方は、一瞬、相手を混乱させるのだが、それは、スピードを最大限に生かした彼独特の野球技術が、フィールド上で他の選手達を“女々しい弱虫”(a bunch of Nellies)に変えてしまう様によく似ている。つまり、イチロー自身は自分のスピード(―すごく速い)でプレーしていて、周りをそれに合わせるように仕向けてしまっているのだ。アメリカへ渡ってきてから1年と2ヶ月経つ間に、彼は、対戦する豪腕投手達に、自分達の決め球を投げるのをためらわせてしまうようになっている。どんなゴロでも、難なく“平凡な”ゴロにしていた優秀な内野手達も、イチローに対しては、どれだけ素早く球を捌けばいいのかを計算しなおさなくてはならない。そして、今まで本能に任せて好き放題に走っていた足自慢のランナー達も、イチローにかかっては、躊躇して注意深くなってしまう。イチローのプレー速度があまりにも速いので、他の選手達は全員、自分達のペースをメチャメチャに乱されてしまうのである。
「タイガー・ウッズと他のゴルフ選手達の関係と、ちょっと似ている所があるよね。」とダン・ウィルソン捕手は言う。「いつもと同じようにプレーしていたんでは、タイガーには勝てっこないっていうんで、他の選手たちは皆、自分のプレースタイルを変えてしまうんだ。その間、タイガーはいつも通りの自分のプレーをしていて、まわりが勝手に自滅して行く。イチローの場合も同じなんだ。彼自身は、何も変えないし、なんの無理もしないんだけど、それでも相手を負かしてしまう。」
つい先日の対エンゼルス3連戦での彼のプレー振りを見ていれば、ウィルソンの言葉を裏付ける証拠は、いくらでも見つかる:
〔証拠A〕ツーストライクを取られた後、イチローがトップしてしまった打球が、3塁手のトロイ・グラウスの方へ転がる。こんなのは、普段のグラウスなら朝飯前のプレーのはずだ。だが、打ちながらすでに1塁方向に走り出しているようなイチローの例のスタイルと、塁間3.7秒というそのスピードを意識しすぎたのが、グラウスはうろたえてめちゃくちゃになり、2回もファンブルしてから、ようやくショーンワイス投手に向かって送球する。〔証拠B〕エンゼルスの中堅手ギャレット・アンダーソンがライト方向に打った球が、イチローの左側を抜けて外野の塀まで到達する。球は、壁で跳ね返らずに、クッション材の下部に挟まってしまう。イチローは直ちに球を拾って内野に返球するが、アンダーソンはといえば、2塁へ走りこむ代わりに、バッティンググローブを外しながら歩いて1塁へ戻ってしまう―2塁で刺されて恥をかくリスクを避けたのだ。 そして、〔証拠C〕も、これと好対照で面白い。球界一の鈍足と言ってもいいベンジー・モリーナ捕手が、ライトへクリーン・ヒットを放つ。イチローがこれを捕球しようと猛ダッシュしている頃、モリーナは、まるでショートゴロを打った直後の選手のように、全力疾走で1塁を駆け抜けていく…。「イチロー相手だと、こっちは間違いなく、いつもと全然違うプレーを強いられる羽目になってしまうんだ。」とエンゼルスのデービッド・エクスタイン遊撃手は言う。「彼の打席の時は、僕も、いつもより2歩、ホーム寄りに守る。カバーできる範囲が狭まるのはわかっているんだけどね…。それに、捕球する時に1歩でも前後左右に動いてしまうと、もう、そっから先、よっぽど急がないと間に合わないぞ―という思いも、絶えず頭の後ろにあるんだ。それから、もう一つイチローに関して言えば、彼はいつも、まるで“オート・ドライブ”スイッチが入っている車のように(on cruise control)、何もかもが実にスムーズなんだよね。彼がプレー中に慌てている所なんか、見た事がない。」
イチローも、これには同意して頷くかもしれない―ま、部分的に、だろうとは思うが。彼の性格からして、(少なくとも、“一般に向けて公開している彼の性格からしては”、という意味である。チームメート達に言わせれば、実際の彼は、それなりの自信家らしいので―)自分が他人を混乱させているなどとは、絶対認めはしないだろう。だが、もし、彼がいつでも事態を完全に掌握しているように見えるとしたら、それは決して偶然でそうなっているわけではない、という事は、彼は断言するはずだ。「高いレベルのスピードでプレーするために、僕は、絶えず体と心の準備はしている。」と彼は言う。「僕にとって、もっとも大切な事は、試合前に完璧な準備をする事なんだ。」
しかし、イチローは、これ以上深くは話してはくれない。試しに「完璧な準備」とは一体何なのかと訊いてみても、返ってくる答えは、「全て―」。例を挙げてみて欲しい、と頼めば、「打席に入る前に汗になったティーシャツを着替えるとか、スパイクに泥が詰まっていないかどうかチェックするとか。」じゃあ、点検用のリストみたいなのがあるわけ…?「まあね。でも、いつでも全部出来るわけじゃないから、自ずと優先順位みたいなのはあるけど。」じゃあ、“準備”って、精神状態のことを指すの…?「精神状態は―」と彼は言う、「そのうちの一つに過ぎない。」
彼のその“リスト”に載っている他の項目については、イチローの同僚達も知りたくてうずうずしている。マリナーズの面々は、いまだに、好奇心いっぱいの子供のように、イチローが一連のストレッチ運動を繰り広げるのを見つめている。イチローにとっては、ストレッチングは試合前の儀式だけに終らず、試合中―投手のピッチングの合間―にも行うものである。オフの間のトレードでマリナーズにやってきたデジ・レラフォードは、春季キャンプ中からずっと、何か学べる物はないかとイチローを観察し続けている、と言う。「でもね、彼がやっていることって、僕には真似出来ないことが多いんだよね。」と、“イチ体操”の一つをやってみせようとしながら言う。「スクワットなんだけど、両方の足の裏をペタッと地面につけたまんまで尻を地べたに落としていって、しばらくそのままじっとしているんだ…。」と言いながら、レラフォードは笑い出す。ほとんど、出来ていない。「それと、彼は体が強い。」とレラフォードは続ける。「それも、僕らみたいにウエートリフティングだけで強くなろうとしてきたのとは、ちょっと違うんだ。僕らは、腕とか背中とか肩とかを部分的に強化してきたんだけど、彼の場合は、胴の中心部分がものすごく強いんだ―体の芯というか、幹の部分がね。」
イチローには、その“体幹”の強さがあるからこそ、一見、楽にスイングしているように見えていながら、まるで弾丸のように内野を抜けていく強い打球を打てるのではないか、とレラフォードは推察する。「その上、自分でそのスイングを完璧にコントロールできるものだから、どんなピッチャーが相手でも、いつも同じスタンスで打席に入れるんだと思う。ほとんどの打者は、豪腕投手の時には『速くしなくては』とか、変化球投手の場合には『じっくり見なくては』とか、相手に合わせて打席でのアプローチを変えるものだけど、アイツの場合は、全く変える必要がないんだよね。」
イチローの打撃練習を見ていると、まず体慣らしとして、バットスピードを半分もしくは4分の3に押さえたスイングをするのだが、それでも、鋭いライナー性の当たりをレフト方向に何発も続けて放つ。打撃練習を繰り返していくうちに、どんどんバットスピードも上がっていき、球を打つ強さも増していくし、打球の行く方向も次第にフィールド中に散らばるようになる。しかし、たとえイチローのバットスピードが50%だろうが100%だろうが、球をミートするだけだろうが力一杯叩いていようが、イチローが打撃練習でつ打球は、ほとんどがヒット性の当たりであることに、見ている者は気付く。―もちろん、世の中には、イチロー以外にも、40才を越えた元控えキャッチャーが防御スクリーンの後ろから投げてくるような打ち頃の65マイル程度の球なら、見事に打ち返せるという打者は、ゴマンといるだろう。だが、いったいなぜイチローは、同じようなことを、実際の試合でもやって見せることが出来るのか―?ペドロ・マルチネスやロジャー・クレメンス、バリー・ジトーといったような連中が、速球・チェンジアップ・フォーク・カーブといった決め球を、球種を見破られないように、投げ方も腕を振る速度も一定にして投げてきてもなお、まるで、何がくるか事前にわかっていたかのように打てるのは、一体なぜなんだろう―?
「説明するのは難しい。」とイチローは認める。「頭よりも体が先に反応するんだ。別にピッチャーの投げる手元を見て判別しているわけではない。体が、次に何の球が来るかを感じるんだ。」
ということは、“感覚”ということ? 他の打者は、たいてい、視覚的なヒント―たとえば、変化球での投手の手首の回転のしかたとか、指から離れる時の球の回転とか―について話してくれるんだけど…?「僕にとっては―」とイチローは言う、「球種の判断は、投手が投球モーションに入った瞬間に始まる。どの投手にも、その投手独自のタイミングというのがある。そして、僕にも自分のタイミングがある。僕の場合は、最初のあのステップを踏む動きが、決定的に重要なんだ。球がピッチャーの手を離れる瞬間に、球種を判断しているわけではない。それでは、もう、遅すぎるんだ。(ロバート・K・アデール著「野球の物理学」によれば、時速90マイルの速球は、投手の手を離れてからプレートに到達するまで、たった0.4秒しかかからない。)投手が投球モーションに入る瞬間に、見極め作業が始まる。そのあとは、さっきも言ったように、“感じる”だけなんだ。」
では、“ただ球を強く打つ事だけを心がけて、あとは運命に任せるのみ―”という選手が多い中で、“イチローはいつでもヒットを打とうとしている”と良く言われるけど、それに関しては…?「時には、ただ球を強く叩く事だけを考えて打つ事もある。」とイチローは言う。「でも、相手の守備隊形をみて、空いている所に飛ばそうと思って打つ事もあるし、その両方ってこともある…。」
言うまでもないが、メジャーのスピードレベルでこんな事を成し遂げるのは、容易なことではない。実際、これ以上本人に説明させると、“対戦相手に対する挑発的な発言”(trash talk)と取られる可能性もあるので、ここは、ひとつ第三者に任せた方が賢明だろう。
「他の何よりも僕の目をひいたのは、彼のバランスの良さなんだ。」とオルルッドは言う。「彼の、スイングしながら前方へ重心を移動していく打ち方を見れば、打取るためには、外角にチェンジアップやフォーク、シンカーなんかを投げておけば良さそうに思えるじゃないか。でも、彼はそんな球にもしっかりついて行って、反対方向にライナーで打ち返す事が出来るんだよね。イチローを2−0とか2−1とかに追いこんでおきながら、最後の決め球で打ち取れないなんてのは、投手にとっては、すごくイライラする事なんだろうね。」
「イライラ」なんていう言葉では、イチローを解明しようと試みる投手達の気持ちは、表現しきれないだろう。昨シーズン、アメリカンリーグの首位打者と新人王、そしてMVPを獲得する道すがら、イチローは、1930年以来最高となる242本の安打を放っている。ここで特筆すべき事実は、なんとそのうちの四分の一以上―本数で言えば68本―は、ツーストライクを取られた後に打っている、という事だ。そして、ピッチャーが最もアウトを取ろうと必死になる、得点圏に走者がいるケースでは、.445打っており、さらに、ツーアウトで得点圏に走者がいる場合だと、なんと.460に跳ね上がる。投手にとっては、まさに、ダックアウトの壁を殴って暴れたくなるような数字だ。
「ずっと近くで見ていて思うんだけど―」とアボット投手は言う。「彼が投手達の難しい決め球を処理するやりかたは、全く、信じられないって感じだね。つまるところ、彼は、自分には足があるから、たとえ振り遅れて左サイドにゆるいゴロしか打てなかったとしても、1塁でセーフになれるってことがわかっているんだよね。というふうに考えてくると、はたして、彼に対して外角低目に投げるってのは、意味があるのかな、って思ってしまう。でも、彼は、手元に食い込んでくる球にも対処できるんだよね…。僕なら、ど真ん中に投げてみて、彼を混乱させられないか、試してみるかも。」
とにかく、ESPNで出しているイチローの統計の“ヒット分布図”を見て欲しい。まるで、幼稚園で良く子供達がお絵かきでやる、紙の片側に絵の具をポタポタ垂らしてそれを半分に折ると、もう片側にもそっくり同じ模様が出来る、というあれにそっくりに見える。レフトにもセンターにもライトにも、ほぼ同数の点が散りばめられている。対称的になっていないのは、内野の部分だけで、そこでは30本あまりの内野安打の約4分の3が、左側に集中している。「彼がショートの深い所にゴロを打つ様は、もう芸術の域に達しているね。」とレラフォードは言う。「そこに打ちさえすれば、もう誰も彼をアウトに出来ないってことを、彼は良く知っているんだ。」
つまり、たとえイチローを混乱させたとしても、彼を1塁ベースから遠ざけておくのは、至難の技になるだろう、という事だ。「彼の場合は、球を打ち返す事が出来さえすれば―」とブーンは言う。「毎回、ヒットになる可能性があるんだ。普通の選手にはない可能性だよ。普通の選手は、バットがうまく振れない時期に突入すると、ヒットなんてほとんど出なくなる。でも、イチローの場合は、ゴロを打ちさえすれば、内野安打の可能性があるわけで、時には一試合で2〜3本も出たりする。で、ちゃんとバットが振れるようになると、今度は一試合に3本も4本もヒットが出たりするんだ。―不公平だと思うな。」
不公平ついでに言えば、日本のパシフィック・リーグで9年間やっていた選手が、ポッとメジャーにやって来て、選手達の言うところの「調整期間」とやらを経験せずに済んでしまうなんてのも、ちょっぴり不公平な気がする。デレク・ジーターのような実力者でさえ、次のよう言っているのに、である:「リトル・リーグから始まって、レベルが一つ上がる毎に、野球のスピードが上がって行く。上に行くに従って、ピッチャーの投げる球も、ランナーの足も、自分に向かって転がってくるゴロの速度も、どんどん速くなっていくんだ。新しいレベルに上がるたびに、ひょっとして自分は、このレベルのスピードにはついていけないんじゃないかと、自信をなくす時期が必ずあるもんなんだ。」
―が、イチローは違う。
以上(^^)
おはようございます。(^^) 夕べ、サッカー日本代表vsノルウェー代表の試合(…惨敗…(T_T))を見ながら、もうひとつ、暇ネタを訳してしまいました。連続で、どうもスミマセン。m(__)m
―・―・―・―・―・―・―・―・―
海より広い障壁とは
― ジム・ケープル ―
http://espn.go.com/mlb/columns/caple_jim/1380675.html
シアトルの中継ぎ投手シゲトシ・ハセガワは、野茂がドジャースからデビューした2年後に、メジャー史上4人目の日本人選手としてエンゼルスと契約した。最初の頃、話相手もなく遠征先のホテルで一人ぼっちだったことや、行方不明になった荷物の行方を教えてくれる人も誰もいなく、イライラと淋しさの余り、ほとんど泣きそうになった事などを、長谷川は今でもよく覚えている
「他のアメリカ人の選手達とも監督とも、全く話す事ができなかったんだ。」と長谷川は言う。「あれには、参ったね。日本では先発投手だったんだけど、余りにも英語がヘタクソだったんで、自分は先発したいんだということすら、監督に伝える事が出来なかった。」
現在、メジャーには11人の日本人選手がプレーしているが、そのうちの3人はシアトルにいて、これはどこのチームよりも多い。実際、マリナーズにいる日本人選手の数は、中南米人選手の数(5人)とたいして変わらない。「こうなるのが、僕の夢だったんだ。」、と長谷川は2人の日本人同僚、イチローと佐々木を指して言う。「アメリカへ来た最初の年は、ほんとうに一人ぼっちだった。誰とも話せなかったんだ。スペイン語系の選手たちみたいに、僕も同国人の話し相手が欲しい、と夢見たものだった。」
長谷川は、今では、日本人選手がいなくとも充分に会話を楽しむ事が出来る。彼の英語は、日本人向けの英語の勉強法について本を出せる程上達しており、その本も10万部が売れたそうだ。
明らかに、長谷川は英語漬けの生活を送る道を選んだ。スズキも同様の方針を採っている。スズキは記者相手に記録に残るインタビュー等に答える時はいまだに通訳を通してはいるが、普段の初歩的な会話が出来る程度の英語は話せるようになっているし、日々、上達もしている。
だが、佐々木は、マリナーズが付けてくれた専属の通訳兼アシスタントに完全に頼っている。以前は、日本人のプロゴルファーのための通訳を目指していたアレン・ターナーだが、今や、ほとんど四六時中佐々木と行動をともにしているため、マリナーズから専用のユニフォームやロッカーまでも与えられているほどである。彼は佐々木と一緒に着替えると、試合前の準備運動も一緒にするし、ブルペンのベンチにも並んで座り、時には救援投手達の投球練習の相手まで務める。
佐々木が2年前にシアトルに来た時に初めて会った二人だったが、それ以来、非常に親しい仲になっている。球場で佐々木を補助する以外に、ターナーは、佐々木と家族の私生活面での言葉の問題も助けてやっている。
ターナーに全面的に頼っているのは、言葉上の誤解を避けるためなのだ、と佐々木は言う。
「英語でも日本語でも、時々、言いたい事と違う風に相手に受けとられてしまう事がある。」と佐々木はターナーを通して言う。「自分の気持ちが間違ったふうに伝わって誤解されてしまうのが、一番、恐いんだ。」
でも、ターナーにそれだけ頼っているからと言って、決して、不都合な事はない、と佐々木は主張する。
「キャッチャーとのコミュニケーションは、取れている。マウンド上では、自分でちゃんとキャッチャーと話しているよ。」と彼は言う。「野球に関しては、なんの問題もない。―それに、もし、僕が英語がペラペラになったら、アレンは失業してしまうからね。」
しかし、メジャーのチームは、スペイン語系の選手達には、専属の通訳を付けるような慣習はない。彼らは、英語を学ぶ事を義務付けられているし、そうしない選手は、英語しか話さない記者達から「頑固者」とか、もっとひどい場合には、「頭が悪いヤツ」などというレッテルを貼られてしまう。
だが、日本では、アメリカ人の選手達に専属の通訳を付けるというのは、一般的に行われている。さらに、アメリカに来た日本人選手達の事情は、ラテン系の選手達のそれとは色んな面で異なっている。日本語と英語は使用するアルファベットも含めて、共通点がほとんどないため、お互いに相手の言葉を学ぶのはそれだけ難しい。ラテン系の選手達は、マイナー時代に、チームが提供する初歩的な英語のレッスンを受ける事が多い。また各チームには、たいてい、スペイン語の話せる選手やコーチが何人かいるので、アメリカでの生活に慣れる為の手助けも受けやすい。
長谷川は、自分一人で言葉の壁と戦ったわけだが、それでも佐々木のやりかたも理解できるし、佐々木もそれなりに同僚の投手達とコミュニケーションは取れているようだ―と言う。
「日本人は、神経質になる人が多いんだ。誤解される事とか、自分の英語が変に聞こえるんじゃないかとかを、凄く気にする。」と長谷川は言う。「イチローもカズも、日本では大スターだったから、恥をかくのを嫌がる。でも、僕はスターでもなんでもない普通の選手だったから、(恥をかくことなんか)全然平気。」
とは言いながらも、英語の勉強法の本を出すぐらいだから、言葉を覚える一番の近道は、その言葉にどっぷりと漬かる事と、なるべくしょっちゅう喋る事だというのは、長谷川もよくわかっている。「勇気を出して喋らなくてはダメ。自分に自信を持たなきゃね。」
そうでないと、いろんな経験をするチャンスをみすみす自分で潰している事になり、せっかく決心して異国へ渡ってきた意味がなくなってしまう。スズキにしても、要求さえすれば専属の通訳を付けて貰えたはずだが、彼はそうはしなかった。そんなことをすると、「楽しくないから―。」というのが、スズキの言い分である。
以上(^^)
少し前の地元紙でみつけた、ちょっととぼけた暇ネタです。よろしかったら、息抜きにどうぞ。(^^)
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チームバスの中で
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/columnists/larry_larue/0505c61.html
高給を稼ぎ、チャーター機やホテルでは最高級の待遇を受けているメジャーリーガー達が、実は、生活のかなりの部分をバスに頼っているという事実は、興味深い。
クッションの効いた座席とスモークガラス装備のバスとはいえ、球場から飛行場へ、飛行場からホテルへ、ホテルから球場へ―そしてまたホテルへと、集団で運ばれて行く選手・コーチ・監督達の様子は、彼らが子供時代に乗っていたスクールバスでの移動風景と、たいして違わない。
長い野球人生の間に繰り返される遠征旅行の数を考えると、その間にバス移動に費やされる総時間数を足していけば、何日間分にも、あるいはそれ以上にも膨れ上がっていく。つまり、何が言いたいのかというと…「メジャーの選手達は、かなりの長時間をチームバスの中で過ごしている」―という事なのだ。
バスの中の様子はどんな具合かって?それはもう、大リーグの日常生活の縮図そのものである。
たとえば、先日のシカゴでのある日のホテルへ戻るバスの中では、ジョエル・ピネイロが携帯電話でプエルトリコにいる母親と話していた。「いや…、」と彼は静かに答える。「あまりうまく投げられなかったんだ…。」
その何列か先の席では、ジェイミー・モイヤーが同じく自宅への長距離電話で、子供達に助言を与えたり、からかったりしている。
毎試合後見られるこういうバスの中の風景は、選手達が家族から離れて過ごさなければならない時間の長さと、それぞれの家族が払わされている犠牲の大きさを思い出させてくれる。
ライアン・フランクリンは、オクラホマの自宅への電話で妻と話した後、異常な程の長い時間を掛けて、新しく家族の一員に加わった“子犬のキャシー”が引き起こした数々の災難について聞かされていた。
キャシーは、どうやらかなりの“お漏らし屋”らしく、フランクリンは、その日の子犬の…ええ、なんと言うか…“一つ一つの失敗”と、それらにどういう風に対処したのかの詳細な報告を、4歳の息子のローガンから受けていたのだ。
フランクリンの不在中、一家の“家長役”を自任しているローガンは、キャシーのトイレ・トレーニングを実施している最中なのである。
「…それで、しつけのためにキャシーを叩いたの?」と、フランクリンが優しく尋ねる。
それを耳にした近くの席のアーサー・ローズが顔を上げて、目を丸くしてみせた。
「あのチビ助と話しているのかい?」とローズが尋ねる。
「うん。」とフランクリンが頷く。春と夏には父親の元へやって来て、マリナーズのロッカールームにも出入りするローガンは、ローズとは“親友同士”の仲なのだ。「叩いたけど、でも、そんなに強くは叩かなかったよ。」というローガンの説明を、ローズも一緒に熱心に聞いたのだった。
ピネラ監督とコーチの面々は、いつもバスの前方に座る。ピネラの席は決まっており、最前列の右側が彼の指定席だ。負け試合の後のピネラは、バスに乗っている間中、一人でブツブツと何事かつぶやいていることが多い。
ジョン・オルルッドにとっては、チームバスも他の場所と何ら変わりはない―彼にとっては、バスも物を食べる場所の一つに過ぎないのだ。
オルルッドは、“何をどれだけ食べても太らない”、という得な体質の男である。こういう男は、メジャーの選手達の間では決して珍しくはないが、太りやすいスポーツ記者たちから見れば、羨ましくてしかたがない。
先日は、サンドイッチを片手に球場行きのバスに乗り込んできたオルルッド。そのサンドイッチは、オルルッドにとっては一時的な空腹しのぎでしかなく、球場のクラブハウスに着けば、また改めて精力的に食べ直すことになる。試合前の国家斉唱が終ろうとしている時点でも、まだ、そこら辺にあるものを口に放りこんでいる所を目撃されたこともある程である。オルルッドが、なんの食べ物も持たずにバスに乗ってくることなど、ほとんどないと言っても過言ではないだろう。
バスの中の会話は、大体において静かなものである。プライス・ピッチングコーチとペリー打撃コーチは、何か切っ掛けさえあれば、お互いをけなし合っては時間をつぶしている。そんな中でブーンは、自分のふがいないプレー振りをあげつらってみせては周りの選手達の耳を楽しませていた。
「オレはサイテイだ。」とブーンは嘆く。だが、そこは彼らしく、ちょっぴり自慢げなニュアンスをプラスすることも忘れはしない。「どんな球を投げられても、オレは、全部、完璧にミスることが出来るんだから!」
まだ携帯で話し続けていたフランクリンは、今度はローガンに新しい「ドクター・ペパー」(注:コーラの銘柄)の缶を見たことがあるかどうかを尋ねていた。あのスパイダーマンの絵柄が付いている缶のことである。ローガンは、“犬の調教師”である他に、かなりのスパイダーマン・マニアでもあるのだ。
その結果、フランクリンは、その後何マイルもバスが走り続ける間中、何回も何回も「ドクター・ペパーのスパイダーマン缶を必ず持って帰る」と約束させられる羽目になってしまった。長距離電話で子供を納得させるのは、実に難しい…。
サンドイッチを頬張りながら球場に向かった同じ日の夜、オルルッドは、今度はアイスクリームコーンを食べながら帰りのバスに乗り込んできた。彼は、同乗していたスポーツ記者に、親切にも一口勧めたのだが、ジロッと恨めしげに睨み見返されただけであった。
所詮、人生とは不公平なもの―。チームバスの中も、例外ではないのである。
以上(^^)