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[31901へのレス] Re: AL Outstanding Player 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/11/05(Fri) 15:30
マリナーズ公式HPにも、イチロー選手受賞を称える記事がアップされました〜。イチロー選手、おめでとうございます!(^○^)



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   イチロー、シーズンオフになっても大活躍:選手仲間からAL最優秀選手に選ばれる
     ― ジム・ストリート、MLBcom.、11/4 ―
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20041104&content_id=910060&vkey=news_sea&fext=.jsp



マリナーズの右翼手イチロー・スズキが打ち砕いた年間最多安打記録は、球界の同僚たちにも強い印象を残したようだ。

ジョージ・シスラーが84年もの間守り続けた記録を破ったイチローは、木曜日に「AL Outstanding Player in 2004」(2004年度アメリカン・リーグ最優秀選手賞)に選ばれた。彼が「Players Choice Awards」(選手が選ぶ各種優秀賞)を獲得したのは、「AL Outstanding Rookie in 2001」」(2001年度アメリカン・リーグ最優秀新人賞)に次いで2回目のことである。

メジャーリーグ初の日本人野手スーパースターとなったイチローは、今季、打率.372で2回目の首位打者タイトルを獲得した。また、球界最古の記録の1つであった最多安打記録打破を目指したシーズン終盤の激しい追い上げは、世界中のベースボールファンの注目を集めた。

1塁手として後に殿堂入りを果たしたシスラーは、1920年に年間257本のヒットを打ったが、彼の樹立したこの最多安打記録に3本差以内に近づく選手は、今年に入るまでは一人も現れなかった。しかし、5月に安打大量生産モードに入ったイチローは、9月までそのハイペースを崩す事なく打ち続け、10月1日には、長年並ぶもののなかったこの記録についに追いついた。

イチローは、今シーズンを年間262安打とプロになってから3番目となる高打率で終えた。日本のオリックス・ブルーウェーブ時代には、1994年に打率.384を記録して自身初の首位打者タイトルに輝き、2000年には打率.387で日本での7回目且つ最後の首位打者タイトルを手にしている。

彼は、メジャーに来てからも好きなように安打を量産し続け、この4年間のメジャーでの通算打率を.338としている。

またイチローは、年間2回以上50安打月を記録したメジャー史上初の選手にもなった…5月には50本、7月には51本、そして8月には56本の安打を打っている。

(中略…他の受賞選手達の紹介)

今回選ばれた各部門の受賞者たちは、選手会基金からの寄付金(2万ドル〜5万ドル)の受け取り先として、それぞれの好みの非営利団体を指定できる事になっている。選手会は、国内外の各種慈善事業に対する金銭的・非金銭的寄付活動を日頃から行っており、選手たちに対しても、そういう活動に興味を持って積極的に従事する事を奨励している。

「The Players Choice Awards」は、全メジャー選手が参加する匿名投票によって決定されたもので、その投票・集計作業は、KPMG会計監査法人の監督のもとで行われた。今年の選手間投票は、9月15〜16日の期間に行われた。各賞受賞者は、2005年シーズン中の試合前に行われる授賞式で、それぞれ記念トロフィーを贈呈される事になっている。(以上)

[31687] 新監督についてのシアトルタイムスの記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/10/23(Sat) 15:57
昨日は一日中留守にしていたもので、ちょっとタイミングを外してしまった感もありますが^^;、以下は、シアトルタイムス、スティーブ・ケリー記者のハーグローブ新監督就任会見についての記事です。下のほうのスレッドでFunfunさんが紹介してくださっているシアトルポストの記事と被るところも多いのですが、まあ、いろんなバージョンがあっても悪くないか…などとムリヤリ理由をこじつけて、お届けすることにします。どうか悪しからず。(^^;ゞ


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   ハーグローブには、マリナーズを立て直せるだけの実績がある
        ― スティーブ・ケリー、シアトル・タイムス、10/21 ―
  
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2002068479_kell21.html



まるで3塁ベースコーチのバント・サインを盗み読んだ敵将の如く、昨日の記者会見でのマイク・ハーグローブは、次に何がくるのか、すっかりわかっていた。

彼は、“その質問”も、それを訊かれた年も、そしてそれに対して自分がなんと答えたのかも全て覚えていた…。

時は1998年、MLBオールスター・チームの一員として日本を訪問中に、オリックス・ブルーウェーブの外野手でイチロー・スズキと言う選手について質問されたのだ。

「いい外野手だとは思うよ」とハーグローブは当時サンケイ・シンブンに答えている。「肩も平均以上だしね。メジャーへ来たがってるんだって…?まあ、あっちでレギュラーになるのは無理だろうな。」

そう…あれから6年もの歳月が過ぎ、イチローはその間に924本ものヒットをメジャーで打ったわけだが、ハーグローブは当時の自分の言葉をはっきりと覚えている。そして、今回、その全てを撤回した。

「…あの時の事情を説明しようか?」とハーグローブはゆったりとした口調で語る。「あのオールスター・ツアーでの日本での滞在は、本当に楽しかった。皆、凄くいい人たちばかりだったし、非常に熱心な野球ファンでもあったしね。…ただ、彼らは毎日毎日、何千回も訊くわけだよ…日本の選手達がメジャーで通用すると思うか、ってね。で、その日は、そういうのにもうウンザリしきっていたところへ、誰かが問題の質問をしたんだ。で、『いや、無理だと思う―』って答えてしまった、ってわけだ。…まあ、私だって、たまには間違うってことだよ。」

「イチローは、メジャー史上でも最高の選手の1人だ」とハーグローブは言う。「皆、彼の打撃のことばかり言うが、彼の肩も球界で屈指の強さを誇る代物だ。オールラウンドの完璧な選手だよ。彼について、ひとつだけ私が驚いたのは、その頑丈さだ…大きな選手でもないし、あれだけ出ずっぱりなのにね。彼は、ずっとキープすべき選手だ。」

そういうハーグローブ自身もそうだろう。

1991年に彼が初めてクリーブランドの監督に就任した時、インディアンスは若い再建中のチームだった。ハーグローブは、そのチームが上昇する間、ずっと指揮をとっていた。

彼は、1990年代が輩出した才能豊かな若い選手達の中でも屈指のグループ…ジム・トーミ、サンディー・アロマー・ジュニアー、マニー・ラミレス、カルロス・バエルガ、そして神経質で興奮しやすいアルバート・ベル…をアメリカンリーグのどん底からトップへと導いた。

彼は、優秀な“若い子達”を1995年のワールドシリーズへ連れて行き、1997年には、オーレル・ハーシャイザー、デービッド・ジャスティスやマット・ウィリアムスらの加わったより経験豊富なチームを連れて、再度ワールドシリーズの舞台へと戻って行った。

ハーグローブは、(誰もが匙を投げた)アルバート・ベルとコミュニケーションをとる方法を見つけ、頑固なエディー・マーレーをも上手く使いこなした。彼は、クラブハウス内の様々なタイプの選手達ともうまくやった。インディアンスは、5年連続でAL中部地区の首位に立った。

ハーグローブには、前任者のボブ・メルビンには欠けていた“実績”というものがある。そして、こういう実績と言うのは、選手たちには大きな影響力を持つものだ。彼らは、ワールドシリーズへチームを連れて行ったことのある監督の言う事は、よく聞く。過去の重みと言うものに、彼らも納得するのだ。

ハーグローブなら、マリナーズのベテラン選手達とも堂々と渡り合う事ができるだろう。それは、メルビンには出来なかったことでもある。

「私の仕事の腕は、かなりいいほうだと思うよ―」と彼は言う。

アメリカンリーグは、伝統的に「ホームラン礼賛主義」の監督が多いが、彼はそうではない。ハーグローブは機動力野球が好きだ。ヒット・エンド・ランもする。盗塁もする。犠牲バントもするしスクィーズ・バントもする。確率を重視した定石野球の信奉者でもある。

彼が監督したクリーブランドのチームは、スピード(ケニー・ロフトン、オーマー・ビスケール)とパワー(ベル、マーレー、ラミレス、トーミ)のバランスが完璧に取れたチームだった。

しかし、どんな監督でも、与えられた戦力以上のことはできない。クリーブランドの次に行ったボルチモアでは、全盛期を過ぎたロートル連中と衰退したファーム組織を抱えて、ハーグローブのオリオールズは、4年間に通算で97試合も5割を下回ってしまった。2003年シーズン後にボルチモアを去ったハーグローブは、監督業はもういい…とまで思うようになっていた。

「戦力の質が、必要なレベルにまで達していなかったんだ」と彼は言う。「そんな状態の中で、最後の36試合中32試合も落としてしまうと、はたして監督なんて自分はしたいんだろうか…と自分自身に問い掛けるまでになってしまうんだ。」

来週には55歳の誕生日を迎えるハーグローブだが、1年間ダッグアウトから離れてみて、自らの中にある監督業に対する情熱を再発見したのだと言う。 そうやってシアトルに来た彼に対して、マリナーズの首脳陣は、勝利に必要なことはなんでもすると言明したのだそうだ。

「私は、今まで、自分の意見をはっきり言ったり、自らの信念を明らかにすることを躊躇したりした事は一度もなかった。」と彼は言う。「ここでも、今まで通りのやりかたでやっていけるものと思っている。ビル・バベージと私は、もう既に2,3回、腹を割った話し合いをしており、そのことは非常に良かったと思っている。 チームに不足しているものがあったり、何らかの措置をとる必要があると思ったときは、何でもビルに伝える事にする。」

どうやら、マリナーズの首脳陣は、模範的な答えばかりをハーグローブに聞かせたようだ…。ということは、彼は、アナハイムのトロイ・グロースのようなパワーヒッターや、エリック・ミルトンのようなFA投手を獲ってもらえるはずだと思っているに違いない。2001年の予想外の大成功以来、この球団が使った事もないような大金を使ってもらえるものと、ハーグローブは信じているに違いないのだ…。

「我々は、できるだけ早くやり遂げたいと思っている」とハーグローブは言う。「知ってのとおり、私は1979年から1985年には、クリーブランドで選手としてプレーしていた。そしてその7年間には、多分、8個ぐらいの“5年計画”が生まれては消えていた気がする…。“5年計画”とか、“3年計画”とか、“2年計画”とか…そんなものを設定した時点で、既に自分たち自身に足枷をはめているようなものなんだ。将来を見据えながらも、とにかくできるだけ早くポストシーズンに進出できるように努力する―それこそが正しいやり方だと、私は思っている。それが1年でできるかって…?それはわからない…もしかしたら、できるかもしれない。2年かかるかも?そうかもしれない。じゃあ、5年はどうかと言えば、それはないと思う。もし、そんなにかかるようじゃ、私はもうここにはいないだろうからね。」

昨日、マリナーズは、この大切なオフシーズンに向けた第1歩を、まずは力強く踏み出した。今、彼らの手元にあるもの…それは、しっかりした監督と、ずっとキープすべき右翼手と、これからやらなくてはならない沢山の仕事なのである。

                                 (以上)

[31394] イチロー選手の記録に対するボンズ選手のコメント 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/10/12(Tue) 15:52
あちこちの日本語のサイトでも一部が引用されていたと思いますが、MLBcomに連載されていたボンズ選手の「日記」より、イチロー選手の記録達成についてのコメントが載った回を全文お届けします…。(^^)

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    ボンズ:「イチローは、ローズの通算安打記録をも抜けたかもしれない」
         ― 「バリー・ボンズの日記」、MLBcom、10/2より―

http://sanfrancisco.giants.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/news/mlb_perspectives.jsp?ymd=20041002&content_id=879229&vkey=perspectives&fext=.jsp


年間安打記録に対してイチローがやったこと…あれは凄かった。もし、彼があれだけ長い事日本でプレーしてないで、もっと早くこっちへ来ていたら、ピート・ローズの(通算安打)記録はかなり危うかったと思うね…。僕は、心底そう思っている。

ピートの通算安打記録って何本だったっけ…?24年のキャリアで4,256本か…。イチローは4年で912本(原文ママ)。イチローがピートの記録に近づくのは到底無理だし、それはすごく残念なことでもある。日本のプロ野球は、優秀な選手達をもっと早くメジャーに来させるべきだと思うね。今の向こうの制度では、10年間プレーしてからじゃないと、完全に自由なFAにはなれないからね。それが規則だし、今の現実だ。おかげで、ピートの記録は安泰…ってわけだ。

でも、イチローの年間最多安打記録っていうのは、他のどんな記録にも勝るとも劣らない記録だと思う。なんと言っても、彼は…何年だったっけ?…84年間も破られる事のなかった記録を破ったんだからね。マジでとんでもない事だとは思わないかい?シーズンが終わる頃には、きっと、260本以上は打っているんじゃないのかな。

僕の年間本塁打記録73本(2001年達成)に比べたって、全く遜色ないと思うし、他のどんな年間記録と比べたってそうだ。ある記録の方が他の記録より達成するのが難しいなんてことは、絶対にない。どんな記録だって、他より優れているなんてことはないんだ。僕がこの記録を作ったのは、1998年にマーク・マグワイアが70本打ってからすぐのことだった。ベーブ・ルースが60本打ったのが1927年。ロジャー・マリスが61本打ったのが1961年。そして、そのあとが、37年後のマークだ。それらは、どれもが偉業だった。僕の73本と同じにね。

でも、ジョージ・シスラーの257本っていうのは、1920年に打ち立てられた記録だ。そして、それ以降は、誰もそれを抜く事は出来なかった…金曜日にイチローが破るまではね。

普通、年間記録と通算記録とは分けて考える。なぜなら、通算記録というのは、より長い期間にわたって安定したパフォーマンスを維持し続けた事の証しだからだ。―でも、イチローがこっちへ来てからの短期間であれだけ凄いことを成し遂げたのを見ると、通算記録が彼には無理だと言うのは、本当に勿体無いことだと思う。

僕は、メジャーリーグ・オールスターの一員として4、5回、日本でプレーしたことがある。2年前の時はイチローも一緒のチームだったので、間近で彼の勤勉な練習振りを見ることが出来た。この何年間かで、日本の野球のレベルは明らかに向上している。10年前には、今のような優れた野手はいなかった。今は、イチローやマツイ(ヒデキ)のような、メジャーでも十分以上にやれる選手達がいる。彼らは、メジャーにやってきては、その足跡を残している。

今回の年間安打新記録は、そのことを雄弁に物語っていると思う。イチローは、自分が世界でも最も優れた選手の一人である事を、きっちり証明してみせたんだ。
                            

(追記:「バリー・ボンズ日記」は、MLBcomのバリー・M・ブルームによる聞き書きであり、barrybonds.com.にも同時掲載されている。)

   (以上)

[31392] イチロー選手の記録達成の日の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/10/12(Tue) 15:24
…とんでもなく遅れ馳せながら、イチロー選手が新記録を達成した翌日のシアトル・タイムスからフィニガン記者の記事をお届けします…。^^;;; これだけ時間がたってしまったのに、今更アップしても…という気もかなりしたのですが、大事な日の記録ですので、やはり過去ログに残しておくべきであろう…と思い直してアップする事にしました。

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イチローとエドガー、それぞれが8−3の勝利に貢献する
      ― ボブ・フィニガン、シアトル・タイムス、10/2 ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2002052116_mari02.html



今後、今日のようなファン感謝デーは、ここでも、他の場所でも、もう2度とないであろうことは、ほぼ確実だ。

近郊で火山が噴火したり(注:セント・へレンズ火山の噴火を指す)、ライトスタンドの切れ目から月が一時的にその姿を覗かしたりしただけでは物足りないとでも言うように、そこにはイチローがいた。

機に応じて立ち上がったイチローは、新記録を打ち立てることによってこの試合を唯一無二のものにし、忠実なマリナーズファン達が今宵だけでも惨めなシーズンを忘れられるようにしたのである。

しかも、その記録は単なる普通の記録などではなかった。それは、ベースボール界でも最も古い部類に入るがゆえに今まで見過ごされてきた、最もピュアと言ってもいいような記録だったのである。

8−3でレンジャースに勝った今日の試合で、イチローは257本目と258本目となる単打を打ち、1920年にジョージ・シスラーが打ち立てた最多安打記録に並びさらに抜き去った。これによって、日々激しさを増しつつあった記録挑戦のチェースに終止符が打たれた。

その後の6回には、記録は更に259本まで伸び、これは同時に、「シーズン最多単打記録」となる222本目の単打でもあった。その回のイチローは、今季36回目の盗塁にも成功し、今日二つ目の得点も記録した。

今日の彼の最初のヒット(テキサスのハンク・ブレイロック3塁手の頭上を大きくバウンドして越えた当たり)は、4年間で通算919本目のヒットとなり、ビル・テリーがこれまで持っていた4年間の合計安打記録(1929〜1932)をも抜き去った。

「とてもホッとした。肩の荷が下りた感じだ。」とイチローは言う。「ファンやチームメート達があれだけ喜んでくれた事が凄く嬉しくて、特別な気持ちになった。僕のこれまでのキャリアの中では間違いなく最高の瞬間だった。」 

3回に出た2本目のヒットは、典型的なイチロー・スィングから繰り出された2塁左側への強いゴロだった。そのヒットをきっかけに火がついたシアトルの攻撃は、球団タイ記録となる7連続安打でその回に6点をたたき出して勝利を決定的にした。

しかも、その勝利はただの勝利ではなかった。今日の勝利によって、あと2試合残して97敗となったマリナーズは、今シーズンの負け数を3ケタの大台に乗せる恐れがなくなったのである。

「ヒットが欲しい状況で打席に送るなら、彼以上の適任者はいない」とマリナーズのボブ・メルビン監督はチームのリードオフマンについて言う。「なんといっても、彼はベースボール史上でも最高のヒット量産者なんだからね。」

イチローがその偉業を達成して1塁に立つと、テキサスのマーク・テシェラ1塁手がグラブをはめた手で軽くポンとイチローを叩き、大声援を送る45,573人の満員の観客とともに、彼を正式に祝福する最初の人間となった。

メルビンを先頭にダッグアウトから出て来きたチームメート達は、1塁上に群がって、かわるがわる彼らのヒーローを抱きしめた。

「皆が出て来たのを見て、彼はなんと言ったらいいのか、わからないみたいだった」とメルビンは言う。「だから、『おめでとう。君は、これまで誰も出来なかった事を、たった今、成し遂げたんだよ』って彼に言ったんだ。」

その場の喧騒が1段落ついたところで(観客のスタンディング・オーベーションは、さらに5分あまりも続いた)1塁後方の観客席に歩み寄ったイチローは、そこにいたジョージ・シスラーの81歳の娘のフランセス・シスラー・ドロークルマンとシスラーの3人の孫達、そして曾孫1人と、握手や短い祝福の言葉を交わした。

「時間も余りなかったし、言葉の問題もあったので(たいしたことは言えなかったが)…」とイチローは言う。「わざわざシアトルまで来てくれた事に対する御礼を言ったんだ。」

ダッグアウトに戻ったオールスター選手の様子は、それまでとは違っていた…とメルビンは言う。

「グランドから下がってきた彼は、今まで見たこともないほど興奮していた」とメルビンは言う。「チームの全員が祝福に出て行ったことに、とても感動したようだった。彼があんなふうに上ずっているのは初めて見た。彼が自分の成し遂げた事を誇らしく思っていることは、一目瞭然だった。」

…ところで、この晩に“転落”したのは、なにも古い記録だけではなかった。このめでたい騒動の直前には、セーフコー中の心臓と多分日本中の心臓をもドッキリとさせた事件がおこったのだ。

さすがのイチローでも、集中力は失わなくても“足場”を失う事はあるのだ…ということを証明してしまったのである。

3回表にレンジャースのケン・ハッカビーが打ち上げた大きなファールフライを追ったイチローは、興奮しきった球場の雰囲気に乗せられたのか、捕球の可能性がほとんどないにもかかわらず、ファール線沿いの30インチの低い壁に飛び乗ってしまったのだ。

足元を滑らせたイチローは、背中を激しく壁に打ちつけた挙句に左側に転げ落ち、グランドのウォーニングトラック部分に尻から落ちる結果となった。

「ベンチに座っていたんだが、彼が落ちるのが目に入った瞬間、『なんてこった…!冗談じゃないぞ…!』と思わずベンチから飛び出してしまったよ」とメルビンは言う。「ま、あれが彼のプレースタイルなんだけどね…。まるで、体操選手のような男だ。」

たいしたことではなかったんだ…とイチローはジョーク交じりに語る。

「…でも、たとえ骨が折れていたとしても、そのまま打席に立つつもりだったけどね」と彼は言う。

その1件と1回表のテシェラの2点本塁打を除けば、その晩はまさにシアトルのファンのための夜となった。

10月にしては穏やかで気持ちのいい気候のその晩、今季最後の登板を好ピッチングで締めくくる事となったロン・ビローンと3人のリリーフ投手らは、テキサス打線を見事に抑えきった。

しかし、誰もイチローを抑えることは出来なかった。「オークランドでは、(タイ記録にするために)もう1本打ちたくて仕方なかった。でも、今日のことを経験してみて、あそこで打たなくて本当によかったと思っている。今だからこそ言える事だけどね…」とイチローは言う。

イチローだけでなく、最近なにかと“イチロー風”になりつつあるマリナーズ打線をも押さえ込むことが出来なかったテキサスの投手陣は、この試合で18本の安打(なんと、そのうちの17本は単打)を許す結果となった。

1回裏には、イチローの高くバウンドしたヒットを含めて3本のヒットをテキサスの先発投手ライアン・ドリースからもぎ取ったマリナーズだったが、点に繋げる事は出来なかった。

しかし、イチローの258本目の安打で始まった3回裏には、全てがうまく繋がった。ただし、“噴火”の規模としては、それはセントヘレンズ火山には及ばなかったかもしれない。実際、それは、まさに“イチロー式”と呼んでもいいような攻撃で、6本の単打と外野の隙間を抜いた1本の2塁打とで構成されていた。今日3安打のランディー・ウィンがライト前安打を放ってランナー1塁3塁とすると、そこからは、なんと6人のシアトルの打者が連続してそれぞれ1打点づつ挙げたのである。

エドガー・マルチネスのライト前ヒットで生還したイチローは、彼にとって今年100点目となる得点をも記録することとなった。

その回の攻撃がようやく終了したとき、マリナーズは計6点を叩きだしていた。そこから先の試合は、完全にイチローのものとなった。タイ記録及び新記録となった2本のヒットから始まって、ヒット性の当たりがランス・ニックスに惜しくも好捕されてしまった3回裏の最後のアウトから、その晩3回目のスタンディングオーベーションを受けられるようにメルビンが交代させた9回表ツーアウトの瞬間にいたるまで、全てはイチローのためにあった。

打撃のなんたるかを知り抜いている男の1人、マリナーズのポール・モリター打撃コーチが、次のようにまとめてくれた:「我々は、まだイチローの最高のパフォーマンスを見ていないのではないか…とすら私は思っている。」

この発言をどう思うか訊かれたイチローは、即答を避けた。

「その質問に対する答えは―」とイチローは言う、「今後、僕が自分自身で見つけたいと思っている。」

                            (以上)

[31135へのレス] メルビン監督の解任…. 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/10/05(Tue) 17:03
とり急ぎ、マリナーズ公式HPに載った、メルビン監督解任に関する記事を全文ご紹介します。今後、より詳しい記事・情報が出た場合には、また追記する事にします。

(各種記事を通してしか知ることのなかったメルビン監督ですが、それらの記事から得た私の個人的な印象は、非常に思慮深くて誠実な人物である…というものだったので、こういう形でチームを去らざるをえなくなったことは、残念で仕方ありません…。とは言え、来季の巻き返しを見据えてチーム全体を覆いつくした沈滞しきった雰囲気を一掃するためには、こういった措置が必要な事も充分理解できるだけに、なおさらやりきれない思いで一杯になった次第です…。)(ノ_・。)


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         マリナーズ、メルビンを解任する
         ― ジム・ストリート、MLBcom.、10/4 ―
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20041004&content_id=882629&vkey=news_sea&fext=.jsp



月曜の朝、初めてのメジャー・リーグ監督職から解任されたボブ・メルビンは、その決断を下した同じ人物によって、他球団の同じ役職に推薦された。

「素人の目から見れば、私のやっていることは理解しがたいかもしれない―」とビル・バベージGMはセーフコーでの記者会見で語った。「確かに、私は彼を解任したばかりで他のチームに推薦したし、先方も彼と話すことになっている。だが、ベースボールというおかしな世界では、こういうことも普通にありえることなんだ。というのも、彼は次からは絶対に上手くやるに違いないからね。」

バベージが話した相手というのは、今季半ばでボブ・ブレンリー監督を解雇したダイアモンドバックスなのかもしれない。ルー・ピネラの後任として2003年にシアトルに来る前のメルビンは、ダイアモンドバックスのベンチコーチを務めており、住まいもアリゾナ州フェニックスにある。アリゾナのジョー・ガラジオラ・ジュニアーGMは、メルビン及び他の新監督候補についてコメントすることをを拒否している。

2003年のマリナーズは、シーズンの大半をAL西地区の首位で過ごして93勝も挙げながら、シーズン終盤のスランプのためにプレーオフ進出を逃がした。2004年シーズンも開幕から5連敗し、そこから一度も立ち直る事がないままに、63勝99敗で最下位という成績でシーズンを終えた。

監督としての3期目はないだろう…と薄々感じていたメルビンだったが、彼が正式に解任の通達を受けたのは、月曜朝に監督室で行われたバベージとのミーティングでだった。

「チーム改革を行う中で、彼の処遇に関することを、まず最初に今日行う事になった…と彼に告げた」とバベージは言う。「礼儀をわきまえたものではあったものの、とても難しい会話だった。この措置は、なにもチーム不振の全責任を彼1人になすりつけようとするものではない。我々の真意はそんなところにはない。ただ、先に進むためには、変化がどうしても必要だったんだ。私は、彼が必ず2度目の監督職につくことになるだろうと思っているし、2度目はより上手くやれるはずだとも確信している。彼は、きっと、最初の経験を次の仕事に活かすはずだ。」

なぜ変化が必要だと思うのか?…と訊かれたバベージは、メルビンとの会話は「個人的なものだから―」と言って、その内容を具体的に語る事は避けた。

会談後のメルビンは、オフに入るための荷造りをしにクラブハウスに来ていた選手達数人及びコーチ陣と話しただけで、マスコミには会うことなく去っていった。アリゾナへ戻ったメルビンは、たとえ来季の職が見つからなかった場合でも、マリナーズから65万ドルの年俸が保証されている。

コーチング・スタッフは10月31日までマリナーズとの契約があるが、球団の発表によれば、彼等は自由に他の仕事を探してもいいことになっている。その中に含まれるのは、レネ・ラッチマン・ベンチコーチ、ポール・モリター打撃コーチ、デーブ・マイヤーズ3塁コーチ、マイク・アルドレティ1塁コーチ、そしてオーランド・ゴメス・ブルペンコーチ。

しかし、ブライアン・プライス投手コーチだけは、2年契約の2年目がまだ残っている。

「彼には、ぜひともチームに残って欲しい旨を伝えた。そうしたら、『自分も残りたいとは思っているが、それも、新監督が自分を欲しいといってくれた場合に限る。どうか、新監督に自分を無理矢理押し付けるようなことだけはしないでくれ』と言うので、『そんなことはしないが、それに近いことはするかもしれない―』と答えておいた…。」

プライスは、15年間ずっとマリナーズの組織内で過ごしてきており、今季は投手コーチとしての6年目にあたる。

ここ2年間はメルビンのもとで投手コーチを務めており、2人は非常に仲のいい友人ともなっていた。

バベージによれば、もしメルビンが他のチームの監督となってプライスを投手コーチとして所望した場合には、プライスにマリナーズを去る許可を与える可能性もあるかもしれない…とのことだ。

「2人の間に特別な友情が存在していることはよく知っているので、そのことは尊重したいと思っている」とバベージは言う。

火曜からは、マリナーズ球団組織の幹部会がアリゾナ州ピオリアで開催されることになっているが、プライスもそのミーティングに出る事を承諾している。

球団の13代目監督を選ぶための過程は、すでに動き始めたのだ…。

「別に、何日まで、という期日は設けていない。」とバベージは言う。「可能な限りに念入りな候補者探しにしたいと思っている。そして、これぞという候補者が見つかったら、直ちに交渉に当たるつもりだ。まず手始めとしては、業界内の知り合いに片っ端から当たって、候補者を推薦してもらおうと思っている。こういう時、友人というのは、こちらが痛い目にあわないように…という配慮から、正直に話してくれるものだ。知らない相手だと、(真実を聞き出すためには)もう少し余分な時間がかかってしまう事が多い。いずれにしても、トレード市場やFA市場に活発に乗り出す前に新監督を決めたいと思っているので、なるべく速く動きたい。とはいえ、監督選びが新戦力獲得に支障をきたすような事にはならないようにするつもりでいる…。」

バベージによれば、ある程度の候補者リストは既に存在するのだそうだ。

「実際問題として、今は候補者が多すぎて困っているぐらいだ。…でも、私の考えでは、その数が2,3,4人ぐらいに絞られるまでは、本当の意味での候補者とは言えないと思っている。そこまで来て、初めて現実的な候補者になる。それまでは、ただの人の群れでしかない。」

新監督の選出は、球団にとってひじょうに「重大」な事項だ、とバベージは言う。

「球団の誰もが、早急な建て直しは可能だと思っている。」と彼は言う。「そうならなければ、来年の今頃は、又同じことをくりかえさなくてはならない。確かに、今回の新監督選びは非常に重大な意味を持つが、一方で、そうでない時なんていうのもありえない。監督選びというものは、いつでも大変なものなんだ。」

(2年前と違って)チームが過渡期にあることは事実だが、そうだからといって、「今の時点で、現存の候補者リストから特定の人間たちをはじいてしまうようなことはしない」とバベージは言う。

候補者となりうる名前の中には、元大リーグ監督のグレーディー・リトルやジミー・ウィリアムス、そしてエンゼルスのベンチコーチのジョー・マデンなども含まれる。ピネラの後任者選びの時に面接を受けた何人かにも、可能性はある。(オリオールズのサム・パーロッツォやデビルレイズのジョン・マクラーレンなど)

バベージは、バド・セリグ・コミッショナーの通達に従って、マイノリティー(少数民族)出身の候補者達にも均等な機会を与えるつもりでいるし、ポストシーズン中の新監督発表も控えるつもりでいる。

「発表はしないけど、選考のプロセス自体は禁止されているわけではないからね」とバベージは言う。

2年前には球界でも第一級の職種と目されていたマリナーズの監督職だが、今でもその価値の高さにはかわりはない…とバベージは言う。

「どの町についても、それは言えることだと思うよ」と彼は言う。「なんといっても、メジャーの監督職というのは全部でも30しかないんだからね。ここでの監督職を他と比べて更に魅力的にしているのは、充分な資金をチームに注ぎ込む用意がオーナーシップにあることだ。それは、監督にとっては非常に重要な事だと思う。」

2004年シーズンのマリナーズの総年俸予算は9,300万ドルだったが、ハワード・リンカーン球団CEOによれば、来季の予算も、それより低くなる事はありえない…とのことである。

                             (以上)

************************ shinya

…もう1つだけ、ボブ・フィニガン氏の記事をお届けします…。


         成績不振がメルビンの望みを砕く
    ― ボブ・フィニガン、シアトル・タイムス、10/5―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2002054133_mari05.html



自分の将来についてマリナーズから何か聞かされているか…?と金曜日に訊かれたボブ・メルビンは、何も聞いていないと答えた。

「―でも、この部屋を見てもらえばわかると思うけど、」と彼は暗い笑顔を浮かべながら言う。「もう覚悟は出来ているんだ…。」

監督室には、もうほとんど何も残ってはいなかった。この2年間に彼が持ち込んだ数少ない私物―棚に乗っていたもの、引き出しに入っていた物、壁にかかっていたもの―は、全て片付けられていた。

なので、ビル・バベージが月曜の8:55amにその部屋に立ち寄り、20分間の話し合いの中で、2005年にはメルビンはもう戻ってこないことになった…と告げたとき、メルビンはそれを聞く用意はできていたはずだった。

しかし、後にバベージが語ったところでは、メルビンは、彼が自分自身で思っていたほどの強固な心構えはできていなかったという…。

「話があらかた終わった頃、ボブが、『自分では覚悟はできていたつもりだったが、そうではなかった…』と言ったんだ」とバベージは言う。「私自身も同じだった…。お互いにとって、とても辛い日になってしまった。」

(中略)

(メルビンと共に5人のコーチも解任されたが、)ブライアン・プライス投手コーチだけが残ったのは、彼の契約が来季まであるからだ。バベージはプライスの残留を希望しているものの、プライス自身は、新監督の意向を確かめてから決めたいと思っている。

「新監督には、自分のスタッフを決める権利があると思うのでね…」とプライスは言う。彼は、メルビンと共に月曜に飛行機でアリゾナの自宅に戻った。「もし、新監督が私でもいいと言うのなら、残りたいと思っている。」

しかし、彼はメルビンがチームを去ることになったことは、残念で仕方がないと言う。

「私は、100%、ボブ・メルビン派の人間だ。私は、彼がこの仕事に最も相応しい男だと思っている。限られた駒しか与えられなかった中で、彼はできる限りの最高の仕事をしたと、現場の人間なら誰でも思っている。ウチは、リーグの中でも最も運動能力の低いチームだったからね…。」

これは、チーム全体の事を言っているのだ…とプライスは強調した。

「これは、私の個人的な意見に過ぎないが、もし戦犯探しをしたいというのなら、全員が均等に責任を負うべきだと思う…コーチ陣、選手たち、そしてフロントも。我々の替わりに、ボブ1人だけが責任をとらされるのを見るのは辛い。実際は、成功するために欠かせないパズルのピースが、いくつも不足していたというのにね。我々の努力が足りなかったんだ、と言う批判も聞くが、9人もの新人投手を使わざるを得なかったことを考えれば、むしろ、良く頑張ったと言った方があたっているんじゃないだろうか…?」

メルビンの解任は、『選手をクビにするよりも監督をクビにするほうが簡単だ』という古い言い回しがあてはまるのでは?と訊かれたバベージは、痛いところをつかれた―という顔をした。

彼は、それを、“単なる言い古された決り文句”として退けたが、シアトルが何人かの選手を放出したとは言え、“言い古された決り文句”通りの成り行きになったことも否定できない。これほどチームが低迷すれば、誰かが犠牲にならなければ収まらないのである。

「春期キャンプの頃には、あのメンバーでこんなに酷い事になろうとは夢にも思わなかった」とシ―ズン最後の頃にブレット・ブーンは言った。「ほんの一握りの選手のほかは、全員が…もちろん、自分もその全員の中に入っているが…プレーのあらゆる面で、最低だった。」

全ての面でチームが失敗する中で、メルビンが最も痛かったこととして挙げたのは、最初の数ヶ月間の攻撃陣の得点力不足だった。最終的な数字としては、3番から7番までを打った選手達がたたき出した得点は、前年度に比べて200点近くも少なかったのである。

「『監督のせいではない』という通説は、僕は正しいと思っている。彼がいなくなることは、とても残念だ」とダン・ウィルソンは言う。

(中略)

日曜には、ラウル・イバニエスがメルビンの処遇を心配して次のように話した:

「残念で仕方がない」とイバニエスは言う。「球団は、僕に大きな期待を抱いて呼び戻してくれたのに、僕はその期待に応えるような働きが出来なかった。僕は、自分のせいだったと思っているし、他の連中も、皆自分たちのことを同じように思っているはずだ。」

バベージによれば、監督解任の決断に至るための、これといった特別な事柄はなかったと言う。変化が必要だ…という考えが「固まったのは、残り試合が5,6試合になった頃だった」のだそうだ。

なぜメルビンを解雇したのか(「解雇」という言葉自体は、会見中、一回も使われなかった…)と訊かれたバベージは、具体的な答えを拒否した。

「そのことについて今朝ボブと話しはしたが、その内容を公にするつもりはない」とバベージは言う。「でも、これだけは言える…私は、一度も彼の先発メンバー選びや戦略に疑問を持った事はない。たった一度だけ、試合後に、なぜピンチランナーを使ったのかについて訊ねた事はあったが、彼はきちんとした答えを用意していた。」

「私には、ボブについて悪く言うことは何もないし、選手達も彼を尊敬していたと思う。」

しかし、チームの構成が悪かったのか、はたまたマネージメントが悪かったのかは知らないが、何かが間違っていたことだけは確かである。

マーク・マクレモア、スタン・ハビエアやマイクキャメロンらが去り、ブーンやジェイミー・モイヤーとともに引退を控えたエドガー・マルチネスまでもが成績不振に陥ってしまったことで、リーダーシップを執れる選手がいなくなってしまったことが、悪かったのかもしれない。

何年か前なら、ルー・ピネラのカリスマ的存在感が、その空白を埋められたかもしれない。しかし、メルビンの場合は、彼自身が選手達に主役の座を譲る事を選択したことと、ハワード・リンカーン球団CEOとピネラの不仲が噂されていた反動で、フロントの傀儡であるような印象を周囲に与えてしまっていた。

しかし、何人かのコーチによれば、メルビンはそんなものからは程遠かったと言う。

「ボブは、そんな言われ方を酷く嫌っている」とシーズンの最初の頃にあるコーチは語った。「彼が雇われたのはルーと正反対だったからだ…と人は良く言う。でも、ルーほどはっきりと物は言わないものの、彼は人間としても野球人としても立派な男だと思う。」

今シーズンの初めの頃、たった一度だけ、メルビンが心のうちを明かしたことがあった。その時の彼は、激しい口調でこう言ったものだった:「私は、決してルーのアンチテーゼではない。私だって、言いたいことははっきり言うし、選手達を厳しく叱責することだってある。チーム全体を叱責した事だってあった。ただ、何かネガティブな事を言うときは、公にではなく、必ず内々で言うようにしているだけだ。」

シーズン終盤で、チームが以前よりいいプレーをするようになり、新しく上がってきた選手達がチームを“ルーの遺産”ではなく、“メルビンのチーム”にしていくのを目にしたとき、メルビンは残留したいという自らの意思をはっきりと口にするようになった。

公の場で来季の事を話す時は、彼はいつでも「我々は―」という言葉を使って、あたかも来季も戻ってくるかのように話した。

しかし、内輪の場では、彼はこう漏らしていた―「普通、来季の人事に関しては、監督のところに何か言ってくるものなのに、今のところ私のところにはほとんど何も聞こえてこない。もはや、決断は下っているとしか思えない…。でも、それがベースボールというものだし、しかたのないことだと思っている。とても辛いことではあるが、そういったことから学んで、先に進むしかない。」

                                    (以上)

[31005] エドガー選手の引退 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/10/03(Sun) 22:28
…イチロー選手の記事は追々お届けするとして、今日は、どうしてもエドガー選手の引退セレモニーの記事をお届けしたいと思った次第です…。来年からは、もうあの穏やかな笑顔がマリナーズのベンチにはないんだと思うと、とても寂しい気持ちで一杯になります…。(ノ_・。)


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       シアトルのファン、マルチネスを称える
       ― ジム・ストリート、MLBcom.、10/3 ― 
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20041003&content_id=880369&vkey=news_sea&fext=.jsp


メジャーリーグ史上最高の指名打者であるエドガー・マルチエスがマリナーズでの最後のシーズンに挙げた成績は、彼が自分自身に対して期待したものには遠く及ばなかった。

しかし、現実問題として、彼が何の後悔もなく引退するためには、こうなることがベストだったのだ。

「今は、とても静かな気持ちだ。もう1年プレーできたかもしれないなどという迷いもなく引退することができる。」と彼は言う。「これは、とても大事なこと。自分では、もっとましな働きができるのでは…とも思っていたのだが、お陰で、これは持てる力を全て出し尽くした末での引退なんだということを、自分自身に納得させる事が出来た。」

たとえ、今以下の成績(打率.265、12本塁打、63打点)でキャリアを終えていたとしても、彼がこの町で最も人気の高いプロスポーツ選手であることには変わりはなかっただろう。なぜなら、この北西部地域でベースボールが最も人気のないプロ・スポーツだった10年前、マリナーズがシアトルから他の町に移転せずに済んだのも、彼の力によるところが大きかったからだ。

…そして今、彼の名前が1本の「通り」と1つの「賞」に付けられることになった。

今後は、セーフコーフィールドの南側の切符売り場沿いの通りは、『エドガー・マルチネス・ドライブ(通り)』となり、アメリカン・リーグの年間最優秀指名打者賞も『ザ・エドガー・マルチネス賞』という名称で呼ばれることになる。

1979年に設立され、マルチネス自身も5回(1995−2001年)受賞したこの賞の名称変更は、今日の試合を観戦し試合後のセレモニーにも出席したバド・セリグ・コミッショナーの口から発表された。

「僕自身は、何も知らされてなかったので、とてもビックリした」とエドガーは言う。「そんな発表があるなんて、全く知らなかったんだ―ほんとに、何も。でも、自分の名前のついた賞ができるなんて、本当に素晴らしい事だ。将来もずっと残るものだし、とても誇らしい気持ちで一杯だ。」

彼によれば、セリグの発表にあまりにも感動したので、「聞いた途端に、感極まって泣いてしまった」のだそうだ…。

45,617人の満員の観客は、マリナーズが4−10でレンジャースに敗れ去る様を眺めることとなったが、そんな一方的な敗北さえも、彼等が楽しみにしていた“パーティー”を台無しにすることはできなかった。『球団史上最高のオールラウンド・ヒッター』と呼んでも差し支えないほどの打者で、なおかつ人間的にも非常に素晴らしい選手である男を称えるために、彼らは試合後もずっと球場に残ったのである。

そして、彼らはエドガーが3塁の守備につく姿をも、観る事が出来たのだ。

9回表にホルバート・カブレラの代わりに3塁に立ったエドガーだったが、わずか1球が投げられた時点で、ウィリー・ブルームクィストと交代した。一部のファンは、彼にもっと長くフィールドに残って欲しかったようだが、彼が最後に3塁を守ったのは遥か昔の1997年7月2日のことであり、ボブ・メルビン監督としては、こうすることで、ファンの人たちがエドガーに感謝の意を表す機会をもう1回だけ設けたかったのである。

この回は、2度のスタンディング・オーベーションと2分間も続いた「エドガー!」の掛け声で彩られる事となった。

エドガーによれば、かつてメジャーデビューを飾ったそのポジションに向かうことは、「とても、不思議な感じがした」のだそうだ。「3塁ベースが、もの凄く遠く感じた。3塁に立ってからも、なんだか知らないけど、すごく違和感があったんだ。1球のためだけだということは、わかっていたけど、これは長居すべきではないな…と思った。」

マルチネスによれば、メルビンから、たった1球だしストライクゾーンには掠りもしないようなところに投げさせるから、「打者が打つことは絶対ない―」と言われたのだそうだ。

―それは、特別な選手のための特別なお祝いだった。

「彼ほど、リーグ中の選手達から尊敬されている選手はいない」とメルビンは言う。「私は、いまだかつてエドガー・マルチネスを悪く言う選手には会ったことがないが、これは、この世界ではほとんどあり得ない事なんだ。」

式典には、セリグを始めとする球界のお歴々と元チームメート達が多数参列し、それぞれが、1982年にプエルトリコのドラドで開催された入団テストから始まったマルチネスのキャリアについて語った。

マルチネスの殿堂入りの可能性について訊ねられたセリグは、「彼は、指名打者という制度が設定されて以来の、最高の指名打者だ」と答えたが、その後は次のように続けた:「―そこまでは非常に簡単ではっきりしているんだが、そこから先の判断は、(殿堂入りを決定する投票権をもっている)記者達に任せたいと思う。」

元マリナーズのスカウトで1塁ベースコーチや監督(1試合だけ)も務めたことのあるマーティー・マルチネス(エドガーとは、血縁関係ナシ)も、土曜日の式典の出席者の1人としてエドガーが入団テストを受けた日のことを語った。

「当時の彼は3塁手で、非常にグラブ捌きがうまかった」とマーティーは言う。「私は、そんな彼を見て、将来的には素晴らしい2塁手になるだろうと本気で思ったんだ。私の才能を見る目がどの程度のものか、よくわかるってもんだろう…?」

エドガーはメジャーリーグまでいける選手だと直感的に思った、とマーティーは言う。

「彼はいい打者だったからね。パワーヒッターではなかったが、バット捌きが非常に上手かったんだ。」

しかし、マリナーズがオファーした5,000ドルという金額は、エドガーの心を動かすようなものではなかった。

「家に帰って、祖父母と相談したんだ」と彼は言う。「そうしたら、自分で決めなさいと言われたんで、僕としては、断わろうと思った。でも、従兄弟のカルメロが、お前ならきっとやれる、って言ってくれたんだ。」

当時、カルメロ・マルチネスは、カブスのマイナー・リーグでプレーしていた。

そしてエドガーはマリナーズのオファーを受ける事に決め、そこから先の話は、マリナーズ球団史の重要な部分と多く重なる。

メジャー16年目となる今季開始時点での彼の通算成績は、通算打率.315、総本塁打数297、総打点1,198。打撃関連のほぼ全ての球団記録保持者として、また数多くの指名打者関連のメジャー記録保持者として、彼は日曜午後の試合を最後に引退する。

「以前と同じレベルでプレーできなくなってきたことは、非常に口惜しかった」と彼は言う。

メルビンは、マルチネスと対戦した経験もありながら彼の監督も務めたこともある…というただ1人の人間である。

「彼と同じチームになってみて、彼に対する尊敬の念が以前にも増して強くなった」とメルビンは言う。

「ベースボールに関する様々な賞賛の言葉を抜きにしても、1人の人間として彼ほど素晴らしい人物と出合ったことはない。そのことは、クラブハウスの様子を見ていてもよくわかる。エドガーがそこにいるだけで、誰もがちゃんとするんだ。」

メルビンによれば、昨シーズンの一時期、ある選手に少しばかり手を焼いていたことがあって、エドガーに手を貸してくれるように頼んだことがあったと言う。

「それ以降、その選手との問題は一切なくなった。エドガーは、普段は静かな男だけど、彼がしゃべると、誰もが一生懸命彼の言う事を聞くんだ。」

4−10で負けた試合後も、45,000人以上の観客がそのまま残って、エドガーのための式典を見守った。2塁後方の土部分には『E−D−G−A−R』と言う文字が、そしてホームプレート後方には、『EDGAR,1987−2004』というロゴが描かれた中で、エドガーはワールドシリーズのリングをはめることなく終わろうとしている自身のキャリアに最も貢献してくれた人々に対する礼を述べた。

「何年もプレーして様々な業績を挙げた偉大な選手達の中にも、一度もワールドシリーズを経験することなくやめて行った選手達は何人もいる」と彼は言う。「…だからと言って、自分の気持ちが楽になるわけではないけれど、それでも、世の中にはそういうこともあるんだ、と改めて思う…。」

                            (以上)

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追記:

●記事に載っているもの以外で球団からエドガー選手に贈られたものは以下の通り:

・『筋ジストロフィー研究のためのエドガー・マルチネス基金』設立のために、マリナーズとウォルマート社から10万ドルの寄付金が「チルドレンズ・ホスピタル(小児病院)」に贈られた。

・キングドームとセーフコーフィールドの“椅子”(“chair”とあるだけなので、どんなものか不明^^;)がそれぞれ1脚づつ

・1996年にエドガーが出演した球団コマーシャルに登場した『light bat』(同じ“light”とスペルすることから、“軽いバット”に引っ掛けた“電飾バット”)

・打撃中のエドガーの肖像画


●なお、選手達からは、「奥さんと2人分のイタリアへの旅」が贈られたそうです…。(^ー^*)

●式典の写真

観客や選手達の拍手に答えるエドガー選手
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/041003/483/sea11210030548

感極まって涙を拭うエドガー選手
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/041003/ids_photos_sp/r1365372388.jpg

エドガー選手を称えて華やかな花火が…
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/041003/483/sea10910030539

エドガー選手に贈られた肖像画の前でブーン選手と
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/041003/483/se11110030544

式典後、ファンと握手をしながら場内を一周するエドガー選手
http://seattlepi.nwsource.com/dayart/20041002/450EDGAR_FANS.jpg

[30743] マドリッチ投手は、いいヤツだ♪ 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/30(Thu) 19:09
今日のイチロー選手へのデッドボールには、本当に胆を冷やしましたし、怒り心頭でもありましたが、マドリッチ投手の反応を読んでなんだかとても嬉しかったので、取急ぎお届けすることにしました。なんせ急いで訳したので、ちょっとトッチラカッタ感じになってしまいましたが、どうか大目に見てやってくださいまし。^^;;; (…なお、他にも面白いコメントを見つけたら、後ほどまた付け足すかもしれません…)

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          イチロー、残すはあと2本
  ― ジョン・ヒッキー、シアトル・ポスト、9/30 ― 
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/193123_mari30.html  


9回表2死、マリナーズの一番打者イチロー・スズキがオークランドのリリーフ投手ジャスティン・ドゥークシャーから死球を当てられたのを見た途端、ボビー・マドリッチの体中の血が怒りで煮えたぎった。

マリナーズのダッグアウトで一番最初に飛び上がるように立ち上がったマドリッチは、背中に死球を受けたイチローが少しでも怒りを表す素振りを見せたら、直ちにマウンドへ突進するつもりでいた。

だが、イチローは、ゆっくりと体勢を立て直すと、そのまま1塁へ向い、その間一言も発することはなかった。

それを見たマドリッチは、大きく深呼吸をすると、周りの選手達からの賢明なアドバイスに従って、自身のメジャーキャリア初となる完投試合の仕上のために、マウンドへ向った。結果は、アスレチックスのプレーオフ進出に大きな打撃を与える4−2の勝利だった。

「イチローが当てられたのを見て、その裏の最初の打者にぶっつけてやろうとすぐに思った」とマドリッチは言う。

でも、チームメートのジェレミー・リードとラモン・サンティアゴが、そんなことはしない方がいい、と彼を説得した。

「そんなことはするなって、彼等が言ったんだ」とマドリッチは言う。「それよりも、このまま投げた方がいい、ってね。」

そして、彼はその通りにした。マドリッチがぶつけるつもりだった9回裏の最初のオークランドの打者は、スコット・ハッテバーグ。オークランドの反撃のきっかけとなるところだったヒットをそのハッテバーグから奪ったのは、2塁手ブレット・ブーンのゴールドグラブ級の華麗な守備だった。難しいゴロを掬い上げたブーンは、1塁へ送球して最初のアウトを獲った。

そこからのマドリッチは、ぐんぐんアスレチックスを抑え込んでいって、とうとう134球目の投球で最終打者を見逃しの三振に打ち取ると、アスレチックスの息の根を止めたのだ。

「僕としては、イチローのかたきを取りたくて仕方なかった」とマドリッチは言う。「でも、周りの連中が、冷静になったほうがいいって言ってくれて、結果的には、彼らの言う通りだった。ブーニーも、僕のために最高のプレーをしてくれた。あれを見たからには、もう、ヤツらを仕留めるしかないと思ったんだ。誰かにぶつけるよりも、そのまま投げつづけて勝ちを奪うほうが、よっぽど相手にとっては痛いわけだからね。」

まさに、その通りだった。アスレチックスは、この3ヶ月で初めて2位に陥落し、1ゲーム差で首位の座をエンゼルスに明渡す羽目になった。エンゼルスがテキサス戦の最初の3戦を獲ったのに対して、アスレチックスはマリナーズに2連敗してしまったからだ。

マドリッチに対して、どういうふうに9回裏を投げるべきかアドバイスをした選手達の中には、イチローは含まれてはいなかった。9回表が終わった時、彼は直ちに守備位置のライトへ向かったからだ。

しかし、今日1安打してシーズン安打数を255まで延ばしたイチローは、チームメート達からその時のマドリッチの様子を聞かされて、満足そうだった。

「チームメートとして、彼がそんな風に言ってくれた事は、とても嬉しい」とイチローは言う。「でも、感情をコントロールすることも大切だ。彼は、将来のあるいい選手なので、成功を目指すためにも、自分の感情もちゃんとコントロールできないといけないからね…。」

アスレチックスのケビン・モッカ監督は、ドゥークシャーが故意にぶつけた可能性など全くない、と言下に退けた。

「ウチは、地区優勝を目指しているんだ」とモッカは言う。「あんな場面で、誰かにぶつけようなんて、思うはずがない。」

背番号「51」の「1」辺りに当てられたイチローは、それが故意だったと思うかどうかについての話には、乗ってはこなかった。

「投手が何を考えていたかなんて、僕にはわからない」と彼は言う。「判断を下す立場にはない。起こったことは起こったこととしてそのまま受け容れて、先へ進むしかない。」

マリナーズが判断できることがあるとすれば、それはマドリッチのメジャーでの将来は明るい…ということだ。今日の試合が今季最後の登板だったマドリッチだが、今季半ばにメジャーに上がってきて以来、非常にいい働きを披露し続けている。

「今日の彼の出来が、全てを物語っている」とアスレチックスのマーク・コッツェイ外野手は言う。「完投しただけでなく、被安打わずか3本だからね…。ウチは、彼に対して自分たちの仕事が全然出来なかった。」

今季のマドリッチの全体的な成績は6勝3敗、先発登板だけだと11試合に登板して6勝2敗という数字になる。その11登板のうちの9登板では7イニング以上投げており、2点以下しか相手チームに許していない試合も6試合もある。一言で言えば、彼はマリナーズにとっては「めっけもん」だったのである。

「もし、これが8月だったら、彼を9回に投げさせるような事はしなかった」とボブ・メルビン監督は言う。「―でも、あの子がどれくらい完投を熱望していたかを分かってやってほしい。ウチのチームは、『大人しいベテランばかりで覇気がない』という芳しくない評判をもらっているようだが、ボビーはそれとは正反対の選手。彼は非常に熱いファイターだ。そういうのを見るのはとても嬉しいし、彼のそういうところからは我々も学ぶところが多い。彼の勝利に対する貪欲さと来たら、本当に凄いんだ。」

ホルバート・カブレラもマドリッチと同じ部類に入る選手だ。控え選手として開幕直前にドジャースから格安で獲得したカブレラだが、ここ1ヶ月ほどは、ほとんどレギュラーになっている。

今日の試合などは、まさに彼1人でチームの攻撃を引っ張ったようなものだった。4回にタイムリーヒットを放った彼は、8回にもまた2点タイムリーを打った。そして、その後、ジェレミー・リードのヒットで3塁に向った彼の背中にコッツェイの外野からの送球が当たってダッグアウトに転がると、そのまま生還してマリナーズの最後の得点者ともなった。

「僕は、ただ自分の仕事をしているだけ」とカブレラは言う。「ウチは、今、100敗したくない一心でプレーしている。それから、1位のチームを引き摺り下ろすためにもね。ウチがあんなふうに早々と優勝レースから脱落してしまったのも、彼らAL西地区の3チームのせいなんだ。かなり早い時期に彼らにやられてしまったが痛かった。せめて、今、こうやってお返しが出来ているのは、いい気持ちだね。」

それだけは、はっきりとしている。マリナーズは、今、ロードの連戦での今季初の勝ち越しを収めようとしている。シーズン100敗を避けるためには、あと1勝すればいいだけだ。

「今日の勝利は、特に気持ちよかったね」とメルビンは言う。「マドリッチとカブレラが、とても大きな働きをしてくれた。」

アスレチックスにとっては、大きすぎる働きだったようだ。
           
                              (以上)(^^)

[30293] イチロー選手の記事(6) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/24(Fri) 17:13
試合のない日ということで、皆さんから様々な情報が寄せられていますね…。(^^) そんな中に混じって、ちょっと賞味期限切れ^^;の恐れもある記事ではありますが、以前話題になったNBCcomの記事をお届けすることにします。「…この記事は、もうボツだわ…(_ _)」と思ったことも正直言ってありましたが、一昨日、昨日のイチロー選手の大爆発が、この記事にもう一回、命を吹き込んでくれた気がしています…。(^^)


        ****************************************

イチローの最多安打記録への大挑戦は、驚嘆すべきもの
       ― マイク・セリジック、NBCports.com、9/6―
        http://msnbc.msn.com/id/5927030/


遥か彼方のシアトルでも、ベースボールを取り囲む憂鬱は、他のどの地域にも負けないほど深くなっている…。そんな地で、今、何か輝かしい事が起ころうとしている。だが、イチロー・スズキが成し遂げようとしているその快挙を、マリナーズというチーム全体と同列に扱って、「ほとんどなんの価値もない―(isn't worth a hill of beans)」と一部の人間が退けようとしているのも、ある意味では当然のことなのかもしれない…。

なぜ、私がこんな事を言うのかといえば、我々人間には、例えそれが一生に一度しか遭遇できないような稀有な体験であっても、実際に実現する前から何かとケチをつけて素直に楽しむことが出来ない…という性癖があるからだ。今、イチローは、84年前にジョージ・シスラーが打ち立てた『シーズン最多安打記録257本』を破るペースで邁進している。そして、“生きることの不思議”よりもスタッツについての方が詳しい―というような連中が、「そんなものには意味がない」と言っているのだ。

どうも、「安打」というものには、昔ほどの価値はなくなってしまったらしいのである。彼らに言わせると、「四球でもヒットと同じ効果があるんだから―」ということらしい。そして、重要視すべきなのは、ヒットの数ではなくて『OPS』(『出塁率+長打率』のことだそうだ―念のため)なんだそうだ。そして、イチローが単打ばっかり打ってホームランをほとんど打たないことを考えると、「何をそんなに騒いでいるんだ―くだらない」ということになるらしい。

そういう心無い論理に直面した場合に我々がとるべき態度はただひとつ―そんな「スタッツおたく」は鼻であざ笑ってやって、あとはゆったりと寛いで、目の前に繰り広げられる“ショー”を楽しめばいいだけなのである。

そして、それでも、まだ彼等がしつこく貶しにかかったら、「実現難度」(degree of difficulty)というものも考慮されるべきであることを指摘してやればいい。ある記録がどれほど偉大であるのかを測る時、我々は、まず、その数字がどれだけ群を抜いたものであるかを見る。そして、その記録が真に賞賛に値するものとして広く認められるためには、さらに長い年月の洗礼が必要となる。

記録が更新されるたびに言われるように、そもそも、全ての記録は破られるために存在する。これは言い古された決り文句であると同時に真実でもある。どんな競技においても、アスリートたちのレベルは絶えず向上しており、オリンピックの水泳や陸上の50年前の記録を見てもわかるように、当時の記録は、今日の記録とは比べものにならないくらい遥かに遅い。

従って、何人もの偉大な選手達が何十年にも亘って様々な挑戦を繰りひろげてもびくともしないような記録があると、それは特別な輝きを放つようになって、周囲からも「不可侵」なものとして見られるようになる。そして、さらに充分な時が経過すると、今度はその記録を破ろうとする者に対して、反感すら抱くようになる。なぜなら、我々は、そういう挑戦を、まるで「永遠に残るべき記録」という「真理」の正当性を覆そうとする「例外」であるかのように思ってしまうようになるからだ。

ベーブ・ルースが1927年に打ち立てた『シーズン最多ホームラン記録60』には、その後何人もの選手達が接近した。しかし、時が経っても誰も58本より先には進めないことがわかると、いつの間にか、その記録自体が“神話的存在”として祭り上げられるようになった。1961年にロジャー・マリスがとうとうその記録を破った時に、あれほど凄まじいプレッシャーが彼にかかったのは、そういう事情が背景にあったからである。

同じような畏敬の念を込めて厳かに語られた記録としては、タイ・カッブの『シーズン最多盗塁記録96』を挙げる事ができる。1962年にモーリー・ウィルスが破るまでは、17年間もの間、誰一人として近づく事すらできなかった記録だ。

「決して破られることのない記録」と思われた記録には、他にも、37年間も続いたルースの『通算ホームラン数記録』やピート・ローズに破られるまで57年間もの間君臨し続けたタイ・カッブの『通算安打数記録』などもある。ルースの『シーズン長打率』記録や、『シーズン最多四球』記録は、その後、両方ともバリー・ボンズによって破られている。

こうして見てくると、これらの記録や、さらには、カル・リプケンが破ったルー・ゲリッグの『連続出場試合数』記録などに比べると、シスラーの記録というのは、“御影石”に刻まれるだけでは到底不十分で、むしろ“ダイアモンド”にこそ刻み込まれるべき記録なんだろうと思う。

シスラーが彼の記録を樹立したのは、1920年のことである。その当時は、誰もこの記録がこれほど長く持つようなものだとは思わなかったはずだ。その後の10年の間に、2人の選手(レフティー・オドゥールとビル・テリー)が、あと3本のところまで接近したし、アル・シモンズはあと4本、ロジャース・ホーンスビーとチャック・クラインはあと7本のところまで迫ったからだ。

しかし、1930年から2000年までの間には、たった2人の選手(ウェード・ボッグスとダリン・アーンスタッド)しか、240本まで到達する事は出来なかった。翌年の2001年にはイチローが242本を叩き出し、これは1930年にテリーが254本打って以来の最高の記録となった。だが、シスラーよりも年間試合数が8試合も多いにもかかわらず、イチローは、まだ15本もシスラーの記録に足りなかったのである。

シスラーが不運なセント・ルイス・ブラウンズでプレーした時以来、球界に偉大な打者たちが登場しなかったわけでは決してなかった。ロッド・カルー、ボッグス、ドン・マッティングリー、ジョージ・ブレット、トニー・グィン、ホーンスビー、テッド・ウィリアムス、ジョー・ディマジオ、スタン・ミュージアル、そしてローズなどは、その後現れた偉大な選手達のほんの一部に過ぎない。

だが、83年経った現在まで、誰もシスラーを抜く事は出来なかった。

しかし、今、イチローは『257』を抜くペースで来ているだけでなく、それを大幅に更新しそうな勢いで突き進んでいる。彼は、ここまでのシアトルの136試合のうちの135試合に出場している。シスラー自身は、1920年にブラウンズがプレーした154試合の全試合に出場した。もし、イチローが現在のペースで打っていけば、154試合の時点でのヒット数は、『264』に達する事になる。さらに8試合足せば、総安打数は『280』近辺までいくことになり、これは、旧記録の9%増しの数字となる。これをホームラン記録に置き換えて計算してみると、マリスがルースのホームラン記録を『1本』ではなく、『5本』上回ることと等しくなる。

「単打の本数なんかより、OPSの方がよっぽど大事だ―」と言いたい人は、そうすればいい。それは正しいのかもしれない。その尺度で測れば、バリー・ボンズやマニー・ラミレスが「球界で最も生産的な打者」となり、そのことは、我々が直感的に知っていた事実と合致する。その分野でのイチローの順位は18位。そして、彼の『.417』という出塁率は立派ではあるものの、彼より頻繁に出塁する打者はメジャーには6人もいることになる。

とはいえ、我々が「不可能」だと思っていたことを、今、イチローが成し遂げようとしている…というのが動かし難い事実であることには、変わりはない。ボストンが優勝を逃がし続けてきたのと同じくらい長い歳月を耐えてきた記録を、彼は今まさに破ろうとしているのだ。

ここで我々にできることといえば、その様子を黙って見守って感心すること、今まで誰もなし得なかったことを人が成し遂げていく過程に立ち会うという、滅多にない機会を楽しむ事だけである。

そして、それと同時に、イチローがこうやって誰よりも多くの単打をたたき出している同じ年に、メジャーリーグがやっと真剣にステロイド検査に取り組み始めたのは単なる偶然に過ぎないのかどうか、ちょっと立ち止まって考えてみるのも面白いかもしれない。読者諸君はどうか知らないが、もし私がバッド・セリグだったら、イチローの成功の秘訣を知るために、毎日でも彼を研究し続けるに違いない。

                             (以上)


(訳者注:最後のちょっとわかりにくい一文には、「それは決してステロイドではないはずだ―」という、他のステロイド疑惑のパワーヒッター達、及びパワーヒッター信奉者達に対する筆者の皮肉が込められているように、個人的には思われた次第です…)

[30001] イチロー選手の記事(5) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/18(Sat) 16:28
イチロー選手に久々に嬉しいマルチヒットが出たところで、今週初めに話題になっていたNYタイムスのイチロー選手の記事をお届けします…って別にタイミングを測っていたわけでも何でもなくて、ひとえに私の作業スピードが非常にノロかったためにこうなっただけなのであります…。どうもスミマセン。^^;;; 

イチロー選手の優れた打撃技術に焦点を当てながらも、チームメート達とは違う世界に1人だけ足を踏み入れてしまった“芸術家”としての孤独感にも触れた記事になっています…。


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      フィールドを自分のキャンバスにしている芸術家
          (An Artist Who Makes the Field His Canvas)
          ― リー・ジェンキンス、NYタイムス、9/14 ―
  http://www.nytimes.com/2004/09/14/sports/baseball/14ichiro.html


ベースボール界で最も丁寧に扱われるバットは、セロファンにくるまれた状態で届く。

シアトル・マリナーズのクラブハウス内で、その5フィート9インチの体を皮製のイスにすっぽりと収めたイチロー・スズキは、届いたばかりの真新しいミズノ製バットの包装紙をそっと剥がす。そして、まるで、その内部に潜んでいるヒットの数を見抜くことができるかのように、彼は黒々とした光沢を湛えたバットの胴体にじっと瞳を凝らす。彼のその姿が表面にはっきりと映りそうなほど、バットに施された塗りは厚い。

かつてオジー・スミスが自分のグラブと、そしてリッキー・ヘンダーソンが自分のスパイクとそうであったように、スズキもまた、自分のバットと一体化している。クラブハウス内の友人も少なく、自分を追いまわす日本のメディアからも距離を置くようにしているスズキは、自分のバットと最も近しい関係を築いているように見える。

この最下位チームの中にあって、現代美術の逸品と見紛うような用具を所有する選手は、彼以外には一人もいない。マリナーズの選手達のほとんどは、松脂や噛みタバコ汁の染みで汚れてしまったルイスビル社製の素朴なバットを使っている。多分、彼らのバットは、1920年にジョージ・シスラーが257本の安打を叩き出したときに使っていたものと、たいして変わっていないはずだ。

スズキのバットを特別なものにしているのは、実はその包装状態や輝きなどではなく、その特異な使われ方のほうだ。彼は、バットをまるでテニスラケットのように振って、ライン際にスライスを打ったり、反対方向にボレーしたり、深く守る外野陣の前にドロップショットを落としたりするかと思えば、誰も予期していない時には強烈なトップスピンの掛かったドライブショットを放ったりもする。

普通の打者が安定した一つのスィングを維持しようと苦労する中で、30歳のスズキは、グランドに叩きつけたり、3塁手の頭上を越えるように軽く弾き返したり、内野の隙間を狙ってこっそりとセンター前に転がしたり、外野手の間を深々と抜く一撃を放ったりなどするための、数え切れないほどの方法を編み出した。

出身地の日本でも珍しかった彼の数々のスィングは、対戦相手が事前に研究解明するのも、ヒットを防ぐための守備隊形を敷くことをも不可能にしている。それは、2001年には彼にAL新人賞とMVP賞をもたらし、今年も、ここまでに231本の安打を生み出す原因となっている。シスラーの記録を抜くためには、スズキは残り19試合で27本の安打を打たなくてはならないが、そんなことができるのは、彼しかいないのかもしれない。

●叩きつけるスィング(The Chop)

日本のオリックス・ブルーウェーブに所属していた頃のスズキは、投手が投げる1球ごとに、右足をまるで振り子のように揺らしていた。そして、メジャーにやってきた時、彼は2つの大事な修正を自分のスィングに施した。

まず、スズキは、メジャーのより速い球にあわせるために、右足の振り子の動きを省いた。そして、その次には、マリナーズのルー・ピネラ監督の要請に従ってより多くのゴロを打つために、打球を地面に叩きつけるスタイルのスィングに変えたのだ。

左打者のスズキは、最初からそういうゴロを打つつもりで打席に入ることが多い。投手が投球モーションに入ると、スズキの体は早くも1塁方向に動き始める。投手の手から球が離れると、スズキの意識は球の上半分に集中する。そして、彼のバットが球を捉える頃には、彼は既にバッターズボックスから飛び出しているのだ。

外野でのスズキは特別に速いというわけではないのに、ホームから1塁までは、3.7秒という猛烈な速さで駆け抜ける。自分のスピードの秘訣は、「(走塁)技術にある」、と彼は友人たちに語っている。

内野の芝が打球の勢いを殺してしまうので、ほとんどの打者はバウンドするゴロを嫌う。しかし、スズキにとっては、それこそが究極のアドバンテージになる。打球を内野の左側に転がせば、かなりの遠投を内野手に強いる事になるし、右側に転がせば、投手との競走に勝って1塁でセーフになる確率が高くなる。そして、もし打球をホームプレートに叩きつける事ができれば(実際、彼ほど頻繁にそれをやってのける打者は他にはいない)、彼をアウトにするのはほぼ不可能となる。

金曜のボストン戦で、スズキは、ホームベースとマウンドに1回づつ高く跳ね上がる打球を叩きつけて、両方ともヒットにしてしまった。レッドソックスは、まるで、スリの被害にでも遭ったかのようだった。「彼らは、僕に向ってそんな冗談を言ってきたんだ」とスズキは通訳を通して言う。「でも、ルールブックには、そんなことをしちゃいけないって書いてある箇所はないわけだからね―」


●軽く弾き返すスィング(The Flip)

ポール・モリターのスィングは、まるでボクサーのジャブのように短く且つコンパクトで、それは彼の21年間の現役時代を通して1回も変わる事はなかった。反復こそを尊ぶ野球というスポーツにおいて、彼のその安定感溢れるスィングは、キャリア通算3,319本の安打と、殿堂入りという栄誉をもたらした。

そして、マリナーズの打撃コーチ1年目のそのモリターが今年の夏に目にしたもの…それは、手元に食い込んでくる時速96マイルの速球を、3塁手の頭上に弾き返してヒットにしてしまうイチローの姿だった。「あんなことができるほどバット捌きの上手い選手は、いまだかつて見たことがない―」とモリターは言う。

今季、スズキが状況に応じて使い分けたスィングの数は、多分、モリターがその全キャリアで使ったスィングの種類より多いはずだ。その中でも『Flip』が最も防御的なスィングで、予想と違う球が来たときに、とっさにボールにバットを当てるために使われる。

たいていは緩い変化球に対してで、前足が既に踏み出されていて体が1塁方向へ傾いている状態で繰り出される。ほとんどの打者にとって、これは絶望的な状況を意味する。しかし、スズキにとっては、これは好ましい言ってもさしつかえないような状況なのだ。

彼が最も威力を発揮するのは、体重が既に前に移動していて、後は自分の手首と勘だけが頼り…という状態になったときだ。スズキは、そういう状態からバットのヘッドをボールに向って投げ出して、なんとかボールの飛ぶ行方をコントロールすることに成功してしまうのだ。その昔、トニー・グィンが外角ギリギリをついてくる低目の速球に対してやっていたのと同じように、ヒョイと外野に弾き返してしまうのである。

「この男にとっての野球は、他の選手とは全然違う」とモリターは言う。「彼は、フィールドに空いたスペースを見つけて、自分の意思でボールをそこへ運ぶ事ができるんだ。まるで、"ゆっくり投げ”のソフトボール(slow-pitch softball)でもしているみたいにね…。」


●守備の隙を狙うスィング(The Seeker)

『Tボール』(ティーの上に乗せたボールをバットで打つ遊び)に興じていた少年時代からずっと、選手達は、「ボールが人のいないところへ飛ぶことを祈りながら、とにかく、どんな場合でも力いっぱいボールを叩け」という風に教えられてきた。しかし、スズキは、打撃というものは、もっと精密な技術だと思っている。投手が投球スピードを変えるのと同じように、彼は正確性を増すためにスィングスピードをわざと落としたりもするのだ。

打席に立ったスズキは、内野手がどういう守備隊形をとっているかを見て、何処へ打つべきか、目標を定める。それは、大体の場合、センター返しか3塁手とショートの間だったりする。次に、彼は、どれくらいの強さで打てば打球がその穴を抜けていくかを測る。

たとえ数フィートであっても、自分の狙った地点から逸れた場所に打球が飛ぶと、スズキは、直ちにダッグアウトからクラブハウスへ向う途中にあるビデオ室へと急ぐ。そこで、彼は、マリナーズのビデオ担当者カール・ハミルトンと一緒に、自分の打席のビデオを研究して、もっとスィングスピードを上げるべきか落とすべきかを決めるのだ。「最初の頃は、こういうことはしなかった」とスズキは言う。「いつ頃からか、自然にやるようになったんだ。」

タイミングやコースに関する勘のよさが、彼に数多くの幸運なヒットや内野安打をもたらしてきた。今季のスズキの単打数は、彼自身が2001年に樹立したアメリカン・リーグの単打記録192を越えて、既に196にまで達している。これは、完璧な場所に打球を転がすことのできる彼の能力に負うところが大きい。

「彼は、それを芸術の域にまで高めてしまったのさ」とブレット・ブーンは言う。「僕は、彼が5回打席に立って、そのうちの4回で内野安打を成功させたのを見た事すらある。彼ほどいろんな方法でヒットを稼げる選手は、他にはいない。彼は、様々な可能性を考えながら打席に入って、どの方法をとるべきか1球ごとに決めているんだ。」

●基本的なスィング(The Standard)

スズキは、別に、高くバウンドするゴロや、ポテンヒットや、守備の穴を幸運にも抜けていくようなヒットだけで.371という高打率を挙げているわけではない。

日本でプレーしている頃のスズキは、試合前には誰もいない部屋に篭って、何百回も素振りを繰り返すのを常としていた。そして、その素振りのほとんどは、全く同じ軌道を描いていたという。このスィングこそが彼のトレードマークとも言えるスィングで、センターや左中間への数多くのシングルヒットを生み出す元となっているものだ。

このスィングは、バットを高く構え、両足の間隔を狭めて立つところから始まる。ボールが投手の手を離れるのを合図に、彼の前足が軽く後方に引かれて、スィングが始動する。手は動くことなく後に残り、ボールの内側を叩いてセンター、もしくは反対方向へ球を運ぶのだ。

昨年、フライボールばかりを打つようになったスズキは、ブルーウェーブ時代の監督(原文ママ)だったレオン・リーに相談した。

リーは、年齢と共にスズキ自身にパワーがついてきたことと、メジャーのピッチングに慣れたために以前よりアグレッシブに打つようになったことがその原因だろう…とスズキに伝えた。対策としては、スィングをよりコンパクトにし、彼のそもそもの成功の源ともなった「インサイド・アウトのスィング」を改めて確立すべきだろう…とアドバイスしたのである。

スズキのこの代表的なスィングは、必ずしもいつも優美で力強いというわけではないが、自分の気に入らない球をファールでかわすのには非常に有効なスィングでもある。

また、バットが水平の状態を保ったままでストライクゾーンを通過するので、低く沈む打球を外野手の前に落とせる確率もかなり高くなる。

スズキをよく観察している人々に言わせれば、彼の他のスィングのほとんどは、この基本的なスィングのバリエーションに過ぎないという。

「彼のスィングが色々違って見えるのは、彼が1球ごとに微調整をしているからだ」と元メジャーリーガーで、現在はマリナーズの専属キャスターの1人であるデーブ・ヘンダーソンは言う。「でも、本当は、彼のスィングはひとつしかない。」

●パワー・スィング(The Power Swing)

マリナーズの打撃練習を見学した事のある者なら誰でも、スズキこそがチーム一番のホームランバッターなのでは、と思うはずだ。彼は、ほとんど全ての球に対してフルスィングをし、大きな当たりをライト方向に飛ばす。コーチたちの記憶によれば、ある時の打撃練習では、7球連続してホームランを打ったこともあるのだそうだ。

それなのに、公式戦でのスズキは、ここまで8本しか本塁打を打っていない。かつてはウェード・ボッグスがそうであったように、スズキも、パワー主体の打撃をする能力がありながらも、打率を優先するアプローチを好んで使う。スズキがパワースィングを繰り出すのは、絶対に投手の速球に振り遅れないという自信が持てる時だけだ。そういうチャンスは、打撃練習では頻繁に訪れるものの、試合ではそう滅多にはない。

「彼は、最初からホームランを打つつもりで打席に入ることもある」と、『イチローの意味するもの』の作者であるロバート・ホワイティングは言う。「でも、それも、日本時代から比べると、随分回数は減ってしまった。」

稀にスズキが長距離打を狙う時は、いつもより素早くバットを握った手元を突き出し、球の外側を叩いて右翼方向に向って強く且つ高くボールを引っ張る。そしてミート後は、くるっと弧を描くようなフォロースルーをとって、いつもより長くバッターボックス内に留まっている。

このパワースィングは、シスラーの記録を破るためにはあまり役に立たないかもしれない。だが、何人かのチームメート達は、彼がもっとこのスィングを使ってくれたらいいのに、と思っている。先週、スズキが2死ランナー2塁の状況で2回もバントを試みた時には、数人の選手が密かに不満を漏らしていたという…。

スズキは、現在、2つの事情の板挟みになっている。チーム自体は喉から手が出るほど得点が欲しいのに、球団全体としては、彼の記録挑戦の方を全面的に後押ししているからだ。彼にヒットが出るたびに、セーフコーフィールドの電光掲示板には彼の総安打数が間髪をいれずに表示される。「打つ前から点灯しないだけ、まだいいけどね…」とスズキは言う。

メジャー4年目となる今季ほど、スズキの人気や実力が高レベルに達した事はない。彼は、いまや、『イチロー』というファーストネームだけで、ほぼどこでもいつでも通用するようになった。しかし、そんな彼でも、自分のチームのクラブハウス内では、時として周囲とは少し異質な存在のように見えることがある。2001年に116勝を挙げたかつての仲間たちは、ほとんど全員いなくなってしまった。親しい友人だったマイク・キャメロンも、今はメッツにいる。

シアトルのベースボールに関することのほとんどが、様変わりしてしまった。そのままの姿で残っているのは、もはやスズキだけである。彼の独特のプレースタイルと創造的ひらめきだけが、マリナーズを見続ける理由になってしまっているのだ。

たとえ、どれだけの種類のスィングが生まれて消えていこうとも、スズキ本人は、変わることなくクラブハウスの自分のイスに収まったままだ。たった一人で、魔法のバットとともに…。

    (以上)


[29488] イチロー選手の記事(4) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/09(Thu) 00:26
試合があってもイチロー選手の記事がトップに来る今日この頃、試合のない今日、ザ・ニュース・トリビューンのマリナーズ関連の記事がこれ一本だけなのも、当然かもしれませんね。^^; 日本人記者にも難解なイチロー選手の打撃論・・・通訳を通して聞いたラルー記者にとっては、なおさらだったようです…。(…ついでに、私にとっても)(^○^:)


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模倣するのは不可能な選手、イチロー(The Inimitable Ichiro)
        ― ラリー・ラルー、ザ・ニュース・トリビューン、9/8 ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/5520322p-5458041c.html


先週のシカゴで、打撃練習中のホワイト・ソックスのウィリー・ハリス内野手が、ほぼ完璧に自分の打撃フォームを真似ているのを見かけたイチロー・スズキは、かなり面白がっていたようだった。

ハリスは、別にイチローをからかっていた訳ではない。彼は、純粋にイチローの打席でのアプローチを取り入れようとしていたのだ。

「―だって、球界で最も成功している打者なのに、その真似をしないって理由はないだろう?」とハリスは言う。

―実は、イチローの真似をするものがいないことには、ちゃんとそれなりの理由があるのだ。というのも、イチローの打席でのスタンスなどは、彼の打撃の真髄に至るほんの入り口でしかないからだ。彼のスタンスだけをそっくり真似すると言うのは、例えて言えば、普通の人間がケリー・グラント(往年の美男俳優)の真似をしようとするのと同じことなのである。

ケリー・グラントの喋り方を真似する事は出来るかもしれないし、身のこなしもケリー・グラントそっくりにできるかもしれない。でも、だからと言って、ケリー・グラントそのものになれるのだろうか…?

答えは、ノーだ。同じように、イチローのような打者は、多分メジャー史上でも他に誰もいなかったはずだ。

「他人がビデオで僕を研究しても、僕がどこを変えたかなんて気付かないこともあると思う。一見同じように見えても、実は違っているところがあったりするんだ。」とイチローは言う。

―どれくらい違うの…?

「ある打席では手のことを考えていたり、別の打席では足のことを考えていたりする。ほんのわずかな違いかもしれないけど、僕には違いが感じられるんだ。」と彼は言う。「でも、他の人は気付かないと思う。」

―どれくらいわずかなの…?

「例えば、どの指でバットを支えるかとか、次のスィングではどの指に一番力を入れるかとか」とイチローは言う。「そういうものを、打席ごとに変える事もあれば、1球ごとに変える事もある。」

「それに、そういうことをいつも『考えている』というわけでもないんだ。なんとなくその違いを『感じている』、ということの方が多いと思う。」

イチローがこうやって打撃について語る時、我々アメリカ人ジャーナリストは、時々、自分たちがイチローに遊ばれているんじゃないか…と心配になることがある。打席中にどの指に一番力を入れるべきか考えているだなんて、彼は本当に本気で言っているのだろうか…?

殿堂入りしたばかりのマリナーズの打撃コーチ、ポール・モリターにも、この指の事を訊いてみた。

「その話は、まだ彼から聞いたことはないな」とモリターは言う。「でも、彼の打撃に関する考え方は独特だからね…。彼のアプローチの仕方は、身体的なこともメンタルな事も、全てが独特だ。彼と他の打者との違いについて、真っ先に頭に浮かんだ例を挙げてみると、普通の打者は、打席に入ると野手がどこにいるか見るものなのに、イチローの場合は違うんだ。彼は、何処に穴があるのかを、まず見るらしい。」

さらに、イチローは何処に穴があるかを確かめるだけでなく、そこに球を打とうと最大限の努力をするのである。例えそこでアウトになったとしても、それは次の打席のための始まりになるのだ。

「ショートのところに打球が行ってしまった場合、どういう角度でバットを振ってそうなったかが、僕の中にインプットされる。」とイチローは言う。「じゃあ、どういう角度でバットを振れば、次は同じ球を3塁手とショートの間に飛ばしてヒットに出来るか考えることになる。それが、僕にとってのチャレンジなんだ。技術的に正しいスィングをしても、アウトになることはある。そういう時には、次の打席までに色んな小さな調整をするんだ。」

また、打席での自分を他人が真似しようとする事は、例えて言えば、鳥が飛ぶところを見た人間が、同じようにして飛ぼうとするのと似ている…とイチローは言う。

「誰かがビデオで僕のスィングを研究して、もしなんらかのフォームの変化に気付いたとしても、その背後にある僕の意図…なぜ変えたのかということまでは、わからないはずだ」と彼は言う。「他人には、目に見えるものしか捉えられないし、表に出ないものを見るのは無理だからだ。」

―例を挙げてみてくれる…?

「僕が打席でのバットの角度を変えたとして、大抵の場合、それが僕にとっての一番大事なポイントではない。肝腎なポイントは、大抵の場合は他にあって、それは違いのほんの一部にしか過ぎなかったりする。」と彼は言う。

「例えば、背中を痛めたときのことを例に説明すると、背中を痛めると、体全体の動かし方が違ってきてしまって、同じように動こうとすると、肩まで痛めてしまったりする。体の他の部分、全てに影響が出てしまうんだ。それと同じで、僕が打席でするどんな小さな事も、スィング全体のあらゆる部分に影響を及ぼす。それが、僕の言う『意図』なんだ。」

―ということは、イチローの打席は、どれも全て違うと…?

「打撃中の僕は、ただ漫然と野球をしている…というわけではない」とイチローは主張する。「僕は、いつでも『アジャスト』ではなく、『上達』しようとしている―それが、僕の目指すところなんだ。」


                                (以上)


[29270] マリナーズ公式HPより、今日の試合の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/05(Sun) 17:30
昼間の興奮が冷めないうちに、取急ぎ、先ほど公式HPにアップされた今日の試合の記事をお届けします…!(^ー^*)


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            終盤の反撃及ばず、マリナーズ敗北を喫す
           ― ジム・ストリート、MLBcom 9/4 ―

http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_gameday_recap.jsp?ymd=20040904&content_id=847841&vkey=recap&fext=.jsp


とうとう、対戦相手のファンまでもが、イチロー・スズキのやっていることに対して敬意を表するようになった―。

土曜夜の試合の9回、その日5本目のシングルを打って1塁上に立ったイチローに、U.S.セルラーフィールドに集った24、191人のファンから、「よくやった!」というスタンディングオーベーションが贈られたのだ。

「シカゴには個人的なコネクションも何もないので、本当にビックリした―」とイチローは言う。「どうしたらいいいのか、さっぱりわからなかった…。」

しばらくして、ようやく1塁ダッグアウト後方のファンの方に向き直ったイチローは、バッティングヘルメットをとると、賛辞を贈ってくれた人々にお礼の挨拶をかえした。

マリナーズが7−8で敗れた試合でのこのオーベーションをどう思ったか?…と訊かれたイチローは、次のように答えた:「アメリカのファンの人たちは、“野球”そのものに敬意を持っているんだということが、よくわかった。野球を心から愛しているからこそ、相手チームの選手にまであんなふうに拍手を贈ってくれるんだと思うので、そのことがとても嬉しかった。」

MLB中のファンがここから先の1ヶ月間に目にすることになるかもしれないのは、84年間破られる事のなかったMLB記録にイチローが挑戦していく姿だ。年間最多安打記録は『257』で、これは、後に殿堂入りしたセント・ルイス・ブラウンズのジョージ・シスラーが1920年に打ち立てた記録である。

イチローにとって今季3回目となる今日の1試合5安打は、彼の今季の安打総数を『223』まで押し上げた。『年間最多安打記録』を抜くためには、残り27試合であと35本打たなくてはならず、『4年間の合計最多安打記録』を抜くためには、あと34本必要となった。後者の記録は、1929年から1933年の4年間に『918本』打ったビル・テリーが持っている。

「今や、相手方のダッグアウトの全員が、首を捻っている状態だね―」とボブ・メルビン監督は言う。「その様子は、ほとんど滑稽に思えるぐらいだ。また5本だからね…。チームがこれほど酷い状態にあるにも拘わらず、あれだけの集中力を維持できるなんて、ほとんど考えられない事だ。」

イチローを褒め称える人々の群れは、増える一方である。

「彼には、幸運を祈りたいね」とホワイトソックスのオジー・ギーエン監督は言う。「今まで、あんなのは見たことがない…。彼に投げたのは球界きっての左腕だったのに、まるでそこに誰もいないかのように易々と打っていた。アイツは本当に特別なヤツだよ…。」

ホワイトソックスの先発投手マーク・バーリーに対して4打数4安打だったイチローだが、4打席目の最初の1球は、ホームベース上を時速66マイルでふわふわと通過する超スローボールだった。

「実はね、先日、誰かがあれをアレックス・ロドリゲスに向って投げていたのを観たんで、やってみたんだ」とバーリーは言う。「何人かのチームメートにも、やってみろって言われた。他に彼を打ち取る方法なんてないんだから、ものは試しだ、ひょっとしてうまくいくかもしれないじゃないか…ってね。」

しかし、イチローは引っ掛からなかった。平然と見逃してボールとコールされると、彼は、ホワイトソックスの捕手で元マリナーズの選手だったベン・デービスとチラッと視線を合わせた。

「ベンと目が合って、2人でちょっと笑ってしまったんだ」とイチローは言う。「日本にいる頃は、相手投手も、よくああいうことをやってきたけど、こっちに来てからは初めてだったんでね。」

バーリー曰く:「アイツには、内、外、高目、低目、何処に投げようと、1塁線沿いでも3塁線沿いでも、好きなところに持っていかれてしまう。今日だって、どれも強烈な当たりってわけではなかったのに、それでも5安打だからね…。打率に関して言えば、彼はそのうち、必ず4割を達成すると思うよ。」

しかし、今のイチローは、手近な目標から1個づつこなそうとしているところだ。

取り敢えずの目標は、『238安打』で、それだけ打てば『デビューの年から4年間の総安打数』が『900』の大台に乗る。

それを達成した次に彼が狙うのが『243安打』。彼自身のシーズン最多安打新記録となる数字だ。

そして、その後に待っているのが、シスラーの『シーズン最多安打記録』ということになる―。

イチローは、土曜夜の試合を、フアン・ウリーベ3塁手の左を抜く強烈なシングルヒットで始め、4回には再びウリーベの右側に軽く1本、6回にはファールを5本打ったあとにライト前に1本、7回にはセンターに転がして1打点を挙げ、さらに最後の9回には、リリーフに出てきたジェフ・バエナルーからもう1本打って、マリナーズの3点の反撃に貢献した。試合自体は、同点のランナーが3塁で刺されて終了となった。

…そして、マリナーズのとんでもない今シーズンは、相変わらずそのままの状態で続いている―。

右腕ライアン・フランクリンが自身の運勢を好転させようと努力したこの試合で、フランクリン自身は3回と2/3を投げて被本塁打4、失点7に終わってしまったが、マリナーズは猛烈な追い上げ劇を演じてみせ、もう少しで52勝目まで手が届くところまで行った。

しかし、3塁でブレット・ブーンが3アウト目となる憤死を記録した時点で、マリナーズには84敗目がつくこととなった。

「まだビデオのリプレーを確認したわけではないが―」とメルビンは言う、「1塁からもっといいスタートを切らなくては、3塁は無理だし、走ると決めたからには、絶対アウトにならないようにしなくてはいけない。彼も、そんなことは当然わかっているはずだとは思うが…。(注:『絶対に、3アウト目を3塁で喫してはならない』というベースボールの不文律を指している…)」

問題の9回表、マリナーズは既に1点返しており、満塁で打席に立ったラウル・イバニエスがフルカウントからの1球をライト前に運ぶと、3塁からはイチローが、2塁からはランディー・ウィンが生還した。3塁に滑り込んできたブーンの左手が、一瞬、3塁手のタッグより早くベースに触ったかのように見えたのも束の間、オーバースライドしてしまったブーンの足をウリーベがタッチした時には、ブーンの体は完全に離塁してしまっていた。

そして、その瞬間に試合は終わってしまい、フランクリンはまたもや敗北を抱え込む事になったのだった。

「今日は、自分の力以上のことをやろうとしすぎてしまった―」とフランクリンは言う。「なんとか立ち直っていい調子でシーズンの終わりを迎えなくてはいけない…という思いは、他の誰よりも、僕自身が一番強く思っていること。もしかすると、その気持ちが強すぎたせいで、今日は必要以上に力んで無理をしてしまったのかもしれない…。もう二度と、こんな失敗はしないつもりだ。」

今日、敗戦投手になったことで、フランクリンの今季の成績は3勝14敗となり、勝ちなしの先発試合数が『16』に更新されてしまったことになる。彼の一番最近の勝利は、6月5日のセーフコーでのホワイトソックス戦である。

今日の試合前までのフランクリンの対ホワイトソックスの成績は、4勝2敗、防御率2.59。

1試合の被本塁打4と言うのは、フランクリンにとっては今季のワースト・タイ記録であり、ここ9試合で5回目の事でもある…。

また、チームとして今季84敗目となる今日の試合では、指名打者エドガー・マルチネスが、3安打と今季初となる盗塁も記録している。これで、マルチネスのキャリア通算盗塁数は『49』となった。

マルチネスの盗塁に関するメルビンの一言:「彼には、『いつでも走っていい』というサインが出ているんだ…。」

                               (以上)


[29124] イチロー選手の記事(3) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/02(Thu) 23:27
―というか、シスラー選手の記事なんですが^^;、この人抜きでは今のイチロー選手を語ることはできないだろう…ということで、お届けする事にしました。シスラー家が、現在のマリナーズの3Aチームであるタコマ・レイニエーズと縁があったという偶然には、ちょっとビックリしてしまいました…。(^^)

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     イチローの記録挑戦、シスラーへの興味を呼び起こす
         ― ダン・レイリー、シアトル・ポスト、8/31 ―
  http://seattlepi.nwsource.com/baseball/188654_sisler31.html


イチロー・スズキが、ピシャリと球を叩いたり、ラインドライブを打ったり、全力疾走で内野安打を稼いだりしてヒットを重ねるたびに、その男の名前が繰り返される。そしてそれは、この数週間ほど、ほぼノンストップの状態で続いているのだ。「彼」が亡くなってから31年、最後にプレーした日からは既に74年もの歳月が経っている。しかし、シアトルのベースボールシーズンが優勝争いという側面からはとっくに意味を失ってしまった今、「彼」ことジョージ・シスラーのことがメディアで取り上げられる回数を考えると、9月からの拡大ロスターには、彼の名前も載せるべきなのでは…と思ってしまうほどだ。

1塁手だったシスラーは、そのポジションで殿堂入りした初めての選手だった。1922年には、アメリカン・リーグの初代MVPにも選ばれている。そして、今、長年破られることなく残ってきた最多安打記録に挑むために打席に入るイチローの姿を目にする度に、誰もが最初に思い浮かべるのは、1920年に『257本』というその記録を打ち立てた彼のことなのである。

イチローに限らず、このシスラーなる人物がどんな男だったのかいまだにイメージが湧かない…という人がいたならば、『全盛期のジョン・オルルッドの好調さを生涯通して維持した男』を思い浮かべてみれば近いかもしれない―ただし、身長はオルルッドよりも6インチばかり低かったが。

オハイオ州出身のシスラーは、大学野球から直接メジャーへ行ったくちで、ミシガン大学工学部を卒業したその足で当時のセント・ルイス・ブラウンズ(現在のボルチモア・オリオールズ)に入団した。左バッターだった彼は、数多くのヒットを打ったが、ホームランはあまり打たなかった。1塁での彼のグラブ捌きは群を抜いており、彼の守備に魅了された人々は、『Gorgeous George(華麗なジョージ)』というニックネームを彼に贈ったのだった。

身長5フィート11インチ(約180センチ)という小柄な選手だったシスラーは、実はシアトルとも縁があったのだ。彼の長男ディックは、1960年に3Aタコマ・レイニエーズの監督を務めたことがあるのだ。

「シスラーは、典型的なラインドライブ・ヒッターだった…ちょうどイチローのようなね」と86歳のエド・バンニは言う。彼は、タコマ・レイニエースの象徴のような存在で、シスラーの息子の下でコーチを務めていたこともある。「彼らのああいう能力は、持って生まれたものだと思うよ―。」

シスラーがセント・ルイスに登場したのは1915年のことで、その同じ年には、もう一人の伝説的打者、ロジャース・ホーンズビーも、町の反対側を根拠地としていたカージナルスに入団している。ちなみに、生涯7回も200安打を達成したホーンズビーも、後にレイニエースの監督になっている。

それからの15年間、この2人はお互いに競い合いながら、中西部中の野球ファンを魅了し続けた。シスラーは、1920年には.407、1922年には『.420』を打って、両年とも首位打者に輝いた。彼が記録した後者の数字は、シーズン打率のアメリカン・リーグ記録として現在も残っている。1922年には、『連続安打試合41試合』という記録も打ち立てたが、これは後に、ジョー・ディマジオの『56試合』に抜かれてしまった。シスラーは、200安打以上のシーズンを6回記録し、通算打率.340でキャリアを終えた。

『野球の殿堂』のウェブサイトによれば、タイ・カッブがシスラーのことを、「完璧な野球選手に最も近い男」と呼んだことがあるのだそうだ。

少なくとも、健康な時の彼はそうだった。1923年には、副鼻腔炎が原因の視神経の炎症が、二重視を引き起こし、バランス感覚を狂わせ、視力を失う危険までもたらしたために、シスラーはその1年間を完全に棒に振ることになった。

シスラーの『最多安打記録257本』というのは、様々な野球関係者達が、これまでずっと“アンタッチャブル”であると思ってきた記録である。イチローは、2001年にも1930年以降では最高の記録である、『年間242安打』という数字を既に記録している。また、デビューの年から4年連続して200安打以上記録した初めての選手でもある。

「誰も、イチローのようにはボールを打てはしない」と元メジャーリーガーのアール・アヴェリル・ジュニアーは言う。殿堂入りを果たした彼の父親は、1936年にクリーブランド・インディアンズの選手として『232安打』を記録している。「内野から出ない安打を年間40本も打てる選手なんて、他に何人いると言うんだい…?私にしても、そういうのは、生涯で2本ぐらいしか打っていないかもしれない。だが、『257本』ともなるとね…。それだけ打つのは、たいへんなことだ。いいところまでは行くだろうと思うけど、1試合平均1.5本打ち続けるというのは、多分無理だと思うね。」

バンニは、この挑戦の難しさが実感できるという。レイニエーズの選手だった頃、彼は一度だけ『256安打』したことがあるのだ。ただし、マイナーリーグのシーズンはメジャーより長かったし、そのうちの197本は単打だったのだそうだ。

「そのうち、相手側もまともに勝負してこなくなるだろうし、かなり難しいと思うよ」と、バンニはイチローのシスラ―の記録への挑戦について言う。「私としては、彼に何とか成功して欲しいと思っている。なぜなら、彼は自分の仕事に対して、大きな誇りを持っている選手だからだ。この前の試合では、頭に死球をぶつけられたのに、一向に怯むことなく、すぐさま立ち直ってまたドンドン打ち始めた。お陰で、あんな最低な事をやるヤツは二度と出てこないはずだ。」

今とは全く違う時代でプレーしていたシスラーは、明らかにイチローより有利といえる面があった。あの時代はまだリリーフ投手というのが一般的ではなかったために、大抵の場合、打者は9イニングずっと1人の投手としか対戦しないで済んだからだ。

しかし、シスラーの業績により一層の輝きを与えていたのは、彼が7年間に渡って投手も兼任していた…という事実である。彼は、あの伝説的名投手、ウォルター・ジョンソンとも対戦してていて、2度勝ったことさえある。1919年のある試合では、投手としてワシントン・セネターズを抑えて2−1の勝利を収めただけでなく、打者としても、その試合でジョンソンからヒットを打ったただ1人の選手(しかも、2安打)として、1打点1得点を記録しているのだ。

彼の野球の才能は、息子たちにも満遍なく伝わったようだ。息子達のうち、上の2人(ディックとデーブ)はメジャーリーガーになり、3番目のジョージ・ジュニアーはマイナーリーグの役員になって、最終的にはインターナショナル・リーグのコミッショナーにまで登りつめた。

ジョージ・シスラー・ジュニアーは、現在、オハイオ州コロンバスに住んでいるが、著しく健康を害している状態にある。父親の思い出話に関するインタビューの申し込みになど、到底応じられる状況ではないのだそうだ。

「彼は、既に記憶の多くを失ってしまっているようだ…」と現在のインターナショナル・リーグのコミッショナーであるランディー・モーブリーは言う。

ジョージ・シスラー・シニアーとディックの親子は、コニー・マックスとアール・コックス親子と並んで、親子でメジャー監督を経験した唯一の例である。

ジョージ・シニアーは、1924年から1926年の間、セント・ルイス・ブラウンズの選手兼監督として218勝241敗という成績を残した。彼が野球界から引退したのは彼が39歳の時。テキサス・リーグのシュレブポート・タイラーの選手兼監督が、彼の球界での最後の仕事だった。1973年、シスラーは80歳の誕生日の2日後に、セント・ルイスで亡くなった。

ディック・シスラーは、1964年から1965年にかけてシンシナチ・レッズの監督を務め、142勝105敗という通算成績を残した。彼の前任者フレッド・ハッチソン(シアトル出身でレイニエーズの監督経験者でもある)が、シーズン半ばに肺癌で他界した後を継いだのだ。

1998年に78歳で亡くなったディックは、レイニエーズの監督を1年だけ務めており、その間の成績は77勝75敗で、パシフィック・コースト・リーグ4位に終わっている。

タコマにいる間の彼は、非常に謙虚に身を処していたのだそうだ。

「彼は、決して自分の父親のことを自慢したりしなかった。そうする権利は、十分にあったと思うんだけどね…。」とバンニは言う。


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★シスラーの快挙の数々

●1922年、アメリカン・リーグMVPに選出された。その年の成績は、246安打、打率.420(首位打者)だった。

●1939年、野球の殿堂入りを果たした。1塁手としは初めての殿堂入り選手となった。

●1916年と1917年、彼は左利きの3塁手及び2塁手として2試合プレーした。

●1917年の539打席で、シスラーはたった19回しか三振しなかった。1922年の586打席では、わずか13回だった。(ちなみに、今季のイチローは、567打席で52回三振している…)

●1918年9月1日、シスラーは、投手としてメジャー初登板だったタイ・カッブから、2塁打を打った。シスラー自身も、その試合で投手を務めている。

●1919年6月9日、シスラーは投手として試合に出場し、対戦相手のセネターズを2−1で下した。その試合で、彼はウォルター・ジョンソン(殿堂入り投手)から2安打し、1得点1打点を挙げた。

●シスラーは、投手として5勝挙げている。そのうちの2勝は、ウォルター・ジョンソン相手の完投勝利だった。

●1920年、シスラーはシーズン全試合(154試合)全イニングに出場を果たして、メジャー最多安打記録となる257安打を打ち、打率.407でシーズンを終了した。その年の彼の総塁打数は399で、そのうち、2塁打は49本、3塁打は18本、本塁打は19本だった。無安打試合はわずか23試合、8月の打率は.442、9月の打率は.448だった。

●1921年、シスラーは10打席連続安打を記録した。

●1922年、シスラーは連続安打試合41を記録した。これは、1941年にジョー・ディマジオが連即安打試合56を記録するまでのAL最長記録だった。また、その年は、打率.420でALの首位打者にもなった。また、シスラーは、1925年には連続安打試合34を、1920年には25を記録している。

●シスラーは、打率.340でキャリアを終えた。

●シスラーは、7シーズンの一部づつを投手としてプレーし、その生涯防御率は、2.35だった。

●『レトロシート』の調査結果によれば、シスラーは、50安打月を10回記録しており、これはメジャー最多記録でもある。(イチローは4回)

                                  (以上)

[29040へのレス] イチロー選手の記事(2) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/01(Wed) 23:59
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イチロー、自分を疑っていた者達が間違っていた事を証明する
     ― ジョン・レベスク、シアトル・ポスト、8/31―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/188661_leve31.html


許してくれたまえ、イチロー。私は罪を犯してしまった。

私は、君がもうダメだと思ったんだ。

でも、再調査の結果、ダメなのは自分のほうだということがわかった…。

2ヶ月ほど前、私はシアトル・マリナーズの酷い凋落振りについて皮肉たっぷりのコラムを書き、向こう見ずにも、イチロー・スズキはもやは見ていても楽しくはない…などと書いてしまった。なぜなら、彼の打率は、たった2週間の間に.314などという信じられないほどの低レベルに急降下してしまっていたからだ。

打席での彼は、弱点だらけの普通の打者のように見えた。クラブハウス中に蔓延した無気力感が、「背番号51」さえをも包み込んでしまったかのように見えたのだ。

あのコラムが出た後、彼は8週間に渡って.444も打ち、シーズン通算打率を55ポイントも伸ばした。

本当に、ビックリだ。

全ては私のお陰である…と言ってみたいところだが、私は『ブレット・ブーンの自惚れ通信教育講座』の全過程をまだ終了してはいないので、多分、イチローの成功には、私は何の関係もないのだろう…と思っている。

いずれにしても、彼の打率が.370付近を往ったり来たりしていることで、新聞のコラムニスト達やラジオのコメンテーター達の間では、果たしてメジャー選手のシーズン通算打率が4割に達する事ができるものなのかどうかについての議論が再燃している。

そんなことが起きる可能性より、『野球の申し子、テディー』(遺体が冷凍保存されている最後の4割打者テッド・ウィリアムスを指す)が解凍してしまう方が先に違いないが、もし、そんなこと(4割に達する打者が現れること)が起こるとしたら、それには絶対イチローが絡んでいるに違いない…と私は確信している。

また、私は、マリナーズの崩壊が、「ファンの人たちに何か応援できるものを、チームの成績がふがいなくても球場に足を運んでもらえる理由を提供しなくてはいけない―」というイチローの決意を、より強固なものにしたのであろうとも確信している。彼は、球団のマーケティング担当者にとっては、まさに“救いの神”となっているのである。

気になるのは、過去2年間の夏の終わり頃に彼を連続して襲った不振のことである。昨年の最後の2ヶ月間の打率が.256、そして、その前の年の同じ時期の打率が.266…。イチロー自身も、どうやって、また、なぜ、“ジェイ・ビューナーの魂”が8月と9月の2ヶ月間に自分の体に侵入してくるのか、不思議に思っていたはずだ。

今年の場合は、明らかに『侵入禁止』の標識が出ているようである―。

その標識が最後までずっと出ていて、それによって、9月に入ってもイチローが.450近辺の打率をずっと維持できると仮定すると、シーズン終了時には、彼の打率は.380を越える事になる。これは、1980年にジョージ・ブレットが.390を記録して以来の高打率である。

しかしながら、シーズン打率.400に達しようと思えば、9月は気を失わんばかりに打ちまくりでもしなければ、とうてい間に合わない。最後の32試合で.590近辺を打ち続けなくてはならないのだ。

多分、そんな事は起こらないだろうと私は思っている。

その一方で、私が間違っているという可能性もある。実際、以前も間違えたことだし―。

というのも、我々は、まだイチローの秘めている可能性の全てを見てはいないのではないか…と私は思っているからである。

首位打者争いでイチローに一番近いところにいるメルビン・モーラがアトランタ・ジャーナル・コンスティトゥーションに最近語ったところによると、こうだ:「イチローは、球界1の選手だ。それ以上、言いようがない。彼は賢いし、打撃も走塁も送球も守備も、なんでも出来る。とにかく、最高の選手なんだ。こんなヤツと、どうやって競えばいいって言うんだい…?」

なかなか、いい質問だ―。私にも、その答えはわからない。でも、2年前に日本で出版されたナルミ・コマツの本が来月にはアメリカでも出版されるので、それを読めば、マリナーズで一番付加価値の高い選手について、もっと何かわかるかもしれない。

コマツの本、『イチロー・オン・イチロー』は、一言で言えば、マリナーズのスター選手との長々とした一問一答を一冊にまとめたものである。シアトルのサスカッチ・ブックスが発行するアメリカ版には、昨シーズンに関する質疑応答も追加されている。

コマツの訊く質問は、おもねるような感じのものが多いのだが、時たま、とても興味深い答えをイチローから引き出す事に成功している。

私が最も気に入っているものは、シアトルでの最初のシーズンからのものだ。コマツが、イチローに、メジャーでの初めてのホームラン(2001年4月6日、対レンジャース戦)について訊いているのだ。

ほとんどのホームラン打者が、「ただジャストミートを心がけただけ―」と答えるところを、イチローはこう答えているのだ:「勿論、、狙って打った。僕のホームランは、ほぼ100%が、ホームランを打とうと思って打ったものだ。」

本当に、ビックリだ。

アメリカの大多数の運動選手に比べて、イチローは、明らかにより深く自分自身がやっていることについて考えている。アメリカの選手達は、「考えすぎてはいけない」とコーチや指導者達に教えられることが多いからだ。

日本での最後のシーズンとなった2000年に、イチローは、一時、打率4割あたりを往ったり来たりした。最終的にはそのシーズンを.387で終わったのだが、その当時は意識的に4割を目指していたのだとイチローは言う。

「4割に近づけるだけ近づこうと思っていた―」と彼はコマツに語っている。「最後には、そのレベルに達するための準備は全て出来た、と言う風に思うことができた。投手が投げてくるストライクのうちの60%から70%を捉える事が出来れば、4割打つことも不可能ではないと思っていた。」

本当にビックリだ。

しかし、イチローは、どんな球が来るのかに関してヤマを張ることはない、と言う。そんなことをしても、たいした意味がない…と言うのだ。

「勘だけに頼るということは、外れる可能性も非常に高いわけで、非常に危険な事だと思う。・・・僕は、30%ぐらいしかそういうもの(どういう球が来るのだろうか、と予想すること)には頼らない。あとの70%は、どんな球種であろうとどんなコースに来ようと、物体としてのボールだけに意識を集中している。」

本当にビックリだ。

どんなチームでも、彼のように野球のメンタルな部分を大事にしさえすれば、単に優れた身体能力に頼ることで得られる成功よりも大きな成功を得られるはずだ…とイチローは信じている。

「確かに、身体能力に関しては、こちらの野球のレベルは非常に高い。でも、僕にとっては、野球のメンタルな部分や戦術的な部分もとても大切なんだ。そういうことにも注意を払うようにすれば、どんなチームにとっても、大きなプラスになると思う。いろんな可能性が広がると思うんだ。僕は、マリナーズにも是非そういうチームになって欲しいと思っている。」

私の勘では、マリナーズは、イチローのいうようにはなっていない気がする…。

私が間違っているといいのだが―。

(以上)

[29025] イチロー選手の記事(1) 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/09/01(Wed) 14:52
イチロー選手の大活躍を受けて、次から次へとイチロー選手関連の記事が掲載されており、全部把握するだけでもアップアップの状態になってしまっている今日この頃の私でございます…。^^;(…もちろん、嬉しい悲鳴なんですけどね^^)

で、まずは、夕べアップされたシアトル・タイムスの“記録一覧表”のような記事をお届けすることにします。急いで訳したのでちょっと雑ですが、平にご容赦の程お願い申し上げます。m(__)m

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     今まさに歴史を創りつつあるM’sのイチロー(M's Ichiro: History in Motion)
            ― ボブ・シャーウィン、シアトル・タイムス、8/31 ―
  http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2002020984_ichiro31.html


歴史というのは、ともすると、いつのまにか創られて気付かぬうちに通り過ぎていってしまうものだ。現在、歴史的ペースで安打を製造し続けているイチローに関しては、ファンの人たちは、先日マリナーズのボブ・メルビン監督が言っていた通りにすべきであろう―:「とにかく、今は、自分達の目の前で繰り広げられている事を楽しむべきだ…こんなことは、今まで誰もやったことのないことなのだから―」

マリナーズの今シーズンがつまらないものになってしまった一方で、イチローは、壮大なベースボール史上でも特筆すべき偉大なシーズンを過ごしつつある。今季の彼は、既に3回の50安打月を記録しており、詳しいリサーチによれば、どうやらこれはメジャー史上でも初めての快挙らしいとのこと。さらに、あと32試合残した時点での彼の総安打数は209であり、このままのペースで行けば、260までも到達する勢いである。シーズン最多安打のメジャー記録は、1920年にセント・ルイス・ブラウンスのジョージ・シスラーが打ち立てた257本である。

「その記録は、まだ1試合につき1人か多くても2人の投手しか使わなかった時代のもの。今は、投手起用の役割分担もずっと細かくなっていて、彼を打ち取るためだけに新しい投手が投入されたりもしている。」とメルビンは言う。「そういう意味では、彼が今やっていることは、これまでに誰もやったことのないことなんだ。彼のことを毎日話す上で、その都度、何か新しい褒め言葉をみつけようとしているんだが、とにかく最高の選手だと思うし、バットを握らせたら彼の右に出る者はいないとも思っている。」

イチローは、既に、新人の年から4年連続して200安打以上を打つ、というメジャー新記録を達成している。

シーズン最多安打新記録を達成できるかどうか訊かれたイチローは、通訳を通して次のように答えている: 「今は、そのことは全く考えない事にしている。なぜなら、僕は、目標というのは目に見える手近なものであるべきだと思っているのに、その数字は、目標にするには遠すぎて今の僕には見えないからだ。」

―しかし、周りにいる我々は、しっかりと見ていなくてはいけない。

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★数字で見るイチロー★


●イチローは、『1シーズン3回の50安打月』を記録した初めての選手である。(現在精査中…)

●彼は、『2ヶ月連続で50安打月を記録した選手』としては、1936年のジョー・メドウィック以来初めての選手で、メジャー全史上でも6番目の選手である。(1917年のタイ・カッブ、1924年のロジャース・ホーンスビー、1929年と1930年のビル・テリー、1930年のルー・ゲーリッグ、そして1936年のメドウィック)

●彼は、『通算4回の50安打月を記録した選手』としては、1979年のピート・ローズ以来初めての選手である。

●今日(現地31日)の試合で1安打して8月の安打数を54本にすると、アレックス・ロドリゲスが記録した『1ヶ月の最多安打のマリナーズ球団記録』に並ぶ事になる。

●残り32試合となる昨日現在で209安打しているイチローは、このままのペースで行けば、260安打に達する事が可能である。ちなみに、メジャー記録は、1920年にセント・ルイス・ブラウンズのジョージ・シスラーが記録した257安打である。

●シスラーの記録に到達するためには、イチローは残り試合を、1.5安打/試合のペースで打っていく必要がある。彼の現在のペースは、1.62安打/試合である。

●『複数安打試合数』65試合と言うのは、リーグトップである。

●209安打というのは、2位を39本引き離して、リーグトップの数字である。

●彼は、『新人の年から4年連続して200本安打以上記録した初めての選手』である。

●彼は、今季、出場125試合目(マリナーズ全体の試合としては126試合目)で200安打に達したが、これは1930年以来、『最速の記録』である。

●彼は、『4年連続して200安打以上記録した選手』としては、11人目である。

●『200安打以上のシーズンを生涯を通して4回以上記録した選手』としては、31人目である。

●この4年間弱の彼の総安打数は、今現在871本で、これは、『新人の年から4年間の総安打数記録』としては過去最高である。(今までの記録は、841本)

●もし、今季シーズン終了時点で彼の4年間の総安打数が880本に達すれば、『4年間の総安打数記録』としては、少なくとも1946年以来では最高となる。このままのペースいけば、シーズン終了時には、彼の4年間の総安打数は922になる可能性がある。

●今現在、彼の『メジャーでの生涯打率』は.337で、これは昨シーズン終了時点よりも9ポイント高くなっている。また、これは史上19位に当たる数字である。

●オールスター明け以来の彼の打率は.450(196打数90安打)である。また8月の打率は、.457である。

●日本での7年間の実績を含めると、彼の『総合生涯成績』は、通算打率.346、200安打シーズン5回、首位打者8回となる。

●彼の現時点での打率は.369で、これは2位を20ポイント引き離してのア・リーグトップである。

●それ以外にも、イチローは下記の項目でもア・リーグ1位である: 対左投手の打率(.407)、対右投手の打率(.352)、ロードでの打率(.383)、デーゲームでの打率(.396)、得点圏打率(.354)
                                   (以上)

[28913へのレス] Re: メルビン監督は今期限... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/08/30(Mon) 15:28
既に議論は出尽くした感もありますが、まだ読んでいない方のために、原文を全訳してご紹介する事にします。個人的には、監督批判と言うよりも、むしろフロントオフィスや選手達に対する痛烈な皮肉の方が印象に残る記事になっているような気がします…。


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      メルビンは、マリナーズの来季の構想には入っていない
           ― ラリー・ラルー、ニュース・トリビューン ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/story/5483877p-5422049c.html



2004年マリナーズの状態を考えれば、ボブ・メルビンがその視線を現在ではなく、球団の将来に向けていたとしても非難されることはないだろう。

しかし、だからといって、彼の気持ちが明るくなる事はないはずだ。なぜならば、メルビンはその将来構想には入っていないからである。

マリナーズがこれほどまでに酷い状態に陥ったのは、1992年以来のことである。その年に監督を務めたのは新人監督のビル・プラマーだったが、戦力らしい戦力も与えてもらえなかった彼は、そのわずかな戦力の使い方が悪い…という理由でクビになった。

シーズン終盤に、マリナーズの来たるべき未来に目を凝らしたプラマ―は、自分の姿をそこに見いだすことができなかったのである。

ここ10年ほどの成功に慣れきったこの町にあって、メルビンは、『本当はあんたのせいじゃないけど、それでも消えてくれ―』という、プラマーが受けたのと同じ扱いを、今、受けようとしている。オフシーズンの破滅的なトレードが自分のブルペンを台無しにするのを黙って見ている他なかったプラマ―のように、メルビンも、周り中が自分よりも大きな報酬を手にして同情の眼差しを投げかける中、勝利を目指して最後の162試合目まで努力し続ける事になるのだろう…。

当時のプラマ―にとっての終末は、12月のトレードで、マイク・ジャクソン、ビル・スィフトとデーブ・バーバが既に全盛期を過ぎたケビン・ミッチェルとの交換でジャイアンツへトレードされた時に始まっていた。その年のマリナーズは、“2人クローザー体制”(ジーン・ハリスとカルビン・ジョーンズ…2人ともキャンプでの防御率が6点台)のまま春期キャンプを終了せざるを得なかったのである。

前年度に球団史上初の勝ち越しシーズンを経験したばかりだったお陰で、シアトルが1992年に98敗もした時は、ほとんど前代未聞の大惨事のように騒がれた。

今年のメルビンにとっては、98敗ですめば、御の字になるはずだ。

2年前のルー・ピネラは、この日が来る事を既に察知していた。素晴らしい選手達は目に見えて衰え始めており、彼らと共に優勝争いを繰り広げた輝かしい日々は、まさに終わりを告げようとしていたのである。

そして、1年前のパット・ギリックも、この日をちゃんと予感していた。GM職そのものに対する色気を失ってはいない事は明らかだったにも拘わらず(…この春、ギリックはドジャースのGM職に志願している)、手元の戦力をじっくり吟味したギリックは、マリナーズのGM職を放棄する事を選択したのだ。

しかも、彼は、まったくの潔白だった…というわけではなかったのである。メルビンの最初のシーズンにジェフ・シリーロという大きなお荷物を押し付けたのは、他ならぬギリック自身だったからだ。

今季、弱体化しつつあったロスターを梃入れする役目を与えられた新GMのビル・バベージは、まず最初にミゲル・テハダとの契約を試みて失敗し、次にオマー・ビスケールのトレードを画策したが、これまた身体検査不合格のお陰で実現しなかった。

3つ目の選択肢が、リッチ・オーリリアと契約するか、あるいはカルロス・ギーエンを保持するかになった時、決断に加わる資格のあった人間は、メルビンを含めた全員が、オーりリアと契約する方を選んだ。

今季バベージが獲得した選手達―オーリリア、スコット・スピージオ、クィントン・マクラケン、そしてシリーロを捨てる時に獲得せざるを得なかったケビン・ジャービス―は、全員が大失敗に終わった。

かつては磐石だったブルペンも、今年は自滅の道を辿り、長谷川もマテオもプッツも、誰一人として8回のセットアップの役目を果たすことができなかった。左腕のマイヤーズに至っては、1登板につき1人しかアウトにできない有様だった。

クローザー問題など、ほとんど意味がなかった。マリナーズは、クローザーに試合を任せるところまで辿り着く事すら出来なかったからである。

今年の先発投手陣は、誰一人として、200イニング以上を投げることもないだろうし、10勝以上上げる事もないだろう。

攻撃面では、オーリリアとスピージオの貢献度は、ほとんどゼロに等しかった。もっと痛かったのは、ベテランのオルルッド、マルチネス、ブーンの面々までもが同じ状態だったことだ。

メルビンは、もっと足を使った野球をしようと試みた。しかし、イチロー・スズキは、走る自由を与えられても一向に走ろうとしなかっただけでなく、明確な盗塁サインが出ていた時でさえ、走ることを拒んでじっとしている事が度々あった。

以上の事が示唆するのは、「チームの方がメルビンの期待を裏切ったのであって、決してその逆ではない―」という事実である。そして、それを裏付ける証拠は、他にいくらでもあるのだ…。

しかし、メルビンがマリナーズというチームに自分の刻印をしっかりと押すことが出来なかったのも事実だ。チームに対してもファンに対してもメディアに対しても、彼は自分の個性を印象付けられなかった。

また、ほとんどの新人監督がそうであるように、メルビンも部下に責任を委譲することに関しては下手だった。彼は、チームに関することの全てを自分1人でやろうとし、コーチたちに上手く責任を分散させる事が出来なかった。

試合で惨憺たるプレーをした選手を呼んで話をするようなこともあったが、それもたいした効果はなかった。

先週のセーフコーでの「古きライオン」と「若きもの」との違いは、あまりにもはっきりとしていた。メルビンの作戦自体は、全て正しかった。ある時点で、メルビンは勝ち越しランナーを得点圏に進めるためにバントを命じたが、チームのベストヒッター達があえなく失敗する様を眺めるしかなかった。

ピネラも同様にバントを選択したが、彼の選手達は、きちんと役目を果たした。

この結果の違いは、単に選手達の個人能力の差にあったのであろうか…?多分、違うだろう。ピネラの下でプレーした経験のある選手なら、誰もが、チャンスに失敗して“スィート・ルー”の逆鱗に触れる事は極力避けたい…と思うはずだからだ。

メルビンの逆鱗の場合は―まあ、ね…。

メルビンとピネラを単純に比較するというのは、初めから不公平な事ではあったのだ。現在のMLBの状態と言うのは、PGAのそれと少し似ている。誰もがよく知っている3,4人の監督以外は、ほとんど話題にも上らない無名監督の集りでしかないのだ。

ミルウォーキーの監督を知っている人間が、どれくらいいるのだろうか―?アリゾナは?クリーブランドは?トロントは…?

また、たとえ名前だけは知っていたとしても、はたして、彼らの采配の特徴までは知っているのだろうか…?

年間で100試合負ける監督がいれば、そのうちの90試合程度は、間違いなくチームやフロントの“助け”があってこそ負けているのである。今年のメルビンも、充分にその“恩恵”を被っていたと言える。

来年も、メルビンはマリナーズから年俸を受け取る事になるだろう。ただし、監督としてではなく…。

このオフに球団再建計画が本格的に実施され始めると、マリナーズはロスターだけでなく、チームのイメージをも変えようと努力するはずだ。チームの将来が明るいと言う事を、来季の最初の試合がプレーされる前に、シアトルのファンにしっかりと印象付けなくてはならないからだ。

そして、そのことは、メルビンはその計画には含まれていない―ということを意味するのである…。

                            (以上)

[28820へのレス] スポーツ・イラストレイテッドcomのイチロー選手の記事. 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/08/27(Fri) 23:37
(…容量オーバーで2つの記事をいっぺんに投稿できませんでした〜。^^; でも別スレッドを立てるまでもないので、ここに付け足すことにしますね…)(^^)


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               単打の世界(Singles Scene)
       ― ジョン・ドノバン、スポーツ・イラストレーテッドcom(8/19)―

http://sportsillustrated.cnn.com/2004/writers/john_donovan/08/19/ichiro.singles/index.html

― 究極のスラップ・ヒッターであるイチローにとって、長打を狙わないのは自分自身の安売りである―



イチロー・スズキなら、例え目隠しをされて打席に立ち、50フィートのところからランディー・ジョンソンにスライダーを投げられ、その背後に魚獲網を携えた12人の野手とボール好きの猟犬が待機していたとしても、4打数3安打、いや、4打数4安打すらたたき出せる可能性がある。

イチローのような才能を持った選手は、他にはいない―まさに自動安打製造機である。レフト、ライト、センター返し、ゴロ、内野手の頭をふわりと超えるポテンヒット…なんでもござれだ。彼は、ありとあらゆる方法で、いつどんな時でも、必ずヒットを打つ。

4月末以来、この男には連続無安打試合というのが1回もない。彼は、今季、既に2回も1ヶ月50安打を記録しており(68年ぶりの快挙)、このままでいけば、3回目も達成するだろう。現在の打率は.366、メジャーで1位の数字だ。今月の打率は、.516もある。

デビューの年からの最初の4年間で、イチローほど多くの安打を叩き出した選手はメジャー史上誰もいないし、まだ6週間分の試合が残っていることを考えると、その記録はさらに伸びていくだろう。今季、彼以上に多くの内野安打を打っている選手も他にはいない。彼のように速くは、誰もバッターボックスから飛び出せないからである…。

…なのに、ここで1つの疑問が湧いてくる―なぜ、我々は、もっと多くを彼に要求したくなるのだろう…?これ以上、一体何が不足だというのだろうか…?

まず、最初に、これだけは、はっきりさせておこう―。マリナーズの驚くべき右翼手イチローは、眺めているのが実に楽しい、球界随一のエキサイティングな選手である。超音速のスピードと超英雄級の強肩を誇り、独自のスタイルをもち、熱烈なファン層を従え、そして、それよりもなによりも、とにかくよく打つ。頭部への死球で止める以外には…そして、ロイヤルズの新人投手のジミー・セラーノは、水曜の夜にまさにそれをやってしまったのだが…バットを手にした彼を攻略するのは、ほとんど不可能だ。

しかし、もうすぐで4年となる彼のメジャーでの数字が示す通り、「単打製造」が彼の攻撃の限界であることは、もはや誰の目にも明らかになってきている。彼は、四球で出塁する事には最初から興味がなかったし、また、彼ほどボールコンタクトが上手くて脚が早ければ、四球を選ばなくても、十分頻繁に出塁できる というのも事実である。ヒットを打って1塁に出ることこそが彼のスタイルであり、長打は彼の得意技ではない。彼は、歴史的に名を残すような“スプレーヒッター”であり、外野の隙間に長打を放って2塁を狙うよりも、地面に打球を叩きつけて俊足でヒットにしてしまう可能性のほうが遥かに高い選手なのだ。

そして、それはそれでいい。全く問題ないし、素晴らしいことなのだ。しかし…。

…少なくとも、心の隅に絶えず引っ掛かっていてどうしても消えないこの思い、「彼ほどの才能があれば、もっと多くを達成できるに違いないのに―」、というこの思いさえなければ、なんの問題もないのだ。

「彼自身は、多分、今の自分に満足しているのだろう―」と首位打者のタイトルを過去に8回も獲得しているトニー・グィンは言う。「もし、そうならば、彼はその分野ではトップの選手だし、その分野の“名人”といえる。」

若い頃のグィンは、今のイチローによく似たタイプの選手で、長打を犠牲にしてでも単打を積み上げる事の方を好んだ。しかし、1992年にテッド・ウィリアムスと話す機会を得たことが切っ掛けで、「もっと長打を狙わなくてはいけない―」というふうに、自分自身の考えを変えることになった。そして、万が一、そうすることで打率が下がるようなことになったとしても、それはそれで構わない(実際は、そうはならなかったのだが―)、と グィンは思ったのである。彼が高打率を上げられる選手である事は、既に実証済みだった。1994年から1999年にかけて、グィンはシーズン2桁本塁打を4回達成し(キャリア通算回数は5回)、それまで記録した事のなかったシーズン40本以上の2塁打も2回記録した。

イチローも、今、同じような分岐点に差し掛かっているのかもしれない。彼が出塁できることは、もうわかっている―誰にとっても、周知の事実だ。彼は、メジャーデビューの年から4年連続で200本安打を達成する初めての選手になろうとしている。水曜日に受けた頭部死球の影響で多く休む事さえなければ、1シーズン最多安打記録を破る微かな可能性すらある。そのマジックナンバーは『257』、1920年にセント・ルイス・ブラウンスのジョージ・シスラーが打ち立てた記録である。

そして、もしイチローがその記録に届かなかったとしても、彼が達成できそうな記録がもう1つある。最多安打記録ほど派手ではないが、1898年にボルチモア・オリオールズのウィー・ウィリー・キーラーが立てた最多単打記録の『206』である。イチローは、今日現在で189本の安打を打っており、そのうちの159本が単打なのだ。

「僕が目指しているのは、ファンの人たちが、『ああ、今日もいつもと変わらない(いい)調子でやっているな―』と思ってくれるような、そんな選手になることなんだ」とイチローは、先日記者達に向って語ったという…。

イチローがバットを振るところをみたことがある者ならば誰でも、彼がかなりの長打力の持ち主であることを知っている。彼にはそれだけの才能があるのだ。彼が打撃練習中に披露するパワーには、目を見張るものがある。この1週間の間にも、彼は2試合連続して先頭打者ホームランを打っており、そのうちのNYY戦で放った1本は、なんと424フィートも飛んだ。やろうと思えば、彼はできるのである…。

…と、こう考えてくると、彼ほどの才能とパワーと抜群のスピードの持ち主が、今季、わずか20本の2塁打と4本の3塁打しか打っていないという事実は、にわかには信じられない事ではある。(本塁打も、わずか6本のみ。)今季、500打数以上を記録している38人の選手のうち、イチローより長打が少ないのは、たった1人(イチロー同様、スピードと単打が売りのフロリダのファン・ピエール)しかいないのである。

ある選手の「Isolated power」というのは、その選手の「長打率」から「打率」を引いたもので表されるが、イチローのisolated powerは「.089」となり、これは規定打席に達した160人の選手の中では、150番目の数字である。

現在の彼は、1塁へ出ることにかけては右に出るもののいないスラップヒッターであり、また、それだけで満足している選手のようにも見える。派手な(gaudy)打率のお陰で、彼の出塁率(=リードオフマンの能力を測るためには、非常に大事な数字)は『.409』まで急上昇し、これはメジャー全体でも10位の数字である。イチローは、得点チャンスを数多く作り出すという意味では、まさにリードオフマンの鑑とも言うべき存在である。打線で彼の背後に控えるチームメート達が、これほどまでに酷い集団スランプに陥ってさえいなければ、彼自身の『得点』も、もっと増えていたはずなのである。

―とはいえ、もしこのリードオフマンがもう何本か多く2塁打を打ってくれていたなら、マリナーズとしてもかなり助かっていたのではないだろうか?外野手の間を抜くラインドライブがもう少し多かったら、色んな人が恩恵を被っていたのでは…?

シアトルの長年のDH,エドガー・マルチネスの全盛時の打撃スタイルをほんの少しばかり真似てくれたとしても、何の問題もないのではないだろうか…?

もちろん、イチローとエドガーは、色んな意味でタイプの違う選手である。しかし、マルチネスが野手からレギュラーのDHに移行した時に、努力して自身の長打力に磨きをかけたことは事実だ。イチローに対して、誰も全盛時のエドガーと同等の長打力など期待してはいない。エドガーと違って、 イチローには守備の負担もあり、そのポジションでオールスターにも選ばれた選手だ。また、イチローは、出塁最優先のリードオフマンでもある。

しかし、あとほんの少しばかり、余計にパワーを期待したとしても、バチは当たらないのではないだろうか…?例えば、2塁打をあと何本か多めにとか―?

「自分のプレースタイルをかえるというのは、金を稼ぐ選手としての自分の価値にもかかわる事なので、とても難しい―」とグィンは言う。現在の彼は、サンディエゴ州立大学野球部の監督で、ESPNの解説者も務めている。「でも、私にとって、その自己改善はどうしても必要だったんだ。『自分にはできるんだ』ということを、証明するためだけにでも―。」

イチローが安打に次ぐ安打を叩き出す様を見るのは、今季のマリナーズの試合を観る上で残された、数少ない楽しみのひとつだ。彼の一連の動作―静かに張り詰めた雰囲気の中で行われるスィング前の儀式から、バッターボックスを飛び出す時の滑らかな躍動感に至るまで、全てが例えようもないほど美しい。このままいけば、彼の野球人生は、真に歴史的なものになるのかもしれない。 

「メジャーの誰一人として、彼の真似できない―」ということを、彼はまたもや証明しつつあるが、それが終わった来年こそは、何か違うことをして見せるべき時なのではないかと、筆者は思っている。

グィンが言うには、1992年にテッド・ウィリアムスに会って打撃について話したことは、彼自身のキャリアを劇的に変えるきっかけとなったのだそうだ。それは、さらには彼の人生をも変えたと言う。―そして、もし、今後、イチローに会う機会があれば、グィンは彼にも同じメッセージを伝えるつもりでいる。

―全力で挑戦してみろ、と。

「私は、昔から、野球をやって行く上での選手にとっての最終目標は、自分がなれる最高の選手になることだと、ずっと思ってきた。彼が単打を量産できる事は、もうわかった。なので、次は、それプラス、エドガーのようになれるように、努力すべきなのでは、と私は思う」とグィンは言う。「真に尊敬されるに足る選手であろうとするならば、目ざすべきことはただひとつ―自分にとって可能な限りの最高の選手になることなんだ。」

確かに、これほどまでに完璧に近い状態にあるものを弄る…ということは、非常に難しいことではある。

―しかし、それをできる人物がもしいるとしたら、それはイチローなのだと思う。

                                     (以上)
 

[28820] ESPNcomに載ったイチロー選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/08/27(Fri) 23:29
念願の4年連続200安打が、今日、めでたく達成され、もうジンクスも何も心配する必要もないと思うので^^;;、先日話題になっていたESPNとスポーツ・イラストレーテッドのイチロー選手の記事を、2ついっぺんにご紹介する事にします…。 最初にご紹介するこの記事は、イチロー選手がスランプだった5月に、『イチローはもうダメだ―』という辛辣な記事を書いたアラン・シュワルツ氏の、いわば“訂正&お詫び記事”にあたるものなのですが、個人的には、ところどころチクチクと引っ掛かる箇所もある気がする記事になっています…。


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         イチロー、ヒットパレードを行く(Ichiro Rides Hit Parade)
  ― アラン・シュワルツ、ESPN(8/20) ―

http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=schwarz_alan&id=1861009


まあ、「Ichi Culpa(イチに関する過失)」とでも呼ばせてもらおう―。

崩壊途上にあったマリナーズがNY遠征で大苦戦していた5月中旬頃、私はESPNcomに、イチロー・スズキの衰退に関する記事を書いた。(注:時間があれば、比較のためにこの記事もそのうちアップしたいと思っています…)当時彼の打率は.317はあったとは言え、前年度からその時点までの彼の全体的なパフォーマンスを見れば、彼がもはや、2001年から2002年にかけて我々を感嘆させたあの頃と同じ選手ではないことは明らかであった。彼についてのポジティブかつ寛大なコメントと並んで、私は、スズキの『向こう側が透けるほど薄っぺらい攻撃面での貢献度』について触れ、彼が『単調かつ一面的なシングルス・ヒッターに成り下がってしまった―』と書いたのだ。

すると、ほぼ予想通りに、熱烈なマリナーズファンの面々から、大量のいやがらせ抗議メールが殺到したのである。私の長年の経験では、マナーと言語能力に関しては、マリナーズファンは、あのディック・チェーニーでさえ赤面するほどのレベルであると言える気がする。―それはさておき、これも予想の範囲以内だったのかもしれないが、私のコラムに刺激されたかの如く、イチロー・スズキなる選手が、突如としてヒットを量産し始め、私までもが恥ずかしさから赤面する羽目に陥ったのであった…。

イチローは、相変わらず、打席での辛抱強さとは無縁のようである。

5月1日以来、イチローは次のような事をやってきた:

(1)打率.394、50安打月が2回。8月も既に33本打っており、このままいけば、3回目の50安打月もありえる。

(2)出塁率を.409(1番打者の中ではトップに近い数字)まで上げて、卓越したリードオフマンとしての地位を再確立した。極端に単打が多いのは相変わらずだが、彼のOPS.864という数字は、リードオフマンとしては、レンジャースのマイケル・ヤング(.881)に次いでリーグ2位である。(注:記事が書かれた当時の数字)

(3)オールスター明けからは、さらにバカバカしいいほど絶好調である…オールスター後の打率は.483、OPSは1.113である。

(4)2度目の首位打者獲得の可能性を確かなものにし、安打数でもジョージ・シスラーのメジャー記録257本に並ぶペースで来ている。

(5)リーグ全体を、「わけがわからん…」と当惑させた。

「彼は、バット裁きも上手いし、足も非常に速い」とツインズのロン・ガーデンハイヤー監督は言う。先週の対ツインズ3連戦で、イチローは7本の安打を叩き出している。「他の打者なら手も出ないようなカーブでも、彼は1塁に走り出さんばかりの体勢でファールに出来るんだ。3割5分も打っているようなヤツを、止める事なんて出来やしないよ。」

「彼を見ているのは、本当に楽しい。彼のプレーには、何か人を惹きつけるものがあるね」とA’sのエリック・チャベス三塁手は言う。「彼は、色んな方法で相手チームにダメージを与える事ができる。たいしていい当たりでなくても、走者を生還させる事ができるしね。走者が塁に出ている時に、一番打席に迎えたくない選手だ。」

同じチームのチームメートも、次のように証言する:

「ホームベースに打球を叩きつけるかと思うと、内野手の頭をギリギリ超えるような当たりをチョコンと打つ。そして、次の打席では痛烈な当たりを1本―。もうこれで、あっという間に3安打だ。」とブーンは言う。「それもこれも、彼のバッターボックスから飛び出すスピードが尋常じゃないからだ。ホームから1塁までのスピードにかけては、彼の右に出るものはいないと思う。多分、メジャー史上でも誰も―。だから、僕も時々、彼にこう訊いてやるんだ:『おい、そんなのまでヒットに数えるつもりかい?この世の他の誰も、そんなヒットは打てやしないよ―』ってね。すると彼は、『わざとやってるんだ―』って答えるのさ。」

確かに、スズキのプレースタイルは、『ホームランを一発打って、ノンビリとベース一周すればいい―』という現代野球のメンタリティーとは馴染まない部分がある。スィングの途中から1塁へ走り出すような彼独特のスタイルは、彼の驚異的な『ハンド・アイ・コーディネーション(手と目の連携)』とスィングのフォロースルーの短さとに支えられている。その2つのお陰で、たとえ体勢が崩れていても、ボールにバットを当ててインプレーにできるのである。(さらに言えば、実は、手もみかけほどには動いていなくて、ちゃんとヒッティングポジションに残っているのだ…)たまに打つホームラン(ほとんどが右翼スタンドへのもの)以外は、彼の打球はダイアモンド上に満遍なく散らされて、そのうちの多くが不意を衝かれた内野手めがけて飛ぶこととなる。

「彼の場合、2塁手のところへ飛んだ打球でも全力疾走してヒットにしてしまう―」とA’sのビリー・ビーンGMは言う。「同じような事をコンスタントにできる打者は、多分、他にはいないんじゃないかと思う。彼は、把握するのがとても難しい選手だ。」

それらを念頭においた時、『イチローは衰退しつつある―』という当時の私の診断は、見当ハズレではなかったと思っている。彼の主なスタッツのほとんどは、2001年以来ジリジリと下がってきていて、彼の4月のスランプ(打率.255、長打わずか3本)は、特に大きな不安材料だったからだ。どう見ても、対戦相手の投手達のほうが、イチローに上手くアジャストしているように見えた。しかし、ここで彼を褒めなくてはいけないのだろう…結果的に、スズキは自分の野球というものを熟知していて、それにさらに磨きをかけて試合に臨む能力にかけては、他の誰よりも勝っていたからだ。

マリナーズの専属通訳を通して、今はこれまでのキャリアの中で(シアトルでの4年間とオリックスブーウェーブでの輝かしい7年間も含めて)、最もいいプレーができている…とスズキは言う。それができている大きな理由の一つは、相手投手と自分自身の野球の研究がうまくいったせいなのだそうだ。「より多くの経験が、よりいい成績に繋がる事を期待しているんだ―」と彼は言う。「そうであってほしいと願っている。」そう言いながらも、彼は、周り全ての人間の考えに反して、今の自分が特別な好調の波に乗っているわけではないと言う。

「別に、自分が今、絶好調だとは思わない…ただ普通にプレーしている、と言う感じなんだ。」と彼は言う。「というのも、昔は、自分の技術も今ほど高くはなかったからだ。若い頃にヒットを量産していた時は、まだ選手として完成されてなかったので、『絶好調だったから打てた―』と言えたかもしれない。でも、今は経験も沢山積んだし能力も上がった。だから、今の僕を『絶好調』というのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。」

現在のスズキは、いわば自分自身が巻き起こした竜巻がアメリカンリーグ中を荒らしまわっている目の中心にいて、一種の真空状態の中でプレーしているような具合なのかもしれない。彼は多分、『シスラー』というのは、チームメート達が夕べ晩飯を食べたレストランの名前だ…ぐらいに思っているのだろう。四球や長打を偏重する今日の球界にあって、彼は、『ヒットを打ちたい』という衝動のみによって突き動かされている気がする。そのヒットの飛距離が400フィートであろうが、わずか90フィートだろうが、あるいは、その打球が1回バウンドしようが7回バウンドしようが、彼にとってはどうでもいいことなのだ。

実際、マリナーズ首脳陣の『もっと辛抱強く球を見て長打を狙うように―』という助言が、彼の今シーズン初めのスランプの原因にもなっていたのである。今年の春期キャンプで、打撃コーチのポール・モリターが、スズキのプレーをより完璧にしようと試みたことが、かえって彼を退化させてしまっていたのだ。

「開幕当初の彼は、あまり積極的に打ちに行かないように努力していたが、それがしっくりいっていないのは、あきらかだった。」とモリターは言う。「彼は、監督や打撃コーチ(=自分のこと)の助言に一生懸命従おうとしていた。でも、後から考えると、彼が本当に納得していたのかどうか―それらの助言に従う事によって自分がより優れた選手になると本当に納得していたのかどうかは、よくわからない。暫くしてから、『もと通りのスタイルに戻した方がいいのかもしれない―』、と彼に言ったんだ。」

スズキ本人も、自分のパワーが(特に、右翼手としては)たいしたレベルではない事は知っているが、そのことに拘るよりも、自分の長所に磨きをかけることのほうが良いと思っているようだ。「パワーも大事だと思うか…?」と訊かれた彼の答えはこうだ: 「もちろん、2塁打や3塁打を打ったほうがホームに近くなるわけだから、当然、2塁打や3塁打は打ちたいとは思う。…でも、大事なのは、2塁打や3塁打をたまに打つような選手に、本当のパワーがあるのかどうかを見極めることだ。パワーのない選手がたまに長打を打つような場合、その選手にとっては、長打を打つことが一番大切なことではないような気がする。」

もし、4月にイチローが自分本来のスタイルから離れていなかったとしたら、彼のシーズンがどういう風になっていたのかを想像すると、驚くしかない。ひょっとすると、打率4割をも脅かしていたかもしれず、これは、彼がほとんど四球を選ばない事(現時点までで34個)や打数が極端に多いこと(現時点で511、今シーズンの予想打数が708となっていて、これはウィリー・ウィルソンのメジャー記録、705打数を越える数字)などを考えると、大変な偉業になるところだった。というのも、今までの4割打者たち(…念のために言っておくと、全員が1941年以前の選手達)の打席数は、平均で560程度しかなかったからだ。自身の積極打法のお陰で、イチローは、そういう先駆者たちに比べて、実質的に25%も長いシーズンを過ごしている事になるのである。

いずれにしても、彼の安打数は今後も増えていくだろうし、そのペースも他に例を見ないほど速いものになっている。シアトルのボブ・メルビン監督も以前言っていたように、イチローが既に2,100本以上もヒットを打っていること(日本での安打数とMLB3年間の安打数の合計)とその年齢のこと(まだ30歳)を併せて考えると、イチローの生涯安打総数がピート・ローズの4,250本に近づいていく可能性も十分に残されている。そういう風に考えていくと、キャリアの大部分をメジャー以外で過ごしてきたスズキではあるが、かつてはニグロ・リーグで長年プレーしたサッチェル・ページやモンテ・アービンがそうであったように、スズキも、その引退時には、野球殿堂入りの候補として真剣に考慮されなくてはならなくなるのかもしれない。

話を現在に戻すと、マリナーズにとっては意味のなくなってしまったシーズンではあるが、イチローのシスラーの記録に対する挑戦は、多分、シーズンの最後の1週間(オークランドでのアウェー4連戦とホームでのレンジャース3連戦)まで続くことになると思われる。「まだ、沢山のファンが、我々の試合を観に球場まで足を運んでくれている―」とスズキは言う。「そのことを思うと、自分としてもいいプレーを見せたいと思うし、ファンの人達もそういうプレーを観て喜んでくれるのではないかと思う。たとえチームの成績が良くなくても、プロとしては自分の能力の限りの最高のパフォーマンスを披露できなくてはいけないと思っている。」

彼のそういった能力は、私が5月に思っていたよりも、はるかに純粋に根強く存在していたようだ。衰退していたのは、明らかに、“この小憎らしいヤツ”(this little bugger)をアウトにすることができない、投手達の能力の方だったのである―。
                                     (以上)


[27668] “バッキー・ジェイコブセン物語” 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/07/18(Sun) 17:02
数日前のシアトル・ポスト紙に、オルルッド選手放出の記事と並んで、“バッキー・ジェイコブセン物語”とでも呼んだ方がいいようなジェイコブセン選手の昇格に関する長い記事がアップされていました。かなり長いので、時間があるときに少しづつアップしていきたいと思っています…。m(__)m

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        無視するには大きすぎる男、バッキー・ジェイコブセン
           ― デービッド・アンドリーセン ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/182410_bucky16.html

(一部略)

マイナーリーグで8年間苦労してきたジェイコブセンは、昨日、とうとうメジャーリーガーになった。3Aタコマでのシーズン前半で26本塁打と86打点を叩き出した1塁手兼指名打者は、もうこれ以上無視し続けることができないほど大きな存在になっていたのだ。

「彼の成績を見て、一方でウチのパワー係の数字と得点力不足の現状を見れば、彼にチャンスを与えなくちゃならくなるのは、当然の成り行きだった」とボブ・メルビン監督は言う。

マリナーズが2−1でクリーブランドを下した夕べの試合に出番はなかったジェイコブセンだが、「間違いなく、試合を観るには最高の席」と彼が称したメジャーのベンチに座れただけでも、満足していたようだった。

ラリー・ウィリアム・ジェイコブセンのシアトルへの到来は、イチロー・スズキ以来の熱い期待をもって迎えられた。人の目を惹き付けずにはいられない特異な風貌の持ち主のジェイコブセン(身長6フィート4インチ、体重270ポンド、卵のようにツルンとしたスキンヘッドに、真っ赤な顎鬚…)には、既に熱狂的なファン集団がついている。

「大学(アイダホ州のルイス・クラーク州立大学)に行って大学野球でプレーできただけでも、俺にとっては夢のようだった」とジェイコブセンは言う。「それに比べたら、今回の事は桁が違う。こんな日が来るなんて、本気で想像したこともなかった…。」

昨日の彼は、球場のどこへ行ってもマスコミに追いまわされ、その笑顔や些細な言葉のひとつひとつが、おびただしい数のカメラやテープレコーダーやメモ帳によって克明に記録された。これは、もう、シーズン半ばの単なる昇格などではなかった―これは、まさに、“伝説の始まり”と呼ぶに相応しいものだった。

「今は、何もかもが、一緒くたにこんがらがってしまっている。ビックリする事が多すぎて、ひとつひとつの区別がはっきりつかない感じなんだ…」と、メジャーでの初の打撃練習を終えたジェイコブソンは言う。「たった今、(打撃練習で)ホームランを打ったんだけど、ケージから出ながら、打球が外野の観客席に入ってカランコロンと転がるのをずっと眺めていたんだ。今まで、ホームランが観客席に入るところなんて、見た事がなかったからね。チェイニー・スタジアム(3Aタコマの球場)では、外野の塀を越えて行ったボールが何処へ落ちたかなんて、さっぱりわからないんだ。」

記録のために書き記しておけば、ジェイコブセンがメジャーのユニフォームを着て初めて“ホームラン”を打ったのは昨日の午後4時2分のことで、ポール・モリター打撃コーチが投げた7球目の球をレフト後方にあるビジター・ブルペンに叩き込んだのだった。打撃練習中に打った柵越えは6本で、その中で最も飛んだ一撃はレフト観客席のアッパーデッキ奥深くまで到達した。

そう、セーフコーでは、どこにボールが落ちるのかいつでもはっきりと見えるのである。

* * * * *

ジェイコブセンのバットは、黒塗りの“イーストンM356型”、長さ34インチ、重さ33オンス。エドガー・マルチネスが使っているのと同じものなので、いいバットに違いないとジェイコブセンは思っている。

バットだけはタコマで使っていたものをそのまま持ってきたが、他のものは、『背番号33』が縫い付けられた白いホームユニも含めて、全て新品である。野球を始めて以来、ずっと『33番』をつけてきたジェイコブセンだったが、カージナルスのマイナー組織からタコマに移ってきた今季前半だけは、『55番』をつけていた。レイニエーズにあった33番のユニフォームが小さすぎて入らなかったので、仕方なかったのである…。

今回支給されたマリナーズのユニフォームのズボンは少々緩かったが、メジャーのクラブハウスで供される豪勢な食事を数週間も食べていれば、すぐにピッタリサイズになるはずだ、とジェイコブソンは思っている。

「ヘルメットのサイズを訊かれて、何号だったか思い出そうとしているうちに、はたと気付いたんだ―ここのは、“耳当て”がひとつしか付いてないヤツなんだよね」と彼は言う。「俺も、やっと、リトルリーグ式のヘルメットとさよならできたってわけだ…。」

ジェイコブセンが月給8千ドルを貰ってプレーしていたマイナーでは、ヘルメットの耳当ては両側についていて、右打者でも左打者でも使えるようになっているのである…。

* * * * *

その電話がようやくかかって来たのは、水曜の午後のことだった。ジェイコブセンとチームメートのジョージ・シェリルは、プロビデンス・コンベンションセンターの宴会場で催されていた3Aオールスターゲームのランチ・パーティーで、雛壇上に設えられた席に並んで座っていた。

ジェイコブセンが自分の携帯をホテルの部屋に忘れてきたしまったために、彼と連絡のつかなかったマリナーズは、まずシェリルに電話をして、シェリルのシアトル行きが決まった事を伝えた。そして、その携帯をシェリルから手渡されたジェイコブセンは、この何年間かずっと待ち続けていた待望の知らせを聞いたのである…。

その後、雛壇の下の一般席に座っていた長年の友人で代理人でもあるジョー・スピードの視線を捉えたジェイコブセンは、黙って親指を立ててみせた。

「とにかく、信じられなかった―」とスピードは言う。「今までの人生の中で、こんなとんでもない2日間を経験したのは初めだ…。」

「ガールフレンドがギュッと強く抱き締めてくれた時は、もう少しで泣き出しそうになったし、ジョーが涙ぐんでいるのを見た時も、涙がこみ上げてきてしまった…」とジェイコブソンは言う。「でも、ぐっと我慢してこう言ったんだ―『おい、大の男が2人もこんなじゃみっともないから、もう止めようぜ』ってね…。」

ジェイコブソンとシェリルは、その日のオールスターゲームには出場しないように言われた。前の晩のホームランダービーで飛距離500フィートの大ホームランを含む大活躍で優勝したバッキーの出場を楽しみにしていた大勢のファンは、最後の2イニングの間中、ずっと「バッキー、バッキー!」の大合唱を繰り返していた。このコールは、そのうちシアトルでも御馴染みになるはずだ。

「広い国の反対側に来て(注:タコマは西海岸、3Aオールスターゲームが開催されていたのは東海岸)、今までバッキーがプレーしているところなんて見たこともない人たちばかりなのに、こうやってバッキーの名前をコールしてくれるなんて、凄い事だ」とスピードは驚嘆する。「とにかく、もの凄かった―今まで、あんなのは見た事がない。誰もが、あいつの事を大好きになるんだ。」

* * * * *

ジェニファー・ボンは、昨年、テネシー州コダックのスモーキー・パークでバーテンダーとして働いていた。スモーキー・パークは、カーディナルスの2Aチーム、テネシー・スモーキースのホームタウンだった。

ボンは、スモーキースの逞しい1塁手と是非一度話をしてみたいと思っていたのだが、なかなか会話を始める切っ掛けが掴めないでいた。

「どうしても、私と話してくれなかったのよ」と彼女は言う。「とにかく、彼に凄く興味を引かれたの。とっても優しくて気前のいい人だったから、『あのスキンヘッドのバッキーという人と、どうしても知り合いになりたい―』って思ったの。」

そして、昨年の6月13日、ジェイコブセンとボンは初めてデートすることになり、それ以降は急速に真剣な付き合いに発展していった。今年の春に彼のタコマへの移籍が決まると、甘いテネシーアクセントで話すこのブロンド美人も、一緒について来る事になったのだ。

昨日、バッティングケージの外に立っていたジェイコブセンは、ホームプレート裏の席にいたボンを見つけた。開門と同時に席についたボンは、『33』と言う数字の入ったブレスレットを腕につけ、晴れやかな笑顔を浮かべながら、ずっと打撃練習を見守っていた。彼女とジェイコブセンは、早朝のフライトでロード・アイランドから数時間前にシアトルに着いたばかりだった。

「今年の春に、私、彼に言ったの―マリナーズがあなたを獲得したのには、何か理由があるはずだ、って」と彼女は言う。「これで、彼の人生もようやく完璧なものになったんだと思う。」

* * * * *

多分、ジェイコブセンの人を惹き付ける不思議な魅力をもっとも雄弁に物語っているのが、「バッキー・バッカース・コム」(バッキーを応援するファンサイト)http://buckybackers.com/の存在だろう。

有望な3A選手のためのファンクラブやファンサイトがあったとしても、それは多少珍しくはあったとしても、考えられないほど突飛な事ではない。だが、このファンサイトの場合、何がそんなに奇怪なのかと言えば、出来た時期がジェイコブソンがまだ遥か下の1Aに所属していた6年前だったということと、それを作ったのが、なんと対戦した相手チームのファンだった…ということなのだ。

或る日、イリノイ州ジェニーバの数人の友人グループが、ケイン・カウンティー・クーガースとジェイコブソンの所属していたベロイト・スナッパーズとの試合を観戦しようと球場に繰り出した。相手チームスナッパーズの右翼手を野次り倒してやろうと意気込んでいたグループは、その選手の名前を調べて、それが「バッキー」というなんともいい響きの名前である事を知った。すると、彼等はその場で方向転換をして彼を応援する側に回る事に決め、急遽「B-U-C-K-Y」という応援サインボードまで書き上げたのだった…。

7回に入って、誰かがそのサインの「B」の部分をグランドに落としてしまった。すると、ジェイコブセンが小走りに駆けよってきてその「B」を拾うと、落し主に渡したのである。試合終了後、ジェイコブセンは、いつでもそうしているように、グランドに残ってグループの面々にサインをしてやった。それが、ファンクラブが誕生した瞬間だった…。

「言葉では言い表せないぐらい、彼のために喜んでいる」と、イリノイ州ホィートン在住のアーロン・ヘイズは言う。彼がこのファンサイトの責任者なのだ。「彼が選手として成長していく様をずっと眺めているのは本当に楽しかったし、その間の彼の前向きな態度も本当に立派だったと思う。彼は、いつでもこう言っていた―『自分ができることを一生懸命やってさえいれば、チャンスは必ずやってくる。だから、メジャーレベルで何が起こっているかなんて、気にしないことにしているんだ』ってね…。誰もが『自分が、自分が―』とうるさく騒ぐ今の世の中で、これは凄く立派な考え方だと私は思う。」

数学の教師でもあるヘイズは、ジェイコブセンのプレーするところ観たさに、これまでにもいくつもの都市を訪れた。シアトルにも出来れば行きたいと思っているが、それが無理なら、シカゴでのマリナーズ戦だけでも観に行くつもりでいる。

「彼は、どこへ行っても人懐っこくて謙虚なので、行く先々ですぐに人気者になる。」とヘイズは言う。「ここまで、いつも上手にアジャストしてきた彼の事だから、シアトルでも期待を裏切るような事はないだろうと信じている。」

* * * * *

昨日のセーフコーには、かなりの人数の家族や友人が地元オレゴン州ハーミストンから駆けつけていたが、具体的に何人来たのかは、ジェイコブソン自身にも判らないと言う。

「切符は15枚ぐらいは用意できたんだけど、それ以上はどうやって取ったらいいのか、何枚ぐらい貰えるものなのか、サッパリ判らなかったから、多分ほとんどの人たちは自分達でなんとかしてくれたんだと思う。」と彼は言う。

ホームプレート裏のゲストセクションには、母親のディアンとその夫のジェイク・マームバーグ、そして父親のラリー・ジェイコブセンが陣取った。

ジェイコブセン父は、チームストアで急いで作ってもらった息子のネームと背番号入りのマリナーズユニフォームを着ていた。だが、試合開始直前まで誰も気付かなかったのだが、ユニフォームの背中のネームのスペルが、なんと「JACOSBEN」になっていたのである…。そのユニフォームが即チームストア行きになって、即修正が施された事は、言うまでもない。

マームバーグ夫妻は、ジェイコブセンが昇格した知らせを一番最初に受け取った人々だった。

「息子から電話がかかって来たとき、私はたまたま車の中にいたの」とディアンは言う。「知らせを聞いて、もう喉が潰れそうになるぐらい、大声で叫んだり怒鳴ったりしてしまったわ。その時の信号が赤だったのか青だったのか、まるっきり覚えてないけど、衝突事故を起こさなかったところを見ると、多分青だったのね。」

「俺は、母さんが泣いて、義父さんが大騒ぎするんだろうと思ってたんだけど、まるっきり逆だったんだ。」とジェイコブセンは言う、「母さんが叫びまくっていて、義父さんの方が泣いていた…。皆凄くハッピーで、ニュースもすぐ皆に知れ渡ったようだった。」

ジェイコブセンの母親は、息子がマリナーズの選手に昇格するまでは、セーフコーフィールドには行かないつもりでいた。しかし、2週間ほど前にはその態度を軟化させて、友人と一緒にマリナーズの試合を観に行ったそうだ。でも、彼女によれば、昨晩の経験はその時のものとは全くの別物だったと言う。

「息子が試合に出てきたりしたら、それこそ心臓が胸から飛び出してきてしまうかもしれない―」と彼女は言う。「私が泣くのは、その時かもしれないわね…。だって、それがずっと昔からの息子の夢だったんだから―。私自身は、それが現実になるかもしれないと本気で思ったことはなかったような気がするけど、息子本人がその夢を求め続けるのは、すばらしい事だとずっと思っていた。結果的には、長年の息子の勤勉さと弛まぬ努力が、夢を現実に変えたんだと思う。」

* * * * *

マイナーリーグではバリー・ボンズ級の活躍をしてきたジェイコブソンだが、例えその彼がメジャーに上がった途端に力不足を露呈するようなことになってしまったとしても、そういう選手は彼の前にも何人もいた。今回、彼は、それを確かめるチャンスを自らの努力で掴んだのである…。

「彼の成績が止まることなくグングン、グングン伸びていって、しまいには、もはや無視するのが不可能なところまできてしまった―」とメルビンは言う。「チーム改革を行う必要があることが明らかになってきて、その一環としてジョンを動かす決心がついた時、ロスターに空きができたんだ。」

「自分で脚本を書いたとしても、これ以上のものは書けなかったと思う」とジェイコブセンは言う。「何年か前にもメジャーへ上がりたいと思ったことがあったけど、あの時の自分は、まだ早すぎた。まだ欠点だらけのスイングだったので、多分メジャーの投手に圧倒されるだけで終わっていたと思う。ここ数年で、そういう欠点もかなり修正できたので、昔よりずっといい打者・いい選手になれたと思っている。」

いよいよ、「バッキー時代」が始まったのである。
(完)


[27587] MLBcomのイチロー選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/07/14(Wed) 16:53
今日のオールスター戦について、MLBcomに早速30本あまりの記事がアップされましたが、その中にイチロー選手に関する短い記事もあったので、ご紹介しますネ。(なお、マリナーズ公式HPでは、同記事がトップになっています。)(^^)

                 **************************

イチローを先頭打者にして大成功: マリナーズのオールスターへのトーリの信頼が福を呼ぶ
         ―マイケル・アーバン、MLBcom ―
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/news/mlb_news.jsp?ymd=20040713&content_id=799114&vkey=allstar2004&fext=.jsp 
もしくは…
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20040713&content_id=799114&vkey=news_sea&fext=.jsp


ここ8年の間に6回もALオールスター・チームの監督を務めてきたジョー・トーリは、「選手起用にえこひいきが目立つ」としばしば批難されてきた。実際、例年ヤンキースの選手達が大きな割合を占めるオールスターチームにあっては、それもある意味しかたのないことなのかもしれない。

今年の2004年ALチームも例外ではなく、32人のロスターのうち、四分の一強はブロンクス(ヤンキースの所在地)出身者達で占められている。が、しかし、今年のALチームのメンバー表の先頭打者の欄に名前を書き込むときだけは、トーリも、身内に対するそういった一切の配慮を脇に置いたのである。

トーリにその気さえあれば、今年の開幕戦でリードオフを務めたヤンキースのキャプテン、デレク・ジーターを選ぶこともできた。或いは、もとNYY2塁手で、今年のオールスターファン投票で最多得票を獲得し、昨年のワールドシリーズのヤンキースの先頭打者だったアルフォンソ・ソリアーノに任せることだってできたはずである。

だが、そうするかわりに、トーリは、シアトルのイチロー・スズキに白羽の矢を立てた。そして、そのイチローは、初打席でNL先発投手ロジャー・クレメンスからライトフェンス直撃の2塁打を打って、その監督の信頼に見事に応えてみせたのである。イチローの2塁打を足がかりにして初回に大量6点をクレメンスから奪ったALチームは、そのまま9−4でNLチームに快勝した。

近年のMLB史上最もダイナミックなリードオフマンであるイチローにとって、またひとつ勲章が増えたわけである。結局、イチローのヒットは初回のその一本だけで終わり、試合後にメディアが入室を許された時には既にクラブハウスにその姿はなかったが、初回のあのバットの一振りには、彼の今回のオールスター出場を大成功と呼ぶに値する価値があったと言えよう。

「リードオフマン、特にイチローのような男が塁に出ると、たいがい、いい結果につながるものだ―」とAL先発投手のマーク・マルダーは言う。「彼には、色んなことを引き起こす力があるんだ。」

2003年のワールドシリーズではソリアーノと1,2番コンビを組んだ実績のあるジーターだが、トーリによれば、そのジーターが、今回の打順についてふざけてトーリに絡んできたのだそうだ。

「『大事なワールドシリーズで1,2番を任せてもらった僕たちなのに、なんで今回はダメなんだ?』と、ジーターが私をからかってきたんだ。」とトーリは暴露する。

で、それに対するトーリの返事は―?

「『うるさいな、あっちへ行け』って言ってやったよ。」
                                  (以上)

[27519へのレス] Re: 対ホワイトソックス ... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/07/12(Mon) 21:26
実況・応援して下さった皆様、どうもお疲れ様でした。m(__)m 前半戦最後の試合もいいところなく負けてしまって、非常に残念でした…。

チームの若返りが今後のための緊急課題であることは誰の目にも明らかですが、そこでネックとなっているのが、非常に哀しく言いにくい事ではありますが、マリナーズのシンボルともなっているエドガー選手の存在なんだと思います…。下記は、そこら辺のマリナーズのジレンマを簡潔にまとめたトリビューンニュースの記事です…。m(__)m

         ******************************
      エドガー:シーズン中の引退はない
         ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/5291513p-5228692c.html


エドガー・マルチネスは、今季、“引退”という言葉がずっと囁かれ続けていることを知っているし、自身でもこの数ヶ月の間に何回かそのこと考えたことを認めている。

今年のマリナーズにはプレーオフはないし、41歳のマルチネスにとっても、今年は、1990年にシアトルのフランチャイズプレーヤーになって以来最悪のシーズンとなっている。

「ずっと時間をかけて考えたりはしないけど、そのことが頭をよぎった事はある―」とエドガーは答える。「僕としては、シーズンの最後までプレーするつもりでいる。チームが不振だからと言って、見捨てるような事はできない。」

マリナーズの不振の原因のひとつは、そのマルチネス自身である、と説く向きもある。開幕からの86試合でのマルチネスの打率は.244、本塁打は6本で打点は38だ。

この成績は、過去2回も首位打者のタイトルを獲り、生涯打率.315を誇る男の成績としては期待はずれのもので、昨秋、もう1年現役生活を続ける決心をしたマルチネス本人にとっても、契約した球団にとっても、予想外のことである。

正直に言えば、マリナーズは昨秋の段階で既に不安を感じており、マルチネスとの契約延長交渉に臨んだシアトルの球団役員のうち少なくとも2人は(注:バベージGMはまだ就任していなかった)、マルチネスにそれとなく引退も勧めたのだという。

だが、当時のマルチネスには引退する気はなく、マリナーズとしても、“球団史上最高の成績と人気を誇るフランチャイズ・プレーヤーを邪険に切り捨てた球団”として見られる事を嫌ったのだった…。

今でも引退するしないの判断は完全にマルチネスだけのものであり、オーリリアの時のような扱いをマリナーズがすることは絶対にない。ただし、シーズン後半は来季に備えて若い選手達を試さなくてはならないので、マルチネスの出場時間が減少する事は考えられる。

「これだけ才能のある選手達が揃っているのに、今季、どうしてこんなことになったのか、説明がつかない」とマルチネスは言う。「いい気分のものではないし、誰にとっても辛いシーズンになってしまった。でも、プロは、そういう状況下でも戦いつづけなくてはならない。それが、我々の仕事なんだ。」

マルチネスは、シアトルのユニフォームを着たままで今季を終えるつもりでいる。そしてマリナーズには、体裁よくその事態を回避するすべはないのである…。(以上)

[26228] オルルッド選手… 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/05/21(Fri) 03:15
ここまでチームが絶不調だと、あれこれ戦犯探しが始まって殺伐とした雰囲気になってくるのも仕方がないと思っていましたが、先日御紹介したオルルッド選手に関するラルー記者の記事には、さすがにちょっと動揺してしまいましたね…。(T_T) 本人にとっても、さぞかしショックだったことだろうと想像しています。以下は、シアトルタイムスに載ったオルルッド選手の近況を伝える記事です…。

             ****************************

          オルルッド、1993年のスィングを捜し求める
              ― グレグ・ビショップ ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/2001933909_mariside20.html

またもや無安打に終わった今日の試合後、あのタイタニック号よりも速いスピードで沈み行く打率を抱えながら、オルルッドは1993年まで時を遡ってみる事にした。

あの年のビデオテープを引っ張り出してきて再生することによって、当時どういうところが良くてあれだけ全てがうまくいっていたのかを、事細かく捜し求め、観察し、分析することにしたのだ。トロント・ブルージェイズに所属していたあの年のオルルッドは、自他ともに認めるベストシーズンを過ごし、打率4割にも達しようかと言うキャリア最高打率.363を記録しただけでなく、同じくキャリア最多の107打点をも叩きだした。

「誰もが、『あの時は、4割を打とうとして、もの凄くプレッシャーが掛かったんじゃないか?』って訊くんだけど、そんなことは全くなかった。それよりも、プレッシャーが掛かってくるのは、スランプに陥った時だ。」

今年の8月5日に36歳になる彼にはもう高いパフォーマンスは無理なんじゃないか…と疑うファンからのプレッシャー。「近々、トレード、もしくはベンチ格下げ、もしくは解雇ということになるのではないか」、と書く地元新聞記事からのプレッシャー。そして、他の何よりも大きいのが、悪夢のようなシーズンが始まった最初の頃から、彼が自分自身に掛け続けてきたプレッシャーだ。

火曜日の試合前、ビル・バベージGMと会ったオルルッドは、一種の“pep talk”(激励演説)を聞かされたという。―しかし、「荷物をまとめたほうがいい」とは言われなかったものの、バベージの話は、オルルッドの気持ちが完全に明るくなるほどのものでもなかったようだ…。

誰かがオルルッドに、その話し合いのお陰で以前より気持ちが楽になったかどうかを訊ねたのだ。すると、オルルッドは、一瞬ふっと口をつぐんで返答を躊躇った―そして、その躊躇いは、しばらく続いた。

「…う〜ん、わからない。」と彼は言う。「僕には、ちょっとわからないな。」

誰にでもわかっていること―それは、オルルッドがスランプに苦しんでいる、ということだ。これまでに、彼のシーズン最終打率が.256以下に下がったことはなく、その自己ワースト記録にしても遥か昔の1991年のことである。

いつもストイックに落ち着いているオルルッドでさえ、さすがに今はフラストレーションを感じているらしい。イライラして、膝でバットをへし折ってやりたいと思ったことはないか…?と訊かれたオルルッドは、ふっと微笑んだ。

「そりゃあ、思ったことはあるよ。」とオルルッドは言う。「…でも、僕の場合、それをやると、バットか膝か、どっちが先に折れるか判らないからね。」

では、ここから先、オルルッドはどうすればいいのだろうか…?

とりあえずは、ビデオテープをじっくりと研究して、ここまでの何年もの間、いったいどういうふうにバットを振っていたのかを思い出さなくてはならない。オルルッドによれば、まずは外角球を反対方向に流せるようになることが先決で、その後に来るのが、内角球を叩くことなのだそうだ。

「それができるようになれば、スランプを抜け出せるような気が自分でもしてくるはずだ。」と彼は言う。「―ただ、そういうことは、あまり言わないようにはしてるけどね。口に出して言ってしまうと、かえって上手くいかないことが多いから…。でも、そうなることを祈っているんだ。」

誰もが、そう祈っている。メルビンによれば、練習時のオルルッドのスィングは今でも昔通りの美しい“オルルッド・スィング”なのに、試合になると変わってしまうのだそうだ。

「彼が打席に立つたびに、いい予感はするんだけどね。」とメルビンは言う。「もしかすると、私は楽観的過ぎるのかもしれないけど…。でも、今、調子が悪いのはジョンだけじゃない。かなりの連中も同じように苦しんでいる。打席での彼には、私は今でも期待しているよ。今現在は、結果は出てないけど、そのうちきっと出るはずと思っている。」

メジャー歴が15年にもなるオルルッドだが、その間に、これだけ才能豊かなチームがこれほど苦戦する場面にはあまり遭遇したことがない、と言う。一番近い例として辛うじて思い出せるのが、1996年のブルージェイズだそうだ。

オルルッドは、マリナーズが近々何か動いたとしても、驚かないと言う。自分に向けられた批判も理解できる…とも彼は言う。そして、自分の打率でもマリナーズの勝率でもなんでもいいから、とにかくなにかが好転してくれることを切に祈りながら、再び1993年のビデオテープに眼を向けるのである…。

「自分の調子がこれだけ悪ければ、いい話はあまり耳に入ってこないものさ。」とオルルッドは言う。「それは、しかたのないことだ。そういう時は、復調できるように、以前と同じようにバットが振れるように、ただ一生懸命努力するしかない。自分自身でコントロールできることといったら、それぐらいしかないわけだからね…。」
                               (以上)

[25861] メルビン監督の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/05/07(Fri) 08:38
おはようございます。(^^)

メルビン監督の契約延長のニュースに対して、現地及び日本のファンからはかなりの不満の声が上がっているようですが、シアトル・ポストのシール氏やシアトル・タイムスのケリー氏らは、「メルビンの契約延長は正しい決断だった」として、「主力選手や先発投手陣がいっぺんにスランプに陥ったり、昨年の救世主だったシギーが突如不安定になってしまったり、不要なお荷物のジャービスをブルペンに抱えたままで1ヶ月もプレーしなくてはならなかったのは、メルビンのせいではない。彼は、そういった諸々の悪条件の中でもパニックに陥る事もなく冷静に良くやっている方だと思うし、選手達もそういう彼を信頼して好いている。これからは、主力選手達(全員、実績のある選手達ばかりなのだからできるはず―出来なくては困る…)と経営陣が(トレード期限での有力選手獲得等で)監督の信頼に応える番だ。」という趣旨の記事を書いています。(…ちなみに、両紙とも「彼のことは好きなので、自分たちの不振のせいで監督の首が危ないと言う噂を耳にするたびに気になっていたが、これで気分的に少し楽になった―」という選手達の声を取り上げていますが、契約延長のニュースが試合前に発表された時、選手達は本心から安堵したようで、気持ちのこもった大きな拍手が沸き起こったそうです…。)

以下にご紹介する記事は、契約延長のニュースが発表される数日前に出た御馴染みのトリビューン・ニュースのラルー記者の記事です。見方によっては突込みどころ満載の記事でしょうが、「メルビン監督という人はこういう人で、選手達はこういう風に思っているんだ…」ということが良く判る記事でもあると思います。監督の思いとそれに応えようとする選手達の努力が、一日も早くいい結果をもたらす事を祈りたい気持ちで一杯です…。


              **************************

             忠誠心(Loyalty)が試される時
                 ― ラリー・ラルー
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/5035805p-4964085c.html



野球界においては、“忠誠心(loyalty)”が当たり前に存在する美徳である…などとは思ってはならない。多くの場合、それは単に便宜的な存在に過ぎないからだ。

1988年にマリナーズがディック・ウィリアムス監督を解雇した時、ウィリアムスの下でコーチを務めていた3人の元部下達は、間髪を入れずに彼の後任に立候補した。

そして、1993年にチーム再建のためにルー・ピネラが雇われると、彼は、球団史上最多セーブ数を誇っていたマイク・スクーラーを春期キャンプ半ばであっさり解雇した。

チームと選手の間に存在すると言われている“忠誠心”などというものは、古きよき時代からの神話の産物に過ぎない。シアトルにおいても、ファンのお気に入りだったアルビン・デービスやハロルド・レノルズなどという選手達ですら、キャリアの終りを迎える前にさっさと解雇されてしまっている。チノ・マルチネス、オマー・ビスケル、ホセ・クルーズ・ジュニアーやビル・スィフトといった選手達も、球団にとって都合のいい時にトレードに出されてしまった。

そして、逆にずっといて欲しいとシアトルが願ったような連中―ケン・グリフィー・ジュニアー、アレックス・ロドリゲス、ランディー・ジョンソン、そしてピネラ―は、他にもっといい場所をみつけたからと言う理由だけで、去って行ってしまった…。

「忠誠心があたりまえのことだなんて思ってはいない」とエドガー・マルチネスは言う。「…でも、たまにそういうのに遭遇すると、凄く嬉しくなる。」

監督業2年目のボブ・メルビン監督とマリナーズにとって、この1ヶ月間は試練の連続だった。1年前のメルビンは、まだ自由にロスターをいじれる立場ではなかったにも拘わらず、ベテラン揃いのロスターをもっとなんとかしろと、たびたび外野から批難された。

今シーズンのメルビンは、打撃不振の打者や不調な投手をベンチに下げるチャンスはふんだんに与えられている。

彼は、打線の組み替えは頻繁に行ってきている。最初の25試合で、すでに20通り以上の打線を試している。

ジョン・オルルッドは2番から7番まで全て経験したし、ブレット・ブーンも3番,4番,5番と打っている。ラウル・イバニェスにしても、4番と5番、6番まで打ったことがあるし、“ザ・エドガー”でさえあちらこちらと移動した。

しかし、球団として1980年代以来の最悪のスタートに直面しているにも拘わらず、メルビンが決してしようとしなかったことがある―それは、特定の選手を先発ラインアップ、先発ローテーションやブルペンから外すことだ。

「もし、彼がそうしていたら、驚いていたかって…?」とジェイミー・モイヤーは訊き返す。「この業界では、どんなことが起こったって驚きはしないよ。ボブがしたのは、このチームの命運を握っていると彼が信じた選手達を、ずっと起用し続けたこと。それは決して簡単な事じゃなかったはずだ。」

コラムニスト、実況解説者、そして一般のファンに至るまでの周り中の人間が、もっと色んなオプションを試せとメルビンに向って声高に迫った。

たとえば、ランディー・ウィンは4月のほとんどを打率.225前後の成績で過ごしたし、守備面のミスも多かった。

その気になれば、ウィンをベンチに下げてイチローをセンターに移し、イバニエスをライトに入れて、マクラッケン、ブルームクィスト、カブレラの3人を交互にレフトに使うことなど、簡単だったはずだ。

「彼が僕を信じて使いつづけてくれた事(=his loyalty)を、有り難く思っているかって…?」とウィンはこちらの質問を繰り返す。「今までの監督の中には、試合で2安打できなかっただけで、もう次の試合には使ってくれないような人もいた。でも、ボブはそうじゃない。彼だって、休養のために選手を休ませて、代わりに他の選手に出場機会を与えたりする事はある。でも、それは、スランプだからって選手をスタメンから外すのとは違う。もし、彼がそういうことをする人だったら、僕なんてとっくに外されていただろうし、他にも何人もの選手が外されていただろう。」

マリナーズには、25試合全てに先発出場したレギュラー選手が一人もいないかわりに、成績が悪いと言う理由でレギュラーを外された選手もいない。(注:原文ママ。確かイチロー選手は全試合出場ですよね…?)

「この連中は、うちのチームの中の最高の選手達だ。」とメルビンは言う。「彼等は、春期キャンプ終了時に選ばれたベストメンバーであって、今現在でもウチのベストメンバーだ。この1ヶ月の成績が振るわなかったからと言って、その事実が変わるわけもない。もし、今、レギュラーの誰かを外して他の選手を起用したら、その選手(注:外したレギュラー選手)がチームにとって本当に必要になった時、使えなくなってしまっているかもしれない。試合にはベストメンバーで臨み、どの選手にも相性のいい相手を当てるように心がけ、どの選手にも成功するチャンスを与える…それが私の方針だ。開幕からたった1ヶ月しか経ってないのに、選手達を信頼していないことを示すような事をしたら、選手達はどう思うだろう…?私は、本当にウチの連中を信じているんだ。」

開幕以来、ジョン・オルルッドも不調に苦しんでいるし、ザ・エドガー、リッチ・オーリリア、ウィンやその他の選手達も同様だ。

「最初の1ヶ月の結果に落胆していない選手を見つけるほうが難しいだろう。」とオルルッドは言う。「誰もがガッカリしている…チームとしても個人としてもね。『ジョンの調子が凄くいいから、毎日スタメンでプレーしてもらいたい』ってボブに言わせることができたら、それこそ、最高だと思う。でも、不調の選手がなんとかそこから抜け出そうとしている時に、その選手を信じて使いつづけてくれる監督というのは、すごくありがたいものだよ。」

シゲトシ・ハセガワは、昨年のマリナーズで最も貴重な活躍をしたリリーフ投手だが、今年のスタートは散々で、成績も3敗、防御率6.55という状態だ。

「僕が誰もアウトにできないんで、この話題を僕のところに持ってきたわけ…?」 メルビンの忠誠心について訊ねると、長谷川はこう言って笑う。「選手の調子がいい時は、監督の仕事も簡単だ。でも、選手が不調だと、誰にとっても大変になる。僕は、これまでにも何回も職を失った経験がある。ボブは、このチームの実力はこんなもんじゃないと信じているし、絶対にひっくりかえすことがきるとも確信している。彼がそう思ってくれていることは、我々全員にとって、とても価値のあることなんだ。」

ここで誰もが口にするのを躊躇っているのは、選手達を信頼し続ける、と言う行為のためにメルビンが負わなくてはならないリスクのことだ。苦戦する選手をかばい続けたがゆえに職を失った監督は、決して少なくはないからである…。

「我々は、数字が示すよりは、遥かに優れたチームだ。」とメルビンは言う。「私は、なにも闇雲に選手達をかばっているわけではない―ここにいる連中は、今まで立派に仕事をしてきた者ばかりだ。ここまでは、チーム全体が不満足な結果しか出してこれなかったかもしれないが、我々は必ず“チームとして”ここから抜け出してみせる。―そしてそれをするのは、“今”、ここにいるチームなんだ。」

                                    (以上)


[25657] マリナーズの選手達の夕食会 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/04/28(Wed) 23:47
皆さん、こんばんは。最近ちょっと忙しくて、かなり久しぶりの書き込みになってしまいました…。^^; 

危なっかしい試合運びながらも、今日は選手全員が頑張ってなんとか連敗をストップさせる事に成功し、メルビン監督にようやく「監督としての通算100勝目」(マリナーズの歴代監督の中では最速)のウィニングボールをプレゼントする事が出来ました。今日のボルチモアは、雨で試合開始が30分以上も遅れただけでなく、風が強くてもの凄く寒かったそうで、投手達はもちろんのこと、野手達も指先の感覚がなくなってボールをグリップするのも大変だったとか…。メッシュ投手が3回87球で早々に交代したのは、どうやらそういう劣悪な気象条件も考慮した上でのことだったようです。

今日のトリビューンニュースに久しぶりに楽しい記事が載っていたので、紹介させてください。昨日の試合が中止になったあと、選手達だけで夕食会を開いたそうなのですが、これはメジャーではとても珍しいことのようですね。偶然なのかもしれませんが、今日の試合に早速いい影響が出たように思えて、ちょっと嬉しい私です…。^^


        **************************

        M’s、ボルチモアで親睦を深める
           ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/5013830p-4941827c.html     


予定外の自由時間の過ごし方について、最初にアイディアを出したのはクィントン・マクラケンだった。

「ほとんどのチームの場合、試合が雨天中止なんかになると、25人の選手が25人とも、それぞれてんでんバラバラにタクシーを呼んで出かけてしまうのが普通だ。」と彼は言う。「でも、このチームは新入りの選手もかなりいるし、お互いを良く知るにはいい機会なんじゃないかと思ったんだ。」

月曜のボルチモア戦の中止が決まった約30分後、マクラケンはマルチネスやブーンを含む数人のベテラン選手達にある提案を持ちかけた。

チームで晩飯を一緒に食べるってのは、どうだろう…?

「ちょうどいい具合に、ほとんどの選手が家族を帯同してきてなかったし、他の約束もしてなかったんだ。」とブーンは言う。「お陰で、17〜8人の連中が夕食に参加する事が出来た。」

急な召集にもかかわらず、25人ロスターのうちの17〜8人も集ったと言うのは、“ほぼ全員が参加した”と言ってもかまわないだろう。

「チームホテルの向側にあったステーキレストランに行ったんだけど、席に着いた途端、全員がワイワイしゃべりだしたんだ。」とマルチネスは言う。「シーズン終了後のチームパーティーなんかにも行ったことはあるけど、そんな時でもなかなか全員が集るなんてことはない。今回ほど沢山の選手が参加したディナーなんて、僕にとっては初めての経験だった。」

「皆、お互いをからかいあったりして、会話も凄く弾んだし、笑い声もあっちこっちで上がってた。」とデーブ・ハンセンは言う。「コーチ連は抜きで、選手達だけだったんだ。」

マクラケンと彼の仲間は、メルビン監督から夕食の支払い用にクレジット・カードを無理矢理拝借しようとしたようだが、成功しなかったらしい…。

「もう何試合か勝ったあとなら、相談に乗ってもいいけどね―」とメルビンは笑いながら言う。

開始から約3時間後に夕食会は終りを迎え、勘定は2800ドルちょっと(@¥109として、約30万円)になった。選手達はウェートレスに、月曜にチームに合流したばかりの新人のマット・ソーントンがクレジットカードで払うから…と告げた。

「最初は、皆で僕をからかっているだけだと思ったんだ」とソーントンは言う。「―でも、言われた通りにウェートレスにカードを渡したら、彼女、ほんとうに全額を書き込んだ支払い用紙を持って戻ってきて、『ここにサインをお願いします』って言うんだ…。あの時の僕は、多分、かなり青ざめていたと思うよ。」

「あいつ、完全にひっかかってたね。」とジェイミー・モイヤーは言う。「彼に言ってやったんだ―『今、この勘定を払えば、間違いなくベテラン連中のお気に入りになれるよ』ってね。」

ソーントンがとうとう署名すると、ブーンとマルチネスがウェートレスに向ってその用紙を破って捨てるように言った。―そして、結局、その晩の勘定($2,800+$400以上のチップ)は、全員で割り勘払いにしたのであった…。(参加人数18人として、1人約¥19,500^^;)

「それだけの金額を払うだけの価値は、充分にあったよ。」とエドガーは言う。「お陰で、お互いの事が今までよりよくわかるようになったしね。その場の思いつきでやったことで、今後チームに何かいい影響を及ぼすかどうかはわからない。―でも、皆で凄く楽しかった事だけは確かだよ。」 (以上)

[25064へのレス] Re: イチローの4年連続2... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/03/25(Thu) 14:43
この記事のことですネ…。↓(^^)

『イチロー、今年も200本安打を狙う』―ジム・ストリート記者―
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20040324&content_id=668238&vkey=spt2003news&fext=.jsp
(…おっとっと、なかなかさんと被ってしまいましたネ…。ゴメンナサイ。^^;)
逐語訳ほどは時間のかからない、ちょっと大雑把な“要約翻訳”で記事の内容を以下にザッとご紹介してみますね…。(ただし、選手等のコメントは逐語訳になっています…)^^;

            ****************************


今年の9月頃には、イチロー・スズキは、比類稀な記録を打ち立てる可能性がある。今年200本安打に到達すれば、彼は“メジャー史上初の新人の年から4年連続で200本安打を達成した選手”になるからである…。それは、通算最多安打記録を持つピート・ローズでさえもなしえなかったことだし、ウィリー・メイズやジョー・ディマジオもやっていない。テッド・ウィリアムス、ホーナス・ワグナーやタイ・カッブにしても、キャリアの最初からそんなには打っていないのだ。

メルビン監督: 「“3年連続200本安打達成”は、偉大な選手による偉大な記録。彼なら毎年やってくれるはずだと、こっちも期待するようになってしまったところもある…。健康さえ維持できれば、今年もきっと間違いないだろう。彼は、まるで打撃マシーンみたいな男だからね…。」

3年前に日本からマリナーズにやってきたこの“打撃マシーン”は、新人の年に242本の安打を叩きだし、2002年には208本、2003年には212本を積み上げた。彼の初年度からの3年合計安打数662本と言う数字は、1927〜29年にロイド・ウェィナーが記録した678本に次ぐものである。最初の3シーズンで連続して200本安打以上記録した選手は、他にはレッド・ソックスのジョニー・ペスキーしかいない。(注:戦争による中断を挟んだために、ぺスキーの記録は1942年、1946〜7年と、5年間に渡ったものとなっている)

―ただし、イチローのこの“新人の年からの200本安打連続記録”に関しての考え方には、二派ある…。

ひとつは、ポール・モリターのように考える一派だ:

モリターコーチ:「メジャーに来てからの3年間でイチローがやってきたことは、凄い事だと思う。1シーズンに200本打つと言う事は、とても難しい事。どの年を見てみても、それだけの数を打っている選手はほんの一握りしかいない…と言う事実が、そのこと証明している。200本も打つには、健康と好調子と安定性を1年を通して維持しなくてはならないわけだからね。」

今年の7月には殿堂入りを予定されており、自身も21年のキャリアの間に通算3,319本の安打を打って、200本安打も4回記録している男だけに、モリターの言葉にはかなりの説得力がある。

そして、かたや、もとロイヤルズのスター選手で“3,000本安打倶楽部”にも所属するジョージ・ブレットのように考える一派もいる…:

ジョージ・ブレット: 「イチローがどうこういうわけでは、全くないんだ…。彼のような完璧な選手がプレーするのを観るためなら、ファンは100マイルでも車を走らせて駆けつけようと思うものだ。彼は自分の守備に誇りをもっていて、もの凄い強肩の持ち主でもあり、ライトに飛んだ打球ならどんな球でも獲るし、塁に出れば絶えず盗塁の可能性を匂わせ、外野手の間に鋭い打球を飛ばすかと思えば、内野ゴロでも全力疾走して安打にしてしまう。―とにかく、選手としては完璧だし、彼のプレーを観るのは本当に楽しい。・・・だが、メジャーに来る前に、彼がどれだけ長い間日本でプレーしていたかということも、忘れるわけにはいかない。4年連続で200本安打を打ったヤツなら、今までにも何人もいた―“新人の年から連続して4年間”というヤツがいなかっただけなんだ。こっちへ来た時、彼は既に“新人”ではなかった。自分が日本でプレーした経験から言えば、日本のプロ野球のレベルは、メジャーよりほんの少し劣るだけだ。日本で9年間もプレーした後に27〜8歳でこっちへ来た彼を“新人”と呼ぶのは、ちょっと違うと思うね…。」

確かに、MLBへ来る前の日本でのイチローの実績は、かなりのものである…。オリックス・ブルーウェーブで過ごした9年間で打った安打総数は1,278本。シーズン最高安打数は1994年に記録した210本で、その年には自己最高の.385と言う打率も同時に記録している…。

とはいえ、キャリア中に3年連続で200本安打以上を記録したメジャーの選手は片手で数えられるほどしかいないのも事実で、ジョージ・ブレット自身もそれは達成していないのだ…。

昨年、3年連続200本安打達成を目前にしたイチローが、プレッシャーから吐き気や息苦しさを覚えた…というのは既に報道されているが、それならば、今年4年連続の記録に近づく頃にイチローが経験するであろうプレッシャーは、相当なものになるはずだ…。

―では、打者が200本安打達成するのと、投手が20勝達成するのとでは、どちらが難しいのであろうか…?

実は、「ほぼ同じである」というのが、答えだ。

エライアス・スポーツ・ビューロー(MLBの公式記録を管理している会社)によれば、20勝以上挙げた投手は過去4年間では延べ22人いるのに対して、200安打以上打った選手は延べ24人。イチローは3年間しかこちらでプレーしていないにも拘わらず、すでに今世紀中のどの選手よりも多く200本安打シーズンを記録しているのだ。トッド・ヘルトン(ロッキース)とフアン・ピエール(ロッキース、マーリンス)は、それぞれ2回づつ記録している…。

もし、イチローが今年も200本安打を記録できれば、日本での彼のステータスは、今までにも増して偉大なものになるだろう…。

デーリー・スポーツ紙のノブ・コバヤシ記者: 「彼がこっち(MLB)で立派にやっていける事は既に証明されているが、“新人の年から4年連続200本安打”というのは、今まで誰もやった事のない偉業。我々は、今でも充分に彼のことを誇りに思っているが、もし、これを達成する事が出来たら、日本では大騒ぎになるだろう…。」

メッツのカズオ・マツイ: 「凄いことだよね…。1年に200本打つだけでも充分大変なのに、4年連続でそれができるなんて、信じられないことだ。」

イチローの打撃技術について、このキャンプ中にモリターが気付いて感心した事があるのだそうだ…。

モリター・コーチ: 「既に投手の手を離れたボールに対する彼の打席内での調整能力というのには、もの凄いものがあるんだ。…投手の手を離れる瞬間にボールの球筋を見極められると言う選手は、沢山いる。彼等は、瞬間的に、球種、球速、どこへ飛んでくるか等を見極められるので、その時点でスィングするかしないかを決める。・・・でも、イチローと話したところでは、彼は、その時点での球の見極めもそこそこできるものの、ボールが自分に向って飛んでくる途中での調整能力のほうが自分は優れていると思う…と言うんだ。どうも、彼は、球が投げられた瞬間に球種等の予想をたてるようなんだが、たとえ予想が外れた場合でも、彼は瞬時に調整して、その球にあったスィングをできるらしい。これは、かなり凄い事だと思うね…。」

イチローの200安打達成に有利な点を挙げてみると、以下のようになる:

●1番打者なので、チームの他の誰よりも打席数が多い
●ホームから1塁への到達時間が、極めて短い
●四球が少ない…メジャーへ来てからの2,018打数に対して四球は134個しかない

マリナーズで2回首位打者を獲得した経験があり、通算2,200安打まであと1本と迫ったエドガー・マルチネスにしても、何回か惜しいところまで行きはしたものの、まだ1シーズン200本安打を記録した事はない…。1995年の182本と2000年の180本が、今までの彼の最高本数だ。

マルチネス選手: 「凄く難しい事だよ―野手のいないところへ200回も打球を飛ばすというのはね…。」

誰よりも“人のいないところに球を飛ばす”ことの上手かったウェード・ボッグスは、1983〜89年の7年間に途切れることなく毎年200本安打以上を記録し、殿堂入りを果たした。

そのキャリア中に10回も200本安打以上のシーズンを記録したローズだったが、3年連続で200本安打したことは2回あったものの、4年連続で達成した事はついぞなかった…。カッブは9回200本安打を達成したが、連続で達成したのは、2年連続が最高だった。そして、生涯安打3,154本を誇るブレットは、21年間のキャリアの間にわずか2回しか200本安打を達成していないのである…。

そして、40歳の時にキャリアベストの225安打を記録したマリナーズの新任打撃コーチのモリターは、イチローは歴史的な新記録に充分挑戦できるだろう…と予測する。

モリターコーチ: 「1番打者で打席数が多いことは、大記録達成のためには有利だと思う。でも、高い打撃技術が必要だし、ずっと健康でもいなくてはならない。私は、いつもウェード・ボッグスを見ていて、その凄さに感嘆していた―あれだけヒットを量産しながら、同時に100個以上の四球も選んでいたんだからね…。(1986〜89年)・・・イチローの場合も、ファンが彼にヒットを期待しているのは十分承知の上で、もう少し打つ球を選んだとしてもヒット総数はそれほど落ち込まないと思うし、彼なら絶対出来るとも私は思っている。私は、このキャンプで彼がいつもより球をよく見て、より有利なカウントに持ち込もうと努力しているのを、非常に嬉しく見守ってきた。そうすることによって、いい球を打てている場面が以前より多くなってきたようにも思っている。私としては、打席での忍耐強さがここまでいい結果を生んできているのを彼自身も見て、シーズンが始まってからも彼がそのアプローチを継続してくれる事を期待しているんだ。彼は、四球を100個選ぶような選手には今後も絶対ならないだろうけど、昨年まで、『ストライクを投げる必要のない男』というラベルを貼られていたのも事実なんだ…。もし、相手投手に、もう少しストライクゾーン近辺に投げさせることができるようになれば、彼のヒット総数は大して減りはしないと思う。逆に、打率は上がるだろうし、得点も増えるはずだ。このアプローチをとったとしても、充分、200安打を達成する事は出来ると私は思っている…。」

そして、もしそれ(4年連続200本安打)が実現すれば、その記念すべき安打となったボールは、間違いなくニューヨーク州クーパース・タウン(野球殿堂のある町)に送られることになるだろう…。(以上)(^^)


[24970] イチロー選手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/03/17(Wed) 11:46
チームは残念ながら連敗を喫してしまいましたが、イチロー選手は相変わらず好調を維持しているようで、今日も「2打数1安打1四球1得点」だったとのことで、とても嬉しいです…。(^^)

…さて、下のスレッドでなかなかさんも紹介してくださっていますが、昨日シアトル・ポストに『イチロー、2、000本安打も目前』というヒッキ―記者の記事がアップされました。新任のモリ―ターコーチのコメントなどが載っていて興味深いので、翻訳とも要約ともつかないちょっと中途半端な形で(…スミマセン^^;)、以下にざっとご紹介してみますネ…。

          ********************************

…2週間前、新任のモリターコーチはマリナーズのほぼ全員と個別に話し合う時間を取ったのだそうですが、イチロー選手とも通訳のアレン・ターナー氏を交えて話をしたのだそうです…。

モリター氏:「もう話も終りに差し掛かった頃、イチローが少しおどけた感じで私にこう訊いたんだ―『どうやったら、3,300本もヒットが打てるの…?』ってね。(注:モリターコーチの通算生涯安打数は3,319本)私は、そのことばを聞いて初めて、”安打”というものがイチローにとってどれほど重要なものであるかがわかったんだ。私は彼にこう答えた―『42歳までプレーしなさい。君のプレースタイルなら、安打数は必ず積み上がっていく。今まで通り、得点して試合に勝っていけば、安打数は自然に増えていくよ』ってね…。」

135試合しか試合のない日本で長年プレーしていたにも拘わらず、イチロー選手の日米通算安打数は、今年の5月か6月には早くも2、000本の大台に乗るでしょう。日本での1,278本とシアトルに来てからの662本を併せると、既に1,940本まで来ているからです。日本での1安打とメジャーでの1安打が同等のものであるかどうかを測るすべはないものの、“2,000本安打達成”というのが偉業であることには間違いない…とヒッキ―氏は書いています。それは、マリナーズで昨年2,000本安打を達成したマルチネス選手とオルルッド選手を見てみればわかる…と記事は続きます。

メジャー定着が27歳の時と遅かったせいもあり、マルチネス選手が2,000本安打に到達したのは40歳になってから。21歳でメジャーデビューしたオルルッド選手ですら、2,000本安打に到達したのは34歳の時でした。かたや、イチロー選手はまだ30歳で、そのキャリアの中間点にも達していない可能性があるのです…。

イチロー選手は先頭打者なので打席数も多いですし、初球でも悪球でも打つタイプの選手なので、マルチネス選手やオルルッド選手のように年間90〜100も四球を選ぶような事もありません…。

マルチネス選手:「僕ほど四球が多いと、安打数の面でかなり損はしていると思う。でも、彼(イチロー選手)のスタイルは、“打って走る”というものなので、より多くのヒットが期待できる。あんなに若い年齢で2,000本に達するなんて…うん、凄い数字だと思うよ。驚きに値するね。」

昨シーズン終盤、イチロー選手は200本安打を目前にして、今まで経験した事のないプレッシャーに散々苦しみました。(注:ここあたりは、我々日本のファンには周知のことなので、省きますネ…)でも、1回そういう辛さを経験した事で、次からはもう大丈夫だと本人は思っているようだ…とヒッキ―記者は書いています。そして、普段はあまり感情を表に出すことのないイチロー選手でも、話題が2,000本安打のことになると、その気持ちは隠しようもないほどはっきりと伝わってくる…とも書いています。

イチロー選手:「(2,000本安打が)たいしたことかと思うかって…?僕が初めてプロでプレーするようになった頃、自分が2,000本安打を狙えるところまで来れるなんて、思ってもみなかった。でも、実際にここまで来てみると、今はもっともっと長くプレーできるような気がしているんだ…。もし、2,000本安打が自分のキャリアの最後に来たのなら、今自分が感じているのとはまるっきり違う気持ちになっていたと思う。特別な事であるには違いないし、大きなモチベーションにもなるけれど、では、ほんとうにそれほど大きな出来事かどうかと言えば、それほどでもないような気もするんだ…。じゃあ、3,000本安打はどうか…?と訊かれれば、それは明らかに、全く別な話だと思うよ。」

ヒッキ―記者は、ここで日本でのヒットの価値がメジャーでのそれと同等なのかどうかについて少し触れています…。確かに、日本のピッチングの全体的なレベルは、球速においても球種においても、まだメジャーの域には達していない可能性がある…としながらも、メジャーよりは遥かに少ない試合数の中であれほどのヒットを量産するのは、やはり大変な事には違いない…と書いています。

メルビン監督: 「イチローが成し遂げてきた事…それはかなり凄い事だと思うよ。3年連続で200本安打以上を打つこともそうだし、あの若さで早くも2,000本安打に到達しそうなことも異例な事だ。…先のことに目を向ければ、彼がもしずっと故障なく健康でさえいられれば、35歳までに3,000本打つことだって、不可能とは言えないかもしれない。そして、他の連中が3,000本打つまでにどれだけ長い時間がかかっているかを考えると、それはとんでもない偉業になるはずだ…。」

・・・しかし、こう言いながらも、モリターコーチとメルビン監督は、短期的にはイチロー選手の安打数を減らす方向でいきたい…と思っているようです。今回のキャンプでのイチロー選手に対する要望は、「より多くの球を見て、より良い球を打つように心がける事」なのですが、これに固執しすぎると、ここまでイチロー選手が築いてきた「どんな悪球でもヒットにできる」という一種神秘的なイメージやオーラを損ねる事にもなりかねません…。しかしながら、昨年のイチロー選手の苦戦振りが証明したように、相手投手達がイチロー選手を封じ込める対策として全くストライクを投げてこなくなってしまったのも事実なのです…。

モリターコーチ:「我々は、イチローとの対戦では(注:昨年までモリターコーチはツィンズにいた…)、ストライクを投げる必要は全くない…ということをよく知っていた。」

…ということで、今年のオープン戦の最初の16打席では、イチロー選手は1回も初球を振りませんでした。そして、17回目にやっと振った初球は、勢いよくセンター前に抜けるヒットになりました。イチロー選手がヒットにしたその球は、「ストライク」でした…。

メルビン:「(その打席の直後に、すぐイチロー選手とは話をした…と言って―)相手投手にとっては、彼を塁に出さない事が最優先事項なんだということを、もう一度彼に念押ししておきたかったんだ。イチローはもやはボール球には手を出さないんだということが広く知れ渡れば、彼等はどうしようもなくなってストライクを投げてくるようになる。悪球打ちをやめると、短期的には、ヒット数は以前より少し減るかもしれない…。でも、長期的にみれば、彼は以前よりも遥かに多くの打ちごろの球を投げてもらえるようになるはずで、そうすればヒットの数も当然以前より増えてくるはずなんだ。」

この計画は、イチロー選手本人が納得していなければうまくいかないものです。でも、今までのところは非常に上手くいっていて、イチロー選手自身も.444(18打数8安打)も打っていますし、チーム全体としても驚異的なペースで得点を重ねて勝ちつづけています…。

メルビン監督: 「うちは、ホームランをバンバン量産して勝つタイプのチームではない。ランナーを出しては、皆でなんとかしてそのランナーを還していく…という方法を取るしかないんだ。そして、そんな我々にとっては、全てはイチローから始まる。もし、彼が前より少しでも多く四球を選ぶようになれば、安打のほうも自然に増えてくるだろうし、出塁する回数も増えてくる。そして、彼が塁に出てくれさえすれば、いろんな可能性が広がるんだ…。」

モリターコーチにしても、イチロー選手の打席における積極性や安打に対するこだわりを失わせるつもりは全くないのだそうです…。

モリターコーチ: 「彼の文化的背景を考えれば、彼が周りの期待を無視できないだろうということも、その期待に応えなくてはならないと思うだろうこともよく理解できる。私とボブの役目は、そのことに拘りすぎずに、彼が自然に200本安打を達成できるように仕向ける事なんだと思っている…。私は、彼のようなバッターの場合は、よりよく球を見て四球を増やす事は、決してヒット数を減らす事には繋がらないと思う。彼の場合、ヒットは必ず積み上がっていくものなんだ。彼にとっては、四球を選ぶことはアウトになる回数を減らす事だと、私は思っている。全体的にみれば、確かにヒットは何本かは減るかもしれない―。でも、四球を選ぶ事によってアウト数を減らす事ができれば、打率は当然上がる。彼は、100以上も四球を選ぶような選手ではないし、またそんなことをする必要もない。―でも、彼がヒットと四球で塁に出ることができれば、彼自身の得点が増えるだけでなく、チームとしてもより多く勝てるようになるはずだと私は思っている…。」

(以上、シアトル・ポスト紙のジョン・ヒッキー記者による『イチロー、2,000安打も目前』という記事より…)
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/164974_mari16.html

[24713へのレス] Re: イチロー さっそうと... 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/02/26(Thu) 17:27
以下は、イチロー選手のキャンプインに関するシアトルポストの記事です。できるだけ早くお届けしたいのですが、今は全部いっぺんに訳すだけの時間がないので、時間ができた時に少しづつアップする事にしますネ。(^_-)

              ******************************
             イチロー、颯爽とキャンプに登場
             (Ichiro Breezes into Camp)
            ― デービッド・アンドリーセン ― 
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/162168_mari26.html


3年前のイチローの初キャンプイン時、マスコミは形容不能なほどのお祭り騒ぎを演じた。

イチローが初めてクラブハウスからバッティングケージまで歩いた時、通路の両側には100人以上のマスコミが鈴なりになった。当時、彼からインタビューを取るのはローマ法王に謁見を賜るよりも難しい…と言われたほどだった。マスコミとの会見は数も非常に少なかったし、慎重に通訳され過ぎた結果、内容的にも空疎なものが多かった。

日本のベスト・プレーヤーがメジャー初の日本人野手になったのだから、誰にとっても一大事だったのである。

「もし、あの状態がずっと続いていたら、耐え難かったと思う―」と今日彼は言う。

3年という月日が過ぎ、662本もの安打が記録された今、イチロー自身も、そして彼を取り巻く状況もかなり変わった。

野手のキャンプ集合日だった今日、イチローは、出会った者全員と晴れやかな笑顔で心のこもった握手を交わし、完璧な英語でそれぞれの家族の様子やこのオフシーズンの出来事などを訊ねた。彼は、アメリカ人記者達からの質問にも、また、いまだにずっと彼の番を務めている6人ほどの日本人記者達から投げかけられた質問にも、陽気に答えた。

“愛想がいい”、“リラックスしている”、“楽観的”―。これらの言葉は、2001年のイチローを形容する時には決して使われる事のなかった言葉だ。

「今年のチームはとてもいいチームだし、チームとしての目標も当然ひとつしかない―ワールドシリーズで優勝する事だ。」と通訳を通して彼は言う。長いインタビューでは今まで通り通訳を使いたい、というのが彼の意向なのだ。(注:今日、通訳を務めたのは、昨年まで佐々木投手の専属通訳だったアレン・ターナー氏。ターナー氏は完璧なバイリンガルなだけに、記事に引用されているイチロー選手の言葉が非常に自然で美しい英語になっているのを読んで、個人的にはとても嬉しかったです…^^)

「僕個人の目標としては、4年目ということで、できるだけチームを引っ張っていきたい。僕は言葉で人を引っ張っていけるタイプの選手ではないので、行動で手本を示す事によって、若い選手達に正しいやり方を示せたらいいと思っている。」

彼は、“エドガー・マルチネスとブレット・ブーンの間”という今年のロッカーの配置について冗談を言い(「僕としては、ブーンの隣より、エドガーの隣の方がいいナ」^^;)、この3年間、ずっとロッカーが隣で親しい友人でもあったマイク・キャメロンの移籍を悲しんだ。

「彼は、いつもクラブハウスの雰囲気をよくしてくれてたし、皆の気分も明るくしてくれていた。彼がいなくなって、とても淋しい」とイチローは言う。イチローは、さらに、キャメロンがメッツに行ってしまった事で、今後、どんな音楽がクラブハウス内に流れる事になるのかについても心配しているようだった…。(注:これまでは、キャメロン選手の趣味で、イチロー選手も大好きなラップミュージックが主に流れていたので^^;)

ニューヨークと言えば、イチローも他の人間同様、ヤンキーズがアレックス・ロドリゲスを獲得した事については、呆れて首を横に振るしかなかった。

「ヤンキースは10月になるまでは練習だけして、プレーオフになってからプレーすればいいんだ―」と彼は言う。

自分の2003年後半の打撃成績が前半に比べると1割近くも落ち込んだこと(.352から.259まで落ちた)について、もし気にしていたとしても、イチローはその素振りは見せなかった。過去8回も首位打者に輝き、数知れないほどの賞を受賞した選手として、彼には自分で解決策を見つけられる確たる自信があるのだ。また、チーム全体としても、同様のことができるはずだと彼は信じている。

「昨年、ウチのチームはプレーオフに行けなかった。当然、行きたかったわけだが、それができなかった具体的な原因を指摘するのは無理だ―」と彼は言う。「あるひとつのことだけを原因として指摘してしまうことはできない。そうやって、そのことだけに意識を集中してしまうと、決していい結果は生まれないからだ。春期キャンプが開始する今、我々がすべきなのは、『“今年”プレーオフに行くために、我々は何をすればいいのか―?』を考える事なんだ。」

彼は、もし頼まれれば、これまで自分の指定席としていた“先頭バッター”というポジションを明渡してもいい―とさえ思っている。この冬、ボブ・メルビン監督は、イチローがチームで最も優れた打者であることを考慮して、今後は彼を3番打者として起用する可能性もある―と語った。だが、その後、メルビンはイチローにはそんな犠牲は強いないことにした―と前言を撤回している…。

「もし、ボブが本当に僕に3番を打ってほしいと思っているのなら、僕はその考えを喜んで受け容れるし、実際にそうするよ―」とイチローは言う。「もし、それがチームにとって必要な事なら、僕はそうするつもりだ。」
                                 (以上)

[24696] ガルシア投手の記事 投稿者:ウィンディー 投稿日:2004/02/23(Mon) 19:06
一昨年の後半から昨年終盤まで不振にあえいだガルシア投手。昨年はシアトルの地元紙にも「酒好き、夜遊び好きといった私生活の乱れが不振の原因なのでは…?」といった意地の悪い記事が散見されるようになり、ついには穏健さで知られる地元のファンからブーイングを浴びる事態にまで発展してしまいました。シーズン中は、そういうことには無関心な様子を装っていたガルシア投手でしたが、本当はかなり傷ついていたことが今回のラルー記者の記事でよくわかりました。今年こそ、ガルシア投手にとって全てが上手く回って、マリナーズにとってもいい結果がもたらされる事を心から願っています…。

             *************************

             “2人のフレディー”の物語
             (A Tale of Two Freddys)
               ― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/4771529p-4715663c.html



土曜日のマリナーズのクラブハウス内で、ちょっとしたクイズが行われた―「フレディーの携帯には、どんな写真が保存されていると思うか?」というのが問題だ。選手達から返ってきた答えは、どれもありそうなものばかりだった―ペットの写真、婚約者の写真、車の写真、そしてベネズエラの自宅の写真。

結果は―×、×、×、全部×。

ガルシアが携帯に保存していたのは、全て『夕日』の写真だったのである。真っ青な大海原の向こうに落ちていく夕日の写真…。ガルシアがカラカスの自宅バルコニーから撮った数々の夕日の映像だったのだ。

夕日の写真…誰も知らないガルシアの一面がここにある。

過去5年間をシアトルのローテーションの一番手として過ごしてきたこの27歳の男は、周りの人間にとっては依然として謎めいた存在であり続けている。

一方には、2000年のALCSでNYヤンキースを2試合も押さえ込み、シアトルをもう少しでワールドシリーズに行き着くところまで導いた男がいる。こちらのガルシアは、2001年にもリーグトップの投球イニング数(238)と同じくリーグトップの防御率(3.05)を記録した。

「フレディーには、サイ・ヤング賞級の才能がある」とブレット・ブーンも言う。

しかし、何かが2002年シーズンの後半に起こった―ガルシアがオールスター・チームに選ばれた後の事である。その“何か”は昨シーズンも彼を支配し続け、結果的に12勝14敗、防御率4.51という成績でシーズンを終わる事になってしまった。

「昨年のフレディーは、プロになって初めて1年間ずっと苦戦し続けた。」とボブ・メルビン監督は言う。「そういうことは、大器型投手にはえてして起こりがちなこと。フレディーはそういう大器の1人だ。6月の彼を思い出してみて欲しい―それから9月の彼の投げっぷりも。昨年は、彼にとっては後味の悪い1年になってしまった。彼は、今年こそその屈辱を晴らしたいと思っているに違いない。」

これまでのマリナーズでの5年間で、ガルシアは72勝43敗という通算成績を収めており、投手陣のエースとしてマウンド上で精力的に働いてきた。そのうちの4年には、年間200イニングス以上を投げてもいる。

そしてこの5年の間、絶好調だった時もあり絶不調だった時もあったガルシアだが、彼の“夕日の写真”について知っていた人間は一人もいなかった。マウンド上で時折見せる感情の片鱗以外には、シアトルの親しいチームメートを除いて、誰も彼が何を考え何を感じているか知らなかったのである。

「僕は、シアトルで、いい投手、いい人でいるように努力した。」とガルシアは言う。「一生懸命やった。ファンと話もしたしサインもした。楽しかった。でも、誰も僕のことをよく知らない―彼らが知っているのは、僕のほんの一部分だけだ。それなのに、僕とは一度も会った事もなく、話したこともない誰かが何かを書くと、みんながそれを信じてしまうんだ。」

昨シーズン初めのガルシアは不安定だったが、6月に入ると6勝0敗の好成績を挙げてALの月間最優秀投手にも選ばれた。―が、しかし、続く7月は、その成績も0勝6敗と反転してしまった。

「集中力がなくなり、時々試合に集中できない事があった。」とガルシアは言う。「身体的なことではなかったし、自分でもそのことはよくわかっていた。失投してしまうと、『なんであんな事をしてしまったんだ?』と思うんだけど、次にはまたそっくり同じ事をしてしまう―。友達にも、『僕は、もう、こんなことを繰り返していてもいいほどのガキじゃないのに―』とよく言ったものだった。」

昨年のことでガルシアが覚えているのは、6月に挙げた6勝のことでも、9月の5登板で記録した1.95という防御率の事でもない。彼が最も鮮明に覚えているのは、セーフコーで投げた3試合と、それらの試合で降板する時に彼に浴びせられたブーイングの事なのだ…。

「ニューヨーク戦と、カンサス・シティー戦と、シカゴ戦…」とガルシアは指を折る。「あの3試合での自分は、本当に最低だった。」

5月8日のヤンキース戦では、ガルシアは2回と2/3で9失点も喫してしまい、ホームでの試合であったにも拘わらず、盛大なブーイングを浴びた。5月21日のロイヤルズ戦では、7回を投げて7点を失った。

「ホームのファンが、僕にブーイングをした―。僕は、試合中も気にする素振りは見せないようにしたし、試合後のインタビューでも『全然気にならなかった』とまで言った。」とガルシアは言う。「でも、あれはこたえたし、びっくりもした。多分、それまで一度も経験したことがなかったことだったからだと思う…。」

6月になって6勝したガルシアだったが、そのうちのセーフコーでアトランタとアナハイム相手に記録した2連勝は、素晴らしい出来だった。その2試合で投げた15イニングと2/3で、ガルシアは1失点しか許さなかったのである。

「ホームで凄くいい投球を2試合続けたら、ファンはまた『フレディー、フレディー!』って声を揃えて声援するようになった。でも、いったんブーイングされた経験をもつと、そういう声援も前のようには素直に聞けなくなってしまうものなんだ…。」

もし、昨年彼に向って激しいブーイングを浴びせたファンと直接話すチャンスに恵まれたら、どんな事を言いたいか…?と訊かれたガルシアは、肩をすくめながら次のように答えた…。

「別に何も―。彼らは、かなりの金額を払って、“いい試合”を観るために球場に来ている。ブーイングするのは、彼らの権利だ。多分、彼らは僕たち選手がどんな思いでグランドに立っているかなんて知らないんだろう。もしかしたら、そんなことは彼らにとってはどうでもいい事なのかもしれない。自分がどんなに一生懸命にやっているかなんて、彼らに言う事は出来ない。だいたい、そんなことをしても無駄だろうし―。」

もしかすると、ガルシアは、多くのファンの信頼を失ってしまったのかもしれない。だが、チームメートやコーチ陣の信頼は、決して失ってはいない。そしてそれは、単に彼らのガルシアに対するチームメートとしての“忠誠心”から来ているわけでもない。

「ある選手が一生懸命努力していれば、その選手のグランドでの結果がどうであれ、コーチや球団スタッフはその選手をサポートするるものだ。」とプライス・ピッチングコーチは言う。「昨年のフレディーは、決して自己憐憫に浸ったりはしなかった。彼は、努力しつづけることを止めなかったし、絶えず打開策を模索してもいた。」

「僕は、フレディーが好きだ。」とジェイミー・モイヤーは言う。「我々が真に成熟する年齢というのは、人によって様々だ。…そう、僕なんか、そのいい例かもしれない。何かの拍子に節目を越えると、そこから先はそれまでとは全く違う世界が開けるものだ。野球に関して、フレディーはとても真剣だし、努力もしている。彼の中には、口には出さない色んな思いが渦巻いているんだ。周りは彼に大きな期待を抱いているのに、彼はここまではコンスタントにその期待に応えることが出来なかった。でも、素質はあるのだから、あとはいかにしてもっと安定性を増すかを考えればいいだけだ。でも、その作業は、ブライアン(プライス・コーチ)にも出来ないし、我々にもできない―我々は彼をサポートするだけで、なにが彼にとって有効なのかは、彼が自分自身で見つけなくてはならないんだ。そして、それが出来たとき、フレディーは凄い投手になると思う…。」

キャンプ初日の土曜日、ガルシアには自分が“凄い投手になる”などと言う思いはなかった。だが、“やらねばならない”という思いだけはしっかりと抱いていた。

「自分ができるんだということを、周りに証明しなくてはならない。」と彼は言う。「来年はFAなので、今年がここで過ごす最後の年になるかもしれない。今年起きる可能性のある最高の事と言えば、シアトルでワールドシリーズが開催されて、そこで優勝する事。もし、これが僕のシアトルでの最後の年になるのなら、チームのためにもシアトルの町のためにも、その夢を実現する役に立ちたい。」

ガルシアについてほとんどのファンが知らないことの中には、こんなこともある―。セーフコーで地元ファンにブーイングされたガルシアは、確かに、シーズン終了後、ただちに本国へ帰ってしまったかもしれない。だが、4年来の恋人のグレンディスにプロポーズしたいと思った時、彼がプロポーズの場所として選んだのは、このシアトルの町だったのである…。

「友人に頼んで、彼女をスペースニードルのてっぺんにある展望レストランまで連れて来てもらったんだ。」と彼は少々決まり悪そうに言う。「そして、レストランが回転するとマリアッチバンドが現れて―」

―そして、そこには、指輪を携えたガルシアもいた。挙式は来年の冬になるのだそうだ…。

だが、その前には、まず春と夏とを―そして、うまくすれば秋も―野球に専念して過ごさなくてはいけない。

「フレディーは、言い訳をしない男だ。」とメルビンは言う。「彼は両耳の故障を修復する手術を受けたが、彼はその故障が不振の原因だったとは決して言わない。それが原因だと思うかって…?そりゃあ、これだけレベルの高い次元で戦っていれば、どんな事でも影響はあるんじゃないかな。どんな些細なことでも、勝敗を分けるような影響を及ぼす可能性はあると思うよ。」

昨シーズンのことを訊かれたガルシアは、きちんと理解してもらおうと、苦労して注意深く言葉を選びながら話してくれた。(注:いつだったかテレビでガルシア投手のインタビューを聞いたのですが、訛りがきつくて聞き取りにくい、かなりブロークンな英語を話していたような記憶があります…)

「僕には、運がなかったんだと思う―」と言ってしまってから、ガルシアは思わず顔をしかめた。彼は、別に、彼の投げた試合で野手が捕るべき球を捕ってくれなかったとか、球審がストライクをコールしてくれなかった…などど言いたかったわけではない。気を取り直したガルシアは、再び話し出す―。

「昨年の僕には、“失投した時に”運がなかったんだと思う。」と彼は言う。「たとえ失投したとしても、相手がファールにしてくれたりして、実害を被らないで済むこともあるものなのに、昨年の僕の場合は、そういう失投が全部失点に繋がってしまったんだ。今年は、リラックスすると同時に、集中力を高めなくてはいけないと思っている。そして、同じ失敗は繰り返さないようにしなくてはならない。2000年と2001年の(好成績の)あとで、僕は自分に対する期待値を上げてしまっていた―同じレベルで留まる事はできないと思ったし、もっと上達したいと思っていた。」

そこで言葉を切ったガルシアは、暫く黙り込んだ。好成績を収めた2年間のこと、その後の不振のこと、そして今オフにもう少しでマリナーズから解雇されかかった事実に思いを馳せていたのだろう…。

「放出されるんだろうって、本当に思っていた。」とガルシアは言う。

―実際、もう少しでそうなるところだったのだ。

「もし低い数字で再契約できなければ、我々はフレディーを放出する方針でいくと決めていた。」とバベジGMは言う。「―でも、リー・ペレコウダス(副GM)が、ガルシアの価値と、市場で獲得可能なオプションについて常に比較しつづけてくれていたんだ。どんなフリーエージェントが年俸400〜600万ドルの範囲で獲得可能なのか、そしてどんな選手が他球団から解雇されて市場に出てくるかなどについて、我々はちゃんと把握していた。その上で、リーは『同じ金額では、フレディー以上の選手は市場には出て来ない』と確信していた―そして彼は正しかった。」

少なくともあと1シーズンは、ガルシアはシアトルの選手として残る。モイヤーの21勝に対して昨季12勝しか挙げられなかった彼は、もはや“チームのエース”とは考えられてはいない。もしかすると、“2番手”ですらないのかもしれない。

「僕は、ここにいたかった―昨年、僕を支えてくれたチームメート達のためにも、今年ここに戻ってきたかったんだ。」とガルシアは言う。「昨年の事は、もう変える事は出来ない。もう2度とブーイングを浴びない…などという約束も僕にはできない。でも、僕は、失敗から学ぼうと思っているし、安定したピッチングもできるようにしたいと思っている。」

そう言いながら、ガルシアは、手に持った携帯の表面を無意識のうちに親指でなぞっていた。もしかすると、大好きな夕日のイメージを思い浮かべていたのかもしれない。

「もう1回、自分を立て直したいんだ。」
                                 (以上)

[23376へのレス] Re: LARRY LARUEのストー・.. 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/12/03(Wed) 18:19
今晩は。もはや蛇足でしょうが、以下はラルー記者のシリーロ選手に関する記事の全文です。2年前、期待と希望に溢れてマリナーズに移籍してきたのでしょうに、何でこんな事になってしまったのか…。シリーロ選手の自虐的なコメントが、読んでいてなんともやりきれない気分にさせる記事ですが、そんなシリーロ選手本人のためにも、そしてマリナーズのためにも、なんとかそれなりのトレードが成立する事を願っています…。(-_-;)

            ****************************

         不透明な将来   
        ― ラリー・ラルー―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/4473862p-4453141c.html


シアトル・マリナーズでの2年間は、ジェフ・シリーロの通算生涯打率を大幅に引き下げてしまった。彼自身の自己イメージに与えた打撃の大きさに関しては、言わずもがなである。

とは言え、彼はユーモアのセンスだけは失ってはいないようだった。

「僕の家族は、もう僕にシアトルではプレーして欲しくない、って言うんだ。」と月曜にシリーロは言った。「―ま、でも、彼らは全員がマリナーズファンだから、当然か。」

そう言って声を出して笑ったシリーロだったが、すぐにその笑顔を引っ込めた。

「多分、こんな冗談も言うべきではないんだろうね。」と彼は言う。「そうでなくても、もう、怒っている人は沢山いるんだろうし…。僕が今後もメジャーでプレーし続けるためには、シアトルを出て行かないとダメなんだと思う。」

パット・ギリックの“生涯最大の失敗作”との呼び名も高い(?)トレードで、デニー・スターク、ブライアン・フエンテス、ホセ・パニアグアと入れ替わりにコロラドからシリーロがマリナーズにやってきたのは、丁度2年前の今月のことだった。生涯通算打率.311を引っさげてシアトルに乗り込んできたシリーロだったが、2002年には233試合に出場して打率.249に終わり、2003年に至っては.205しか打つ事が出来なかった。

しかし、マリナーズにとって悪い事はそれで終わりではなかった。シリーロには、総額1,400万ドル弱を保証する2年間の契約がまだ残っているのである…。

「球団としては、かなり困っているだろうね。」とシリーロは認める。「最後の2ヶ月は全くプレーしなかった上に、打率は.205。こんな僕に、どれだけのトレード価値があるというのだろう?」

そう、それは誰もが心配している事だ。

今週の月曜、シリーロとマリナーズは、お互いのためには、今後彼がシアトルのユニフォームを着ないほうがいいだろう…ということで意見の一致を見た。とは言え、これで「彼はもう絶対に戻ってこない」と決まったわけではない。

・ボブ・メルビン監督曰く:「ジェフの事は好きだし、彼だって今までのキャリアのほとんどは成功してきた選手だ。オールスターにも2回も選ばれているのに、なぜかここだけではうまくいかなかった。でも、彼にはまだ契約も残っているし、一生懸命努力もしている。今後、以前の(優秀な)プレー振りが蘇らないとも限らない。」

・前GMで現コンサルタントのギリック:「惨憺たるトレードだった。お陰で、ビル(バベージ)を苦しい立場に立たせることになってしまった。」

・そして、バベージGM―:「この選手のキャリアがこれでもう終わりだなんて、そんなことは有り得ない。我々が今までに彼に投資した分を守るための最大限の努力をするつもりだし、その後の事はそれからだ。可能性は、なにかしらあるはずだ。決して楽にはいかないだろうし、多分、他のチームがお荷物に思っている選手で、ウチから見ればそれほど問題ではないというような選手を代わりに引き取る事になるかもしれない。双方の選手の環境を変える事が一番の解決策だった…というようなことは、球界には今までにも何回もあったことだからね。」

問題は、今の球界の経済状況下でシリーロを他球団に引き取ってもらおうと思えば、替わりに同程度の高額選手を引き受けるか、あるいはマリナーズがシリーロの年俸のほとんどを負担する覚悟でなくては無理だろう…ということだ。

しかしながら、シリーロを乗せた船は、既に港をあとにしてしまったらしい―。

今季終盤の35試合のうち、たった2試合にしか出場させてもらえなかったシリーロは、シーズンが終了して以来、まだ一度もセーフコーに足を踏み入れていないだけでなく、チームメートとの誰一人とも言葉を交わしていないのだそうだ。

「セーフコーには、あまりいい想い出がないものでね。」と彼は言う。「僕が春期キャンプに参加することは、僕自身にとってもマリナーズにとっても、決していい結果はもたらさないと思うんだ。誰もが“問題”がどこかに行ってしまう事を願っているに違いないんだから…。自分がそんな状況に立たされているというのは、サイテイな事ではある。でも、お互いに最大限の努力を払ったことだけは確かなんだ。」

シリーロは、シアトルに来てから2人の監督(ピネラとメルビン)のもとでプレーし、その間に2人の打撃コーチが解雇されるのを見てきた。今年の夏、肩を痛めて故障者リスト入りしたシリーロは、そのままチームから居なくなった。前日まではクラブハウスにいたのに、次の日にはアリゾナに行ってしまっていたのだ。―そして、彼が居なくなった事でホッと安堵したチームメートは、決して少なくはなかったのである…。

「ここで何が起こったのか、僕にはわからない。」とシリーロは言う。「なぜ上手くいかなかったのか、僕に説明する事は出来ないんだ。きっと原因は色々なんだろう―家族の地元だった事(=それだけ期待やプレッシャーが大きい)、年をとったこと、球場との相性が悪かった事、アメリカン・リーグに戻ってきたこと…。いずれにしても、たった1つはっきりしているのは、なにがなんだか訳が分からない―ということだけなんだ。」

トレード前の4シーズンのシリーロの打率は.313〜.326で、2000年には打点も115打点を記録している。しかし、マリナーズに来てからのシリーロは、2年間で77打点しか挙げてないのである。

2002年シーズン終了後、ピネラとジェラルド・ペリー打撃コーチに対して批判的な発言をしたシリーロは、彼らの代わりにメルビンとラマ―・ジョンソンが新しく就任した時には、非常に喜んだ。―しかし、2人の新たな味方を得たにも拘わらず、今年の打率は2002年度のそれより44ポイントも下がってしまったのである…。

「ボブ・メルビンはすごくいい人でいい監督だったし、ラマーにしてもよくやってくれたと思う。」とシリーロは言う。「僕の側からは、なんの悪感情もない。―ただ、もう一度マリナーズのユニフォームに袖を通している自分は想像できない、ということなんだ。自分としては、まだまだプレーしたいと思っている。でも、セーフコーではダメなんだ。僕が左打ちになるか、はたまた投手にでもなれば、話は別なんだろうけどね…。もし、トレードが成立するなら結構―もしダメなら、多分、解雇されることになるんだろう。」

もし“解雇”ということになれば、マリナーズはシリーロの契約の残金を全額払うことになり、シリーロ自身は、MLBが定めるところの最低基準年俸でどこのチームとも契約する事ができる。

「30万ドル(=メジャー最低基準年俸)プレーヤーとしては、僕はかなりいい選手になると思うよ―いや、もしかしたら最高の選手になるかもしれない。」(以上)

[23106へのレス] Re: バベーシGMのインタビュー 投稿者:ウィンディー 投稿日:2003/11/13(Thu) 17:15
なかなかさん、YUTAさん、こんばんは。記事の紹介、ありがとうございました。^^
全文を訳すまでにはまだちょっと時間がかかりそうなので、とりあえず出来た分だけ(半分強)をアップすることにしますネ…。(^^;ゞ

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…各チームの首脳陣は、現在フェニックスで開かれているGM会議に出席しながら、若手選手の出場しているアリゾナ秋季リーグも偵察するのが慣わしになっているそうなのですが、このMLBcomのインタビューも、ピオリア球場でのそういった試合観戦の合間に行われたのだそうです。

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        マリナーズのビル・バベージGMと一問一答
            ― ジム・ストリート ― 
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20031112&content_id=602466&vkey=news_sea&fext=.jsp&c_id=sea


MLBcom(以下M): まず(GMとしての仕事は)どこから始めるつもり…?

バベージ(以下B): 基本的には、今自分がやっていることと、そっくり同じこと―つまり、この球団のGMオフィスがどういうものであるかをきっちりと把握し、これから密接に仕事をすることになる仲間の事をよく知ることだ。さらには、ロスターやフリーエージェントについての情報を頭にたたきこみ、それらがウチのチームにどういう風に関わってくるか考えること。この2つのあとにくるのが、ロスターを睨みつつ他球団と話すことで、それを今やリ始めているところだ。今回のGM会議中にいろんな話がまとまるかどうかは予言できないが、充分な時間と手間がそういった活動に費やされるだろうことだけは確かだ。


M: 今までに何人ぐらいの他球団のGMが、あなたのところに「ウチの年俸1,000万ドルの下り坂の選手と、お宅の年俸50万ドルぐらいの若手有望株とトレードしないか?」と言ってきた…?

G: (笑)そうだね、冗談っぽいオファーはいくつかあったけど、これまで私の受けた電話のほとんどは、GM就任に対するお祝いの電話で、そのことは非常にありがたく思っている。でも、今日(現地火曜日)からは、ここもだいぶ本気モードに入ってきて他球団との駆け引きになってきた。パット(ギリック)が去る前に、全球団をリー(ペレコウダス)とロジャー(ヨングワールド)とベニー(ルーパー)に割り振っていってくれたので、それぞれが自分に割り振られた球団を受け持ち、私はパットがこれまで受け持っていた球団を引き継ぐ形になったんだ。ここにいる間は、毎晩全員で集ることになるだろうし、いやと言うほど電話会議も行う事になると思う。でも、それもこれも、全て私が悪いんだ―他の皆は(既に事情に精通しているから)そんなことをする必要もないんだろうけど、(新入りの)私にとってはどうしても必要な事だからね…。


M:  ルーパーとペレコウダスは、今回のGM候補だったけど選ばれなかった人たち。そんな彼らが恨みつらみなしに今まで通りにスムースに仕事を進められるようにするために、あなたはどんな事をするつもりか…?

B:  そのことについては、最大限の注意を払う必要があるし、理解もしなくてはならないと思っている。でも、最終的には、全て上手くいくと思っているんだ。―というのも、私自身も、過去に彼らと同じような立場に立った経験があるからね…。周りは私のことを「ゼネラル・マネージャー(GM)」と呼ぶだろうけど、私自身は、「ゼネラル・マネージャー・オフィス(GM事務局)」という観念を徹底させたいと思っている。なぜなら、これからは、グループとして仕事をしたいと思っているからだ。既に、私は彼らに大いに頼っているよ。


M:  このチームの最も大きな穴は、どこにあると思うか…?

B:  まずは、攻撃力の梃入れだろう。センターと3塁の問題をどうにかしなくてはならないと思っている。もし、指をパチンと鳴らして(魔法を使って)この2つの問題を解決できるものなら、なかなかいい滑り出しになるはずだ。ウチの先発投手陣は、現状のままでもかなりいいし、ブルペンにしても、(FAで)何人かを失うことになるかもしれないけど、その穴を塞ぐいい人材は若手にいるから大丈夫だしね。


M:  昨年オフのマリナーズは、自軍の4人のFA選手達(マルチネス、ウィルソン、オルルッド、モイヤー)と再契約することを最重要課題に設定して、4人全員との再契約に成功した。今年は、誰との再契約が最も重要か、ここまでに考える暇はあったか…?

B:  今年は、昨年ほどはっきりした状況ではないが、徐々に手をつけ始めているところだ。はっきりした答えが直ちに出せないというのは、私がまだ来たばかりだというのも原因の一つかもしれない。


M:  あなたが新任だということでスタートが遅れたことは、不利だと思うか…?

B:  いや、そうは思わない。今年の市場の動きは、そのことによってウチが痛手を被るほど速くはないし、それに私が来るまでの間、他の連中がしっかりいい仕事をしていてくれたからね。彼らのお陰で、我々が興味を持っている選手に対しては、既にその旨がちゃんと伝わっている。この後しなくてはならないのは、全員で集ってすべてのことに関してじっくりと話し合うことだ。ロスターのこと、FA選手達のこと、年俸調停選手達のこと、そしてトレードについて…なんでもござれ、全ていっぺんに検討するつもりだ。さっきも言ったように、我々は、色んなことを同時進行で進めてきたんだが、ここまで、全員がとてもいい仕事をしてきてくれたと思っている。


M:  来季開始時までに、何か“大きな仕事”をしなくちゃならないと思っているか…?

B:  それは、“私自身の人気取りのために”と言う意味でか―?だとしたら、答えは「ノー」だ。私は、そんなことは一切考えていない。我々は、そんなことのためにここにいるわけではないからね。私は、楽観的な雰囲気を振りまいて自分を“イイ子”に仕立てあげるつもりなんかない。―もし今年度の終わりに、「GM事務局」という言葉が周囲に浸透していたら、そのことこそが、私が自分の仕事をきちんとしたことの証になると思っている。


M:  いわゆる「トップ・プライオリティ(最優先事項)」というようなものは、あるのか…?

B:  そこが問題なんだ―優先事項を1つに絞ったりしてはいけない。そりゃあ、「x,y,zを解決してからでないと、他の事に手を付けるわけにはいかない」なんて悠長なことを言っていられる余裕があったらいいだろうとは思うけど、実際には、そんなことをしてたら大惨敗を喫する可能性が高い。我々は、色んなことを同時進行でやって行かなくてはならない。―そうやっているうちに、ある時点までいって何かをすれば、それがきっかけになって、全てが納まるべきところに自然に納まるようになるもんなんだ。


M:  セーフコーフィールドは投手有利の球場だと言われているが、どういう風に説得すれば、いい打者たちがシアトルに来てくれると思うか…?

B:  実際は、左打者にとってはこの球場は決して悪い球場ではない。―ただし、左中間に打つのが好きな左打者の場合は別で、その場合は「問題あり」だと言えるだろう。右打者にとっても、この球場は楽ではないかもしれないが、チーム構成を考える時には、個々の選手の「性格」というものも大事な要素になるわけで、ウチには、そんなことは恐れないような選手達に来て貰うことになるだろう。


M:  アナハイム時代にGM職について学んだ事で、今度シアトルに来て役に立つような具体的なことは何かあるか…?

B:  最初にアナハイムでGM職についたときは、「情」に重きをおき過ぎてしまったと思っている―「いい人」になりすぎていたような気がするんだ。実績で判断しなくてはいけないのに、昔からずっと球団にいたから…という理由だけで人を職に就けたりもした。そんなことをすればいい結果にはならないのにね…。


M:  エンゼルス在籍中にてがけたトレードで、今思い出しても自慢できるようなトレードは…?

B:  その質問に答えるのは簡単だ―1995年に初めてトニー・フィリップスを獲得したトレードがそれだ。1994年にチャッド・カーティスと複数年契約を結んだばかりで、彼はアナハイムのファンにも人気が出ていたけど、私としては、彼はウチのチームには合ってないと思っていた。彼はセンター向きの選手だったのに、センターには、下から上がってくるジム・エドモンズがいたからだ。ウチのスタッフのほとんどがこのトレードには反対したが、トニーが来ればエドモンズをもっといい選手にしてくれるだろう、と言ってくれる人もいた。―そして、実際その通りになった。レンジャースが年俸の差額を引き受けてくれて、このトレードは成立した。もしこれがうまくいけば、実質的に2人の選手―フィリップスとエドモンズ―を手に入れる事になるのが私にはわかっていた。当時、周りからは散々叩かれたトレードだったが、トニーは、素晴らしいプレーを披露してくれた。あのトレードこそが、私を真のGMにしてくれたんだと思っている。


M:  年俸調停についてのあなたの考えは…?

B:  実は、私は今までに1度も年俸調停に行ったことがないんだが、このことは、別に私が年俸調停の制度そのものを否定しているからではない。アナハイムでは、若い選手達の中から特別に有望と思われる選手達を抽出して、彼らと複数年契約を結ぶことによって、年俸調停期間を素通りしていたんだ。結果として、年俸調停に持ち込む必要が1回も生じなかった、というだけのことなんだ。…で、今回については、私は、どうすべきかをベニー(ルーパー)の判断に全面的に委ねなくてはならないと思っている。こういった判断を下すためには、若手選手たちのことを熟知している必要があるが、私自身は彼らのことを全く知らないわけだからね…。実際に彼らのことをよく知っている人間が、最終的な判断を下すべきだ。アナハイム時代の事に話を戻せば、当時の我々は、エドモンズ、サーモン、ディサルチナやパーシバルのことを知り尽くしていた。昔ながらの手法で、彼らがノーと言えないだけの金額をオファーした、というわけだ。大事なことは、普通では得られない“身分保障”を我々が与えたいと思っていることを彼らに伝える事だ。確かに、健康と生産性さえ維持していけるなら、毎年、単年契約を結びなおす方が選手にとっては金銭的には得かもしれない。我々がオファーする3年もしくは4年契約というのは、金額的には前者に劣るかもしれないが、長期的な身分保障が得られることのメリットを前面に押し出せばいい。マリナーズでも、こういうアプローチをとればいいのでは、と私自身は思っている。


M:  ケン・グリフィー・ジュニアーを連れ戻してはどうか、と言うような話が巷では流れているようだが、それについて何かコメントできることは…?

B:  それについては、何も言う事はないな、実際のところ…。ただ、私は、ケン・グリフィー自身については、良くも悪くも特別視するつもりはない。彼をただの選手として見た時に、我々にとって何かメリットがある選手だと思えれば、何か行動を起こすこともありえるだろう。彼がシアトルの多くの人々にとって特別な選手であることはよく知ってはいるが、私にとっては、彼とシアトルとの間に存在するセンチメンタルな結びつきは、重要ではない。もし、彼がチームの役に立つようで、彼の獲得に何か実質的なメリットが見出せる場合には、その道を追求する事に恐れる事は何もないと思う。だが、単に球団のイメージアップに繋がるから…と言う理由だけなら、やるべきではない。そんなことをしても、何もいい結果は生まれないと思うからだ。


M:  年間にどれくらいの時間をシアトルで過ごすことになると思うか…?

B:  かなり沢山の時間だ。私の家族は、今まで通りオレンジ郡(ロサンゼルスの郊外)に住む事になる―子供たちの学校の事があるからね。現実的に考えて、新任後の最初の1年半ばかりは、どこに住んでいようと、家族と過ごす暇などほとんどないだろうことは、家内も私もよくわかっている。そのかわり、一緒に過ごせる時間は、前にも増して質の高いものになるはずだ。家族がシアトルに来られる機会も、かなりあると思うしね…。


M:  あなたにとって、この1週間から10日ばかりは、どんな感じで過ぎていったのか…?

B:  非常に両極端な感じだった。“中間”と言うものが、一切ない、というようなね…。気分的に非常に高揚しているか、落ち込んでいるか、どちらかだった。2回目の面接から10日ばかり経ったけど、1回目の面接の時は、非常にうまく身を処すことができた。面接のためにシアトルに飛んで、空港から直接ホテルに入ると、直ちにパソコンを取り出してドジャースの仕事をこなし、一歩も部屋を出ることはなかった。翌朝起きると、面接に行くためにタクシーを拾い、面接を受け、再度タクシーを拾って空港へ行くと、そのまま家に帰ってきた。それが、正しいやり方だったんだと思う。―ところが、2回目の面接の前には、私はシアトルの街を歩き回る、と言う致命的なミスを犯してしまったんだ…。もともとシアトルの街は好きだったし、エンゼルス時代も、機会さえあればニューヨークとシアトルにはチームについて行く事にしていた。でも、今回は、シアトルの街に出て、この町を楽しんでしまうという、実にバカなことをしてしまったんだ…。そんなことをしてしまったお陰で、この仕事をどうしても欲しくなってしまった自分に気付いた。2回目の面接が終わった直後に球場の中を案内してもらったんだけど、あれは私にとっては拷問に等しい経験だった。だって、あの時点では、私はまだ採用が決まったわけではなかったんだから…。どこを案内してもらっても、まるでパンチを食らっているように、辛かった。帰りの飛行機の中で、私はもの凄く心配になってしまっていた。今回の仕事に応募した最初の頃は、自分には既にドジャースでの素晴らしい仕事があって、身分の保証もきちんと確保していて、その仕事自体も楽しんでやっていていい仕事も出来ている…と言う思いがしっかりとあった。最初の頃は、今回の事は単なるスリリングで面白い経験だとしか思っていなかったのに、2回目の面接の後は、この仕事こそが自分の欲しいものなんだということを、確信してしまったんだ。  
                           (以上)(^^)