★ ウィンディーさん翻訳劇場 ★ |
下記は、いつぞやのNYタイムスの辛口記者による、夕べの試合に関する記事です。MLBcomなどが遠慮気味に口を濁しているかたわらで、相変わらず遠慮会釈なくキツイことを書いています…。(-_-;)
-----------------------------
日本のスター、米国のスター達との対戦で、ちょっぴり未来を味わう
― ケン・ベルソン ―
http://www.nytimes.com/2002/11/10/sports/baseball/10YOMI.html
母国を捨てて米国へ渡った日本のスター達の仲間入りをしようとしているヒデキ・マツイは、野球における自身の未来を、前もって少しばかり味わうこととなった。(Hideki Matsui,the latest Japanese star to desert his home country for the United States, got a taste of his baseball future.)
来季はメジャーでプレーしたいと思っている外野手松井は、バリー・ボンズとジェイソン・ジアンビーが連続ホームランを外野席に叩き込む様を2回も眺める羽目になったのだ。試合は、MLBオールスターチームが日本球界の覇者、東京読売ジャイアンツを8−1で粉砕した。この親善試合を皮切りに、MLBチームの1週間にわたるツアーが始まった。
この試合が読売ジャイアンツでプレーする最後の試合だった松井に対して、今月末には、ヤンキースやメッツを含む数チームが競争してオファーを提示するものと思われている。彼の米国行きに関する記事がこの数日間の新聞の一面を賑わし、今日の東京ドームでの試合への期待を盛り上げていた。
試合中、松井が打席に立つたびにスタジアムのスピーカーからは「We Are the Champions」が大音量で流れ、試合後には満員の観客に向けての松井のカーテンコールがあった。しかし、地元のファンやメジャーのスカウト達の前で自分の才能を披露することに関しては、松井は成功したとはいえなかった。2回には3塁への緩いゴロに倒れ、4回には三振を喫した松井は、7回にようやくライトへのヒットを放った。最終打席は、ショートへのライナーに終わった。
一方、派手な活躍を見せたのは、メジャーリーガー達の方だった。ボンズとジアンビーが初回と5回にアベック・ホームランを放って、米国チームの8得点の内の5点を叩き出した。センターを守っていた松井は、ジアンビーの最初の一発とボンズの2発目が自分の遥か頭上を越えてスタンドに吸い込まれていくのを、ほとんど打球を追うこともなく眺めなくてはならなかった。
「初っ端から一発打てて、いい気分だった。」とボンズ。「これで、チームの皆が気分よくなって、緊張がほぐれればいいと思う。」
(中略。その後のMLBチームの得点経過の説明。)
アメリカ人たちがリラックスして容易に得点を重ねていた一方で、松井と他の日本人たちは、ボルチモア・オリオールズの先発投手ロドリゴ・ロペズに対して途方に暮れているように見えた。5回を無失点で投げ切ったロペズは、相手に1安打しか許さなかった。10月30日に20回目の日本シリーズ優勝を果たしたばかりの読売ジャイアンツは、ほとんどチャンスらしいチャンスを作り出す事が出来ず、5安打と、9回にツインズのJ.C.ロメロから奪った1得点だけに終わった。
(中略。松井選手にヤンキース入りの噂があることについての記述。)
松井をみつめているのは、なにもアメリカ側だけではない。米国でプレーしたいと夢見ている幾多の若い日本人選手達の熱い視線も、彼には注がれているのだ。近年、ヒデオ・ノモやイチロー・スズキが成功したおかげで、何人もの日本人選手たちがメジャーで自分たちの力を試したいと思うようになった。しかしながら、その中には、松井級の格の選手は、ほとんどいない。10年間で332本の本塁打を放っている松井は、一般的に、現在日本で最も優れた選手とみなされている。彼の米国におけるパフォーマンス次第で、他の日本のスターたちも、彼のあとに続こうとするかもしれないのだ。
その一方で、もし、松井がメジャーで成功を納めることが出来なければ、他の選手達は、皆、怖気づいてやめてしまうことになるだろう。
「まず、松井がどれだけやれるか、見てからでないと。」とジャイアンツのヨシノブ・タカハシは言う。彼は優秀な右翼手で、あと5年経たないとFAにはならない。「もし、彼があまり成功できないようだと、僕自身もアメリカでうまくやっていけるとは思えないのでね…。」
(以上)
下記は、松井選手のメジャー行きに関するニューヨーク・タイムスの第一報です。タブロイド紙と違って、冷静な目で見ていますね…。^^;
日本のパワーヒッター、メジャーを目指す
― ケン・ベルソン ―
http://www.nytimes.com/2002/11/01/sports/baseball/01MATS.html
東京読売ジャイアンツのオールスター中堅手ヒデキ・マツイはフリーエージェントとなって、北米でプレーするために日本を離れた他の日本人選手達の後に続くこととなった。
今朝早く当地(東京)で開かれた記者会見で明らかにされた彼の決断は、ここ数ヶ月間の憶測報道に終止符を打ち、日本球界最大のスターが日本随一の人気チームを去るための道を開く事となった。松井自身はどのメジャーチームに行きたいとは言わなかったものの、今年の夏にヤンキースの首脳陣が東京に来ている事実から、日本のメディアは彼がヤンキースに行くものとして報道している。
近年、ヒデオ・ノモ、イチロー・スズキなどの日本人選手たちが日本球界を離れて渡米しているが、日本の球界を何十年にもわたって牛耳ってきたジャイアンツからスター選手が去るのは、今回の松井が初めてである。
松井自身は、ほんの僅かの打率の差で三冠王を逃してしまったが、ジャイアンツは、今季の終わりを4連勝による日本シリーズ優勝で飾っている。
松井は、日本でのFA資格に必要な9年間を既に勤め終えており、シーズン終了と同時に、メジャーで自分の実力を試してみたいという意思を明らかにしたものである。
「かなり前からテレビでメジャー野球を見てはいたが、実際にメジャーでプレーしたいと思うようになったのは、ここ数年のことだ。」と、彼らしい慎重さで松井は言う。「僕の特徴と言えばホームランなので、アメリカに行っても、同様の結果を残せるようにしたいと思う。」
今後の予定としては、11月11日に正式にFA申請をし、11月13日からメジャーの球団との入団交渉を始めることになる。さらには、来週日本で開催される日米野球で、松井はメジャーのオールスターチームと対戦する事になっている。
ヤンキースは、松井に対する興味を公にしてはきたが、まだ直接彼と話したことはない。松井は28歳の外野手で、今季初めて50本塁打を打つ事に成功している。
東京読売ジャイアンツは、自軍一のスターを失う事を恐れて、シーズン中ずっと松井に残留するようにプレッシャーをかけ続けてきた。今季初め、松井は日本球界最高額となる480万ドルの1年契約をジャイアンツと結んだが、複数年契約を結ぶ事は拒否していた。
ジャイアンツの親会社である読売グループは、ヤンキース戦を日本で放映する権利を獲得する事によって、松井を商業的に利用し続けられるようにするのではないか…と言う憶測も、巷には流れている。つまり、もし松井がヤンキースに行く事になれば、ジャイアンツは最高の選手を失う事にはなっても、それなりの“小さな勝利”を収める事にはなるのだ。
「ジャイアンツというのは、ヤンキースとドジャースとメッツが一緒になったようなチーム。」と、日本球界に関する本を何冊か書いているロバート・ホワイティングは言う。「もし、松井がカンサスシティー・ロイヤルズなんかに行くような事があれば、ジャイアンツは大いに面目を失う事になるが、行く先がヤンキースならば、まあいいだろう、ということなんだと思う。」
ライトが狭いヤンキースタジアムは、左打ちの松井にはピッタリだ。ただ、彼がメジャーでやっていけるかどうかについては、定かではない。彼はあまり足が速くないし、肩の強さも並だ。試合中の集中力は凄いものの、スズキのような、厳しい自己トレーニングに打ち込む勤勉さや野球に対するアグレッシブな姿勢は持ち合わせていない。
「プレーでも、彼は大胆なほうではない。」と巨人の元3塁手でかつて松井の打撃コーチを務めたことのあるキヨシ・ナカハタは言う。「彼は優しすぎて、時にはそれがプレーの邪魔になる事がある。」
そういう彼自身の鷹揚な姿勢にもかかわらず、松井と彼の打棒は、日本球界で恐れられ続けてきた。10年前の高校野球の決勝戦では、松井はなんと1試合で5回も敬遠された記録を持っている。
(以上)
ニュース・トリビューンとシアトル・ポストによれば、マリナーズが作った次期監督候補リストに載っている人数は今の所10人で、これからの5日間でギリックGMと彼のスタッフによる全員との面接が行われるそうです。そして日曜頃には、その中から有望な数人がリンカーン球団最高責任者やアームストロング球団社長との2次面接に再度呼ばれる予定、とのことです。
ジャイアンツのベーカー監督は、ワールドシリーズ最終試合後10日経たないと正式にジャイアンツとの契約が切れないため、今現在のリストには載っていないそうですが、契約切れと同時にリストに加えられる可能性はあるそうです。
(また、他のサイトによれば、この10人以外にも、エンゼルスのピッチングコーチのバド・ブラック、監督経験者のフィル・ガーナーやドン・ベイラーの名前も挙がっていました。)
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/2043029p-2142923c.html
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/2043030p-2142868c.html
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/93275_mari29.shtml
下記は、ニュース・トリビューンのちょっと辛口な候補者紹介です。^^;
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
(1)ジョン・マクラーレン
51歳。メジャーのコーチ歴17年、うち最近10年はマリナーズにて。長所:マリナーズのチームと球団組織を熟知していること、過去5年間をピネラのベンチコーチとして過ごしたこと、契約金が安くて済むこと。短所:メジャーでの監督経験がないこと。
(2)ブライアン・プライス
40歳。マリナーズ傘下で13年過ごし、うち最近3年はメジャーのピッチングコーチ。長所:ピッチングコーチとして絶大なる信頼を得ていること、球団組織を熟知していること、マクラーレン同様契約金が安くて済むこと。短所:監督経験が全く無いこと。(可能性はほとんどないと思われる…)
(3)リー・エライア
65歳。プロ野球に携わって41年、うち7年をマリナーズのコーチとして過ごす。長所:“打撃の神様”として球団内の信頼が厚く、経験も豊富なこと。メジャーの監督経験もあること。(1982−3年カブス、1987−8年フィリーズ) 短所:メジャーの監督としての成績がパッとしない(283勝300敗)こと、監督の激務につくには少々高齢すぎるかもしれないこと。
(4)ダン・ローン
46歳。マイナーリーグの監督歴9年、うち最近2年間はマリナーズ傘下3Aタコマの監督。 長所:タコマでの成績が安定していること(150勝135敗)。短所:メジャーでの監督経験がないこと。
(5)ジム・リグルマン
49歳。断片的に8年間のメジャー監督経験あり、マイナーでの監督歴9年、最近2年間はドジャースのベンチコーチ。長所:経験豊富なこと、1998年にはカブスをプレーオフまで導いたこと。 短所:成績悪化を理由に(前年の90勝から67勝へ)1999年にカブスに解雇されていること、メジャーの監督としての総合成績がパッとしないこと(486勝598敗)。
(6)ウィリー・ランドルフ
48歳。NYヤンキースの3塁コーチ歴9年。 長所:過去数年間にありとあらゆるコーチ・監督職の面接を受けているので、面接慣れしていること。 短所:どのレベルでも監督経験がないこと、既に面接済みのブリューワーズかカブスに決まる可能性があること。
(7)サム・ペルロッソ
51歳。メジャーのコーチ歴16年、うち最近7年間はオリオールズのコーチ。 長所:ピネラやマリナーズとの関係が深く、ピネラの元でのコーチ経験が6年あり、うち3年間はマリナーズでだったこと、マイナーの監督としての5年間の成績が良かったこと(364勝263敗)。短所:メジャーでの監督経験が無いこと。
(8)トニー・ミューザー
51歳。最近6年間はロイヤルズの監督、マイナーの監督歴8年。 長所:ロイヤルズで6年連続負け越しているにもかかわらずマリナーズの首脳陣が面接しようとしているからには、なにか長所があるはずだが、それが何なのかは全く不明。 短所:いくら若い選手しかいなかったとは言え、通算成績317勝431敗は悪すぎる…。
(9)バディー・ベル
51歳。メジャー監督歴6年、うち最近3年はロッキーズにて。 長所:経験豊富なこと、成績があまりよくないのは監督したチームが悪かったせい(1996−8年タイガース、2000−2年ロッキーズ)であり、2000年度はロッキーズで勝ち越しているし1997年のデトロイトでも前年より26勝多く勝っていること。 短所:通算成績345勝462敗はミュザー並であること、今シーズン初めに6勝16敗というロッキーズ球団史上最悪のスタートの責任を取らされてクビになっていること。
(10)テリー・フランコナ
43歳。メジャー監督歴4年、マイナー監督歴4年、昨年はレンジャーズのベンチコーチ。 長所:1997−2000年フィリーズの監督としての成績が285勝363敗であったにもかかわらず、なぜか評判は落ちていないこと。短所:フィリーズの監督時代、選手達に甘すぎるといわれていたこと。
(以上)
皆さん、こんばんは。(^^)今日の試合は、本当に凄い試合でしたね〜。ボンズ選手は、ちょっと薄気味悪いくらい“スゴカッタ”し(もう、それしか言葉が見つかりません…^^;)、エンゼルスの溌剌としたプレー振りは、見ていて本当に楽しかったし…!
エンゼルスではサーモン選手、ケネディー選手、ロドリゲス投手も大活躍ですが、何と言っても,今季新たな人気者になった選手と言えば、ショートのデービッド・エクスタイン選手ですネ。“人間ラリー・モンキー”とも呼ばれるエクスタイン選手は、現地の実況のアナウンサーたちにも大人気の模様。「このシリーズが終わる頃には、全アメリカが彼のファイト溢れるきびきびしたプレーの虜になっているに違いない」と大絶賛していました。(まるで、昨年のイチロー選手のよう…)(^^)
下記は、そんな彼の生い立ちに関する記事です。皆、様々な苦労をしているんですね・・・。ますます、ファンになりそうです。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
“我が家”がエクスタインの原動力
― エイドリアン・ウォナロスキー ―
http://msn.espn.go.com/mlb/playoffs2002/s/2002/1020/1448559.html
週1回、配送トラックがピッ、ピッ、ピッと自宅の車寄せにバックで入ってくるたびに、エクスタイン家の人々は、3人の子供達の透析に必要な40〜50箱分の輸液や機材を自宅に運び込むために外へ出て行くのが慣わしになっていた。
父親と2人のティーンエージャーの息子達は、協力してそれらの箱を備品室として使われるようになった空き部屋に運び込んだ。ケンとクリスティーンとスーザンにとっては、それらは、まさに“命綱”。デービッド・エクスタインは、来る日も来る日も、自分の兄や姉たちがこれらの透析機器に“人質にとられて”生きている様を見て過ごしたのである。
「―どうして、僕たちじゃないんだ?」とデービッドは、よく兄のリックと言い合ったものだった。「なんで、彼らなんだろう…?」兄弟の中で、デービッドとリックの2人だけは健康で丈夫だった。彼らは野球選手となり、特に末っ子のデービッドは、自分に与えられたこの自由、奇跡とも言えるこのチャンスを、片時も無駄にすることなく、宝物のように大切にすることを心に誓ったのだった。
このフロリダに住む一家を、医者たちは“突発的な遺伝的異常”という言葉で語った。5人のうち3人の子供が腎臓病におかされるというこの状況を説明できる専門家は、一人もいなかったのである。
「ある家系に何代にもわたって点々とこの異常が出ることはあっても、1世代にこれだけ集中して出るのは、今まで見たことが無い―と医者達に言われた。」とリックは言う。彼は現在、ジョージア大学で野球部の監督を務めている。
エクスタイン家の子供たちは、“自己犠牲”と“分ち合い”と“愛”を信条とする家庭の中で、暖かく優しい両親、ハーバートとパトリシア(2人とも教師)によって育てられた。一家は、なにをするのも一緒だった。子供だけのお泊り会に行くこともなかったし、友達の家族同士で旅行に行くようなこともなかった。
エクスタイン家はエクスタイン家だけで存在した。―ひょっとすると、こういう育ち方をしたおかげで、その後に起こった様々な困難を彼らは乗り切る事ができたのかもしれない。
1988年にスーザンの様態が悪化して、全てが変わった。医者たちが診断を下そうと悪戦苦闘した結果、やっと腎臓移植が必要―との結論に達した。リックは16歳、デービッドは14歳で、まだスーザンのためのドナーになるには幼なすぎた。
「妹が死にかけていたあの様子は、絶対忘れられるものではない。」とリックは言う。「彼女の目を覗き込んでそこで見たものは、一生、僕の記憶に焼き付いて残ると思う。」
検査の結果、パトリシアの腎臓がマッチしたため、彼女の片方の腎臓がスーザンの命を助けるために移植された。―しかし、手術が成功して、スーザンがやっと無事に自宅に戻れたその日、家族の喜びは、「ケンとクリストファーにも移植が必要」という無情な宣告を受けて、いっぺんに消し飛んでしまったのである。…幸運にも、2人とも、その後移植手術を受ける事が出来、現在はともに健康に過ごしている―。
「彼らがそういう辛い目に遭っている間中、僕らも彼らと一緒に全てを経験していたんだ。」とデービッドは言う。「僕たち家族には、一日たりとも休みなんか無かった。」
―そうやって家族で一致団結して掴んだ虹の先に、デービッドは、自分自身のおとぎ話的幸せを“ディズニーの世界”(注:エンゼルスのオーナーは、ディズニー社)の中に見つけた。彼は、ありとあらゆる不利な条件を克服し、アナハイム・エンゼルスのショートとして、ワールドシリーズ出場を果たしたのだ。エクスタインは、まるで、“スペースマウンテン”に乗るための長い行列からはぐれて、“ベースボール最高の舞台”に間違って紛れ込んできてしまった子供のように見える。―しかし、この大舞台が彼の居場所である事は、間違いない。彼が居なくては、エンゼルスはエンゼルスではなくなってしまう。なによりも、彼は、“粘り強さ”の権化である。それは、彼の家族の影響であり、家族の信条そのものなのである。
そう、このエクスタインという男は…。
高校からの野球推薦も何も無いまま大学に進んだエクスタインだが、フロリダ大学で野球部のバッティング・ケージのあたりにずっと張り付いていたおかげてチームの目にとまり、終いにはチームの正2塁手に納まってしまったのである。1996年には全米選抜に選ばれるまでになり、同じ年には、フロリダ大学野球部自体も全米優勝を成し遂げた。
その後、エクスタインは1997年のドラフトで19巡目にボストンに指名された。レッドソックスのマイナーで通算打率.300をマークしたエクスタインだが、2000年に3Aに上がってくると、スイングをいじられて打撃不振に陥ってしまい、解雇の憂き目に遭うこととなった。
―解雇から大成功へ。今のエクスタインは、まさに時代のヒーローである。今年の野球界は、彼のようなヒーローの出現を待ち望んでいた。ポストシーズンに入っても、そのニーズは変わらない。
筋骨隆々とした大男達のものとされているワールドシリーズ、バリー・ボンズとその逞しい両腕から夜空の月めがけて放たれる特大ホームランを主役に据えようとしているワールドシリーズに出てくると、5フィート8インチ(172cm)、170ポンド(77kg)のエクスタインは、まるでボンズがネクスト・バッターズ・サークルで振り回している練習バットのように華奢に見える。
「デービッドの存在は、沢山の小さな子供たちに勇気を与えるだけでなく、希望も与えていると思うんだ。」とリックは言う。
デービッドは、今でも毎晩父親と電話で話している。レギュラーシーズン中は、インターネットで息子の試合を見ているハーバート(注:フロリダでは、滅多にエンゼルスの試合のテレビ中継は無いものと思われる。)であるが、昔は息子の言葉からしか結果を知る事が出来なかった。デービッドはいつでも自分自身に厳しく、その厳しさは時には度を越していた。フロリダ大学時代のある時、デービッドは、その日の試合でいかにダブルプレー時の自分のフットワークが拙かったか、いかにストライクゾーン外の球を振ってしまったかについて、散々父親に話したことがあった。「そこで、私は訊いたんだ。」とハーバートは言う。「『…で、成績はどうだったんだい?』ってね。そうしたら、『…まあ、4打数3安打、ホームラン1本だったんだけどね―。』って言うのさ。」
だが、こういう人間でなかったら、エクスタインの今日の成功はあり得なかったであろう。シーズン打率.293、107得点、そして今季のメジャートップの3満塁本塁打もなかったに違いない。たいした肩も無く、守備範囲も広くない彼がショートを守れるようになったのは、ひとえに、彼が人の何倍も捕球の角度やフットワークを研究し尽くした成果であろう。(注:エクスタイン選手は、身体能力のハンディを克服して2塁手からショートにコンバートされた)
野球以外の生活は、エクスタインにはない―趣味も無いし、ガールフレンドも居ないそうだ。姉のクリスティーンに3人目の子供が出来てミニバンに車を買い換えた時、彼女はデービッドにそれまで乗っていた1999年型ニッサン・マキシマをくれたのだと言う。彼は、それに乗ってアパートとエジソン・フィールドを往復する生活を繰り返している。そして、2週間ごとに支払われる彼の給与は、母と共同名義になっている預金口座に振り込まれる。母が必要なだけお金を使えるように…という彼の配慮だ。今年27歳になるにもかかわらず、彼はいまだに一家の“赤ちゃん”なのである。
「私が心配しているのは、彼の食生活だ。」と父は言う。「とても好き嫌いが激しくて、時には球場で出してくれる物を食べない事もあるらしい。そういう時は外で食べるんだろうが、なにしろ、お金を使いたがらない倹約家でね…。自分自身のためには、ほとんどお金を使わない子なんだ。」
そして、この10月が終われば、デービッドは、フロリダ州サンフォードの家族の元に帰る。彼の部屋には、いまだにベーブ・ルースのワールド・シリーズ・ポスターが貼られたままになっている。彼によれば、毎朝7時に両親に叩き起こされてゴミ出しを命じられる生活が待っているらしい―。有名なベースボールスターには似つかわしくないように思えるかもしれないが、エクスタインにとっては、なによりも大切な生活なのだ。
これこそが彼にとっての“家族”、彼にとっての“我が家”なのである。
(以上)(^^)
マリナーズがどうなるのかが気になって気もそぞろ…^^;ではありますが、日曜からは、いよいよカリフォルニア対決のワールドシリーズ。ラスベガスの予想では、わずかの差でエンゼルス有利(オッズは6−5)と出ているようですが、さて、どうなるのでしょうね。
エンゼルスとツインズがプレーオフを戦っている頃に出たちょっと古い記事ですが(10月10日付)、ESPNのジム・ケープル氏の『比類なきエンゼルスのプルペン』という記事が面白かったので、抜粋してご紹介します。暇つぶしにどうぞ…。(^^)
http://espn.go.com/mlb/columns/caple_jim/1443758.html
----------------------------------
●トロイ・パーシバル投手
【―そして、トロイ・パーシバルの登場だ。8年目のベテランで、ツインズに対しては今年はまだ自責点0。コンスタントに97〜98マイルの剛速球を投げ込んでくるクローザー。眼鏡を必要とする視力の持ち主でありながら、試合では、絶対眼鏡をかけない。目を細めて見なくては、キャッチャーさえ見えない程目が悪いと言うのに―。
「そりゃ、対戦するバッターとしては、怖いだろうね。」とアナハイムのショート、デービッド・エクスタインは言う。「パーシーの視力はかなり悪い。ああやってマウンド上で目を細めているのを見ちゃうとね…。特に、バックネットへ暴投なんかされた日にゃ、もう、怖くてたまらないと思うよ。―ほら、ポストシーズンに入ってからの第1球目ってのも、(ヤンキースの)アルフォンソ・ソリアーノの背中のど真ん中へ当てた物凄い球だっただろう?あんなのを見たら、もうプレートに覆い被さって立つ事なんか、誰も出来ないよね。彼と対戦しなくて済むのは、本当に嬉しい。」
「多分、俺がリーグで一番、目が悪いんじゃないかな?」とパーシバルはいう。「眼鏡は持っているけど、投げる時はかけたくないんだ。目を細めて見れば、キャッチャーのサインぐらいは見えるからね。」
そもそも、パーシバルにとっては、キャッチャーのサインなど見る必要などあまりないのだ。彼の投げるのは、大体が剛速球と決まっていて、ほんの時たま、バッターに恥をかかせる目的のためだけに、緩い球を投げるのだから―。】
【パーシバルは、どうしても眼鏡をかけるのやいやだと言う。でも、別にバッターを怖がらせるために敢えて眼鏡をかけないようにしているわけではないそうだ。「皆によくそう言われるんだけど、そんなことはない。もし、本当にこんな事でバッターが怖がってくれるなら、もっと大勢の投手が、マウンド上で目を細めてみせるだろうからね。」
―まあ、そうかもしれない。でも、彼がマウンドに上る時は、アナハイムのマスコットですらヘルメットを被っているのは、事実である…。】
●ブレンダン・ドネリー投手
【彼は31歳の“新人”で、独立リーグの2チームを含め9つのチームで投げたことがある。解雇された経験も6回あって、そのうちの1回はデビル・レイズに在籍していた1999年のことだ。その時のドネリーは、高校の化学教師からメジャー投手に転身して一躍有名になった、あのジム・モリスをロスターに載せるために2A行きを命じられたのだ。
「それなら解雇してくれ、って言ったんだ。」とドネリーは言う。「あのチーム状態で俺を使う気がないなら、もう、ずっと使われる事はないだろうと思ったんでね。」
「―でも、ジムの話は凄いと思うよ。彼と俺との違いと言えば、彼が10年間野球から離れていた間、俺のほうはずっとマイナーにいた、って事ぐらいなんだけどね。」
マイナーでの生活は楽ではない。生計を立てるために、オフの間のドネリーは、“溝掘り”(「かなりスゴイ溝を掘るんだぜ、俺は。」)から害虫駆除まで、ありとあらゆるバイトをこなした。「色んな“恐怖症”になったなあ…。」と彼は言う。「一番酷かったのが、グロゴケグモだった。」(注:=black widow 毒性の強い毒蜘蛛)
今シーズン初め、3Aのソルトレークにいたドネリーは、エンゼルスに呼ばれてメジャーに上がった。その後に登板した46試合で、彼は対戦相手を.184という打率に抑えた。そして、10年間のマイナー生活の間に9チームを渡り歩いた末、今やメジャーのポストシーズンで投げている。しかし、その間の移動があまりにも多かったため、彼と妻のローダ宛ての郵便物は、いまだにローダの両親の元に届くようになっている。「基本的には、俺は今現在も住所不定なんだ。」と彼は言う。】
●フランシスコ・ロドリゲス投手
【ドネリーの苦労話に同情して彼に惚れこむ前に、20歳の新人、フランシスコ・ロドリゲスの話も聞いて欲しい。ベネズエラ生まれの彼の生活は貧困を極めていたため、彼が初めて自分のグラブを持てるようになったのは、野球を始めて4年も経った頃だったそうだ。両親は彼が生まれた数ヶ月後には別れてしまい、彼は祖母の手で育てられた。兄弟姉妹は13人。彼の生みの親たちは、彼がメジャーの選手になった事さえ知らないはずだ、と彼は言う。「あいつらは、僕の事なんかどうでもよかったんだ。僕も、あいつらのことなんかどうでもいい。」
もちろん、世間一般の人々にしても、彼のことをメジャーリーガーだと知っていた人は、先週まではほとんどいなかったはずだ。エンゼルスは9月半ばまで彼を呼ばなかったし、その後に投げたイニング数も、たったの5−2/3回だったからだ。しかし、ポストシーズンに入ってからは、もう既にそれ以上投げているし、ヤンキースに対しては、なんとメジャー初勝利を含む2勝も挙げている。(初勝利の相手がヤンキースというのは、なんともカッコイイじゃないか…!)ポストシーズンに入ってから8個の三振を奪っており、その態度はあまりにも自信と余裕に溢れているので、もう40年もこの“10月の喧騒”(=ポストシーズン)を経験しているベテラン選手のようにさえ見える。
「僕が緊張するような男に見えるかい―? 緊張なんてゼーンゼンしないよ。」と彼は言う。「僕は、ただ、マウンドに出て行って楽しんでるだけなんだ。」
ロドリゲスの未来は明るい。さらに彼には、エンゼルス・ブルペンの他の投手達にはない、あるアドバンテージがある。彼は“視力がいい”のだ。なんせ、他の救援投手たちは、皆、ド近眼なのだから…。
ベン・ウェバーはゴーグルをしているし、パーシバルは目を細めるし、ドネリーは眼鏡をかけている。ドネリー曰く、「俺も、最初は眼鏡をかけてなかったんだ。でも、ある時、サインの見間違えでキャッチャーの捕れない球を投げちゃって、それがアンパイアに当たって彼の手の骨を折ってしまったんだ。次の日、そのアンパイアはギブスをして試合に出てきて、俺は眼鏡をかけて出てきた…ってわけさ。」】(抜粋終り)
(以上)^^;
「また、ピネラの話…?」と思われる向きもあるかもしれませんが、またピネラ監督です。スミマセン…。m(__)mm(__)m
大陸の西北の端に位置するシアトルから東南の端のタンパに帰ろうと思うと、なんと、どんなに急いでも24時間近くかかるのだとか―。その上、緊急に相談したい事ができても、時差が3時間もあるために電話連絡をつけるのも難しい時もあるとのこと。我々から見れば「より自宅に近いところで働きたい」と言いながら、なんでニューヨークなんだ…??と思ってしまいますが、ニューヨークならタンパと時差はありませんし、飛行機で数時間の距離なので、オフデーに往復できるんだそうです。
「家族云々は言い訳に過ぎない―本当の理由は他にあるはず。」と言う人も多いようですが、同じ主婦として、双方の病弱な親を見守る責任と孫娘たちの世話を1人で引き受けているピネラ夫人の大変さが良く分かるだけに、“もっと自宅近くに移ってきて、その精神的負担だけでも一緒に担って欲しい”という、監督に対する彼女の要求も無理ないかも―と思ってしまう私です…。
昨日、ラジオのインタビュー番組に出て退団に至った理由を説明したピネラ監督は、最後に「シアトルのファンに一言お願いします。」と言われて、「とっても辛い…。」と言ったきり感情がこみ上げてきて言葉が続かず、男泣きに泣いたんだそうです…。
ピネラ監督の家庭の事情が、今までよりも少しだけ詳しく出て来る記事になっています。
−−−−−−−−−−−−
家庭の事情がピネラを呼び戻す
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134555177_mariners15.html
2002年シーズンの後半をチームと家族の板挟みになりながら過ごしたルー・ピネラは、レギュラーシーズン最後の週に、とうとうある結論に達した。
めったにシアトルに来る事が無くなっていた妻アニータが久しぶりにピネラの元を訪れていたその日、彼らの娘のクリスティとその4歳の娘(ピネラの孫)キャシディーが交通事故に遭ったという知らせがタンパから入ったのだ。(注:ピネラ監督の娘一家はピネラ家の離れに同居しており、3人の孫娘たちの世話は、アニータ夫人がかなりの部分を受け持っているらしい。)
幸い2人とも無事だったが、この事故のせいで、家族の元に戻らなくてはいけない、というピネラの気持ちに更に拍車がかかった。
「あの事故がピネラを怯えさせたんだ。完全にパニック状態になっていたからね…。」と、近年、仕事上でずっとピネラと親しく付き合ってきたある人物が言う。「あのあと、彼はどうしても家族の元に帰らなくちゃダメだと思うようになったんだ。」
昨日、マリナーズのチャック・アームストロング社長から相手チームの補償次第では辞任を認めてもいい、という知らせを受けた直後に、ピネラは、先月のクリスティーの事故が彼に与えたショックの大きさについて認めた。
「確かに、あれが今回の決断に大きな影響を与えた。」と、タンパの自宅からの電話でピネラは言う。「でも、それ以前に、ここ数年、アニータ1人にかかる負担が大変になり過ぎていたことが大きな理由なんだ。」
2001年の6月、ピネラと非常に仲の良かったアニータの父親が亡くなった。彼はチームから4日間の休みをもらって、家族の傍で過ごすためにタンパに戻った。
今年の春期キャンプ中には、今度はピネラ自身の父親が入院して危篤状態になり、同じく数日間の間、チームを離れることになった。(注:今現在、ピネラ監督の父親のみならず、アニータ夫人の母親も具合が良くないらしい…。)
「もし、家庭の事情がこんなに切羽詰っていなければ、もう1年、シアトルに残っていたかもしれない。」と59歳のピネラは言う。「問題の根源は、全てこの距離の遠さにあるんだ。家に帰ろうと思うと、必ずチームに迷惑をかけることになる。もっと近い職場なら、(誰に迷惑をかけることなく)オフデーを利用して帰れるんだけどね。」
「私は、長期的スタンスで仕事をする男だが、もうこれ以上、この距離の問題を無視してシアトルで仕事をし続ける事は出来ないと思ったんだ。」
こういう個人的事情で悩んでいた時、ピネラはさらなる打撃に見舞われた。ピネラが相談相手として頼り、長年、心の痛みを聞いて貰っていた友人、ゲリー・マックを失ってしまったのだ。球団の福祉厚生担当コーディネーターだったマックは、先週の月曜日にアリゾナの自宅で急死したのだ。
「私よりずっと若かったのに…。私は、彼がいなくなって淋しくて仕方ない。」とピネラは言う。「このことと他の事が重なって、人生は短いんだという現実に直面させられたんだ。」
―そして、ピネラは去って行く事になった。生涯通算1,319勝のうちの840勝をシアトルで記録したピネラは、歴代のマリナーズの監督の中で、ただ1人成功した監督と言えるだろう。
1993年から2002年のピネラ時代は、2001年の116勝、3年間で300勝(2000年〜2002年)、4回のポストシーズン出場(1995年、1997年、2000年、2001年)という数々の記録で彩られている。
「10年というのは、長い。」と彼は言う。「私は自分の人生の最良の10年間をマリナーズに捧げ、そのかわりにマリナーズからは充実した仕事場を10年間にわたって与えてもらった。その間に、私は沢山の絆や想い出、友情を得た。それら全てに深い思いを抱きながら、私は去っていく。」
「シアトルを去るのは辛い。本当にそうなんだ。これが事実の全てだよ…。」
シアトルで、彼は殿堂入りに相応しい資質を持った何人かの選手達と一緒に仕事をする機会に恵まれた。
「私は、シアトルで素晴らしい選手達を指揮する事が出来た―ジュニアー(ケン・グリフィー・ジュニアー)、ランディー(ランディー・ジョンソン)、アレックス(A−Rod)、エドガー、ジェイ(ビューナー)。」と彼は言う。「それから、日本から来たボウズ、イチロー。彼は、私にとっては、特別な喜びを与えてくれる選手だった。(And that Japanese kid, Ichiro, he was a special treat for me.)そりゃあ、扱いにくい選手だっていたさ。でも、監督って言うのは、そういうことのために給料を貰っている訳だからね―。」
―では、マリナーズでの最高の想い出は…?ピネラは、ほとんど考えることなく即答した。
「1995年のプレーオフで、ジュニアーがサヨナラ・ランナーとしてホームに滑り込んで来てヤンキーズを破るのを見た、あの瞬間だね。エドガーが左翼の隅にヒットを打って、そのボールが塀際を転々としている場面と、ジュニアーが3塁を回って本塁に突っ込んでくる場面―同時に起こっているふたつの場面が、いっぺんに見えたんだ。我々監督に特有の、“周辺視野の広さ”というヤツかな。」と彼は言う。「あのプレー、あの試合、あのシリーズ、そしてあのシーズンこそが、シアトルの町にベースボールというものを確立させたんだ。これから先も、ずっとベースボールがあの町で栄え続ける事を祈っている。」
「あのチームには、それを可能にする選手が揃っている。あそこの連中は、皆、“獅子の心”を持っているからね。」
「来年シアトルに戻れなくなった事以外に、唯一残念な事と言えば、シアトルの町にワールドシリーズを持って来る事が出来なかった事だ。」と彼は言う。「シアトルの球団もファンも、ワールドシリーズ出場を果たすに相応しい球団とファンだし、近い内に必ず出場できると信じている。きっと素晴らしい経験になるはずだ。」
ピネラは、いわゆる“野球遺産”というものを遺して行くことになるが、それが全て自分の手柄というわけではない、と彼は言う。
「キングドームでの最初の頃からあの美しい球場の日々に至るまで、私は、我々があの町で成し遂げてきた事を誇りに思っている。私は、あそこで出会った沢山の友人達のことも、誇らしく思っている;チャック・アームストロング、ジョン・エリス、パット(ギリック)、リー(ペレコウダス副GM)、ロジャー(ヨングワールド副GM)、そして他の沢山の人々。彼等がいてくれたおかげで、素晴らしい職場で働く事ができた。」
次にどこで働く事になるのか、また、実際、来年働けるのかどうかさえも、今は分からない。もし、マリナーズが、メッツやデビルレイズ、もしくは他のどんなチームとも補償について合意に達する事が出来なかった場合は、ピネラは2003年を家で過ごす覚悟でいる。
「来年を休むことだって、ありえる。」と彼は言う。「今の所、どうなるか全く分からない。周りは、皆、私が職につけると信じて疑わないようだが、何も決まってはいないんだ。そのうち、どうなるかわかるだろう。」
「噂や憶測は山ほどあったけど、今度は実際はどうなんだ、ということを確かめる番だ。今まで、色んな噂が私の周りを渦巻いていたけど、本当に私と話したいと思っているチームがあるのかどうか知りたいね。」
―そして、我々は、ピネラの後任候補としてマリナーズが一体誰と会うのかを見ていくことになる。
後任者探しを任されているギリックによれば、まだ候補者リストは出来ていないという。
「ルーの状況を睨みながら、ゆっくりやるよ。」とギリックはいう。
マリナーズがベテラン監督を求めているのかどうか訊かれたハワード・リンカーンは、次のように答えた:「(マリナーズの監督という)この仕事、このチームの選手達、そしてこの球場―。我々は、これら全てに最も相応しい人物を選びたいと思っている。もしこれに当てはまるのがベテラン監督であるのなら、それもいいだろう。」
次に来る監督は、いいチームを引き継ぐ事になる、とピネラは言う。
「今までの10年間でしっかりとした下地が出来ているので、球団として、ここから先は前進しやすいと思う。」と彼は言う。「次に来る監督にとっては、いい状況なんじゃないかな。」
誰もがかねてから予想していた通り、ルイス・ビクター・ピネラ(“ビクター”…負けず嫌いな人間に、これほどピッタリした名前は他にあるだろうか?)の去り際は、立派であると同時に、惜別の思いに溢れていた。
「確かに辛い…。でも、何事にも終わりは来るものだ。」と彼は言う。「人は皆、引退するか、クビになるか、はたまた今回の私のようにして去っていく。」
「いずれの終わり方にしても、悲しいのは同じだ。私自身もとても悲しい…。今回の事は、私が、どうしてもしなくてはならないと心から思ってした事だ。そのことを、皆に理解してもらいたいと思っている。」
(以上)
ワンダーボーイさん、kiyokoさん、どうもです。私自身も事の成り行きが気になって仕方なく、暇さえあればネットをチェックしている状態です。(―ものすごい暇人と言われそう…^^;)私も、ピネラ監督の退団はとても残念です。昨年からずっとネット上で読み続けていた現地のメディアやファンの声、または試合中継の映像という、限られた情報を通してしかピネラ監督の事を知らないわけですが、それでも、そこから伝わってくる野球と選手とシアトルを愛する熱くて飾らない人柄のファンになってしまいました。その監督がいなくなると思うと、本当に淋しいです…。
kiyokoさんは、マクラーレン・ベンチコーチを希望するそうですが、私も彼がいいなぁ…と思ったりしています。彼にメジャーの監督としての資質があるかどうかは全く分かりませんが、ベンチで選手達と関わっている様子や(特にイチロー選手との楽しそうなやりとりなど…^^)、ピネラ監督不在時に指揮をとった試合では負け知らず、という実績(?)から、単純にそう思っている次第です。
この記事の出る少し前に(すなわち、ピネラ監督の退団が決定的になる前に)、3人の選手達のコメントが同じマリナーズの公式HPに載りました。彼らも、マクラーレン・コーチの監督就任をを望んでいるようです。長いスレッドになってしまって申し訳ないですが、ご紹介します。m(__)m
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
選手達はピネラの決断を支持する
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20021014&content_id=157682&vkey=news_sea&fext=.jsp
選手達は、ルー・ピネラに来季も戻ってきて欲しいと願いながらも、それがどうやら実現しそうに無い事も理解できるという。
「家庭の事情が大きな理由であると聞くまでは、なぜルーが戻って来ないのか、よくわからなかったんだ。」と、ジョエル・ピネイロは月曜日にプエルト・リコの自宅から答えてくれた。「彼はいつも、家族が第一だと我々に言っていたから、それが理由なら納得できる。」
10年間にわたるシアトルにおけるピネラの時代は終焉を迎えようとしている。彼は、総額680万ドルの3年契約の最後の一年を解除して欲しいと球団に申し入れ、フロリダ州タンパの自宅により近いチームに移りたい意思を明らかにした。
「悲しいことではあるけどね。」とピネイロは言う。「彼は素晴らしい監督だったし、僕に投げるチャンスをくれた人でもあるから―。」
というのも、2001年のシーズン半ば、もしピネラが「うん」と言っていたなら、ピネイロはタイガースのホワン・エンカルナシオンとの交換トレードで居なくなっていたはずだからだ。ピネラの反対でトレードは実現せず、結果的にピネイロは今季14勝7敗、防御率3.24を誇るエース級の投手に成長することができたのである。
月曜日に接触する事が出来た他の選手達も、ピネラが日頃から“家族第一”を唱えていた事を認めると同時に、彼のいない2003年がどういう風になるのか気になるようだった。
マイク・キャメロン曰く、「野球は家族の次に来るもの。ルーはいつでも僕達にそう言ってきた。『いつでもベストな自分で居るように努力し、力の限りを尽くしなさい。たとえそれがうまくいかなくても、最後には家族の元に帰るのだから。」
「ルーは、多分しなくてはならない事をしているだけなんだろうけど、球界随一の指揮官を失う事は、大きな痛手だ。ルーがいかにこのチームを大きく変貌させてくれたかを考えれば、彼の代わりを見つけるのは、本当に大変だと思う。彼が実際に他のチームに行ってしまうまでは、僕は彼が戻ってくるという希望を捨てないつもりだ。」
「たとえ彼が戻らなくても、彼がシアトルに築き上げたものは、彼の遺産としてずっと残る。」
キャメロンは、レギュラーシーズンの最終試合後は、ピネラと話していないという。
「彼に電話して、この3年間彼のもとでプレーできた事を感謝している、という事を伝えようかと思っている。野球選手として、また一人の人間としても、僕は彼から大きな影響を受けた。今シーズン、僕はかなり苦しい時期を過ごしたけど、他の監督なら使ってくれなかったであろうそんな時でも、ルーはずっと僕を使い続けてくれた。」
ジェフ・ネルソンは、ピネラの今回の決断には家族以外の要因もあるはずだ、と言う。
「家族のそばにいたいと言う思いと、ルー以外の人間には分かりえないほかの理由があいまった結果だと思う。」とネルソンは言う。「彼の勝ちたいと言う思いは強烈だったから、トレード期限までに首脳陣が動いてくれなかった時は、ほんとうにガッカリしたと思うんだ。彼も我々選手も同じ思いだった。でも、だからと言って、それだけで辞めたいと思うかどうかは、疑問だ。だって、家の近くに移りたいと言うのはいいとして、タンパベイやメッツに行ったら、シアトル以上にガッカリすることにぶち当たる可能性は高いわけだからね。」
短期的に見れば、球団にとっての最善の道は、この際すんなりと絆を断って先に進む事ではないか、とネルソンは言う。
「彼ほど長い事野球をやって来て、彼ほど球団のために多大な貢献をしてくれた人物を粗末に扱うなんてことは、あってはならないと思う。」と彼は言う。「もし、ルーがそれほどまでに辞めたいと思っているのなら、彼の願いを聞き入れて彼を解放し、代わりに補償を手に入れる方がいいと思う。」
先に進むと言う事は新しい監督を迎えると言う事で、ネルソンもピネイロも、現ベンチコーチのジョン・マクラーレンを推薦した。
「1番理にかなった選択と言えば、マック(マクラーレンのこと)を後任に雇う事だと思う。」とネルソンは言う。「彼は、この10年間ルーと一緒に過ごしてきて、春季キャンプの指揮も執っているし、ルーと同じように積極的な野球をするし、マイナーでの監督経験もあって、選手達に本当に尊敬されているからだ。」
ピネイロ曰く、「マクラーレンは、長い事ルーの右腕を務めてきたし、野球の事も良く知っているし、チームにも長いから選手達全員の好き嫌いも良く分かっている。外部から人を獲るのではなく、組織内の人間でやってくれた方が、僕としては嬉しい。」
ピネラの後任候補の名前も、既にいくつか挙がっている。その長いリストの中には、内部の人間であるマクラーレン、マイヤーズ、プライス、タコマの監督ダン・ローンの他に、外部の人間である現サンフランシスコ監督のダスティー・ベーカー、元レンジャース監督のジェフ・ナロン、元ブルージェイズ監督のチト・ガストン、さらには元メッツ監督のボビー・バレンタインの名前すらある。
誰になるにしても、チームの雰囲気が変わる事は必至だ。
「ルーの特質の中で1番凄かったのは、選手達から最大限の力を引き出す能力だった。」とネルソンはピネラを語って言う。「ルーは、平凡な選手をつかまえて、そいつを突如としていい選手に変身させる事ができたんだ。選手達は、皆、彼のためならいつでも全力で戦った。」
「―それから、彼の激しさと、彼独特のパフォーマンスの数々が見られなくなるのも淋しいね…。うん、特にあのパフォーマンスが見られなくなるのは、とても残念だ。」
(以上)
ピネラ監督が本当に辞めることになった場合に後任候補として考えられる人材を、地元のニュース・トリビューンとシアトル・ポスト紙が、それぞれ列挙しています。それぞれの記事を、抜粋してご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●ニュース・トリビューンより●
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/1946182p-2056600c.html
【まず、今季クビになったベテラン監督達、ボビー・バレンタインとドン・ベイラーだ。両名とも経験豊富だしネームバリューもある。
次に、マリナーズの組織内に目を移せば、マクラーレン・ベンチコーチ、マイヤーズ3塁コーチ、そして3Aタコマのローン監督がいる。いずれもメジャーでの監督経験は無いが、3人ともマイナーでの監督経験はあるし、マリナーズというチームとそのファームシステムに精通している。
もっと年輪を重ねたベテランがお望みなら、チームのコンサルタントを務めているリー・エライアや元監督だったディビー・ジョンソンなどどうだろう。
最高の監督でありながら優勝経験がない人物となれば、フェリペ・アルーが空いている。
今年のオフに最も注目されるであろう監督候補となれば、サンフランシスコのダスティー・ベーカーだろう。
もし、ピネラが来年の契約から解放される事があれば、パット・ギリックとフロント・オフィスは、今週中にも後任探しに乗り出すはずだ。そして、その監督を雇うのがギリックであることから、彼が過去にワールドシリーズ制覇を成し遂げた時のパートナーに注目してみるのも的外れではないだろう。つまり、ギリックのもとでブルージェイズを2回のワールドシリーズ優勝に導いた元トロント監督のチト・ガストンだ。
マリナーズが新人監督を選ぶか、はたまたベテラン監督で行くかは、ちょっとわからない。しかし、過去3年間に300勝もしたチームに対するファンの来季に向ける期待は当然高いと思われるので、経験の浅い人間にピネラの後を任せることに、球団は二の足を踏むかもしれない。
その場合には、ガストン、ベーカー、バレンタインといった名が挙がるかもしれない。
たいていの場合、新しい監督は自分好みのコーチングスタッフを連れてくるものだが、マリナーズの場合は、ピッチング・コーチのブライアン・プライスを使いつづける事を義務付ける可能性が高い。
もし、マリナーズが自組織内から候補を選ぶとするなら、マクラーレンが最も理に叶った選択だと思われる。彼は、以前にもギリックのもとで監督職についたことがあるし(トロントのマイナー組織で8年間)、メジャーのコーチ歴も18年あり、そのうちの最後の11年はマリナーズで過ごしている。今年51歳のマクラーレンは、マリナーズの3塁コーチとベンチコーチを務めた経験がある。
現コンサルタントのエライアは、今年65歳で、カブスとフィリーズの監督を務めたことがある。しかし、彼の現在の住居はフロリダにあり、ここ2年間は、徐々に仕事の量を減らしていく傾向にある。
43歳のマイヤーズは、シアトルの組織内で15年間コーチや監督として過ごしており、その中には3Aタコマの監督としての5年間も含まれている。
48歳のローンは、昨年と今年のタコマの監督だ。
しかしながら、ギリックの任期がたった1年である事を考えると、新人監督に全てを任すことを良しとしない事も考えられる。その場合は、ネームバリューのある人物を雇う財政的自由が彼に与えられる事もありえる。
その場合に真っ先に名前が出てくるのが、ベーカーで、彼のサンフランシスコとの契約は来月で切れる事になっている。ジャイアンツの監督として3回最優秀監督賞を受賞しているベーカーは、過去6年間で1シーズン平均90勝を挙げてる。
ギリックが個人的な感情で選ぶとすれば、トロントで一緒に優勝を経験した親友のガストンが有力だ。
バレンタインとジョンソンは、彼らの持つイメージからして、選ばれる可能性は少ないと思われる。両名とも、非常にはっきりとものを言う人物で、時にはそれが度を越してチームのためにならない事もあるからだ。両名とも、その長いキャリアの間に、1度や2度は、“最も嫌われている監督”という有難くない呼び名を頂いたことがあるほどだ。
ベイラーも業界内での評判はよく、エクスパンション・チームのコロラドをポスト・シーズンまで導いた事もある。
もし、上記の全てがダメだった場合は、過去にマリナーズの監督を務めた連中(ビル・プラマー、ジム・レフィーバー、レネ・ラックマンに)に声をかけるというオプションも残っている。】
●シアトル・ポスト紙より●
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/91084_mnext14.shtml
【マリナーズがピネラを自由にした場合、球団はピネラの新しい球団からかなりの補償を見返りとして得る事が期待され、それを“殿堂入り級”の後任監督を連れて来る費用に充てる事もあり得る。すなわち、ダスティー・ベーカーのような人物だ。
どんな補償を要求するかは、まだはっきりとは決まっていないようだが、ピネラの来季の給与分の金額(250万ドル)と有望な新人選手数人―というのが妥当な線だろう。
その金額があれば、ベーカーが最も有力な候補になると思われる。彼は、サンフランシスコでの10年間の成功のあとで、環境を変えたがっているフシがあり、シアトルにとっても最も魅力的な候補であるはずだ。
ジャイアンツのオーナー、ピーター・マゴワンとしっくりしていないベーカーは、現在の給与の280万ドル以上の額を要求するはずだ。もしピネラを手放す決心をすれば、マリナーズはほぼそれを賄えるだけの額を見返りとして得られる事になり、費用効果の高い取引となるだろう。】
【ベーカーが、FAを単に有利な条件でジャイアンツへ戻るための道具として使う可能性もあり得るが、彼が“変化”を求めていること、そしてシアトルでの監督職を魅力的に思っていることは、事実であるらしい。そして、サンフランシスコ近郊に住み、南カリフォルニアに深い絆を持っているベーカーにとって、シアトルへの移動は、たいした距離でもないはずだ。】
【また、ジャイアンツがより長くポストシーズンを戦えば戦うほど、ベーカーにとっては、他の就職口が埋まって無くなって行く可能性が高くなる。実際、テキサスとデトロイトの空きは、既に埋まってしまっている。
今の所、メッツ、カブス、デビル・レイズとブリューワースがまだ監督を決めていない。最初の3チームは、ベーカーよりもピネラの方が雇いやすいと思っていることを明らかにしているし、カブスについては、ベーカー自身が余り乗り気でないことを友人に漏らしている。】
【マリナーズが興味を持っているのは、ベーカーだけではない。オークランドのケン・モッカ・ベンチコーチなども、可能性のある全てのチームと会う事になっているし、長年ヤンキースのコーチを務めたウィリー・ランドルフも有力候補の1人だ。マリナーズのマクラーレン・ベンチコーチは、選手の信頼が厚く、自身も監督職につきたいと思っているようだが、マリナーズが内部の人材を登用したいと思っているかどうかは、今の所不明だ。】
【誰が後任に選ばれるにしろ、過去3年間に300勝も挙げた監督、マリナーズをポストシーズンに導く事に成功した唯一の監督の後を務めるのは、かなりのプレッシャーになるはずだ。
一方では、マリナーズの監督職というものが、同業者の垂涎の的である事も事実だ。ほとんどの場合、監督職の空きというのは、そのチームが無残な成績を残した時にできる。監督は酷いチームを辞めるのであって、いいチームを辞めることなどほとんどない。今年のマリナーズのように、93勝もしたチームに空きがでる確率など、25回に1回くらいしかないはずだ。
もしピネラを自由にすることがあるとすれば、マリナーズは時期監督選びを焦って急ぐ必要など、全くない。シアトルは、多分、色んな候補との面接を行いながら、ポストシーズン後にベーカーが自由になって直接接触できるようになるまで、決断を先延ばしにするはずだ。
シアトルの首脳陣は、今週中にもアリゾナ州ピオリアに集まって、来季の計画を話し合うことになっている。たいていの球団の場合、そういう会議に監督が不在というのは都合が悪いはずであるが、マリナーズにとってはそうでもないらしい。
「今までも、ルーは(遠い)フロリダに住んでいるということで、この会議に出席した事がないんだ。」とアームストロング社長は言う。「なので、今回も、たとえ監督不在であっても、別に支障は無い。既に、来年のロスターについてのルーの意見は、聞いてあるしね。」】
(以上)
“ピネラ監督がマリナーズを退団するのでは―?”という噂が、再びあちこちで取り上げられています。下記は、ヤフースポーツ日本語版に載っていたものです:
--------------------------------------------
マリナーズのピネラ監督退団へ=米大リーグ(時事通信)【ニューヨーク11日時事】 米紙ニューアーク・スターレジャーは11日付で、イチロー外野手、佐々木主浩投手らが所属する米大リーグ、マリナーズのルー・ピネラ監督(59)が来季までの契約期間を満了せず、退団する見込みだと報じた。 同紙によると、既に球団首脳と話し合い14日にも発表、退団後はメッツまたはデビルレイズと新監督就任について交渉する。マリナーズは同監督が来季も指揮を執るとしていた。
http://sports.yahoo.co.jp/mlb/headlines/jij/20021012/spo/12030000_jij_00020712.html
-------------------------------------------
ESPNも含めた米国の各サイトにも、「ピネラ監督退団か―?」という記事は載ってはいますが、それらは全て、下記のニューアーク・スター・レジャー紙の記事からの引用で、それ以上のはっきりした情報は、今の所、見つけることができませんでした。(注:ニューアークはニューヨーク市近郊の町で、いわばNYメッツの“お膝元”。)記事の内容も、時事通信が言っているほど断定的なものではなく、「かもしれない」、「良く知っている人によれば」、「情報に詳しい筋によれば」などと、かなりあやふやな記述が目立ち、ちょっと「…?」ではあります…。^^; いずれにしても、もし記事が正しいとすれば、「現地時間の月曜日には何らかの発表が球団からある」そうですので、それまで待つしかないのでしょうね…。(-_-;)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
メッツ:まだピネラと話すチャンスはあるかもしれない
― デービッド・ウォルドスタイン ―
(10月11日付 ニューアーク・スター・レジャー紙より)
http://www.nj.com/sports/ledger/index.ssf?/base/sports-0/1034327777185180.xml
ルー・ピネラがメッツの次の監督になるかもしれないという望みは、まだ生きている。ただし、ほんの微かな希望ではあるが―。(The hope that Lou Piniella can become the next Mets manager remains alive, although just faintly.)
事情通のある人物によれば、ピネラとマリナーズ首脳陣は、残り1年の契約をピネラの要望により解除するかどうかについて、これからの4日間の間に会って話し合うだろう、とのこと。最終的な決断は、その会合後に下されるらしい。
その人物によれば、全ては月曜までにはっきするはず、とのことだ。しかし、いくらメッツが―そして、どうやらピネラ自身も―望んでも、マリナーズは簡単にはピネラを手放さないだろう。
メッツがピネラとただ話をする権利を認めるだけでも、マリナーズはなんらかの見返りをメッツから求めるはずだ。(注:選手、もしくは金銭の提供)だが、マリナーズが他のチームがピネラと接触するのを一切拒否しているのは、なにも、そういう“見返り”に拘っているからではない。一言で言えば、マリナーズは、3年間で300勝もした監督として、単にピネラに来季も戻ってきて欲しいだけなのである。
だからこそ、ピネラが来年の契約から逃れるのは難しいと思われるのだ。―ただ、難しくはあるが、不可能ではない。
ピネラからも、シアトルのパット・ギリックGMからも、昨晩のうちにコメントを得る事は出来なかった。
一方、その間に、メッツはドジャースと連絡をとって、同じく監督候補の1人であるグレン・ホフマンとの面接を申し込んだと思われていたが、ドジャースのダン・エバンスGMによれば、昨日の段階ではメッツからの連絡はない、とのことだ。火曜には、アスレチックスのケン・モッカ・ベンチコーチとの面接が予定されている。
しかし、ピネラの方が、はるかに監督候補としては望ましい。ピネラを良く知る人々によれば、ピネラもフロリダ州タンパの自宅により近いチームの監督になりたいと思っているらしいので、彼にとっても、メッツは他のオファーよりも魅力的なはずだ。メッツ以外にもピネラに注目しているチームはいくつかあって、その中にはもちろんデビル・レイズも含まれるが、明らかにレイズの分は悪い。
ピネラはシアトルを愛してはいるが、孫も含めた彼の家族全員が住んでいるフロリダ州タンパとシアトル間の頻繁な長距離移動は、もう体にきつくなり過ぎた―と近しい人々に漏らしているようなのだ。
マリナーズは、他のチームがピネラと話すことをきっぱりと拒否し続けてきたが、マリナーズのチーム事情に詳しい筋によれば、それらの声明は、ピネラの辞任に関する噂話を沈静化させるための手段に過ぎなかったかもしれない、と思える節があるとのことだ。
メッツは、まだマリナーズに対して、ピネラと話すための許可を申請してはいない。彼らは、ピネラがフリーになった事を確認してからピネラに接触するつもりだ。つまり、まずピネラ自身が主導権を取ってシアトルとの絆を断つのを、メッツは待っているのだ。
ピネラは、メッツが求めている監督像にピッタリの人物であると思われる。メジャーでの監督経験は豊富だし、ニューヨークという町でやっていけることも既に証明済みだ。1974〜84年にかけて、ピネラはヤンキーズのスター外野手/DHだったし、1986〜88年にはヤンキーズの監督も務めている。1990年にはレッズの監督に就任してワールドシリーズ優勝も果たし、1993年にはマリナーズに移った。
メッツは、ダスティー・ベーカーのことも監督候補として高く評価はしているが、彼が果たしてニューヨークでやれるのかどうかについては、未知数の部分が多い。バック・ショーウォーターのヤンキーズでの有能さは証明済みであるが、彼はレンジャースの監督職の第一候補であるし、カブスも彼には強い興味を示している。さらには、もう1チームからもオファーを受けているとのことなので、メッツが決断する前に、他のチームに決まってしまっている公算が強い。
(以上)
独特のあごひげを生やし、ちょっと強面風のA’sの守護神コッチ投手。ALDSの第5戦の9回表、そのコッチ投手が打ち込まれてしまい、オークランドのシリーズ敗退の直接の原因を作ってしまいました。よく日本では、「メジャーの選手は自分が悪かったとは絶対に言わない」などと言いますが、下記のような記事を読むと、そういう決り文句がいかに意味のないものであるかが良くわかる気がします…。
(Iiwakebakari shiteiru darekasan nimo, zehi yonde moraitai monodesu...)(-_-;)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
コッチ:「僕がA’sのチャンスを潰してしまった」
http://espn.go.com/mlb/playoffs2002/s/2002/1008/1443030.html
オークランドのクローザー、ビリー・コッチは、一体どういう風にしてALDS第5戦におけるあの破滅的なピッチングを自分自身の中で消化するのだろうか…?
―彼に、5ヵ月半の時間を与えてやってほしい。
9回の表、1−2で負けている場面でマウンドに上がったコッチは、ツインズとの点差を1点のままに保つ事を期待された。ところが、A.J.ピアジンスキーには2点本塁打を打たれ、その後も安打・四球・2塁打と続けざまに許して、点差を4点にまで広げてしまったのである。
9回の裏に、A’sのマーク・エリスがツインズの守護神エディー・ガルダードから3点本塁打を打って点差を4ー5まで縮めたことで、コッチの立場はなおさら苦しいものになった。レイ・デュラムが勝ち越しランナーとなる可能性を持って打席に立ったが、ファウルを打ち上げて試合を終わらせてしまった。
「僕のせいだ。」とコッチは月曜のサン・ホゼ・マーキュリー・ニュースのインタビューに答えて言う。「ウチのチームは、皆凄くいい戦いをしたのだから、僕以外は誰もうなだれる必要なんかない。僕自身は、自分を殺してしまいたいぐらいに思っている。」
当日の試合後には、記者達と一切話をしなかったコッチだが、今日マーキュリーニュースに語ったところによれば、試合後にあまりにも何回も自分の投球場面をビデオで巻き戻して見続けていたので、一緒にいたビリー・ビーンGMが、居たたまれなくなって部屋を出て行ってしまったのだという…。
試合後のコッチの動揺は著しく、メディアがいなくなるまではクラブハウスに入るのを拒否したほどだった。
「9回に2点を入れて逆転勝ちする能力にかけては、ウチのチームが球界一だとわかっていただけに、僕がそのチャンスを潰してしまった事が、なおさら辛くて耐え難かったんだ。」自分のロッカーを空にしながら、コッチはマーキューリーニュースに語った。
「今は、まだ、自分自身に腹が立っている。人は失敗からいろいろ学ぶものだけど、僕は5ヵ月半かけて今回の失敗から学ぶつもりだ。」
(以上)
アスレチックスの記事へのレス、ありがとうございました。(^^) 今度は、同時に掲載されていた同じケープル氏によるツインズの記事です。波乱万丈のチームの歴史と選手達の強い仲間意識、そして試合終盤に佐々木投手そっくりの^^;ハラハラドキドキ・タイムを提供してくれたガルダード投手の話など、アスレチックスの記事に較べると、ちょっと、とっちらかった仕上がりになっています。^^;
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ツインズ:“勝ち”も“負け”も全員で分ち合う
― ジム・ケープル ―
http://espn.go.com/mlb/columns/caple_jim/1442213.html
ツインズがアメリカン・リーグのチャンピオンシップ・シリーズに出場するという事が、どれくらい意外なことであるのか―。11ヶ月前に“死刑宣告”を受けたチームが、ワールドシリーズ優勝までにあと4勝と迫っている事が、どれくらい信じられないほど素晴らしい事であるのか―。はたまた、この低予算の地元育ちのチーム、誰一人としてポストシーズンの経験のないこのチームが、どれくらいビックリするほど経験不足であるのか、皆さんはご存知だろうか…?
そう、こう言えばわかってもらえるかもしれない。ツインズは、“祝勝時のグランドでの正しい選手の折り重なり方”ですら、これから学ばなければならないのだ。なんと、マウンド周辺での感激の大騒動の間に、誰かが人山の下敷きになっていたツインズのベテラン選手、デニー・ホッキングの右手をスパイクしてしまっていたのである。お陰でホッキングは右手中指に大きな裂傷を負い、今後の試合出場がほぼ絶望的になってしまったのだ。
この負傷に当然落胆しながらも、ホッキングは潔かった:「俺はここまで来るのに“汗”も流したし、“涙”も流した。だから今度は“血”を流す番だった、ということなのさ。」
血と汗と涙。ツインズは、今までその全てをチームとして経験してきた。マイナーからの昇格や降格。負け越しに次ぐ負け越し。野球殿堂入りまっしぐらだった選手の緑内障による突然の引退。(注:1995年に早期引退を余儀なくされたカービー・パケットのこと。2001年に殿堂入りを果たした。)不利な条件のトレード話の数々。球団との契約を拒否した何人ものドラフト1位指名選手たち。メイベリーへのバカバカしい移転話。そして、なんといっても、昨冬の、あのおぞましい球界縮小計画に基づく球団消滅の危機。球団の41年間の歴史に終止符を打ち、選手全員を全米中に散り散りにばら撒く可能性のあったあの球団削減の危機さえをも、全員で潜り抜けてきたのである。
「絶対に、バラバラになんかなりたくなかった。」と昨年のゴールドグラブ受賞者のトリー・ハンターは言う。彼は、シャンパンのボトルを、まるでフライを捕球する時のように、しっかりと掴んでいた。「こいつらが他のチームにいる所なんか、絶対に見たくなかった。クリスチャン・グズマンが相手チームにいたり、ダグ・ミンケービッチが他のチームにいるのなんて、冗談じゃない。俺たちは、皆一緒に下から上がってきて、いつも一緒に頑張ったんだ。マイナー時代、俺たちはイヤというほど負けを味わったけど、同時に沢山の事も学んだ。そりゃ、いつでも苦戦しっぱなしだったさ。でも、どんな事でも、俺たちはいつもいっしょに経験してきたんだ。」
その過程で、ツインズはこれ以上ないほど団結力の強いチームになった。ミンケービッチによれば、「たとえ皆で一緒に一本のズボンを穿いたとしても」これ以上の一体感は味わえないだろう―というぐらいだ。
そして、そのツインズは、とうとう解散することなく全ての危機を乗り越え、地区優勝を果たし、下馬評でははるかに有利と目されたオークランドを敵地で5−4で破ってALDSを制することに成功した。ツインズが次に挑戦するのは、火曜からメトロドームで始まる“意外性のエンゼルス”とのALCSを賭けた戦いだ。
自分達のチームの“葬式”に立ち会うかわりに、ポストシーズンのシャンパン三昧を経験する事になったツインズ。ハンターは、シャンパンを飲みすぎたあまりに「これは、リハビリでもしなきゃ、ダメかもしれない―。」などと言い出す始末である。
日曜の勝利は、まさに“これぞツインズ”、という勝ち方だった。1995年以来の在籍となる先発投手のブラッド・ラドキーが今季103勝のアスレチックスを6−2/3回まで無得点に抑え、1993年以来在籍のエディー・ガルダードが、ハラハラドキドキの連続で9回を投げ切った。そして同じく1993年以来のメンバーで今日の先制点を叩き出したホッキングが、最終アウトとなるポップフライを捕球すると、観衆に向かって誇らしげにそのボールをかざしてみせ、最後にはそれを自分の尻ポケットにしっかりとしまい込んでしまった。
「握力に相当の自信のあるヤツでなきゃ、あのボールを俺からもぎ取る事は出来なかったろうね。」とホッキングは言う。「あのボールは、俺の家のトロフィーケースへ、まっしぐらさ。」
しかし、指の負傷のせいで、ホッキング自身の握力は今は万全ではない。また、負傷したのが中指だったということで、ホッキングにとっては2重の意味で不運だった。というのも、“球団削減の危機”という、バド・セリグの愚行がもたらした昨冬の悪夢を呪う時に、一番大きな役目を果たしていたのは、彼のその中指だったからだ。(注:中指のポーズ…これ以上は差し控えさせて頂きます…m(__)m)
「―しかも、相手は彼(セリグ)だけじゃない。」とハンターは言う。
確かに、そうだ。ツインズを抹殺しようとしたのは、コミッショナーだけではなかったのだ。彼らのオーナーであるカール・ポーラッドも同罪だったのである。ツインズを削減対象として差し出す事によって、ポーラッドは2億ドルにも上ると言われる補償金を手中にしようとしたのだ。試合後、ポーラッドはクラブハウスに立ち寄ってシャンパンまみれの選手たちを祝福して回りはしたが、その表情は、“ALCS出場よりも現金の方が彼にとっては有難かったに違いない”という印象を見る者に与えた。
「罪悪感なんて、私は、これっぽちも感じちゃいないよ。なんで、そんなものを私が感じなきゃならんのだ?!」とポーラッドは質問した記者に噛み付いた。その記者は、ワールドシリーズ優勝を果たす事になるかもしれないようなチームを葬り去ろうとしたポーラッドの行為について、訊ねたのだった。「毎年、1、500万ドルから2、000万ドルにもなる請求書の山を払う立場になれば、君だってきっと同じ決断をしたんじゃないのかね?」
それは、そうかもしれない。だが、そのコメントを聞いたハンターは、当然のことに、驚愕の表情を隠そうとはしなかった。「言いたい事は山ほどあるけど、ここでは言えない。」とハンターは言って、余計な事を言わないように、懸命に自分自身を抑えているようだった。「ああ、ムチャクチャ腹が立つ…!」
―と、ここでまた話題を試合に戻す事にしよう。
シリーズが2勝づつのタイとなったところで、ツインズとアスレチックスはオークランドに戻り、ラドキーと左腕マーク・マルダーの先発で最終戦を戦う事になった。ラドキーが先発投手に選ばれた事は、最終戦には非常に相応しい決定だった。1995年からずっとミネソタの先発ローテーションにいる彼は、チームの不振の時期における数少ない明るい材料でもあったからだ。故障の影響で今年のレギュラーシーズン中の成績こそ9勝5敗、防御率4.72と振るわなかったが、日曜の試合では圧倒的な存在感を示し、オークランドを1点に抑えてシリーズ2勝目をあげてみせた。
「あれで、彼のことを、“エースじゃない”とか“今年は何にもしていないじゃないか”とか言っていた大勢の奴らの疑念を晴らす事が出来た。」とミンケービッチは言う。「このシリーズの2試合とも、彼のピッチングは素晴らしかった。初戦では僕たちがエラーをしまくって大迷惑をかけてしまったのに、それでも彼は勝った。誰もがマーク・マルダー、マーク・マルダーと騒いでいたけど、うちにだってブラッドという立派なエースがいたってわけさ。」
ツインズは、マルダーから2点を奪い、9回にはクローザーのビリー・コッチから3点をもぎ取って、ほぼ試合を決めたかに見えた。しかし、ツインズというチームにとっては、何事も簡単にはいかないのである…。リーグ1位のセーブ数を誇るガルダードではあったが、たちまちマーク・エリスに3点本塁打を打たれてスコアを5−4にしてしまい、チームをさらなる試練の道へと引き入れたのである。
「あれを黙って見ていなくちゃならないなんて、あんな大変な経験は、生まれて初めてしたよ。」とロン・ガーデンハイヤー監督は言う。「…ま、でも、今までにもエディーのおかげで心臓麻痺を起こしそうになったことは何回もあるから、我々も慣れてるといえば慣れてるんだけどね―。」
そのガルダードも、最終的にはレイ・デュラムにホッキングへのファールフライを打たせて、ピンチを脱する事に成功した。
ポップフライがホッキングのグラブに収まるまでに、物凄く長い時間がかかったような気がしなかったか―?と聞かれたガルダードの答えは、こうだった:「マッタクね…。もう少しでチビるところだったよ。」
だが、そんなことはたいしたことではない。9年間も負け越し続け、抹殺の脅迫をも耐え抜いてきたチームにとって、あと何秒間かスリルが長引いたからといって、それがいったい何だというのだ―?
「デニーが『オーライ』と叫んだ時は、ほんとうにホッとしたし、嬉しかったね。」とガルダードは言う。「彼が捕球したのを見た瞬間は、なんだかクラクラッと目眩がしたぐらいだったよ。」
あの瞬間、彼の周りの誰もが、似たような感覚に襲われていたに違いない。なぜなら、(“球団消滅”という)“死の床”からあれだけ素早く且つ勢いよく飛び出せば、誰だって、多少の目眩ぐらいは感じて当たりまえだと思われるからだ。
(以上)(^^)
いくら、同地域のジャイアンツの試合やフットボールの試合と重なったからとはいえ、大事な今日の試合にたった32,146人の観客しか入らなかったアスレチックスというチーム…。そのオークランドは、今日のALDS第5戦に負けたことで、“3年連続でプレーオフ・シリーズの最終戦で負けたメジャー初のチーム”、という不名誉な記録を作ってしまいました。また、1992年以来、“どうしてもALDSを突破できないチーム”というラベルも剥がせないままで今年も終わってしまいました。昨年、116勝もしながらALCSを突破できなかったことでピネラ監督の采配ぶりが槍玉に上げられましたが、ハウ監督の3年連続のALDS突破失敗は、それ以上の批判を呼びそうな気配です。特に、「3人の投手を不慣れな中3日で回そうとしたことが最大の失敗である」と、早くもメディアで叩かれ始めているようです。
マリナーズファンの私の目には、今年のアスレチックスは憎らしいほど強くて自信に溢れているように見えたので、ALDS突破に関して彼らにそんなプレッシャーが懸かっていたとは、かなり意外でした。下記は、プレーオフにおけるアスレチックスのそんな不甲斐なさを突いた、ESPNのジム・ケープル氏の記事です。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
“金持ち”も“貧乏”も関係なし;A’s、またポストシーズンに沈む
― ジム・ケープル ―
http://espn.go.com/mlb/columns/caple_jim/1442247.html
過去3年間に296勝もあげながら、なぜオークランドはポスト・シーズンでは1シリーズも勝つことが出来ないのか…?それは、A’sというチームは、いくら投手陣が良くても、いくらGMのビリー・ビーンが抜け目なくても、また、いくら何人ものMVP候補選手を育てようとも、プレーオフに突入した途端にタンパベイ・デビルレイズ(のようなチーム)に変身してしまい、まるで俳優のニック・ノルテのヘアスタイルの如く、いい加減でだらしなくなってしまうからである。
2年前のディビジョン・シリーズでは、最終第5戦の1回にフライボールの目測を続けざまに誤って一挙に6失点をくらい、試合とシリーズを落としてしまった。昨年、2勝0敗とリードしていながら最終的にシリーズを落としてしまったのは、第3戦でジアンビが本塁突入の際に滑り込むのを忘れたためと(注:ジーターのスーパー中継プレーで、立ったまま本塁突入を図ったジアンビはアウトになった)、最終第5戦に酷い戦い振りをしてしまったためだった。そして、今年のプレーオフも、彼らはまずいプレーの連続で敗退してしまった。彼らは、ポップフライを2回落球し、守備陣同士激突し、本塁に送球すべき所を1塁に送球したりしたのだ―しかも、これは勝った試合での話である。負けた第4戦は、もっと悲惨だった。その試合では、たった1イニングの間に暴投2回、エラー2回、死球1回を記録し、7点も失ってしまったのである。
―子供たちには、決して真似をして欲しくないものだ。
だが、アスレチックスも今日の4ー5で負けた第5戦では、結構いいプレーを披露していた…ただし、それも試合を決定付ける最終打席までは、の話だ。ミネソタのクローザー、エディー・ガルダードから3点をもぎ取って1点差にまで迫った9回裏、オークランドは2死で同点ランナーを1塁に置き、レイ・デュラムを打席に送ろうとしていた。
―しかし、その場面で打席に向かったのは、デュラムではなかった。打席にまさに入らんとしていたのは、なんと、デュラムの次に打つ予定になっていたグレグ・マイヤーズ捕手だったのである。
「誰もネックスト・バッターズ・サークルにいなかったんで、そのまま行ってしまったんだ。」とマイヤーズは言う。彼は、9回表にラモン・エルナンデズ捕手の代わりに守備につき、打順ではアダム・ピットの場所に入る事になっていた。「俺が出て行ってしまったのを見て、彼(デュラム)は、俺が先に打つ事になったと思ったのかもしれない。」
「メンバー変更がいろいろあったんで、てっきり彼がラモンの打順に入ったんだと思ったんだ。」とデュラムは言う。「ちょっとした勘違いさ。」
「明らかに、マイヤーズは打順表を確認しなかったようだ。」とアート・ハウ監督は言う。
マイヤーズが打席に入る直前にオークランドのベンチが間違いに気付き、大声でマイヤーズに戻ってくるように怒鳴った。マイヤーズはベンチに戻り、代わりに大慌てで打席に入ったデュラムがライト線沿いにファールフライを打ち上げて、試合は終わってしまったのである…。
「結果的には打順を間違わなかったわけだから、たいした問題じゃないよ。」とマイヤーズは言う。「もし、俺が打席に入ってスイングしてしまっていたら、話は違ってただろうけどね。」
―いいや。充分に大問題だ。
生きるか死ぬかのプレーオフの最終試合の最終回、2死で同点ランナーを1塁に置いた場面―1年間の全てが懸かった究極のその場面で、アスレチックスは、もう少しで打順を間違える所だったのである。この試合に最初から出場していたデュラムは、自分が打つべき順番にマイヤーズが出て行ってネクスト・バッターズ・サークルで念入りに素振りをしているにも関わらず、その間、ずっとダックアウトに座ったままその様子を眺めていたのだ。そして、まさに試合の懸かったその大事な場面で、デュラムは慌てて打席に駆け込んで、何の準備もなくリーグ1のセーブ数を誇るクローザーに立ち向かわなくてはならなかったのである。
なにも、このことだけでオークランドが準備不足だったと言うつもりはない。しかし、なぜヤンキーズには、こんなことが一度も起こらないのだろうか…?
オークランドというチームの物語は、メジャーの中でも健気で感動的な話の1つに挙げられる。60年代に建てられた古い球場をホームとし、球界でも最低に近い給与総額でやり繰りし、セリグ・コミショナーの球界縮小計画の削減対象チーム候補に名を連ねながらも、過去三年間、平均して年間100勝近くを挙げ続け、2回の地区優勝と3回のプレーオフ進出を果たしているのである。2000年度のMVP(ジェイソン・ジアンビ)を輩出し、今年度のMVP(ミゲル・テハダ)とサイ・ヤング賞受賞者(バリー・ジトー)も、ひょっとしてこのチームから出るかもしれない。今年の夏には、アメリカン・リーグの新記録となる20連勝も達成している。
―それなのに、ポストシーズンでは、1週間以上もった事がないのである。
「あと、もう少しの所まで来たのに―。特に、昨年のことがあったから…。」とランディー・ベラルディー内野手は、そこで言葉を切った。「今年の春季キャンプでは、皆、今年こそ何か特別な事ができるはずだという自信に溢れていたんだ。特に、投手力には万全の自信があった。」
優秀な投手陣があれば、地区優勝はできる。しかし、ポストシーズンともなると、下手くそな守備とMVP候補の最低なパフォーマンス(テハダの打率は.143、エラー付き)を投手力だけでカバーして勝つことは出来ない。そして、そのピッチングすら良くない…とくれば(ティム・ハドソンの2回の先発は良くなかった)、もう結果は悲惨だ。
「今年の負けは、過去2回の負けよりも、ずっとこたえた。」とマルダーは言う。彼は、中3日の登板にもかかわらず、ツインズを7回で2失点に抑えている。(注:シーズン中、オークランドの投手陣は中4日を厳守しており、中3日の登板は、今回が初めてだった)「我々は、このチームにもっと大きな期待をかけていたのに…。」
でもそれは、シーズン当初の躓きを乗り越えて、終盤の4ヶ月に大躍進を遂げたこのチームの活躍ぶりを見ていた、誰もが思った事だった。―だが、そういう期待に応える代わりに、アスレチックスは今年もまた今までと同じ事をしてしまった。2000年と2001年には、オークランドは球界1の金持ち球団に負けた。そして、今年、今度は球界1の貧乏球団に負けた。相手が金持ちだろうが貧乏だろうが、関係なかったのだ。この3年間、アスレチックスは、“あと1勝”というところで、3回が3回とも敗れ去ってしまったのである。
「それを言ってくれるな。」とハウ監督は言う。「オフシーズン中、その事をずっと考えて過ごさなければならないかと思うと、うんざりする…。でも、シーズン終了と同時に家に帰るよりは、勝つチャンスのある場に立てた事の方がよかったに決まっている。そのうち、絶対勝つ方法を見つけてみせるさ…。」
(以上)
一足早いシーズン終了を迎えて、なんとも言えない寂しさを感じている私たちファンですが、当の選手たちが直面している寂しさや複雑な思いは、きっと我々なんかの比ではないのでしょうね…。
下記は、そんなマリナーズのクラブハウス内の様子を描いた、地元紙トリビューン・ニュースのラルー記者の記事です。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
M’sは想う:“エドガーの時代”は終わりなのか…?
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/1869103p-1983396c.html
話しながら、ルー・ピネラの目からは涙があふれていた。マイク・キャメロンの頬も濡れていたが、彼は、それはさっきつけたローションのせいだと言い張った。
…そうなのかもしれない。
シアトルにとって今季の最終戦となった6−7の敗戦後のクラブハウス内には、済んだ事ではなく、これから来るべき未来に対する選手たちの感傷的な思いが充満していた。
「チームというのは、毎年変わっていくもの。昨年もメンバーが大幅に変わって116勝もした。」とジェイミー・モイヤーは言う。「来年もきっと、色んな変化があるのだろう。かなり大幅なね―。」
モイヤーは、今年のオフにフリーエージェントになる選手の1人だ。他には、ジョン・オルルッド、ダン・ウィルソン、ルーベン・シエラなどがいる。
「真っ先に思うのは、エドガーの事だ。」とウィルソンがエドガー・マルチネスのほうを見やりながら言う。「この世界は、何が起こるかわからないからね。」
今年の冬にマリナーズが下さなければならない決断は、ギリックGMの去就から始まって数多くあるが、その中でも最も感情抜きで語る事が難しいのが、マルチネスに関するものだろう。
1,769試合に出場し、1,973本の安打を打ったマルチネスにとって、ひょっとして今日がマリナーズのユニフォームを着ての最後の試合だったのかもしれない。
「自分の引退を自分自身で決める選手は、とても少ない。」とマルチネスは言う。「ほとんどの場合は、自らの意思に関係なく、決まってしまうものだ。自分ではまだ十分できると思っているのに、突然、扉が閉ざされてしまうんだ。」
「僕自身は、まだチームの役に立てると思っているし、力も残っていると信じている。でも、一緒にプレーした選手たちの中には、すでにコーチになっている連中も多い。来週中にはチームと話すことになっているので、その時にどうなるか分かるだろう。」
マルチネスの契約には、来季に関する1,000万ドルのチーム・オプションが含まれていて、今、誰もが知りたがっているのは、はたしてマリナーズ側にそのオプションを行使する気があるのかどうかということだ。
現在39歳のマルチネスの今季の成績は、手術を必要とした4月の左腿裏の故障のせいで、328打席で打率.277、15本塁打、59打点というもので終わってしまっている。
「今年の冬は、チームにとって色んな難しい決断が待っている。私は、自分がそういう決断を下す立場にいなくて、本当に良かったと思うよ。」とピネラは言う。「エドガーは、私がシアトルに来る前からずっといる選手だ。ウィルソンは私と一緒にここへ来たし、モイヤーは97年から…。選手達に対してはあまり愛着を持たないようにしようと思ってはいても、結局、そんなことは無理なんだ。今日だって、彼らは0−6で負けていたところから盛り返してくれたけど、私はちっとも驚かなかったよ。」
ピネラがそこまで言った時に、ギリックが突然監督室に入って来た。彼はそこにあったタオルを掴むと、自分の目元を拭った。
「感傷的になってしまう日だね…。」とギリックは言う。
キャメロンのシーズンは、試合の最終アウトとなるシーズン176個目の三振で終わった。それは、ジェイ・ビューナーがそれまで持っていた球団最多三振記録175個を塗り替えるものだった。
「間違いなく、今年はタフな1年だった。」とキャメロンは言う。「期待外れな事も沢山あったし、この冬に調整しなくてはならないことも沢山できた。また、一生忘れられないような素晴らしい事もいくつかあった。ポストシーズンに進む事に慣れているウチのようなチームにとっては、9月の終わりに家に帰らなくてはならないというのは、凄く辛い。その上、今まで一緒にプレーしていた何人かの選手達とは、もうこれで会えなくなってしまうのかと思うと、もっと辛い…。」
父親も祖父も長い事メジャーの選手をしてきたブレット・ブーンは、日曜の試合後、なかなかクラブハウスを立ち去ろうとしなかった。彼は、マルチネスの方を指差した。
「彼には、来年も戻ってきて欲しい。」とブーンは言う。「これが最後なんかじゃないと思いたい。―その昔、父が引退するという日に、父が1人で泣いているのを見てしまったのを俺は覚えている。父が泣いているのなんて、それまで見た事がなかったのに…。ベースボールと言うのは、何年かやって、“はい、それでおしまい”―なんてすぐに忘れてしまえるものじゃないんだ。ここにいるほとんどの選手は、歩けるようになってすぐくらいの小さい頃から、ずっと野球をしてきている。野球を愛しているし、人生の大きな部分が野球によって占められてもいる。それが全て終わってしまう日の来る事を想像するのは、とても難しい。俺はまだここに来て2年だけど、エドガーは俺にとってもチームにとっても、物凄く大きな存在だったんだ。」
今日の試合前、マクラーレン・ベンチコーチはマルチネスの所へ行ってメンバー表を手渡すと、ホームプレートで行われるメンバー表交換に行ってきてくれるように頼んだ。
「多分、あんな事をするのは、今日が初めてだったと思う。」とマルチネスは言う。「4月に怪我をした時は、必ず戻ってくると思ったし、6月に故障がぶり返した時は、もうダメかもしれないと思った。その後のシーズン後半はなんとか故障もせずに過ごせたので、自分としてはもっとプレーしたいと思うようになった。でも、こればかりは私1人の考えではどうにもならない。まず、妻のホリーと相談した上で、マリナーズと話し合うつもりだ。今の段階では、どうなるかは、全く分からない。」
ある説によれば、球団側は50万ドルぐらいの違約金を払ってマルチネスのチームオプションを破棄して、新たにより安価な2003年用の契約を彼と結ぼうとするのではないか…と言われている。当然のことながら、双方ともそのことについては触れたがらなかった。
「野球は、ゲームであると同時に、ビジネスでもあるわけだからね…。」と、モイヤーは言う。「クラブハウスを見回してみると、フリーエージェントになる選手や年俸調停の権利を新たに得る選手が何人もいて、そのうちの何人かは戻ってこないかもしれないという事に気付く...。シーズンが終わって新しいシーズンが始まるまでは、全くどうなるかわからないんだ。シーズン最後の日というのは、なんともホロ苦いものだよね。家族の元へ帰れるのは嬉しいけど、いい友達とは別れる事になるのだから―。」
ピネラは目元を拭うと、椅子に深くもたれかかった。
「皆、まるで家族の延長のようになっていく。」とピネラは彼のチームについて言う。「2月に始まって、10月のポストシーズンまで進めるようにと願いながら、ずっと1年間プレーし続ける。その間、選手たちとは、ほとんど毎日一緒にいることになるんだ。それだけ長い事一緒に過ごす連中と心理的な距離を保とうとしたって、それは無理というもの―。そんなことは、出来はしないんだよ。」
(以上)
早朝から実況してくださった皆様、本当にお疲れ様でした。m(__)m 主力選手のほとんどいない、かなり大味な試合だったようですね。所詮は消化試合でしかないのは分かっていますが、不十分な布陣での敗戦は、やはりちょっと残念です…。明日の最終戦にイチロー選手が出るかどうかは、どうも微妙なようですね。今年最後のテレビ中継ですから、ファンとしては是非出てもらって、最多安打にも挑戦して欲しいのですが…。(-_-;)
下記は、トリビューン・ニュースより、今日の試合の記事です。
M’s、161試合の疲れ隠せず
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/1859835p-1974208c.html
足を引き摺りながら先発表の貼り出してある所へ行ったブレット・ブーンは、先発メンバーに目を通すなりピネラ監督の方を向いてこう訊ねた:
「(チームを半分に分けたうちの)“A-チーム”の方は、いったいどこでプレーしているんだい?」
その後、両チームは、春のエキジビション試合風の、いかにも9月末の消化試合です、というような試合を繰り広げることとなった。結果は、エンゼルスが8−4でマリナーズを破った。
「エンゼルスはプレーオフに備えて選手達のコンディション調整を、ウチはウチで若手選手を試したんだ。」と、捕手としてではなく1塁手として試合に出たダン・ウィルソンが言う。
―いかにも“161試合目”、という感じはしたかい?
「そうだね、確かにそんな感じだった。」とウィルソンは言う。彼の左脚は、膝からつま先まで、ぴっちりと氷入りのビニールバッグで巻かれていた。「野球をする上で、アドレナリンの果たす役割ってのは、本当に侮れないもんだと思った。最後の2週間なんて、まさにアドレナリンだけに頼ってプレーしていたようなものだったからね。皆、あちこち怪我を抱えながらも、それでも勝つことに意味があったからこそ、痛みを我慢してプレーしていたんだ。でも、その意味がなくなってしまった今は、もう、アドレナリンも出なくなってしまった…。そのことは、皆のプレーを見ていてもわかる。」
今日の試合のスコアカードに載っている選手たちの名前は、プログラムでも貰わない限り、わからないような連中ばかりだ。エンゼルスはチョーン・フィギンスとかアルフレド・アメザゴなどという選手たちを試合に出し、片やマリナーズ側の先発メンバーも、ブルームクィスト、ウゲット、ポドセドニック、ボーダーズといった、マイナーリーグの香りがプンプンするようなものだった。
この試合で起こったことのほとんどはマズイことばかりだったが、中には、マリナーズや何人かの選手たちにとって意味のあることも、いくつか起こった。
色んなチームを転々とし、今年のほとんどを3Aのタコマで過ごしたパット・ボーダース捕手は、8回にピンチヒッターとして起用されて2塁打を打ったが、この2塁打は、実は“マリナーズのピンチヒッターが打った複数塁打”としては、今年初めてのものだったのである。
「160試合と8イニングも消化してきて、その間に1本も“ピンチヒッターによる複数塁打”がなかったなんて、普通はあり得ない事なんだけどね。」とピネラは言う。
しかし、マリナーズはそれをやってしまっていたのだ。
そして9回には、今度はポドセドニックがメジャー初ホームランをエンゼルスのクローザーのトロイ・パーシバルから打った。
「守備の面では、今日は散々だったけどね。」とポドセドニックは言う。ライトに入っていた彼は、記録としてついたエラー1個の他にも、ミスをしてしまっていたのである。「自分の事を守備がいいと思っていただけに、ちょっとショックだった。」
―でも、ホームランはどうだったんだい?
「相手がどういう投手かは良く分かっていたんで、“ええい、ままよ”という感じで、とにかく速球だけに的を絞ったんだ。」とポドセドニックは言う。「そうしたら、目の前をピュンと速球が通り過ぎて、ストライク・ツーさ。」
パーシバルは、次も速球を投げてきた。しかし、今度のは少しばかり真ん中に入り過ぎていたため、ポドセドニックに外野席までもっていかれてしまった。
「打った瞬間、行ったってのはすぐ分かった。」と彼はニッコリ微笑みながら言う。「ホームランボールは貰ったよ。これからも、こういういい事が沢山起こるといいんだけどね。」
ウィルソンは、ベテランらしい笑みを浮かべていた。
「メジャーで初めてプレーする若い子達にとっては、今日のような試合でも、まるでワールドシリーズみたいなものなんだ。自分達の実力を首脳陣に見てもらって、プレーする機会を貰いたい、仕事を貰いたい、と必死になるのさ。」
こういう場合、いい事も悪い事も起こる。
いい事としては、若い選手達のハッスルぶりだ。では、悪い事は―? それは、ライアン・フランクリンに訊いてみるといい。
今季12回目の先発登板だったフランクリンは、2回ほど訪れたピンチを上手く切り抜け、6イニングまでをなんとか1失点で抑えていた。6回に先頭打者に安打されたあと、フランクリンは続くスコット・スピージオにショートのウゲットへのゴロを打たせることに成功した。
ダブルプレーだ。
ところが、ボールがウゲットのグラブの中で引っ掛かってしまった。ウゲットは2塁に投げる事が出来ず、やっと球を掴んで1塁に投げた頃には、もうオールセーフになっていた。
「もう少しで、グラブごと2塁に投げるところだった。」とウゲットは言う。「どうしても、グラブの中の球が取れなかったんだ。」
フランクリンは、ダブルプレーに打ち取るどころか、ピンチに追い込まれてしまった。その後に彼を襲った連続安打の波は、マウンドに当たって高く跳ね上がるものや、内野安打、ポテンヒットといった、彼にとっては不運で変則的なものばかりだった。
「相手を打ち取っていてもおかしくないような球ばかりだったのに、皆、変な方向へ行ってしまったんだ。」とフランクリンは言う。
結局、7点がエンゼルスに追加され、試合はエンゼルスのものになってしまった。7点のうち、自責点はたったの1点だけだったのだが、そんなことはどうでも良かった。
ピネラが溜息をついた。
「あのイニングは、いろいろ不運なことが重なってしまった。」とピネラは首を横に振りながら言う。「7失点もするようなイニングには見えなかったんだが、結局、そうなってしまった。ブルペンが手薄になってて、ライアンを助けてやる事ができなかったんだ。」
―打線にしても、似たようなものだった。
明日の打線も、同じようなものになりそうだ。ピネラは、ウゲット、ブルームクィスト、ポドセドニック、そしてキャッチャーにはボーダースを起用するつもりでいる。
「レギュラー選手も、何人かは入れるかもしれない。」とピネラは言う。「イチローがプレーしたいと言ってるし、キャメロンやシリーロもプレーしたいそうだ。」
―他の、ほとんどのレギュラー選手たちは?
「多くの選手が怪我をしているし、これまでもずっと怪我を我慢してやってきていた。」とオルルッドは言う。「勝つことに意味があるうちは、それでも頑張れたけど、それがなくなってしまった今は、もう同じようにはできない。プレーするのが僕の仕事だから、今だって、出てくれと言われれば、出るよ。でも、今は、皆かなりボロボロになってしまっている。今年は、昨年とは較べものにならないくらい苦戦したし、必死に頑張ってきた。今年は、全ての面において、昨年よりも大変だった。―そう、“161試合もやってきたんだ”って言う実感が、確かに今はあるね…。」
(以上)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
●おまけ●
下記は、同じくラルー記者によるブーン選手に関する記事からの抜粋です:
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/1859836p-1974116c.html
ブレット・ブーンは、シーズンの終了をグラウンド上で迎えたいと思っていたが、土曜にはそのことの無益さに気付いていた。
「今季はもう終わりにする。」と彼は言う。「事情が違っていれば、もしプレーオフの可能性があるのなら、頑張るさ。でも、今はそうじゃないし、痛みも酷い。もし勝つことに意味があるのなら、コルチゾン注射を打ってでもプレーするよ。でも、そうじゃないんだもの。」
ブーンが最初に右の踵を痛めたのは5月のことで、それ以来、よくなったり悪くなったりしながら、ずっと悩まされ続けて来た。
「この10日間ばかりはかなり酷くて、昨日の試合で1塁に走りこんだ時に、またさらにやってしまったんだ。」とブーンは言う。「全く、俺はいったいなにをやってんだ…?と思ったね。肩を貸してもらわなきゃ、ダッグアウトまでも戻れなかったんだから…。」
「彼は、チームのためにギリギリまで踏ん張って、持てる力の全てを出し切ってくれた。」とピネラは言う。「もう、これ以上、彼を出すわけには行かない。」(抜粋終わり)
マリナーズ公式ホームページより、“夢の終わり”に際しての監督、選手たちのコメントです…。m(__)m
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
マリナーズ、“カリフォルニア・ドリーム”は成らず
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020926&content_id=138689&vkey=news_sea&fext=.jsp
もし、マリナーズが最近再発見したマジックをずっともち続ける事が出来ていたなら、今週末のアナハイムでどんな事が起こっていたかはわからなかった。
もちろん、マリナーズが9連勝してエンゼスルスが9連敗する可能性など、ほとんどなかったに違いない。しかし、そんな事を言えば、誰がアスレチックスが20連勝もすることやエンゼルスが16試合中15勝もすることなど、想像していただろうか―?
マリナーズの“カリフォルニア・ドリーム”(注:アナハイムはカリフォルニア州にある)は、木曜の午後にエンゼルスがレンジャースを破ってアメリカンリーグのワイルドカード出場権を確保した瞬間に露と消えてしまった。その試合は、マリナーズがホームでの最終戦を開始する30分ほど前に終了し、その後マリナーズは、45,822人の観客が見守る中、アスレチックスに対して延長10回に3−5で敗れ去った。
ほとんどの選手たちが、試合前、クラブハウス内のテレビでエンゼルスvsレンジャース戦を観ていた。
「これからまさに試合をしようという時に、可能性が全くなくなってしまったことを知ったわけだから、当然、皆ガッカリしたりイラついたりして、かなり暗い雰囲気になった。」とウィルソンは言う。「もう少しで、自分達が掘ってしまった墓穴から這い出して、アナハイムでの連戦を意味のあるものに出来るところだったんだからね…。でも、いったん白線の内側に足を踏み入れたら、なにがなんでも勝ちたいと思った。」とウィルソンは付け加える。「グランドに出れば、そういうふうに自然になるものなのさ。」
4回裏に24号ホームランを打ってマリナーズに1−0のリードを与えたブレット・ブーンは、今日のホーム最終戦についてこう言う:「エンゼルスが負けていたら、もっと楽しいものになっていたには違いないけど、でも、もともとウチが勝ち抜けるチャンスは、わずかしかなかったわけだからね…。プレーオフへの微かな希望の炎は、ほんのちょっとの間だけ消さずにおいておく事は出来たけど、結局、今年はウチの年ではなかったんだ。最後の10日間で、ウチのチームの気骨を見せることが出来たのは、良かったと思う。残り3試合も、力の限り戦うよ。休養なんて、冬の間に好きなだけ取れるわけだからね―。」
マリナーズの球団創立25周年目のシーズンは、アナハイムでの3連戦で終了する。(現在までのマリナーズの成績は92勝67敗)
8回表に打者2人を歩かせた後に退場処分になってしまったジェフ・ネルソンは、マリナーズのワイルドカード争いは最後までもつれるに違いないと信じていたと言う。
「そうなれば面白かったのに。」と彼は言う。「アナハイムは、今日以前に5回も決めるチャンスがあったのに、できなかったんだからね。もし直接対決まで行っていたら、何が起こったかわからなかったと思うね。」
マリナーズは、今週末にエンゼルスに追いついて、月曜にはセーフコーフィールドでの“1試合プレーオフ”に持ち込みたいと思っていた。
―だが、それは不可能になった。
「ファンの人たちに、ポストシーズンを味わわせてあげたいと思っていたんだけどね…。」とピネラは言う。「でも、それ以外では、我々は全力を尽くしたので、これ以上何も言う事はない。このチームには“ハート”(注:「強い意志」、「熱意」、「勇気」等をひっくるめた、「心の強さ」のようなものを指す)があって、いつでも精一杯のプレーをする。監督として、私は彼らのそういうところを高く評価しているし感謝もしているんだ。」
「ウチとしては、アスレチックスに、どこか他のところで(優勝を)祝って欲しかったんだけどね…。正直言って、8月末と9月初めの2回のロード遠征で自滅してしまったのが痛かった。デトロイト・クリーブランド・ミネソタの遠征で4勝6敗に終わったあと、カンサス・シティー・テキサス・オークランドの遠征でも4勝6敗だったからね。ウチがそうやってもたついている間に、オークランド・アナハイムの両チームは、手がつけられないほど絶好調だった。」とピネラは言う。「オークランドが破竹の20連勝でアナハイムが16戦中15勝もしている間に、ウチは勝率5割前後をウロウロしていたわけだからね。それじゃ、足りるわけがない。」
最後のホームでの連戦における善戦(7勝3敗)が、予想外にマリナーズの命を長らえさせた。
「ボウズたち(=“the kids”=選手たち^^;)は、諦めようとしなかった。」とピネラは言う。「彼らは、一年を通して力いっぱい戦ったし、絶えず真剣に、プライドをもってプレーしてくれた。私は、監督としてそのことをとても嬉しく思っている。私のこの気持ちは、今日の試合中、何人もの選手たちに直接伝えた。」
ピネラは、明日からのエンゼルス戦では、予定通りのローテーションで行くつもりだと言う―ガルシア、フランクリン、そして多分、バルデスの順になるはずだ。ただし、若い選手の起用は増やすかもしれないそうだ。
(以上)
連日の奇跡的な勝利がもたらす感動は、言葉で表現しようとしてもしきれないものがありますね。我々は、果たしてあと何回、この感動に浸ることが出来るのでしょう…? 明日の朝起きて、アナハイムの結果を知るのがちょっと恐い私です…。(-_-;)
今日の記事は、マリナーズ公式HPからです。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
マリナーズ、決して“降参”とは言わない
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020926&content_id=138016&vkey=news_sea&fext=.jsp
7年前の9月、“Refuse to Lose”(『負けるのはごめんだ』)をスローガンに掲げて、8月には11もあったゲーム差を一気に詰めたマリナーズだが、今、彼らはもっと信じられない事をやってのけている。
彼らは、アメリカンリーグのワイルドカード争いから脱落する事を、断固として拒み続けているのだ。
水曜の晩、マリナーズは、またしてもマッチポイントまで追い込まれたが(この4日間で4回目のことである)、マイク・キャメロンが叩き出した8回裏1死からのツーランホームランのお陰で、39,776人のセーフコーフィールドのファンの見守る中、地区優勝が確実となったオークランド・アスレチックスを3−2で破る事に成功した。
7回以降にリードしている試合でのアスレチックスのそれまでの通算績が80勝1敗であったことを考えると、この2日間にマリナーズが成し遂げたことの凄さがよくわかる。火曜日には8回に4点をもぎ取って8−7と試合をひっくり返したと思えば、今日はこれである。
うーむ、昔の記憶が蘇ってくるではないか…。
「’95の事を思い出すね。」とエドガー・マルチネスは言う。「ウチは、あの時もエンゼルスを追いかけていたし、今回もそうだ。」
先週の金曜には8試合を残して8ゲーム差あったものが、今は4試合を残して4ゲーム差まで縮まっている。
佐々木がピンチヒッターのグレグ・マイヤーズを三振に討ち取って手に汗握る試合にようやく終止符を打っていた頃、テキサスのアーリングトンでは、誰かが恐怖のあまりに、ゴクリと大きな音を立てて生唾を飲みこんでいたかもしれない。
―さて、5回目のマッチポイントの用意はいいかな?
木曜の午後にジョエル・ピネイロが3連戦の最終戦の初球を投げる頃には、もう今週末のアナハイムでの試合が何らかの意味を持つようになるのかどうかがマリナーズには分かっているはずだ。もしエンゼルスがテキサスに負けて、マリナーズがアスレチックスを明日破れば、シアトルはアナハイムで自らの運命を決めるチャンスを得る事になる。
「アナハイムとテキサスとの試合がどうなるかなんて、誰にも分かりはしないさ。」とキャメロンは言う。「もしかすると、A−Rodが4〜5本もホームランを打つかもしれないし、僕たちもコリー・ライデル相手に頑張るかもしれない。」
“今シーズン最高のホームラン”と言っても差し支えない1本を打った試合後、キャメロンは満面の笑みを浮かべていた。5月2日のホワイトソックス戦で打った4本のホームランよりも、もっと価値があるかもしれないホームランだった。
「今年はいくつか(価値のあるのを)打ったけど、勝たなきゃいけない試合で出た一本ということでは、今日のはリストのかなり上のほうにある。1番とは言い切れないけど、良かったのは確かだね。」
ジョン・メシールの速球を打って左中間フェンスを越える24号ホームランにした瞬間、キャメロンは何かが奔流となって体の中を走るのを感じた、と言う。「他に説明のしようがない感覚だった。ボールを打った瞬間、どこまで飛ぶかは分からなかったけど、確実にフェンスを越えると言う事だけは、直感したんだ。」
打球は他球場の経過を掲示するスコアボードに激突した。「アナハイム3、テキサス4」と書かれたすぐ傍だった。
「彼があのツーランホームランを打ったことが、非常に嬉しい。」とピネラは言う。「真ん中内角よりの絶好球だったけど、物凄い当たりだったね。打った瞬間にすぐホームランだと分かったよ。」
キャメロンに対して絶好球が来たのは、多分、その前にピネラが俊足のルイス・ウゲットを代走に出していたからだろう。かなり痛みの酷い右踵を我慢しながらプレーしていたブレット・ブーンだが、その回、メシールからこの試合3本目となる左中間へのヒットを放った。ブーンの代わりに1塁ランナーとなったウゲットの盗塁を警戒するあまり、メシールのキャメロンに対する集中力が削がれた可能性がある。同じような事は5回にも起きている。その時は、ウィリー・ブルームクィストがヒットで出塁し、2盗したあとにラモン・ヘルナンデズ捕手の悪送球で3塁に進み、ジョン・オルルッドのセンター前ヒットで生還していた。
しかし、ウゲットは走る必要がなかった。その代わりに、彼はダイアモンドをゆっくりと一周し、まるで自分がホームランを打ったかのようにガッツポーズをしたのだ。
「信じられない。」とウゲットは言う。
ローズが9回の先頭打者を打ち取った後、最後の2つのアウトを取る為に佐々木が投入された。2死からデービッド・ジャスティスにヒットを打たれて同点ランナーを出してしまった佐々木だが、次の打者を切れのいいフォークボールで空振り三振に打ち取って試合を終わらせた。
―さあ、次はレギュラーシーズン最後の4試合だ。
「自力でプレーオフ進出を決めるチャンスを掴めればいいんだけどね。」とキャメロンは言う。「そうなれば楽しいだろうな。」
1週間以上前にアーリングトンでレンジャースに4連敗した時には、もう見込みはないものと思われたマリナーズだったが、その後のホームでの連戦では、今季最高とも言える戦い振りを何回か披露して見せた。テキサスに3勝1敗、エンゼルスに2勝1敗そして今度のアスレチックスに対しても、既に3試合のうち2試合に勝っている。
「ウチの選手たちの頑張りは、たいしたもんだと思うよ。」とピネラは言う。「毎日、グランドに飛び出していって懸命にプレーしては、きちんと結果を出す。決して諦めてはいないというのは、今回のホームでの戦い振りで明らかだろう?我々の目標は、まだ望みのある状態でアナハイムに乗り込むことなんだ。」
キャメロンは、ようやく運が自分達の方に向いてきた気がする、と言う。
「ウチにも、ようやく、ツキがまわってきたよ。」と彼は言う。「向こうのピッチングはすごくよくて、ハドソンなんてほとんど何も打たしてくれなかったんだけどね。」
しかし、マリナーズのジェイミー・モイヤーも、ヒットや得点を相手に与える事に関しては、ハドソンと同様の吝嗇家ぶりを示した。モイヤーは、7回までに、6安打と3回にスコット・ハッテンバーグに打たれた2点本塁打の2得点しかオークランドに許さなかったのである。
その点差は7回までは縮まる事はなかったが、8回まではもたなかったのである。
(以上)
-------------------------------
●おまけ●
アナハイムの地元紙、L.A.デイリーニュースによれば、テキサスのビジター側ロッカールームにも、到着してすぐにシャンパンファイト用のビニールシートをかけたエンゼルスですが、今日の(もう昨日か…^^;)試合前に、“気が散る”ということで、監督が係員に外させたんだそうです〜。^^; また、試合に負けてしまったエンゼルスの面々は、マリナーズの試合結果を待たずに着替えてホテルへ帰ってしまったんだそうです。たとえ、マリナーズが負けていてエンゼルスのプレーオフ進出が決まっていたとしても、自分達が負けた以上、誰もお祝いをする気になれなかったんだそうですヨ。^^;
http://www.dailynews.com/Stories/0,1413,200%257E20955%257E883807,00.html
だいぶ、気分的にも落ち込んでいるようなエンゼルス。明日も(もう今日か…^^;)負けてくれないかなぁ…。^^;;;
シアトルタイムスより、今日の試合の記事です。(^○^)
M’s、なおも頑張る
― ボブ・シャーウィン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134542296_mari25.html
マリナーズが今日のアスレチックス戦の6回に直面した状況ほど、絶望的なものはあっただろうか―?
マリナーズは、プレーオフ進出の可能性を消滅させないために、既に2試合も必死に勝ち抜いてきており、今日もどうしても勝たなくてはならない状況にあった。にもかかわらず、試合は2−7で負けており、しかも相手はA’sのエース、バリー・ジトーだったのである。
しかし、まるで1995年のミラクル・シーズンの再現を見るように、マリナーズは6回に1点、7回に2点、そして8回にはなんと4点も入れて、39,037人の活気溢れるセーフコーの観客が見守る中、8−7の勝利を勝ち取ったのだ。
9月のロスター拡大に伴ってマイナーから上がってきたウィリー・ブルームクィストとスコット・ポドセドニックの両名が逆転劇の主役を務め、少なくともあと一日、マリナーズの心臓の鼓動が止まるのを防いだ。
「一縷の望みは残ったね。」とピネラ監督は言う。
“一縷の”、“一欠けの”、“一片の”。彼らに残されているのはそれだけであり、彼らがコントロールできるのは、自分達自身の行動だけである。マリナーズは、ほぼ絶望的になったプレーオフ進出を目指して今日の試合に臨んだ。残り6試合全て(今は5試合)に勝つと同時に、アナハイムが6試合全て(今は5試合)に負けてくれない限り、ワイルドカードを賭けた一試合限りのプレーオフには持ち込めないのだ。
エンゼルスの方は、アーリングトンでテキサスに1−2で負けることによってすでに協力してくれていた。その最終結果は、4回表にセーフコーのスコアボードに表示された。その時点でのマリナーズは1−4で負けており、後にその差は2−7まで広がった。
「あんまり、いい状況じゃなかった。」とシリーロは言う。「もう、少しも失敗が許されないところまで来てしまっていた。」
だが、なんとA’sの方が先に失敗をしてくれて、それを糸口にマリナーズの猛反撃が始まった。8回裏、カルロス・ギーエンが救援投手リカルド・リンコンのグラブを弾くヒットを打った。1死後、シリーロが2塁手の頭上を越えるポテンヒットを放つと、ギーエンは3塁へ突進した。ジャーメイン・ダイ右翼手の3塁への送球は、エリック・シャベズの脇をすり抜けるエラーとなり、ギーエンがホームに還ってスコアは5−7になった。
送球の間に2塁まで来ていたシリーロが、イチローの2塁ゴロで3塁まで進んだ。その時点で、ツーアウト、ランナー3塁、差はまだ2点あった。すると、次打者のブルームクィストがエンタイトル・ツーベースを左中間に放ってシリーロを還した。ブルームクィストにとって、それはこの9打席で7本目の安打だった。
「その場の感情に飲み込まれてしまっては、だめなんだ。」と、まるでベテランのような落ち着きを示してブルームクィストは言う。「あがってしまっては、仕事が出来なくなる。他の事は何も考えないようにした。ある特定の場所に来る球だけに狙いを絞って,あとは思い切って振り切っただけさ。」
ブレット・ブーンがセンターへの2塁打で続いた。テレンス・ロング中堅手が後ろ向きのままで“バスケット・キャッチ”を試みたが、落球してしまった。記録は“2塁打”ということになり、スコアは7−7の同点となった。ブーンは右踵を痛めているため、ピネラは彼を下げて代走を出そうとした。だが、ブーンは、頑として代走を送られることを拒んだ。
「俺たちは、やっとここまで来た。試合を勝とうとしている最中なんだ。」とブーンは言う。「俺はなにも、タフガイぶってこんな事を言っているわけじゃない。足は確かに痛むけど、プレーできないほどじゃない。たとえ微かでも、希望がある限りは、俺はプレーし続けるよ。」
マリナーズはとうとう追いつく事に成功したが、事はそこでは終わらなかった。エドガー・マルチネスの代走で7回に試合に入っていたポドセドニックが、ジェフ・タムのカウント2−1からの1球を鋭くセンター前へ弾き返したのだ。ブーンが3塁を回って本塁に滑り込み、勝ち越し得点を挙げた。
「彼は、今、気持ちだけで走っている。」とブルームクィストは故障を抱えてプレーするブーンを指して言う。「彼には、ずっと試合に出ていてもらわなくてはならないんだ。彼は僕達のリーダーの1人だからね。彼が信じてプレーする限り、僕たちも希望を持つことができるんだ。」
このヒットは、ポドセドニックにとってはメジャーでの3本目のヒットであり、昨年打った初安打よりも、遥かに大きな価値を持つ1本となった。
ブルームクィスト同様、ポドセドニックもこう語る―「雰囲気に飲まれてはいけない。一つ一つの手順だけに集中しなくてはね。これは、言うのは簡単だけど実践するのはすごく難しい。でも、とにかく、なるべく余計な事を考えないようにするのが大切なんだと思う。」
勝ち越しランナーがホームに還るのを確認し、観客が気が狂ったように大喜びしている様を2塁に立って眺めながら、ポドセドニックは、「言葉に表す事が出来ないような(素晴らしい)気持ちになった。」と告白する。
実際、今日の試合は、とても幸先のいい出だしを切っていた。1回裏、イチローがジトーの初球を叩いて今季8本目のホームランにし、今季の本塁打数をMVPを獲った昨年と同数にしたのである。先頭打者ホームランとしては通算6本目で、マリナーズの球団記録に並ぶ事となった。(ちなみに、A’sの先頭打者本塁打の球団記録はリッキー・ヘンダーソンの43本で、これはメジャー記録でもある。)
しかし、3回表にはA’sがマリナーズの先発投手イスマエル・バルデスから3点をもぎ取った。まずラモン・エルナンデスが2塁打を放ち、続くレイ・デュラムがバントを転がしてセーフになった。スコット・ハッテンバーグがライト前ヒットでエルナンデスを還すと、今度はミゲル・テハーダの3塁への当たりでデュラムがホームに還った。
シリーロがナイスプレーでテハーダのゴロを止めたが、オルルッドへのワンバウンドの送球が逸れてハッテンバーグの3塁への進塁を許してしまった。そのハッテンバーグは、ダイの犠牲フライで得点した。
A’sは、4回にデュラムの2塁打で1点を追加し、7回にはエルナンデスのホームランが出てスコアを5−1とした。
点差が開いてしまったにもかかわらず、マリナーズは諦めずに戦いつづけた。6回には満塁からギーエンが歩いて1点追加したが、続くベン・デービスがセンターフライを打ち上げてしまい、その回の反撃はそれで終わってしまった。
A’sが7回にさらに2点を追加すると、マリナーズはその裏にブーンとマルチネスの連続安打で2点を返した。―そしてその後、自力で窮地から脱出する事に成功して、もう一日だけ命をつなぐ事となったのである。
(以上)(^○^)
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
●おまけ●
他のサイトからも、選手たち等のコメントを拾ってみました。(^○^)
ポドセドニック選手:「真ん中高めに球が来たんで、上手く捉えられると思ったんだ。かなりいい手応えだったから、捕られることは絶対ないと思った。状況を考えると、今日のあのヒットが今までの野球人生の中で、最高のヒットだったかもしれない。いや、間違いなくそうだ。―ただ気になるのは、テキサスにいる僕の両親が見ていてくれたかどうか、ってことなんだ。あっちの時間では、もうかなり遅い時間になっていたからね―午前1時45分ぐらいかな…。」
ピネラ監督:「あの8回(の反撃)は、たいしたもんだったね。4点も入れたんだから―。皆、球を強く叩けていたし、チャンスに何本もヒットが出たしね。若い子達がああ言うふうに貢献してくれるのを見るのは、いいもんだ。ブルームクィストなんて、2試合で7安打だよ。それから、ポドセドニックがセンターに打ち返したヒットも大きかったね。・・・ブーンが足を引きずっていたんで代走を出そうと思ったんだが、嫌だと言うんだ。タフな男だよ、あいつは。闘争心に溢れている。どんな時でもプレーしていたいんだ。・・・オークランドのようなチーム相手に、ああ言うふうに逆転勝ちが出来るのはすごい事だ。ウチは、アナハイムに対してもオークランドに対しても、ホームではいい戦いをしてきた。嬉しい事だね。ウチのチームには、“気骨”があるって事を証明しているようなもんだ。この勝利のお陰で、あと一日は寿命が延びた。明日も球場に来て、今日と同じようにテキサスが勝っているのをスコアボードで見たいもんだね。我々は一生懸命プレーするだけだけどね―いつも通りにね。・・・(最後に、ストリーカーについて)我々が勝った試合にストリーカーが出た、ということは、これからも彼に走ってもらうほうがいいのかもしれないな。―もちろん、冗談だよ。(笑)」
ブーン選手:(救援投手のジェフ・タムから打った同点打について)「彼とは相性が悪くて、多分、あれが彼から打った初ヒットだと思う。ネクスト・バッターズ・サークルでポドセドニックに言ったんだ―『俺、今まであいつから打ったことがないんだ。そろそろ一本出る頃かも。』ってね。・・・(8回にホームに還ってきた激走について)つま先で全力疾走する分には、別に問題なく走れるんだ。踵が痛むのは、ダッグアウトとグラウンド間を往復するのに小走りになる時だけさ。」(注:実際は、スパイクを履くのも大変らしいです…(-_-;))
A’sのハウ監督:「マリナーズを褒めなきゃいけないだろう。彼らは諦める事をせずに、最後まで戦いつづけていた。今日のウチは、勝てなくて当たり前、というような野球をしてしまった。相手を追い詰めておきながら、最後にピシッと止めを刺すことが出来なかったんだからね。」
A’sのバリー・ジトー投手:「6・7回ごろには、チームの雰囲気としては、“もうこの試合は貰った”って感じだったんだ。最後まできっちりと仕事をして、少なくとも、西地区優勝はさっさと決めなくちゃいけない。今、一番してはいけないのは、安心して気を抜いてしまう事だ。」
テレンス・ロング外野手:(ブーン選手の打球を捕れなくて、同点2塁打にしてしまったことについて)「捕れたと思ったんだけどね。いいスタートは切れていたし。壁の位置を確認しようとしてボールから目線を切るのが、ちょっと遅すぎたんだ。言い訳にはならないけどね…。」
http://sports.espn.go.com/mlb/recap?gameId=220924112
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020925&content_id=137127&vkey=news_sea&fext=.jsp
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/88511_mari25.shtml
昨日の試合で大活躍だったブルームクィスト選手ですが、幸運にも自分の両親、奥さん、奥さんの両親や地元の友人達を球場に招待していたため、全員の前で晴れ姿を披露することができ、試合後は本当にニッコニコだったそうです。(^^)
地元メディアの一つ、ニュース・トリビューンのジョン・マクグラフ氏の別の記事によれば、マリナーズが夏以降、どんどん勢いを失って行ったのは、大きな期待を背負ってメジャーに上がってきたクリス・スネリング選手の怪我による戦線離脱と決して無関係ではない…とのこと。期待の新人の溌剌とした明るさと怖いもの知らずの活躍は、疲れの出たベテランチームを活性化させるのには不可欠なセラピー的効果をもたらすものなのに、スネリング選手が不測の大怪我であっという間に消えたあとは、代わりに上がって来れる人材がおらず、落胆とショックを引きずったままシーズンを過ごさなければならなかった事が痛かった…というのです。http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/1828681p-1943593c.html
ブルームクィスト選手も、ピネラ監督が早くから期待をかけていた才能豊かな選手ですが、残念ながら上がってくるのが遅れ、マリナーズのポストシーズン出場に向けて貢献する事が出来ませんでした。ピネラ監督はもっと早く呼びたかったらしいのですが、下の記事にも出てくるように、春先に体調を崩してスランプに陥ってしまい、復調するまでに予想外の長い時間がかかってしまいました。後半にきっちりと修正して打率を一気に上げた集中力と努力がピネラ監督に高く評価され、今回のメジャー昇格に繋がりました。彼の昨日の活躍は来季に向けての明るい材料であり、あれが決してフルークではなく、このまま順調に育って来年のロスターには彼の名前があることを期待したいと思います。(^^)
下記は、そんなブルームクィスト選手に関する、フィニガン記者の記事です。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ブルームクィストは“当確”
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134540751_msid23.html
昨日の試合でウィリー・ブルームクィストがプレーし終わる頃には、ブレット・ブーンは皆に『ウォーリー』と呼ばれるようになっていた。
メジャーでは、若い選手が大活躍した時には、その選手と同じポジションでそれまでプレーしていたベテラン選手のことを、『ウォーリー・ピップ』に例える慣わしがある。ピップはヤンキースのレギュラー1塁手だったのだが、1923年のある日、若きルー・ゲーリックにプレーする機会を与えるために一日だけ休むことになった。だが、その日以来15年間、ゲーリックは一日たりとも休むことなくプレーし続けることになったのである…。(注:ルー・ゲーリックは、カル・リプケンがその記録を破るまで、『連続出場試合数』の大リーグ記録をもっていた伝説的な名選手。その選手とブルームクィスト選手を比べるのは、ちょっと無理かも…?^^;)
ブーンは、そんな揶揄に対して、ふざけて顔をしかめて見せただけだった。4年間かけてマリナーズの組織内を上がってくる間に、ブルームクィストが2塁手としてかなりの経験を積んできた事は知っていた。だが、いくら昨日のアナハイム戦で3−2の勝利の原動力となったからと言って、それがただちに現職者(ブーン)を押し退けてのレギュラーポジション確保になるわけではないことも、彼は良く分かっていたのである。
「心配なんかしていないさ。」とブーンは言う。試合前、彼は右踵の痛みを押してスタメン出場させてくれるよう直訴したのだが、聞き入れてもらえなかったのである。「でも、ブルーミーのためには、すごく喜んでいるんだ。彼がどんなに嬉しかったかは、僕にもよく分かるからね。彼の成功は嬉しいし、チームの勝利に貢献してくれる選手の成功は、誰の場合だって嬉しいよ。」
―ただ、この場合、“貢献”などという言葉では、充分に表現しえないほどの大活躍ではあった。
マリナーズがエンゼルスのプレーオフ進出を阻もうとしていた昨日の試合の間中、他の全ての選手は、主役のブルームクィストを支える“脇役”でしかないような雰囲気があった。その中には、7回以上をしっかりと投げた先発投手のライアン・フランクリンも、4つのアウトをきっちりとってセーブを記録したジェフ・ネルソンも、そして2安打を放って200本安打を達成したイチローも含まれていた。
「24年間、この日の事をずっと夢見ていたんだ。」と地元のサウス・キットサップ高校出身のブルームクィストは言う。昨日の試合で2本の2塁打を含む4安打、2打点、1得点をあげただけでなく、2塁とレフトでファインプレーも披露したブルームクィストだが、自分の事をスターになったなどとは露ほども思わないような男だ。
「―ほんとはね、僕の夢の中では、メジャー初安打も、4打数4安打も、初出場の試合で実現するはずだったんだ。でも、いい事っていうのは、ちょっとばかり待たなきゃ起こらないものなんだよね。今は、すごく嬉しい。チームを助ける事が出来て、本当に嬉しいんだ。」
実際、ブルームクィストはもう少しで“メジャー初打席初安打”を記録する所だったのである。水曜のテキサス戦で代打に出たブルームクィストが打った一打は、一瞬ライト線沿いの2塁打になるかと思われたのだが、わずかに切れてファウルになってしまったのだ。その後は2四球を選び、初先発出場となる木曜日の試合でも無安打に終わっていた。
しかし“待った時間の長さ”ということで言えば、シアトルのチーム自体も、かなり長い事待っていたと言えるだろう。ここ何年もの間、マリナーズは自分達のファームシステムから有望な若い野手が出てきて、今回のようにチーム全体に勢いを与えてくれるのを、ずっと待っていたのである。
「ブルームクィストは、うちの来季の構想にピッタリな選手だ。」とピネラは言う。昨日のピネラの最初の予定では、ブルームクィストはレフトで先発することになっていた。「技術的にしっかりしたスィングをするし、融通性もスピードもあるし、グラブ捌きも器用だ。ウチの25人ロスターにうまく納まる選手だと思うよ。」
ピネラは、毎年の春季キャンプで、ブルームクィストの成長を見守ってきた。彼がスィングをコンパクトに改め、来た球を素直に打ち、天賦のスピードと野球センスを上手に使えるようになるのをずっと待っていたのだ。
ところが、ピネラは予定よりも長く待つ羽目になった。今季の開幕を3Aのタコマで迎えたブルームクィストは、4月に原因不明の目眩におそわれるようになり、それとともに打席での成績もキリモミ状態で急降下していったのである。何年か前に、同じような症状に苦しんだニック・エサキーという優秀な選手は、そのせいで野球のキャリアを棒に振ってしまっていた。しかし幸いな事に、ブルームクィストのその不可思議な症状は、2週間ほどで消えてくれた。
だが、打席での不振は、一向に好転しなかった。5月の打率は.172に急落し、6月の打率も.218でしかなかった。
最終的には、タコマの打撃コーチのオーランド・ゴメズが、ブルームクィストの打撃フォームの改善に乗り出した。足を上げる動作を小さくし、より早くミートまで持っていけるようにしたのだ。
「オーランドは非常によくやってくれたし、ブルーミーもそれにしっかり応えた。」とタコマの監督ダン・ローンは言い、こんな冗談も付け加えた―「でも、彼は私のためには、4安打も打ってくれた事はなかったけどね。(笑) 私は、彼の事を実に誇らしく思うよ。我々は、彼がメジャーでプレーするようになるだろうと、ずっと思っていたし、今日の彼はまさにメジャーリーガーそのものだった。」
マリナーズのペリー打撃コーチは、ブルームクィストの良かったところは、エンゼルスのエース、ジャロッド・ウォッシュバーンの球に対して、決して無理をせずに素直に打ち返していたところだった、と言う。
タコマでブルームクィストと一緒だったベテラン捕手のパット・ボーダースは、今年のブルームクィストは、彼が未だかつて見たことがないような事をやってのけた、と言う。「オールスター前にはほとんど2割を切っていた打率を、最後には2割7分まで上げてきたんだ。彼は、それだけすごいヤツだってことさ。」
ブルームクィストは、内野でも外野でも何の問題もないと言う。(注:彼は、2塁、3塁、ショート、外野がこなせる)「―どこでもプレーできるように、育ててきてもらったからね。」
今回の事が、彼にとっては、首脳陣の脳裏に好印象を植え付けてマリナーズの来季のロスターに載るための、逃す事の出来ない絶好のビッグチャンスである事は明らかだ。しかし、彼は、今は次の試合のことしか考えていないと言う。ピネラによれば、その“次の試合”は、バリー・ジトーが投げる明日のオークランド戦で、レフトで先発予定だそうだ。
「実際の試合以外のことに意識を奪われて、『ここはメジャーなんだ…』とか、『45,000人もの人が見ているぞ…』とか、『相手はオールスター投手だ…』なんてことを考えていたら、自分がちっぽけに感じられてしまって何も出来なくなることはわかっていた。」と彼は言う。「―だから、僕は、次に来る球だけに集中して、それに何とか対応することだけを考えるようにしていたんだ。」
(以上)(^^)
下記は、今日の試合に関するシアトル・タイムズのボブ・フィニガン氏の記事です。彼らしく、いつも通りにちょっと捻った渋めの記事になっています。^^;
マリナーズ、数字上ではまだ“終わっていない”
― ボブ・シャーウィン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134540764_mari23.html
毎年この時期になると、野球選手を語る時に注目されるのは、彼らの肩、スイングや足、野球センスや守備などではなくなってくる。彼らは、自分達の残した“数字”のみで語られ、評価されるようになるのだ。
今日、マリナーズが3−2でアナハイムを破ったセーフコーでの試合でも、色々な数字が達成された。イチローは2年連続で200本安打に到達し、新人の年からの2年間でこの記録に達したメジャー選手としては、わずか7人目の選手となった。ジョン・オルルッドはキャリア4回目となる100打点目を記録し、ジェフ・ネルソンは336回目の登板をはたしてマリナーズの球団史上最多登板投手となった。
さらには、今日の勝ち投手ライアン・フランクリン(7勝4敗)は、5つの有効な持ち球があることを証明し、新人のブルームクィストはメジャー初ヒットを含む4本のヒットを記録した。
しかし、マリナーズの選手たちの関心は、“ある特別な数字”に密かに注がれており、上記の各種数字は、今の時点ではその数字から一時的に注意を逸らすものでしかないのかもしれない…。彼らは、今だに『1』と言う数字にこだわっている。なぜなら、この華奢な数字こそが、残り6試合となった現在、彼らとポスト・シーズンを繋ぐ唯一のものだからだ。明後日から始まるオークランドとの3連戦と今週末のアナハイムでの3連戦のうち、今や彼らは1試合も落とせない立場にいる。
…ああ、それからついでに付け加えれば、その間にアナハイムにも6試合全てに負けてもらわないと、両チームがアメリカン・リーグのワイルドカードを賭けて戦うシアトルでの“1試合限りのプレーオフ”というのは、実現しないのである…。
「最後にたった1本残った蝋燭の炎は、まだ吹き消されてはいない。」とネルソンは言う。「ほんの微かな希望しか残っていない事は、我々にだってよくわかっている。でも、自分達のホームで彼らにお祭り騒ぎをされるのだけは、ごめんだった―そんなのは、テキサスでやればいいんだよ。」
「それに、万が一、ってこともあるだろう?」と彼は付け加える。「レンジャースがアナハイムをスィープして、ウチがオークランドをスィープして、それで最後にアナハイムで直接対決―なんてことになったら、凄い事だと思わないか? ま、無理だろうけどね。普通に考えれば、(マリナーズが排除されるのは)単なる時間の問題でしかないんだろう。でも、ひょっとしたら、そうじゃない事もありえる…。」
最近のロードでの4勝6敗という結果で自らを崖っぷちに追い込んでしまったマリナーズだが、昨日今日とアナハイムに連勝する事によって、僅かに残された“たったひとつの希望”にしがみついてきた。しかし、この先、彼らを待ち受けているのは、現在5連勝中でメジャー1の勝率を誇るアスレチックス(99勝57敗)と、リーグ1の左腕投手バリー・ジトー(22勝5敗、防御率2.74)なのである。
「いろんな意味で、この2週間は、我々にとってはプレーオフのようなものだった。」とネルソンは言う。「ロードでは、自分たちで墓穴を掘ってしまった面もある。あれがなければ、今頃もっと有利な立場にいたかもしれない。いずれにしても、チームの調子が戻るのが遅すぎたのは確かだね。」
今日の試合にかかっていたものが大きかっただけに、フランクリンの好投はより一層高い評価を受けた。彼は7回と1/3回を投げて、ヒット6本と2失点しか許さなかった。
「今日の試合は、ウチにとって、とても大事な試合だった。我々は、一つも失敗を許されない立場にいたし、相手にウチのグラウンドで祝杯をあげさせるわけにはいかなかった。」とプライス・ピッチングコーチは言う。「ライアンにとっても、大きな試合だったね。試合終盤までしっかり投げられたし、カウントが不利になっても強気な投球をする事が出来た。それに、最後まで球威が落ちないところも見せてくれた。」
来季も先発投手の仲間入りをする可能性がかなり高い、とピネラに言わせたフランクリンだが、最近の5回の登板のうちの4回では、堂々とした投球を披露している。
「もうテストされる必要もないと思う。」とフランクリンは言う。彼は、先発ローテーションに入るまでには、ブルペン投手として色々違う役目もこなしてきているのだ。「いい球さえ投げられれば、相手が誰だろうと関係ない。あとテストが残っているとすれば、それは、ポストシーズンでどれだけ投げられるか、だけだ。早くそんな機会が来るといいんだけどね。」
9月にメジャーに昇格したばかりのブルームクィストも、フランクリンをサポートした。そのブルームクィストは、ブーンが右踵を痛めて欠場したために、メジャーへ上がって初めて、2塁でのスタメン出場を果たした。彼のメジャー初ヒットは、初回に飛び出した。右翼隅に放ったその2塁打は、イチローをホームに還して打点をももたらした。さらには、3回に単打、6回に2塁打、そして7回には決勝点となる打点を叩き出した単打も放った。
「凄い事だと思うよ。」とフランクリンは言う。「初めてのヒットに初めての打点―。シーズンオフの間中、楽しく思い出してニコニコできるといいよね。」
ワシントン州ポート・オーチャード出身(注:地元)のブルームクィストは、1999年のドラフトでマリナーズが3巡目に指名した選手である。今日の試合で最後のアウトとなるフライを捕球したのも、なんともふさわしい事に、ブルームクィストだった。8回の守備からレフトにまわった彼は、アダム・ケネディーがレフト線沿いに放った沈むライナーを懸命に追った。
「打球にスライスが掛かっていて、どんどんレフトの隅の方へ切れていったんだ。」とブルームクィストは言う。「でも、たとえ壁に激突して突き抜けたって、絶対獲るつもりだった。」
イチローは、7回の勝ち越し点に繋がる攻撃中に200本目の安打を記録した。その回の先頭打者のダン・ウイルソンが、エンゼルスのエース、ジャロッド・ウオッシュバーン(18勝6敗)から安打を放ってマリナーズの攻撃の口火を切った。ウオッシュバーンは、8月23日以来、負け知らずで来ていた投手だ。ジェフ・シリーロの送りバントで2塁に進んだウィルソンは、続くイチローのレフト前ヒットで3塁まで進んだ。代わった救援投手ベン・ウエバーからブルームクィストがライトにヒットを打ち、ウィルソンはホームに還った。
「この記録は、いろんな要素が全てうまくいって、初めて達成できるもの。」とイチローは自分の2年連続200本安打について言う。彼は、これでシューレス・ジョー・ジャクソンやロイド・ウエイナー、ジョー・ディマジオといった錚々たるメンバーの仲間入りをしたことになる。「そのことは、非常に光栄なことであるし、謙虚に受け止めたい。そして、これから先もずっと安定したプレーを続けていきたいと思っている。」
(以上)(^^)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
●おまけ●
シアトル・ポストより、イチロー選手の200本安打についてのピネラ監督のコメントです。(^^)
ピネラ監督:「彼は、誇りに思うべきだ。200本も打つのは、とても難しいことだからね―すごく難しいことだ。1年目と2年目を合わせると442本。驚くべき数字だ。これは、ほとんどの選手にとっては3年分の数字だよ。それを彼はたった2年でやってしまったんだ。決して簡単に出来る事ではない。現代野球では、1シーズンに180本も打てば、相当いい数字だというのが一般的だからね。」
新人の年から2年続けて200本安打以上を達成した6人の選手は次の通りです:
シューレス・ジョー・ジャクソン(1911−12)、ロイド・ウエイナー(1927−28)、ジョニー・フレデリック(1929−30)、ジョー・ディマジオ(1936−37)、ジョニー・ペスキー(1942−43)、ハービー・キューン(1953−54)
6人のうち、2年間の合計本数がイチロー選手より多いのは、ジョー・ジャクソン選手(459本)とロイド・ウエイナー選手(444本)の2人だけです。イチロー選手が残り6試合であと3本打てば、ウエイナー選手を抜いて、歴代単独2位に浮上することになります。そして、上記の6人のうち、3年目も200本以上打った選手となると、これもまた、ウエイナー選手とペスキー選手の2人しかいないそうです。イチロー選手には、この記録にも是非、挑戦して欲しいですね!(^^)
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/88189_mbok23.shtml
連続カキコ、ごめんなさい。m(__)m マリナーズのHPには、佐々木選手の立場から見た今日の試合の記事がアップされていました。なんだか、ちょっと頼りない雰囲気が伝わって来る記事になっています…。(…「ホームに投げるのは苦手」って、いったい…??(ーー;)) もし明日も出番が回ってきたら、しっかり頑張ってくださいね!^^;
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
カズ、エンゼルスのパーティーを延期させる
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020921&content_id=134728&vkey=news_sea&fext=.jsp
グラウンドで9回表の緊張感が高まっている頃、ビジター側のクラブハウスに届けられた何ケースものシャンパンは、栓をしたままの状態で氷で冷やされていた。
満員の観客(45,784人)がプレーオフ並みの大声援をおくる中、マリナーズのクローザー佐々木は、自分の持ち球を総動員して最後の3つのアウトを取ろうと必死になっていた。
しかし、過去16年間の惨めさから今やっと脱却しようとしているアナハイム・エンゼルスは、決して“諦める”という事をしなかった。彼らの頑張りは、マリナーズの球団史上最高のクローザーにとって、今日のセーブを当分忘れる事が出来ないほど印象深いものにしたのである。
全ての塁にエンゼルスの選手が立っている状態で打席に入ったMVP候補のギャレット・アンダーソンは、カウント2ー0から佐々木が投げた1球をレフト方向に打ち上げた。その球をレフトのギプソンが楽々捕球した瞬間に、試合はシアトルの6−4の勝利で終了した。
今日のセーブは、佐々木にとっては今季もっとも苦労したセーブの一つとなり、エンゼルスの1986年以来のプレーオフ進出を一時的にせよ、阻止する役目をも果たした。1986年のそのプレーオフでは、現在マリナーズの専属コメンテーターを務めているデーブ・ヘンダーソンが打ったホームランのせいで、アナハイムはワールドシリーズへ進む事が出来なかったのである。
ついでに言えば、今日の試合前の始球式で投げたのは、そのヘンダーソンだったのである。エンゼルスにとっては、なんとも縁起の悪いことではある。
一方のオークランドは、今日レンジャースに勝ったことで7試合を残してエンゼルスに2ゲーム差を付け、AL西地区優勝にさらに一歩近づいた。
5点あったアナハイムとの点差が2点に縮まった9回、マリナーズは佐々木に全てを託した。出て来るなり、彼は代打のアレックス・オチョアをいとも簡単にライト・イチローへのフライに打ち取った。
―しかし、その後は、カズは冷や汗をかきっぱなしになり、観客は席から立ち上がったままの状態になってしまった。
「僕が投げた相手は、皆がみな、ボールに喰らいついてきた。」と佐々木は言う。「最初から最後まで、戦うのを止めないんだ。それだからこそ、彼らは今のようなポジションにいるんだろうね。今の彼らを負かすのは、ほんとうに難しい。」
アダム・ケネディーがフルカウントから四球で歩くと、事態はもっと緊迫したものになった。
厄介な先頭打者デービッド・エクスタインは、ツーストライクからの球を5球続けてファウルにしたあと、10球目の球を叩いてレフトへの安打にした。
「あまりにも何球も続けてファールにするんで、とにかく早くフェアグランドに転がしてくれ、と思った。」と佐々木。
7回に先発のガルシアから2点本塁打を打ってマリナーズとの点差を2点に縮めたダリン・アーンスタッドが打った高く弾む打球は、マウンドと1塁の中間に飛んだ。佐々木はその球を掴むと、2塁へ強い球を投げて2アウト目をとった。
カズにとって、1塁へ投げる方がよっぽど楽だったはずだ。が、しかし、彼は二日前のレンジャーズ戦で、もっと簡単な本塁への送球をミスしてしまい、デービス捕手の数フィートも上に投げてしまっているのだ…。
「僕は、本塁に投げるのは苦手だけど、この距離ならもっと自信を持って投げられるんだ。(I have trouble throwing it home,but I have more confidence at that distance.)」と、カズは2塁への送球について言う。
佐々木は、ティム・サーモンに対して素早く2球ストライクを投げると、ボールを1球投げた。そして次に佐々木が投げたのは、佐々木自身も、ウィルソンも、ピネラも、そして45,000人ほどの観衆も―全員が試合を終わらせる三振だと確信した決め球だった。しかし、クリス・グッチオーネ球審はボールのコールをし、サーモンは結局四球で1塁へ歩いてしまった。
「あれは、いい球だった。それしか、僕は言うつもりはない。」とウィルソン。
「僕もいい球だと思った。でも、審判はあれをボールだと言った。」と佐々木は言う。「それからあとは、とにかく向かっていくしかなくなった。」
アンダーソンへの最初の2球で、カズは主導権を握る立場に立つ事が出来た。そして観客が再び立ち上がって応援する中、やっと最後の1球を投げたのだった。
「ストライクを2球投げたあとは、とにかくストライクゾーンを外して外角低めに投げる事に集中した。」と彼は言う。「彼らはずっと向かってきてたんで、しまいには、僕自身も向かって行こうと思うようになった。彼らには負けるわけにはいかなかった。だから戦った。(They kept battling and at the end,I wanted to battle back. I didn't want to have them battle more than me. So I battled.)」
(以下略)
今日の試合のESPNの記事です。エンゼルスは、やはり、完全に今日勝って、シャンパン掛けの大騒ぎをするつもりだったんですね。(ーー;) 明日に備えて、シャンパンは冷やしたまま、ロッカールームのビニールカバーも貼ったままらしいですゾ。ムム…。(-_-メ) お願いだから、明日も頑張ってくれ〜、マリナーズ!
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
マリナーズ、グロスのエラーを最大限に利用する
http://sports.espn.go.com/mlb/recap?gameId=220921112
トロイ・グロスの暴投が、アナハイムの祝勝パーティーを少なくとも1日遅らせる結果となった。グロスの失敗が5回裏の4失点とマリナーズの6―4の勝利につながり、一時的とは言え、エンゼルスの16年振りのプレーオフ進出を阻んだ。
「当然、決めるべきプレーだった。」とエンゼルスのマイク・ソーシア監督は言う。「相手に勝利をプレゼントしてしまった、とまでは言わないが、墓穴を掘ってしまった事は確かだね。」
エンゼルスのワイルドカード獲得へのマジックナンバーは依然として“1”のまま。エースのウオッシュバーン(18勝5敗)が先発する明日の試合で、エンゼルスは42年の球団史上4回目のプレーオフ進出を決めるつもりだ。
ビジター側のロッカールームには、土曜の夜には実現しなかったシャンパン・ファイト用のビニールカバーが、貼られたままになっている。今日の敗戦により、アナハイムと首位オークランドとのゲーム差は2ゲームにまで開いてしまった。
「プレーオフ進出がを決まるかもしれない試合に投げられるのは、楽しみだ。」とウオッシュバーンは言う。「でも、今日決まっていたほうが、断然良かった。だって、これでオークランドとの差がさらに1ゲーム開いてしまったわけだからね。ここにいる皆が欲しいのは、地区優勝なんだから―。」
昨年の地区チャンピオンのマリナーズは、今日勝利することによって、自分達がワイルドカード・レースから完全に排除される事態を防いだ。
エンゼルスがシアトルでプレーオフ進出を決める所を見たくはなかった、とウイルソン捕手は言う。
「自分達の球場で敵チームが大喜びする所なんて、絶対見たくないよ。」とウイルソン。
来週はオークランドもシアトルにやってくることになっているが、ピネラ監督もウイルソンと同意見だった。「アナハイムにしろオークランドにしろ、どこか他の場所で優勝なり何なりを決めてもらいたい。」
ガルシア(16勝10敗)は、7回にベンジー・モリーナとダリン・アーンスタッドにホームランを打たれはしたが、ブルペンの助けのお陰で勝利を手にすることができた。ローズ・ネルソン・佐々木と繋ぎ、佐々木が9回を無失点に抑えて36回目のセーブをものにした。(43回のセーブ機会のうち、7回は失敗。)佐々木は最後にギャレット・アンダーソンを打ち取って2死満塁の危機から脱し、試合を終わらせた。
5回まで0―1と負けていたマリナーズだったが、その回に新人投手ジョン・ラッキーから6点をもぎ取った。
マリナーズが2−1のリードを奪ったあと、2死満塁でジョン・オルルッドが打ったのは、3塁グロスへの平凡なゴロだった。しかし、2塁でのフォースアウトを狙ったグロスの送球はケネディー2塁手のグラブ先を大きく逸れて右翼端まで転がり、ウイルソン、イチロー、マルチネスのホームインを許してしまった。打ったオルルッドは3塁まで進んだ。
グロスは1塁に投げるべきだったのでは…?と訊かれたケネディーは、「どうプレーすべきだったかなんて、僕には分からないよ。」と切り返した。「僕自身も2塁に入るのが、ちょっと遅れてしまったしね。確かに送球はちょっとずれていたけど、別に、あれがウチの今年初の大きなエラーと言うわけじゃあるまいし…。“タラレバ”なんて、一日中言ってたって、何の役にも立ちゃしない。トロイが2塁に投げる選択をしたけど、うまくいかなかった―それだけの事だよ。」
ブーンがさらに安打で続き、1打点を追加した。
グロスからのコメントは、とれなかった。
そのエラーの前、満塁からのシリーロの犠牲フライでキャメロンが還って1−1の同点となり、スズキのシングルヒットでギーエンが還ってマリナーズに2点目が入っていた。
ガルシアは、7回を投げて8安打・4失点を許した。
(中略)
エンゼルスは、8回には2死1・2塁の得点チャンスを潰している。2塁にいたスコット・スピージオが盗塁を試みて飛び出してしまい、1−5−4−1という挟殺プレーの結果、アウトになってしまったのだ。
「スピージオは、下を見ながら走ってしまったのが失敗の元だった。」とソーシアは言う。「それじゃダメなんだ―視線は、いつでも投手に向けていなくてはいけない。」
(以上)
今日の試合後、マリナーズの公式HPに下記の記事がアップされました。ピネイロ投手に焦点を当てたこの記事は、残念ながら、実質的な終戦宣言のようですね…。エンゼルスは、あと1勝すればプレーオフ進出決定となります。マリナーズには、明日と明後日は絶対に勝ってもらって、少なくともエンゼルスがセーフコーでお祭り騒ぎを繰り広げるのだけは、なんとしてでも阻止して欲しいものです。(特に、明日のデーゲームは全米に放映されるようなので、尚更ですね…。(-_-;))
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
マリナーズ、地区チャンピオンの座を明け渡す
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020921&content_id=134080&vkey=news_sea&fext=.jsp
金曜の晩、マリナーズは正式に地区チャンピオンの座を明渡した。彼らがセーフコーでエンゼルスに1−8で負け、アスレチックスがレンジャースに勝ったために、彼らの統治(reign)は、終焉を迎えることとなった。あと8ゲームを残して、マリナーズは首位のアスレチックスから9ゲーム差に後退してしまったのである。
次に失うのは、ワイルドカードの権利だ。もし、アナハイムがあと1ゲーム勝つかマリナーズが1ゲーム負けるかすれば、1986年以来初のアナハイムのプレーオフ進出が決定する事になる。
「いい試合ではなかった。」と、45,663人の満員の観客の前で喫してしまった金曜日の惨敗を指してピネラは言う。「打てなかったし、ピッチングも良くなかったし、守備もまずかった。―実際のところ、今年最低の試合だったかもしれない。」
マリナーズのプレーオフへの進出がほぼ絶望的になったことは、1週間前からわかっていたことだった。しかし、現在チームで一番安定しているジョエル・ピネイロがエンゼルスとの3連戦の緒戦に投げるという事で、その避けられぬ運命も、少なくともあと1〜2日は先延ばしに出来るのでは…という期待があったのである。
しかし、チームの『最優秀投手』に選ばれたこの晩に、ピネイロは、彼にしては珍しい最低なピッチングを披露してしまった。
「球自体は悪くないと思ったんだけど、高目に浮いたのが全部打たれてしまった。」と彼は言う。「弁解の余地はない。今日はダメだった。」
ピネイロの今季の27回の先発登板中、1試合で3本もの本塁打を打たれたのは、今日がたったの2回目でしかない。先日のアスレチックス戦で6回を5安打3失点の好投で切り抜けたことを思えば、今日のようにエンゼルスに乱打されるとは、誰も予想出来なかった。
「あいつらは、ジョエルの低めの速球、真ん中高めの速球、そして最後にはスライダーもホームランにしてしまった。」とピネラは言う。「ジョエルは今日は調子が悪かったけど、今年はとてもよく投げてくれた。誰にでも調子の悪い日はある。彼は、一年を通して、非常に安定したピッチングでチームに貢献してくれた。」
(中略)
4回表、レラフォードがサーモンの何の変哲もないゴロをエラーすると、続くアンダーソンが今季27本目の本塁打を放った。そして、1死後にトロイ・グラウスが安打すると、今度はフルマーが2点本塁打を打ったのだった。
「アンダーソンに対しては、内角を突こうとした球が、ど真ん中に行ってしまった。」とピネイロは言う。「フルマーが打ったのは、高めに浮いてしまった球だった。なんだか知らないけど、今日はどうしても球が低目に行ってくれなかったんだ。オークランドで投げた時と今日との違いは、あの時は球を低目に集められたのに、今日は出来なかった―ということだけ。僕はそう思っている。」
試合前にブルペンで投球練習をする時まで、ピネイロは自分がチーム内の『最優秀投手』に選ばれたことを知らなかったんだそうだ。
「どうせなら、シーズン終了後まで教えてくれなければ良かったんだけどね。」と彼は笑いながら言う。「デジ(レラフォード)とも話したんだけど、2人で一致した意見は、協会は、オフシーズンになるまで待ってから賞を郵送してくれれば良かったのに―ってことだった。」(注:全米野球記者協会シアトル支部が、マリナーズ内の『MVP』にオルルッド選手、『最優秀投手』にピネイロ投手、『影のMVP』にレラフォード選手を選出したことが、今日発表されました。でも、受賞を知った途端に、ピネイロ投手は大乱調、レラフォード選手は2つも痛いエラーをしてしまったので、思わずこんな愚痴が出てしまったのでしょう…。^^; ちなみに、昨年の受賞者は、MVPがイチロー選手・ブーン選手の両名、最優秀投手がモイヤー投手、影のMVPがマクレモア選手だったと思います。)
ピネイロは、受賞は嬉しいと言いながらも、次のように付け加えた:「―でも、それよりも、今日勝って、ポストシーズンでもうあと何勝かするほうが、僕としてはずっと良かったんだけどね…。」
しかし、もうそれは叶わない。少なくとも、2002年中には―。
(以上)
今更ではありますが・・・今日の新聞各紙は、チーム状態に関するピネラ監督の“嘆き節”を取り上げています。ちょっと矛盾した発言もあったりして、ピネラ監督の落胆振りと苛立ちが伝わってきます…。(-_-;)
攻撃力不足がマリナーズを痛めつける
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134534722_msid13.html
過去の実績から推測すれば、マリナーズは今週末のオークランド戦での方がテキサス戦よりいい成績を残すかもしれない。
シアトルの“崩壊振り”を分析してみると、マリナーズは自分たちより下のチームに弱いことがわかる。オークランドやアナハイムのように、弱小チームを徹底的に叩き潰すということができないのだ。まるで、対戦相手のレベルに合わせるかのように、自分達のパフォーマンスのレベルまで上げたり下げたりしてしまうようなのだ。
エンゼルスとアスレチックスが大躍進を続ける中、どんどん後退していくマリナーズではあるが、「なにも、最近、急にこうなった、というわけではない。」とピネラは言う。「オールスター明け以来のウチの勝率は、5割を1ゲームしか上回っていないんだ。(実際は、現在、貯金無しの29勝29敗)」
その間、マリナーズは58試合中41試合を勝率5割以下のチームと対戦しているが、苦戦している。
いったい、なぜなのか?
それに対する最も一般的な答えは、“安定した攻撃力の欠如”ということになる。シアトルは絶対的な打撃力不足に悩みながらも、様々な理由から、それを補強する事が出来ないままきてしまった。
しかし、“チャンスに打てない”と散々言われているマリナーズではあるが、皮肉にもその得点圏打率は比較的安定しており、オールスター休み時点で.288であったものが、現在でも.285までしか落ちていない。一方、マリナーズの全体的チーム打率は、それより弱冠低く、オールスター時も今も.277で変わっていない。
マリナーズの得点圏打率が一定水準を保っているのは、4〜5試合に1試合、或いは何シリーズかに1回の割合で、爆発的な得点力を発揮する傾向があるからである。
ピネラ自身も、昨日の試合前までの数字では、マリナーズがチーム打率や出塁率ではリーグの上位に位置している事を指摘している。(チーム打率4位、出塁率.351で2位)
「ただ、長打力が下がっているんだ。本塁打数でも2塁打数でも、リーグ10位でしかない。」アメリカン・リーグで勝率5割を超えている6チームの中で、長打数(2塁打以上)ではシアトルが435本で最下位だ。(ボストン503本、ミネソタ501本、NY500本、オークランド476本、アナハイム469本)
「ウチは基本的に単打攻撃のチームだ。」とピネラは言う。「だが、そういう攻撃が上手く機能するためには、3割以上打っている選手が少なくとも6人はいなくてはならないのに、ウチにはそれがない。3割バッターが1人、2人…いや、3人いたとしても、それでは足りないんだ。」
攻撃力不足となれば、あとは点を“稼ぎ出す”しかない。「例えば、スクイーズバントなんかでね―。」と、ピネラは、昨日の試合でブーンが走塁ミスをして得点しそこなった後に、ホセ・オファーマンが試みて失敗したスクイーズを指して言う。「え…?なぜスクイーズをさせたのかって聞くのかい―?それは、いまのウチは、普通にやったって得点圏の走者を還せないからだよ。(注:マリナーズの今季の残塁数は、なんとリーグ1位の1,103…!)、だからこそ、賭けてみた。そして、失敗した。そういう(一かバチかの要素をはらんだ)プレーだからこそ、あのプレーには“自殺スクイーズ”(suicide squeeze)っていう名前がついているんだ。」
テキサス相手に2−3、3−4と負けた事で、1点差試合でのシアトルの成績は17勝23敗という惨めなものになってしまった。これは、タンパベイやカンサス・シティーと同じレベルで、オークランドの28勝11敗やアナハイムの28勝17敗には遠く及ばない。
「ウチは今、やるべきことがきちんと出来なくなっている。」と、ピネラは1点差試合を制する上で特に重要になってくる要素について語る。「まず、2塁ランナーを進塁させることができない。水曜の試合だけをみても、2回も失敗している。」
だからこそ、チャンスさえあれば攻撃的な作戦を取らざるを得なくなってくる、とピネラは言う。
「シーズン開始から最近まで、我々がずっと首位を維持できていた大きな理由のひとつは、ウチが他のどのチームよりも危険を冒した果敢なプレーをしていたからだ。別に、好きでそうしていたわけではない。そうしなくては勝てないからしていたに過ぎないんだ。―そして夕べのような失敗(スクィーズ)をしてしまうと、目立つだけに、つつかれてしまう。」
ヒット欠乏症に加えて、対戦相手もかつてのようにマリナーズに四球を与えなくなってしまった。
5つ以上の四球を得た時のマリナーズの成績は、31勝12敗なのだが、最近は、そういう試合が目に見えて減ってきているのだ。4月〜5月には、マリナーズは20試合で5つ以上の四球を得ており、それらの試合で16勝4敗を記録している。6月〜7月には、そういう試合は14試合あり、10勝4敗だった。だが、8月〜9月には投手力の弱いチームと対戦しているにもかかわらず、そういう試合は9試合しかなく、成績も5勝4敗である。
今や忘却のかなたに去ろうとしているカンサス・シティーでのスィープでは、3試合で得た四球は5個、6個、8個もあった。
そして、かつては球界に猛威を振るったマリナーズの“走る野球”も、今や影を潜めてしまっている。
マクレモアが故障中の今、マリナーズにはイチローとキャメロンの2人しか走れる選手がいない。「そして、イチローは以前ほどコンスタントに塁に出られなくなっているし、キャメロンに至っては、今年は一年を通してあまり出られていない。」とピネラは指摘する。
シーズン前半のシアトルは、盗塁で大きな成功を収めていた―88試合で84盗塁も記録している。それゆえに、後半戦に入ってからの相手投手は、こぞって“スライドステップ”(=クイックモーション)を使うようになり、足を高く上げなくなってしまった。オールスター以降のマリナーズの盗塁数は、58試合で41盗塁と、激減している。
普通、投手は、球威を損なうスライドステップをあまり使いたがらない。しかし、シアトル打線の不振が、相手チームにいつまでも安心してスライドステップを使い続けさせる結果となっている。
「私が得た教訓で最も大きなものは、盗塁では優勝はできないということだ。スライドステップや投球にかかる時間を短縮する工夫によって、あまりにも簡単に封じ込める事がでてしまうからだ。ゲームの様相がまるで変わってしまった。」
さらには、決定打が出にくい今のような状況では、ランナーを走らせる事で生じる余計なリスクを避けたい気持ちも働くようになった、とピネラは言う。
「ヒット・アンド・ランをかけても、フライを打ち上げてしまったり、あるいは三振してランナーを見殺しにしてしまう。打線が当たってさえいれば気にならない盗塁死も、今のような状況では、惜しくてしかたがなくなるんだ。」とピネラは言う。「たまには、スカッと外野にヒットを打って1点でも2点でも叩き出してくれたって、バチは当たらないと思うんだけど、どう思う…?そうすれば、こんなふうにここに座って君たちと状況分析なんかする必要もなくなるんだけどね。」
「私にとって一番楽なのは、何もしない事だ。そうすれば、結果論でいろいろ質問されたり、批難されたりする事もなくなるだろう。―でも、そういうわけにはいかない。私は今、試合に勝とうと努力している最中なんだからね。」
(以上)(-_-;)
将来の正捕手候補として高い期待を担ってサンディエゴ・パドレスから移籍してきたデービス捕手。シーズン前半は環境の変化に戸惑ったのか、打撃面でも投手のリード面でもイマイチでしたが、オールスター後はめきめきと調子を上げてきて、大事な場面で活躍する場面が目立ってきました。
そんなデービス捕手が、昨年シリング投手のノーヒッターをダメにして大騒ぎになった“あのバント”について、高校時代にバスケットボールでコビー・ブライアントと対戦した事について、春季キャンプ中に自動車事故で亡くなったサンディエゴ・パドレス時代の親友マイク・ダール選手について、また、ホームランを打った後の全力走の謎^^;等について、語っています。
**************
ベン・デービスと一問一答
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020905&content_id=121727&vkey=news_sea&fext=.jsp
●誰の助言でスイッチヒッターになったの? スイッチヒッターであることは、キャリアに役立っている?
親父の考えで、僕と弟(現在、エクスポス傘下に在籍中)2人とも、6〜7歳の頃からやっている。左右両側から打てるというのは、本当に有利だと思う。95マイルの速球と切れのいいカーブを投げる左腕投手なんかに対しては、左で打つより右で打ったほうが遥かに楽だもの。もし左でしか打てなかったら、左投手とは対戦したくないな。もともとは右利きだったんだけど、今では左右どちらかの方が強いという事はない。やってみても難しく感じて途中でやめてしまう子供も多いみたいだけど、幸いな事に僕の場合はうまくいって、お陰で今助かっている。
●9回裏、君のチームが0−1で負けていて、対戦投手はノーヒッターを投げている。さて、君が先頭打者だとして、どうする…?
塁に出るためなら、なんだってやる―バントも含めてね。だって、同点ランナーになるわけじゃないか。サンディエゴの時も、まさにそういう状況だったんだ。また同じ状況になったら、躊躇なく同じ事をすると思う。
あれは、0-1で負けているアリゾナ戦の8回で、カート(シリング)がノーヒッターに挑戦中だった。たいしていいバントでもなかったんだけど、相手も不意を突かれたらしくて、セーフになった。25本もホームランを打っているバッバ・トラメルが次の打者だったから、彼の一振りで勝てるかもしれなかったんだ。でも、シリングはバッバを歩かしてデーブ・マガダンと勝負する事を選んだ。結局、ウチは得点することが出来なくて試合に負けたけど、あのバントのことで大騒ぎをしたのは、(アリゾナの監督の)ボブ・ブレンリーだけだったよ。あのあと守備につくためにグランウンドに出て行ったら、ここでは言えないような罵詈雑言が飛んできた。なんであんな大騒ぎをするのか、僕にはさっぱりわからなかった。
そのイニングが終わってトニー・グインと話をした時に、ダイアモンドバックスがこんな酷いことを色々叫んでるんだけど―って言ったんだ。そうしたら、トニーは彼らについて“小気味のいい事”を言って、僕がバントをしたのは正しかった、って言ってくれた。試合後の廊下でブレンリーを見かけたけど、何も言ってこなかった。もし、彼が直接僕になんか言ってきてたら―たとえそれが、「あんなのはマイナーリーガーのすることだ!」とかいうような悪口だったとしても―僕はあの人をもっと尊敬できてたかもしれない…。でも、もう済んだ事だし、もうどうでもいいことだ。
●君のロッカーの上に掛かっている帽子掛だけど、メジャーで一番面白い帽子掛だよね? あれは一体、何?
9本枝の鹿の角でできた帽子掛けなんだ。昨年、故郷のペンシルバニアの山で僕が仕留めた。弓を使って獲物を撃ったのは、初めての経験だった。あんまり大きい鹿じゃなかったけど、自分の弓で仕留めた初めての牡鹿だったんで、帽子掛けにした。迷彩帽なんかを掛けておくんだ。
●高校の頃、君がバスケットをしていて、コビー・ブライアントとマッチアップしては毎回彼を封じ込めていた―って言う噂を聞いたんだけど、本当?
“毎回封じ込めていた”とまでは言わないけど、何年か続けて対戦したのは確かだよ。お互い違うリーグでプレーしていたんだけど、彼と対戦するのは楽しかった。きっとディビジョン1(注:大学の1部リーグ)へ行っていい選手になるだろうとは思ったけど、まさか、“あのNBAのコビー・ブライアント”になるとは、思ってもみなかったね。
お互いそれぞれのリーグのベストプレーヤーだったから、対戦するのは楽しみだった。僕の方が一年先輩だったけど、試合ではけっこう色々やりあったよ。ウチの高校と彼の高校の最初の2年間の対戦成績はよく覚えてないけど、僕が4年で彼が3年の時は、確かウチが2〜3点差で負けてしまった。(注:アメリカの高校は、4年制のところが多い。その場合、中学は2年。)痛い敗戦だったけど、あの時の試合のビデオは、まだウチにあるよ。4年の時の僕の一試合の平均得点は25点だったから、多分、彼はそれ以上だったと思う。僕は、シュートするのが好きでね。シューティングガードだったんだけど、その名に恥じない働きをしたよ。
大学でバスケットをする選択肢もあったけど、野球のプロ契約を結んだ時に、バスケットは完全に辞めてしまった。体がなまらないように、今でもたまにフルコートを使ってレイアップシュートの練習をしたり、スリーポイントラインのところからシュートしてみたりはするけどね。物凄く好きなスポーツだった。
●コビーが、身長7フィート以下の選手としては、21世紀初頭のベストプレーヤーになるだろうって事は、当時見ててすぐわかった?
いや、すぐにはわからなかったね。彼が高校1年の時は、1年生としては上手いヤツだと思ったし、2年の時は高校生としては凄いと思ったよ。僕が4年で彼が3年の時は、こいつ、きっとたいしたディビジョン1の選手になるんだろうなぁ、と思った覚えがある。で、僕が高校を卒業した最初の年、彼が4年生としてプレーしている試合を見に行ったことがあるんだけど、凄かったよ。ハーフコートから飛んでくるアリウープパスを次々決めてて、信じられなかった。「一年前は、こんな凄いプレーはしてなかったよなぁ…」って思いながら見てたんだ。そしたら次の年、NBAに行っちまった―。彼のプレーは見ててとても楽しい。
●春季キャンプ中に自動車事故で亡くなったマイク・ダール選手は君の親友で、彼の急死は大変なショックだったそうだね。そういう悲劇的な経験を乗り越えると言う意味で、君にとって今年の夏はどんなだったんだろうか…?(注:ダール選手はデービス選手のパドレス時代の親友。パドレスとマリナーズは、両チームともピオリアで春季キャンプを張っていたので、宿泊先も同じところだったそうで、ダール選手が事故死する直前にも話をしていたんだとか…。)
この夏にアナハイムで試合があったとき、彼の奥さんのナタリーに電話して、試合を見に来る気はないか?と聞いたら,まだ小さい子供たちを連れて球場に来てくれた。ナタリーたちはアナハイム・スタジアムから40分ぐらいの所に住んでいたんで、出来たら会って話をしたいと思ったんだ。彼女たちにとってはまだ辛い時期で、今年はまだ2回しか試合を観たことがないって言っていた。試合を観るのはまだ辛過ぎるんだそうだ。彼を思い出させるものがいろいろあるからね…。でも、僕の場合は、いつでも彼のことを思い出していたいから、毎日手首にテーピングをして、そのテープに『MD26』(ダール選手の頭文字と背番号)って書いている。それから、彼のベースボールカードと葬式の時のパンフレットをロッカーの上に飾っているんだ。だって、彼とはチームメートとして5年間も素晴らしい時を過ごしたし、親友だったからね。彼が居ないってのは、いまだにとても辛い…。
●タトゥーは、いくつしてるの?どれが一番大切なタトゥーなのかな…?
4つあって、どれにもそれぞれ特別な思い入れがある。でも、一番気に入っているのは、右腕の『クローバーの中に十字架』のタトゥーかな…? 僕は、アイルランド系のカソリック教徒なんでね。(注:クローバーは、アイルランド人とっては所縁の深い絵柄)一番最初に入れたヤツだから、特に気に入ってるのかもしれない。次は『コロッタの指輪』―これは、アイルランドの結婚のシンボルなんだ。指輪には両親のイニシャルが入ってる。(注:デービス選手は、まだ独身^^;)背中には『十字架』があって、一番新しいのは肩に入れた『3枚のトランプ』―それぞれに、“マイケル・カーチス・ダール”の頭文字の“MCD”を入れた。これ以上増やすかどうかは、今はわからない。ま、そのうち増やすかもしれないけどね。
●今年ナショナル・リーグからアメリカン・リーグに移ってきて、何が一番大変だった?
試合のペースが両リーグでは全く違うから、それにまず慣れなくちゃいけなかった。アメリカン・リーグの方がずっとペースが遅くて、打撃中心になっているような気がする。確かに、このリーグでもピッチングと守備のいいチームが強いんだけど、それでも全体的に見れば、やっぱり“3点本塁打で勝とう”というような試合運びが多いと思う。アメリカン・リーグでは、盗塁やヒット・アンド・ランはあまりやらないよね。ナショナル・リーグのパドレスにいた頃は、1イニングに少なくとも2回は、(ランナーを刺すために)2塁に投げていたような気がするんだけど、こっちのリーグでは、そういうことはないものね。
●ホームランを打った後、なぜ、あんなに大急ぎでホームまで帰ってくるの?
正直言って、僕はそんなに何本も打たないから、速く走って戻ってきちゃえば、ひょっとして相手も僕がホームラン打ったことに気付かなくて、次にもまたいい球をなげてくれるかも…なんて、潜在意識で思ってるのかもしれない。(注:ジョークです^^;) (わざとらしくゆっくり走って)相手投手を刺激したくもないしね。―実際の所は、多分、高校時代の習慣からきてるんだと思う。高校のグラウンドにはフェンスがなかったもんだから、ホームランになるためには、全力疾走してランニング・ホームランにしなくちゃならなかったんだ。4年の時には、僕、ホームラン6本と3塁打7本打ってるんだ―決して足の速いほうじゃなかったのにネ。
(以上)(^^)
今日、奇しくも同じような論調のイチロー選手に関する記事が、マリナーズ公式HPとシアトル・タイムスに同時にアップされました。どちらも、「イチローは現在スランプ中であり、マリナーズがポストシーズンに進むためには、彼の復活が不可欠である」と述べています。
イチロー選手の不調で気分が落ち込み加減の所へ来て、楽しい記事でもないので、紹介するつもりはなかったのですが、日本のマスコミがまたいつもの調子で大袈裟に伝えて徒に皆さんの不安を煽るかもしれない・・・と思ったので、思い直して紹介することにしました。でも、万が一、不快に思われる方がいらしたら、ゴメンナサイ。あらかじめ、お詫びいたします。m(__)m(…でも、イチロー選手の重要性を認めているわけで、そんなに悪い記事ではないとは思うんですけどネ。^^;)
**************
●マリナーズ公式HPより:【マリナーズは、“本物の”イチローを必要としている】
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20020904&content_id=121309&vkey=news_sea&fext=.jsp
イチロー・スズキは8年連続首位打者だったが、どうやら9年連続とはいかなくなってきたように見える。ミネソタ・ツインズに2−3で負けた今日の試合で、イチローは4打数1安打に終わり打率を.332に下げてしまった。
悪くはない数字だ。でもイチローらしい数字ではない。
昨年、打率.350を記録し、2年連続でオールスターに選ばれたイチローは、多くの人間が(アレックス・ロドリゲスもその1人)最も4割に近い現役打者と認めた選手である。
だが、今のマリナーズは、彼らの先頭打者がシーズン終了までの間にせめて3割を打ってくれれば、と思っている状態だ。というのも、最近の彼は、149打数37安打、打率.248しか打っておらず、盗塁もほとんどしていないからだ。
マリナーズがAL西地区で3位に後退し、ワイルドカード争いでもエンゼルスに遅れをとっていることの原因がイチローにあるとするのは、正確でも正当でもない。だが、彼がマリナーズの攻撃の起爆剤であるのは事実であり、シアトルがポストシーズンに進出するためには、イチローが彼自身の高い攻撃水準に戻ってくれることが重要なのである。
「最近のイチローは、随分フライを打っているね。」とピネラは言う。「そりゃ、リードオフマンが当たっていて、得点のお膳立てをしてくれるのは大切な事だ。とはいっても、打線には9人のも選手がいるわけだから、1人の選手の責任にすることなんてできはしないよ。」
原因がなんであれ、イチローは昨年のように、相手にとって破壊的な存在になっていない。昨年の彼は、56盗塁(AL1位、盗塁失敗14)と157得点を記録しているが、今年は23試合を残した現時点で27盗塁(AL5位、盗塁失敗12)、95得点(AL8位)しか挙げていない。ずっと首位に立っていた打率部門でも、バーニー・ウィリアムス(.341)とマイク・スィーニー(.340)に抜かれて3位になってしまった。
安打数では184本でいまだに首位を守っているイチローだが、自分のベストは尽くしている、とコメントしている。試合後に、2度目の首位打者獲得を重要な事と思っているかどうか訊かれたイチローの答えは、きっぱりとした「ノー。」だった。
いつもより多くフライを打ち上げている事に関しては、「自分ではそういう意識はない。」と答えている。
ペリー打撃コーチ曰く、「先日までのロードの連戦では、かなり良くバットが振れていたと思うんだが、残念ながら結果が伴わなかった。でも、ホームに帰ってきてからのイチローは、ボールを空中に打ち上げ過ぎている。」
―で、その理由は?
「いつものようには球の上部を叩けていないんだ。」とペリーは言う。「別に、空中に打とうと思って打っているわけではないと思う。まるでテニスの“サーブ”のように打とうとして、攻撃的なスイングが出来ていないように見えるんだ。でも、今日はいくつか良いスイングをしていたんで、私は心配はしていないけどね。ミネソタのある試合では、5回ボールを真芯で強く叩いてヒットを3本打ったことがあった。でも、ホームに戻ってきてからは、あれほど強くは叩けていない。今日の初回のセンター前ヒットのスィングは良かったし、8回にもまあまあいい具合に叩けていたとは思うけど。」
「―いずれにしても、イチローだけが問題なのではない。チームとして、とにかく残塁が多すぎるんだ。」
イチローとは対照的に数週間前から当たりが戻っているブーンは、イチローは間違いなくまた調子を取りもどすと思う、と言う。「イチロー自身の基準から言えば、今は調子を落としているんだろうけど、これから先は重要な戦力になるよ。絶対調子を上げてくる。それに、誰か特定の選手の調子が悪くて心配、ということはない。チーム全体が、打たなくちゃいけない時に打ててないんだ。投手の調子のいい時にたまたま当たるっていうことがあるけど、最近のウチは、連続してそういうのに当たっちまってるんだ。」
2本のソロ・ホームランで2点しか得点できなかったことから見れば、今日のマリナーズも、そういう“調子のいい投手”に当たってしまったのだろう。
「リック(リード)は良く投げたけど、ジェイミーだって良かった。」とブーンは言う。「ジェイミーは、勝つチャンスを与えてくれていたのに、我々打撃陣が役目を果たせなかったんだ。終盤で2点までは返したけど、届かなかった。でも、この2年間で、うちのチームが“届かなかった”ことなんて、そんなにはないよ。」
なんとかして得点を挙げ、安定して勝ち星を積み上げていく方法を見つけない限り、これからの3週間でマリナーズの今シーズンは終わりになってしまう。
今季のマリナーズは、接戦で痛い目に遭っている。昨年は、1点差の試合で26勝12敗だったのが、今年は、17勝21敗に落ちている。アスレチックスが何試合連続で勝とうが関係ない―この数字こそが、マリナーズが今現在首位ではなく3位で且つワイルドカード争いでもエンゼルスの3ゲーム半も下にいる理由なのだ。
さて、これから、今シーズン最も重要なロードの連戦が始まる:カンサス・シティーで3試合、テキサスで4試合、そしてオークランドで3試合だ。
「今回のロードがすごく重要なのは、間違いない。」とブーンは言う。「単に“いい結果”では足りない―“素晴らしい結果”を挙げなくてはならないんだ。」
ピネラ曰く、「これからの試合は、全て極めて重要だ。シーズン最後の1週間から10日間に可能性を残すためには、これからの試合は貴重で無駄にする事など出来ない。」
「とにかく、打たなくちゃ始まらない。打たなきゃ、(ポストシーズンに行けずに)さっさと家に帰る羽目になってしまうんだ。そして、打ちさえすれば、チャンスは残る。―これ以上明白な事はないよ。」 (以上)
●シアトル・タイムスより:【マリナーズが繁栄するためには“昔どおりの”イチローが必要】
― ブレイン・ニューナム ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134529334_blai05.html
外野に落ちるくっきりとした影、上空をフワフワと漂う雲、そして西の空に低く位置する太陽・・・目に映る景色は、まさに9月のペナントレースの背景そのものだ。
―だが、何かが違った。
もしかすると、それは昨年の116勝の後遺症に過ぎないのかもしれないし、もつれた労使交渉が我々に残した不安感のせいかもしれない。
だが、より真実に近いのは、“マリナーズの得点力不足とそれから派生する無力感のせい”―と言う答えだろう。昨日の試合では、その“無力感”がマリナーズのダッグアウトからじわじわと流れ出て、しまいには44,580人の満員の観客で埋まった球場全体までを覆ってしまったように感じられた。
観客たちは何時間もかけて、アナハイム・エンゼルスが容赦なくタンパベイ・デビルレイズを追い越していく過程をスコアボードで確認しながら、目の前のマリナーズが9イニングかけて2塁までしか走者を進められない状況を見つめていなくてはならなかった。2―3で負けたその試合でマリナーズが挙げた得点と言えば、2本のソロホームランだけだった。
一体、何が悪いのだろうか…?まず、トップから検証してみよう。
打率は.332あるとはいえ、イチローは今、スランプ中だ。マリナーズがやること全てのきっかけを作り、中心人物になり、仕上屋でもあったかつてのクルクル回り続けるコマのようなイチローではなくなってしまっているのだ。
最近の149打席で、昨年のALMVPは、.248しか打っていない。そして、今日の試合の初回のように、たとえヒットを打って塁に出たとしても、そこから先はどこへも進めないのだ。
マリナーズの“足で稼ぐ野球”は、今や全く機能していない。マクレモアが故障で少なくとも10日間は不在になる間、チームで走れるレギュラーの選手と言えば、イチローとキャメロンしかいない。
よく「1塁へは盗塁できない」と言うが、今のイチローとキャメロンは、2塁へも3塁へも盗塁できていない。イチローの今季の盗塁は27で、昨年の半分に過ぎない。
「相手ピッチャー達が、こぞって何百回も牽制するわ、マウンドは外すわ、クイックを使うわで―」とキャメロンは首を振りながら言う。「盗塁が凄くしずらくなっているんだ。走れるのは、僕とイチローだけだしね。こうなりゃ、ウチができることと言えば、ボールを打ちまくるしかないんだよ。」
マリナーズは、打席でも集団的スランプに陥っている。
イチロー、キャメロン、ブーン、マルチネス4人の打率をまとめて見ると、なんと昨年より130ポイントも下がっているのである。
「僕は、まだ楽観視しているけどね。」とマルチネスは言う。「ピッチングはいいし、守備もいい。毎日、勝つチャンスはあるのに、そのチャンスを物に出来ていないだけなんだ。」
廊下の向こう側の部屋で、ピネラがこう言っていた:「我々は、なんとしても打たなきゃダメなんだ。打たなきゃ、早い段階で家に帰る羽目になる。」
昨年、全てはイチローから始まった。打率.350と盗塁56を記録し、ジャッキー・ロビンソン以来、初めて両カテゴリーのタイトルを取る選手となった。
「最近の彼は、あまり良くバットが振れていないようだ。空中に飛ぶ打球が多すぎるような気がする。」とピネラは言う。「彼に得点のお膳立てをしてもらう必要があるのに、ここしばらくは当たっていない。」
敵の内野手たちも、イチローが打席に立っても、昨年ほどの脅威は感じていないようだ。昨年は、内野手が打球を上手く捌こうが捌くまいがに関係なく、必ずと言って良いほど1塁でセーフになったものだった。
以前までのイチローは、重心を後に残して空中に打球を飛ばす事もできれば、ゴロを打ちながら1塁へ走り出す事も出来た。最近の彼は前者の方が目立ち、後者が減ったように思える。
「僕自身は、意識してない。」最近、フライが多いように思えるが…と訊かれたイチローは、通訳を通してこう答えた。
一年前の彼は、7月にたった.268しか打たなかったが、8月には.429と盛り返した。日本でも米国でも、レギュラーとしてプレーするようになってから、イチローは.342を下回った事はない。
米国で2年連続の首位打者を獲る事に興味があるかどうかを訊かれたイチローの答えは、「ノー。」だった。
敗戦にイライラする事はあっても、自分ができる以上のことをやろうとしているよう事はないと言う。
「僕は新人じゃあない。」とイチローは言う。「力以上のことはできないし、しやしないよ。」
走塁に精彩を欠いている事に関しては、「盗塁するためには、走るチャンスをつかむことが必要。今現在は、相手チームが僕を警戒しすぎている。」
イチローやキャメロンが塁に出ると、相手投手はフル・モーションでは投げずに、いわゆる“スライド・ステップ”(日本で言うところの“クイック・モーション”)を多用して、早い投球を心がける。
「皆が、ウチの“走る戦法”の対処法を編み出してしまったんだ。」とピネラは言う。「もう、ウンザリするほど、スライド・ステップを使ってくる。投球に掛かる時間が2秒以下だと、盗塁しても2回に1回は2塁で刺されてしまう。」
そうやって短縮された投球モーションから投げられる球の球速は、普通は遅くなるものだ。「足を上げずに投げた球は、それだけ打ちやすいはず。」とピネラは言う。「とにかく、やらなきゃダメなんだ。」
イチローの成績は、決して悪いわけではない。彼は、依然として、打率・安打・三塁打・盗塁・マルチヒット試合の各分野において、ALのトップ5の中に名を連ねている。
しかし、彼は用心深くなってしまったように見え、以前のようなマリナーズの起爆剤でも、リーグのベスト・プレーヤーでもなくなってしまっている。これからの1ヶ月が、彼がそうであること(=起爆剤とベスト・プレーヤーであること)を再び証明してくれるかもしれない。 (以上)
抜群の守備力を誇り、野球に対する情熱を絶えず全身から発しているようなギプソン選手ですが、なぜかチームでの立場は、いつまでたったも「25番目の選手」でしかありません。かねがねこのことを不思議に思っていたのですが、もしかすると、下記の記事にあるようなことも、影響しているのかもしれませんね…。(-_-;)
’95にはストライキ代替選手だったギプソン、今は選手会側に立つ
― カービー・アーノルド ―
http://www.heraldnet.com/Stories/02/8/18/15763492.cfm
当時は、それが正しい事のように思えたのだ。
一度はプロ選手を諦めて、消防士になるつもりだったドラフト63巡目指名選手のギプソン―。メジャーリーガーになるためなら、どんな道でも選ぶつもりだった。
しかし、7年半前に下したその決断が、こんなにも長い間、暗い影を落として自分を苦しめ続けることになろうとは、チャールス・ギプソンは想像だにしていなかったに違いない。
1994年8月、メジャーの選手達はストライキに突入した。当時マリナーズ傘下でマイナー生活3年目だったギプソンは、スト破りの代替選手として1995年の春季キャンプに参加することを選択した。
―そして現在もメジャーに残っている他の20〜30人ほどの代替選手同様、彼は、いまだに自分を単なる“スト破り”(scab)としか見ない連中から向けられる冷たい視線を、感じ続けている。
先週の金曜日に選手会が8月30日にスト予定日を設定したことを発表した時、ギプソンはあまりそのことについては話したがらなかった。ただ、それによって「古傷が再び開くような事はない」ということだけは、はっきりと口にした。
「そんな事は、絶対無いよ。だって、あの頃の僕は、なにがどうなっているのかさっぱりわかっていなかったんだもの。」と彼は言う。「誰も何も教えてくれなかったんだ。あの頃の僕が放り込まれた状況は、今のそれとは全く違う。」
選手会は、いまだにギプソンの入会を許さないし、当時同じく代替選手だったヤンキースのシェーン・スペンサー、ブレーブスのケリー・ライテンバーグ、ダイアモンドバックスのダミアン・ミラー等も入会できないでいる。
「入会のための努力はしたよ。」とギプソンは言う。「そのうちに向こうが入れてやってもいいと思うようになったら、何らかの連絡が来るはずだ。」
一時は選手会の選手達から“裏切り者”として冷遇されていたギプソンだが、今は選手会側に立っている事を断言している。
今回の選手会の主張を全面的に支持しているギプソンだが、選手会に入っていないことで、年間3万ドルのMLB許認可収入(licensing revenue)はもらえない。だが、メジャーの選手としての他のほとんどの恩恵(45万ドルのメジャー給与、健康保険、年金、etc.)は受ける事が出来ている。
「今回の労使問題は、他の選手同様、僕にとっても大きな問題だ。」とギプソンはいう。「僕の置かれている状況なんて、関係ない。ベースボールが中断されるのは見たくないし、その気持ちは、皆、同じだと思う。ただ、何かを達成するためには、やらなくてはならないこともある、ということなんだ。交渉に関する情報は、絶えず入手するようにしている。でも、実際問題としては、僕にはどうしようもない。できることといえば、選手仲間たちを精神的にサポートして、自分が彼らの味方である事を知ってもらうことだけ。そうやって、そのうちいつか選手会の気が変わるのを、じっと待っているしかないんだ。」
(以上)
下記は、不振を理由に先発を外されたキャメロン選手の短いインタビュー記事です。先日のシリーロ選手ほどではないものの、やはりつらそうですね…。こうしてみると、強気と強烈な自虐的ユーモアのセンスを保ったまま、なんとか強引にスランプを切り抜けてしまったブーン選手というのは、精神的にかなりタフだったんだなあ…と、あらためて感心している次第です。
ピネラ、キャメロンを休ませる
― ボブ・シャーウィン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/134516104_mside18.html
「時々、400ポンドもの球を、たった一人で転がしているような気がする。」とキャメロンは言う。
もしかすると、ピネラ監督もそのように思ったのかもしれない。だからこそ、思い遣りと戦術面の両方から、キャメロンをベンチに下げたのだろう。少し休む事で、打撃不振から抜け出すきっかけをつかめるのでは、と期待されているのだ。デトロイトでの4連戦までは、多分プレーしないはずだ。
キャメロンは、現在21打数無安打。最近の95打席でも21安打しか打っておらず、三振の数だけは、球団記録を更新しそうな勢いで増え続けている。ファンにはブーイングされ、マスコミには槍玉に挙げられている。
「最近、色んなことを人に言われるけど、僕は負けはしないよ。僕には3人の子供がいるけど、僕が今後2度とヒットを打たなくったって、彼等は気にもしないはずだから。」とキャメロンは言う。「彼らが気にしているのは、僕がいつ家に帰って来れるのか、ということだけさ。」
「野球もここまでやっていれば、たとえ深刻なスランプに見舞われても、自分自身を精神的限界点まで追い込んでしまうという事はない。―でも、つらい事は確かだ。今の僕は、まるで輪ゴムが伸び切ってしまっているような状態なんだと思う。」
キャメロンの現在の三振の数は134で、このペースで行けば176まで行ってしまう。球団の三振記録は、1997年にジェイ・ビューナーが記録した175。その年のビューナーの成績は、40本塁打、102打点、打率.242だった。キャメロンは今、19本塁打(シーズン終了時予測は25)と62打点(シーズン終了時予測は82)を挙げているが、打率は.218しかない。だが、キャメロンは他の面でチームに貢献している。盗塁は23個決めているし、守備面では他の誰にも引けを取らない。
「わかっているのは、“自分がチームに必要とされている”ということだけ。そうでなければ、もうとっくの昔に外されていたはずだから―。」とキャメロンは言う。「前向きな気持ちを持ち続けるようにして、踏ん張るしかないんだと思う。答えが見つかるまで、諦めるつもりはない。」
キャメロンは、先発から外された事実を受け容れているし、理由も理解できると言う。「ちょっとの間だけ休んだほうがいいんだ。そこから何かいい結果が生まれるといいと思っている。今まで死に物狂いでやってみたけど、ダメだった。今度は、何かが違ってくるかもしれない。」
5月2日のホワイトソックス戦―大リーグタイ記録となる1試合4本塁打も打ってしまったあの試合から、キャメロンにとって、“何かが違ってきて”しまったのは確かだ。あれ以来、彼は.202しか打っていない。シーズン最初の27試合では9本塁打、16打点も挙げていたにも関わらず、最近の97試合では10本塁打、46打点しか挙げていない。
「今年は、ありとあらゆることを経験してきた。9打席連続出塁も、1試合4本塁打も、1試合8打点も―。でも、今は21打席無安打中なんだ。」とキャメロンは言う。
色んな原因がとりざたされてきた。最初の頃は、視力が問題なのでは―ということで、コンタクトが試された。その次は“選球眼が悪い”と言われ、“ストライクゾーンでの打撃が消極的過ぎる”とも言われた。あらゆる方面からアドバイスが飛んできた。
金曜の試合前にキャメロンと話したピネラは、今のスランプから抜けるのには、バットのほんの一振りしか必要ないかもしれないし、一試合、あるいは1〜2週間かかることもあるかもしれない―と言った。が、いずれにしても、この休養期間が終わるまでは、それを確かめてみる事は出来ないのだ…。
「とにかく、今まで自分がやってきたことは、効果がなかった。」とキャメロンは言う。「―でも、だからと言って、努力する事をやめるつもりはない。答えが見つかるまでは、止めはしない。たとえ来年の1月までかかったとしても、絶対、みつけてみせる。」
(以上)
下記は、ESPNのコラムニスト、ジェイソン・スターク氏が、今回の“スト開始期日設定”をQ&A方式で説明しようと試みた記事です。かなり問題を単純化して楽観的に描いていますし、どちらかと言うと選手よりの書き方になっています。(長かったので、要約と抄訳をごちゃ混ぜにしたようなものになってしまいました…。m(__)m)
http://espn.go.com/mlb/columns/stark_jayson/1418650.html
●なぜ選手会はスト開始期日など設定したのか―?
簡単な答え⇒彼等は、“ストをしたくてスト開始期日を設定したのではなく、ストをしたくないからスト開始期日を設定した”、という考え方―つまり、明確な期日を設定する事によって、より真剣な交渉を促そうとしたから。
より複雑な答え…⇒オーナー側に月曜から4日間の猶予を与えたにも関わらず、なんの進展も見られなかったから。セリグ・コミショナーは否定しているが、月曜の会議に出席した選手達は、“スト開始期日設定を見送れば、なんらかの大幅譲歩が2〜3日中にオーナー側からあるやもしれぬ”と言う印象をセリグ氏の発言から感じたのでそのようにした、と言っているらしい。しかし、全く何も起こらなかったらしい。
●月曜日にはかなり楽観的な雰囲気だったのに、どうしたというのか―?
“月曜以前が悲観的過ぎて、月曜以降は楽観的過ぎた”―というのが実際の所かもしれない。だが長い目で見れば、両者の間には少なくとも話し合いの枠組みが出来ている分だけ、まだ楽観的な要素は残っていると思ってもいいだろう。
●「球団の給与総額に対する課徴金制度」(=「贅沢税」)で、両者の言い分はどれくらい離れているのか―?
争点は、(1)ある球団の給与総額が“一定額”を越えた際に何パーセント課徴するか、ということと、(2)その“一定額”をいくらにするか、の2点。
オーナー側の主張⇒ 球団の給与総額が1億200万ドルを超えた場合、50%の贅沢税を徴収する。(現在では、7球団がこれに引っ掛かる)
選手会側の主張⇒ 基準とする給与総額を1億3000万ドルとし(これだと、現状ではヤンキーズしか引っ掛からない)、税率はより低くし、年度やチームによって変動するものとする。
選手会は、限度額も税率も交渉可能としてはいるものの、もともとこの制度には反対だっただけに、オーナー側の主張しているものよりも柔軟な制度でなくては応じられない、という態度をとっている。
●選手会は、これまでにこの「課徴金制度」問題でなんらかの譲歩はしてきたのか―?
見方によっては、より多く譲歩してきたのは選手会の方だと言えなくもない。最初は全面的に反対していたのだが、その後、条件次第では受け容れてもいいというふうに変わって来て、数回にわたって「限度額」を下げてきた。(当初は1億4千万ドルだったのが、現在は1億3千万ドル)
片やオーナー側は、当初9,800万ドルだったものを僅かだけ上げて1億ドルにし、水曜日にまた上げはしたものの、1億200万ドルにしただけ。
オーナー側の提案はいずれの場合も7球団に影響を及ぼし、選手会側のは当初はヤンキーズのみ、そしてその後は場合によっては他に1〜2球団が該当するかもしれない、というものに。従って、その中間に妥協点を見つけなくてはならないのは、明らか。
●それ以外にも、合意の障害となる大きな争点はあるのか―?
多分、ないと思われる。レベニュー・シェアリング(所得分配制)の金額でも一致を見てはいないが、もし課徴金制度で合意に漕ぎ付けられるなら、これぐらいはたいした問題にはならないはず。
ステロイド検査の件でも、まだ相違点はあるが、過去2週間でかなり近づいてきている。
世界ドラフトに関しては、複雑な問題が多すぎるので、どのみち今回の話し合いからは切り離して、後で別に論議される可能性が高いと思われる。
●双方の結束力は―?
選手会は1994年当時ほど戦闘的ではないが、その結束力はオーナー側より明らかに上。
以前は、オーナー側は“小規模市場組”と“大規模市場組”に分かれていただけだが、今回はもっと分散している→“小規模市場組”、“中規模市場組”、“大規模市場組”と“ヤンキース”と言う具合。
また、(1)“タカ派”が6球団ほど、(2)“どんな状況においてもスト・ロックアウトは避けたい”という球団が多数、そして(3)“現在の提案どおりに所得分配金と課徴金を取られたら、球団として成り立ない”と心配する球団が何球団か・・・と言う具合に分けることもできる。
●最後に・・・実際にストに突入する確率は―?
この一週間、なんの進展も見られなかったとはいえ、我々は(ESPNは)、8年前に比べればスト回避の可能性は高いと見ている。
1994年の場合、スト2週間前の両者間の溝はあまりにも広すぎて、成功の可能性は全くなかった。しかし、今回の雰囲気はその時に比べれば、ずっといい。意見の相違はあるとは言え、お互いに合意の可能性は視野に入っていると思われるし、ストライキによって被るであろう壊滅的なダメージをなんとかして回避しなくてはいけない、というプレッシャーは、双方を期日の8月30日以前への合意へと急がせるはずだ。
今回は、他にもプレッシャーがいろいろある:この前のストライキが残したもの、「9月11日」が落とす暗く強力な影、各球団が既に持っていると言われる多額の累積赤字、そして、万が一ワールドシリーズがまたもやキャンセルされた場合にFOXテレビが請求するであろう5億ドル以上の違約金…。
最終的には、今回の騒動の成り行きに最も大きな影響力を及ぼす事になるのは、他の誰でもない、セリグ・コミッショナー自身になるはずだ。彼が自ら交渉の場に赴き、タカ派をなだめつつ、オーナー側が求めてきたものの全てをある程度実現させるような妥協案を成立させるべきだ。
今は、欲の皮を突っ張らせて実現不能な契約に固執している場合ではない。ベースボールは、自らの問題解決能力を発揮して、ベースボールの“醜い部分”ではなく“美しさ”を世間にアピールしなくてはならない。今から8月30日の間に、関係者全員がそのような見方に立ってくれることを願っている。(要約、抄訳終わり)
★参考データ:過去のスト・ロックアウト★
1972年 ストライキ 13日間(年金制度について)
1973 ロックアウト 12 (年俸調停制度)
1976 ロックアウト 17 (フリーエージェント制)
1980 ストライキ 8 (〃)
1981 ストライキ 50 (〃)
1985 ストライキ 2 (年俸調停制)
1990 ロックアウト 32 (年俸調停制、サラリーキャップ制)
1994 ストライキ 232 (サラリーキャップ制、収入分配制)
http://espn.go.com/mlb/news/2002/0816/1418791.html
下記は、数日前のTribnet.comに載ったオルルッド選手の記事です。前半はほのぼのと可笑しく、後半はしんみりとしてしまう、1篇のショートストーリーのような記事です。(…オルルッド選手のお子さんについては、以前にご紹介した『重い荷を背負って』という記事にも詳しく出てきますので、よろしければ参照してみてください…。)
オルルッド
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/story/1546425p-1663387c.html
オルルッドについて何か悪く言おうと思っても、せいぜいこんな事ぐらいしか言う事がない―“彼は、好きな物を、好きな時に、好きなだけ食べても、全く太らないヘンな男だ。”
「新陳代謝の仕組みが、なんかおかしいんだろうね。」と彼は言い、ニッコリ笑う。
オルルッドが笑うのは、彼の大食いは、シアトル・マリナーズのクラブハウス内では、伝説になろうかというほど有名だからだ。
「口数の少ない男だけど、食べる事にかけては、確かに凄い。」とノーム・チャールトンは言う。「喋る方に関しては、春季キャンプでロッカーが隣同士だった事があるんだけど、彼相手だと『ハロー』って言うだけでも、長い会話の部類に入っちまうんだ。」
そう、彼は静かな男だ。月曜日現在で33歳。マイナーの経験が1日もなく、1989年にワシントン州立大学から直接トロントに入団した。その時のトロントのGMはパット・ギリックだ。それ以降、オルルッドは首位打者も獲り、1,665試合に出場して通算打率.299、通算安打1,887本を記録している。
―ま、今はその話は置いといて、とりあえず「食べ物」のことだけ考えてみよう。例えば、“夜中でもステーキ”とか、“一日中お菓子をポリポリ”とか、“まるでブッフェで食べっぱなしのような毎日の生活”、とか―。
ボビー・バレンタインは、オルルッドがニューヨーク・メッツにいた頃の監督だ。オルルッドと食べ物の事は彼もよく覚えていると言う。
「ホテルから球場に向かうチームバスに乗る時にサンドイッチか何か食べていて、球場に着くと着替えてからまた何か食べるんだ。」と、バレンタインは言う。「打撃練習後に、またまたスナックかなんか食べて、試合後にはクラブハウスで用意される夕食を皆と一緒に食べる。そしてホテルへ帰るバスに乗る時には、いつでも何か食べながら乗り込んでくる―という具合さ。」
それなのに、絶対に太らない。
6フィート5インチ(195cm )、220ポンド(99kg )のオルルッドは、そのことがとても嬉しいらしい。というのも、家族と野球の次にオルルッドが大好きなのは、スターバックス・コーヒーと食べ物だからだ。食べ物は、ほとんど何でもいいらしい。彼は、いつでもどこでもポケットコンピューターを持ち歩いていて、世界中どこにいても、最寄のスターバックスの場所を検索する事ができるのだそうだ。
なんと便利なことだろう。
また、彼の頭の中には、いろんな重要な情報が詰まっている―例えば、遠征先の各球場での“美味しい食べ物情報”などだ。
ほら、試してみるといい。なんか球場名を言ってみてごらん。
―じゃ、クリーブランド。
「手でつまんで食べる食物(finger food)が、美味しい。バナナ・ブレッドとか、クッキーとか。でも、確かに美味しいんだけど、そういうのって、あんまりたくさんは食べられないんだよね。」とオルルッドは言う。「ほんとだよ。」
―カンサス・シティー。
「あそこには、大きなSlurpee(フローズン・ドリンクの銘柄)の自販機があって、暑い時には最高だ。ま、カンサス・シティーは、いつでも暑いんだけどね。」
―オークランド。
「ホットドッグの自販機とピザ。ホットドッグはあまり美味くないし、ピザも並以下。あそこへは、腹が減った状態では行きたくないな。他で食べた方がいい。」
―アナハイム。
「あそこの玉葱とチーズ入りのチリは、凄く美味しいよ。」
―デトロイト。
「あそこは、注文に応じてサンドイッチを作ってくれるんだけど、なかなかいけるんだ。」
―ボルチモア。
「あそこにはグリルがあって、スパイシー・クラブ(=蟹)が注文できる。選手何人かで一緒に注文するんだけど、いけるよ。」
ニューヨークには、イタリアンのケータリング(=出張料理)があるし、トロントには、素晴らしいチキン・クラブ・サンドイッチがある。タンパベイ(オルルッドのお気に入り)では、キューバ式サンドイッチを試合前に食べる。
「お菓子も大好きだ。」と彼は認める。「アイスクリームとかね。時々、無性にミルクとドーナッツが食べたくなることもある。」
こんなふうに、何を食べても大丈夫なんだというのをあまり言うと、(ダイエット中の人達から)嫌がらせの手紙が届く危険があることも、オルルッドは知っている。だから、普段はなるべく食べ物の話はしないようにしているのである。・・・まあ、でも、“話さない”というのは、“大喰らい”と並んでオルルッドのトレードマークの一つになっているので、喋らないようにするのは、別に苦痛でもなんでもない。
昔、ブルージェイズにいた頃、球団がスター選手たちの個性にスポットライトを当てたコマーシャルを作った事があったのだが、オルルッドのを作るのには、かなり苦労したようだった。さんざん悩んだ挙句、最終的な作品は、こんな具合になった:アナウンサーがオルルッドに向かって、”来シーズンからはもっと社交的になるつもりがあるのかどうか”を、長々と時間をかけて質問する。それに対するオルルッドの答えはひとこと、「イエス。」台詞は、それだけだった。
オルルッドは、今までに3つのチームで計6回もポスト・シーズンを経験しているし、ブルージェイズに在籍中には、2度のワールドシリーズ優勝も果たしている。高校時代に憧れていた女の子と結婚することもできた。(―ただし、そこまで漕ぎ付けるのに、何年もかかってはしまったが…。)
お金は使い切れないほどある。家族には愛され、チームメート達には慕われ、カロリーの心配なく好きなだけ食べる事のできる体質の持ち主でもある。
”恵まれている”と思わなくてはならない事ばかりだ。
そして、オルルッドは、自分が、もう少しでこれらのどれも経験することなく終わっていたかもしれない…という事も、よくわかっている。
1989年の1月11日、オルルッドは朝の練習中に倒れた。当時のオルルッドは、ワシントン州立大学に通う20歳の学生で、前年度に打率.464を記録し、投手としても15勝0敗という成績をおさめた野球部の選手だった。
「それまでは、薬も飲んだ事がなかったし、体に悪い事も一切したことがなかったので、なんとなく、あと50年や60年は生きられるだろう…と勝手に思っていたんだ。」とオルルッドは言う。
「スポケーンの病院に運ばれたんだけど、父に『シアトルに来て精密検査を受けたほうがいい』って言われたんだ。自分では、よくある親の過剰反応にすぎないと思ったんだけど、仕方ないので言う通りにした。でも不満だった。なんでもない一過性のことだ、自分に悪い事がおこるわけがない、って思ってたんだ。」
医者であるジョン・オルルッド・シニアーの懸念は、正しかった。精密検査の結果、オルルッドの脳に動脈瘤(aneurysm)が見つかったのである。
「時限爆弾を抱えているようなものだった。」と彼は言う。「手術をしなければ、いつどこで破裂するかもわからず、もし破裂すれば、それで終わりだった。」
「今でも、時々、あの時の事を思い出す。別に、くよくよと考え込んだりはしない。でも、僕は野球でキャリアも築けたし、結婚もしたし、子供も授かった。素晴らしい事だと思う。とても有難い事だと思っている。」
―動脈瘤は、あなたの人生を変えたのだろうか…?
オルルッドは、その質問に微笑む。
「あのあと、僕は自分の人生を大きく変えようと決心した。もっと外向的になろう、いいなと思う女の子に出合ったらちゃんとデートに誘おう、ってね。」と彼は言う。
「変われたかって―?いや、全くダメだった。ああしなきゃ、こうしなきゃって、色々自分に言い聞かせたんだけど、ほとんど何も変わらなかった。」
―それに、本人が気付いていなかっただけで、彼はその時、既に恋に落ちていたのである…。
「ケリーのことは、高校時代から知っていた。バレーボールの選手だった。ワシントン州立大学に進学していた僕のところへ、学校見学に訪れた彼女が会いに来たんだけど、『こんな寒い所は、初めて。』と言われてしまった。」とオルルッドは言う。「結局、彼女は、アリゾナ州立大学へ進学した。」
「僕が彼女にアピールできる事と言えば、“高校が一緒だった”ってことだけ。かなり心もとないアプローチの仕方だった。大学同士の対抗試合があると、“同窓生のよしみ”ということで、彼女に会った。僕には、それが精一杯だったんだ。」
ロマンスは何年間も続いた。
「ようやく彼女にプロポーズしたのは、1991年、トロントでのことだった。僕は何事もゆっくりなんだけど、あの時は、あれでも自分のいつものペースよりは無理して速く動いたつもりだったんだ。」
1998年には、長男のギャレットが生まれた。彼は今や悪戯盛りの3歳半で、一族で1番バッティングが上手いのは自分だと思っている。ジョンが1999年の冬にフリーエジェントとしてマリナーズと契約したあと、夫婦は第2子をもうける事にした。
2000年の8月に、長女ジョーダンが生まれた。彼女の誕生は、ふたりの人生を永久に変えてしまった…。
「ジョーダンには、生まれつきの染色体異常―染色体の一部欠損と一部重複があった。医者達が国内のデータベースに照会して、彼女と同じようなケースを探そうとしたんだ。」とオルルッドは言う。
「でも、一例もみつからなかった。彼女は、全く類のない子だった。」
ジョーダンは、授乳ができなかった。チューブを通してミルクを与えても、すぐに戻したり、逆流したものが肺に入ってしまったりした。母親が退院した後も、彼女は病院に残った。
「ケリーは家と病院の間を往ったり来たりして、ジョーダンの様子を見、ギャレットの世話をした。僕は2〜3日はいたけど、すぐにボストンにいるチームに合流しなくてはならなかった。」とオルルッドは言う。
「ジョーダンにあれだけの合併症があって、妻は僕を必要としていたはずだ。なのに、僕は彼女を置いて行ってしまった。お互いの両親がシアトルにいたのは、本当に幸運で有難かったけど、それでも僕が側にいてやれなかった事には変わりはない。」
「この業界の常だけど、彼女の方が、ずっと辛い役目を引き受ける羽目になってしまった。」
それからほぼ2年。その間には、様々な異常、手術、病院や検査があり、夫婦はジョーダンがこれからもずっと“類のない子”であり続けるであろう、という事実と絶えず向き合いながら生きてきた。しかし、彼女は今は家にいる。
「ジョーダンは、自分で寝返りを打つ事が出来ない。這い這いもしない。支えて立たせれば、その姿勢を保つ事はできる。」とオルルッドは言う。
「でも、彼女の視力がどれくらいあるのかが、はっきりわからないんだ。側へ行って抱き上げても、時々、僕たちがわからないみたいな時がある。視線が通り過ぎて行ってしまって、何の反応もないんだ。」
ジョーダンの話をしながら、オルルッドは微笑む。
「生活の全てが変わった。ケリーが出かけようと思うと、ただオシメバッグさえ下げていけばいい、というわけにはいかない。」と彼は言う。「ジョーダンが食事で問題があった時のために、いろんな器具を持ち歩かなくてはならないんだ。」
「理学療法、診察、そして毎日飲ませなくてはならない薬なんかもある。かなり、大変だよ。」
「僕達の1番最初の反応は、多分、他の人たちと同じだったと思う。『なぜ…?なぜ、普通の生活が出来ないのに、彼女は生まれてきたんだろう…?』 答えは出ない。―でも、たとえ答えがあったとしても、きっと僕には理解できないと思う…。」
オルルッド夫妻は敬虔なクリスチャンで、神が2人にジョーダンを授けたのには、何か理由があるに違いないと、ジョンは信じている。
「病院で医者がジョーダンの体に点滴の針を入れる間、彼女を抱いていた事があるんだ。片方の腕に入れようとしたけど、入らない。もう一方の腕に入れようとする。それもダメで、次は足…。」とオルルッドは言う。
「僕の腕の中のジョーダンが、『なぜ、お父さんは、こんな酷いことをさせとくの…?』というような表情で僕を見上げていた。僕は彼女に答えてやりたかった。でも、たとえ答えても、彼女には理解できないだろうということに気付いた…。」
「彼女は、僕を信頼するしかない。僕たちと神との関係も、同じなんだと思う。たとえ理解できなくても、信じるしかない。そして、たとえ神が説明してくれたとしても、僕達は理解できないかもしれないんだ。」
「僕達の人生プランでは、子供たちは健康であるはずだった。でも、神の考えは違った。」
今日、オルルッドはトロントで試合をする。この町で、彼はメジャーでのキャリアを始めた。マリナーズとの契約の最後の年である今年、彼は安定した活躍を見せており、打率.301、本塁打18本、打点70を記録している。
彼は、好きな物を好きなだけ食べ、トロントのメディア相手に短いインタビューをいくつかこなすだろう。でも、きっといつも通り、ほとんど何も言わないに違いない。
「僕のインタビューは、あまり面白くないと思う。」と彼は認める。
もし、誰かが家族の様子を訊いたとしても、オルルッドは「元気だよ。」と言うだけで、詳しいことは何も言わないだろう。―だが、彼は別に、はぐらかしているわけではない。
それは、彼の信念なのだ。動脈瘤の手術からの生還を果たした彼は、プロになってからもトレードと2回のフリーエージェント宣言を経験しながら13年近くもメジャーで生き延びて来た。このままマリナーズに残留したいと思ってはいるが、こればかりは自分の意志だけでは決められない事も彼にはわかっている。
彼は、まだ来年の事についてマリナーズと話してはいない。仕事でも私生活でも、オルルドはずっと忙し過ぎたのだ。
オルルッドについて何か悪く言おうと思っても、何でも食べてしまう男だ、ということぐらいしかない。
では、1番いいことは…?
オルルッドは微笑んで、肩をすくめる。
「全てうまくいっている。」と彼は自分の人生について言う。「刺激的なことなんて、別になにもない―。」
(以上)