★ ウィンディーさん翻訳劇場 ★ |
今年、またもやプレーオフの第1ラウンドをクリアできずに散ってしまったアスレチックス。これで、4年連続のALDS突破失敗という不名誉な記録を更新してしまうことになりました。昨年もそのプレーのお粗末さで各方面から批難を浴びたオークランドですが、(昨年の記事http://www.bluewave.nu/ichiro51/board/windy03.html#021007を参照してください)、今年も既に批判的な記事があちこちにアップされています。下記は、スポーツ・イラストレーテッドのサイトにアップされたかなり辛辣な記事です…。
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A’s球団の成績は“F”
― トム・ベルデゥッチ ―
http://sportsillustrated.cnn.com/2003/writers/tom_verducci/10/07/insider/index.html
1回の出来事なら、単なる“まぐれ”かもしれない。2回なら?偶然だろう。3回―?不運。では、4、5、6、7、8…9回連続だったら―?こうなると、もうこれは、はっきりとした“傾向”だ。オークランドのビリー・ビーンGMは、ポストシーズンを「不確かなもの(a crapshoot)」の一言で片付けてしまいたいようで、日曜の晩には、「私に、予算を1億ドルくれれば、(ポストシーズン勝ち上がりを)保証してやるよ!」と反撃したそうだが、A’sと言う球団は、ポストシーズンでの成功という観点から見れば、根本的な欠陥を抱えたチームと言わざるを得ない。ビーンのアスレチックスは、ALDS優勝に王手をかけた試合では過去4年間で通算0勝9敗であり、この事実は、“ポストシーズンというものの不確かさ”を示していると言うよりも、彼のチームがどういうチームであるかを雄弁に物語っている。対戦相手にとどめを刺すべき試合でオークランドがことごとく失敗しているのは、単なる偶然の出来事ではないのだ。
オークランドが10月に成功を収められない裏には、確たる理由が存在するのだ。このチームは満足に捕球も出来ないし、状況に応じた打撃も苦手だし、また、あるオークランドの関係者が言うように「リーグ1、走塁の下手なチーム」でもある。さらには、リーダーシップをとれる選手の不在と言うのも大きい。
A’sが“F(落第)”という成績をもらってしまう原因となった、過去4回のALDSにおける数々の重要な場面を思い起こしてみよう:
・2000年:対NYY第5戦、満塁の状況で上がった飛球をテレンス・ロングがミス処理したプレー
・2001年:対NYY第3戦、ジアンビがホーム突入でスライディングしなかったためにアウトになったプレー
・2001年:第5試合、2−0だったリードが、3つのエラーのせいで2−4と逆転されてしまった一連のプレー
・2002年:対ミネソタ第4戦、1イニング5失点に繋がったテハダとハッテバーグの連続エラー
・2003年:対ボストン第3戦、テハダとエリック・バーンズが生還するための努力を怠ったために、タッチアウトされてしまった2つのプレー
・2003年:同じ試合での4つのエラー
アスレチックスは数字を出してくるのが好きなチームのようなので、「王手の掛かった試合で0勝9敗」という記録から拾ってきた下記の数字を反芻してみてほしい:
得点:24(1試合平均2.67)
エラー:12
非自責点:10
本塁打:390打席で4本
ビーンが、いくらポストシーズンの不確かな側面を強調してみても、アスレチックスのこれらの“メルトダウン”は、許されるものではない。「なぜこのチームは、10月になるとちゃんとした野球が出来なくなるのか?」―と再度訊かれたビーンは、怒った声でこう答える:「この“9敗”を振りかざして、ウチのチームが成し遂げてきたことにケチをつけようとするのは、愚かさと無知のなせる技だし、このチームの選手達に対して敬意を欠く行為だ。」
―そうではない。オークランドが低額予算のもとで奮闘し、4年連続のプレーオフ出場を果たした事に関しては、誰も文句はない。そのこと自体は、偉業だと言える。しかし、ポストシーズンに入ってからの彼らのまずいパフォーマンスの責任を負うべきなのは、アスレチックス自身なのであり、得体の知れない“コックリさん(Ouiji board)”などではないのだ。A’sのこういった不甲斐なさは、部分的には、球団が好んで集めてくる選手のタイプや、どういうチームにするかといったスタンスのせいなのだろう。例えば、ホセ・ギーエンがいい例なのだが、彼のOPS(出塁及び長打率)は確かに素晴らしい。だが、走塁に関しては、彼はまさにいつ脱線事故を起こしてもおかしくない暴走機関車のようなものだ。彼は、第4試合と第5試合の2試合連続で、1アウト目と3アウト目を3塁で記録してしまったのだ。いずれも、酷いプレーだったと言えよう。(注:「決して3アウト目を3塁で記録してはいけない」というのが、マイナーで教え込まれる鉄則の一つ)
しかし、それ以上に最悪だったのは、走塁をあきらめてしまったがゆえに得点チャンスをみすみす逃がしてしまった、第3試合でのバーンズとテハダの“ドタバタ・コンビ”だ。テハダは走塁妨害に関するルールを良く知らず、バーンズはと言えば、オークランドにシリーズの勝利をもたらすはずだった得点よりも自分の痛む膝の方に気をとられてしまい、挙句に拗ねてボストンのバリテク捕手を突き飛ばしたりする始末…。
惨憺たる結果に終わった第3試合の後、あるオークランドの選手はこうコメントしている:「チームの幼稚な部分が肝心な時に限って顔を出して、自分たちの首を締めることになるんだ。」
試合後のバーンズのインタビューだが、あれほど奇怪(きっかい)なものに、私は今だ嘗て関わったことがない…。彼は、バリテックに衝突した後、自分がセーフだったのかアウトだったのかわからなかったことを認め、キャッチャーを突き飛ばした事も覚えていず、なぜそのキャッチャーがバックネットの所まで走って行っていたのかもわからず、それよりも自分の膝の痛みのほうに気をとられていたため、念のために本塁にもう一回タッチする事など思いもしなかった…のだそうだ。
この失態の部分的責任は、エリック・シャベスにもある。本塁に突入してくる走者に向ってスライディング等の指示を出すのは、次打者であるシャベスの仕事だったからだ。もし、シャベスが忠実にその責務を果たして本塁の傍まで駆けつけていたら、バリテックが点々とするボールを追いかけている間に、本塁をタッチするようにバーンズに指示できていたはずだ。ここでも、基本的なミスが起きていたのである。
アスレチックス自身は、シャンペンファイトを逃がし続けてきたここまでの9試合に、一つの共通の流れが存在することを認めたくないようだった。バリー・ジトー曰く、「どれも、状況は全く違っていた。僕に言えることがあるとすれば、それは肝心なのは“最後の踏ん張り”だってことぐらい。ウチには、確かに最後の詰めが甘いという面がある。それがずっとウチの欠点だったのかもしれない…。」
もし、オークランドがALCSに進んでいたとしても、多分、ヤンキースを破る事は出来なかっただろう。ビーンによれば、ハドソンは、多分あと1週間は脇腹痛のために先発できなかっただろうとのこと。マーク・マルダーがロスターに追加される事にはなっていたが、彼が使える場面と言えば、1〜2イニングのリリーフか、あるいはキース・フォークが使えないときのクローザー代理としてぐらいだ。そして、ジトーは、シーズン中に自己最高の231と2/3イニングも投げた後に、4日間で2回も先発したために、疲労困憊していた。だが、もしA’sがALCSにまで達していたなら、少なくとも、彼らを悩ませ続けていた「第一ラウンド敗退」と言うジンクスだけは、葬り去る事ができていたはずだった。
オークランドは、少ない予算を有効に使って最大限の結果を得るという面では、他の小規模市場チームの模範になるような球団である。また、伝統的な野球経営の枠に囚われないその経営方針が賞賛の対象となっているのも、ある意味当然であろう。しかし、王手の掛かった試合での0勝9敗と言う成績は、決して偶然の産物などではない。アスレチックスは、“一番大事な時に杜撰な野球をするチーム”と言う不名誉な評判を、自分たちで築いてしまったのである。
デレク・ジーターのような選手は、いわゆる典型的な“マネー・ボール”タイプの選手ではないかもしれない。(注:『Moneyball』=ビリー・ビーンGMがオークランドの成功について書いた本の題名)彼はあまり四球を選ばないし、スプレッド・シートを派手に賑わすほどの長打力もない。―だが、毎年10月に彼を見てみるといい。彼は、リーダーシップだけでなく、その場に相応しいプレーを選択する能力や、ランナーを進めて生還させる能力、そして全力且つ賢い走塁をする情熱をも披露してくれる。当然のことに、こういう一連のプレーも、決して偶然の産物などではない。
●致命的な決断
そして第5試合で、ケン・モッカ監督は“重大な誤り”(colossal blunder)を犯した。多分、これは重要な局面で行われた采配としては、最悪な部類に入るものの一つとしてプレーオフ史上に刻まれることになるだろう。その時のレッドソックスは、オークランドに対してまさに「勝ってください」といわんばかりの状態にあった。突如制球力を失ったスコット・ウィリアムソンが、9回の裏に最初の2人の打者を四球で出塁させてしまっていたのだ。続くラモン・エルナンデスはバントで走者を進めた。その時だった―ジェレメイン・ダイが次打者としてホームプレートに向って歩き出したのは。ダイによれば、ボストンのダッグアウトから、グレィディー・リトル監督が“敬遠”を指示するのが見えたと言う。
レッドソックスのショートストップ、ノーマー・ガルシアパーラは、敬遠が遂行される間に2塁ランナーがベースから離れないようにするために、のんびりと2塁ベースのカバーに入ろうとしているところだった。
―と、突然、「アンパイアーとバリテク(捕手)が、『誰かがお前を呼んでいるぞ』って教えてくれたんだ。」とダイは言う。
呼んでいたのは、モッカだった。監督は、ダイを引っ込めて代打を送ろうとしていたのだ。この際、チーム1の高給取りで最も経験豊かなベテラン選手のダイに土壇場で代打を送るという行為が、彼に対する侮辱であるかどうかという話は、脇に置いておこう。そして、左対右のマッチアップなどという下らない定石のことも、忘れよう。シーズンの成否が掛かっていたのである―。もっとも経験のある選手を打席に送りたい場面だったはずだ。しかし、モッカが選択したのは、ほとんど使われたことのない31歳の控え捕手、アダム・メルヒューズを打席に送る事だった。彼の生涯打点はわずか26点―ダイのそれより505点も少ないのである。
事態は、ここから更に悪くなる。モッカの説明は、こうだ:「私は、昨日の第4戦でもアダムを使った―3安打だった。彼の調子は良かった。」
なるほど。それほど調子の良かったメルヒューズを、右投手が先発したにもかかわらず、第5戦にはスタメンで使わなかったわけだ…。そして、第4試合のダイは、このシリーズ唯一のホームラン含む3安打を放っていたのである。
メルヒューズについて、さらに突飛なモッカの説明が続く:「もしかすると、向こうは彼を歩かせるかもしれないとも思った。そうすれば、1死でクリス・シングルトンが打席に入ることになる。クリスには足があるから、ダブルプレーの危険が少し減ると思った。」
―ここで、ストップ。信じられない事に、モッカは四球を期待していたにも拘わらず、レッドソックスが、今まさにダイを敬遠しようとしていた事には、気が付かなかったと言うのだ。レッドソックスは、モッカに、“1死満塁で打者シングルトン”という理想的な状況をプレゼントしようとしていたのだ。しかも、シングルトンは、今季たった2回しかダブルプレーに打ち取られていない選手なのである。それなのに、モッカはそれを全て台無しにして、ダイに代えてメルヒューズを打席に送ってしまったのだ。それがあまりにも“ボーンヘッドな采配”だったために、リトルは直ちに計画を変更し、敬遠はやめてメルヒューズに投げるようにデレク・ローに命じたのだ。つまり、モッカはレッドソックスが嫌った選手を下げ、彼らがやりやすい選手を、わざわざ打席に送ってしまったのである。そして当然のことに、ローは、内角からプレートの中寄りに急激に動く嫌らしい速球で、難なくメルヒューズを見逃し三振に打ち取ったのである。
メルヒューズが悪いのではない―彼をそんな場面に立たせた方が悪いのだ。その後、テレンス・ロングも同じような速球を見送って三振に倒れ、試合は終了してしまった。―しかし、ダイの代わりにメルヒューズを打席に送った時点で、モッカ自身が既にこの試合を台無しにしてしまっていたのである。この采配は、監督にとっては、決して忘れる事の出来ないものになるはずだ。(以下略…)
下記は、下のスレッドでYUTAさんが紹介してくださった、イチロー選手の年俸交渉に関する問題の記事です。最初はYUTAさんのスレッドにそのまま付け加えようと思ったのですが、やはり長くなり過ぎるので、新しいスレッドにすることにしました。この記事を読む前に、下のYUTAさんのスレッド(記事No.22503)を先に読んでくださった方が、理解していただきやすいかもしれません…。
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果たして、来年もここにいるのだろうか…?(Here Next Year?)
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2001758714_mari05.html
もし、マリナーズが今年実現できなかった日本での開幕戦を、来年こそ実現させようと思っていたとして、もしその時、マリナーズの日本人選手の数が減っていたとしたら、はたして昨年と同じような注目を集める事はできるのだろうか…?
MLB機構は、まだ来年の開幕戦に関して何の決断も下してはいないようだが、ファンの興味を惹く事に懸命な日本のメディアの関心の中心は、既にヒデキ・マツイに移ってしまっている。その理由としては、(1)マツイのほうがニュースとして新しいから、(2)彼がパワーヒッターだから、そして(3)彼が行った先が“ヤンキース”だったから―があげられるのかもしれない。そのヤンキース球団自身も、マリナーズ同様、来年もしくはその次の開幕戦を日本で開催したいと思っているようだ。
そして、その来季のマリナーズに、一体何人の日本人選手が在籍していることになるのかは、誰にもわかりやしないのだ…。
シアトルの日本人選手の数は、今の3人から2人に減っている可能性もある。先週、シゲトシ・ハセガワの再契約についてマリナーズと予備交渉を行ったエド・クレベン代理人が、パット・ギリックの後任のGMが誰になるのか決まるまでは、彼のクライアント(長谷川投手のこと)の去就については何も決めたくない、とはっきり言ったのだ。
あるいは、1人にまで減ってしまう可能性もある―。というのも、トニー・アタナシオ代理人が、カズ・ササキについて次のように発言しているからだ:「カズは、2004年にもクローザーを務める事になるだろう。もし、シアトルがダメな場合は、彼をクローザーとして使いたいと思っているどこか他の球団で―。」
さらには、一人もいなくなってしまうことだって、あり得るのだ。どちらかというと不敬なタイプの人間(irreverent sort)で、ユーモア交じりの挑発を行うのが大好きなアタナシオが、ここでも、「もしマリナーズが年俸調停なしの契約更改をしたくないと言うのなら、イチローをトレードすればいい―」などという大胆な発言までしているからである。
先日、地元メディアにアタナシオが口を開いて以来、大きな注目を集めるようになったイチロー陣営の「年俸調停回避」のスタンスだが、アタナシオによれば、このことはマリナーズの首脳陣に対して、もう何ヶ月も前から繰り返し伝えてきた事なのだそうだ。―すなわち、年俸調停に持ち込まれるということは、イチローにとっては「面目を失なうこと」(loss of face)に等しいということを、これまでに繰り返し伝えてきたと言うのだ。
「もし、彼らが契約に関してイチローと合意に達する事が出来ないと言うのなら、じゃあ、なんで彼をトレードしないのか…?と言う話になる。」とアタナシオは言う。「これは、まるっきり奇想天外な話というわけではない。―ただ、イチローもカズも、そんな事は望んではいない。2人ともシアトルを愛しているし、彼らにとっては日本の次に大切な場所だ。それでも、トレードは全く問題外、と言うわけではない。」
ハワード・リンカーン球団CEOは、イチローの状況に関して、京都在住のマリナーズの筆頭オーナー、ヒロシ・ヤマウチと頻繁に連絡を取り合っているそうだ。そのリンカーンは、イチローのトレードの可能性について、「そんなことは、我々の考えには一切ない」と、即座に退けている。
イチローの契約は、あと3年間はマリナーズの支配下にある。
イチローの状況を語る中で、アタナシオは次のように言う:「別に、我々の側が優位に立っているというわけではないし、私はそんなことを言おうとしているわけでもない。私は、ただ、以前も出演した事のある地元のラジオ番組で、ああいう発言をしただけなんだ。」
アタナシオによれば、ラジオ出演を決めた時点で、マリナーズのチャック・アームストロング社長宛てにEメールを送ったのだそうだ。
「Eーメールの内容は、番組で訊かれるであろう質問に対して、事前に私が用意した答えさ。番組でイチローの契約について、『3年契約になると思うか?』と訊かれたので、『3年契約では、球団側にとっては何のメリットもないだろう。なぜなら、もともと彼らは、あと3年間はイチローの保有権を持っているわけだからね―』と答えたんだ。」
アタナシオによれば、彼は、別に遠まわしに長期契約を球団に対して要求しているわけではないと言う。
「我々は、特に何か具体的なものを要求しているわけではない。1年契約だろうが、2年契約だろうが、マリナーズが年俸調停を避けるためにオファーしてくるものなら、何年契約でも構わない。球団が提示してくるものなら、なんでも考慮する用意が我々にはある。なんといっても相手は一流球団だし、対する選手の方(イチロー選手のこと)も一流である事は、誰もが認めるところだからね。」(注:要するに、「マリナーズ球団程の立派な球団が、安っぽいオファーなどしてくるわけがない―」と言外にマリナーズを牽制している)
アタナシオは、契約問題に決着をつけるために年俸調停に持ち込むことは、「選手に対して失礼であり(a sign of disrespect)、侮辱であり(a slap in the face)、面目を失わせる事になる(a loss of face)」と確かに言った、と認めた。
「ラジオで、私は確かにそのように言ったよ。でも、それと同じ事を、球団宛てのE−メールにも、私はちゃんと書いているんだ。」と彼は付け加える。
それに対してリンカーンは、マスコミを通して交渉するつもりは彼にはサラサラないことを明らかにし、「そうすることは適正な事ではないし、選手にとっても球団にとっても、フェアなことではない」と述べた。
それに対するアタナシオの反応は、次のようなものだった: 自分の今回の発言は、別にマスコミを利用して交渉していることには当たらない。なぜなら、自分は、これと同じ事を夏の間に何回も球団に伝えてきたし、彼らが既に何ヶ月も前から知っていることしか、言っていないからだ。
「私は、マスコミを利用して交渉したりはしない―そんなのは、私の流儀じゃない。」と彼は言う。「私は、ハワード(リンカーン)ともチャック(アームストロング)とも既に3〜4回話をして、そっくり同じ事を言ってきた。実際は、昨年のオフにまで遡る話なんだ。私は、できるだけ早く話をまとめたほうがいいと、ずっと言ってきた―本来なら、4月にやってしまうべきことだったんだ。」
そして、アタナシオは、「年俸調停に行けば、裁定がどう出たとしても、球団のためにはならないだろう―」ということも彼らに伝えた、と付け足した。「もし、調停であんたたちが勝ったとしても、あんたたちは選手(イチロー)の心を失うだろうし、負けたとしたら自分達が頭に来るだろうし…ってね。」
「いつだったか、シアトル・タイムスで読んだんだが、私とハワード達で昨年のオフにイチローについて話している時に、『2千万ドル』と言う数字が飛び出した…っていう記事が出たよね。」とアタナシオは言う。「確かに、我々の会話の中で、その数字は出てきたよ。でも、それは、ちょっとふざけた雰囲気で口にした数字にすぎなかったんだ。或る日、彼らと一緒に昼食を摂っている席で、『もし、年俸調停に行ったと仮定して、例えば、私が『2千万ドル』って要求したとしたら、あんた達は、いったい、いくら提示するつもりかい…?って訊いたんだ。そうしたら、彼らが『600万ドルか800万ドル』って答えたんだ。その後は、皆でひとしきり笑って、それで終わりだった―単なる冗談だったんだ。―というか、少なくともその時の私は、そう思っていた。」
その他にも、今週、不思議(curious)だったのは、イチローが、今シーズン終盤に不安症の典型的症状である吐き気や息苦しさを経験していた、と日本のメディアに語ったことが彼ら(日本のマスコミ)によって報道された事だった。
共同通信によれば、イチローは、「今シーズンは、気持ちの問題がどれだけ酷い影響を体に及ぼすものなのか、と言う事を学んだ」と、言ったそうだ。「時には、プレッシャーや怒りから吐き気を催したり、息苦しさを感じたりした事もあった。今までこんな事は経験した事がなかったので、とてもビックリした。」
米国のメディアがこの話題を報道した後に、イチローからより詳しい話を聞くことはできなかった。自分の代わりに、エージェントと話してもらいたい、ということだった。マリナーズの首脳陣によれば、彼らは、イチローが語っている問題については何も知らず、翻訳の過程で彼のコメントが歪められて伝わったのではないか…と思っているようだった。
他の選手達がスランプにで苦しんでいる状況の中で、「(それをカバーするために)自分自身のパフォーマンスのレベルを上げようとした結果、イチローの神経が張り詰めた状態になってしまったのだろう―」とアタナシオは言う。
イチローが今シーズンについて語る様子を日本のテレビで見ていたある日本人ファンは、米国で報道されたレポートからは、イチローのインタビューの一部分が欠落してしまっている―と指摘する。
「イチローは、この問題を克服して3年連続して200本安打以上を記録できた事を嬉しく思っている―と言っていた。」と、ヨウイチ・アサカワは言う。「さらに、今回の経験のお陰で以前より野球が好きになったし、来季のことを楽しみにもしている―とも言っていたんだ。」
さて、話の焦点をササキに移すと、来季の契約が既に800万ドルと言う高額に設定されている彼に関しては、トレードについても前向きに考える用意がある―とアタナシオは言う。
「彼の契約には、限定的なトレード拒否条項しか入っていない。―いや、今の段階ではトレードを要求してはいない。」と彼は言う。「でも、私にここでちょっとの間だけ、GMの真似事をさせて欲しい。もし私がGMだったら、賢明な道を選ぶと思うんだ。―つまり、ソリアーノが将来のマリナーズのクローザーだとすれば、ブルペンでカズと一緒に1年間過ごす事は、ソリアーノにとって非常にいい勉強になると思う、ということなんだ。」
クローザーの役目が既にハセガワのものになっていたにもかかわらず、シーズン終了直後のメルビン監督は、「来年のキャンプ開始時の段階でのクローザーは、カズになるだろう」とコメントしている。
アタナシオ自身のスタンスは、「春期キャンプ終了時点でも、チームのクローザーはササキである―」というものだ。
「カズは、2004年は必ずどこかのチームのクローザーを務めているはずだ―しかも、優勝争いをするようなチームのね。」とアタナシオは言う。「我々は、それがシアトルであって欲しいと思っているし、ここの球団の連中にしても、今年のカズが、肘や肋の故障から完全に回復していないにもかかわらず、グランドに出て行ってベストを尽くしたということは、よくわかってくれていると思う。」
ハセガワの今季の年俸は180万ドル。マリナーズは、来季も彼をキープしたいとは思っているものの、今の額よりそれほど多く出すつもりはない。
イチローに関して言えば、「球団にとっては、この問題に直ちに取り組まないと、とても危険な事になるだろう。」とアタナシオは言う。「何年か前、まだイチローが米国へ渡ってくる準備段階にあった頃、イチローを誰に例えればいいのかと訊かれて、私は『ジョニー・デーモン』と答えた。―でも、今は、イチローをジョニー・デーモンとトレードするなんて、全く考えられない事だ。」
イチローについて話しているうちに、話題の中心がまた年俸調停に戻り、イチローの適正な年俸額を決める上で比較する選手は、誰にすればいいのか…という話になった。似たタイプの選手を選び、その選手の年俸額を基準にして主張すべき年俸額を決める…というのが、年俸調停を争う上でとられる通常の手法だからだ。
アタナシオによれば、MLBの労使協定には、「もし、ある選手が他に類を見ない程の特別な業績を収めていて、比較すべき選手が同年代に見当たらない場合は、メジャー史上のどの選手と比較しても構わない」という規定があるのだそうだ。
「いったい、誰と比較すればいいというんだい?該当する選手なんて、いないと思うがね。」と彼は言う。
もしかして、一人だけいるかもしれない…ということで引き合いに出されたのが、ロイド・ウェイナーだった。
今年、212本の安打を打った事で、イチローは、新人の年から3年連続で200本以上の安打を記録した選手としては、ウェイナーとジョニー・ペスキーに次いでメジャー史上3人目の選手となった。また、この3年間に打った総安打数の662本というのは、ウェイナーが1927〜29年の間に記録した678本に次ぐ記録でもある。
「この問題を、簡単に収める方法がある―」と、アタナシオは強烈な皮肉を込めて言う。「もし、ハワード・リンカーンと話す機会があったら、彼に、我々は、ウェイナーの当時の年俸を、当時から今年までの年数の分だけ倍倍にしていった数字でいいと言っていた…って伝えてくれ。」
野球の殿堂のリサーチ部門に所属しているガブリエル・シェクターによれば、ウェイナーのキャリアにおいて、今のイチローに一番近い段階での年俸がわかる年といえば、1929年になるだろう…とのことだった。
「こんな事を言っても信じないかもしれないが、我々が手に入れた新聞記事によれば、ロイドとその兄のポールは、年俸額についてパイレーツと争っていて、2人で3万ドルを要求していたらしい。」とシェクターは言う。「結局、ロイドは1万ドルで手を打ったそうだ。」
なので、もし我々がウェイナーの年俸を持ってきてアタナシオが言った通りに計算したとすると、我々が行き着く数字は、『$188×10の24乗』以上になる。
ウェイナーの年俸がどれくらいだったのか全く知らずにこの計算式を提案したアタナシオは、彼自身が想像していたよりも、はるかに自分達にとって有利な取引を球団に持ちかけていたことになる。
その数字は、次のようになる:
$188,894,659,314,786,000,000,000,000.−
あるいは、【アレックス・ロドリゲスの年俸の2,500万ドル×1兆】以上の額を、これから700万年間受け取るのに相当する。
もし、そんな額であれば―あるいは、それより2千兆程少ない額であっても―イチローの契約問題は、年俸調停に行く前に決着を見るであろうことは明らかである。
(以上)
ギリックGMの辞任については色々な記事が出ましたが、下記のコラム記事がちょっと毛色が変わっていて興味深かったので、ご紹介する事にします…。
巷では、今回の事は「引責辞任」とも言われているようですが、いろいろ読んでみると、どうもそうでもないようで、「リンカーン球団CEOも、九分どおり留任するものと思っていたので、ギリックの突然の辞任の意思表示には、不意を付かれてビックリしたようだ」と書いた記事もあったほどです。今後については、3年間は“コンサルタント”として組織内に残り、1年毎のコンサルタント契約を結ぶ事で合意したようですが、ギリック氏自身は、声が掛かれば他のチームのGMになることも充分考えているようで、引退する気などさらさらないようです…。(注:ギリック氏は、マリナーズとはコンサルタントとしての専属契約を結んだため、他から声がかかった場合は、マリナーズの許可がなければ受ける事は出来ません。ただし、リンカーン氏は、「本人が強く望んで、それが好ましい話である場合は、彼を無理に引き止めるような事はしないだろう。」と、3年が経過する前にギリック氏を解放する可能性もある事を既に明らかにしています…。)
ギリック、状況が悪くなる前に去る
― アート・シール ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/142057_thie01.html
昨日の会見で、「シアトルでGMとして過ごした4年間に、球団に残した自分の功績は何だと思うか―?」と繰り返し聞かれたパット・ギリックは、最後まで「それは、君達(記者達)が判断することだろう―」としか答えなかった。
しかし、その直後、思わず口を突いて出た、という感じで、こう付け加えたのだ:
「でも、クビにはならなかったからね。」と彼は言う。「私は、これまでにもクビになったことはない。この連続記録のことだけは、ちょっと自慢にしているんだ。」
実際、ギリックは、今まで一度もベースボール関係の仕事から追い出された事はない。1994年のシーズン終了後にトロント・ブルージェイズを去った時も自分の意思でだったし、1998年にボルチモア・オリオールズを去った時も同じだった。
そして、その彼は、昨日マリナーズを去った―。シアトルのファンは、この後の展開がこれまでと同じパターンにならないことを祈るべきだ。というのも、ブルー・ジェイズもオリオールズも、彼が去った後はいずれも見る影もなく落ちぶれてしまったからである。
先の2球団の崩壊には、ギリックの離脱以上の原因があったはずだが、それにしても、この偶然の一致にはなにやら恐ろしいものがある。ブルージェイズにしてもオリオールズにしても、しばらく続いた好調の時代に陰りが出始めたとき、真っ先に槍玉に上がったのは、ギリックだったのだ。
シアトルでも、マリナーズが2年連続してプレーオフ出場を逃がした事に対するファンの怒りの最も大きな標的となっているのは、ギリックだ。誰かにやられる前に、ギリックは脱出する事にしたのである。
しかし、ギリックがクビになりそうだったとか、ギリックとハワード・リンカーン球団CEOが衝突したとかいう話は、今のところどこからも出ていない。ギリックは、かつての上司や現上司に対する悪口はおろか、彼らに対する疑問すら決して外部に漏らさない口の堅い男として有名なのだ。
また、ギリックは、今回シアトルを去るに当たって、今や使い古された感のある例の言い訳すら、口にする事はなかった―「シアトルは、遠すぎる―」、という例のヤツだ。現在、ギリックはトロントに新居を建設中だが、一回も距離のことや家族の問題を持ち出したことはない。マリナーズとしても、今シーズンはギリックに対して、必要なだけ家に戻ってもいいという許可を与えていた。
彼は、単にこう言っただけだった:「私は、4回もトライさせてもらったから、もういい加減、他の人にチャンスを譲った方がいいかと思ったんだ。」
彼の66歳と言う年齢を考えると、これは一見、妥当な理由のようにも思える。しかし、ギリックは、引退について一言も口にしなかっただけでなく、彼自身の仕事に対するエネルギーや意欲には何の問題もない、とまで言っているのだ。―そして、その仕事はどうかというと、まだ未完のままなのである…。
要するに、彼は、ただここから脱出したかっただけ、ということになる。
となると、次に気になるのは、「彼が知っていて、我々に隠している事―それは一体なんなのか?」ということになる。
彼の“隠匿”に関する能力がブッシュ政権と同じぐらいであると仮定すると、この疑問を解くには、後任者の時代になる来期以降まで待たなくてはならないのかもしれない…。
また、彼が後にすることになったこの球団は、この時期、新たな岐路に立たされることになった。2シーズン続けて終盤で崩壊してしまった事、そして一部のファンから侮蔑的な反応が返って来るようになってしまったことに、球団自体がかなり動揺しているからである。
メジャーで一番チーム数の少ない地区にいながらプレーオフへ進めなかったことで(―たった3チームを破ればよかっただけなのに…!)、マリナーズは、93勝もしたにも拘わらず、「自分たちは敗残者なのだ―」という馬鹿げた雰囲気を作り出してしまった。このおかしなプレッシャーのせいで、ファンにとっても選手達にとっても、今年のマリナーズの野球は、過去数年に比べてその楽しさが半減してしまった気がする。
マリナーズが確実に失速していきA’sが上昇していったことで、本来ならスリリングなペナントレースになるはずだったものが“失敗作”となってしまったのだ。8月27日には両チームの順位が入れ替わり、それで終わりだった。それ以降の順位の変動は、なかった。畳み掛けるような攻撃も、試合終盤の劇的な展開も、もうなかった。そこにあったのは、ただ堪え難いほどの脆弱さだけだったのである…。
―そして、今初めて知ったところによると、あのイチロー・スズキでさえ、このプレッシャーの元で精神的に参っていた、というのである。
「時々、吐き気に襲われることがあった。」と、彼はシーズン終了後に日本の記者達に語った。「―それから、息が出来ないようになったことも。今まで、こんな事は経験した事がなかった。」
昨日のシアトル・ポストに載ったこの告白は、ギリックにとっても予想外だったようだ。
「イチローの場合は、何が彼の頭の中で起こっているのか、全くわからない。」と彼は言う。
だが、イチかバチかで推測を言わせて貰えば、恐らく同じような事が他の選手達全員の頭の中でも起こっていたのだろう。すなわち、「自分がなんとかしてチームを救わなくては、シアトルのベースボールが滅びてしまう!」と言う強迫観念が、全員の頭の中で渦巻いていたのではないだろうか…?
しばらくの間は、イチローも持ちこたえる事が出来ていた。6月10日〜22日の期間、彼は56打数23安打、打率.490と言う驚異的な数字を挙げていた。しかし、その間に彼以外の選手達が失速し始め、8月に入る頃には完全な崩壊が始まっていた。イチローをサポートしなくてはならなかった彼らは、全体としてたった1割8分1厘しか打てなかったのである。
選手達の間にプレッシャーが増していくうちに、奇妙な事がもう一つ起こった;8月に入ってからコンスタントに打ち始めた選手が、2人だけいたのだ。それは、ランディー・ウィンとレイ・サンチェスだったのだが、この2人は、レギュラーの中で唯一、2001年の116勝を経験していない選手達だったのである。
もしかすると、それは単なる偶然だったのかもしれない。だが、シーズンの終盤になるたびに失速するうちに、「あれだけの輝かしい成績を上げながらも、最終的には“結果”を残す事が出来なかった」という事実が、彼らにとっては大きな精神的重荷に育っていったのかもしれない―。シアトルにおけるギリックの最大の功績―ケン・グリフィー・ジュニアー、アレックス・ロドリゲス、ランディー・ジョンソンを失ったにも拘わらず、ALの年間勝利数記録を打ち立てた―は、この3年間、シーズン終盤を迎えるたびに、“精神的な砂地獄”に沈んでいったのである。
お互い全く正反対の性格をもつ2人の監督にも、クラブハウス内を蝕むこのプレッシャーを軽減する事は出来なかった。ルー・ピネラにしてもボブ・メルビンにしても、ジェフ・シリーロの緊張を解くことも、あるいはマイク・キャメロンがホームで打てるように仕向ける事も出来なかったのである。
―高価な球場。高価な入場料。大入りの観客。高額な年俸総額。キャリアの終盤を迎えつつあるベテラン選手達。
これらは全て、大きな期待の対象となる。
GMとし球界随一の能力を誇るギリックにも、これらの期待に応えることは出来なかった。
もしかすると、彼の後継者が成し得る最大にして最高のこととは、「チーム全体に大きな深呼吸をさせること」―なのかもしれない…。
(以上)
---------------補足----
「プレッシャーから、試合前に吐き気や呼吸困難に見舞われたこともある」というイチロー選手の日本人記者団に対する発言は、昨日のシアトル・ポストのヒッキ―記者の記事で初めて現地でも紹介されたのですが、今日のシアトル・タイムスの記事によれば、マリナーズの関係者は、誰1人としてチロー選手のそういう異変には気付いていなかったのだそうです…。以下は、その短い記事の要約です:
【リック・グリフィン・トレーナーも、江川トレーナーも、イチローが日本人記者達に明かしたような苦しみ方をしていたことは、少しも知らなかったと言う。
記事によれば、イチローは吐き気や呼吸困難を経験していたそうだが、それらは典型的な『不安症』の症状だ。
グリフィン・トレーナー:「私は、そんな事は全く聞いていなかった。イギー(江川トレーナーの愛称)にも確かめたんだが、彼も全然知らないと言っていた。」
パット・ギリックも、そのことについては全く知らなかった―と答えた。
ギリックGM:「私の聞いたところによると、それは彼が日本人記者達に話したことだそうなので、多分、今回英語に翻訳される時に、誤訳かなんかされてしまったんじゃないかと、私は思っているんだけどね…。多分、“疲れた”と言っただけなのに、“ストレスを感じていた”というふうに、間違って伝わってしまったんじゃないのだろうか?彼は、普段から自分の事は何も言わない男だから、実際彼が何を思っているか知るのは難しいけど、こんなふうに話したなんて、ちょっと信じられない気がするんだ…。」
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2001754431_gillick01.html
昨日のことは書くのは止めようと一旦は思ったんですが・・・でも、やはり書くことにします。シーズンを締めくくる明日からの3連戦が、昨日のような最低なものにならないことを祈りながら―。下記は、昨日のトリビューンニュースに載ったラリー・ラルー記者の記事です…。
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敗戦後、クラブハウス内に火花が散る
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/4001995p-4023240c.html
マリナーズがまたもや試合に負けてしまったその1時間後、男たちの魂と精神状態にとっての試練の時が訪れた…。
マリナーズが0−4でエンゼルスに負けた約40分後のクラブハウス内で、パット・ギリックGMとエドガー・マルチネスが険しい言葉の遣り取りを行ったのである。
マリナーズの選手達の“酷いプレーぶり”(彼の目には、そう映った)に怒りを抑えきれなくなっていたギリックは、まだ半分ほどの選手達が着替え終わっていないクラブハウスの中に立つと、移動担当責任者に向ってチームバスの出発時間を15分早めるように命じた。それは、選手達が、後5分のうちに着替え、荷物をまとめ、バスに乗り込まなくてはならないことを意味した。
「なんでそんなに急ぐんだ―?」とマルチネスが訊ねる。
「じゃあ、君たちは、さっきなんであんなに負け急いだんだ―?」とギリックが即座に切り返す。今日の試合に負けるのに、マリナーズはたった2時間7分しか費やさなかったのである…。
それだけ言うとギリックはその場を離れたが、彼が再び戻って来た時、今度はマルチネスが怒りをぶつけた。
「このチームは、この1年間、ずっと身を粉にしてやってきたんだぞ!」とギリックに向って怒鳴ったのだ。
傍にいた何人かが二人の間に割って入ったので、その場はそれだけで納まった。マルチネスの方はその後コメントを拒否したが、ギリックの方はメディアにその思いを語った。
「エドガーの言う通り、この連中は、確かにこの1年間、ずっと身を粉にして頑張ってきた。」とギリックは言う。「でも、今日の彼らは、まるで今日の試合が“春期キャンプ最後のオープン戦”でもあるかのように振舞った。(注:“オープン戦最後の試合”というのは、早く終わらせてレギュラーシーズン開幕地へ旅立ちたくて、選手全員が気もそぞろにいい加減にプレーするもの…とされているから)我々は、まだペナントレースを闘っている最中で、まだ辛うじて指一本で崖っぷちからぶら下がっている。私は、彼らに自分達がやっていることにプロとしての誇りを持って欲しかった―自分たちのユニフォームに対して誇りを持って欲しかったんだ。今日のチームには、そういうところが全くなかった。」
ギリックの怒りを買ったのは、単に0−4というスコアだけではなかった―シアトルのプレー振り自体が許せなかったのだ。
「3点ビハインドなのに、1塁ベース上で牽制死を喰らうヤツがいるか―?」と彼は言う。「外野フライを捕って本塁に送球しなかったり、アウトの数を忘れたりするヤツがいるか―?冗談じゃない…!」
今季初めて、メルビン監督は試合後の会見を拒否した。(注:どんな時でも冷静だった監督が、今季初めて激怒した、と言われている…)この試合について言うべきことがあったとすれば、それはギリックや選手達の口から全て語られた。
今日の試合が始まった時、ワイルドカード争いにおける首位ボストン・レッドソックスとマリナーズの差は、3.5ゲームだった。その後せっかくレッドソックスが負けたにも関わらず、シアトルが負けてしまっていた事で、その差を2.5ゲームに縮めるチャンスをみすみす逃がしてしまったのである。それどころか、明日中にも、マリナーズはプレーする事なく完全な終戦を迎えることになるかもしれない―。もし明日ボストンがボルチモアを破れば、ボストンのリードは3試合を残して4ゲームになってしまうからだ。
今日のプレー振りに限って言えば、ギリックの見方に異を唱えるものは1人もいなかった。
「とても後味の悪い試合だった。」とマイク・キャメロンは言う。「我々は、たった一つの場所、ワールドシリーズを目指して今シーズンを始めたはずなのに、そこに行き着くことが出来なかったのは、ほんとうに心が痛むし、イライラもする。今年は、チーム全体が、いくつかの辛い時期を経験した。我々の打撃は、スランプに陥ったまま、ついに復活する事はなかった。」
今月に入ってからのマリナーズの成績は10勝12敗で、最近負けた14試合では21点しか得点していない。
今日、マリナーズはエンゼルスのジョン・ラッキーに完封負けを喫したが、これはラッキーにとっては、わずかキャリア2回目の完封勝利だった。
「初完封とか2回目の完封って、いつもうちのチーム相手なんじゃないのか…?」とオルルッドは言う。「今日の僕にしたって、打てる球なんか山ほどあったのに、ことごとくミスしてしまった。エドガーやブーンやイチローが全員調子のいい時は、このチームもいい具合になる。でも、他の選手も貢献しなくちゃいけない。彼らの調子が悪い時は、我々他の者がカバーしなくちゃいけないんだ。それなのに、我々はそれが出来なかった。」
ラッキーに対して、マリナーズはわずか4安打しか打てなかった。しかし、少なくともギリックにとっては、今日の試合の最悪な部分は、そこではなかった。
5回2死、マリナーズが0−3で負けている時、マーク・マクレモアが1塁から離れすぎてラッキーの牽制に刺されてアウトになってしまった。
さらに8回には、マリナーズは、まるで“精神的二日酔い”状態にでもあるかのごときプレーを連発した。
ギャレット・アンダーソンを3塁に置いて外野フライを捕球したキャメロンは、ホームへ投げるようなフェークを見せ、対するアンダーソンも、ホームを狙うような素振りを一瞬見せて立ち止まった。だが、そのアンダーソンは、キャメロンがボールを持ったままで突っ立ているの気付くと、再び本塁に向って走り出し、あっさりと得点してしまったのである。
そのすぐ次のプレーで、今度は、アダム・ケネディーが1塁のオルルッドに向って平凡なゴロを打った。簡単なダブルプレーボールで、イニングはそれで無事終わるはずだった。だが、オルルッドは、捕球したのち小走りで1塁を踏むと、そのままダッグアウトへ戻ろうとしてしまったのだ。
「前にも、ああやってアウトカウントを間違えたことはあるけど、いつだって凄く恥ずかしいものだ。」とオルルッドは言う。「バカみたいだった…。」
ほんの僅かだったとは言え、まだボストンを捉えてポストシーズンに進む可能性は残されていたにも拘わらず、マリナーズはぼんやりしてしまっていたのだろうか…?
「昨日のサヨナラ負けは、あれ以上はないだろうというほどの辛い負けだった。」とブーンは火曜の敗戦について言う。「我々に関係のある3試合が同時進行で行われ、それらがそろいも揃って最後の1球で決まる試合展開になり、しかも、その全部が、我々に不利な結果に終わってしまったんだ…。今日は、別に最初から白旗を掲げていたわけではないけど、元気が出なかったのは確かだ。」
そして、疲れてもいた…。
「もう、クタクタなんだ―疲れているのにも疲れちまった…って感じだ。」とブーンは言う。
そう思っていたのは、彼だけではなかった。ギリックとマルチネスが短く遣り合っていたとき、クラブハウスにいた全員が黙って聞いていた―そして、誰も驚いてはいなかった。
「私は怒っているし、エドガーだって怒って然るべきだ。」とギリックは言う。「“ほとんどいつも”一生懸命プレーしているだけでは、ダメなんだ―毎日でなくては、意味がない。我々は、お客を楽しませるためにやっている。ファンに対しては、毎日ベストのプレーを見せる義務がある。ホームでの最後の3連戦が順位に関係あるかどうかにかかわらず、私は、当然の如く、彼らから最善の努力を要求する。私は、ウチのチームに、いつも通りのプレーを見せてもらいたいのだ―今日のようなのではなくね…。」
「チームや自分の調子のいい時は、物事は全て思い通りに行くような気がするものだ。」とキャメロンは言う。「逆にそうでない時は、なにもかもが上手くいかなくて、悪い事ばかりが積み重なっていく。確かに、ここ数ヶ月の我々は調子が悪かったかもしれないけど、それにしたって、かなりいろんな不運が重なった事も事実なんだ…。」
(以上)
--------------------pm9:30
今日の夕方アップされたシアトル・タイムスのフィニガン氏の記事によれば、あのあと、マルチネス選手とギリック氏は、シアトルに向う飛行機の中で隣同士に座っていろいろ話し合い、和解したんだそうです…。(^^)
マルチネス選手: 「あれは、たいしたことじゃなかったんだ。2人とも、一時的にちょっとイライラしただけなのに、大袈裟に伝わってしまった。僕は、パットに対しては尊敬の念しかない―パットのことは、とても尊敬している。」
ギリックGM:「彼には、『君があの時、ああいうふうに発言してくれてよかったよ』って言ったんだ。私は、自分が大事だと思っていた試合で、選手達が集中していなかった事で頭にきてたんだ。でも、私だって、選手達が一年間、どれだけ頑張ってきてたかは知っていたから、彼に『君の気持ちも良くわかるけど、私が勝ちたいと思っていることも、判って欲しかったんだ―』と伝えたんだ。」
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2001746577_mari26.html
…また、この同じ記事によると、フィニガン氏は、マルチネス選手が、「まだどうするか、何も決めていないし、いつ決めるかもわからない」と言ってはいるものの、もしかすると、来季もプレーしたいという方向に気持ちが傾いているのではないか…?という印象を持ったんだそうです。
その推測は、下記のことに基づいているようです…(1)マルチネス選手が来季の去就について語る時、その言葉の中には、彼の決断が引退の方向へ傾いている事を示すものが何もなく、むしろ、全てがもう1年マリナーズの選手として残る事を示唆しているように思えること;(2)今年1年間、DL入りすることもなく、それなりの成績を残しながら最後までプレーできたことで、本人が自分自身に対してかなりの自信と手応えを得たらしいこと;(2)「家族と良く話し合ってから決める」とかねてから言っているが、どうやら息子のアレックス君が現役を続行してもらいたがっているらしい事;(3)例の“補強スパイク”がやっと完成し(しかも、新たな自打球に対する安全策として、左右両方)、その出来栄えと履き心地に満足した本人が、同じ物をもう一足注文したらしいこと(ほんとうにあと3試合で引退するつもりなら、2足は必要ないはず―^^;)
…フィニガン氏のこういう憶測記事というのは、過去の例を見るとあまり当たったためしがありませんし^^;、故郷のプエルトリコから親戚・友人が30人以上も今回のホーム3連戦を観に来る事になっている―などど聞くと、やはり引退か…と思ってしまいますが、それでも「こういう見方もある」ということで、とりあえず書いてみましたので、どうか悪しからず…。m(__)m
追伸:
なお、ギリック氏の去就についてですが、経営陣は「できれば、来季も残って欲しい」という意向を本人に伝えてあり、本人も引退するかどうか既に決めてあるらしいのですが、発表は、レギュラーシーズンが終わってからになるんだそうです…。
下記は、下のスレッドで喧々諤々さんが紹介してくださっているシアトル・タイムスのスティーブ・ケリー氏のイチロー選手に関するコラム記事です。粗い訳で恐縮ですが、雰囲気だけでも伝われば幸いです…。m(__)m
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偉大さとMVPは、イチローのもの
― スティーブ・ケリー ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2001562267_kell20.html
その昔、父に連れられてコニー・マック・スタジアムへフィラデルフィア・フィリーズ戦を見に行くと、父は、スタン・ミュージアルやウィリー・メイズやロベルト・クレメンテの打順が回ってくる度に、私をつついてこう言ったものだった。
「注意してよく観なさい。お前は、今、偉大な選手達を観ているんだよ。決して忘れないように、目に焼き付けておきなさい―。」
あれから40年以上も経った今、イチローがフィールドに歩み出てくるたびに、私は、同じ事を自分自身に言い聞かせるようにしている。彼が打席に入ってユニフォームの肩の部分を摘む度に―。そして、彼が無限の広さを持つ右中間に飛んだ飛球に、難なく追いついてみせるたびに…。
「よく観なさい。イチローが出ているんだよ。お前は、今、偉大な選手を観ているんだ。」この競技で、彼のような選手は2人といないんだから…。
彼は、一発の強烈なノックアウトパンチが主流になってしまった時代のボクサーであり、400フィートの一撃が持て囃される時代の洗練された技術者だ。彼は、旧式野球の信奉者でも、モダン野球の推奨者でもない。彼自身が、より高度な野球の本山のような存在なのである。
大蛇と見紛うばかりの逞しい二の腕はなくとも、彼は、ロベルト・クレメンテばりのパーフェクトなスローを投げる事ができる。また、木の幹の太さ程もあるマクグアイアのような脚はなくとも、不思議なぐらい、ここぞという時には、ホームランも打つ事ができるのである。
イチローのプレーする野球は、彼にしか出来ない彼独自の野球―“必要な事ならなんでもする”という野球なのである。
今季、彼が打った11本のホームランのうち、8本は同点本塁打か勝ち越し本塁打だった。メジャーへ来てから彼が打った27本のホームランのうち、18本は勝ち越し本塁打で、20本はマリナーズに少なくとも同点以上をもたらしている。
野球がパワーに依存するようになり、コルクバットや筋肉増強剤の話題が球界を騒がせるようになった今の時代に、イチローは、自身の頭脳と脚と肩だけを頼りにプレーしている。
先週、彼がトロント戦で披露したスローは、鋭さや正確さにおいて、今までの中でも最高の部類に入るスローだった。ライトフィールドから彼が放った一投は、見た目地上から1フィート以下の高さを保ったまま、目にも止まらぬ速さで飛んでいった。
それは、観た者が、決して忘れる事の出来ない類のプレーだった。記憶の中で、それはスローモーション再生で蘇る…。トロントのランナー、リード・ジョンソンが、愚かにも3塁を陥れようと、頭を低く下げて2塁を回る。まるで誰かの合図に従ったかのように、観客が一斉に立ち上がって見守る中、イチローが放った送球は、ジョンソンを楽々追い抜いて、3塁ベースすれすれの高さに構えられたマーク・マクレモアのグラブに飛び込んでいったのである。
その試合の3日後のボストン・レッドソックス戦で、イチローは、今度は、相手がファールフライを落球してくれたために得たセカンドチャンスを見事に生かして、勝ち越し満塁ホームランをライトスタンドに叩き込むのである。こういう試合のこういう一打は、、白熱したペナントレースも終盤を迎える9月下旬に、きっと感慨深く思い出されるに違いない。
―さあ、今この場で、票を集計しようではないか。“10月のサスペンス”など、もうどうでもいい。今すぐにでも、イチローにアメリカンリーグのMVPを与えよう。彼は2001年にも受賞しているが、恐らく今シーズンのほうがいい働きをしているのではないだろうか。
昨シーズン終盤の2ヶ月間に彼を苛んだ疲労も、今年は関係ない。昨年8月の打率は.282、9月は.248だったが、今年の彼は、2年前と同じぐらい好調だし、速さも維持している。彼の場合、もし、コルクが詰められているものがあるとすれば、それはバットではなく、彼の脚なのではないだろうか…?
首位打者争いでは、打率.338を記録して、余裕を持って首位をキープしている。安打数では1位、盗塁数では2位、得点数では4位、そして3塁打数でも7位につけている。
とは言うものの、数字だけでイチローを語る事は不可能だ。イチローが1塁に立っている時に相手投手に与えるプレッシャーの大きさは数字では測れないし、イチローの肩を恐れるあまり、相手チームが進塁を諦めた回数も、数字では記録されていない。
狙い球が来るのを根気良く待つイチローが、ピッチャーが次々繰り出す自慢のスライダーやスプリッターや速球のうち、一体、何球を3塁ダッグアウト後方に易々と飛ばして凌いでいるのかを示す統計もない。
イチローは、ディフェンスを切り裂きながら進んでいく(アメリカン・フットボールの)ジョー・モンタナのような存在だ。あるいは、注射針のようにチクチク相手を痛めつける細かいジャブを得意としていた(ボクシングの)シュガー・レイ・レナードのようでもある。彼は、いい意味で、“pesky”(=煩くて厄介な)という言葉そのものの選手だ。彼は、守っている本人たちでさえ気付かない“守備の穴”を見つけ出す名人なのである。
彼は、ショートの差し出すグラブの数インチ先にヒットを落とし、ショートと3塁とレフトの間に広がる空想上の“バミューダ・トライアングル”に、2塁打を転がしていく。彼は「誰も居ないところに打つ」だけではなく、さらに一歩進んで、「誰も想像だにしないところに打つ」選手なのである。
1ヶ月ほど前、ポートランドのラジオ局のあるトークショーの司会者が、「イチローのバットには、ひょっとしてコルクではなく、マシュマロが詰まっているのではないか―?イチローのプレースタイルは、野球本来の姿ではない」と私に向って言ったことがある。
しかしながら、あれこそが、野球本来の姿そのものなのだ。それは、頭脳的で創造的、かつ目的意識のはっきりとした野球である。基本に忠実な、ミスのない野球だ。彼の野球には、無駄な動きは一切ない。全てが、目的を持って行われているのである。
ネックスト・バッターズ・サークルに立つイチローの姿は、バリー・ボンズやサミー・ソーサのようには、マウンド上のピッチャーを恐怖で震え上がらせることはないかもしれない。しかし、先発ラインアップにイチローがいる場合に相手チームにもたらす様々な問題や心配の数は、前述の2人の場合よりも遥かに多いはずだ。
イチローは、1回の打席で相手を負かすだけではない。彼は、まるで岩に滴り落ち続ける水滴のように、9イニングをかけて、徐々に徐々に相手を擦り減らしていくことができるのである。
この際、カルロス・デルガドと彼の鋼のようなグラブのことなど、忘れなさい。あるいは、アレックス・ロドリゲスと万年ビリの彼のチームのことなども、どうでもいい。そして、今年はいい成績を収めているとは言え、マリナーズの2塁手・ブレット・ブーンに投票しようなどと考えるのもナシだ。
アメリカン・リーグのMVPは、イチローである。―そして、彼がフィールドに立っている時や打席に入っている時、あるいは2塁打を3塁打にしようと2塁を回って疾走している時、あなたが見つめているのは、偉大な選手であるということを、決して忘れないで欲しい。
イチローを注意して良く観ていなさい。なぜなら、彼ほどの素晴らしい選手でも、決して不滅ではないのだから―。我々は、彼を観る事のできる幸運な日々の一日々を、宝物のように慈しむべきなのである…。
(以上)
宿敵ペドロ・マルチネスに終始圧倒され続けた今日の試合で、マリナーズにとっての唯一の収穫と言えば、ちょっと意外なメルビン監督の“退場劇”と(―実際、ピネイロ投手、ブーン選手、マクレモア選手は、監督が真剣に抗議してくれた事が結構嬉しかった…というコメントをしています…^^)、スィーニー投手のメジャーデビューだけだったような気もしますネ…。^^; 以下は、デビュー前日のシアトルタイムスに載ったスィーニー投手の記事です。(^^)
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スィーニーのメジャーへの夢が実現する
― ボブ・シャーウィン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/2001532146_msid16.html
ブライアン・スィーニーは、マリナーズのクラブハウスの世話係、ピート・“ミュール”(“ラバ”)フォーチュンが、新しいシアトル・マリナーズのユニフォームを片手に歩いてきて、自分のロッカーの中へ掛けていく様を、敬意のこもった眼差しでずっと見つめていた。
そのユニフォームをそっと片側に寄せると、スィーニーは、背中の部分に縫い付けられた自分の番号「59」と自分の名前の綴りが正面に向くようにした。「S-W-E-E-N-E-Y」。自分の名前が、メジャーのユニフォームの背中に記されているのだ…。それは、彼の父親の名前でもある。彼は、5秒間ほど、ただじっとその名前をみつめていた。そして、止めていた息をふっと吐き出すと、小さな歓声を上げた。ほとんど泣き出しそうだった―。
スィーニーは、6月13日に29歳になった。1996年以来、彼はプロの世界で過ごしてきた。いつかこの日の来る事をずっと夢見てはいたが、彼は、どこのチームからも一度もドラフトされた事のない選手だった。マイナーでの成績はいつも平凡で、けっして抜きん出た数字を記録した事のない男。これは、とても現実とは思えない…これは、夢に違いなかった。
「3歳の頃からの夢が実現したんだ。」とスィーニーは言う。ボストン3連戦の直前に、彼が3Aタコマから呼ばれたのは、このところ疲弊気味のブルペンに厚みを与えるためだった。代わりに、パット・ボーダース捕手がレイニエースに戻された。(注:いったんマイナーに戻された選手は、10日経たないとメジャーに再招聘できない、と言うルールがあるため、ルーパー投手やプッツ投手ではなく、スィーニー投手が選ばれた…という側面もあるようです…)
人々は、往々にしてベースボールの表面だけを見て、何の変化もないと思いがちだ。メジャーで同じ顔ぶれの選手を毎年毎年見ているため、選手層の底辺部分が、実はたえず流氷のように流れている事に気づかないのだ。表面上は目立たなくとも、底辺は絶えず変化していて、毎年、何人かが脱落し、何人かが新たに加わってくる。過去3週間で、マリナーズは3人の新人投手をメジャーにデビューさせてきた…アーロン・ルーパー、J.J.プッツ、そして今回のスィーニー。これは、普通でもとても珍しい事だが、マリナーズのような優勝争いをしているチームにとっては、なおさら異例の事だ。
しかし、スィーニーは、今やメジャーのユニフォームの持ち主になった。選手協会の年金システムには、シーズン初日からの加入扱いになり、彼の名前は、メジャーの選手名鑑にもマリナーズの選手名簿にも、永久に残ることになったのである。そして、給料もメジャー規定の額が支給されることになっている。彼の夢、そして彼の家族の夢が、現実のものとなったのだ。
「一番最初に、妻に電話して知らせたんだ。メジャー昇格は、彼女の夢でもあったからね…。」とスィーニーは言う。彼が育ったのは、ヤンキー・スタジアムから15分の距離にあるニューヨークのヨンカース。次に知らせたかったのは、父親のエド・スィーニーだったのだが、東海岸の停電騒ぎのせいで一時間以上も連絡を取る事が出来なかった。勤続35年のヨンカースの消防士である父親に早く知らせてやりたくて、彼は居ても立ってもいられなかったのだそうだ。
スィーニー自身が初めてメジャー行きを知らされたのは、一昨日の夜、タコマ・レイニエースの試合が終わったあとの午前1時過ぎの事だった。ローン監督とスレイトン・ピッチングコーチに呼び出された彼がまず最初に聞かされたのは、マイナーでずっと世話になってきたスレイトンが“クビ”になった…という話だった。突然の事にカッとなって激怒した彼は、その直後に、実はそれはジョークで、本当は、“ザ・ショー(The Show、メジャーの事)”への昇格が決まった事を知らせるために呼び出されたのだ…と言う事を2人に教えられたのである。
「その場で、泣き出してしまったんだ…。」と彼は言う。「メジャーへ上がる事は、決して簡単な事ではない。僕にとっては、本当にもの凄い事だった。この幸せな気持ちを言葉に表す事なんて、到底、出来はしない…。」
スィーニーによれば、午前2時過ぎまであちこちに電話を掛け続け、そこでようやく数時間眠ろうとしたのだそうだ。
「パッと目が覚めて、『さあ、セーフコーに行く時間だ―』と思ったら、まだ朝の6時だったんだ。」と彼は言う。「だから、またあちこちに電話した。」
ボブ・メルビン監督によれば、球場に到着したスィーニーは、まっすぐ監督室にやってきたんだそうだ。「私の手を掴んで握手しながら、『ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!』と言うので、私も『どういたしまして!どういたしまして!どういたしまして!』と言ったんだ。こういう男に報いてやる事ができるのは、本当に気持ちのいいものだ。私も、自分がはじめてメジャーに上がったときの気持ちは、よく覚えている。これ以上はないというほど、素晴らしい気分だったね…。」
タコマで26試合に登板し、10勝10敗、防御率4.35を記録しているスィーニーを、メルビンは主にロングリリーフで使うことになりそうだ。たとえロングだろうとショートだろうと、スィーニーに文句はない。大事なのは、「ここに来れた」という事だけなのだから―。
「僕にとって、今は最高にワクワクする時。」とスィーニーは言う。「ここに来るために、さんざん努力してきたんだから、ここで投げる準備はもう出来ている―間違いなく完璧に出来ているよ。」
(以上)
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…そして今日の見事な初登板後、クラブハウスに戻ってみると、携帯に十数個のメッセージが入っていて、奥さんとも話す事が出来たんだそうです…。
スィーニー投手: 「妻は今妊娠7ヵ月半で、テレビで僕が試合に出て来たのを見て、すぐにでも産まれてしまうかと思うほどビックリしたんだそうだ。だから『まだ、だめだよ。ワールドシリーズが終わるまでは―。』って言ったんだ。」(^_-)
http://seattle.mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_gameday_recap.jsp?ymd=20030816&content_id=485318&vkey=recap&fext=.jsp&c_id=sea
以下は、O.J.Wunschさんが下のスレッドで紹介してくださった、今日の“レーザービーム”に関するシアトル・ポストの記事です。多分、シアトルPIの日本語サイトでも間もなくアップされるだろうとは思いましたが、興奮冷め遣らぬうちに、粗い訳ではありますが、取り合えずお送りすることにしますネ。(^^ゞ
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イチロー、ジェイズにショックを与える
― ジョン・ヒッキ― ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/134802_mari13.html
リード・ジョンソン君、テレンス・ロング君を紹介しよう…。
シアトルの右翼手イチロー・スズキは、メジャーへ来た最初の年の2週目に、1塁から3塁へ走ろうとしたオークランドのテレンス・ロングを3塁で捕殺した。
その時のロングの捕殺される様があまりにも見事だったため、3塁手の待ち構えているところへ滑り込んでいくロングのビデオ映像は、いまだに球場のハイライトフィルムで流されているほどだ。
で、その後の状況は…?
「あのオークランドのスロー以来、ほとんど誰も走らなくなってしまったんだ。」とイチローは言う。
―だが、ジョンソンは走った。今日の試合、シアトルが2ー1でリードしていた状況で、ジョンソンはエリック・ヒンスキーのライトへのヒットで1塁から3塁まで進塁しようとしたのだ。
そして、ジョンソンは、ロングと同じ悲惨な結末を味わう事となった。勢いよく打球に突進したイチローは、低く鋭い送球を繰り出し、びっくりしているジョンソンを余裕を持って3塁で仕留めたのである。3塁手のマーク・マクレモアがしなくてはならなかったのは、ジョンソンとの接触で球がグラブからこぼれないように気をつけることだけだった。
「あいつ(ジョンソン)が2塁を回った瞬間に、アウトにできると確信した。」とマクレモアは言う。「疑う余地はなかった。イチローに対して走るなんて、あんまり賢いプレーじゃない。」
ジョンソンも、今ではその事をわかっている。マリナーズが3−1で16勝投手のハラデーを下した試合で、その勝利を決定付けるアウトを献上してしまう…という苦い経験を通して学んだのである。
「打球を見て、3塁まで行けると思ったんだ。」とジョンソンは言う。「―だから、ビックリした。」
マリナーズの選手達は、誰もイチローのスローに驚きはしなかった。ロングの時だけでなく、他にも何回も同じような場面を見てきているからである。
最近では、5月25日のセーフコーフィールドでのツィンズ戦で、ミネソタのクリス・ゴメスが、ライトに上がったフライで3塁からタッチアップして生還しようとした事があった。イチローからの送球がホームに到達した時、ゴメスはまだホームから5〜6フィートも手前にいた。イチローは、さらに同じ試合で、1塁を回りすぎたジャック・ジョーンズをアウトにする際にも一役買っている。
「イチローはいつでも最高のプレーを見せてくれるものと、我々は思っているのさ。」とマイク・キャメロンは言う。「もう、何回もそういう場面を見てきているからね。あれは、ジョンソンの判断が悪かった。」
イチロー自身も、ジョンソンが自分の肩に挑戦してくるとは思わなかったそうだ。
「ちょっと、ビックリした。」とイチローは言う。「今日のプレーは、オークランドの時のと、とてもよく似ていた。そっくりだったと思う。大きな違いと言えば、今回は、ホームでプレーを披露できたこと。まだシアトルのファンの人たちのために、このプレーをしてみせた事はなかったからね。」
“俊足のランナーをアウトに仕留めた素晴らしいスロー”ということだけでも、このプレーは特別だったが、“試合の中で果たした役割”という観点から見ても、これは重要なプレーだった。
ジョンソンは同点のランナーだった。この時点で、マリナーズは辛うじてハラデーから2点をもぎ取っていたが、ここから先、それ以上得点できそうな気配はほとんど感じられなかった。なので、もしジョンソンが無事に3塁まで到達して生還していたなら、マリナーズにとって、この試合で勝利を確保するのは、かなり難しくなっていたはずだった。
そのことだけでも、ジョンソンは走るべきではなかったのだが、それ以外にも理由はいくつかあった:
・打球は強い打球で、真っ直ぐイチローに向って打たれたものだった。
・イチローは、多分メジャー1の強肩の持ち主である。
・そして、あのあと打席に入ることになっていたブルージェイズの打者達は、2人あわせて210打点を誇る強打者たちだったのである…。(バーノン・ウエルズ98打点、カルロス・デルガド112打点)
走塁には定評のあるキャメロンでさえ、あの状況では、イチローに挑戦などしなかっただろう、と言う。
「あんなふうに彼の真正面にボールが行ったんでは、無理だ。」とキャメロンは言う。「彼の右側か左側にボールが反れた時でなきゃ、僕は走らないね。」
マリナーズの一員になってから、まだ2週間しか経ってないレイ・サンチェスは、ここまで、まだイチローの素晴らしいスローを見たことはなかった。そういう状況は、そう毎日起こるものではないからだ。―そして、それには、それ相応の理由がある、とサンチェスは指摘する。
「そういう評判は、パッと広まるからね。」とサンチェスは言う。「僕にしたら、ジョンソンが走った事が信じられなかった。イチローは素晴らしい強肩の持ち主だ。選手だったら、誰でも知っていることだよ。『アイツ(ジョンソン)は、一体何を考えてるんだ…?』って思ったね。僕は、ロングへのスローは見てないけど、それでもイチローの肩の事は良く知っていた。だから、彼がスローを放つのを見た時は、邪魔にならないように横にどいたんだ。ほんとうに見事なスローだった。」
日本でイチローと同じチームでプレーしていたシゲトシ・ハセガワは、今日のようなプレーは以前にも見たことがある言う。だが、そんな彼でも、左中間のブルペンから見た今日のスローには、感心させられたんだそうだ。
「あのスローは、僕の速球より速かったよ。」と長谷川は言う。「95マイルか96マイルは、出てたんじゃないかな…?イチローがクローザーになるべきだと思うね。」
それもいい考えかもしれないが、現段階では、長谷川が十分にその役目を果たしている。9回に登場した長谷川は、1死から2塁打を打たれはしたものの失点を許すことはなく、フレディー・ガルシアにとっては6月24日以来となる勝利を守りきった。中継ぎで4つの大事なアウトを取ったラファエル・ソリアーノも、マリナーズが試合の主導権を握り続けることに貢献した。
そして、そもそも、その主導権をマリナーズのものにしたのが、ジョンソンとイチローだったのである―。
(以上)(^^)
今日の試合についての記事を、トリビューン・ニュースからどうぞ…。
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手負いのマリナーズ、また敗れる
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/3503950p-3535195c.html
敗北とは“痛い”ものだ。時には文字通りに…。
ミネソタに4−5で負けた今日、試合終了15分後にメディアがクラブハウス内に入室を許されて入ってみると、トレーニングルームは既に立錐の余地もないほど混みあっていた。この5試合で4敗目を喫したマリナーズの選手達にとって、傷ついたのは自尊心だけではなかった。彼らの肉体の方もボロボロに痛んでいたのである。
ジョン・オルルッドは、腿にガッチリとアイシングを施した状態で、試合後の食事を皿に取るために足を引き摺りながら列に並んでいた。安楽椅子にぐったりと身を投げ出したマイク・キャメロンの左膝は、大きなアイスパックで覆われていた。
イチロー・スズキの左のふくらはぎは、酷い痣になっていた。ダン・ウィルソンは、足首にアイシングを施している。そして、ジョン・メイブリーの右肩と背中は、まるで氷河が括りつけられたようになっていた。
カルロス・ギーエンはまだプレーできず、その上、今日マリナーズはまた一人選手を失ってしまった。少なくとも、一時的に―。エドガー・マルチネスが左ふくらはぎを痛めて、試合から下がらなくてはならなかったのだ。
果たしてマリナーズは、明日の試合のために9個の健康な肉体を揃えることができるのだろうか…?
「“完全に健康な”…かい?」とボブ・メルビン監督は訊きかえす。
故障は、メジャー・リーグのシーズンにはつきものだ。故障は、メジャーで162試合プレーする特権を得るために、ほとんどのメジャーリーガー達が支払わなくてはならない代償なのである。
「今の僕らは、傷だらけだし、スランプに苦しんでるし、運にも見放されているんだ。」とキャメロンは強張った笑顔で言う。
「今は、当たっている選手も全くいない。」とはライアン・フランクリンの弁。「それに、ツキのあるヤツもね。たいていは、そのどちらかの選手が3〜4人はいるもんなんだけど、今、ウチのチームは、全員同時に苦しんでいるんだ…。」
今日の試合前に今年初の“一般教書演説”を選手達に向って行ったというメルビンは、試合後、クラブハウスの真ん中に挑戦的な態度で立つと、次のように語った:
「我々が、ボロボロだって―?確かに、今の我々はボロボロだ。」と彼は言う。「そして、この連中は、明日もまたグランドに出て行って体に鞭打って力の限りに頑張るんだ。昨日、カンサスシティーで、そして今日ここで頑張ったのと同じようにね…。我々は負けているかもしれないが、一生懸命努力している事には間違いない。今は、皆が少し気負いすぎているということはあるかもしれないが、それもそのうち良くなるはず―。スコアがどうであれ、我々は決して試合を投げ出したりはしていない。ただ少しだけ、ゴールに届かないだけなんだ。」
この数時間前にメルビンが自軍のベテラン選手達に伝えたメッセージとは、「落胆のさなかでも、決して諦めずに辛抱強く戦い抜こう」というものだった。
「基本的に、彼が我々に言ったのは、『我々は、こんな不振に打ち克てないほどヤワなチームではない』ということだった。我々は、AL西地区の首位をずっと走ってきたチーム、今でも4ゲーム差を保って首位に立っているチームなんだ―ってね。」とフランクリンは言う。
「この1週間、我々にとっては、何一つ上手くいかなかった。それでも、我々はまだトップにいる。もしかすると、完封試合とか18得点の猛攻かなんかがないと、このスランプからは抜け出せないのかもしれない。でも、その何かは必ず起こって、今のこの低迷状態を打ち破ってくれるに違いない。そして、我々は今のようなプレーではなく、我々の持てる力どおりのプレーを、また必ずできるようになるんだ。」
昨日のカンサスシティーでの試合と同じように、マリナーズは、今日も早い回から失点を重ねた。日曜の試合では0−5、今日の試合では0−4のビハインドに陥った後、試合終盤になってやっと盛り返して同点に追いついたのだ。―そして2試合続けて、同点にするだけでは、充分ではなかったのである…。
オールスター休みを挟んだために中8日の登板となったジョエル・ピネイロは、序盤の3イニングはコントロールに苦しんでコーナーを衝くピッチングが全く出来ず、その代償をもろに払う羽目になった。
「投げる球、投げる球、全部に動きがありすぎた。しかも、全部がプレートの真ん中に向う動きだった。」とピネイロは言う。「2回を投げ終わってダッグアウトに戻った時には、もう、『ちょっと待った…』って感じだった。彼等には、僕の失投をことごとく叩かれてしまった。」
1回裏には0−1、2回裏には0−3、そして3回裏にはトリー・ハンターのホームランで早くも0−4になっていた。最初の6イニングの間、マリナーズは完全な音無し状態で、ツインズはシャットアウトに向ってまっしぐらに進んでいるように見えた。
その状態が変わったのは、7回―しかも、2死ランナー無しの状態からだった。
その時点まで連打が1回もなかった攻撃陣が目を覚まし、5安打と1四球を連ねて、試合を4ー4の同点に持ち込んだのだ。
そして、2死で塁上にランナーを2人置いて打席に入ったブレット・ブーンは、見逃し三振に倒れ、この試合を4打数無安打で終えてしまった。オールスター後に調子を落としているブーンは、この期間に17打数で2安打しか打っていないのである。
同点に持ち込んだ時点で、メルビンはブルペンに試合を任せた。8回にアーサー・ローズが2安打を許すと、メルビンは次のバッター、右のクリス・ゴメスを打ち取るために、ジェフ・ネルソンを投入した。
そのゴメスは、バットを折りながらも打球をレフト前に持っていき、勝ち越し点を叩き出すことに成功した。
「カンサス・シティーでは、全く同じ球を投げて相手をダブルプレーに仕留めている。」とネルソンは言う。「ゴメスに対しても、速球で詰まらることができた。思ったとおりの場所に思った通りの球を投げて、ゴメスのバットをへし折ったんだ。それなのに、その打球はヒットになって、我々は負けてしまったってわけだ…。」
再度安打を連ねる力は、もうマリナーズには残っていなかった。フランクリンが言っていた“18得点の猛攻”などという代物は、一体いつやってくるのだろう…?と思わずにはいられないのが、今のマリナーズの状態だ。
打線の中核を占める選手達が、ことごとく、調子を落としているのだ。ブーンは、もう1週間もスランプ中だし、エドガーは、今や足を痛めてベンチに座らなくてはならず、オルルッドの打率は.270で7月は2打点しかあげていない。
―そして、この3人は、シアトルで最も打点を稼いでいる連中なのである。
「どんなチームでも、毎年、必ずこういう時期を経験するものだ。」とイチローは言う。
キャメロンも、イチローと同じ事を口にした。
「我々は、今100試合ぐらいこなしてきていて、そこから来る故障や消耗で、苦しんでいる状態だ。今、完全に健康な選手なんて一人もいないし、それは他のチームにとっても同じはず。」とキャメロンは言う。「でも、そこを踏ん張って戦い抜かなくてはいけない。辛抱して闘ってさえいれば、そのうち必ずそこから抜け出られるものなんだ。」
「我々は、今、ボロボロで、スランプ中で、ツキも全くない。ここからは、良くなるしかないんだ。」
(以上)
連続投稿、失礼します。m(__)m 40歳にして初めてオールスター投手となったモイヤー投手に関する記事を、シアトルタイムスからどうぞ…。
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モイヤーの笑顔の理由
― ラリー・ストーン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/135256957_moyer13.html
モイヤー一家は、今、輝かしい日々のさなかに居る―。そして、そのことは、彼らがここに辿り着くまでにいかに長い道のりを歩んできたか、またいかにシアトルという町に深く根を下ろすことになったかを物語ってもいるのである…。
まずジェイミーは、今回、生涯初のオールスターゲームに出場する事が決まった。この6年間、球界で他に並ぶもののない“投球術の名人”として築き上げてきた実力が、40歳になった今、ようやく正式に認められたのである。
妻のカレンは、現在妊娠8ヶ月。5人目の子供は男の子であることがわかっており、既に名前(McCabe、マッケーブ)も愛称(Mac、マック)も決まっているだけでなく、どうやらちゃんと一人前の自己主張もしているらしいのだ。最近、早くも予備陣痛があったそうで、医者は「ジェイミーがオールスターから戻ってくるまではもつから大丈夫」と保証してはいるものの、カレン自身は「マックは、自分も早く他の男の子達の仲間入りをしたいと思っているのよ。きっと何が起こってるか、ちゃんと知ってるんだわ。」などと冗談を言っている。
上の男の子達はディロン11歳とハットン10歳で、2人とも、それぞれの所属するリトル・リーグのオールスターチームに選ばれたばかり。2人はジェイミーと一緒にシカゴで開催される一連のオールスター行事に参加する予定で、父親との“男同士の絆”を深めるだけでなく、あともう少しのところで行けなかった今までの数々のオールスターゲームの分まで存分に楽しんでくるつもりだ。
「ジェイミーと一緒にオールスターを経験できないのは、もちろん凄く淋しい。」とカレンは言う。オールスター戦は、2人の娘達(ティモニー8歳、ダフィー5歳)、そしてサンディエゴから来てくれる妹と一緒に、自宅のテレビで観戦するつもりだ。「でも、今は、夫が息子たちと共有することになる経験のことの方で頭が一杯なの。それは、彼らにとって、何ものにもかえがたい、一生忘れる事の出来ない貴重な体験になるに違いないと思っているから―。」
オールスターメンバーが発表になった先週の日曜日、ジェイミーは遠征先のテキサスで発表に先んじて当選の知らせを受け取った。当然、彼は真っ先に自宅のカレンに電話し、カレンはその知らせを、リトル・リーグのオールスターゲームに出場中の息子たちに伝達する嬉しい役目を担う事になった。
彼女は、まず、ハットンのチームが試合をしているケンモアへ車で駆けつけた。チームは試合に負けてしまったが、試合後、彼女はハットンに携帯電話を渡して「パパに電話してごらん」と言った。
「ハットンは、私がなんでそんな事を言うのか全くわかってなかったらしくて、ジェイミーと話した瞬間の彼の喜びようったらなかった…。」と彼女は言う。「息子達は、お父さんのために、心からオールスター出場を願っていたんですもの。」
次の行き先はウッディンビルで、そこでのディロンの試合は、まさに始まろうとしているところだった。
「ディロンが守備につこうとしているところを捕まえて、『今すぐに、パパと話しなさい』って言ったの。最初は周りを気にして恥ずかしがってたけど、すぐにパッと表情が輝いたわ。」
後に、家族は、全員でテレビを囲んでオールスター戦出場者発表の番組を観た。カレンは、昔、父親で元ノートルダム大学バスケットボール部コーチのディガー・フェルプスと一緒に気を揉みながらNCAAのバスケットボール選考会を観ていた頃のことを思い出した。
番組が終わると、方々から賞賛の声が殺到した。お祝いの電話やらカードやらプレゼントやらが、友人、親戚、回り道をした20年間のキャリアの間に知り合った元チームメート達から、次から次へと届いたのだ。
シアトル在籍時代にモイヤー家の子供たちと仲良くなったアレックス・ロドリゲスからは、暖かい言葉を記したカードが添えられた大きな星形のプレゼント・バスケットが贈られてきた。
フェルプスは、1990年代初めの頃にモイヤーが直面した数々のキャリア上の危機に思いを馳せずにはいられなかった。当時、球団から解雇されたばかりだった娘婿に、「そろそろ“本物の仕事”を見つけるべきなのではないか?」と、やんわりとアドバイスしたのも彼だった。スカイライン社というモービルホーム(=トレーラーハウス)の製造会社にならコネがあるから…とまで、その時ジェイミーに言ったのだった。
先週の日曜日、フェルプスはモイヤー夫妻にお祝いを言うべく電話を掛けてきた。
「スカイライン社の連中が、『おめでとう―その調子で頑張れ!』と言ってたよ。」と彼はジェイミーに伝えた。
モイヤー家にとっての“谷底”の時期は、1992年の春期キャンプ後にやってきた。それ以前にテキサス・レンジャースやセントルイス・カージナルスがそうしたように、当時所属していたシカゴ・カブスも彼を解雇したのである。
その時は、その後の仕事のあては全くなかった。カブスからマイナーリーグでのピッチング・コーチの話は来たが、それは、彼らが、モイヤーのことを投手としては29歳にして既に終わりだと思っていることの証しに他ならなかった。
しかし、オファーの来ない状況が何週間も続いたに拘わらず、モイヤー自身は、自分のキャリアが終わりだなどと一度も思ったことがなかった。声が掛かりさえすれば、イタリアでもメキシコでも2Aでも行くつもりだった。日本の何球団かに、自分のビデオを送る事もした。それでもオファーが来ないようなら、自分たちの家を売りに出す覚悟も出来ていた。
「引退すべきだなんて、正直言って、一度も思ったことがなかった。」と彼は今週初め、ロッカーの前に腰掛けながら話してくれた。「僕は、昔からチビで貧弱で、いつでもまわりから『お前は剛速球もないし、あれもないし、これもない』と言われ続けてきた。でも、僕は、才能に恵まれた他の人たちにはない、何か別なものが自分の内にはあるんじゃないか…と、ずっと思っていたんだ。自分が正しいと思ったことのためなら徹底して闘える“粘り強さ”(tenacity)―とでも言うのかな?…そんなものが自分にはあるんだ、ってね。」
そうこうしているうちに、5月下旬になってやっと、年俸1万2千ドルで投げないかというオファーが、デトロイト・タイガース傘下の3Aトレド・マッドヘンズから届いた。彼はそのオファーに飛びつき、そこから2003年のオールスター出場に向けての長くてゆっくりとした歩みが始まったのである。
精神面でも、全てが上手くいき始めていた。著名なスポーツ心理学者ハービー・ドーフマン氏(『メンタル・ゲームとしての野球』という本の著者)のもとへ通う事によって、野球選手としての進歩を妨げていたとそれまでのネガティブな考え方を払拭する事ができたのである。カブスに在籍していた若い頃のモイヤーは、登板前には必ず、3時間でもずっと擬似トランス状態で自分のロッカーの前に座って考え続け、マウンドに上がる頃には、既に精神的に疲弊しきっていたものだったのだ。
「若い頃は、よく『ああ、また失敗しそうだ…』なんて思っていたものだったけど、今はもう、そういう考え方はしなくなった。今振り返ってみると、『まったく、なんてバカな事をしてたんだ』と思うけど、その当時は、ずっとそういう心理状態だったんだ。」
モイヤーは、今でも登板の前には、ドーフマンの主要原則の数々が記されているラミネート加工された暗記カードに目を通すのを習慣にしている。さらには、今や有名になってしまったノート―メジャーで対戦してきた全ての打者に関する細々としたデータがビッシリと書き込まれている手書きのノートも必ず読み返す。このノートを付け始めたのは、1980年代の終わり頃にテキサスに在籍していた時で、カブス時代のチームメート、バンス・ローがピッチャーに関するノートをつけていたのを真似したのがきっかけだった。
「最初の頃の書き込みは、まるで前世紀の遺物みたいな代物さ。」と彼は言う。「今、読み返してみると笑っちまうけど、でも、全てはそこから始まったわけだからね…。」
―そして、モイヤー自身も、そこから歩み始めたのである。速球で相手に投げ勝つことは相変わらず無理だったが、相手より余計に考え、余計に努力し、より綿密なプランを立てて投げることによって、相手に勝てることがわかったのである。98マイルの剛速球に少しも引けを取らないほど有効な武器になりえる“75マイルのチェンジアップ”が彼にはあったのだ。
「ここまで長い道のりだったし、この投球術が完成したなんて今後も絶対言う事はないだろうけど、それでも、かなりいいところまで来ているのは確かだ。」と彼は言う。
モイヤーに訊いてみるといい―一体どうやって、大リーグの実績あるパワーヒッターたちを、あんな球で情けなく空振りさせる事ができているのか?…と。
「答えなんてあるんだろうか…?実際、そんなものがあるのかどうか、自分でもよくわからないんだ。アホらしく聞こえるかもしれないけど、実際に見てもらうしかないと思う。自分ではどうにも説明しようがないんでね…。」
カレン・モイヤーは、これに関して彼女なりの考えがあるという…。
「彼がこれまで苦しんできた様子を振り返ってみると、時には彼が考え込み過ぎていたり、あるいは、色んな人が『ああした方がいい、こうした方がいい』とかって言い過ぎていた、ってこともあったと思うの。」と彼女は言う。「でも、今の彼には膨大な野球知識の蓄積があるので、相手を本当に騙せるようになったんじゃないかしら。彼は、魔術師みたいなもの。相手を出し抜くことができるのよ。」
トレドに行ったモイヤーは、よく投げはしたが、デトロイト球団の組織内で上へ行く事は出来なかった。しかし、ノートルダム大学のフットボールの試合でボルチモア球団のローランド・ヘモンドGMに偶然、紹介された事から、ボルチモア傘下の3Aロチェスターで投げることになり、その後、シーズン半ばにオリオールズに上がる機会を得たのである。
モイヤーは、オリオールズで2シーズンに渡ってまあまあなピッチングを披露したが、1995年シーズン後にフリーエージェントになった時は、再契約をしてもらうことは出来なかった。その後、ボストン・レッドソックスへ移った彼は、1996年の7月30日に、彼の野球人生を変える1本の電話を受けとった。ダーレン・ブラッグとのトレードで、マリナーズへ移籍する事が決まったという知らせが入ったのである。
当時のモイヤーにとっては、この移動も、今まで経験してきた数え切れないほどの移動の1つに過ぎず、たいした期待も抱かぬまま、ボストンを後にした。レッドソックスではリリーフ投手だったモイヤーに対して、マリナーズは先発を考えていると言ったが、モイヤー自身はかなり懐疑的だった。今までにもそう言われたことは何回かあったものの、いつでもそれは話だけで終わっていたからだ。
だが、初めてシアトルのクラブハウスに足を踏み入れた時、ルー・ピネラが選手達全員が見守る前で、彼にボールを手渡してこう言ったのだ―「さあ、今こそ君のチャンスだ。行って投げて来い。」
―そして、その後ずっと、彼は言われた通りに投げ続けてきた。ここ7年間の彼の投球は素晴らしく、いまや球界随一の勝率(今季に入る前までで、勝率.682、今季に入って既に12勝5敗)を誇り、40歳でありながら、昨年末にはキャリア初の長期契約を自分で交渉してマリナーズから勝ち取る事にも成功した。
そして、その間、モイヤー一家はひっそりとシアトルを自分たちの“ホーム”に定めていた。夫妻は「モイヤー基金」を設立し、無数のチャリティー活動に従事した。今度の7月26日にも寄付金集めのためのチャリティー・ボーリング大会が企画されており、カレン自身も出産との兼ね合いさえ上手くいけば、出席するつもりでいる。モイヤー基金は、既に200万ドル以上を北西部地域の各種慈善団体に寄付してきた実績を持っているのだ。
2年前の冬、モイヤー夫妻は、それまでは考えられなかったようなことをした。彼らは、インディアナ州サウスベンドに持っていた彼らの“夢の家”でもあった77エーカーの農場を売ってしまったのである。今や彼らの“夢”は、4人と8/9人の子供たち(もうすぐ生まれる第5子も入れている^^;)、マリナーズ、モイヤー基金、そして友人・隣人たちのいる、ここシアトルにあるのである。
「シアトルに来てからは、まるで魔法にでもかかったような、素晴らしい日々の連続だった。」とジェイミーは言う。「本当にそう思う。僕の貰ったチャンス、この街、ファンの人たち、この球場…何もかもが素晴らしすぎて、恐いぐらいだ。」
カレンも、こう付け足す―「この街は、私たちにとって本物の“ホーム”になったという気がしているの。(これまで絶えず移動し続けてきた私たちにとって、)これは凄く不思議な感覚で、ここの人たちの素晴らしさ―彼らが私たちを心から温かく受け容れてくれたお陰だと思っているのよ。」
モイヤー家にとってシアトルが真の“ホーム”になったことは、最近、彼らが開催した“ガレージセール”によって正式に証明された。そのガレージセールでは、今まで梱包を解かれることなくアメリカ中を彼らとともに旅してきた何箱分もの雑多な家財道具が、ついに売りに出されたのである。
「60回もアメリカ中を引越して歩いたあとに、今回やっと、全部の荷を解くことができたの。」とカレンは言う。「ダンボール箱生活ともやっとサヨナラをして、完全な“北西部人”になれたってわけ。もう、6個もトースターを持っている必要もなくなったんだわ。シアトルは、私たちにとっては、まさにお伽話みたいな街になったけど、これまで私たちが経験してきた59回の引越しの事や、所属したことのある6球団(注:メジャーレベルのみの数。マイナーを含めれば、もっとある)の話を聞けば、きっと皆、ビックリ仰天すると思うわよ。」
今年のオールスターゲームがシカゴで開催されるというのは、モイヤーにとっては、特別に意味のあることだ。というのも、そこは、モイヤーが、いい事も悪い事も、色んなことを経験した街だからだ。1986年、カレンがノートルダム大学3年生でシカゴのテレビ局WGN−TVで研修中だった時、カブスの放送を担当していたハリー・キャリーとスティーブ・ストーンが、カブスの新人投手に会ってみないか、と彼女に声をかけたことがあった。「野球選手と付き合うつもりなんて、さらさらありませんから」と当時の彼女はその話を鼻であしらったものだった。
「でも、或る日、スティーブと一緒にダッグアウトでインタビューの準備をしている時に、ジェイミーに会ったの。」とカレンは言う。「そのあとどうなったかは、皆さんも知っての通り。結婚してから2人であれだけ様々な事を経験する事になるなんて、夢にも思いはしなかった。―でも、それらは全て私にとっては、何ものにもかえがたい大切な思い出になっているのよ…。」
(以上)
マクレモア選手のキャリア「1500安打」を祝して、数日前にシアトルタイムスに載ったマック選手とお父さんに関する記事を紹介させてくださいね…。(^^)
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マクレモア、サンディエゴでの子供時代を回想する
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/135065029_mari24.html
クラブハウスの管理人たちは、選手達にいつもこう言っているそうだ―「自分の持ち物には、背番号じゃなくて名前を書くように。背番号は変わることがあるけど、名前は変わらないから。」
その指示通りに、マーク・マクレモアのシャワーサンダルの前面には、赤の油性インクで『Shady』(=“シェイディー”→「胡散臭い(うさんくさい)」、「後ろ暗い」、「怪しげな」と言う意味の形容詞…)とはっきりと記されている。
「それは、オヤジのことなんだ。」とシアトルのユティリティープレーヤーは言う。懐かしい想い出をたどるその顔には、なんともいえない柔らかな表情が浮かぶ。「オヤジの街での通称(street name)が、それだったのさ…。」
L.C.マクレモアは、7年前の6月に亡くなった。息子のマークは、自分の生まれた町であるサンディエゴに戻ってくるたびに、その父の面影を見ると言う。
「…うん、そうだね。」と16年のメジャー歴を持つベテランは言う。「ここへ戻ってくると、どっと想い出が蘇ってくる。ここでの生活、ここで育っていたころの事、そしてオヤジのこと―。」
マクレモアは、サンディエゴの東南地区で、7人兄弟の末っ子として育った。「かなり、ヤバイ土地柄だった…そう、どう間違っても、“ビバリーヒルズ”(=高級住宅街の代名詞)なんかじゃなかったのは確かだ。」と彼は言う。「でも、俺たちは、そこでなんとかやっていた。俺たちにとっては、あそこが「家」だった。それに、よく言うような、“一旦迷い込んだら2度と出てこれない”とか、そんな所じゃなかった―。」
10年程前、一族の集まりに参加するためにサンディエゴに戻ったマクレモアは、父親と一緒に、昔住んでいた家の近辺を歩いたことがある。すると、ある家の前のポーチに座っていた老人が、「そこを行くのは、Shadyかい?」と声をかけてきたのだ。
「いったい誰に話し掛けているのか、最初はさっぱりわからなかったんだ。そしたら、オヤジが突然、『そうだよ、俺だよ』って返事をしたんだ。」とマクレモアは言う。「これはどういうことなのか、オヤジに訊かなくちゃ、と思った。オヤジとその老人との話が早く終わって、一刻も早く、その『Shady』とやらが、一体誰の事なのか、訊きたくてしかたがなかった。」
ようやくその場を切り上げて歩き出したL.C.は、とうとう観念して白状した―。彼は、マークに、『Shady』というのは近所の人たちが自分につけた渾名だった事を告げたのだ。
「オヤジとその仲間達は、周りの人たちが“ちょっと胡散臭い”とか“アヤシイ”とか思うような、小さなことにいろいろ首を突っ込んでいたらしいんだ。」とマクレモアは回想する。「デカイ事じゃなくて、もの凄く悪くもなく、はっきりと違法でもない、ちょっとした“悪さ”というか…ま、要するに“shady”なことばかりしていたんだね。」
L.C.は、当時は“ギャング”(…最近は“ギャング”と言えばもっと凶悪なものになってしまったが、当時は、まだそうではなかった…)と呼ばれていたようなグループのリーダー格で、『Shady』という渾名がそのまま通称として定着してしまったのだという。
「俺たち家族は、誰もその話を知らなかったんだ。」とマクレモアは言う。マクレモアの上には、3人の兄と3人の姉がおり、最年長は彼より19歳も年上だった。「だから、その話を聞いた途端、皆を片っ端からつかまえて、話してやったさ。それからは、事あるごとにその話を蒸し返しては、皆でオヤジをからかったもんだった…。」
マクレモア家の子供たちは、両親の勤勉さを手本にして育った。「両親が仕事に行かない時…それは、よっぽど病気が重い時だけだった。」そして、マークが無類の車好きになったのも、父親の影響だった。
L.C.は、家族を養うために2つの仕事を掛け持ちしていた。1つは、カリフォルニア大学サンディエゴ校での用務員の仕事、そしてもう1つは、フォードの乗用車を扱うディーラーでの駐車場係の仕事だった。
子供時代からの車好きが嵩じて、マクレモアはダラスで副業として自動車販売業を始めた。兄のうちの1人が、経理方面を引き受けてくれている。
「俺が高級車を何台か持っているので、それが俺の商売の主な内容だと思っている人もいるみたいだけど、実際は、フォードやクライスラーも扱っているし、バンやSUV車のアップグレード改造なんかも扱っているんだ。最近は、車の内装関係、ビデオやオーディオ機器の取り付け販売なんかも盛んにやっている。」とマクレモアは言う。(注:マクレモア選手の車好きについては、下記の記事も参照してみてください…。^^→http://www.bluewave.nu/ichiro51/board/windy01.html#020314)
というわけで、今年38歳のマクレモアにとって、もし今年が選手としての最後の年になったとしても、もう1つの大好きな世界で、経済的に安定した生活を送っていけるようにはなっているのだ。
―とはいえ、野球に対する情熱は、マクレモアの中でまだ熱く燃え続けている。だが、来年以降どうなるのかは、彼にもまだわからない。
「俺のキャリアの中で、今は、1年1年様子を見なくてはならない段階にきているんだと思う。」とこの週末、サンディエゴで彼は語ってくれた。「なので、ひょっとすると、選手としてこの町に戻ってこれるのも、これが最後…ということも、ありえるのかもしれない。」
“ユティリティープレーヤーの鑑”ともいうべき彼は、それはどこかの球団が自分を欲しいと思ってくれるかどうかにかかっている―と言う。今年は、マリナーズとの契約の最終年で、年俸は330万ドルである。
「自分がまだプレーできるのは、明らかだと思うし、プレーしたいという情熱もまだ充分にある。」と彼は言う。「あとは、同じように思ってくれる球団がいてくれる事を願うだけだ。その球団がシアトルだったら、もう言う事はないんだけどね…。このユニフォームで引退できたら、最高だと思う。」
だが、もしそうならなかったとしても、彼には野球に関するいい想い出が沢山ある。そして、その想い出の中には、子供時代にサンディエゴでプレーした時のもの―父親が観に来てくれた数々の試合の想い出も含まれている。
「リトル・リーグや学校の試合には、オヤジは可能な限り観に来てくれていた。」とマクレモアは言う。今年、マリナーズがドラフトで1位指名したアダム・ジョーンズは、サンディエゴのモース高校のショートだが、20年前は、マクレモアが同校の同じポジションでプレーしていたのである。
「駐車場がセンターの後方にあったので、オヤジが車から降りてグルッとグランドを回って歩いてくるのが、いつでも見えたんだ。」とマクレモアは言う。「今でも、オヤジの姿が目に浮かぶし、その感触も思い出せる―。仕事に出かけるときは、いつでも俺たち子供たちにキスをしてくれて、その時の髭が擦れて痛かった感触も、まだ頬に残っている気がする…。」
「『Shady』か…。」マクレモアは話すのをやめると、その言葉の響きを楽しむように微笑んだ。「オヤジは、いつだってそばにいて、俺がプレーするのを見ていてくれる―。今、この瞬間だって、オヤジがここにいる感じがするんだ。」
そのことは、マクレモアが今後もプレーし続けたいと願う理由のひとつにもなっている。
「―でも、プレーできるかできないかに関わらず、俺と家族にとっては、オヤジがいつでもそばにいてくれることには、変わりはない…。」
(以上)m(__)m
キシリトオルさん、こんばんは。(^^) イチロー選手に関する嬉しい記事の紹介、ありがとうございました!取急ぎ訳してみましたので、皆さんもよろしかったら読んでみてくださいネ。(^-^ )
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今シーズンのイチローの技には限りがない
― ジェイコブ・ラフト ―
http://sportsillustrated.cnn.com/baseball/news/2003/06/19/the_beat/
今週末には映画『超人ハルク』が公開されることになっているが、これは、まことにタイミングがいい―。というのも、最近のイチローは、まるでコミック本からそっくりそのまま抜け出してきたがごとき大活躍を見せているからである。(注:“ハルク”は米国で昔から人気のあるヒーローものコミックの題名。今回実写で映画化されたらしい―。下記を参照してください→http://www.hulkthemovie.com/index_flash.html)
日曜には、彼は“足”でブレーブスをうち破った。3つの盗塁を決めて2得点ともを1人で記録し、マリナーズに2−1の勝利をもたらしたのである。また、8−4でマリナーズが勝った2日後の試合では、今度は2本のホームランを打って、エンゼルスを唖然とさせた。5月に月間打率.389を記録したイチローは、6月に入ってからは.449も打っている。その間のライトでの守備は、勿論完璧である。
イチローは、今年は既に7本の本塁打を打っており、これは“走り打ちの名手”と言われてきた彼にとっては、メジャーに来てからのシーズン記録にあと1本と迫る数字である。そして、同時に、今季まだ6本しか本塁打を打っていない同胞のヒデキ・マツイ―最近は“ゴジラ(Godzilla)”から“ゴロジラ(Groundzilla)”に変身してしまったようだが―よりも多い。
今季のイチロー、とりわけこの2試合のイチローを見ていると、あの殿堂入りした往年の名選手について書かれた伝記、『タイ・カッブ』(チャールス・アレキサンダー著)に載っていた話を思い出す。ベーブ・ルースがホームランを量産する事でもてはやされているのを見ているのに嫌気がさしたカッブは、ある日、デトロイト・ニュースのコラムニスト、H.G.サルシンガーに、「生涯で初めて、ホームランを狙って打席に入ることにする」と告げたのだ。
1925年5月5日のその日、カッブは3本のホームランを打った。―そして、その次の日にはさらに2本打って、「2試合合計で5本塁打」という、メジャー新記録を打ち立ててみせた。ナ・リーグでは、1947年にラルフ・カイナーが同じく5本打つまでは誰も並ぶ者がなかった。ちなみに、「2試合で6本塁打」を打つ選手は、いまだに出現してない。
そのシーズン、最終的にはキャリア・タイ記録となる12本の本塁打を打ったカッブは、イチローと非常に良く似たタイプの選手だった。2人とも、シングルス・ヒッターで、バントや盗塁の名手でもあり、ホームランを打つよりも確実にボールをコンタクトする方を好む。
と同時に、普段は単打量産タイプの打者が、1シーズンかそこら、本塁打の目立つシーズンを経験する事も決して珍しくはない。―なんてったって、カッブ当人も、1909年には、なんとたった「9本塁打」を打って三冠王に輝いているのだから―。いわゆる“飛ばない球”全盛の時代には、こんな珍事も起きたのである。
一方、“飛ぶ球”が使用された1987年のシーズンには、ウェイド・ボッグスが24本の本塁打を打っているが、彼が2ケタ本塁打を記録したのは、その年と11本打った1994年の2回だけである。ロッド・カルーは、17年間のメジャーのキャリアで14本塁打を2回記録しているが、それ以外の年では9本以下しか打っていない。通算打率.340を記録しながらも通算本塁打はわずか102本だったジョージ・シスラーも、1920年には19本塁打を記録している。ナップ・ラジュワ(通算打率.338)も、2ケタ本塁打を記録したのは、1901年の14本だけである。
メジャー史上、彼らは最も才能に恵まれた選手達であった。彼らの卓越した技術をもってすれば、全く違うタイプのキャリアを送ることも、ひょっとして可能だったのであろうか?そう望めば、彼らははたしてパワーヒッターにもなれたのであろうか…?―またその逆はどうなのだろう?球史に名を残したパワーヒッター達が、もしそう望んでいたなら、ボッグス達のようなコンタクト・ヒッターになれていたのだろうか?本塁打王に4回輝いたハンク・アーロンは、首位打者も2回獲った事があるが、通算打率は.305だった。また、ミッキー・マントルの通算打率は.298しかなかったが、もし、毎回“火星まで打球を飛ばそうとする”ような大ぶりさえしなければ、もっと高い打率を上げることが出来たはずなのに…とよく言われたものだった。
―話をイチローに戻そう。彼の過去の成績に目を通せば、彼が、もともと、ある程度のパワーの持ち主である事がわかる。日本のプロ野球で過ごした7年間で、彼は合計117本の本塁打を打っている。これは年平均にすると、年約17本近くにもなる。確かに、これは、あのタフィー・ローズが1シーズン55本塁打も打てたリーグでの話ではある。だが、それでも、今回のイチローのパワー爆発が、単なるまぐれではない事の証明にはなるだろう。1925年のあの日のカッブがそうだったように、今のイチローも、ただ「ホームランが打ちたくなったから打っている」だけなのかもしれない―。
(以上)(^^)
クロスロードさん、はじめまして。(^^) スポーツナビの記事と言うのは、これのことですネ。↓
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200305/0528yama_01.html
私もこの記事は読んでいたので、その後どうなったのかな…?と気になっていたところでした。ですので、今回このシアトル・タイムスの記事を教えていただいて、とても嬉しかったです。ありがとうございました。m(__)m
まだ読んでいらっしゃらない方のために、以下はそのシアトル・タイムスの記事です…。(^^)
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あるファンが想像していた通りの、素晴らしい選手だったイチロー
― スティーブ・ケリー ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/135004870_kell16.html
アトランタの救援投手、ジュン・キュン・ボンは、両手にボールを1個づつ握って、マリナーズのダッグアウトの傍に緊張した面持ちで立っていた。まるでリトル・リーガーのように興奮しながら、イチローの打撃練習が終わるのを待っていたのだ。
この週末の間中ずっと、ボンは、この瞬間が来るのを待ちわびていた。この日の午前中には、ひょっとして今日はマリナーズの打撃練習はなくて、イチローにも会えないのではないか…などと気を揉んだりもした。
韓国のソウルで育ったボンは、高校の野球部でセンターを守りながら、イチローがオリックス・ブルーウェーブで中堅手としてプレーするのを観ていた。イチローは、スピード、強肩、創造性を兼ね備えた万能選手であり、ボンが自分もああなりたいと憧れた選手だった。
ボンは、2日かけてスピーチを練習した。イチローに何を言うのかは、完璧に決めてあった。そして、今ようやくその瞬間がやってきたのである…。
「緊張はしなかったけど、不思議な感じがした。」とボンは、昨日マリナーズが2−1で勝った試合の後、言った。「ずっと僕の夢だったんだ。昔から1度イチローと話をしてみたいと思っていた―高校時代からずっと…。あれから6年経った今、僕はメジャーにいてイチローに会うことが出来た。素晴らしい時間だった。」
野球というのは、“子供の心”を持ち続けている人のための競技であり、選手達自身もファンなのだ…ということ思い起こさせてくれる、そういう珠玉の瞬間がここにあった。
イチローがバッティング・ケージから出て来たのを見たボンは、近くの記者からペンを借り、オズオズとイチローの傍まで歩みより、自己紹介をした。イチローと握手をしたボンは、まるでそういう機会に恵まれたそこらへんの普通の子供と同じように、輝くような笑顔になった。
ボンは、自分のユニフォームの背番号―自分の憧れのヒーローにちなんで付けた“51番”をイチローに見せた。高校2年生の時にこの番号に変えたこと、センターから投手に転向してからも、ずっとこの番号を付け続けてきたことなどを伝えた。
「あなたにちなんで、変えたんです。」とボンがイチローに告げると、イチローは「それは、嬉しい。」と言って微笑んだ。2人は英語で5分ほど、話をした。イチローは、ボール2つともにサインをしてくれた。
「彼は、僕の事を知っていてくれたんだ。それが、凄く嬉しかった。」とボンは言う。「2人で話をしたんだけど、イチローは、僕に、毎日を楽しむように、と言ってくれた。野球をする事だけに専念し、他のいろんな事は一切気にしないこと―とね。それから、『いいシーズンになるといいね』とも言ってくれたので、僕も、彼に同じように言ったんだ。」
まわりの私達同様、22歳のボンも、昨日は、イチローの選手としての真骨頂を見る幸運に恵まれた。イチローがそのスピードで2本の安打をもぎ取る様を、両方の飛距離を併せてもほんの180フィートにしかならないような2本の安打が試合を決めてしまう様子を、つぶさに目撃する事が出来たのだ。
「2本の内野安打―あれが、イチローの恐さだ。」とブレーブスのボビー・コックスは言う。
最初の2塁への緩いゴロは、慌てたブレーブスの2塁手マーカス・ジャイルズが差し出した素手の下をすり抜けて外野へ抜けて行った。その後、イチローは盗塁を試みて2塁を陥れ、ブレーブスの牽制失敗に乗じて3塁まで進み、ブレット・ブーンの二塁打で生還した。
イチローは、まるで、バスケットボールのポイント・ガードのようなプレーをする。彼は、絶えず相手方のディフェンスにプレッシャーをかけ、相手を疑心暗鬼にし、試合を自分のテンポで進めていくのだ。
2回目の打席では、イチローは、平凡なツーバウンドのゴロを遊撃手ラファエル・ファーカルに向って打ち、ファーカルの矢のような送球より2歩早く1塁に到達した。その後、2盗、3盗を繰り返すと、今度は、ブーンがグレグ・マダックスへの弱いゴロを打った隙を狙ってホームに生還した。
「是非、試合で彼に対して投げたかった。本当に―。」とボンは言う。「声がかかるのを、ずっと待っていたんだ。残念ながら、それは叶わなかったけど、あの素晴らしい試合は楽しんだし、イチローが素晴らしい活躍をするのも観られたから、とても満足している。いつか、彼と対戦できる時が来るかもしれない。もしかしたら、ワールド・シリーズで―。だって、何が起るかわからないだろう…?だから、僕はその時が来るのを待つことにする。」
ボンのそういう熱意を、イチローも心から嬉しく思っているようだった。2人の会話は短かったが、とても心がこもっていた。それは、地球の反対側からやってきた2人の野球選手同士が、素晴らしい試合の直前に、新しい友情を育む…そういうシーンだった。
「彼のことは、いつも応援している。」とイチローは通訳を通して語る。「彼は、18歳の時にたった一人でこの国にやって来て、マイナーリーグで頑張り、やっとメジャーへ上がってきた。同じアジア出身の選手として、彼にはいつでも幸運を祈っている。彼が僕について言ってくれたことは、僕に、自分もそういう思いを他の選手に対して抱かなくては…ということを思い出させてくれた。」
今日の試合に負け、この3連戦には出番もなかったボンだったが、メジャーでの初勝利にも劣らない程の忘れ得ぬ瞬間を、彼は経験する事ができたのである。
イチローにサインしてもらった2個のボールは、ソウルに大事に持って帰るつもりだと、彼は言う。どこに飾るのか、もうちゃんと決めてあるのだそうだ。
「イチローのサインが一つ欲しいとずっと思っていたら、2個ももらってしまった。」と彼は言う。「もっと、沢山、話がしたかった…。彼の英語がうまかったので、ちょっとビックリしたよ。でも、まだ打撃練習中だったので、彼の邪魔をするわけにはいかなかったんだ。それでも、今日は僕の夢が叶った日だった―。」
それは、1人のメジャーリーガーが、我々一般人と同じように、自らの事を幸運だと思えた日だった。我々全員が、天下一品の試合と驚異の右翼手を見る幸運に恵まれた、そんな素晴らしい1日だったのである。
(以上)(^^)
マリナーズは、今、凄くチームの雰囲気がいいみたいですよ。(^^) あれだけ勝っていれば、自然に雰囲気も良くなるだろう…という方もいるかもしませんが、どうもそれだけではないような気がします。いずれにしろ、ファンとしては、読んでいてとても嬉しい気持ちになる記事でした。どうか、今のようにチーム一丸となったまま、最後まで突っ走れますように―。m(__)m トリビューン・ニュースからです…。(^^)
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波に乗るマリナーズ、8連勝達成
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/3239417p-3269320c.html
昨年のマリナーズのクラブハウスには、何か欠けていたものが一つあったのだが、当時は誰もその事については話したがらなかった。
昨年なかったもの―それは“楽しむ心”だった。そして、今年は、それがまたクラブハウスに戻ってきている―。
このところ、それはどの試合前にもみられたが、今日の試合で7−2でフィラデルフィアを下した後には、それは触ろうと思えば手でも触れそうなほど、確たる存在になっていた。
「2001年の僕たちは、とても仲がよかった。チームとして、25人全員がね―。」とエドガー・マルチネスは言う。「今年のウチは、あの頃とそっくりなんだ―グラウンドでもグラウンド外でも。皆、いきいきとして楽しそうで、それはチームにとって、とてもいいことだと思う。」
いくらクラブハウスの中が楽しくても、裏づけとなる才能がなければ何の意味もなくなるところだが、2003年のマリナーズに関しては、そんな心配は全く無用だ。
フィリーズは、そういうマリナーズのチームとしての長所を、2晩続けていやというほど見せ付けられる羽目になった。
「彼らは、勝ちに繋がるありとあらゆる細かい事ができるチームだ。」とラリー・ボーワ監督は言う。「あっちのチームの連中は、どうやって試合を進めていくべきかを全員が知り尽くしているし、間違いも犯さない。点を入れるべき時には、きっちり入れてくる。」
それに関する証拠は万全だ。今日の試合で、マリナーズは、ツーアウト未満でランナー3塁の場面では、3回とも犠牲フライでランナーを還すことに成功しているのである。
「いいチームというのは、相手を負かす術を心得ているものだけど、今のウチは、まさにそんな感じだ。」とジェフ・ネルソンは言う。「今回の遠征では、ウチは弱いチームには一つも当たっていない―全部強いチームばかりだ。それでも、8勝0敗できている。今晩の試合を見てご覧よ。ウチのリードオフ・ヒッター(イチロー)は4安打するし、クリーンアップ・ヒッター(オルルッド)は4打点叩き出す。ベンチの選手を出してくれば、パット・ボーダースが代打ヒットを打つ。ウチは、15人だけが頑張っているんじゃない―25人全員が貢献しているんだ。」
そこまで言うと、ネルソンはちょっと考えた後、こう付け加えた―「そういえば、2001年のウチも、こんな具合だったなぁ…。」
ギル・メッシュは今季8勝目を挙げたが、今日は今までのような圧倒的な出来ではなかった。今回は、力ではなく、粘り強さに頼った投球だった。
「なんとか、6回までもったよ。」と彼は笑いながら言う。「今日の僕は、四球も4つも出してしまったし、強打者に対してはカウントを悪くしてばかりだったし、三振に打ち取れるような威力のある球もなかった。それでも、責任は果たせたと思う。」
ボブ・メルビン監督も同感だった。そして、今日の試合からメッシュが学んだ事は、多かったのではないか―とも付け加えた。
「これまでの登板では、球威もコントロールも抜群で、ギルにとっては何もかもが上手く行き過ぎていた感があった。」とメルビンは言う。「でも、今日の彼は、我慢して踏ん張って、ピンチから脱出しなくてはならなかった。彼にとっては、いい経験だったんじゃないのかな。」
今日現在、マリナーズは39勝18敗で、特にロードでは22勝7敗というメジャー1の成績を挙げている。
「ウチは、ロードで戦うことをなんとも思っていない。ベテラン揃いのチームなので、勝つ術を色々と心得ているんだ。」とメルビンは言う。
「今回の遠征は、今年一番の長さだし、当たるのも強いチームばかりなのに、まだ1試合も負けていない。」とネルソンは言う。「今、あまりにもいい戦い方をしているので、これが8月か9月だったらよかったのに…と思ってしまうぐらいだ。―でもね、ウチのいいところは、誰もそんな先のことなんか考えていないところなんだ。皆、次の試合の事しか考えていない。今のさしあたっての目標は、明日、フィラデルフィアをスィープすることさ。」
メッシュと4人のリリーフ投手達がフィリーズの攻撃陣を封じ込み、イチローとオルルッドの2人でマリナーズの14安打のうちの7安打を叩き出した。
今日の試合では、フィリーズを叩きのめした“この一打”というのはなかったが、イチローの5回のヒットは、得点には結びつかなかったものの、フィリーズを仰天させるには充分だったようだ。
それは、1塁手ジム・トーミに向って2回大きくバウンドしながら飛んでいった一打だった。トーミは、右側に動いて捕球すると、くるっと振り向いて、1塁カバーに入ったパディーア投手に送球しようとした。
「ツーバウンドした球を捕って、振り向いて投げたら、もうそこにイチローがいたんだ。」とトーミは呆れたふうに首を振りながら言う。「彼には、『ずるいヨ』って言ってやった。」
それは、この21試合で17勝も挙げて、AL西地区の2位とのゲーム差を「6」にまで広げた、マリナーズのチーム全体に対しても向けられる言葉かもしれない。
試合後、イチローは、彼とマリナーズのプレースタイルが、ナショナル・リーグのそれと同じなのでは―と訊かれた。
「ナショナル・リーグのプレースタイルがどんなものなのか、僕はよく知らない。」と彼は言う。「ウチは、ウチのスタイルを貫いているだけ。昨日と今日の試合は、ウチのスタイルそのものの試合が出来た。ナショナル・リーグでもアメリカン・リーグでもない、ウチ独自のスタイルだ。」
試合後のクラブハウスは、笑顔と笑い声が溢れ、勝ち試合のあとには必ずかかる、マイク・キャメロンが選んだマイケル・ジャクソンの曲が、大音量でスピーカーから流れていた。
部屋の片隅では、ブレット・ブーンがベン・デービスに“ホージー・サンドイッチ”の正しい食べ方を伝授していた。(注:縦に切リ目を入れた堅いロールパンにレタスやハムなどを挟んだ大型サンドイッチ。フィラデルフィアの名物料理(?)で、ブーン選手の大好物らしい。現在レッズの監督をしている父親のボブ・ブーン氏が昔フィリーズの選手だったので、ブーン選手は子供時代をフィラデルフィアで過ごしているし、今日のベテラン・スタジアムは遊び場だったらしい。^^)また、別の隅では、アーサー・ローズとネルソンが何か個人的なことでお互いをからかいあっていた。
「ここでは、皆、凄く楽しくやっているけど、野球の事もよく話すんだ。」と“ザ・エドガー”は言う。「長いシーズンには、辛い事もいろいろあるし、いつでも誰かしらがスランプに苦しんでいるものだ。僕たちは、いつでもお互いを支えあっているし、お互いの事をとても大事に思っている。2年前の雰囲気に凄くよく似ていて、それはとてもいいことだと思っている。」
(以上)(^^)
ナビさん、はじめまして。面白い記事をありがとうございます!(^^)
せっかくですので、以下、皆さんに内容を紹介させてくださいませ…。(^_-)
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地元のキング・カウンティー・ジャーナルのコラムニスト、グレッグ・ジョン氏の記事より、マリナーズの選手一人一人と監督の1学期の成績表を、アルファベット順でどうぞ:
●ウィリー・ブルームクィスト:
ウィリアム、初めて大きな教室に移ってきた君にとって、環境に慣れるのに色々大変だったであろうことは、よくわかっている。だから、今回は採点を甘くする事にした。正直言えば、もし君が本気でここにずっと残るつもりなら、その「.175」という打率は、なんとかしないとマズイと思う…。でも、君の前向きな態度と、要求には何でもこたえようとする積極性は高く評価できる。 採点:C−
●ブレット・ブーン:
ブレット、君がこのクラスにいてくれて、とても嬉しい。君の“知ったかぶり”がちょっとうるさいこともあるけど、その明るい性格はこのグループの中では輝いているし、最近は本当にいいリーダーに育ってきた。それだけでなく、打撃に関しても、MVP候補になれるくらいよく打っているし(このままのペースでいけば、42本塁打、129打点、打率.308)、守備にしてもメジャーの他のどの2塁手よりも素晴らしい。 採点:A+
●マイク・キャメロン:
ああ、マイケル…。君がまた笑っている顔を見られて、私は非常に嬉しい。君が上機嫌だと、クラスのみんなの気分も、一緒に明るくなる。そして、君が打つと…そう、チーム打率も上昇するのだ。打撃に関しては、まだまだ向上の余地があるので、これからも努力を続けるように。でも、今年はきっとゴールド・グラブを取り返せるはずだ。 採点:B
●ジオバンニ・カラーラ:
ジオ、我々は、まだ君の事をよく知ろうとしているところだ。でも、今後も今までのようなリリーフ登板を繰り返すようなら、ここでは上手くやっていけないかもしれないね…。 採点:D+
●ジェフ・シリーロ:
ジェフリー、ジェフリー、ジェフリー…。我々は、今学期の君の改善された態度を、非常に好ましく思っている。メジャーの打者らしく見える瞬間も、時々あるようになったしね…。「他のチームに“転校”させた方がいい―」と思っている人がいることも確かだが、我々は、君の守備が大変気に入っているので、君が自信を取り戻すまで、もう少し気長に待ってみることにする。―自信だけでなく、ついでに君の昔の打率「.310」も取り戻してくれると嬉しいのだが。 採点:C
●グレッグ・コルブラン
…えっと、誰だっけ…? あ、グレゴリ―、ごめん―悪かった。クラスのディスカッションに貢献できるように、君には授業中もっと声をかけてあげるべきだったよね…。でも、今の段階では、君のクラスへの貢献度を採点することは不可能だ。 採点:採点不能
●ベン・デービス:
ベンジャミン、このクラスの若い野手の“生徒”の中では、君が一番、いい意味で我々の予想を裏切ってくれたと思う。同じポジションに先輩のウィルソン氏がいることが、君にとってはフラストレーションの種になっていることは、よくわかっている。でも、忍耐強く学び続けなさい。そうすれば、最終的には必ず大きな収穫を手に入れることができるはずだから。 採点:B
●ライアン・フランクリン:
非常に安定したNo.5先発投手に成長しつつある。このままのペースでいけば、今季は12勝できるはずだ。昨年と今年のチームとの一番大きな違いは、君の存在だよ。チームで最も過小評価されている選手の代表格といえよう。 採点:B+
●フレディー・ガルシア:
いいかい?せっかくの才能を無駄にする事ほど、勿体無い事はないんだよ…。一番最近のテストはまあまあの出来だったようで、それはいい傾向だ。でもね、ガルシア君、君は、自分が本気で時間と労力を惜しまずに努力する気があることを皆に証明しなくちゃいけない立場にいる事を忘れないように―。今回の低い点は、君に対する我々の期待の高さだと思ってくれたまえ。 採点:D−
●カルロス・ギーエン:
カルロス、今のところ、君はマリナーズの中で、今季最も成長した選手だ。他の人たちにも君が本当は凄くいいヤツだってことを知ってもらいたいので、もう少し社交性が増せばもっといいとは思っているんだけどね…。このままの調子でこれからも頑張るように。打率.321もね。 採点:A+
●シゲトシ・ハセガワ:
シギー、君の今季の活躍も実に素晴らしい。唯一の気掛かりは、君の場合、昨年も前半は素晴らしかったのに、後半は成績が落ちてしまった…ということだ。なので、今年はオーバーペースにならないように気をつけて、我々が君を最も必要になるであろう時期にも、今の状態のままで頑張れるようにしてくれたまえ。 採点:A+
●ジョン・メイブリー:
傷に塩を擦り込むつもりはないけれど、君は、広背筋を痛める以前から、たいしたことはしていなかった気がする。いずれにせよ、今は早く怪我を治しなさい。そうすれば、オールスター後には、もう少し君の出番を増やすようにするから。それまでは、君の広背筋を理科実験で使わせてもらうことにするよ…。 採点:D
● エドガー・マルチネス:
君に関しては、何も言う事はないよ、エドガー。むしろ、君がこのクラスを教える側に立つべきなのかもしれない。他の道に進むために、君が今年限りで卒業する事を考えている…という事も知っている。我々は、今まで君の衰えつつある脚とか鈍足ぶりを散々からかってきた。でも、将来に関する最終決断を下す前に、是非、次の事を考慮に入れて欲しい―今のペースのままでいけば、君のシーズン末の数字は、39本塁打、135打点、打率.314になるはずである…ということを。君がいないクラスは、実に寂しくなるはずだ。 採点:A+
●フリオ・マテオ:
若者よ、メジャーへようこそ。ロング・リリーフとして、君は良くやっていると思うよ。 採点:B−
●マーク・マクレモア:
クラスメートとしてもいいし、リーダーとしてもいい。グラウンドでの成績も、いまのところマアマアだろう。 採点:C+
●ギル・メッシュ:
ギルバート、君が今年どれだけできるのかは、誰にもはっきりとは分かっていなかった。それなのに、君は、チーム1の投手になってしまったね。選手本人は、あんまり先のことを考えてはいけないらしいので、代わりに我々がちょっと将来を覗いてみてあげよう―。今のペースのままでいけば、シーズン終了時には、21勝6敗、防御率3.11になるらしい。若者よ、おめでとう。 採点:A+
●ボブ・メルビン:
ロバート、君に関しても、全く事前の予想をたてることができなかった。でも、ここまでは、“岩のように”安定した監督振りを見せてくれている。(人間的面白みに関しても、いまのところは“岩”並だけどね…。)もっと気楽にしてくれてもかまわないけど、采配の仕方に関しては、今のやり方を何一つ変えてはダメだよ。 採点:A
●ジェイミー・モイヤー:
他になんと言ったらいいのかよくわからないんだけどね、古株君…。君の事は、実は3年前に“もう終わった”と思っていたんだ。それなのに、今年の君を見てご覧―今までで最高のスタートを切って、このままでいくと…あらま、ビックリ!…24勝することになってしまうらしい。時々、投球数が増えて苦戦する事があるけど、そんなのは“無粋なあら捜し”というもの。客観的にみれば、君は40歳にして初のオールスター・ゲーム出場に向ってまっしぐら、ということろだ。そして、君はその栄誉に充分値していると思う。 採点:A
●ジェフ・ネルソン:
君に関しては、我々の期待通りだ―非常に安定した中継ぎ投手で、なおかつ自分の役目をよく知っている男でもある。 採点:B
●ジョン・オルルッド:
ジョニー、君がいわば“先生のお気に入り”的存在である事は、我々も認めざるを得ない。毎日毎日、ひたすら黙々と自分の仕事を素晴らしく立派にこなしてくれる男ほど、貴重な存在はないからね。少々パワー不足気味な点(このままだと、今季の本塁打は6本、打点は75)は、多少の減点の対象になるかもしれないが、打率.302というのは見慣れた数字だし、君のファーストでのグラブ捌きは、内野全体の質を間違いなく向上させている。 採点:B
●ジョエル・ピネイロ:
「本物のジョエルは、一体どこへ行ってしまったんだ…?」とちょうど心配になり始めた時、君は金曜の試合で4安打完封勝利を挙げて、我々を安心させてくれた。ここからシーズン終了まで、我々は、大いに君に期待しているんだよ。 採点:B−
●アーサー・ローズ:
これは、全く君のせいではないんだが、我々は、君の登板の多さ(このままのペースでいくと、自己最高の75試合)が、かなり気になっている。でも、左のリリーフとして、君ほど素晴らしい仕事をしている投手は、他にはいない。見事な仕事振りだ。ただ、肝心のプレーオフの頃になって、腕がもげ落ちてしまわないように…それだけは、気をつけてほしい。 採点:A
●カズヒロ・ササキ:
君は、落第寸前の成績から、かなりまともなところまで持ち直してきた。我々は、君がこうやって改善してきたこと、そして健康な状態に戻った事を高く評価する。よって、今回の成績は、今学期全体のパフォーマンスに対する評価というよりは、最近の上昇分に対する評価だと思って欲しい。 採点:B−
●イチロー・スズキ:
カズ同様、君もいい方向に向っていることは間違いないし、また以前のような“クラスで一番賢い生徒”らしくなってきた。「このままのペースでいけば、今季の盗塁は33にしかならない―」と指摘する向きもあるようだが、我々はそれに対して、「このままのペースでいけば、本塁打は15本、安打は213本までいくはず」と言い返すつもりだ。これからも、ずっと輝き続けてくれたまえ、イチローさん。 採点:A
●ダン・ウィルソン:
ダニエル、君は実に立派な人間だ。―そして、素晴らしいキャッチャーでもある。もう少しパワーを見せてくれて、もう少し打点を増やしてくれればもっといいんだが、無い物ねだりをしても仕方がない。我々は、君がウチのチームにいてくれてとても嬉しく思っている。 採点:C+
●ランディー・ウィン:
7番に入って、やっと落ち着いて打てる場所を見つけたようで、よかったと思っている。君がそこにいてくれるお陰で、下位打線にも勢いがついた。勿論、そこの位置からでは、今年のオールスターに選ばれるのは無理だろう。だが、君がウチの球団に上手く馴染んでくれたこと、そしてプロ意識に徹してくれている事に関しては、とても感謝している。 採点:B
●全体の評価:
守備:A+、攻撃:B,先発投手陣:A,ブルペン:A−、チームとしての総合評価:A
(以上)(^^)
素晴らしいニュースをありがとうございます!そして、エドガー選手、本当におめでとうございました! 他の選手達には真似する事も出来ないほどの日々の弛まぬ努力がこういう形で報われて、本当に嬉しいです。(^○^)これからも、ずっと健康で頑張ってください!m(__)m(…くれぐれも、塁上で激走しすぎないでくださいネ。それだけが心配なので…^^;)
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昨日、丁度エドガー選手のトレーニングについての短い記事がトリビューンニュースに載っていましたので、ご紹介しますネ。(^ー^*)
エドガーには、休みなどない
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/3223477p-3251918c.html
日曜の試合で安打数をさらに4本増やしたエドガー・マルチネスは、これから約1週間の“半引退生活”に入ることになる。―少なくとも、表面上はそのように見えるはずだ。
「全く、おかしな話だよね。」とシアトルのボブ・メルビン監督は言う。「エドガーは、今、打撃も好調だし、足のほうも今年に入ってからでは最高の状態だ。それなのにその彼を一週間もベンチに座らせておかなくてはならないんだから…。」
“ザ・エドガー”は、これからの6試合―全てNL球場でのインターリーグ試合―のスタメンからは外れる事になっている。ということは、その間は楽をして休んでいられるということなのだろうか…?
―いや、とんでもない。
「むしろ、体が鈍らないように、いつもよりトレーニングの量を増やさなくてはならない。」とマルチネスは言う。「体力が落ちないように、試合前・試合後のトレーニング量を増やさなくてはならないし、バットを振る回数も増やさなくてはいけない。」
以前は、究極的な職人気質にのみ基づいて行われていたこれらのトレーニングも、今は、もう一つ別の要素が絡んできている。―それは“恐怖”だ。
「今ぐらい一生懸命やっていないと、どんどん体が衰えていくんだ。」と40歳のマルチネスは言う。「毎日、早くから球場へ来て、試合前に脚を鍛える運動をしてから特打をする。そして、試合後にはウェート・トレーニングだ。」
―毎日?
「僕の場合は、やらざるを得ない。」と彼は言う。「このオフには、1週間休んだだけで、すぐまたトレーニングを再開した。もし、1ヶ月休んでしまっていたら、もう2度とプレーできなかったかもしれない…。」
2002年シーズンの終了した時点では、エドガーの手術を受けた左膝は、右膝よりもずっと弱くなっていた。
「右脚では70ポンド(≒31.8kg)ぐらいのウェートを上げられるのに、左では10ポンド(≒4.5kg)しか上げられなくなっていた。」とエドガーは言う。
4ヵ月半たった今では、左脚でも40ポンド(≒18.2kg)のウェートを上げられるようになったそうだ。マルチネスは、それ以来、ウェートトレーニングはほとんど毎日欠かしたことがない。手術で失った左脚のハムストリングの腱―。その周辺の筋肉を絶えずそうやって強化し続けていなければ、プレーできなくなるのではないか―という恐怖が、彼を突き動かしているのである。
「試合に出ながらそれだけのトレーニングをこなすと、かなり疲れる。」とマルチネスは言う。「あんまり疲れた日には、試合後のトレーニングはやらないこともある。そのかわり、次の日にいつもより早く球場に来て、その分を必ず補うようにしているんだ。」
マルチネスがトレーニングに励んでいるのは、何も、試合前と試合後だけではない。試合中にも、しばしば色んなことをやっている。
「イニングの間に、クラブハウスに戻ってトレーニングバイクを漕いだり、ストレッチングをしたりしているんだ。」と彼は言う。
あとどれくらい、そんな事を続けていけるのだろうか…?
「もし、来季もプレーしたいと思えば、この冬も同じようにトレーニング漬けにならなくてはならない。」と彼は言う。「いつでも、ひたすらトレーニングさ。体調をベストにキープするのは、以前に比べてどんどん難しくなってきている。今は、もし一週間以上怠けてしまったら、もうプレーできる体には戻れなくなってしまう気がする。」
(以上)
たとえ負け試合であっても、マリナーズの“日替わりヒーロー”は健在です…!(^○^) 今日の試合のハイライトは、ファンの贔屓目でもなんでもなく、誰がどう見ても、文句なくイチロー選手の“ザ・スロー”でした。そんなスローの一部始終を綴ったコラム記事を、シアトル・タイムスからどうぞ―。(^^)
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イチローのスロー、負け試合にも華やかさを添える
― スティーブ・ケリー ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134815892_kell26.html
“The Throw(ザ・スロー)”。あまりにも素晴らしかったそれは、多分、大文字で綴られるべきなんだと思う―。
球場全体が期待感を持って見守っていたのは、明らかだった。満員の観客は、あたかもこれから何が起るのか、わかっているかのようだった。まるで、ここセーフコーでは、今までにこんなことは、既に何百回も繰り返されているのだ―とでも言わんばかりに…。ミネソタの3塁走者クリス・ゴメズよりも先に、大観衆は次に何が来るのかを、よく知っていたのである。
イチローと言う選手は、それほど凄い選手なのだ。シアトルの人々は、彼が間違いなく華々しいプレーをしてくれるものと、決めてかかっているのである。
5回表1死、ミネソタが2−0でリードしている状況で、クリスチャン・グーズマンがライトの中ほどへ緩い飛球を打ち上げた。それを見たイチローは、歩幅を調整しながら捕球体勢に入った。
観客から沸き起こる大音響は、まるで大海原の大波のように膨れ上がり、イチローが捕球するのを―ゴメスが本塁へ向けてスタートを切るのを―そして“ザ・スロー”が放たれるのを、今か今かと待ち構えていた。
「よし、行くぞっ!」とツインズのロン・ガーデンハイヤー監督が、ダッグアウトから怒鳴った。
捕球へのタイミングを計りながら、イチローは自分の頭の中のコンピューターに納まっているデータを素早く処理していた。ホームまでの距離は、約280フィート。ダイレクトで投げるべきなのか、あるいはワンバウンドのほうがいいのか、瞬時に決断する必要があった。
「ダイレクトの方が正確だから。」とイチローは言う。その後、ニッコリと微笑むと、さらにこうも付け加えた。「―それに、そのほうがファンの人たちも喜ぶと思ったし。」
イチローは、本塁に向って3歩前進すると、飛球のコースを確認するために一瞬立ち止まり、そして更に1歩踏み出しながら、捕球した。
彼が捕球すると同時に、観客の発するワーッと言う大声が、さらに増大した。それは、フットボールの試合で、ディフェンスの列の後で走り出すレシーバーを目にした観客が発する、あの期待に満ちた叫び声とよく似ていた。
「観客が期待しているのが、よくわかった。」とイチローは言う。
3塁コーチのアル・ニューマンが“走れ”の合図を出すと、ゴメスが本塁に向って突進した。
「あそこは、走らなきゃ仕方がない。」とガーデンハイヤーは言う。「ワンアウトのあの場面では、こっちとしては、野手の肩に挑戦するしかないんだ。…するしかないんだが、でも、あまりしたくない場合もあるよね…。」
“ザ・スロー”を待ち受けていたベン・デービス捕手は、カット・マンのジョン・オルルッド1塁手に向って怒鳴った―「邪魔だっ!どけっ!」 オルルッドは、デービスの15フィート前方、丁度、イチローとホームとを結ぶ線上に立っていたのである。
“ザ・スロー”が、イチローの手から爆発的な勢いで放たれた。それは、球場内の大音響の波に乗って、まるでレーザーのように、三塁寄りに2歩、バックネット寄りに1歩の地点に立っていたデービスに向って、一直線に突き進んでいった。
膝の高さで送球を受けたデービスは、ホームプレートの先端部分を狙って回り込もうとしたゴメスに、ガッチリと両手でタッチをした。
「あのプレーは、偶然の産物なんかじゃない。」とイチローは言う。「あれは、僕が狙った通りのプレーだった。ゴメスはびっくりしたかもしれないけど、僕自身は全く驚かなかった。」
送球が届いた時、ゴメスはまだホームの何フィートも手前にいた。その瞬間、大歓声は最高潮に達した。まるで10月のプレーオフのような大騒ぎだった。
「僕も、まさかノーバウンドでくるとは、思ってなかった。」とデービスは言う。「だって、かなり深い位置からのスローだったからね。彼の送球の伸び具合といったら、全く信じられないぐらいだった。とにかく、ぶっ飛ばしたって感じだった。ランナーに勝ち目なんて、はなから全くなかった。それぐらい、大差がついていた。外野手の肩に関して言えば、彼がトップだってことは間違いないと思う。」
“ザ・スロー”は、その正確さだけでなく、その速度においても奇跡的な送球だった。レーダーガンで測定したくなるような、まるであの偉大なロベルト・クレメンテが投げたのかと思うような送球だった。
「いつもの事だよ。」とマリナーズのボブ・メルビン監督は言う。「彼以上に正確で強い肩を持った選手は、この球界には他にいないんじゃないかと私は思っている。彼が投げるたびに、あの正確さには見惚れてしまう。でも、私は、もう驚いたりはしないよ。」
まだ明るい日差しの残る春の夕方、先発投手のライアン・フランクリンがアウトを取るのに四苦八苦している中、マリナーズの勝つチャンスを繋ぎとめたのは、イチローだった。
「あれは、チーム全体に勢いをつけてくれるプレーだった。」とフランクリンは言う。「僕も、あのプレーのお陰で、凄く元気が出た。彼には『晩飯は、僕が奢るからね』って言ったんだ。」
たとえ今日のように1−3で負けたとしても、最高の守備を見せてくれるチーム、それがマリナーズだ。
2回には、ブレット・ブーンが、ゴメスの強烈なライナーを地面すれすれで捕球して、2塁でもフォースアウトを取る事に成功した。4回には、イチローがダスタン・モーアの痛烈な当たりをライトフェンス際のコーナーまで追走して、膝の高さで捕球してアウトにした。
“ザ・スロー”の直前の打席では、ジャック・ジョーンズがライトにヒットを放ち、その打球を拾い上げたイチローが、またもや完璧な送球をカット・マンのカルロス・ギーエンに向って投げた。ギーエンの1塁への送球は、塁に戻ろうとして必死にダイブするジョーンズを見事にアウトに仕留めた。
イチローのこの2つの補殺は、外野手による同一イニングでの補殺数としては、メジャーリーグ記録に並ぶものだった。
「ウチの右翼手が、またいつのもいいプレーを見せただけさ。」と、このメジャー1の外野を形成する3人のメンバーの内の1人、マイク・キャメロン中堅手が言う。「あいつは、年がら年中、あんなプレーばかりしているからね。彼のプレーは、いつでもとても正確だ。必要な場所に最短の時間でボールを送る―それを実に的確にやって見せる。それにかけては、彼は最高の選手の一人だと思う。」
負け試合においても、このチームの守備陣は最高だ。まさに「ショー」のような守備を見せてくれる。汗水たらして稼いだ金を注ぎ込んでまでも見たいと思うような守備だ。
他には何の見所もないつまらない試合にも、ピリッとスパイスを利かしてくれる、そんな守備。10月のポストシーズンにまでチームを導いてくれる、そういうプレーができる守備陣なのである―。
(以上)
連日、日替わりヒーローが出ている観のある最近のマリナーズですが、今日のヒーローは、文句なくキャメロン選手でしたネ…。そして、アメリカン・リーグNo1中堅手の座を争う二人の選手が、お互いに敬意を表しながら堂々と技を競いあう姿が、なんとも清々しくて印象的だった今日の試合でもありました…。トリビューン・ニュースから、御馴染みのラリー・ラルー氏の記事をどうぞ。(^^)
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キャメロンのスーパーキャッチ、マリナーズの士気を高揚させる
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/3173604p-3197827c.html
木曜の晩、ホームランを打ったと思ってゆっくりとベースを一周し始めていたトリー・ハンターの身の上に、奇妙な出来事が起った…。(注:1962年にブロードウェーで初演された有名なコメディー・ミュージカル“A Funny Thing Happened on the Way to the Forum”をもじった言い回し。^^;)
マイク・キャメロンが、センターのフェンス越しに手を伸ばすと、ハンターのホームランボールを掴んでフィールド側に引き戻し、1回表のミネソタの攻撃に終止符を打ってしまったのである。このプレーは、その後のシアトルの5−2の勝利に大きく貢献するプレーとなった。
ボールを掴み取ったキャメロンは、白い歯を見せて嬉しそうに笑いながら、内野に向って駆け足で戻ってきたのだが、そこにはオールスター選手のハンター中堅手が笑顔で待っていた。
「僕に向って、なんかゴチャゴチャ言ってたよ。」とキャメロンは笑いながら言う。
「泥棒(=ハンター自身のこと^^;)が、追いはぎに遭ったみたいなものだった。」とハンターはキャメロンのプレーについて言う。「僕も、今まで何人もの選手からホームランを奪ってきてたからネ。今回の事で、やっと盗られる側の気持ちが分かったよ…。今まで僕の被害に遭っていた皆さん、どうも、スミマセンでした。」
地区の首位チーム同士の対戦で、初回のたった一つのプレーがその試合の趨勢を決めるなどということは、普通はあり得ないことなのかもしれない。だが、ボブ・メルビンは、そう信じているようだった。
「あれは、相手にとってはかなり気の毒だった」とメルビンは首を横に振りながら言う。「あっちが3−0でリードするはずのところを、普通なら入らないような点が逆にウチの方に2点も入って、結果的に5点分のどんでん返しになってしまったわけだからね。」
今日の試合の決め手は、先発投手ではなかった。ジェイミー・モイヤーの出来は決して良くなく、ブラッド・ラドキーの方が勝ったとしても少しも不思議ではない状況だった。
だが、時には、そんなことも(試合の結果には)関係なくなってしまうものである…。
初回、モイヤーは災難から逃れることができたが、ラドキーは深い穴に突き落とされてしまった―。そして、そのどちらの場合でも、大きな要因となったのは、それぞれの守備陣の出来だった。
「向こうも普段はいいチームなんだけど、今晩に限っては良くなかったね。」とマーク・マクレモアは言う。「ウチの方は、大体いつもと同じで、かなりいいプレーが出来たと思う。」
ミネソタにとっての1回裏は、まるで悪夢のようだった。自分達のエラー2つと、キャメロンのタイムリー2塁打で3−0のリードをシアトルに与えてしまい、苦戦していたモイヤーが5イニングを投げぬくのを手伝う恰好になってしまったのである。
「あの最初の回で、試合が決まってしまったようなものだ。」とツインズのロン・ガーデンハイヤー監督は言う。「ウチは決めるべきプレーを決められなかったのに、彼らはキチンと決めてきた―。その差が、全てを物語っている。」
ツインズとラドキーにとっては、なんとも冴えない夜だった。自分達は決めるべきプレーを決められず、マリナーズは決めた…その結果、マリナーズが今季31個目の勝利を手中にする事になったのである。
シアトルの側には、ヒーローが沢山いた。控え選手のマクレモアはホームランを打ったし、ジョン・オルルッドは2安打と1打点を記録、そしてシゲトシ・ハセガワはまたもや2イニングを無失点で投げぬいた。
―とはいうものの、この試合の主役は、やはり最初から最後までキャメロンだった。
試合後、記者達がキャメロンのロッカーの所に行ってみると、アーサー・ローズ投手が待ち構えていた。
「そもそも、彼があのキャッチを出来たのは、ブルペンにいた俺たちが『ジャンプしろ〜!』って叫んで、彼がその通りにしたからなんだぜ。」とローズは主張する。「あんなの、たいしたことないよ。」
そう。もちろん、ローズの冗談だ。
初回にキャメロンが披露したキャッチは見応えのある派手なプレーだったが、7回裏の最後に彼がやってみせた“単独ダブルプレー”の方が、希少さの度合いからいけば、上だったかもしれない。少なくとも、キャメロンにとっては初めてのプレーだった。
7回表ワンアウト、2塁にジャック・ジョーンズを置いてクリスチャン・グーズマンがセンター前に小フライを打ち上げると、そのジョーンズがホームを目指して一気にスタートを切ってしまったのだ。
フライを捕ったキャメロンは、ダッグアウトに向って速足で駆けて来ると、途中にあった2塁ベースを自分でポンと踏んでジョーンズをアウトにしてしまった。2塁ベース上では、ブレット・ブーンがキャメロンからの送球を待っていたのに…である。
「彼には、かなりブーブー文句を言われたよ。」と再び大笑いしながらキャメロンが言う。「『僕に投げろヨ。そうすれば、お互い1個づづ捕殺が付いたのに―。1人で欲張るんじゃないよ。』って言われた。」
そう、勿論、ブーンも冗談を言っていたのだ。
外野手による“単独ダブルプレー”は、2002年4月2日にメッツの外野手ジョー・マクユーイングがピッツバーグでやって以来のことだ。
今日のモイヤーは、いつのも正確無比なコントロールを欠いており、5回で3四球を含む107球も投げていたが、これらの素晴らしい守備のお陰で、なんとか踏ん張って7勝目を挙げる事が出来た。
「かなり苦労していたね。」とダン・ウィルソン捕手はモイヤーについて言う。「本人も、そのことは真っ先に認めると思うよ。それでも、ここ一番という時には、きっちりいい球を投げていたけどね。」
それの最もいい例が、モイヤーが取ってみせた最後のアウトである。味方の3点リードで、2アウト、ランナー2人。バッターボックスに入った指名打者ボビー・キルティーに対しては、投手不利のカウント、ノーストライク3ボールになってしまっていた。
ところが、そこからモイヤーは、キルティーを三振に打ち取ってイニングをきっちりと終わらせたのである。
「とってもタフなチームだったね。打席で辛抱強く粘る選手ばかりだった。」
ジオバンニ・カラーラが1イニングを無失点に抑えたものの、腰の張りを訴えて7回の途中で降板してしまった。カラーラの代わりに出て来た長谷川は、開幕以来の絶好調さをそのまま披露してみせた。今季23試合に登板して27回と2/3を投げている長谷川は、今日の登板で防御率を0.33まで下げたのである。
「ウチは、何人かの“素晴らしい選手”と沢山の“いい選手”がいるチームだ。」とマクレモアは言う。「皆、チームの一員としてプレーしているし、コンスタントに勝つために必要な様々なプレーを、きちんとやっている。いいのは、攻撃だけじゃないし守備だけでもブルペンだけでもない―全てをひっくるめての話なんだ。ウチは、本当にいいチームだと思うよ。」
そういう噂が、今、球界中に広まりつつある―。
(以上)
地元の各メディアや選手達も、イチロー選手の“ザ・スロー”が試合の流れを変えてマリナーズを勝利へと導いた―と口を揃えて褒め称えています。その中から、特に嬉しいシアトル・ポストの記事を紹介します。(^ー^*)
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イチロー、マリナーズの攻撃に火をつける
― ジョン・ヒッキー ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/122929_mari21.html
攻撃と守備、そしてピッチングとの間に横たわる境界線を曖昧にしてしまう能力を持った野球選手など、そう滅多にいるものではない。
打者の役目は、打って得点を叩きだす事―実にはっきりとしている。投手はピッチング。相手が得点できないように精一杯努力するのが仕事だ。そして野手の仕事は守ること。そのグラブと肩で相手チームの得点を阻むのだ。
しかし、時として、特別な選手が出現して試合を支配し、それらの境界線をなにやら曖昧なものにしてしまう事がある。
イチロー・スズキは、そういった選手の一人だ。マリナーズが7−4でカンサス・シティー・ロイヤルズを破った今日の試合の8回、彼は、セーフコーフィールドの36,423人の観客が見守る前で“熱探知追尾ミサイル”のごときスロー(heat-seeking missile of a throw)を放ってマリナーズの攻撃魂に火をつけ、一気に試合の主役の座に踊り出たのである。
8回表ツーアウト、マイク・スィーニー一塁手が、ロケット弾のような一打をライトのフェンスに向けて放った。ジェフ・ネルソンから打ったその一撃は、強烈極まりない当たりだった。自分が2塁打を打ったとスィーニーが確信したとしても、何の不思議もなかった。
それを見たシアトルのダッグアウトでは、ボブ・メルビン監督が既に次の動きをどうすべきか考え始めていた。この試合で既に2本も本塁打を打っている次打者のラウル・イバニエズをネルソンに歩かさせるべきなのか、それとも左対左でアーサー・ローズを投入すべきなのか…。
一方、カンザス・シティーのダッグアウトでは、トニー・ペーニャ監督がクローザーのロブ・マクドゥーガルを用意させなくては、と思っていた。ここでロイヤルスが得点する事ができれば、カラスコが8回を投げたあとはマクドゥーガルに9回を締めてもらわなくてはならないからだ。
しかし、イチローのお陰で、どちらの監督もそれ以上頭を悩ませる必要がなくなってしまった。フェンスから跳ね返った打球を手際よく捕球したイチローは、その場でくるっと振り向くと、重力に逆らうような低くて鋭い弾道の送球を放ったのだ。
中継位置に入ったブレット・ブーンにも充分捕れるような低い送球だった。
「そんなことするわけないじゃん。」とブーンは言う。「だって、そんなことしたら、邪魔になるだけだもの。イチローが投げたんだぜ。彼なら出来ると思ったから、僕は触らなかったんだ。」
送球は、内野の土を勢いよく跳ね上げると、ショートのカルロス・ギーエンが構えたグラブに真っ直ぐに飛び込んでいった。最初から最後までずっと全力疾走だったスィーニーは、本来ならセーフになるはずだった。しかし、送球があまりにも早かったために、2塁ベースに足が届く前にギーエンにタッチされてアウトになってしまった。8回表の攻撃、終了である。
「あれは凄かった、とにかく凄かった!」とメルビンは言う。「お陰で、私は、敬遠するべきかアーサーを投入すべきかなんて、悩まずに済んでしまったよ。―それに、それだけじゃない。あのスローが、ウチの攻撃に火をつけたんだ。あのプレーの勢いが、そのまま8回裏の攻撃に繋がっていった感じだった。」
3回から7回までの間、マリナーズはたった1本のヒットしか打っていなかった。8回裏のマリナーズの攻撃は、ブーンのライトフェンス直撃の当たりから始まった。スィーニーと同様に2塁を狙って全力疾走したブーンは、スィーニーとは違って2塁を陥れることに成功した。1.90の防御率を誇る期待の新人投手カラスコがマルチネスへ投げた次の一球はヒットとなり、ブーンが生還してマリナーズは勝ち越しに成功した。マリナーズは、その後そのリードを失う事はなかった。
「ウチが得点していなければ、僕のスローが攻撃に役立ったと思うかどうかなんて質問は、きっと出なかったと思う。」とイチローは言う。「でも、あのあと、観客からエネルギーが伝わってきたのは確かだけどね。」
マリナーズの得点後、イチローはシャツを着替えるためにクラブハウスに戻った。マイク・キャメロンが2塁打を打ってもう1点追加すると、ランディー・ウィンも初球を本塁打にして更に2点を上乗せした。結果として、1つのスローが4得点を生み出したのだった。
「ついさっきまでは、相手チームの方が得点圏に走者を置いていたのに、いつの間にか、今度はウチが連打でたたみかけていたんだ―。」とキャメロンは言う。「たいしたどんでん返しだよね。」
まさに“素晴らしい”の一言に尽きる展開だった。勿論、ロイヤルズにとっては違っただろうが―。カンザス・シティーは、将来的に“いいチーム”になることを目指しているまだ発展途上の若いチームだ。かたや、シアトルは既に“いいチーム”であって、アメリカンリーグで最高の勝率(29勝15敗)をも誇っている。ロイヤルズは実戦トレーニング中のチームだが、現在5連勝中のマリナーズは、きっちりと仕事をこなしているベテランチームだ。
例えば、あの場面で、イチローは最初からスィーニーを捕殺するチャンスがあることを知りながらプレーしていた。いつも成功していたわけではないが、以前にもそういうスローを何回もしたことがあったからだ。彼にとって、学ぶ段階は既に過ぎていて、経験だけが問題になる場面だったのだ。
「2塁を見て、それから投げる…なんていう暇がないことは、最初からわかっていた。」とイチローは言う。「2塁がどこにあるかは見なくてもわかっていたから、捕球してそのまま投げたんだ。」
イチローの隣でプレーして3年目になるキャメロンは、この右翼手の繰り出すファインプレーに一々感心するのは、とうの昔に止めてしまったと言う。
「あの打球に追いつける選手は、他にも沢山いるかもしれない。」とキャメロンは言う。「でも、一番大切なのは、その場合場合に応じた正しいポジショニングを取る事なんだ。彼は、どんな場合でもちゃんと正しいポジションにつくことができる。なによりも正確さが要求されるプレーなんだけど、彼ほどそれをうまくこなせる選手は他にはいない。僕は、もう彼のプレーを見て驚く事はなくなったけど、ああいうプレーは本当にいいと思うよ。」
―そして、もちろん、ファンとして眺めているのも実にいいものだ。
(以上)
昨日、地元各紙が試合の主役として記事に取り上げたのはブーン選手でしたが、今日は、お待ちかね、イチロー選手の大活躍がクローズアップされています。(^^) シアトル・タイムスの記事よりどうぞ―。
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シアトル、イチローの3安打でスイープ達成、勝率でもAL首位に
― ボブ・シャーウィン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134766855_mari19.html
彼を、マリナーズの“5月の男”と呼んでくれ。
日米でのキャリアを通じて最悪の4月を過ごしたイチローは、5月に入って安らぎを見つけたようだ。今日のデトロイト戦で3安打を放ったイチローは、5月の月間打率を.446まで上げただけでなく、マリナーズを6−2の勝利に導いた。
先発のジョエル・ピネイロ(4勝3敗)は、不安定な立ち上がりを克服して、被安打4、失点2、与四球2、奪三振7のピッチングを披露して8回を投げ抜いた。イチローとブレット・ブーン率いる打撃陣も、連日の二桁安打を叩きだしてそのピネイロを援護した。5回に飛び出したブーンの2点本塁打が、点差を一気に広げる結果となった。
今日の3安打で、イチローの今月のここまでの安打数は29となった。これは、4月全体の安打数よりすでに2本も多い数字である。連続安打試合数も「10」に延ばした。イチローの4月の月間打率.243というのは、今月に入ってからの打率より200ポイント以上も低かったことになる。
「イチローがいったん打ち出せば、凄い事になる、と私も以前から言っていただろう?」とメルビン監督はイチローについて言う。「彼ほとの器量の打者を、そんなに長い事抑えつけておけるわけがないんだ。彼が丸々1ヶ月も苦戦したということは、そのあとに来る爆発もそれだけ大きい、ということ。最近の彼の活躍は、まさに驚異的だ。」
タイガースの左腕先発投手マイク・マロスにも、イチローの怒涛の5月を止める事は出来なかった。
「ここまであの投手は、左打者を.160に抑えてきてたのに、イチローは初対戦で2打席連続ヒットを打ってしまった。」とメルビンは言う。「左投手だろうと、右だろうと、はたまた“中間”(=middle-handers、監督のジョーク^^;)だろうと、相手投手は皆、イチローにはてこずることになると思うよ。」
試合は、イチローのライト前ヒットで始まった。続くカルロス・ギーエンは、初球、バントを失敗したが、その直後に2点本塁打を打った。これでマロスは開幕から0勝9敗になるが、これはタイガースの投手としては、1953年のテッド・グレイ以来の不名誉な記録である。
「以前よりも、速球が沢山くるようになった。」今月に入ってからイチローの後の2番を打つことが多いギーエンは言う。「相手投手は、1塁のイチローの事が気になって牽制が多くなる。そして、打席の僕に対しては、速球ばかり投げてくるんだ。」
ギーエンは、5月になって当たリが出てきたマリナーズの選手の一人で、今月の打率は、.340。ブーンは.322で、エドガーは.298で本塁打7本、ランディー・ウィンは.356で、ジェフ・シリーロも.340打っている。
しかし、マリナーズの5月の快進撃を引っ張っているのは、なんといってもイチローだ。イチローが2001年に日本からメジャーへ来てからの5月の通算打率は、.403(298打数120安打)。これは、300打席以上記録している現役メジャーリーガーの中では、最高の数字だ。
日本のオリックスで過ごした7年間でも、5月はイチローにとってはいい月だった。1994年から2000年にかけてのイチローの5月の通算打率は.371で、そのうちの3年は.400以上をマークしている。(1994年に.408、1997に.403、そして1999年には.414)
今回のクリーブランドとデトロイトへの遠征では、イチローは.518を記録している。(27打数14安打)
「今回の遠征では、イチローは毎打席、ヒットを打っていたような気がするよ。」とブーンは言う。
メルビンも言う:「彼が塁に出ると、必ず点が入るような気がする。エドガーが好調で、下位のランディーやジェフにも当たりが出てきたので、打線のどこからでも点が取れるようになった。でも、やっぱり、全てはイチローから始まるんだ。」
遠征に出る時点では、マリナーズはAL西地区の首位の座をオークランドと分け合っていた。しかし、この遠征を5勝1敗で終えた事で、今やオークランドに2ゲームの差をつけて西地区の単独首位に立っている。また、28勝15敗は、全ALでのトップの成績でもある。今月のマリナーズは11勝6敗で、チーム打率も.306だ。さらに、デーゲームでは11勝0敗で、日曜の試合でも7勝0敗だ。
一昨年首位打者だったイチローの打率は、.318まで上昇してきたが、彼に言わせれば、「変わったのは暦の月だけ」なんだそうだ。
「打線の誰かが当たってくると、他の選手も一緒に調子を上げやすくなるものだ。」と彼は言う。
最初から2点のリードを貰ってマウンドに立ったピネイロだったが、立ち上がりは良くなかった。1回裏、ラモン・サンティアゴにワンアウトから四球を与えると、ボビー・ヒギンソンには初球のスライダーを右翼のブルペンに叩き込まれて2-2の同点にされてしまった。
「この前、左打者に対してスライダーを投げた時も、ホルヘ・ポサダにホームランにされてしまった。」とピネイロは言う。「もう当分、そういうこと(=左打者にスライダーを投げること)はしないようにするよ。」
その後、ピネイロも落ち着き、続く14打者のうち13人を打ち取っている。6回裏には、ツーアウトからディミトリ・ヤングとカルロス・ペーニャに連続安打を許してちょっとしたピンチを招いたが、後続のクレグ・モンローを三振に討ち取ってなんとか切り抜けた。
「今日のツーシーム・ファーストボールは、今年に入ってからでは最高の出来だった。」とピネイロは言う。「全部、ストライクゾーン低目に決めることができた。だから、あれだけゴロのアウトが多かったんだ。」
ゴロでのアウトを8つも取ったピネイロについて、メルビンは、「今日は最高の出来だった。ああいうピネイロを、我々は見たかったんだ。」と評価している。
5回には、ブーンがマロスのノーストライク・ワンボールからの一球を捉えて左翼フェンス越えの2点本塁打にし、マリナーズのリードを6−2と広げた。この2試合で、ブーンは左翼の同じ場所に3本の本塁打を叩き込んでいる。ここは、今シーズンからフェンスを手前に移動した場所である。
「遠征に出てからずっと、チーム全体としてよく打てるようになった。」とブーンは言う。
その中でも、ずば抜けて打っているのはイチローだ。
「彼は、4月にもバットに当ててはいたんだが、全部人のいる所に飛んでしまっていた。でも、今は、誰もいないところに打球が飛ぶようになった。」とラマ―・ジョンソン打撃コーチは言う。「試合の序盤にリードを奪ってくれる、それがイチローだ。先制点が取れれば、それだけ相手にプレッシャーをかけることができる。そういう意味で、彼はとても重要な選手。彼が攻撃の要なんだ。あと5ヶ月、ずっとこういう活躍をお願いしたいね。」
(以上)
今日の試合について、マリナーズ公式HPの記事より抜粋です。中断中、選手達はテレビで他の試合を観て時間を過ごし、メルビン監督はずっと“お天気チャンネル”を観ていたんだそうです。これによると、もう少しで中止になるところだったんですね〜。危ないアブナイ…。^^;
マリナーズ、長く冷たい待ち時間も報われる
― ジム・ストリート ― http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_gameday_recap.jsp?ymd=20030516&content_id=322707&vkey=recap&fext=.jsp
AL中部地区におけるマリナーズの快進撃は、木曜の夜(途中で金曜の朝になってしまったが―)も続いた。中西部の土砂降り天気ですら、彼らを止める事は出来なかった。
エドガー・マルチネスは、試合が雨によって2時間28分も中断される前に3点本塁打を放ち、雨がやんだ後には犠牲フライを決めて、マリナーズを9−1の勝利へと導いた。
「規則がそうなっているのは知ってはいるけど、もし7−0で勝っているあの状態で試合が流れてしまっていたら、かなりやりきれない気分になるところだった。」とボブ・メルビン監督は言う。「散々待ったけど、勝ちをものにできて本当に良かった。」
対インディアンス3連戦の最終戦は、4回表のマリナーズの攻撃中に中断された。5回が終了するまでは、試合は成立したことにはならない。(ただし、ホームチームが勝っている場合には、5回表が終了していれば試合は成立する。)というわけで、マリナーズは、通常よりはずっと長い待ち時間を耐えなくてはならなかったのである。
審判団は、たいていは1時間待ってから、悪天候による試合中止を決断する。
「9時半頃は、かなり危なかったんだ。」とメルビンは言う。「その時点では、審判団は、ほとんど試合中止の方向に傾いていたらしい。でも、我々が審判団に話に行った時、気象レーダーの映像から雨が上がる可能性がまだ微かに残っていることがわかって、あと20分だけ待ってみることに決まったんだ。結果的にその判断が正しくて、試合を再開して最後までプレーする事が出来たわけさ。」
(中略)
試合再開後、右のリリーフ投手のジオバンニ・カラーラが完璧な1イニングと危なっかしい2イニングを投げて、今季2勝目を挙げた。彼は、4回の1死1塁3塁のピンチと5回の満塁のピンチを何とか切り抜けた後、6回にはパーフェクトなピッチングをしてみせたのである。先週までは、4試合続けて1点以上の失点を喫していたカラーラだが、その後もちなおし、今日の登板で連続無失点イニング数を6まで伸ばした。勝利はカラーラに付いたが、フランクリンも十分に勝利投手に値する働きをした。
「本当は、再開後も自分が投げたかったんだ。」とフランクリンは言う。中断中の最初の1時間、彼はダッグアウトに残って、試合が再開されるのをずっと待っていたのだそうだ。「コーチたちに、1時間半以上たったら絶対ダメだって言われてたんだ。その1時間半にしたって、本当はかなり無茶な数字だってことは分かっていたんだけどね…。」
あれだけ長い中断の後にフランクリンをもう一回投げさせるのは、とんでもないことだった、とメルビンは言う。
「いくら強靭な肩の持ち主でも、あれだけ長く休んだ後に投げさせるようなことは出来ないよ。」とメルビンは言う。「彼も投げたかったに違いないけど、そんな危険を冒す事はできなかった。彼は、うちにとって貴重な選手だからね。」
フランクリンもガッカリしたと言う。「今日は、ものすごく調子が良かったんだ。今までのどの試合よりも速球のコントロールが良かったのに、たった41球しか投げられなかった…。」
雨が激しく降りだす前に、マリナーズはインディアンスの先発投手ジェイク・ウェストブルックから大量得点を挙げていた。
初回には、ヒットのイチロー・スズキとフルカウントから四球を選んだカルロス・ギーエンを塁に置いて、マルチネスが今季9本目となる本塁打を右翼席に打ちこんでシアトルにアッというまに3点のリードを与えた。マイク・キャメロンも2塁打を打って貢献したが、続くランディー・ウィンが見逃しの三振に倒れたためそのまま塁上に取り残されてしまった。
「僕も試合が中止にならないで欲しいと思っていたけど、他の皆も同じ思いだった。」とマルチネスは言う。「大差で勝っていたし、3点本塁打なんてそんなにしょっちゅう打てるわけじゃないからね。2安打と3打点が無駄にならなくて良かった。雨が降り始めたときは、ほんとにイヤな感じがしたんだけどね…」・・・(以下略)m(__)m
―というわけで、今日の試合について、シアトル・タイムスから…。^^;
シアトル、クリーブランドを打ちのめす
― ボブ・シャーウィン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134731202_mari14.html
なぜこうなったのか、誰にもその理由は分からない。気分が変わったせいなのか、気候が良くなったせいか、はたまた、誰かが何か特別なスイッチでも入れたのか―。いずれにせよ、何かがマリナーズの攻撃陣に起ったのは確かである。
打線の活性化を狙って先週導入された新打順は、今日のクリーブランド戦で17安打を叩き出し、8―3の逆転勝利をマリナーズにもたらした。4回までに84球を投げて12人の走者を塁に出した先発のジョエル・ピネイロは、なんとか6回まで持ちこたえて勝ち投手となった。(3勝3敗)
彼の勝利は、イチローの今季初の4安打、ジェフ・シリーロの3安打、そして、カルロス・ギーエン、ジョン・オルルッド、マイク・キャメロン、ランディー・ウィンがそれぞれ打った2安打に助けられたものだった。これでマリナーズは、5月に入ってから11試合のうち7試合を勝ったことになり、依然としてAL西地区の首位の座をオークランドとともにキープしている。
メルビン監督の打線組み替えは、いまのところ、打線の強力化に効果を発揮したように見える。昨年、アリゾナのボブ・ブレンリー監督が141種類もの打線を試すのをベンチコーチとして間近で見てきたメルビンは、5月2日には、ランディー・ウィンを2番から動かすことを決断した。今季に入ってからの最低打率.245を当時打っていたウィンを、ジェフ・シリーロの前の7番に移したのだ。イチローの後の2番には、かわりにカルロス・ギーエンをもってきた。
7番に下がってからのウィンは、8試合で2塁打3本、3塁打1本、本塁打1本を含む打率.419(31打数13安打)を記録しており、打点も8点挙げている。そのうちの6試合では、シリーロが8番に入り、打率.391(23打数9安打)を記録している。打線組み替え後のイチローの打率は.436(39打数17安打)で、2番に入ったギーエンの打率は.389(18打数7安打)である。
“フォー・カード”より“ツー・ペア”の方が強いこともある…という一つの例かもしれない。
「今は、いろんなことを試そうとしている段階なんだ。」とメルビンは言う。「(打線の組み替えで)選手達の気分がかわるだけでも、何かいい効果があるかもしれないしね。理想としては、打順のトップに足の速い選手を集めたいところだ。でも、それが意味を持つのも初回だけの話で、それ以降は、実はあまり関係ないんだよね。ランディーが回の先頭打者になる時もあるわけで、そういう時は、ジェフが2番打者としてピッタリくる。今は、1番2番、7番8番のコンビネーションが非常に上手くいっている状態だ。打線全体としても、とてもよく打っている。今までより、ずっとバランスが良くなったと思う。どの回からでも、点を取れる打線になった。」
ただ、選手達自身は、“組み合わせの妙”というよりも“単なる偶然の産物”と思っているようだ。
「確かに、キャメロンとウィンが前にいるって言うのは気に入っているよ。なんか、いい具合なんだ。」とシリーロは言う。「でも、別に、なにか特別な“魔法”が働いているわけじゃない。全くの偶然さ。今月に入って新打線になってから、皆、良く打つようになった―ただそれだけさ。カルロスが2番で当たってるけど、それも、彼が一生懸命やっているからだ。」
実際、月が変わってから、様々ないい変化が現れている。月初めには.171だったシリーロの打率は、いまや72ポイント上がって.243だ。ウィンも、打率.245から.295へ上昇した。イチローは.243から.299へ打率を急上昇させ、ギーエンも打率.272から.309へと上がった。
「僕がずっと打てなかったもんだから、監督が僕の打順を変えたんだ。打ち方にちょっとした問題があったんだと思う。」とウィンは言う。「今はだいぶ良くなってきた。ヒットもどんどん出るようになってきたしね。ま、でも、確かに新しい打線はいいみたいだ。チームにとっていいことなら、僕は7番でも全然構わないよ。ちょっと違う場所に移ったってだけなんだから。僕が前にいるせいでジェフに沢山速球が来るようなら、それはそれでよかったと思うし―。(自分がもっと出塁して)これからもそうなるように頑張るよ。」
この新打線にとって、今日の試合の4回は、まさに試合をひっくり返すような“打撃練習”となった。相手に2−3とリードを許して臨んだその回、マリナーズは相手先発投手のブライアン・アンダーソンから、もう少しでチームとしての“サイクルヒット”を打つところだった。先頭打者のジョン・オルルッドがシングルを、キャメロンが2塁打を、そしてウィンが3塁打を放って2点を叩き出したのである。続くシリーロがヒットを打ってウィンを還すと、今度はイチローがライトへ2塁打を打ってシリーロを還し、6−3とリードを奪った。
「何も変わってはいない。変わったのは、結果だけだ。」と4月3日以来、3割をマークしていないイチローは言う。「チームにいい影響を及ぼせる打席にできれば、僕としても嬉しい。」
1回には、エドガー・マルチネスが2点を叩きだすシングルをレフトに打って、マリナーズに2−0のリードをもたらした。それは、マルチネスがアンダーソンから打った通算15本目の安打だった。アンダーソンに対するマルチネスの通算成績は、2塁打4本、本塁打3本、7打点、打率.565(27打数15安打)である。
決して本調子ではなかったピネイロは、2回に5安打3得点をインディアンスに許して、1回に得たリードを吐き出してしまった。しかし、その後巡ってきた3回のピンチは、ダブルプレーの助けを借りてなんとか切り抜けることに成功した。
「今日の彼は、苦しんでいた。いつものいい速球がなかったんだ。」とメルビンは言う。「あの状態で6回まで投げぬいたのは、ほとんど奇跡に近い。彼の精神力の強さ、芯の強さを見た気がしたよ。」
ピネイロ曰く:「ある試合で調子がいいと思うと、次の試合はダメだったりする―。今日は大苦戦だった。とにかく、懸命に踏ん張って、頑張り抜くしかなかったんだ。」
4回には攻撃陣が4点をもぎ取ってピネイロを助け、5回にはさらにウィンとシリーロが連打して2点を追加した。
「ボブ(メルビン監督)には、『僕は1割8分打者なんかじゃない』って、ずっと言い続けてきたんだ。そして、次には『2割打者なんかじゃない』と言ってきたし、その次は『2割9厘打者じゃない』、『2割2分打者なんかじゃない』とも言いつづけてきた―。」とシリーロは言う。「そして、今日は、『僕は2割4分打者なんかじゃない』と彼に言うつもりでいる。」
(以上)
昨日の試合で、オルルッド選手の代わりに久しぶりに1塁で先発出場を果たし、移籍後初の本塁打を打ったコルブラン選手…。
昨年のマリナーズは、控えの層が薄かったため、序盤はエドガー選手の怪我による欠場に慌て、終盤の数週間は、股関節を痛めたせいで走ることも守備で踏ん張る事も満足にできないオルルッド選手に必要な休養を与える事すら出来ませんでした。今年のオフにベンチの右の切り札として迎えられたコルブラン選手は、まさに昨年のその“ベンチの空白”を埋めるための選手になるはずでした。ところが、今年はチームにとっては幸いな事に、エドガー選手もオルルッド選手も絶好調なため、1塁とDHしかできないコルブラン選手の出場機会をなかなか捻出できない…という新たな“悩み”に直面している次第です。
シーズンが始まってだいぶ経ってから、初めてテレビでバッターボックスに立つ実際のコルブラン選手を見たのですが、「実績のあるベテラン控え選手」という事前の評判から想像していたよりも、ずっと線が細くて神経質そうな選手だったことに、ちょっと意外な思いを抱いたことを覚えています。アリゾナでは、立派な実績を誇り、選手仲間からもファンからも絶大な信頼を得ていた選手だったのに、マリナーズに来てからは出場機会が極端に少ない事が災いして、まだチームに完全に馴染んでいないのかもしれない…とその時思ったものでした。ちょっと不器用そうな、そんなコルブラン選手が打席に立つ度に、思わず(ガンバレ…!)と心の中で念じて、一緒に緊張してしまう近頃の私です…。^^;(昨日の試合でも、慣れないセーフコーでの守備で、風に流された1塁線沿いのファールフライを転びながらもなんとか獲った時には、思わずホ〜ッと大きな安堵の溜息が出てしまいました〜。^^)
以下は、そんなコルブラン選手を取り上げたシアトル・タイムスのコラム記事です…。
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コルブラン問題:彼にもっと打つチャンスを―
― スティーブ・ケリー ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134718811_kell12.html
冬に考えた時は、その案は完璧だった。まるでローレックスの時計のように信頼度が高くてプロ意識の固まりのようなグレグ・コルブランを獲得しておき、シーズンが始まれば、適当なチャンスが巡ってくるたびに彼に打たせる―。コルブランのような右打者を獲得しておけば、ジョン・オルルッドと極端に相性の悪い左投手が相手先発の時には、オルルッドをスタメンから外す事ができるし、40歳のDH、エドガー・マルチネスにも休みを与える事ができるだろう。
コルブランと契約した1月には、その案は上手くいくように見えた。しかし、5月になって、今年もまたオークランドとの長く熾烈な優勝戦いが避けられそうもない状況になってきてみると、考え方も変わってくるというものだ。
―要するに「場所」の問題なのである。
ファーストというポジションをあれだけ完璧に守るオルルッドがいるのに、いったいどこにコルブランのプレーする場所を見つければいいのだろう?そして、まるで時計を巻き戻して30歳に戻ってしまったかのように活き活きとバットを振っているマルチネスを差し置いて、DHとしてコルブランを出場させることはいいことなのか―?
どの1勝もおろそかに出来そうもない今、果たして監督は、チームのオールスター選手たちを休ませる事などできるものなのだろうか…?
シーズン前、コルブランを獲得してくれるようにマリナーズの首脳陣にかけあったのは、新監督のボブ・メルビン自身だった。過去2年間をアリゾナでコルブランと一緒に過ごした経験から、彼の打撃がいかに素晴らしいか良く知っていたからだ。また、彼のために充分な出場機会も確保できると、当時のメルビンは信じていたのだ。
だが、いざシーズンが始まってみると、そうはいかなかった。
「エドガーを打線から外す…これは、簡単な事ではない。」昨日のシカゴ戦での7ー2の勝利の後でメルビンは言う。「ジョンを外すのも、同様に難しい。シーズン前に考えていた時は、彼らにたまの休みを与えるなんて、簡単に思えたんだ。だが、現実はそうではなかった。グレッグにとっては、とても厳しい状況だと思うのに、彼は立派に耐えてくれている。でも、彼にはなんとかして、もっと打数を確保してやらなくてはならない。シーズンが終わる頃には、彼の存在はこのチームにとって欠かせないものになっているはずなのだから。」
打撃練習で本番の試合さながらの状況を作り出す事は無理だ。バッティング投手には、緩急を駆使したピッチングなどできない。まるでコブラのようにのたくる速球だって投げられはしない。実際の試合で打者にかかるプレッシャーを再現することも不可能だ。“午後5時の野球”(注:打撃練習の時間)と“午後7時7分の野球”とでは、まるっきり違うものなのだ。
しかし、コルブランにとっては、時間外の特打ち練習しか、自身の調子を維持する術はここまでなかった。
「打撃練習じゃ、試合の代わりにはならないさ。」とマイク・キャメロンは言う。「実際の試合では、何もかもが変わってしまうからね。」
アメリカン・リーグで迎える初めてのシーズンの最初の6週間、、コルブランは可能な限りの特打ちを行った。そして、試合ではベンチにずっと座って、マルチネスが強烈な当たりを連発するのを、そして、オルルッドが外野にラインドライブの2塁打を放つかたわら守備では難しいショートバウンドの送球を柔らかなグラブ捌きで拾いまくるのを、ひたすら見つめていたのだ。
「彼の仕事は、このゲームの中で最も大変なものの一つだと思う。」とマルチネスは言う。「いざ打席に立った時に慌てないように、ベンチにいながら、いろんな変化球やチェンジアップを何回も何回も見て、覚えておかなくてはならない。打撃練習では、そういうものにはお目にかかれないからね。凄く大変な事なのに、彼はとってもよくやっていると思う。」
土曜の夕方、メルビンは、翌日のデーゲームに1塁スタメンで出すつもりでいる事をコルブランに告げた。ナイトゲームのあとのデーゲームということで、オルルッドを休ませるにはピッタリの状況だと思ったからだ。
―そして、その試合の3回、コルブランは見事に監督の期待に答えて、今年初の本塁打を放った。それは、ふわっと高く舞い上がった当たりで、ジャンプするカルロス・リー外野手の差し出したグラブの先を通り過ぎ、ギリギリでフェンスの向こう側へ落ちた。コルブランにとっては、今季5本目の安打であり2個目の打点でもあった。
メルビンがコルブランを欲しがったのは、まさにこういうことのためだった。シーズン前、メルビンは、マリナーズにはもっと層が厚く攻撃力のある控えが必要な事がわかっていた。彼は、コルブランの中に、こういうちょっとした特別な事をやってのける名脇役としての才能を見出していたのである。
「―そりゃあ、ここまで、かなりキツかったよ。」とコルブランは言う。昨日の試合前までに、彼は25回しか打席に立ったことがなかったのだ。「このチームに来てから、まだ、試合ではほとんどバットを振ったことがなかったからね…。でも、こういう仕事はもう何年もやってきているから、自分にできることと言えば、一生懸命練習すること、忍耐強く待つこと、そして前向きな姿勢を保ち続けることしかないというのは、よくわかっているんだ。」
コルブランの経歴を見れば、彼が結果を出せる選手であることは明白だ。昨年、彼は171打席で打率.333と10本塁打を記録している。1999年には打率.326、2000年には.313、そしてアリゾナがワールドシリーズを制覇した2001年には.289を打っている。地区優勝決定シリーズには5回、ナショナル・リーグ優勝決定シリーズには3回、そしてワールド・シリーズには1回の出場経験がある。
「彼が打てる選手だということは、皆知っている。」とキャメロンは言う。「彼は、今までずっとそうやってきた選手なんだからね。」
コルブランの12年間のメジャーリーグ生活での通算打率は、.291である。だが、もし、1年間フル出場して550打席ほどもらえることがあるとしたら、どうなるのだろう?…と、彼自身も考える事がある。彼が最後にレギュラーとして1年を通してプレーしたのは、1996年のフロリダ在籍時代で、その時は511打席で打率.286、16本塁打を記録している。
「勿論、そんな事を考える事もあるさ。」と33歳のコルブランは言う。「どんな選手でも、レギュラーではなく、“控え選手”とか“ユティリティー・プレーヤー”とか“代打要員”とか呼ばれることに甘んじていてはダメだ。そう呼ばれることに満足してしまうことは、自分自身を安売りする事だと僕は思っている。それが自分に与えられた役目だから受け入れることはあっても、決して気に入るということはない。」
「エドガーやジョンが、それぞれのポジションでメジャー最高の選手の1人である事は、僕も良く分かっている。だから、ここでの僕の仕事は、自分にチャンスが与えられた時に、チームの勝利に貢献する事なんだ。」
コルブランは、メルビンのポスト・シーズン進出を助けることができる選手だ。だから、今メルビンがすべき事は、ただ自分の直感と選手達を信じる事…なのである。冬の間に彼が考えたプランは、この夏、きっと役に立つに違いないのだから。
(以上)
下記は、下のスレッドで、なかなかさんが紹介してくださったイチロー選手のスランプに関する記事です。最近、イチロー選手のスランプを取り上げる記事は、他にもいくつかありましたが、それらには皆、程度の差こそあれ、小さな棘のようなものが感じられ訳す気にはなれませんでした…。でも、今回のラルー記者の記事は、イチロー選手に対する視線がとても暖かく、同僚の選手達の言葉などもあって、読んでいると希望が湧いてくるような気がしたので、訳してみようと思った次第です…。急いだため、日本語の文章の練れていないところやつながりがスムーズでないところも沢山あると思いますが、寛大な目で読んでいただければ、幸いです…。m(__)m
イチローのスランプ
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/3072575p-3095787c.html
野球という話題に関して言えば、人間は、はっきりと二つのグループに分けることができる気がする。
片方のグループにはファンとマスコミが、そしてもう片方には、実際にメジャーでプレーしている選手達、コーチ陣、そしてスカウト業に携わっている人間たちが入る。
最初のグループは、『数字は嘘をつかない』と固く信じている。
後者のグループにはもう少し分別があって、『数字というのは、絶えず嘘をつくものである』と言う事を知っているのだ。それも、実に容赦なく、良心のカケラもなく嘘をつく、ということを―。
「僕は、1991年には、打率が.363もあったけど、オールスターには選ばれなかった。」とジョン・オルルッドは言う。「2年後、今度はオールスター休み前の打率が.247かなんかで、周りは、もうオルルッドは終わりだと言っていた。それなのに、僕はその年のオールスター・チームに選ばれた。そして、一番不思議だったのは、この間、僕のスイングは何一つ変わっていなかった…っていうことなんだ。」
…というオルルッドの言葉が出たところで、話を、イチローと先に述べた二つのグループのところに戻そう。初歩的な算数が少しでもできるファンやマスコミにとっては、イチローは間違いなく深く重大なスランプに落ち込んでいるように見えるはずだ。
数字を確かめてみるといい。イチローがマリナーズに来た最初の264試合では、彼は.355打ち、アメリカン・リーグのMVPを獲得し、新人王も獲り、最初のグループ(ファンとマスコミ)の理性とハートを全米レベルでガッチリと掴んでしまっていた。
しかし、最近のマリナーズの91試合―昨年の7月25日から始まる365打席―では、彼は.255しか打っていない。
イチローに一体何が起ったのか?そして、どうすれば修正することができるのか…?
この質問に対して第2のグループ(選手、コーチ、スカウト、etc)が出す答えは、多分、最初のグループにとっては、なんの慰めにもならないだろう:
『たいした事は別に何も起っていない。』
ここで、4月から今回のNYとシカゴの遠征にいたるまで、ずっとマリナーズを追い続けてきたあるAL西地区のスカウトの話を聞いてみて欲しい:
「シアトルと対戦するチームは、どこもイチローの事を軽く見たりはしてないよ。」とそのスカウトは言う。「彼は、マリナーズの中での要注意人物というだけでなく、間違いなく、リーグの中でも、最も警戒すべき選手の一人なんだ。彼に痛い目に合わされずに連戦を切り抜けられれば、それはすごくラッキーなことだよ。」
そして、タンパベイの監督、ルー・ピネラは、次のように語る。彼は昨年シアトルにいて、前期に.357打ちながら、後期は.280(9月だけでは.248)しか打てなかったイチローの様子を間近で見てきた人物である。
「彼のスイングにしても野球への取り組み方にしても、昨年前半と後半では、なんら変わった点は見つけられなかった。私も、一生懸命探しはしたんだけどね…。」とピネラは言う。「彼の後半の落ち込みに関しては、私自身に責任があると、私は思っている。控え選手の層が薄かったせいで、彼を使い過ぎてしまった。わかってはいたんだが、彼をラインアップから外すわけにはいかなかった。」
イチローも含めて、野球人で数字を無視する者はいない。
「僕の数字がどうなっているかは知っている。」とイチローは言う。「自分としても、現状に満足はしていない。すべてはアプローチの仕方の問題で、いいアプローチができなければ、いい結果は得られない。ルーや他の人たちが言っている事も良く分かるけど、彼らは、起きてしまっていることを説明しようとしているだけなんだと思う。彼らは、第三者として外から見ているに過ぎない。」
第三者の目から見て、いったいイチローのどこが悪いというのか―?この質問に関しては、諸説紛紛である。
まず、「イチロー疲労困憊(こんぱい)説」がある。次に「“相手投手達が既にイチロー対策を完成させてしまった”説」があり、「“イチローは、自分が広げ過ぎてしまったストライクゾーンのせいで苦労している”説」もあるのだ。
これらを、一つ一つ検証してみよう:
(1)「イチロー疲労困憊(こんぱい)説」
これは、決して軽視できる説ではない。日本でのイチローは、1シーズンで135試合以上プレーした経験がなく、渡米する前の2年間の打席総数は806だった。
一方、マリナーズへ来てからの最初の2年間のイチローは、314試合の公式戦に出場し、合計1,389回打席に立っている。
さらには、移動距離の違いを考慮に入れなくてはならない。日本では、チームの移動のほとんどは、飛行機で1時間以内だった。かたやシアトルでは、1シーズンに5万マイル近くも飛行機で飛ばなくてはならない。
「正直に言えば、マスコミが彼をすり減らしているんじゃないかと思ったこともある。」と、あるAL中部地区のスカウトは言う。「過去3年間で彼が耐えなくてはならなかったほどのマスコミ攻勢を経験したメジャーリーガーは、未だかつていないんじゃないかと思うほどだ。日本のマスコミは、チームではなく、彼1人だけを絶えず追いかけまわしているわけだからね。」
ボブ・メルビン監督は、今年はイチローがシーズンを通して元気でいられるように気をつけており、既に31試合中の2試合でスタメンから外す措置をとっている。
それに対するイチローの反応は?
「マスコミはよく僕に、『疲れているのでは?』と訊いてくる。」とイチローは微笑みながら言う。「でも、話はいつもそこで終わってしまうんだ。僕は、毎シーズン、全試合プレーするつもりで準備しているわけだからね。」
(2)「“相手投手達が既にイチロー対策を完成させてしまった”説」
イチローの今シーズン開始時のメジャーでの通算打率は.336だが、対オークランド・アスレチックスに限っては.278だった。一体どうやって…?
「我々は、彼に対して内角高目や外角高目を衝いて、パワーで圧倒するようにしたんだ。」と、あるオークランドのスカウトは言う。「この方法も、球界内では、いまや秘密でもなんでもなくなってしまった。最近では、他のチームも同じことをやり始めている。ただ、これには、問題が二つある。一つは、イチローは必ず対応してくる、という事だ。彼ほどのバッターなら、対応してこないわけがない。」
―では、もう一つの問題とは?
「ティム・ハドソンやバリー・ジトーやマーク・マルダーだからこそ、内角高目を効果的に攻められるんだ。」とスカウトは笑いながら言う。「他の並みの投手達が同じことをやったら、痛い目に遭う可能性の方が高い。」
ブレット・ブーンにイチローの今季の成績について訊いてみたところ、バカバカしいと言わんばかりに鼻を鳴らされてしまった。―そう、鼻を、だ。
「誰だって、調子の出ない事はある。誰だって、短期間のスランプや、シーズンの前半や後半のスランプや、一年を通して続くスランプなんかを経験するものだ。」とブーンは言う。「1997年には、僕の打率は.223だった。もうお前は終わりだって、周りから言われたさ。昨年の前半は、.229だ。こういうのを“スランプ”って言うんだよ。普通の選手の場合は、打てないとなると打率は.180ぐらいになる。イチローの場合は、打てなくても.260だ。イチローの最初のシーズン後、相手チームは、どこもイチローを封じ込めるために最大限の努力をしてきた。彼は、それほど大きな存在なんだ。どこも、彼に対するピッチングの仕方や守備の仕方を、全部変えてきた。」
ブーンは、それらを全部見てきたし、それらに対するイチローの対応の仕方も見てきた。
「彼は素晴らしい打者だし、とても賢い打者でもある。」とブーンは言う。「今シーズンのここまでを見て欲しい。うちのチームは、そうだなぁ、15試合ぐらいをオークランド、アナハイムやニューヨーク相手に戦ってきたんだっけ…?ハドソン、マルダーやムッシーナ、ぺッティットやクレメンスという連中とそれだけ対戦してみてごらん。それを1ヶ月やったら、打率がいったいどういうことになるか―。」
それに対するイチローの返答:
「日本でもこういう時期はあった。ファンやマスコミの反応も一緒だった。最初の頃は、僕も結構そういうことを気にしていたけど、今では、彼らはそういうことを結構楽しみながら言っていて、僕が反応するのを待っているんだ―と思うようになった。僕は、決していらついた態度を表に出したりはしない。フラストレーションを感じる事は勿論あるけど、だからと言って、バットや椅子にあたってもしかたがないだろう?そういう物が悪いわけではないんだから…。もし、何かするとしたら、僕は自分自身の顔を叩くと思う。…もう、叩いたかって?いや、まだだ。」
(3)「“イチローは、自分が広げ過ぎてしまったストライクゾーンのせいで苦労している”説」
典型的な“悪球打ち”打者であるイチローにとって、ヒットを打つためには、ボールがストライクゾーンにある必要は全くない。本来観察力に優れている生き物である投手陣は、その事に気付いたのである。
「私が思うに、イチローは、自身のストライクゾーンを、少しばかり広げ過ぎてしまったんじゃないかと思うんだ。特に上下方向にね。」とパット・ギリックGMは言う。「もう少し打つ球を選んだほうがいいと思う。どんな球でも振る打者だということが球界中に知れ渡ってしまったために、相手がストライクを投げてこなくなってしまったんだ。」
「彼が調整できると思うかって…?彼は、既に調整してきていると思うよ。こういうことは、言うほどには簡単ではないものだ。」
―ギリックは、イチローの事を心配しているのだろうか?
「いや、全く。」とギリックは言う。「これっぽっちも心配なんかしてはいないよ。」
イチローの返答:「僕のストライクゾーンは、他の選手のとは同じではないかもしれない。でも、カウントで追い込まれてでもない限り、自分のゾーン外の球を振ることはないと思う。追い込まれてしまったあとは、見逃してストライクにコールされないために、振ることはあるけどね。」
勿論、他にもいろんな説がある。日本では、マスコミが心配しており、スポーツニュース番組などでは、ひっきりなしにイチローの状態の説明が行われ、いろんな対策法が紹介されている。
イチローが絶対『するまい』と思っていること―それは、この騒動に自らも加わってしまうことである。
「簡単な説明があるのかどうかも、定かではない。自分の成績がどうなっているかは、僕も十分に承知している。僕自身も答えを模索しているところなんだ。打撃というのは複雑なものだから、自分がどんなことをしているのかは、詳しく説明する事は無理だ。」と彼は言う。
「ファンの人たちに対して、何て言うのかって…?僕が言えることは何もない。これが僕の流儀。何を言っても言い訳のようになってしまうだろうし、僕は、絶対に言い訳をするつもりはない。そういうことは、僕の流儀に反することだから。」
オルルッドは、イチローの気持ちが分かるという。
「僕だって、1993年の自分のどこが悪かったのかは説明できないし、多分、イチローだって、どこが今までとどう違うのか説明できないと思うよ。―何か違うところがあったとしたらの話だけどね…。」
首位打者を2回経験し、選手生命を長く維持する事に関しては専門家ともいえるエドガー・マルチネスも、イチローに加担する。
「周りの人たちは、僕たちが過去にやってきたことと同じことをするのを期待するものだけど、たいていの場合は、その期待通りになるものだ。」とマルチネスは言う。「でも、これだけ長い事、毎日毎日プレーしていれば、誰にだって絶好調の時期もあれば、逆にベストのプレーが出来ない時期もある。それは、気候のせいだったり、相手のいいピッチングやいい守備のせいだったりもする。…そうこうしているうちに、“あいつのここが悪い”とか“あそこが悪い”とか言っている周りの声が聞こえてくるようになる。すると、自分でも、そうなのかなぁ…と思うようになってくるんだ。」
ここで再び、ピネラに登場してもらおう:「現役時代の私は、、かなりコンスタントに打てる打者だったけど、そんな私でも、『自分は、もう2度とヒットなんか打てないんだ』と確信しながら打席に立つような、長いスランプを何回も経験した。この競技では、選手は、そういうギリギリの精神状態に追い込まれたりするもんなんだ。―そうしているうちに、ある日突然何かがピタリとはまると、今度は一気に絶好調になって、『誰も、自分をアウトになんかできっこない!』と思えるようになる…。ベースボールは、決して楽な競技ではない。偉大な選手をはたから見ていると、簡単にやっているように見えるかもしれない。でも、そんな事は決してないんだ。打撃はいつだって難しいものだ。どんな偉大な選手にとってもね…。」
先のAL西地区のスカウトに、はたしてALの各チームは、本当にイチローを抑え込む事に成功したのかどうか、訊いてみた。
「イチローは、その気になりさえすれば、バントだけでも.275打てる選手なんだぜ。」と彼は言う。「毎日でもバントで塁に出ることができるんだ。彼ほど多才な選手を、完全に抑え込む事なんて、できるわけがない。」
―それならば、なぜイチローは、もっとバントをしないのだろうか?
「もっと自己中心的な選手なら、打率をあげるためにそうしたかもしれない。」と彼は言う。「でも、イチローは、チーム・プレーヤーだ。チームのためには、外野へ抜ける打球を打って走者を還したほうがいいこと、バントではそれはできないことを、彼は良く知っているんだよ。」
東洋的な物の考え方をするイチローは、今回のことに関する独自のはっきりとした見方を持っている。
「僕は、この経験から学ぶ事ができると思っている。今回の事は、全部ちゃんと覚えているつもりだ…どういう風に感じたか、どういう過程を経たかなど、全部をね。そうすれば、将来、同じような事が起った時、今度はもっと対処しやすくなる。全ては、今後の自分の糧になるはず、と僕は思っているんだ。」
(以上)
久しぶりにイチロー選手の活躍があちこちで取り上げられ、ファンとしては嬉しい限りです。(^○^) 下記は、シアトル・タイムスの記事から…。(^^)
マリナーズ、シカゴで君臨す
― ボブ・フィニガン ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134689325_mari05.html
ほぼ四半世紀振りにこの都市でスィープを成し遂げたマリナーズは、シカゴ・ホワイトソックスを下しただけでなく、“母なる自然”にも打ち克ったのだった。
大粒の雨が降り注ぎ、遠くで稲妻が光る中、ギル・メッシュが5回裏の最後のアウトを取り、5−1でマリナーズがリードしている状況で試合を成立させた。マリナーズの得点は、イチロー、マルチネスとウィンがそれぞれ打ったソロホームランと、マルチネスが打った2点単打によるものだった。
マイク・キャメロンが、5回の最終アウトとなる飛球を捕球したほんの3分後、アンパイアーが雨避けシートを敷くように命じた。
68分間の中断後にコールド・ゲームが宣言され、マリナーズは、今回の遠征を4勝2敗で終えることとなった。シカゴでのスィープは、なんと1978年以来のことだ。
「5回の途中から雨が激しくなって、試合成立までプレーできるのかどうか、かなり怪しい状況になってきていた。」とメルビン監督は言う。「だから、キャミーが最後のフライを獲ったのを見た瞬間には、彼をハグしたくなるぐらい嬉しかったよ。」
難敵バートロ・コロンに投げ勝ったこの勝利で、メッシュは、改めて、彼が“リトル・リーグ式の(短い)試合”に強いことを印象付けた。これで、雨による5イニング・コールドゲーム勝ちは、2回目となる。最初は、2000年6月13日の対カンサス・シティー戦で、被安打1、7−0の勝利だった。しかし、その試合から1ヶ月もたたないうちに、メッシュは腕の故障で戦列を離れ、今年初めまでメジャーで投げる事はなかったのである。
「ちょっとした“デジャブー”(=deja vu、既視感)だったね。」とメッシュは言う。「天候が崩れる事は分かっていた。別に、そのせいで最後の回に投げ急いだつもりはないけど、確かにそのことは絶えず頭の隅にあったし、この回を終わらせなくてはいけないとは思っていた。」
試合が途中で唐突に終わってしまったのは事実だが、だからといって、そのことでメッシュの今日の勝利にケチがつくものでは決してない。なぜならば、これは初回の大ピンチを切り抜けた末に手にした勝利だからだ。
1回の裏、シカゴは、先頭打者のダンジェロ・ヒメネスの2塁打と2番ホセ・バレンティンのバントヒットで、無死ランナー1塁、3塁になっていた。彼のトレードマークになりつつある落ち着いた投球スタイルを維持しながら、メッシュは冷静にフランク・トーマスを2ストライク、1ボールと追い込んだ。続く速球2球はトマスにファールにされたが、次に投げた速球は内角の際どいところに決まり、トーマスを見逃しの三振に仕留めた。ストライクかどうかに関しては意見の分かれる一球ではあったが、いずれにせよ、トーマスが大袈裟に仰け反ったほどには、内側に外れてはいなかった。
ティム・ウェルキ主審がスリーストライク目をコールすると、トーマスは信じられないというふうにバットを落とし、少し間を置いてからバットを拾い挙げてその場を去って行った。
「僕は、あれは内角をえぐるすごくいい球だと思った。」とメッシュは言う。「ストライクかどうかはちょっと微妙なところだったけど、僕にはそう見えたよ。トーマスには、そうは見えなかったらしいけどね。」
次に打席に入ったマグリオ・オルドニエスは、高目に入ったメッシュの速球を浅いライトに打ち上げた。
ホワイトソックスの3塁コーチ、ブルース・キムがヒメネスをホームへ走らせる間違いを犯すと、イチローは220フィートの距離からパーフェクトなワンバウンドのストライクをベン・デービス捕手に返し、ホームから12〜15フィートも手前の位置でヒメネスを悠々アウトに仕留めてしまった。
「あれは、もの凄く大きかった。」とメッシュは言う。「トーマスを三振にしたあとは、ダブルプレーが欲しいと思っていたんだ。でも、あんなふうなダブルプレーになるとは、思いもしなかった。あのピンチを逃れるには、素晴らしい方法だったね。」
こうしてシカゴの得点チャンスを潰したイチローは、次は自分のチームの得点をなんとかしようと、3回表の打席で、コロンの高目の速球を385フィート先の右翼席に叩き込んで今季2本目のホームランにし、マリナーズに1−0のリードを与えた。
「あの“スロー”とホームランを単純に比較する事は出来ない。」とイチローはいう。「どちらもチームにとって大事なプレーだったという点では同じだけど、それぞれの性質は全く違う。返球に関して言えば、ランナーがホームを狙わない場合も想定して弾道を低く保つことだけをこころがけ、必要とあらば、内野手がカットできるような返球にした。」
その後は、センターの方向から吹き込んでくる時速18マイルの強風が試合に様々な影響を及ぼした。ブレット・ブーンがレフト寄りセンターに高々と打ち上げた打球は、その風によって失速し、外野のフェンス沿いをセンターからレフトに向って30フィート追走したウィリー・ハリスによって捕球されてしまった。
実は、メッシュも同じような幸運に助けられていたのだ。2回にジョー・クリードが打った弾丸ライナーは、風によって、ブーンのとほぼ同じ方向に叩き落されてしまったのだ。しかし、4回表の頭にマルチネスがセンター方向に打ち上げたスライダーは、バックスクリーンが風除けとなって失速を免れ、今季4本目のホームランとなってマリナーズのリードを2−0とした。
「ブーニーの打球の方が、ずっといい当たりだと思ったんだけどね。僕のは、そんなにいい当たりではなかった。」とマルチネスは言う。「でも、左中間に飛んだ彼の打球は風に失速させられ、センターに飛んだ僕の打球は、逆に風に助けられたんだと思う。」
さらに、ウィンが今季初となるホームランをライトスタンドに打ち込み、リードは3−0となった。5回表、満塁で打席に入ったマルチネスが高目の98マイルの速球(多分、ボール)をラインドライブのヒットにすると、スコアは一気に5−0になった。
1回の最後を飾ったオルドニエスの“ダブルプレーのライトフライ”から4回終了までに、メッシュは対戦した10人の打者のうち9人までを打ち取っている。(3回にただ1人塁に出たヒメネスは、デービスが2塁に好送球してアウトにした。)
3回以降はどんどんリードが増えていく中で、メッシュが一番気を使った事は、初回から降りだしていた雨が酷くなる前に、少しでも早くアウトを積み重ねていくことだった。
5回の先頭打者、ポール・コネルコがヒットで出塁し、メッシュが続くカルロス・リーを三振に打ちとると、ライトスタンド後方に稲妻が光るのが見えた。3人目のクリードが2塁打を打つと、更に稲妻が光った。
雨がついに土砂降りになリ始めた。ミゲル・オリヴォをゴロに打ち取っている間にコネルコが生還して、メッシュの自責点無しのイニング数記録は、26イニングで止まってしまった。マリナーズの選手全員が安堵の溜息を漏らす中、ハリスがセンターフライでアウトになって5回裏が終了し、なんとか無事に試合は成立したのだった。
シカゴでは久しぶりとなるスイープを完成させた結果、今回の遠征を4勝2敗で乗り切ったメルビンは、次のようにコメントした:「ホワイトソックスに攻撃力があることは良く知った上でここに来たので、3人の投手が良く投げてくれたのはとても嬉しかった。遠征全体としても、投手陣がすごく良かったおかげで、非常にいい遠征になった。」
(以上)
今日のマルチネス選手の2000本安打について、シアトル・ポスト紙の記事からどうぞ…。(^^)
ホワイトソックス戦の勝利でエドガー2000本安打記録を達成す
― ジョン・ヒッキー ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/120406_mari03.html
キリのいい数字ほど、得られる満足感は大きいものだ。
今日の試合で、エドガー・マルチネスは、ベースボールの偉大な記録の中でも“キリのいい数字”のひとつに挙げられる記録に到達した。彼が6回の表に打った単打が、キャリア2000本目の安打だったのである。決して珍しい記録ではないが、偉大な記録である事にはかわりない。
今のチームメート達の中には、誰1人としてその2000本安打の全てをリアルタイムで見た者はいない。しかし、記録達成の瞬間、彼らは全員、ダッグアウトのステップの上まで走って行き、拍手を送った。
チームメート達に「パピ(Papi=おやじさん)」の愛称で呼ばれているこの40歳の指名打者は、マリナーズのクラブハウス内で最も好かれている選手と言えるであろう。彼が、夏の間も冬の間も、苦労し、汗を流し、トレーニングに勤しんでベースボール史上最も優れた指名打者になってきた過程を、彼らは見てきたのである。
そして、多分彼の最後のシーズンとなるであろう今年、彼は、ベースボールの偉大な記録の一つに到達したのである。
しかし、本当に今年が最後の年になるのだろうか…?確かに、マルチネスは、今までに何回かそういう趣旨の発言をしている。
だが、この晩の彼は、その質問に対する明確な答えを口にしなかった。ほんのわずかではあるが、まだ最終的な結論は出ていないのでは…と感じさせる曖昧さを見せたのだ。もし、今からシーズン終了まで故障なく過ごす事が出来たなら、2004年もチームに戻ってくるように、マルチネスに決心させる事は出来るのだろうか…?
「それは、わからない。今、とてもいい状態である事は確かだけど―。」9−2でホワイトソックスを下した試合後の興奮がようやく収まりかけたロッカールームで、マルチネスは答えてくれた。「まだこれから先の様子を見てからでないと、なんとも言えない。考慮に入れなくてはならない事が、一つや二つじゃないからね…。今シーズンが終わった時点で、もし満足して辞められるなら、それはそれでいい。でも、辞めた事を後悔するような事態だけは避けたいと思っている。だから、自分の気持ちを充分に確かめる必要があるんだ。」
マルチネスのチームメート達は、記録達成の瞬間に暖かい拍手を送って、マルチネスに対する自分たちの気持ちをはっきりと示した。シカゴの救援投手のグレグ・グローバーが投げたボールは、回収されてマリナーズのダッグアウトに運ばれ、記念としてマルチネスに贈られた。
試合後、彼らは、今度は言葉で自分たちの気持ちを表現した。
「彼が記録を達成できて、僕としても凄く嬉しい。ここに来るまでの長い間、彼がどれだけ大変な努力をしたかを知っているからね。」と勝利投手のライアン・フランクリンは言う。「あと10年ぐらい、プレーしてくれるといいのにな。あと10年彼のチームメートでいられたら、僕としては凄く嬉しいんだけど…。」
あと10年現役でいれば、マルチネスは3000安打に達するだろう。だが、「3000本」が無理だと言う事は、マルチネス自身が良く知っている。
「3000本の方が、私にとって大きな価値があることは確かだ。でも、そこまでは絶対に行けはしない。」とマルチネスは言う。「2000本も特別だけど、それほどの価値はない。3000本の方が、遥かに素晴らしい記録だ。」
マルチネスがメジャーでの最初の安打を打った時、彼は既に27歳になっていた。その上、故障にも頻繁に見舞われ、1993年、1994年、そして2002年のかなりの部分を、故障で棒に振ってしまっている。
故障のせいで失った日数を全て合計すれば、多分、2シーズン分ぐらいにはなっているはずだ。
それ以外にも、彼には沢山の四球がある。今日の試合の分も含めれば、通算1,152個だ。
「故障とかを考慮しても、もし、あれほど四球を選んでいなければ、もっと違った結果になっていたと思うんだ。」とマイク・キャメロンは言う。「彼は、一年に100回以上も四球で歩いてるんだよ。そうでなくて、もし、彼がもっとどんな球でも打つような打者だったら、きっと年間220安打ぐらいいってたんじゃないかな…。とにかく、彼は凄い人だよ。しかも、あの数字は、全く足の助けなしで得たものなんだからね。」
度重なる膝の故障のせいで、近年のマルチネスは、ほとんど走ることさえ出来ない。しかし、彼のスイングはいまだ健在だし、必要とあらば、1塁へもその先の塁へも、彼は故障の危険を冒して走る。
なによりも、この2000本安打記録は、マルチネスをより謙虚にしたようだった。
「ピート・ローズは、なんとこの倍以上のヒットを打ったんだと思うと、もう何も言えなくなる。」とマルチネスは言う。メジャー通算安打記録の保持者であるローズは、生涯で4,321安打を記録しているのだ。「私にとっては、信じられない記録だ。自分の記録でも、これだけ長い年月がかかっていると言うのに…。私も、もしこれほど四球が多くなければ、もう少しいっていたとは思う。でも、それでは、自分らしさが失われてしまうからね。」
マルチネスは、なによりも、2000本目の安打をシアトルで打ちたかった。―そして、もしそれが叶わぬのなら、彼の生まれた場所でもあり、今でも多くの親戚が住んでいるニューヨークで打ちたいと思っていた。
しかし、今週初めのニューヨーク遠征と来週のシアトルでのホームゲームの間には、最近「U.S.セルラー・フィールド」と名称変更した元コミスキー・パークでの連戦が挟まれており、マルチネスの歴史的ヒットは、そこで生まれてしまったのである。
その安打は、今日のマリナーズの得点には絡まない安打だった。―だが、そんな事はどうでもいい。1987年から始まるシアトルでの長いキャリアの間に、マルチネスは、得点でも打点でも、マリナーズの球団記録を打ち立てているのだから…。
記念すべき安打をシアトルで打つことができなかったマルチネスにとって、残された目標はたった一つしかない。
「シアトルのファンの人たちのために、できることなら、ワールドシリーズ優勝をプレゼントしたいと思っている。」
2000本目安打の代わりにワールド・シリーズ優勝―。かなりお得なトレードと言えるのではないだろうか…?
(以上)
「シアトルの人々が“Mr.マリナーズ”の次に好きなのは、イチロー選手」・・・我々イチローファンにとっては嬉しい結果であると同時に、その他のメンバーを見る限り、シアトルの人々がかなりの“渋好み”(…日本だったら、もっと若い選手が選ばれそうだと思いません…??^^;)であることがわかって、興味深かったです。以下は、シアトル・ポスト紙に載った短い記事から―。気分転換にどうぞ…。(^^)
ファンが選んだ相手は、エドガー
― デービッド・アンドリーセン ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/119438_mbok26.html
シアトルの人々は、エドガー・マルチネスと一緒にいると楽しそうだ、と思っているらしい。ブレット・ブーンは、彼らのその考えは正しいと言う。
「もし、僕が『誰と一緒に遊びに行きたいか?』と聞かれたら、僕もエドガーを選ぶと思うね。」とブーンは言う。「エドガーと一緒にいると楽しいよ。凄く面白い人なんだ。」
『デビット・マスターカード』が販促活動の一環として「夜の町に誰かと出かけるとしたら、誰と一緒に出かけたいか?」という全国規模の調査をこのたび行った。「地元の有名スポーツ選手の中から1人選ぶように―」と言われたシアトル地域の人々がダントツの々1位に選んだのはマルチネスで、彼は得票数の30%を獲得した。
トップ5人のうち、4人までがマリナーズの選手達だった事には、誰も驚かなかった。イチロー・スズキが2位(23%)、スー・バードが3位(16%)、ブーンが4位(12%)、そしてジェイミー・モイヤーが5位(10%)だった。(注:スー・バード:WNBAシアトル・ストームの女子スター選手。→http://www.wnba.com/playerfile/sue_bird/)
2人の子の父でもあるマルチネスは、最近はあまり夜に出かけることはないと言う。
「若い頃は、友だち連中とよくでかけたものだけど、最近は、片手で数えられるほどしかないね。」と彼は言う。「外で夕食を摂るのは好きだよ。でも、その他の外出は、子供と一緒のことが多いかな。映画もよく行くけど、たいていは子供映画だし―。あと、ボート・ショーやモーター・ショー、バイク・ショーなんかもいいね。」
イチローは、客を家庭的なもてなしで歓待するのが好きだという。「犬の散歩に一緒に行くのなんて、いいかもしれない。」「自分の家が一番だと思うから、」あまり外出はしないのだそうだ。
2児の父のブーンも、その一見派手なイメージとは裏腹に、パーティー等はあまり好きではないと言う。
「まあ、誰かと出かけるとしても、夕食を食べて、食後に一杯だけ飲んで、それで終わり。あとは、さっさと家に帰ってすぐ寝ちまうね。」と彼は言う。「僕と出かけても、全然面白くなんかないよ。出かけるのなんて、1ヶ月に1回ぐらいだしね。」
(以上)(^^)
今日の試合は、テレビ画面を通して見るよりもずっと風が強かったようで、選手達もかなり苦労したみたいです。 以下は、シアトル・ポスト紙から、今日の試合について…。
マリナーズ、強風の中でデトロイトを楽々とかわす
― デービッド・アンドリーセン ―
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/119443_wiremari26.html
今日の試合で、デトロイト・タイガースは吹き飛ばされてしまった―セーフコーフィールドの他のいろんなものと一緒に…。
売り子が観客席で売っていた綿菓子は、刺してあった売り板から外れて、何ダースもいっぺんに空中に舞った。打ち上げたフライは、途中で飛行コースを突如変更し、あさっての方向に飛んで行った。強風の吹き荒れるこのワイルドな夜に、マリナーズはタイガースを6−0で完封して5連勝を成し遂げた。
「こんな異様な先発経験は、初めてだ。」とジョエル・ピネイロは言う。荒れ球がかえって効果的だったピネイロは、自己ワーストとなる6個の四球を出しながらも、得点は1点も許さなかった。「ボールがどこへ行くのか、自分でも全く分からない時があった。」
試合終盤まで渦巻きながら吹き荒れた冷たい風のお陰で、“平凡なフライ”などというものはこの試合では存在しえず、プレーする選手たちにとっては、過酷な極寒環境となった。
「この球場で、こんなに寒かったり風が強かったりしたのは、記憶にないな。」とダン・ウィルソンは言う。「色んな事をひっくるめて、凄く異様な晩だった。とにかく、全てが普通じゃなかったんだ。いつも当たり前と思っていたようなことが、なにひとつそうならなかった。」
コントロールの定まらないピネイロを相手に、デトロイトは初回に大量得点のチャンスを迎えた。だが、3人の打者を歩かせて満塁にしてしまったピネイロは、ディーン・パーマーが併殺打を打ってくれたお陰で無傷で危機を脱した。今季のピネイロは、毎試合、初回で苦戦している。ピネイロに対する相手打線の打率は、初回が.333で、それ以降が.202なのだ。
「思いつく限りの事を試してみたんだけどね。」とピネイロは自分の弱点について言う。「ウォームアップを早めに始めてみたり、コーヒーを沢山飲んでみたり…。集中力の問題なのかもしれないし―。少なくとも、今回は失点しなくて良かった。」
―確かに、ピネイロは失点しなかった。そして、その直後、タイガースは「あの時、得点しておくんだった…」と思い知る事になった。マリナーズは、1回の裏に2得点したのだが、そのうちの1点は、ジョン・オルルッドの打った飛球が呆気に取られたディミトリ・ヤング左翼手の目の前にポトリと落ちた時のものだった。
「寒くて風が強くて、ボールの飛び方が滅茶苦茶だった。」とブレット・ブーンは言う。「今日は、何回かそれに助けられたけどね。」
2回のブーンの2塁打で3点が入り、マリナーズはスコアを6−0とした。その後は、デトロイトの救援投手たちがなんとかマリナーズを無得点に抑えたが、もう遅過ぎた。タイガースも、その事は充分に分かっているようだった。
「マリナーズは、実にいい感じだった。」とデトロイトのアラン・トラメル監督は言う。「うちのチームには、まだそういう感じがないんだ。選手達も、努力してないわけではないんだけどね。傍目にはそういうふうに見えるかもしれないが…。野球と言うのは残酷なゲームだと、つくづく思うよ。」
“母なる自然”も、この晩は情け容赦なかった。
「ディミトリのところへ飛んだあの飛球は、最初は何の変哲もないフライだったのに、どんどん流されていったんだ。」とランディー・ウィンは言う。「ウィリー(ブルームクィスト)のところに飛んだやつも、最初はファールグランドに上がったのに、最後はレフトのど真ん中まで来てたし。僕のところには一回も飛んでこなくて、本当にラッキーだった。」
実際、タイガースは、センターには一回も打球を飛ばさなかった。お陰で、ウィンは、寒い中を何もすることなく放って置かれることになったわけだが、そのかわり、打撃の方は大当たりだった。右打席に入った最初の3回の打席で、彼はトリプル、シングル、ダブルと打ちまくったのだ。7回裏、相手投手が右腕のマット・ローニーに代わったため左打席に入ったウィンはゴロに終わり、それが最後の打席となった。
「僕は、ホームランは打てないんだ。打とうとはしているんだけどね。」とウィンは言う。これまでメジャーでプレーした541試合で、彼は24本のホームランを打っている。「僕がホームランを打つ確率なんて、ただでも低いのに、試合途中で左打席にかわったんで、もっと低くなってしまった。試合途中でスィッチすると、集中するのが難しくなるんだ。もし、最後の打席も右打ちのままだったら、多分、初球でホームランを狙いに行っていたと思う。」
昨晩までにマリナーズが勝った14試合のうち、8試合は、1点もしくは2点差で勝ったものだった。メルビン監督も「たまには、6点もリードをもらって戦うのはいいものだ」と言いながらも、この夜の状況が特異なものだったせいで、決して気を緩める事は出来ない試合だった―と言う。
「得点は嬉しかったけど、天候のせいで、リラックスしてプレーできるような状況ではなかった。」とメルビンは言う。「よかった面は確かにあったけど、人知れず苦労した部分も、それなりにあったんだよ。」
(以上)
★補足★
●もし、ウィン選手が今日の試合の最終打席でホームランを打って“サイクル・ヒット”を完成させていたら、なんと、スポンサーのセーフウェイ・スーパーマケットが主催する懸賞で、『One million dollars≒1億2千万円』が応募者の中から抽選で1名に当たっていたところだったんだそうです〜!! ( ̄□ ̄;) また、サイクル・ヒットでなくても、もしウィン選手に4本目のヒットが出ていたら、以前もご紹介した『食料品1年分』が、同じく1名に当たっていたんだそうです…。^^;; 新入りのウィン選手、その事を知ってか知らずか…。…残念でしたネ。(^^ゞ
●マリナーズの公式HPより、今日のピネイロ投手の投球に関するメルビン監督とピネイロ投手自身のコメントです:
メルビン監督:「ジョエルは、コントロールに少し苦しんだが、ここぞという時にはきっちりといい球を投げてくれた。彼のような若い投手が、そういう成熟した面を見せてくれたことを、私は高く評価している。・・・(球場内を吹き荒れた強風がピネイロ投手のコントロールに影響を与えたかもしれないことについて―)彼の持ち球のシンカーが、強風に押されて低く行っていたように見えた。ひょっとすると、それが序盤のコントロール問題の原因の一つだったんじゃないかと思っている。」
ピネイロ投手:「確かに、凄い風だったけど、そんな中でもきっちり投げなきゃいけないと思うし、自分にはそれができてなかった。とにかく、妙な晩だった。一試合で6人も歩かせてしまったのは、初めてのことだ。・・・(3回にウィルソン捕手になんと言われたのかと訊かれて―)『真ん中を狙って投げて、相手に当てさせろ』って言われて、その通りにしたんだ。」
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news.jsp?ymd=20030426&content_id=290828&vkey=news_sea&fext=.jsp
今日のセーフコーでのヒーローは、文句無しにキャメロン選手でしたが、この3年間、キャメロン選手はホームのセーフコーフィールドでの極端な打撃不振に苦しんできました。“セーフコーフィールドは打ちにくい”という強迫観念にも似た心理的バリアーのようなものがあることを本人も認めているのですが、今日の劇的な活躍で、今までの苦手意識をなんとか吹っ切れるといいと思っています…。(注:昨年キャメロン選手が打った25本の本塁打のうち、セーフコーで打ったのはたったの7本、打率もアウェーでは.258、ホームでは.218。過去3年間のトータルだと、その差はもっと顕著で、アウェーでの本塁打50本に対してホームでは19本、打率もアウェーの.292に対してホームではわずか.219となっています。)
以下は、今日の試合に関するマリナーズ公式HPの記事です…。(^^)
キャメロンの一撃がマリナーズに勝利をもたらす
― ジム・ストリート ―
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_gameday_recap.jsp?ymd=20030423&content_id=286214&vkey=recap&fext=.jsp
クローザーが以前のように敵の反撃をピシャッと抑えられなくなっている今、悲惨な状況にもかかわらず諦めない攻撃陣をもっているというのは、実にありがたいものだ。
火曜の夜の試合の9回には、まさにそういう状況が繰り広げられた。クリーブランド・インディアンスが、悩み多きクローザーのササキ(今は、腰痛持ちでもある)から3点をもぎ取り、1点ビハインドから2点リードにのし上がると、セーフコーフィールドの観客たちの大脱出が始まった。
試合開始時には25,231人いた観客のうち、最後まで残った人々は、華々しくも素晴らしいエンディングに立ち合うことが出来た。
9回表にセンター前に飛んだ小飛球をダイビングキャッチでアウトにし、敵の追加点を少なくとも2点は防いだキャメロンだったが、9回裏に回ってきた打席では、サヨナラ満塁本塁打を放ってマリナーズを8ー5の勝利に導いたのだ。
「どんな勝ちもいいものだが、今日のように、一旦はリードを失いながらも劇的に逆転して得た勝ちというのは、ウチのチームの芯の強さを示しているようで、特に嬉しい。」とボブ・メルビンは言う。「あのまま負けていれば、チームの自信喪失にも繋がる痛い負けになるところだったが、幸いなことに、士気を高揚させる勝利にすることができた。それが、今日のいい事だ。悪い事は、ウチのクローザーがちょっとした不具合をきたして、降板しなくてはならなかった事。明日になれば、彼の具合がどんなものか、もう少し良く分かるだろう。今、わかっているのは、腰に張り―かなり強い張り―を感じて、試合から下りなくてはならなかった、ということだけだ。」
ササキを失っても、マリナーズの12勝目に対する執念は消える事はなかった。
ランディー・ウィンがインディアンスのクローザー、ダニース・バイエスから内野安打を奪った。オマー・ビスケールがウィンのゴロを素晴らしいダイビング・ストップで止めたが、1塁への送球は僅かな差で間に合わなかった。
続くブレット・ブーンが歩くと、エドガー・マルチネスがセンターへ抜けるヒットを放ち、1点を返してなおもランナー1、3塁になった。バイエスは、オルルッドをストレートのフォアボールで歩かせると、続くキャメロンには1球目にストライク、そして2球目にもストライクを投げ込んだ。
その最後の1球を、キャメロンはビジター側のブルペンへと叩き込んだ。
「得点圏に走者がいたんで、ただヒットを打とうとしただけなんだ。」とキャメロンは言う。「そうしたら、なんと全員を還す大当たりが出たってわけだ。」
キャメロンにとって、今日の満塁本塁打はキャリア4本目、昨年5月16日のトロントでのアウェー戦以来のものである。その時の本塁打は、今日のように9回の裏に即座に勝利をもたらすものではなかった。
「2点も負けていれば、当然、いい感じではないよね。」とブーンは言う。「でも、まだチャンスがあることは分かっていた。まだ負けたわけではなかったからね。でも、たとえどんないいチームでも、9回裏での2点差を引っくり返すなんて、そう頻繁にできることではない。その点、このチームは変わっていない。もう何年も一緒にプレーしてきて、何回もこういうことをやってきたチームだから、“自分たちにはそういう能力がある”という事がわかっているんだ。今晩、それをもう一回やることができたわけだけど、凄く大きな勝利だった。キャミーが英雄的な活躍をしてくれた。それはそれは、素晴らしい光景だった。」
キャメロンの今季2本目の本塁打は、チームに4得点をもたらしたが、9回表の守備で彼が見せたスーパーキャッチは、それと同じぐらいの価値があった。
「ああいうプレーができるように、僕は今までずっと訓練してきた。」とキャメロンは言う。「いつでも失点を防ごうとしているけど、今日のあのプレーは、チームにとっては、凄く大事なプレーになった。僕自身にとっては、普通のプレーだったけどね。」
ブーンも笑いながら頷く。
「だから僕だって、キャミーに『ナイス・キャッチ』とすら声をかけなかったんだ。」と彼は微笑む。「だって、あれぐらいは、キャミーにとっては当たり前だからね。」
マリナーズの先発投手のフレディー・ガルシアは、7回の途中まで投げたが、そこで長谷川に救援を仰ぎ、長谷川は残りの2アウトを取ってその役目を果たした。ブーンヘの強烈なライナーとなった3アウト目は、満塁の状態で取ったものだった。
“メジャー随一”と言う呼び名の高いマリナーズのブルペンにおいて、長谷川は相変わらず最大の功労者の1人だ。これまで彼が登板した試合で引き継いだ9人のランナーの中で、得点したランナーは一人もいないのだ。
8回には、その長谷川も防御率0.00を維持するために救援を仰ぐことになったが、2死ランナー2塁でマウンドを引き継いだアーサー・ローズは、ピンチ・ヒッターのシェーン・スペンサーにセンターへのヒットを打たれ、長谷川から左中間への2塁打を打っていたジョッシュ・バードの生還を許してしまった。
「これで、僕にもERA(防御率)がついたわけだ。」と長谷川は言う。「まあ、悪い事じゃないね。だって、0.00なんていう数字だと、見た人は、僕が今まで一度も試合に出ていないんじゃないかと思うからね。」マリナーズの最初の3点は、ダン・ウィルソン捕手が4回裏に満塁で走者一掃の2塁打を放って叩き出したものだ。彼は、このたった一回の打席で、これまでの36打席で稼いだ総打点(4点)にほぼ匹敵するだけの打点(3点)をいっぺんに稼ぎ出したことになる。
(以上)
開幕当初、“今年のマリナーズは、例年ほど足を有効に使っていない”という苦情^^;をよく目にしましたが、下記の記事はその事を取り上げています。地元紙、トリビューン・ニュースより…。(^^)
いつ、走るべきか
― ラリー・ラルー ―
http://www.tribnet.com/sports/baseball/mariners/story/2994349p-3018523c.html
3年で300勝もすれば、相手チームもいろんな手段を講じて来るものだ。
新シーズンに入ってから3週間が過ぎたが、この間にAL西地区の各チームがマリナーズの何に対して最も神経を使ってきたかといえば、それは彼らの“足を使った攻撃”に対してだった。
おかげで、マリナーズの足は全くと言っていいほど封じ込められた―少なくとも最初の頃は…。
「どのチームも、先乗りスコアラーを送り込んでくるし、テレビの試合も観る。だから、相手の不意をつくなんてことは出来ない。」とランディー・ウィンは言う。「ウチは走ることが好きなチームだし、相手もそれを十分に承知している。我々を走らせまいと、彼らも随分色んな手を使ってきた。」
いったいどうすれば、イチローやキャメロン、マクレモアやウィンという俊足の選手が揃っているチームの足を止めることができるというのか…?
「対戦したほとんどの投手は、我々がランナーを出すと、必ず“スライド・ステップ”を使ってきた。」と1塁コーチのジョン・モーゼスは言う。「つまり、絶えずクィックで投げて、意識的に我々が走るのを防ごうとしているんだ。特に、イチローに対しては、集中攻撃をかけてきている。」
最初の11試合で、マリナーズはわずか4つしか盗塁をしていない。
「まずは、出塁する事が先決だ。」とキャメロンは言う。「最初の頃は、それさえもコンスタントに出来ていなかったからね。オークランドは、対戦するたびにクィック投法を使ってきたので、スタートを切るのが凄く難しかった。アナハイムは、繰り返し繰り返し、1塁に牽制してきた。そんなこんなで、最初の頃はあまり走るチャンスがなかったんだ。」
過去3年のマリナーズにしても、走る場面はちゃんと選んでいた。この間、ずっと走塁コーチを務めてきたモーゼスは、なぜマリナーズが俊足ランナーを塁に出しても、毎回走らせることをしないのかを説明してくれた。
「まず、“こういう場合は走らない”というのがある。4〜5点差で負けている時は、リスクを冒したくないので走らない。」とモーゼスは言う。「1塁にランナーがいて、次の打者が左打者の場合は、1塁手を1塁に釘付けにしておきたいので走らない事が多い―1,2塁間が空いていたほうが、左打者は打ちやすいからね。」
「大差で勝っている場合も、走らない(注:相手に対して失礼だから→“暗黙のルール”のひとつ)とメルビンは言う。「―でも、いずれアグレッシブに行くよ。走るチャンスは、絶対出てくるはずだ。」
最近の8試合では、マリナーズは走りまくって8盗塁を決めている。シーズン通算では、14回走ったうちの12回を成功させているし、ブレット・ブーンも含めた5人の選手達が2盗塁以上を記録している。
「リスクを承知で走ることもある。走ることによって、相手投手の失投を誘ったり、2塁への悪送球を誘ったりできるからね。」とウィンは言う。「走るときは、相手にできるだけプレッシャーをかけなくてはいけない。いつも成功するわけではないけど、上手くいく時も確かにあるんだ。出来る事なら、対戦投手の全員が、足を高く上げて、投球動作が遅くて、緩い変化球ばかり投げてくれると助かるんだけどね…。実際は、そういうのには、ほとんどお目にかかることはない。」
「対戦する投手の誰もが、我々を意識しているんだ。」とイチローは言う。「そういう中で走るのは難しいけど、やりがいがある。我々は、走るのを止めたりはしないよ。」
とはいうものの、マリナーズは賢く走らなくてはいけない、とイチローは言う。
「相手チームは、僕が出塁した時の対処法を変えてきた。それでも、もし80回走れば、もう1回56盗塁する事は可能だ。」と彼は言う。「でも、そんなに失敗してしまっては、チームのためにはよくないからね。」
2年前、イチローは70回盗塁を試みて56回成功し、リーグの盗塁王になった。昨年は、31個の盗塁を記録したが、15個の失敗があった。
そして、今年は?
イチローは、今までに3回走って3回とも成功している。ウィンも同じだ。
「僕が思うには、もし僕が塁に出て走る素振りを見せれば、ピッチャーは次の打者に対して速球を沢山投げなくてはならなくなる。」とキャメロンは言う。「ウチの連中は速球打ちが上手いから、当然有利になる。リッキー・ヘンダーソンにもよく言われた―『盗塁を失敗しても、気にするな。相手にプレッシャーを掛け続けろ』ってね。盗塁の上手い選手は、たとえ失敗しても、相手にプレッシャーを掛けることができる。我々が塁に出てやっていることは、そういうことなんだ―絶えず相手にプレッシャーをかけているのさ。」
マクレモアは、過去3年間で87個の盗塁を記録しているが、今年はそんなに上手くはいかないだろうとシーズン前から予想していたそうだ。
「去年までの3年間で、ウチは沢山の試合に勝ってきたけど、その成功の大きな部分を占めていたのは、“足”だった。」とマクレモアは言う。「相手チームだって、そんな事は先刻承知だろう。今まででも、ウチには30盗塁以上の選手が3人もいたのに、今年はウィンが加わって4人になった。相手チームが、ウチの攻撃力を削ごうとして、走らせまいとするのは、当然の事だ。それに対して、我々が取るべき態度は、『それでも走る。今回失敗しても次また走るし、その時は必ず成功させてやる―』というものだ。塁に出て、相手が走者に気を取られて打者に対する注意が散漫になるようにするんだ。以前より走るチャンスは減るかもしれないが、それでもチャンスはきっとやってくるさ。―その時は、我々は必ず走る。」
★補足★
現在まで10盗塁以上成功しているアメリカン・リーグのチームの中で、盗塁成功率の最も高いチームは、実はマリナーズなのである。(数字は左から順に→盗塁成功数、失敗数、盗塁成功率)
・アナハイム 15 9 62.5%
・ボストン 13 3 81.3%
・シアトル 12 2 85.7%
・NY 12 5 70.6%
・タンパ・ベイ 12 7 63.2%
・ミネソタ 10 4 71.4%
(以上)
終盤、非常にドラマチックな展開を見せた今日の試合に関する記事を、シアトルタイムスから・・・。(^^)
ゼロからヒーローへ
― ボブ・コンドッタ ―
http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/134677983_mari18.html
マーク・マクレモアほど数多くのメジャーの試合をこなしていれば(今日現在で1,669試合)、目新しい経験などほとんどないものだ。
今日、マクレモアがやった、“9回に自分のエラーで勝ちをフイにし、10回に自分の活躍で勝利をものにする”―などということにしてもそうだ。
「こんな事をやってしまったのは、実は、これが初めてではないんだ。」と笑いながらマクレモアはいう。9回ツーアウト後の彼のエラーがA’sが同点に追いつく事を許し、10回の彼のレフト前ポテンヒットがマリナーズの4−3での延長戦勝利を呼び込んだのである。
実際、マクレモアが“戦犯からヒーローへ”という今回と同じような道を歩んだのは、ほぼ一年前の2002年4月15日、テキサスでの試合でのことだった。
「平凡なライトフライを落球してカズのセーブをふいにし、次の打席でヒットを打って2点を叩き出し、試合に勝ったんだ。」とマクレモアはいう。その試合で、マリナーズは結局11−9の勝利を収めている。「長くこの世界にいる選手なら、皆一回ぐらいはやっていることだと思うよ。」
とはいえ、もし9月にマリナーズとアスレチックスがア・リーグ西地区優勝を争うことなどになれば、この勝利は、間違いなく重要なものになるはずだ。
マリナーズは、今日勝った事によって、今回の西地区のライバル相手のホームでの10連戦を6勝4敗で締めくくり、明日から始まるアナハイムでの3連戦に単独首位の立場で臨むことになった。またマリナーズは、A’sに対しては3勝1敗、1点差の試合では4勝0敗、延長戦では3勝0敗…という成績を収めている。
「最終的に勝つ側に立てるのなら、こういう試合も、ちょっと楽しくはあるね。」とメルビン監督は言う。「ブルペンやベンチを総動員した試合で勝つと、とても嬉しいものだ。逆に、負けるとこれほど落ち込むものはないけどね…。」
8回終了時までは、この試合で最も目立っていたのは、2年のブランクから一線級の投手への復活の道を順調に歩み続けているギル・メッシュの好投ぶりだった。今シーズン3回目の登板となる今日の試合で、メッシュは6回を投げて、被安打4、1失点(自責点0)という好投を見せ、マリナーズが3ー1のリードを保ったまま9回を迎える事を可能にした。攻撃面での主役は、4回ツーアウト満塁で2打点を叩きだす殊勲打を放ったダン・ウィルソンだった。
9回表には佐々木が登板し、何の苦労もなくセーブを記録するものと誰もが思った。2000年シーズン以来、8回でリードしている試合でのマリナーズの成績は、ダントツの275勝12敗だたからだ。
しかし、先頭打者のエリック・チャベズがセンターへの本塁打を放つと、そこから先の佐々木の投球は、綱渡りの連続となった。安打、四球、犠打、そして敬遠の四球で、あっという間にワンアウト満塁にしてしまったのである。ピンチヒッターのマーク・エリスを三振に討ち取った後、打席に入ったのはテレンス・ロング。そのロングがカウント1―2から打った1球は、3塁手マクレモアの方向へ弾みながら転がった。マクレモアの言葉を借りれば、“100回のうち99回は難なく捌けるたぐい”の、ごく平凡なゴロだった。
しかし、結果としてそのゴロは、“100回のうちの1回”となってしまったらしい。一旦はボールをグラブに入れたマクレモアだったが、掴み直して2塁に投げようとした瞬間に落としてしまったのである…。
「グラブのど真ん中にちゃんと入ったのに、こぼれてしまったんだ。」とマクレモアは言う。「自分でも、失敗してしまったって言う以外、なんであんなことになったのか、全く分からない。取れたと思ったんだけどね…。2塁へ投げようとしたんだけど、うまくいかなかった。」
佐々木はそこから持ち直して、地元ヤキマ出身のスコット・ハッテバーグをライトフライに討ち取ってその回を終わらせた。
ダッグアウトに戻ってきたマクレモアを出迎えたメルビンは、後に語ったところによると、「大丈夫。最後には、きっと君がこの試合を勝たせてくれることになるよ。我々は、皆、君の味方だ。(We still love you)時にはこんなことも起るさ。」と言って、マクレモアを慰めたのだそうだ。
試合が10回の裏まで進むと、その回からマウンドに立ったA’sのフィカッチが、素早くツーアウトを取りながらも、続く2打者に対して連続してコントロールを乱した。マイク・キャメロンをフルカウントから歩かせて2盗を許すと、続くカルロス・ギーエンにも四球を与え、マクレモアを打席に迎える羽目になったのだ。マクレモアは、5回の守備で脇腹を痛めたジェフ・シリーロの代わりに、試合途中から出場していたのである。
「打順が僕まで回ってこないように、それまで打席に立った他の皆を『勝ってくれ』って応援していたんだ。」とマクレモアは言う。「でも、いざ自分に打順が回ってくることがわかると、『よし、やってやる』という気持ちで一杯になった。」
カウント1−2からフィカッチが投げたチェンジアップをマクレモアが振ると、打球は左翼手の前にフラフラッと上がってポトンと落ちるポテンヒットとなった。
勝ち越しランナーのキャメロンが2塁から楽々ホームインすると、ベンチから飛び出してきた選手達が一斉に1塁上のマクレモアに向って突進した。ブレット・ブーンにふざけて小突かれたマクレモアは、もう少しでライトまで押し出されるところだった。
「ブレットは、僕に『一体、どうやったら、そんなことができるっていうんだ?!なあ〜、おい!!』って言ってたんだ。」とマクレモアは言う。「僕にも分からないよ。いったい、なんなんだろうね…?」
(以上)(^^)
(マクレモア選手を手荒く楽しそうに祝福するブーン選手↓)(^○^)
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